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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ肆】魂の在り処
140/158

<五>十代目と神使、おろおろ道中


 ※ ※



 その頃、別のイチョウの並木道を進んでいた翔は、揺れるギンコの背の上でスマートフォンを見つめていた。それによって妖用携帯カケが憤ったようにバイブレーション機能を発揮。ポシェットの中が忙しなく振動していた。


 対抗心を見せているのだろうが、今はスマホを使わせて欲しい。このスマホは天馬の携帯のGPS機能で繋がっているのだから。


「天馬達の動きが乱れている。何か遭ったのか?」


 この敷地の何処かにいるであろう烏天狗と巫女に憂慮を向ける。

 彼等の実力は知っているものの、相手は黒百合。油断はならない。奇襲を掛けて命を狙う可能性もあるのだ。

 それは自分達もおなじことが言える。ばらけたことは失態だ。早く皆と合流しなければ。


「このイチョウの並木道を直進していけば、目的の別荘に着くかな。一応航空写真はあるけど、空間を捻じ曲げられている可能性もあるし。第一右も左もイチョウだから、方角が合っているかもイマイチだし……お前等、どう思う?」


 同胞達に意見を求めてみるが、クオンクオン、クンクン、クオーン。返って来るのは鳴き声ばかり。

 健気に意見してくれる狐達には悪いが、まったくもって意味不明である。


「え、あー……うん、クオン? クオン?」


 とりあえず、返事はしてみるが、狐達はきょとんとするばかり。

 向こうも意味が分からないと言わんばかりの顔だ。


「あのさ。俺の言葉、今はみんなに伝わっているよな?」


 うんうんうん、狐達が頷く。


「じゃあ。俺が鳴いたら、伝わるか?」


 ううん、ううん、狐達が尾を振る。


「みんなはそれぞれ、言葉が通じているんだよな?」


 狐達は、返事する代わりに一声鳴く。


「…………分かっちゃいたけど、現状を悪化させている原因は俺なんだな。あー獣語を勉強しとくんだった」


 参った、本当に参った、翔はひとつ咳を零して項垂れる。


 自分とナガミ、ナノミを乗せてくれるのはギンコ、その傍らで護衛してくれるのはツネキ。双方妖型となり、十代目を守護してくれる。

 また玉葛の神使がギンコの背に乗っているのは、奇襲を掛けられた際、至近距離で十代目を守れるようツネキが陣形を整わせたのだ。

 前後に彼等を置くことで、見張りとしての役目も与えているらしい。


 金狐は集団の長として役目を担ってくれている。


 翔としては、頭が下がるばかりだ。

 本来は頭領として己が指揮を取っていかなければならないのだが、やはり実戦不足が目立つ狐ゆえ、こういう時は先輩妖狐に頼るしかない。

 しかも、体がこれだ。身を守るための大麻も今は手元にないのだから、悔しいが甘んじて守られるしかない。


「大麻は取られちまうし、青葉達とははぐれるし、比良利さんにはむっちゃ怒られるし。なんでこうなっちまったんだか」


 クン、翔の前に座るナガミが顧みてくる。


 どうしたのか、彼を見つめていると、翔の後ろに座っていたナノミが鋭くクオンと鳴いた。

 それによって妙に刺々しい空気が漂ってくる。これは、あれだ、そう、まずい展開ではないだろうか。


「ナガミ。何か見つけたのか?」


 さり気なく二匹の間に割って入る。


 ナガミはふんふんと鼻を鳴らし、前方に視線を戻してしまった。ナノミに視線を向ければ、自発的にギンコの背からツネキの背に移ってしまっている。

 それによって浮気性金狐が締まらない顔を作り、銀狐が殺気立つという悪循環に陥ってしまった。


「な、何か話でもしようか。な? あ、俺のことは気にせずに、世間話をしてもいいんだぞ。せっかく神使が四匹も集まっているんだし、ここはお互いの苦労話でも」


 千行の汗を流す翔が皆に視線を配って仲良くしようと宥めるものの、ついにギンコの足は止まって自分に甘えたがる始末。


 すっかり忘れていたがこの四匹、縁談という名の因果関係にある。

 己は非常に気まずい立場にいるのだと翔は思い知らされてしまった。

 獣語は理解できない。ナガミとナノミの関係は険悪、金銀狐は各々浮気うんぬん、困った。大変困った状況下である。

 元をただせば、ナガミとナノミがすべての原因。彼等が円満にしてくれたら、金銀狐に飛び火しないものを。


 もう一度深い溜息を零した、その時である。

 翔の口から咳が零れ始めた。空気が乾燥しているわけでもないのに、零れる咳は止まる気配がない。


 己の様子がおかしいと察したのだろう。

 一声鳴いたギンコが颯爽と駆け始める。後からツネキが追い、やがて二匹は並ぶように山道を抜けて行く。少しずつ咳が止まるものの、妙に呼吸が苦しい。翔は眉を寄せ、必死に原因を探す。

 当然風邪を引いたわけでもない。咳が出るのは山に入ってからだ。


「おかしい。なんで」


 ふとツネキの背から飛躍し、己の膝に飛び乗って来るナノミが周囲を尾で指して翔に何か伝えてくる。辺りを嗅ぐ動作によって、彼女が此処の空気がおかしいことを教えてくれた。

 鼻をひくつかせると、大気中の臭いが元凶なのだとすべてを理解する。


「この臭いは、“人災風魔”に使用された香炉と同じ臭い。くそ、だから咳が止まらないのか」


 担当医、付喪神の一聴が自分に忠告をしていた。

 鬼火草によって“人災風魔”の毒を乗り切ることができた一方で、この手はもう使えない。抗体がついたため、もう一度毒に侵されれば、鬼火草は効かないのだ。

 毒に対する抗体もついているため、ちょっとやそっとじゃ倒れないものの、少しでも毒を対なに入れたら拒絶反応が起こる。

 だから気を付けて欲しい。一聴は口酸っぱく己に言い聞かせてきた。


「まじかよ。まさか、妖避けに別荘周辺に“人災風魔”の毒を撒いているんじゃ……同胞を犠牲にしている術なら、すぐにでも止めないと」


 脳裏に過ぎる、救えなかった妖の子の死に顔。

 救いを待っていた彼等は、救われたと同時に命の灯火を消してしまった。翔は子供達を救えなかった。頭領の無力さを知ってしまった。

 もう、あんな悲しい想いは二度としたくない。急いで同胞達を救わなければ。


 しかし、翔の考えをツネキが諌めた。

 言葉は伝わらずとも、火事場になると不思議と意思疎通できるもの。

 反対の意を示してくる金狐に、「なんでだよ!」食い下がると彼はお前は阿呆かだと言わんばかりに鳴く。


 ツネキは鳴き続ける。

 この術が本当に“人災風魔”かどうかも分からない今、闇雲に術師や同胞達を救おうと考えても余計な時間を要するだけ。

 誰より危険な状況に置かれているのは誰か、そして狙われているのか、よく考えろと吠える。


「だけどよ。もし、例の術だったらどうするんだよ。また、罪もない妖達が死んじまうんだぞ!」


 そう思うと居ても立っても居られない翔である。


 口を挟むようにギンコがクオンと大きく鳴いた。

 彼女は伝える、ひとつひとつの状況を乗り越えなければ悪戦を強いられかねない。己の身も守れない貴方様が、どうして民を守れましょうか!

 どうか冷静になって。同胞を想うのならば、まずは皆と合流を考えて欲しい。珍しくギンコが厳しく鳴くので、ようやく翔は平常心を取り戻すことができた。


「そう、だよな。何もかもいっぺんにできるわけねぇもんな。大麻もないし」


 当たり前だとツネキが呆れたように鼻を鳴らす。

 これだからケツの青い狐は、なんぞと文句を飛ばされたような気がする。返す言葉もない。今のは己に非があった。

 翔はナガミとナノミにも謝罪する。冷静を欠く見っともないところを見せてしまった。

 頭領は如何なる理由があろうと冷静でなければならない。熱くなるところは自分の欠点だ。


「ギンコ、ツネキ。一度止まってくれ。大麻の代わりになるものを探す。棒きれでもなんでもいいから、身を守るものを持たないと」


 クン、ギンコの問い掛けに翔は大丈夫だと綻んだ。

 もう咳は出ない。“人災風魔”の毒らしき空気は掻き消えたようだ。

 今のうちに防具を作る。さすがに自分の妖術だけでは身を守れそうにもない。新米妖狐の出せる妖術といえば、狐火の一択選肢なのだから。


 並木道から逸れ、ひとりと四匹は草陰に隠れる。

 悲しきかな、足が不自由な翔だ。自分では動けないため、狐達に何か武器になりそうなものを取って来て欲しいと頼んだ。

 一番良いのは太くて長い棒きれだ。あれならば、バットのように振り回すこともできるし、相手に傷を負わすことはできずとも、自分の急所を守ることができるだろう。


「あんま時間は掛けないでくれ。俺の体内にある宝珠は力が大きすぎて、敵にも見つかりやすいからさ」


 クオン、上がる四つの鳴き声と共に狐が駆けていく。


 最初に戻って来たナガミが得意げに銜えていた材料を翔の前に置く。

 言葉を失ってしまった。狐が持って来たのは長い棒だ。とても長い。ただし細い。翔の想像していた棒ではない。


 次にナノミが翔の前に材料を置く。

 拳ほどの石。これを投げて武器にしろと? なるほど。一個では到底護身用の武器にはならない。


 頼れる我等が隊の長、ツネキが戻って来る。

 どうして、これが使えると思ったのか。なにかの蔓を引きちぎって持ってきた。相手を縛れ、と言いたいのか?


 最後に愛すべきギンコ。

 可愛い銀狐は見て見て、と目を輝かせて、必死に羽ばたく蛾を銜えていた。もはや材料探しの意味を履き違えている。


「うわ、まじで。くれるのか。それ」


 しかも翔に食べてもいいよ、と差し出してくる始末。

 「ぎ、ギンコ。俺の虫嫌いを知っているだろ?」どんなに溺愛した狐の贈り物でも、こればっかりは受け取れそうになかった。

 不思議そうに首を傾げるギンコが、瞬く間に口を開き、逃げ出そうとしていた蛾を一飲みする姿を見ると泣きたくなる。


「そうだよな。お前は狐からの妖狐だもんな。生の虫だって食べられるよな」


 でも、何故だろう。

 悲しくて胸が痛くなる。可愛いギンコが生の虫を平然と食べる、この現実がつらい。


 話を戻し、翔は狐達が持ってきた材料で武器を作ってみる。

 長身より長い棒を半分に折ると、先端に小石を添え、蔓で縛る。現代っ子の翔にとって、これだけでも大変な作業なのだが、出来栄えは狐達の沈黙を買うばかり。

 イメージは旧石器時代の石斧のつもりだが、棒が細いせいか、小石の重みに耐えられず、大きくしなっている。


「大麻を取られたことは、まじ失敗だったな。子ども騙しにもほどがあるぞ」


 勢いを付けて斧を振ってみると縛りが足りなかったのか、小石が飛んでいってしまう。

 「やり直しだな」翔は肩を落とした。ここは敵陣、骨傘の弥助がまたいつ襲ってくるかも分からない。それに、あの不気味な黒浄衣の賊も。


「ギンコ、ツネキ。あれは九代目の御魂が入った器なのかな」


 狐面で素顔を隠した賊は、確かに体内にある宝珠の御魂と共鳴し、奪った大麻を使用した。自分の額にも陰陽勾玉巴が浮かんでいたことだろう。

 宝珠を宿した身だ。賊と宝珠の共鳴は完璧だと言えた。

 あれは九代目の御魂を宿した賊で間違いない。未熟な妖狐でも分かるのだから、九代目と苦楽を共にしてきた神使達には尚更だ。


 特に青葉のことが心配になる。

 彼女は九代目に思いを入れている。傷付いていないといいが。彼女にとって九代目は恩人であり、家族のひとりなのだろうから。


 同じようにギンコにも思うことはある。

 銀狐に視線を流すと、そっぽを向いていた。ツネキが困ったように鳴くが、一切反応しない。銀狐も正体は見抜いているが、心許せるものではないのだろう。

 青葉と違い、ギンコは九代目へ恨みに近い感情を抱いている。先代を慕っていたために、彼の仕打ちを許せずにいる。愛憎とは言ったものだ。

 こればっかりはギンコ自身の問題。翔があれこれ言ったところで、聞く耳など持たないだろう。


 それでも翔はひとこと、銀狐に言ってやりたい。


「今のお前を先代が見たら驚くだろうな。ギンコは狐火だけじゃない。十代目の足になって、いつも俺を守ってくれる。きっとギンコの成長を誰より喜んでくれると思う」


 できることなら、このような形ではなく、もっと穏やかな時間の流れの中で九代目にギンコの成長を見せてやりたかった。

 叶わない夢を口にすると、ギンコがやや耳を垂らす。許せない感情の中にある、一握りの気持ちがくすぶってくるのだろう。


 翔は覚悟を決める。

 これ以上、青葉やギンコの気持ちを傷付けないためにも、あの九代目の器をどうにかしなければ。鬼才と呼ばれた先代の器と対立することは避けられないだろう。

 どちらにしろ、己の大麻は九代目の器が持っている。取り返さなければ。


「俺の中にある宝珠の御魂にだって、先代の魂が宿っている。十代目として先代の魂を受け継いだんだ。それなりの示しは見せないと」


 クオン、クオン、ツネキが意地悪く鳴いて尾を振る。

 おおかた、足も使えないハナタレ狐がどうやって示すのだと悪態をついているのだろう。

 それをどうにかするのだとムキになるも、金狐が遠い目をして翔の手に持つ護身用の武器を見つめる。

 妙に恥ずかしくなった。くるんと三尾の先端を丸め、そそくさと背にそれを隠す。


「こ、これは作りなおすって。そうだな。蔓と小石は縛って、投てきにでもするとして」


 翔は二つに折った棒きれを見つめる。

 残る素材はこの棒きれと、蔓の切れっぱし。ポシェットに入れている道具はスマホと妖用携帯カケ。それからプリントアウトした別荘地の情報。道中で買った酔い止めの薬。

 到底身を守れる道具は作れそうにないが、なにも身を守るものばかりに執着しなくても良いだろう。そこらへんで棒きれは取れるだろうし。


「黒百合はともかく、先代がいるなら示しは必要だろうから……そうだ!」


 翔は三尾を立て、早速棒きれを蔓で縛り始める。

 プリントアウトした紙に折り目をつけると、尖った爪で手早く切れ込みを入れた。折り紙のように、紙を折っていき、出来上がったものを棒の先端に挟んでいく。


 好奇心を寄せる狐達の前で作り上げたのは紙垂だ。

 神主修行の一環として御札や玉串、破魔矢などといった縁起物を作ることも学んでいる。未熟な翔の腕前では社に作ったものが並ぶことはないが、独り立ちに備えて日々精進している。紙垂もその一つだ。

 出来上がった紙垂の数枚を棒に挟み終わると、取れないように蔓で巻いて完成だ。


「どうだ。大麻っぽくないか? 十代目お手製の大麻、なかなかの出来だと思うんだけど」


 クゥーン、耳と尾を垂らしたツネキの情けない鳴き声が上がる。


「なんだよ。良い出来栄えじゃないか」


 翔は脹れ面を作るが、そういうことじゃないのだと金狐が吠えてくる。

 時間が押しているというのに、お前は何を作っているのだと言いたげな様子。

 「これには意味はあるんだぞ」得意げに人差し指を振り、翔はお手製の大麻を左右に振る。


「言わば、この大麻はハッタリだ。相手を怯ませるための道具だよ」


 勿論、低級の妖に使用するつもりはない。

 この大麻を見たところで、知能の低い者達は牙を剥き出しにしてくる。大麻ではなく、常に宝珠を宿す妖狐を見据えるだろう。


 だが大麻の威力を知っている弥助や九代目の器はどうだろうか。十代目が大麻を奪われる光景は目の当たりにしている。

 輩は思っているに違いない。赤狐と逸れ、白狐は丸裸となっている。今が狩り時だ、と。

 足の不自由な十代目を知っている輩は些少なりとも油断しているだろう。その隙を翔は突こうと目論んでいる。


「不格好な大麻でも素早く振りあげられたら、とっさの判断で身構える。一方で俺が大麻を持っていることに、色んな可能性を考えるはずだ。なんで大麻を持っている。比良利さんに借りたのか。それとも代用品なのか……みたいな感じにな」


 機会は一度きり。

 だが翔はそれを狙うつもりだ。

 できることなら、この手は九代目の器に使用する予定にしている。油断を突き、大麻を取り戻す。それが狙いだ。


 しかし弥助にとて使える手だと思っている。

 彼から油断を誘える一度っきりの手だが、利用できるものはなんだって使う。

 ハッタリ大麻もその内の一つだ。油断している間に、ツネキ達が狐火を浴びせて欲しい。黒百合に身を置く妖に小さな傷でも負わせることができたら儲けものだ。


 翔は自分が弱く未熟な狐だと自覚している。その上で、自分にできる黒百合崩しを考えていた。

 足の不自由も、若さも弁解に過ぎない。

 十代目の名を受け継ぐと決めた瞬間から、己にできる民達の幸を最優先に考える。比良利が己に教えてくれたことだ。


「ツネキ、ギンコ、ナガミ、ナノミ。いいか、俺がこれを取り出した時は構えてくれ。そして隙を突いてくれ。蟻の巣みたいな隙でも見逃すなよ」


 真顔で説明した後、


「要はビビらせたもん勝ちってことだな。頭領は狡賢く行動しないといけないって比良利さんが言っていたしさ。それに大麻がないと神主っぽくねぇもんな。やーっぱ神主は大麻だよ」


 自分も落ち着かないのだと手を振る。

 気の抜けるような明るさに、金銀狐は呆れたり、苦笑いを零したり、玉葛の神使に至っては困惑している。ころころと態度が変わる十代目についていけないようだ。


 クーン。ナノミが耳を垂らし、翔に意見した。

 疑問符を浮かべる自分に、ナガミも大麻を前足で指し、なにか言いたげな様子。


「もっと紙垂をつけた方がいいとか?」


 お手製大麻を差し出せば、そうじゃないと二匹が力なく項垂れた。


 隣でツネキがひらひらと尾を振って鼻を鳴らす。

 お手製大麻に騙されるほど、相手も弱くないだろうと言いたいらしい。騙すのではなく、怯ませるのだと反論するが、じっとりした目は物語っている。相手はどっかの誰かさんのように単純馬鹿ではない、と。

 きっと玉葛の神使もそれを意見したかったようで、何度も首を縦に振っていた。


「な、なんだよお前等! ちゃんとした作戦じゃないか。俺なりの狡賢い考えだぞ。な、ギンコ。お前は俺の味方……」


 愛すべき銀狐は尖った耳を立て、あさっての方を睨んでいた。

 グルル、威嚇の鳴き声は敵が近い証拠。翔は小石を蔓で縛り、簡単な投てきを作ると、ナガミとナノミに支えてもらいながら立ち上がる。


 妖の気が混じった生温かい一風が合図だった。

 ギンコが翔のシャツの襟を食み、身を持ち上げて背に乗せる。ツネキが玉葛の神使を呼び、皆を携えて駆け出した。

 翔が振り返ると、人型をした総身真っ黒な影の妖が追いかけてくる。

 数はひとりやふたりと軽いものではない。気配からして複数。影から影に移動し、金狐に目もくれず銀狐の後を追う。狙いは自分だ。刺客と見て間違いない。


「あれは確か影法師だったか」


 文字通り影の妖で影の中を移動し、憑りついた者にそっくりそのまま変化することが可能だと聞く。どれほどの腕前なのか分からないが、黒百合の刺客で間違いないだろう。

 影を伝った三体の影法師がギンコの前に回ると両手足を鞭のように振る舞い、それを伸ばしてきた。伸びる影は重なり、太い影となって瞬く間に翔の首や手足に絡みつく。引きずり落とす寸法だ。


「クソ!」


 力任せに引いてくる影法師に負けじと、背を後ろに逸らす。

 三体が合わさった力は大きいものの、危機を察知した玉葛の神使ナガミがツネキの背からギンコの背に飛び移ると、影を噛み千切った。

 しかし千切られた影は、側らのイチョウの影を取り込むことで再生し、ふたたび猛威を振るう。


 ならばとナノミが構えを取った。

 ツネキの背から尾を左右に振り、相手を見据えると大きく一吠え。神使を包む眩い光は威光となり、絡みつく影を消滅させた。

 ようやく解放された翔は、驚くまま玉葛の神使を見つめた。

 そうか。神使はその名通り、神の使い手。低俗な妖の術なら、信仰心を源とした威光で祓えるのか。やや威力が弱く思えたのは、玉葛の神社に寄せる信仰心が薄れているからなのだろう。


「皮肉だよな。里を守るための力が、里の連中によって薄れているなんて」


 だからナノミは神使を降りたくなったのではないだろうか。

 玉葛の神社は里の人間を守護し、幾年にもわたって見守ってきた。

 なのに心無い人間に襲撃され、神鏡は奪われてしまった。それも二度も。相手の力が強かっただけではない。玉葛の神使の力そのものが弱っていたのだろう。里の人口が減ったために、信仰する人間が少なくなったために。

 その上、所の人間が“玉葛の神社”を取り壊そうと計画を立てている。ナノミが人間不信に陥るのも納得がいく。


 人間は忘れていく、妖の存在も。神様の存在も。守護する視えない存在も。いつか、自分も同じような光景を目にして、心を痛めるのだろうか。

 おっと感傷に浸っている場合じゃない。


「影法師の数は減っていない。どうにか、あいつ等をしねぇと」


 比良利は自分達に別荘地へ向かうよう指示した。

 そこで散った力を集合させようと、目論んでいるに違いない。が、賢い赤狐は分かっているはずだ。それすら容易ではないことを。

 特に己は狙われた身。遅かれ早かれ弥助達がやって来る。

 ならば、逃げ回るだけ逃げ回り、少しでも時間を稼いで敵をおびき寄せよう。芋づる式で黒百合が現れたところを討てば、こちらとしても好都合だ。


「これでも覚悟して敵陣に乗り込んできたんだ。無茶くらいしてやらぁ」


 衣服が浄衣に変わり、抑えていた妖気は惜しみなく放出する。

 簡素な投てきを回し始めると、「来い!」影から影に伝ってイチョウの木に這う影法師を睨んだ。殺気を感じ取った影法師が四つん這いの姿勢となり、走る速度を上げる。顔部分の中心が縦に大きく裂け、ぎょろっとした大目玉が翔を捉えた。

 その目玉から舌が出てきたものだから、


「き、きもいっつーの」


つい身の毛を逆立ててしまう。未だに慣れない、妖の奇妙奇怪な姿には。


 飛び掛かってくる影法師をギンコが回避する。

 そこを狙って投てきを放るが、見事に石の部分がすり抜けてしまった。何故だろう。当たったはずなのに。

 途端にツネキが激しく吠えた。何やら怒っているらしい。


「え? 原因でもあるのか? 俺に分かる言葉で教えてくれって!」


 つい、無茶ぶりを言ってしまう。

 それに対してツネキが更に、クオンクオンクオン! 怒鳴るように吠えてきた。予想はつく。この能無し狐! お前は馬鹿か! そんな攻撃が効くか! だろう。

 見かねたナガミが翔の投てきに向かって狐火を放つ。燃え盛る炎は、投てきの石部分に纏わりつく。


「ナガミ、なんで燃やすんだよ! これじゃあ数分もせずにっ、うわっ!」


 上半身を逸らし、飛び掛かってくる影法師を避ける。

 しかし背後に回った影法師は避けられず、ヤケクソで投てきを投げつけた。すると、狐火を宿した投てきは相手に辺り、輩は地に転がる。

 呆ける翔だったが、「そうか!」投てきに目を落とし、原因が分かったと声を上げた。


「単なる物理的攻撃じゃ効かないのか。影法師の妖型には実体がないんだ」


 翔がしていたことは、幽霊相手に棒きれを振り回しているようなもの。攻撃など効くはずもない。妖型には実体の有無が分かれており、いずれも単純な物理的攻撃は効かない。それだけ妖は歪んだ存在なのだ。

 ならば歪んだ物理的攻撃で応対するしかない。大麻ばかりに頼っていた翔は、それらの知識すらすっかり忘れていたのである。


「大麻を奪われたことで、新しい知識を得るってか。何事も勉強だ、な!」


 狐火を宿した投てきを振り回し、遠心力を利用して輩の舌を狙う。


 威力はなくとも、小さな痛みは与えられる。

 焼かれた舌を引っ込めた影法師が、体勢を整えるために木から木へ飛び移る。その隙を逃さない金狐が、尾に狐火を宿し、それを勢いのまま放る。青白い炎は影法師を包み込んで火柱となった。耳をつんざく奇声が上がるが、焼き尽くされる輩を見送る暇はない。


 次から次に襲ってくる影法師の影を避け、時に影を投てきで焼き、翔は天高く遠吠えする。同胞に少しでも、現状を知らせるために。

 当然、敵にも聞こえるだろうが関係ない。同胞に少しでも届いたら、それでいい。


「南を統治する第十代目、三尾の妖狐、白狐の南条翔を舐めるんじゃねえぞ! 足は使えなくても、両手や尻尾は自由自在に動かせるんだからな!」


 投てきの先端が狐火によって切れてしまうと、影法師に牙を剥けていたギンコが地を蹴って飛び上がった。イチョウの枝を食い千切るや、それを翔に投げて、新たな武器を渡す。

 翔は唯一使える妖術で棒の先端に炎を灯し、バッドのように構えた。


「ナガミ、ナノミ。狐火を頼む!」


 ギンコの背に飛び移っている二匹が、交互に狐火を繰り出すと、それをボールに見立てて打ち付ける。狐火が宿った棒切れならば、実体のない狐火の術だって触れることが可能だ。

 己に向かってくる影法師が次々に地へ転がるのを見るや、翔は得意げに笑う。


「加速した狐火の威力は倍。体育の成績だけはいつも5だったんだ。こういうことは得意なんだ、よ!」


 倒れた影法師に向かって狐火を浴びせる。

 苦しむように頭を抱え、消滅していく影法師に思うことがないと言えば嘘だ。が、神主に求められるのは平常心だ。時に心を冷たくして物事に立ち向かっていかなければならない。

 自分が倒れては、また南の地は暗雲に包まれてしまう。


「数が多いな。ずいぶん減らしたつもりなんだけど」


 先導するツネキに続き、ギンコが後を追う。

 一向に減らない影法師を滅するにはどうすれば。相手は影の妖。強い光でも浴びせれば、消えてくれるのでは。

 そこで先程の光景を思い出し、翔はナガミとナノミに威光を放ってくれるよう頼む。金狐の威光でも良いが、ここは玉葛の神社が統治する地。ギンコ達の威光は彼等よりも弱いだろう。此の地を守護する二匹ならば、妖達を滅する威光を放てるはずだ。


 すると翔の背を守っていたナノミが自分達にそのような力はない、と訝しげに見上げてくる。できているのならば、とっくにしているとばかりに、ふんふん鼻を鳴らした。

 それについてはナガミも同意見のようだ。翔の前で構える狐はクンと悔しげに鳴き、自分達には力がないとかぶりを左右に振る。

 しかし、翔はできると断言した。白宝珠の御魂を持つ南の十代目では不可能だが、二匹にはそれだけの力があると強く主張する。


「お前達は此の地の守護神、玉葛の神使だ。なら、此の地に住む民の声を聴くことができる筈なんだ」


 たとえ、威光の力が弱まっていようと、まだ二匹にはそれが宿っている。

 つまり少ない人間の中にも、信仰心を持ったヒトがいるのだ。もしかすると人間ではない者かもしれない。それでも此の地を統べる玉葛の守護する想いは誰かの胸に届いている。神社に感謝を寄せ、稲荷寿司を捧げるおばあさんがいるように。

 その想いを刃に変え、どうか輩を滅して欲しい。翔は二匹に願い申し出た。変わらない態度を貫かれると、「声を聞くことが怖いか?」彼等個人の感情に触れる。


「忘れ去られていく信仰に耳を傾ける。それって怖いよな。自分達は一生懸命に里を守ってきたのに、誰からも忘れられていく。やっぱり……怖いと思う」


 けれども忘れていない人もいるではないか。あのおばあさんがそうだ。

 流はそれを知っている。だから、神社の取り壊しの話が持ちあがろうと人間を嫌いにはならないのだ。


 たとえ守護する想いが裏切られようと。守護してきたヒトに、妖に、見捨てられようと。たった一人でも神社に想いを寄せる人がいる限り、そちらを取るのだ。

 立派な志ではないか。流のような当主に、翔もなりたいと心から思う。


「神使の天命を真っ当する、なんて考えなくていいさ。ただ、自分の故郷を守りたいだとか、遊びに来てくれるおばあさんの稲荷寿司をまた食べたいとか、そういうことを考えればいいよ。些細なことでも守る力になるんだから」


 そう、天命は己の気持ちとは関係なく授かるもの。堅苦しいもの。受け入れ難いもの。

 誰彼に指図されているようで、授かった側からしてみればいい迷惑だ。

 神主の天命を授かった翔だって、神使として力を発揮できなかったギンコだって、北の神主だって、もしかするとツネキだって、最初は戸惑いや拒絶反応があった。そんなものではないだろうか、天命を授かる身としては。


 しかし、その先に受け入れる己がいるとしたら、それは。


「自分の守りたい力が糧になる時、ひとりでも玉葛の神社に心を寄せている人がいる。それだけで嬉しくないか?」


 そして、神社に携わる者として大きな価値のあるものではないだろうか。

 翔の問い掛けは、玉葛の神使にどう届いたのか。ただ、それまで無理だと主張していた一声が消えた。それは確かなことだった。

 仕方がなさそうに腰を上げるナガミが、小さく吐息を零しているナノミと並ぶためにギンコの尾っぽ側へ移動する。


 その間にも追い駆けてくる影法師は、己の影を自在に動かして“依り代”を狙う。


 合いの手を打つ二匹が声を揃え、天に向かって遠吠えをする。

 神使の放つ眩い威光に乗った鳴き声は大気中を迸る電流のように伝い、山道を駆け抜け、山一帯を、里そのものを包み込む。

 こだまする鳴き声。重なる鳴き声は、鳴き声とまた重なり、更なる鳴き声の束となる。


 静まり返る三拍の間を置き、イチョウの並木道から凄まじい向かい風が吹き込んだ。

 強風のあまり、ギンコとツネキの足が止まる。目を開けることも難しい風に、翔は思わず腕で顔を覆った。


 青い葉をしたイチョウが意志を宿したかのように、枝から千切れ、翔達の視界を奪う。髪も体毛も服も乱していく木の葉、それらは視界だけでなく自分達から景色も奪っていく。


 ようやく風が止む。

 恐る恐る腕をおろし、目を開けて振り返る。無数のイチョウの葉が影法師達に貼りついている。はらり、ひらりと葉が落ちた。すると人型の姿は見る見る消えていき、影法師はいなくなっている。玉葛の神使の威光が悪しき輩を浄化したのだ。

 翔は満面の笑顔を浮かべ、ナガミとナノミを両腕に抱え、強く抱擁した。


「やったじゃんかよ! お前達ならやってくれると思った。ありがとう、ほんっとありがとう!」


 無邪気に喜ぶ翔の耳と尾がひょこひょこ、ぱたぱた動いたがそれには気付かず二匹に感謝する。彼等は苦しいと尾で腕を叩いてきたが、どうしても気持ちが優ってしまう。

 ぶすくれているギンコに気付くと、「お前とツネキも頑張ったよ」二匹を解放して銀狐の首を撫でる。


「うっし、追っ手はどうにかした。あとは合流だけだ。天馬達は近くにいないかな。比良利さん達は大丈夫として、二人とは合流をしたいんだけど」


 スマホで同胞の所在を確認する。

 画面に表記される地図上、点と点の間隔が急激に狭まっていく。止まっている一点は自分達だ。対照的に凄まじい速度で近付いてくるのは同胞達だ。烏天狗と巫女が空を翔けているのだろう。空を翔ける方が、地を走るよりも早いのだから。

 茂みが揺れ動いた。顔を上げると、イチョウの木から烏天狗が飛び出す。片手にはスマホ、片手には錫杖が握られていた。


「天馬! あれ、青葉は」


 安堵の息をつく間もなかった。

 翔の姿を捉えた烏天狗が錫杖を回すや、「見つけた」それを振り翳して懐に飛び込んでくるのだから。

 十代目の危機を察知したツネキが逸早く捨て身で当たったため、錫杖が鳩尾をつくことはなかったが、機転を利かせた天馬が錫杖の矛先をツネキに変えた。

 素早く振り下ろす錫杖は金狐の顔を払い、相手を怯ませる。その隙に胴を蹴り飛ばしたものだから、翔は我慢ならずに声を上げた。


「何をしているんだ、天馬!」


 再び茂みが揺れ動き、向こうから巫女が飛び出してくる。

 青葉は烏天狗を追っていたようだ。天馬を見つけるや、「ご容赦下さいませ!」空を轟かせる叫びと共に、両指に挟んだ癇癪玉を交互に放った。

 瞬く間に爆ぜる癇癪玉は天馬の身を焼くほどの威力だが、青葉は手を抜かない。宙を飛ぶ同胞が怯んだと分かるや、煙幕の中に飛び込んでいく。


「青葉、天馬、お前等やめろ! なんで身内同士で揉めているんだよ!」


 晴れていく煙幕の向こうでは、天馬の錫杖を両手で受け止める青葉の姿。

 睨み合う二人が拳を交え、蹴りを入れ、それらを受け止めては弾き、体勢を整えるために離れる。


「ご無事ですか翔殿」


 ギンコの隣に着地した青葉が構えを取りながら、安否を確認してくる。

 体全身の唐草模様に目を向けながらも、自分は大丈夫だと答え、イチョウの木の枝に着地する天馬に視線を流す。


「あいつがおかしいんだな。何が遭った」


 「実は」青葉が答える前に、錫杖をトンとついた烏天狗が恍惚に綻んだ。

 それは表情が乏しい天馬にとって珍しい表情。優しい綻びとは言い難かった。どちらかといえば、歪んだ綻びと呼ぶべき表情。



「やっと見つけた。黒百合の求める九代目の器――“依り代”は名張の名の下に、必ずオヨズレミタマに渡す」



 天馬が黒百合の、オヨズレミタマの名を口にした現実が、翔には受け入れることができなかった。



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