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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ肆】魂の在り処
142/158

<七>好奇心は猫をも殺す


 驚く間もない。


 どこからか飛んできた呪符が結界を容易に通り越すと彼の体中に貼りつき、そして寸間もなく爆ぜた。

 それは妖に向ける術であり、飛鳥が得意とする術の一つ。だが人間にも応用できる術でもあり、呪符は触れる者すべてが術に対象となる。


「よ、米倉くん!」


 がらんどうに轟く悲鳴は、朔夜にも届いたようだ。

 振り返り、安否を確かめるために飛鳥の名前を呼んでくる。応える余裕はない。支柱に体を打ち付けて、その場に崩れる米倉の下へ走る。


 途中で足を止めてしまった。

 彼の周りに四点を結ぶように、太い爪が刺さり、おどろおどろしい結界が発動したためだ。あれは牛鬼の爪。表面に術の言霊が走り書きされているところから見て、呪符の代わりと言ったところだろうか。

 下手に近付くことはできない。一見結界術にも取れるが、長年の勘が疼く。ただの結界術ではない、と。


「意外。お嬢ちゃん、見た目によらず冷静に物事を判断できるのね」


 高い声音は女だと断定できる。

 歪な妖達を祓った朔夜が隣に並び、後ろだと助言する。

 飛鳥が出入り口側に視線を流せば、人間が立っていた。コンクリート壁に寄りかかり、面白そうに光景を眺めている。


 分厚い化粧にOLが袖を通しそうなスーツ。きつめの眉剃りと、濃い化粧、鋭い眼光、黒縁の眼鏡を掛けているのにも関わらず射殺されな視線。感じる強い霊力は同族だと教えてくれる。


 彼女の手に持つ数珠らしきものに目を向ける。

 勾玉のように連なる法具は目を凝らせば凝らすほど、我が目を疑ってしまう。勾玉ではない。おそらく妖の指だ。切断されている上にミイラ化しているため、なんの妖なのか判別はつかないが。あれを法具と呼んでもいいのだろうか。


「お前は滝野澤董子」


 眼を見開いた朔夜が素早く身構える。倣って身構えた飛鳥もその名は知っていた。


 滝野澤董子。

 表向きは大学教員で民俗学者、素性は妖専門の呪術者。妖を生贄に呪術をしている霊媒師。百鬼一族の末裔であり、“人災風魔”事件を起こした黒幕のひとり。妖狐達が血眼になって探している、黒百合と関わりを持つ人間だ。

 また、彼女の父が変死したことにより、重要参考人物として人の世界からもお尋ね者となっている。もっとも、変死した原因は妖であり、滝野澤ではないだろうが。


「はじめまして、というべきなのかしら。それとも、こんにちは、宿命の妖祓さんと挨拶するべきなのかしら」


 つぎはぎだらけの妖を操っていたのは、誰でもない彼女なのだろう。

 何故妖からも、ヒトからも追われ、身を隠していた滝野澤がここにいるのだ。いや、この際、そんなことはどうでもいい。


「米倉くんに呪符を飛ばしたのは、貴方ね」


 こみ上げてくる怒りを必死に抑えるも、「お嬢ちゃんの呪符を使ってね」出入り口に貼っていた呪符を拝借したのだと滝野澤。わざとらしく怒りを煽ってくる。

 目の前が真っ赤になりそうになった。思わず両手に持つ呪符を握り締めてしまう。


「ちょっとお嬢ちゃんをからかおうとしたら、面白いものが見ることができたわ。感謝ね」


 腹立たしいことに、滝野澤は飛鳥を妖に襲わせた目的はからかいだと言う。百鬼一族は妖祓に怨みを買っているため、真の目的は復讐と不老不死なのだろうが。

 ところが朔夜がそれを指摘すると、滝野澤は一声上げて笑う。


「ええ、そうね、そうね、百鬼一族の目的は復讐と不老不死ね。間違いではないわ。でもハズレよ坊や。私個人の目的ではないわ。死んだ父はそうだったみたいだけど」


 だったら何が目的なのだ。

 妖祓だけならまだしも、多くの一般人を巻き込み、挙句の果ては妖達に襲わせる。心ある霊媒師のする行いではない。種類は違えど、霊媒師は人間に害を及ぼす存在ではならない。

 また滝野澤親子のせいで、多くの尊い妖の命が奪われ、妖と人の関係にも溝ができてしまった。どう罪を償うつもりなのだ。


 なにより米倉をどうする気なのか。

 彼を解放するよう怒声を張るも、滝野澤は微動だにしない。余裕ある表情で妖祓を見据える。


「刺激ある人生。それが目的」


 「なに、それ」あまりにも不甲斐ない目的に怒りすら忘れかけ、呆然としてしまう。刺激ある人生とはどういう意味なのだ。


「言葉のままよ。せっかく人並み以上の能力を持っているに、普通の人間として暮らすには惜しいと思って。だって人間って退屈じゃない? ただ言われるがまま学校に通って、社会に出て、適当に働く。面白味も何もなかったわ」


 子どもの頃に夢を語ったところで、それが大人になって叶うかと言われたら否。多くの人間は好きな職にも夢にも辿り着けず、道中で現実の壁に屈して放り出してしまう。行きつく先は理想とはかけ離れた生活に、夢のない現実、味のない人生。

 本当に面白くない。夢も理想も叶わない、絵空事を思い描くだけの人生を人間は繰り返す。


「そんな時、ふと思わない? 何か面白い事件が起きないかなーって。パニック映画みたいにゾンビでも現れて街が襲われないかしら、とか。隕石が激突する危機に直面して、国際問題にならないかしら、とか」


 にっこり、嘲笑いを含んだ笑みに虫唾が走る。


 隣では朔夜が殺気立っていた。

 努めて平常心を保とうとしているが、内心はふつふつと煮えているのだろう。飛鳥も同じ気持ちだった。この感情をなんと言い表せば良いのか。


「まさか。お前はそんなクダラナイ感情のために“風上滅却”を起こしたのか。藤花凛に香炉を渡したのか!」


「あれはあの子の気持ちを汲んであげたのよ。いじめなんて退屈な環境に刺激が欲しそうだったから。人間は常に刺激を欲しがるものよ。特に今の現代人はね」


 自分もその一人だと滝野澤。

 幸いにも己の家系は札付きの霊媒師。父は復讐に囚われ、健気に妖祓を葬ろうと研究に研究を重ねていた。そのせいで母は逃げていったが、自分は父側についた。そちらの方が面白そうだったから。


 妖専門の呪術者は都合が良かった。

 妖を生贄に呪術ができるだけでなく、妖の生体そのものに詳しい。だから妖を生み出すことも可能だった。妖とは歪な生き物を指す。ようは歪であれば問題ない。

 父は自分の才を褒めてくれたものだ。妖を生み出せるなんて、さすがは百鬼一族の末裔。お前は天才だ。その力を先祖ために使ってくれ、と。


「先祖が黒百合と呼ばれる妖の集団と手を組んだことを知った時、私は心から震えたわ。なんて面白そうな話だろうって」


 またとない刺激ある話に興味をそそられた結果、黒百合の残党を探そうと決意する。

 先祖が手を組んだ妖達が復活すれば、きっとまた面白い現実が目の前に現れてくれるだろう。並行して先祖が記した死者を呼ぶための反魂香を復活させることができた。

 そう、宝珠の御魂に集う妖達と因縁を持つ妖を復活させたのは、この自分なのだ。


 滝野澤は意気揚々と語るも、「黒百合にも飽きたのよね」一応彼等に手は貸しているものの、刺激に物足りなくなってきていると彼女。

 黒百合が大々的な事件を起こす時は加担するが、それまで暇をつぶす刺激が欲しいのだと吐露する。


「なにが刺激だ。自分の父親が死んでいるんだぞ」


 朔夜が実の父親の死について言及する。

 妖に惨殺された親に対して思うことはないのか、彼が怒鳴りつけるも、滝野澤の答えは「刺激に値することじゃないわ」


「犠牲なんてパニック映画には付き物でしょう? 父はその役を買っただけ。勿論、感謝しているのよ。あの人がオトリになってくれたおかげで、私は身を隠すことができたのだから」


「お、まえ。本当におかしい。同じ人間と思えない。まだ復讐だと言われた方が気持ちも良かった!」


「人間は好奇心を抱えると、どこまでも残酷になれるものね。もしかしたら最も恐ろしい生き物は人間なのかも」


 だけど、それこそ味のある人生だと呼ばないだろうか。同意を求めてくる滝野澤に朔夜は盛大な舌打ちを鳴らした。


「イカレ女め。お前の好奇心のせいで、どれだけの妖と人間が傷付いたと」


「それもありふれた犠牲として考えるべきじゃないかしら。今の好奇心は、ふふっ、貴方達の身近にいる妖よ」


 脳裏に過ぎる幼馴染の存在。

 滝野澤は三尾の妖狐、南条翔に好奇心を向けている。

 「ご想像のとおりよ」自分の好奇心は南の地を統治している妖狐だと彼女は、ルージュを塗った赤い唇の両端を持ち上げる。

 けれども白狐そのものに興味があるわけではなく、彼の妖化に興味があるのだと女は嘲笑する。


「妖狐、それは本来狐が化け物になった生き物を指すわ。なのに、白狐は人から妖狐になった。興味があるの。人間が妖になる事例は多いけれど、実際の光景は見たことがなかった」


 妖化は簡単なことではない。

 いくら妖の血を手に入れようと、体内に入れた途端、拒絶反応を起こして死んでいく人間もいれば、理性を失う人間もいる。文字通り、化け物と化し、哀れにも同族であった人間の霊媒師達に調伏されることもある。

 人は妖になれそうで、簡単にはなれない、不可解な存在なのだ。

 なのに、あの白狐は妖化しただけではなく、妖の頂点として頭領となった。それがとても興味深いと滝野澤は目を細める。


「ただ、白狐は黒百合の獲物でもあるから、遺体をこちらに渡してはくれないでしょうけど。彼等の狙いは依り代……頼めば骨一本くらいは貰えるかしら」


「一々腹が立つ奴だね。お前は」


「変な坊やね。妖祓が妖を想うなんて。元は人間の子だから?」


 狂気沙汰じゃない滝野澤の瞳が米倉に向けられる。

 「あの子は妖化に成功するかしら」もしも人工的にヒトを妖にできるのならば、可能ならば、彼は第一号になるかもしれない。ああ、いい暇つぶしになりそうだ。

 滝野澤の嘲笑に、「どういう意味」怒りにわななく飛鳥が疑問を投げる。


「お嬢ちゃん。あんなに大きな牛鬼の足が、都合よく彼の右目に刺さると思う?」


 内側から堪忍袋の緒が切れた音がする。

 怒りも一周回ると気持ちが落ち着き、感情が戦意に、そして殺意に変わるらしい。はじめて妖ではなく、人間を調伏したいと心の底から思った。


「待って飛鳥! 冷静を欠かしたら危険だ!」


 朔夜の制する声を無視し、大きく飛躍すると両指に挟んだ呪符を放つ。気味の悪い数珠が呪符を弾く頃合いを見計らい、術を発動させる。


 宙で陣形を取った呪符が各々栓を結び合い、五芒星を描くと中央から炎の塊が飛び出す。

 爆発させるばかりが呪符の使い方ではない、それを実体験という形で知らしめてやるつもりだったが、相手も手腕ある霊媒師。紙一重に避けると例の気味の悪い数珠をじゃら、じゃら、と鳴らして、輪となる部分を二重三重に広げる。

 そうして炎を捕縛すると、術を絞め上げ、四方八方に爆ぜさせた。


 雨あられのように降り注ぐ火の粉が肌を焼くも、痛みなど念頭にすらない。飛鳥は逃げ回る滝野澤の懐に入るために、その後を追う。


 敵が呪符として使用している牛鬼の爪を、いくつも床に突き刺す。点と点を結び合い、陣形を取った牛鬼の爪が術を発動させる。

 禍々しい円の陣から飛び出してくるのは、先程朔夜が調伏したであろう巨大な牛鬼。こうも連続で現れると、行きつく答えは一つ。


「くそ、滝野澤は牛鬼を式神にしているのか」


 朔夜は顔を顰めた。

 式神とは使役のこと。簡潔に言えば、滝野澤は何からの形で牛鬼を従えている。

 霊媒師が妖を従える話は、あり得ない話ではない。かの有名な陰陽師安倍清明も式神を用いたと聞いている。


「そうか、だから呪符の代わりに牛鬼の爪を。法具に式神の力を利用しているのか。飛鳥、迂闊に近付くな! 牛鬼は猛毒を持った妖、滝野澤がその毒を法具に応用している可能性がある」


 牛鬼を相手にする相棒の注意すら聞こえない。

 ただただ、我が身に代えてでもこの女を調伏したい気持ちで一杯だった。

 なにが刺激、なにが味のある人生、なにが面白味のない生活。女のせいで、こんなにも悲劇を生んでいるではないか。


 滝野澤親子が“人災風魔”を起こさなければ幼馴染の心は傷付かなかった。彼女が黒百合を復活させなければ、瀕死の重傷など負わなかった。相棒が骨折することもなかった。米倉の目があんなことになることもなかった。

 復讐目的かと思えば、自分の欲求のため。報われないではないか、関連の事件で死んでいった者達が、怪我をした者達が。


「お嬢ちゃん、あの坊やを放っておいていいのかしら?」


 滝野澤の鳩尾に膝小僧を入れるも、彼女は手の平で受け止め、綺麗に流してしまう。見た目に反して俊敏な動きを見せる。

 奥歯を噛みしめる飛鳥に、女はどこまでも悪意ある好奇心溢れた眼を向けた。


「あれはね。牛鬼の爪を用いた結界。誰かを守るための結界じゃないの。本来は捕縛した妖を弱めるための術」


 中にいる妖を牛鬼の毒でじわり、じわりと弱めていく術なのだと滝野澤は教える。

 妖祓なら知っているだろう。牛鬼の毒は人間にも効くことを。

 はてさて、あの中にいる彼は人間だろうか、それとも妖だろうか。どちらにせよ、毒で衰弱しているのは確か。強く生き延びれば妖であり、脆くも死んでしまえば人間だろう。


 面白い実験だろうと問い掛けてくる滝野澤が、怯みを見せた飛鳥の横腹をヒールの爪先で蹴り飛ばす。と、同時に牛鬼の爪を飛鳥の利き足である右の太ももに刺す。

 瞬く間に術が発動し、刺された箇所から電撃のような迸る痛みが走った。それが牛鬼の毒なのだと気付くも、時すでに遅し。

 右の足をやられた飛鳥は脂汗を滲ませる他なかった。これでは思うように動けない。痛みのあまりに足が痺れている。


「可哀想に。可愛い顔が台無し」


 飛鳥の前でしゃがんで前髪を鷲掴みにしてくる手が、根毛を引き抜く勢いで持ち上げてくる。何本か髪が抜けたようだが、それ以上に相手への怒りが凄まじい。

 滝野澤を睨みつけ、「このサイコパス女」抵抗がてらに口汚く罵ってみるも、まったく効果はないようだ。

 にこにこと笑い、飛鳥に興味を示す。


「お嬢ちゃんは弱いのね。妖祓なのに私の牛鬼一匹祓えず、人間の子に守られたり。向こうの坊やに守られたり。ひとりで妖を祓ったことはなかったのかしら?」


 勿体ない、せっかく霊能力があるのに。

 それでは宝の持ち腐れではないか。大袈裟に肩を竦める滝野澤は、ふと何か思いついたように飛鳥をまじまじと観察する。


「霊媒師は妖になりえるのかしら? 霊力は妖力を阻むというけれど、可能性のない話じゃないわ。僧侶が妖化した事例もあるくらいだし」


 だとしたら見てみたい、とても興味がある。

 滝野澤は子供のように無邪気に笑い、「どうせ半端にしか力を使いこなせていないんでしょう?」だったら、自分がその霊力を有効的に活用してやると告げる。

 冗談ではない。滝野澤の腕を掴み、折れんばかりに握り締めるも相手には一抹も通用していない。空いた手で呪符を取り出すも、牛鬼の爪がそれを裂いて、地面に突き刺してしまう。


「誰かのために力を使おうとしたって無駄。お嬢ちゃんは弱いもの。いつも誰かに守られてきたのね。その程度のくせに、誰かを守ろうなんておこがましいとは思わない? ひとりじゃ何もできないことを知りなさい」


 ひとりではなにもできない。

 そうだ、いつも自分には相棒がいた。天才と呼ばれる妖祓の相棒が。


 そんな彼は自分で道を決め、妖祓の道を歩み始めた。誰に指図されたわけでもない。幼馴染であり親友である翔に並びたい一心で、妖祓の長の座を狙うと決めたのだ。

 相棒がいなくなろうとも、朔夜は朔夜の道を行くだろう。同じように幼馴染依存者だった翔も、自分達がいなくなろうと神主の道を進む。


 自分だけが二人を理由に道を決めていた。彼等が頑張っているから、努力しているから、だから……米倉から甘ったれと言われるはずだ。ひとりで道も決められない、牛鬼も祓えない、守りたいと願ったところで誰彼に守られている。


 本当に甘ったれている。何かあれば泣いてばかりで、いつも男の子達に頼っているのだから救えない。


「貴方の甘さが、あの坊やを妖化にした。だったら、責任を取って貴方も妖化を経験するべきじゃない」


 我に返る瞬きと、朔夜の叫びはどちらが早かったのか。


「どう足掻こうと、お嬢ちゃんは誰も救えないわ」


 反吐が出るような微笑みを浮かべる滝野澤と、女の背後に回った影の動きはどちらが早かったのか。

 その影は呪符に刺さった牛鬼の爪を引き抜き、目にも留まらぬ速さで滝野澤の右腕を貫く。痛みに耐えかねた滝野澤が飛び退くことにより、髪を鷲掴みにされていた飛鳥が解放される。

 顔を上げる間もなく体が宙を浮き、「和泉!」相棒の方へと投げられた。犯人はぎょろりとした黒目玉を忙しなく動かしている人間。自力で結界から脱出した米倉だった。彼は人の目である左を瞑り、右目だけで視界を捉えている。


 朔夜が飛鳥の体を受け止める間にも彼は滝野澤に飛び掛かり、持っている数珠を引っ手繰った。少しでも敵の手数を減らすために。

 危険極まりない行為だった。滝野澤は数珠以外の術を持っている。当然、彼女は言霊が入った牛鬼の爪を呪符のように放つ。

 なのに、米倉は決して数珠を渡すことなく妖祓の側に投げた。


「悪いけど、俺には見えるんだな。“爪の軌道”がさ」

 

 だから急所には決して当たらない、残念でした。

 捨て台詞と共に突き刺さる牛鬼の爪と、倒れる人間の姿に、「格好つけ!」牛鬼を調伏した朔夜が飛び出す。遅れて飛鳥も飛び出そうとするが、太ももの負傷が足を引っ張った。


「遊び過ぎたわね」


 滝野澤は奪われた数珠を一瞥、そして朔夜の姿を捉えると、鬼の爪を地面に突き刺して術を発動させる。瞬く間に砂埃が舞い、視界が悪くなる。

 思わず目を瞑った先で、滝野澤は姿を晦ませていた。逃げたようだ。何一つ仕返しすることなく、逃がしてしまった現実が重くのしかかる。


 いや、それよりも米倉だ。飛鳥は怪我人の体を起こしてやる朔夜の下まで足を引きずる。

 彼の体は大層傷付いていた。目は勿論、呪符の爆発に巻き込まれたり、結界の毒に閉じ込められたり、爪が刺さったりと、見た目以上に負傷している。

 「君って男はさ」吐息をつく朔夜に、「主役は俺だな」米倉は悪ノリを飛ばす。


「見せ場は全部もらってやった。はは、ざまーみやがれ……って、言いたいところだけど、ま、さすがに無理した。いてぇの」


 なにより。

 米倉は続きの言葉を濁す。

 しかし、それもすぐに気持ちを切り替えたのか、朔夜を見上げ「頼まれろ」あどけない顔で綻ぶ。


「俺を、さっきの化け物みてぇにやってくんね?」


 言葉を失ってしまう。彼は一体何を言いだすのだ。

 飛鳥が全力で反対するも、「抑えるのが難しいんだよ」そろそろ二人を襲いそうなのだと、米倉は苦々しく笑みを作る。

 右目の内側から聞こえてくるのだ。人間の肉が欲しい、欲しい、ほしい。ああ、喰らえ。妖祓の肝を喰らえ、と。幻聴だと願いたいが、どうもそうではないようだ。

 米倉は冷静に己を分析し、持って二、三分の理性だと唸る。


「お前等不味そうだし、悪食になるのもヤだし……楢崎だと後がうるせぇだろ。かといって和泉に頼むのはすげぇ腹立つ。けど、選ばないといけねぇなら、俺は和泉を選ぶ。だからやれ」


「米倉……お前」


「はぁ、こういう時に愛しの南条クンがいてくれたらねぇ。迷わず、あいつに頼むのに。大事な時にいないあいつって何なの。あ、言っとくけど、手加減はしろよ。俺は死ぬつもりはねぇから。殺しやがったら化けて出てやる」


 ただ、さっきの化け物みたいにどうにかしてくれと米倉。

 その結果が最悪になりそうなら、それはそれとして受け止めるが、死ぬつもりはないとしっかり釘を刺してくる。


 飛鳥は見てしまった。放り出されている彼の手が微かに震え、それを誤魔化すように握りこぶしを作っているところを。

 米倉とて怖いのだ。しかし、どうしようもないのだ。人間を喰らうくらいならば、と妖祓に願い申し出ることしかできないのだ。面は飄々と笑い飛ばしているも、彼の心情は荒れ狂っているに違いない。


「おい楢崎。ンな不細工顔したって、あの変なネーチャンに負けたもんは負けたんだ。なにも変わらない」


 自分より人の顔を見ておちょくってくる米倉は、「次勝てばいいさ」可愛くない小悪魔な性格をしているのだから、いつか勝てると励ましを送ってくれる。

 「あ、次は無理かもしれねぇけどな」貶しているのかもしれないが。


「……和泉。まじでやばくなってきた。も、気を回す余裕がねぇ。お前骨と皮だけっぽいのにウマソーデスネ。アハハハ」


「……そうか。もう、そこまできているのか。分かった、半殺しでいくから安心してよ。君には容赦する気持ちも湧かないし」


「お前には優しさってのがねぇの? まじか。やっぱ化けて祟るしかねぇや」


 へらへらと笑う米倉を地面に寝かせると、朔夜が数珠を持って立ち上がった。


「飛鳥。後ろを向いて」


 彼に恥を掻かせたくない、特に気を寄せている人の前では。相棒はそっと告げる。

 どのように半殺しにするのか、それすら飛鳥には想像もつかないが、ここで駄々を捏ねても一緒だ。手間を取らせるだけだろう。

 だから一言、米倉に伝えておく。


「化けたら調伏してあげるから、安心して成仏してね」


「げ、なんだよそれ。可愛くねぇーの。けど楢崎らしいな。うん、お前はそれでいいんだよ。それでいい。うじうじされるよりかは、ずっと」


 霊力の解放と、途切れる言葉と、ビルのがらんどうに吹き込む風の音と。

 静かに俯くと首から提げていた鳴り石の紐が千切れ、音を立てて落ちてしまった。



 ※



 和泉家一階座敷にて。

 被害者の右目の具合を診ていた楢崎長の楢崎紅緒が、険しい面持ちのまま治療道具を片付け始める。付添い人としてひとり、部屋にいた朔夜は治療の終わりと判断し紅緒に怪我人の容態について尋ねた。


「紅緒さま。彼は半妖になっているのでしょうか」


 疑問を投げかけると、紅緒は気を失っている怪我人に視線を流す。

 つられて米倉に視線を留める。彼は右目を隠すように包帯で巻かれ、その上から呪符を貼られていた。見るだけで痛々しく、同情を掛ける言葉も思い浮かばない。


「米倉さんから、妖気は感じられません。半妖とは言えないでしょう」


「ですが、右目が」


「状況を聞く限り、負傷した右目は牛鬼に憑りつかれた、と考えるべきでしょう」


「憑りつかれた、とは?」


 紅緒は朔夜と向かい合い、推測を語り始める。

 本来、右目を牛鬼の足によって貫かれた彼は、本体そのものが牛鬼になってもおかしくない。潰された目から牛鬼の血を取り入れた時点で、全身に妖の血がめぐり姿形を変えるもの。半妖と化した際、なんらかの変化があるだろう。

 例に出すなら南条翔だ。半妖となった彼は、姿形が狐に近くなった。


「しかしながら、彼にその前兆が見られません。きっと右目に妖の血が集約しているのでしょう」


 米倉は襲われる前に、お清めの塩を呑んで妖気に耐えられるよう対策を取っていた。また、負傷してすぐにお清めの酒で傷を癒した。それが功を奏し、妖の血が全身にめぐることなく、右目に留まったのだ。

 けれども妖の血は人間の血よりも濃く、米倉自身に妖気を抑えるだけの力もない。

 ふとした拍子に妖の血が疼き、牛鬼の血を覚醒させる。人を襲いたくなる衝動、人間を喰らいたくなる本能、牛鬼が持つ残忍さは、常に米倉の右目の中に息を潜めている。


「白狐と異なる最大の点は、心の乖離(かいり)。米倉さんはヒトとしての心とは別に、牛鬼の心を持っています。二重人格、のようなものでしょうね。妖と化しても、持ち前の人格は保っていましたが」


「牛鬼の人格が米倉の人格を喰らう、と?」


「可能性がないとは言い切れません。牛鬼の人格に支配された時、米倉さんは初めて半妖と化すことでしょう」


 これは彼にとって過酷な運命を背負ったも同じ。

 日々牛鬼の人格に怯えながら生きていかなければいけないのだから。哀れみの眼差しを向ける紅緒に、朔夜は両手の指を丸める。そんなの、あんまりな人生ではないか。


「なにか、なにか人格を保つ手はないのでしょうか? ショウのように妖化しても、彼自身の人格を保つ手は」


「今のところの手は、右目の封印のみ。呪符が右目を守護する限り、妖の血が表に出ることはございません。ただし、妖の血が消えることはございませんので、これからも彼の目には妖や霊が視えることでしょう」


 また彼自身は人間そのもの。

 霊力も妖力もなく、ただただ妖や霊が視えるだけに留まる。それが、人間の彼にとってどれだけの負荷になるのか、想像もつかないと紅緒は語る。

 通常、霊能力は霊力を、妖は妖力を、本能的に使いこなして力を制御する。その術がない米倉にとって、妖や霊が視えるだけでも身体に影響が出るのではないか、と紅緒は考えているのだ。


「憑かれているのであれば右目を浄化、という形を取ることはできないのでしょうか。そうすれば」


「それには二つのリスクがあります。一つは右目が確実に失ってしまうこと。そしてもう一つは、米倉さんの人格が喪失する可能性があるということ。牛鬼の血は右目に留まっていますが、既に一度人に対して疚しい気持ちを持ってしまっています。それはつまり」


 本来の人格に、魔の手が些少ならず触れている可能性がある。

 二つの人格を失えば、米倉聖司という人間がどうなってしまうのか、想像もしたくない。朔夜は何もできない自分を罵りたくなった。


「我々にできる手は少ないでしょう。しかし朔夜さん、私はまだ希望を捨てたわけではありません」


「紅緒さま。それは一体どういう意味で」


「妖の生体は未知なことが多い。ならば、妖に彼の容態を診て頂きたい。彼等ならば、人間以上により良い治療を知っている筈です。朔夜さん、その際は貴方に任せても?」


 妖祓として、負傷した人間を妖に診せることもまた仕事だと紅緒が頬を崩す。


 願ってもいない任務だ。

 朔夜はその場で手をつき、深く頭を下げて、その仕事を快く引き受けた。

 米倉という人間は気に食わないの一言に尽きるが、一件は感謝してもし切れない。彼がいたから、滝野澤の悪行も小さいもので済んだのだ。悔しいが、飛鳥を何度も守った米倉は本当に格好良かったと思う。


「滝野澤の一件ですが、月彦に連絡はしていますか?」


 面を上げた朔夜は肯定の返事をする。

 滝野澤の悪行はすべて和泉長に伝えている。あの女は野放しにしておけない。善悪問わず好奇心で動く人間だ。米倉の一件で、人間の妖化にもっと興味を持ったことだろう。


「朔夜さん、アリジゴクを知っていますか?」


「え、あ、はい。蟻を捕える虫ですよね。見たことはありませんが」


 前触れもない話題に戸惑いを見せるも、紅緒は話を続ける。


「私は子供の頃、アリジゴクに蟻を入れて遊んだことがありました。穴に蟻を入れたらどうなるか、アリジゴクはどう獲物を捕らえるか、それを観察して楽しんだものです。今思えば、残酷な好奇心です。小さな命を捕えては遊んでいたのですから」


 朔夜にも思い当たる節がある。

 アリジゴクではないが、幼馴染二人とバッタや蝶を捕まえて、蜘蛛の巣に引っ掛けて遊んだことがあった。蜘蛛がどうやって獲物を捕え、糸でぐるぐる巻きにするのか、それを見て楽しんでいた。

 悪気があったわけではない。すべては好奇心からだ。残酷なことをしていた、と今は心底思う。


「朔夜さん。滝野澤は子供の心のまま成長し、今に至っているのでしょうね。善も悪もない。ただ好奇心を寄せて行動している。妖の怒りを買うかもしれないのに。好奇心は猫をも殺す、とは言ったものです」


「復讐ではなく、好奇心が彼女の原動力だなんて。正直やり切れません」


「どこかで自分の能力と、起こす事件そのものに陶酔しているのかもしれませんね。自分には特別な力がある。面白味のない現実を壊せる実力が自分にはある。そんなことを思っているのかもしれません」


 ある意味、人間らしい姿だと紅緒は苦く吐息をついた。

 私利私欲のまま、好奇心のまま、自由に生きる。滝野澤にとって、それが幸せなのだろう。だとしたらはた迷惑な幸せなことこの上ない。自分の犯した罪が、行動が、妖の怒りが、いずれ己に返って来ることを彼女は知らないのだろうか。いいオトナのくせに。


「滝野澤の行方は近々割れるでしょう。彼女は遊び過ぎました。牛鬼を式神にしたのが運の尽き。あれは妖の中でも、癖のある化け物。残痕から追跡することも容易いのですから」


 自らの手で妖を作る人道に反する行いといい、これまでの悪行といい、好奇心で済まされることではない。責任を取ってもらおうではないか。

 あの女のせいで妖との間にも溝ができてしまったのだから。


「米倉さんは朔に頼んで、しばらく此処に置きましょう。いずれ、赤狐達に診せなければなりませんから。彼等も悪ではございません。誠意を見せて頼めば診てくれる筈でしょう」


「治ると良いのですが」


「それは、私も願うばかりです。彼は孫を救ってくれた。できることなら、過酷な運命は背負わせたくありません。一祖母として」


 朔夜も切に願うばかりだ。

 もしも、彼がこのままだったら、いや、牛鬼の人格に喰われるかもしれない運命を背負うと知ったら、飛鳥は心底傷付くことだろう。

 妖祓を志さない飛鳥には紅緒の許可が下るまで、この部屋の立ち入りを禁止しているのだが、 彼女がこの場にいなくてよかったと本当に思う。

 やっぱり飛鳥には妖祓なんて道は無理だ。これからも身近な人々が傷付いていく、この現実に耐えられるわけがない。




 廊下で話を立ち聞きしていた飛鳥は、己を見つめ直していた。

 そして踵返し、その場から立ち去って、自分の生きる道を見定める。

 今度は幼馴染を理由にするわけでも、怪我人を理由にするわけでもない。自分がどうしたいのか、問い掛け、問い掛け、そして決意する。

 人間にも妖にも大切な者達がいる。ならば。


「私は人も妖も守る、霊媒師にはなる。そのために妖祓の名前を捨てる」





 静まり返る座敷に明かりが落とされる。

 人気が無くなった頃合いを見計らい、意識を失っていた米倉が左目を持ち上げた。「ざけんな」独り言は暗い一室に溶けて消える。


「一々傷付かれるなんざ、こっちの身が持たねぇよ。あいつなら大丈夫だろうけどさ」


 それに、うん、それにもう決めた。自分はもう決めた。

 顔を合わせる度に責任を感じるのであれば、この目に悲しい想いを寄せるのなら、もう会わない。絶対に会わない。二度と彼女には会わないのだ。



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