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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ肆】魂の在り処
146/158

<十一>その御魂は妖と名乗る(弐)



 それに気配も音も無かった。

 五感が動く前に、翔の身を落としたオヨズレは、ギンコの頭を蹴って、その身を追い駆ける。青葉達の存在など、まるで無視だ。逸早く我に返った青葉が走れと、ギンコに命じると、オヨズレは振り返り、向かってくる銀狐の巨体を袖で薙ぐ。


 袖口から、瘴気が噴き出した。顔面に受けたギンコは、堪らず悲鳴を上げ、顔を振る。


「オツネ!」


 怯んだ姉を守るため、青葉が空中に飛び出した。


「なっ」


 それさえ見越していたのか、オヨズレは彼女の前に立ちふさがると、やはり同じように袖で薙ぐ。

 噴き出す瘴気を警戒した青葉が、口元に手を当てたところで、オヨズレが喉を鳴らすように笑った。生まれた隙を逃さず、青葉の腕を掴むと、体勢を立て直したギンコの巨体を避け、彼女の身を向かってくるツネキへ放る。


 入れ替わり、天馬がオヨズレに錫杖を振り下ろす。


「ほっほっ。天狗から天を取ってしまえば、ただの(いぬ)よ」


 負傷した翼を見透かしている輩は、錫杖を受け止めるや、それを引き、天馬を空中に引き摺り込む。そして靡かせる浄衣の袖を目くらましにして、みぞおちに膝を入れた。

 彼は寸の間のところで受け止めるが、オヨズレの興味は既に薄れていた。さっさと体を弾くと、天馬の体を床に叩きつけ、着地と共に獲物の下へ。


「翔!」


 起き上がった天馬の口から、怒号がほとばしる。

 オヨズレの向かう先には、背中から叩きつけられ、身悶える翔の姿。輩は迷うことなく、胸倉を掴むと、空いた手を胸部に突き刺す。


「あっぶね!」


 間一髪のところで、玉串を構えた翔は、鋭利ある爪に冷汗を流した。その爪は鎌鼬(かまいたち)の鎌のように鋭く、猫又の爪のように尖っていた。


「俺の体に、また穴をあけるつもりかよ。仮にも先代の依り代ってなら、もう少し、大切にしてくれていいんじゃねーの?」


 先代の器にしたいと言うわりには、ぞんざいな扱いだ。どいつもこいつも、この体に穴をあけたがるものだから堪ったものではない。痛い思いをするのは、いつだって翔だというのに。

 動かない足の代わりに、太い尾っぽで相手の顔を薙ぐ。


 オヨズレは微動だにしない。ただただ笑い声を上げるだけだ。

 四肢を動かし、その腕から逃れようとするが、やはりピクリとも動かない。掴み上げてくる手の肌に張りはなく、老人のようにシワシワだというのに、体のどこに持ち上げるだけの力があるのだ。


 暴れても駄目なら、いっそ噛みついてやろうか。


 相手を睨むと、狐面越しにオヨズレと視線が交わった。目のくぼみの向こうには闇が広がるばかり。すこしも瞳は見えない。それがまことに不気味であり、相手の心情が一抹も読み取れない。


(なん、だ)


 オヨズレから目が放せない。手足の末端が冷えていく。おかしい、これの目の奥に広がる闇を見つめれば見つめるほど、胸の奥が疼いてくる。


「白狐、其方も感じるであろう? それは我ら魂の同胞である“証”だ」


 抵抗が弱まる翔に、オヨズレがせせら笑う。

 大きな混乱に放り込まれた。輩の言う通り、翔はオヨズレと何かを感じ合った。それは宝珠の御魂とは違う。冷たいものであった。暗いものであった。黒いものであった。懐かしいものであった。

 訳が分からない。なぜ、これと通じ合うものがあるのだ。


「翔! お気を確かに!」


 逸早く翔とオヨズレの下にたどり着いた天馬が、渾身の力を籠めて錫杖を突く。輩は足軽に飛び上がり、臙脂の浄衣を靡かせた。


「ほっほ。翼を失い、(いぬ)となっても素早い。感心、なんと感心なことか」


 しかし。オヨズレは目を白黒させている狐に細く笑う。


「白狐よ。魂の同胞よ。感じるか、我らの鼓動を」

「どう胞?」


 魂が脈打つ。


「強く感じめされよ。これが我らの魂の繋がり」

「つな、がり?」


 魂が震える。


「我らは同じ色を持つ者。それは否定できぬ話、話なのだ」

「おなじ、色……」


 翔は未だにオヨズレから目が放せずにいた。輩の訴えがすべて真実に思えてくる。違うと否定する自分が薄れていく。


「耳を貸してはなりませぬ! 翔殿!」


 青葉の声が遠い。分かっているのだ。目を放さなければいけないことは。耳を貸してはいけないことは。否定しなければいけないことは。

 けれど、それができずにいる。


 顔を覗き込んでくるオヨズレが、その目が、翔の魂に問い掛けてくる。何を躊躇っている、お前は同じ色の魂を持つ者。黒百合のように、美しい色を持った魂の輝きを持つ者。怯えることなど何もないのだ――さあ、感じる鼓動に身を委ね、身を、魂を、明け渡すが良い。


「白狐、其方の御魂に告げる。玉串を捨てよ」


 あれほど荒れ狂っていた感情が冷えて切っていく。真冬の海にでも飛び込んだように、体の芯が凍っていく。構えた玉串がするり、と手を抜けて床へ落ちた。文字通り、玉串を翔は捨てたのだ。


 その時、体内に宿る、もう一つの声が魂に呼び掛け、翔に思い出させるのだ――私の愛い子よ。受け継いだ御魂を、お役を、使命を、忘れてくれるな。いつか梅の大木となれ。


 それは優しくも厳しい声。

 宝珠の御魂を生みし、神の化身の声。オオミタマの声。翔は正気を取り戻し、一度は捨てた玉串を尾っぽで拾うと、真上に投げる。


「俺は、お前と同胞になるつもりはないっ!」


 吸い込まれそうな目のくぼみに、玉串を突き刺す。そこから、濃い瘴気が噴き出したことで、呼吸を奪われた。咳が止まらない。

 けれども、オヨズレの手から逃れる隙はできた。翔は力の限り、尾っぽで輩の体を突き飛ばす。自由となった体が祭壇とぶつかり、その場に倒れてしまった。


「あ、」


 翔の前に、祀られている骨が転がり落ちる。それは頭蓋骨であった。ヒトではない、獣ではない、初めてみる歪な頭であった。小さな骨格であった。

 元々体躯が小さかったのか、それとも成長に入る前の骨だったのか。どちらにせよ、術のために用意された骨だとは見て取れた。

 欲のために犠牲となった者の骨に顔を歪め、それに額を合わせる。


「お前らの仇は、必ず討つ。討ってやるからな」


 頭蓋骨を両手で包むと、鋭い光を瞳に宿し、翔は素早く身を起こした。足が使えずとも、尾っぽで体を起こすことは可能だ。


 座ったまま、オヨズレと向き合う。

 輩はいと簡単に玉串を抜き、翔の前に投げた。狐の面のせいで表情が分からないが、余裕が窺える。小手調べをしている、といったところなのだろう。輩は翔が宝珠の御魂を持つゆえ、簡単には陥落しないことを見通しているのだ。


(なにもかも、こいつの思惑通りってか? 胸糞悪い)


 一呼吸置き、翔は「なるほどな」と、口角を持ち上げた。


「オヨズレ。お前が俺を魂の同胞と呼ぶ意味が、なんとなく分かったよ。確かに俺は、お前の魂を感じた。まるで、宝珠の御魂と共鳴している時のように、はっきりと感じた」


 そして、それはきっと先代にも同じことが言える。他の神職達には無い共鳴が、自分達の間には存在しているのだ。


「ほっほっ。同じ魂の色を持つ我らだ。共鳴していて同然。同然であろう」


 返す言葉もない。翔は素直に共鳴を認めた。この白狐、不名誉ながらオヨズレの魂と共鳴している。


「翔殿。それは一体、どういう意味ですか」


 ギンコから飛び下りた青葉が、翔の右隣に下り立つ。その隣には天馬が肩を並べ、含みある視線を投げた。


「場合によっては、苦い薬湯ですからね」


 よほど、オヨズレの言葉を認めた翔が気に食わなかったようだ。青葉が怖い顔で睨んでくる。

 翔とて、出来ることなら否定したいが、こればっかりは訂正のしようがなかった。空中で構えている金銀狐を見やり、両端の同胞に目を配った後、翔は導きだした答えを口にする。


「たぶん。オヨズレの持つ瘴気と、俺の魂が反応しているんだよ。だから魂の同胞ってわけだ」


「反応? 貴方様の魂が、輩の瘴気に、なぜ反応を」


 青葉が訝しげな顔を作る。魂と瘴気が反応するわけがないと意見するが、翔はそれを綺麗に否定した。


「俺自身も瘴気を持っているんだ。それこそ、魂にな。先代も、きっと同じなんだよ」


 聞き手が血相を変えた。


「そ、そんなわけがありませぬ。お二方が穢れた気を持つだなんて」


「御魂封じの術だよ」と翔。


「俺も先代も、自分の魂に瘴気を封印した。魂は瘴気にまみれた」


 それが原因で、オヨズレの持つ瘴気と反応している。

 これが翔の出した答えであった。寧ろ、それ以外に考えられないのだ。先ほど感じた、あの冷たさや暗さは瘴気を封じた時のことを彷彿とさせた。


「御魂封じの術は本来、自分の御魂に禍根を封じ、自分の妖力で浄化していく。それには莫大な時間を要する。そうだな?」


 青葉に視線を流す。彼女は戸惑いながらも頷いた。


「え、ええ。それゆえ、あの術は最後の手とされています」


「俺はあの時、瘴気を浄化できたか?」


「いえ、瘴気を消滅はさせましたが、それは魂との相殺で……」


「先代は?」


「封じて、そのまま息を引き取りました。浄化の時間は……まさか」


 青葉は固唾を呑んだ。翔はそのまさかだと頷き、引き攣り笑いを浮かべる。


「浄化してねえんだよ。俺も、先代も」


 そう、無断で御魂封じの術を使った翔は、浄化する前に魂を砕いてしまった。亡き先代は、浄化の前に死を迎えてしまっている。双方とも、瘴気の消滅に成功していれど、己の御魂に宿した瘴気を浄化していないのだ。

 なるほど。聞き手になっていた天馬が相づちを打つ。


「双方の魂に残った瘴気が、オヨズレの瘴気と反応している、ということですね?」


 小さく頷き、翔は更なる仮説を立てる。オヨズレの瘴気と反応している、ということは、輩の御魂にも瘴気が宿っているといえる。だから“魂の同胞”となる。

 とはいえ、オヨズレの肉体は百年前、比良利達の手によって消されていると聞く。翔と異なり、あれに生きた肉体は無い。


 なのに、いまオヨズレは肉体を持っている。作られた肉体なのか、それとも他人の肉体なのか、どちらにしろ、器を失った魂を繋ぎ止めることは難しい。

 それが出来ているということは。


「その体と魂を繋いでいるのは、瘴気だな?」


 翔の問いに輩は答えない。されど、否定もしない。肯定と捉えて良さそうだ。


「この線でいけば、弥助が俺を同胞だって言ったこと頷ける」


 また来斬の分身が、瘴気を纏っている理由も納得がいく。みながみな、瘴気を軸にして肉体と魂を繋いでいるのだろう。

 同じように、先代と翔の依り代を繋ぐために、『御魂封じの術』という共通点に目をつけ、瘴気の利用を考えた。オヨズレは知っていたのだ。翔と先代が同じ道を辿り、一度は瘴気を魂に宿したことを。浄化せずに、瘴気を消滅させたことを。


「やってらんねえよな。まじ、冗談じゃねえよ。こんなんで魂の同胞とか呼ばれるなんて」


 翔のおどけ口調は、オヨズレの笑声によって掻き消される。


「さすがは宝珠を持つ狐。仔狐ながら、なかなかの鋭さ」


 しかしながら、まったくの大当たりとまではいかないとオヨズレ。

 確かに十代目と九代目は、それぞれ『御魂封じの術』を使い、その御魂に瘴気を宿して、消滅させている。浄化しなかったことにより、御魂には強い穢れが残る。


 だが、忌々しいことに御魂に残った穢れは、大御魂の加護の下、月日を経て浄化されてしまう。生きている者は当然、死んだ神職達も大御魂の下に還り、立派に務めを果たしたねぎらいと慈悲を与えられる。


 これでは、魂の同胞になることはできない。


 本来、大御魂の下に還った魂を、今世に呼び戻すなど不可能なのだ。


「されど、天城惣七の御魂は復活に近い。それは、あれが大御魂の下に還っていないため。あれは還ることを拒んでいる。まことに拒んでいる」


 拒んでいる? 翔は眉を寄せる。


「あれには強い未練が残っている。いくら鬼才の神主とはいえど、宝珠を抜いてしまえばあれもただの妖。御魂に(かげ)りが差すこともある。あろうぞ」


 それが天城惣七を、目覚めさせる要因となった。

 オヨズレは謳う。真の魂の同胞になるには、ただ瘴気を宿すだけでは無意味。御魂に強い翳りと生の執着、そして未練がなければ、真の魂の同胞とは呼べない。

 なによりも、死。これが必要だとオヨズレ。


「死は冷たく、暗く、深い闇の(とこ)にある。一度でも経験すれば、御魂はまことの闇を知る。瘴気は闇を好み、穢れを好む。これらが一つに重なった御魂を、魂の同胞と呼ぶ。呼ぶのだ」


 鬼才と呼ばれた、天城惣七はこれらをすべて満たしている。持ち前の才能、未練、死、ひっくるめて神器になるに相応しい、素晴らしい御魂だと嘲笑すると、オヨズレは棒きれのような指で、翔を指さした。


「そして二度死を味わった、白狐よ。其方は器に相応しい逸材。逸材なのだ」


「冗談! 先代に頼まれたって、誰かの器になるなんてごめんだぜ!」


 先ほどから、いきり立っている青葉と、相手の出方を窺っている天馬が、同時に飛び出す。左右に分かれた彼らは、目に留まらぬ速さで前後を取ると、その頭に向かって右足を振った。


 相手は怯みどころか、痛がる姿すら見せず、彼らの着地を狙って足を払う。双方、宙を返って体勢を立て直すが、オヨズレの標的はあくまで翔だ。

 彼らの間を縫うようにすり抜けた。


「来てくれギンコ!」


 足となってくれる銀狐を指笛で呼ぶと、玉串を拾い、ギンコの左後ろ足に掴んだ。


「逃げられると思いか」


 そっくりそのまま返したい。翔は飛び上がって、後を追うオヨズレに舌打ちをすると、尾っぽを振り子のように動かし、勢いをつけて手を放した。真っ向からオヨズレに玉串を叩きつける。

 簡単に受け止められたところで、輩に隙が生まれる。これを狙い、左右から錫杖と狐火が飛んだ。三方向ならば、うんっと逃げ道も狭まる。


「子どもの戯れ。戯れである」


 平然と受け止めるこの輩に、痛覚は存在しないのか。

 翔はオヨズレの体を突き飛ばし、距離を取る。落ちる自分の身は、ギンコが見事に拾ってくれた。


 かたく閉ざされていた襖が開かれる。

 振り返れば、来斬の黒狐達が狭い一室に飛び込んできた。黒い狐の波の上には、来斬と弥助が乗っている。ああもう、次から次に大ピンチ。人気者は本当につらい。


「また会えてうれしいぜ。小僧」


「俺はちっとも嬉しくねぇよ。なんで、揃いも揃って俺の下に来るんだよ」


 火縄銃が向けられ、それが火を吹く。ギンコの背中に同乗する、ナガミとナノミが伏せろと頭を押してきたので、素直に身を低くした。

 地上に目を向けると、黒狐の波に呑まれようとしている青葉と天馬の姿。金狐が彼らを拾い上げているが、これは分が悪いどころではない。敗北の二文字しか見えない状況だ。

 どうする。どうすれば。非道な輩達は考える時間すら与えてくれない。黒狐の波に乗った来斬が、弥助が、そしてオヨズレが向かってくる。



「お前の相手は、私だ。来斬」


 黒狐の波に乗り、来斬の前に立ちふさがった青葉が、額に二つの勾玉模様が浮かべた。

 呼応したように右の手と左の手に、各々黒の巴と白の巴を宿し、最後に額に双方の巴を開示する。彼女の全身には、白黒の勾玉模様が唐草のように這っていた。


「はっ。また負けをみたいか。小娘」


「勝ち負けなど、どうでもいい。私は大切な家族を守るために、ここにいる」


 彼女は努めて冷静だった。怒りを瞳に宿しているが、先方のように感情的ではない。

家族を守る、その発言に嘲笑する来斬は、「敗北は死だ」と言って、長巻を抜いた。


「だったら死を迎えぬよう、何度も挑むまで。私はあの方から、諦めぬ心を学んだ―――!」




 天馬は骨傘の弥助の足止めをしていた。獣の骨で作られた傘と、錫杖がぶつかり合い、その度に輩の目的の邪魔立てをする。


「やや。神職でもない小僧が、よくもまあ、あたしの邪魔をしてくれる。よほど、死にたいとみました」


「日月の神職に忠義を尽くしているだけだ」


「名張の小僧が吠えるものですねぇ」


 この輩も、天馬の身分を知っている。

 しかし、もう惑わされるものか。天馬は決めているのだ。いつか、十代目と真剣勝負をして、己に誇れるものを得ると。その日まで、自分は誰にも負けないと、心に誓ったのだ。


「なんとでも言うがいい。この名張天馬はお役を果たすまで――護影として、十代目を守り通す」




 翔はギンコ、ツネキ達共にオヨズレから逃げ回っていた。ただ逃げるばかりではない。隙を窺い、ここぞというところを狙っている。


 だが、あれに隙という隙はない。

 気配もなく、音もなく、存在を感じられない。振り返れば、そこにいる、不気味な存在は、いびつな生き物と呼ばれている妖より、恐ろしい。


「玉串があいつに通用するとは思えねえ。くそっ、大麻があれば。げほげほっ、空気は悪いし」


 ギンコが鳴いてくる。ひとまず、この空間から出るべきだと意見しているようだ。来斬が生んだ黒狐達のせいで、瘴気が充満している。このままでは、呼吸が困難になると銀狐。

 それは分かっているが、この状況では、逃げることが精いっぱいだ。振り返れば、オヨズレの姿が消え、大波のように黒狐達が襲いかかってくる。


「呑み込まれるなよ! あれの中は地獄より地獄だ!」


「それでは、このオヨズレに御魂を寄越すがいい。其方には永遠を与えよう」


 其の穢れた御魂は、オヨズレに相応しい糧となろう。

 冷たく、暗く、黒い鼓動を感じる。狂ったような笑い声が耳元を通り過ぎていく。目を動かすと、大波の中を移動するオヨズレが勢いをつけて向かってきた。臙脂色の浄衣を靡かせ、両手を広げて身を捩る。


 瘴気が来る。

 しかし、それは来なかった。代わりに、天井が、壁が、床が青い炎に包まれた。それは、この空間を焼き尽くす、強いつよい炎であった。

 むせ返る。呼吸をする度に、火の粉が喉を焼きそうだ。もらい火を受けた黒狐達の波が、あちらこちらで奇声を上げ、炎を消そうとのたうち回っている。


 やがて炎は空間の隔てを消し去り、外界の景色が顔を出す。まず見えたのは、意気揚々とオヨズレに向かって走る、赤き狐。



「ほっほう! やーっとわしも参加できる! 楽しゅう役者が揃っておるではないか!」



 笑い声がまったく笑っていない。

 それが翔に冷汗を掻かせ、恐怖心を煽った。あれは怒っているどころの話ではない。堪忍袋の緒が切れ、怒りが一周している。とばっちりを受けないことを切に願うばかりだ。


 その狐、赤狐の比良利は細い目をつり上げ、オヨズレの狐面を叩き割った。こちらが、叩けど叩けど、疵ひとつ付けることができなかった、狐面を。

 面が剥がれ落ちた。初めて見るオヨズレの素顔に、翔は言葉を失う。



「もしかして、あれは天城惣七……なのか?」



 黒百合の総大将はせせら笑った。




「役者は揃った。確かに揃った。さあ、復活させようぞ――天城惣七を。新たな神器を」






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