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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ肆】魂の在り処
136/158

<一>玉葛が守護する里(壱)



 朝焼けの空の下。

 七代目南の巫女、一尾の妖狐、キタキツネの青葉は“月輪”の社に建つ予定となっている憩殿に足を運んでいた。

 理由は建設の進捗状況を確かめるためだ。


 本来ならば、眠っている時刻であろうに大工は働き者。日が昇る時刻でも仕事をこなしている日がある。

 親方を担っている足長手長に声を掛けると、まだまだ骨組み段階だという。対の社のように憩殿として使用できるのは一年も向こうの話だそうだ。


 工事を依頼して三ヶ月余り。進捗はそのようなものだろう。

 青葉は仕事に精を出してくれる妖達に心ばかりの礼として、冷水と水羊羹を差し入れし、一頻り憩殿となる建物を眺める。


 脳裏に過ぎるは家屋として使用していた建物の面影。

 此処で己は百年余り、先代と寝食を共にしてきた。新しく改装するということは、その名残を消してしまうということ。己の望んだこととはいえ、青葉は少しばかり寂しい気持ちを抱く。


 先代、天城惣七に拾われ、自分の家はずっと此処だ。此処だった。


 その足で“日輪の社”に向かうと、借りている台所に立って日干しをしていた多種類の薬草を目分でざく切りにする。

 笊一杯の薬草を丁寧に束ねては切り分け、必要に応じて空笊に置いたり、湯の張った鉄鍋に放り込む。


 そうして中火で薬草を煮詰めていると、六代目北の巫女、二尾の妖狐、ハイイロギツネの紀緒が声を掛けてくる。

 先輩巫女は大量の薬草を一瞥すると、何も言わず包丁を持ち、切り分ける手伝いをしてくれた。心なしか、彼女の頬が崩れている。


「こんなに薬草を用意して。翔さまの夕餉に振る舞うの?」


 相手の形の良い唇が意味深長に持ちあがった。

 巫女装束のせいで際立つ豊富な胸をチラ見した後、青葉は視線を薬草に戻すと、天ぷらにする予定なのだといらえ、包丁を滑らせる。

 薬草粥や薬湯は、もう見るのも嫌だと嘆く怪我人。


 しかし、青葉としては万全になるまできちんと薬草を摂取して欲しいため、こうして工夫をしている。

 昨晩は和え物にしたし、その前は吸い物にした。今度は天ぷらで食べてもらおうという魂胆だ。

 既に食欲は回復している。沢山食べてくれることを期待したい。


「翔殿は未だ思うように体が動かず、内心焦っています。腹部を縫合し、致死量の毒を浴びたのですから、元に戻るまでに時間を要するのは当然のこと。しかし、彼はそう思ってはくれませぬ」


 目を放すとすぐに無理をして、元の体を取り戻そうとする。

 一度夢中になると己の身の上なの忘れてしまうのだから、困った妖狐なのだ。家族はこんなに心配しているというのに。

 来斬の一件もあるのだから、正直な話、解決するまでは大人しくして欲しい。先代の二の舞になる光景など目にしたくないのだ。


 秘めている気持ちを吐露すると、紀緒が小さな笑声を漏らす。

 笑い話をしたつもりはないのだが、彼女の表情は柔和なもの。青葉は首を傾げてしまう。


「そういう無茶をするところは、本当に比良利さまと良い勝負よ。さすがは兄弟神主、いいえ、親子神主。貴方も気苦労が絶えないわね。けれど、わたくし達が願おうと彼等はおとなしくはしてくれないわ」


 何故なら、あの妖狐達はジッとしていられない性分。

 民達に何か遭っては遅いのだと右に左に奔走する男達、だから支える巫女の自分達は苦労が絶えない。今もこれからも、きっとそれは変わらない未来だろうと紀緒。

 彼女は尾で鍋の木蓋を取ると、その上に切った薬草をのせていく。


 紀緒は巫女歴が長い。

 それこそ比良利が神主出仕の時代から、既に巫女をしていた優秀な妖狐。言の葉に重みがある。


 青葉とて巫女歴は長いが、先代と巫女をしていた時代は何も不安など無かった。

 鬼才の神主に、ただただついて行く毎日だった。

 それが当たり前だと思っていた。これからも続くものだと思っていた。


「不安?」


 見透かしてくる美人に青葉は曖昧に笑うと、小さく首肯した。


 少年神主が未熟だから不安、なのではない。

 鬼才と称された神主でさえ、死を前にすると脆かった。ならば尚更、彼は死を前にすると脆いのではないだろうか。少年神主を失うことが不安で怖いのだ。自分は彼を守り切れるだろうか。支え続けられるだろうか。悩みは尽きない。


「惣七さまの器に、翔さまが選ばれることについては?」


 少々意地の悪い質問である。

 紀緒は依り代であろうと惣七に会いたいのではないか、其の御魂と対面したいのではないか、そう遠回しに聞いてくる。

 本音を言えば、もう一度、敬愛している惣七には会いたい。叶うことなら言葉を交わしたい。優しいあの笑顔をもう一度目にしたい。


 だが、代償が当代神主の命ならば話は別だ。


「私は惣七さまを百年前に失いました。死は受け入れなければなりませぬ。皆、命は不平等ながらも生で始まり、死で終わるもの。惣七さまはあの時、命を終えてしまいました」


 それに引きかえ、当代神主は向かう遠い死の道中に立っている。

 直向きに努力する彼を失ってまで、先代の御魂と会いたいなど、おこがましいことこの上ない。

 一度は狙ったお命であれど、彼の優しさに己は救われた。いつだって彼は己を救ってくれた。


 青葉は包丁を置き、彼を失いたくないのだと紀緒に伝える。


 十代目は約束してくれた。

 百年、五百年、千年、此の地で共に生き、民を見守ろうと。交わした約束を自分は信じていたい。

 誰よりも傍にいたいのだ。今なら強く願える。


「変なお話ですね。今までは何が何でも、惣七さまが一番だったというのに、気付けば……」


 不器用に家事の手伝いをしてくれる妖狐が、自分を喜ばせるために外に連れ出そうとする白狐が、家族として接してくれる十代目が一番なのだ。

 拾ってくれたのは先代なのに、己は薄情なのだろうか。紀緒に相談を持ち掛けると、彼女はかぶりを振った。


「青葉、優先は常に入れ替わるものよ。それは状況であったり、己の小さな自尊心であったり。貴方が今、十代目を一番だと思うのは、それだけ彼を支えたいと願っているから。惣七さまのことを蔑ろにしているわけじゃないわ」


「よく分かりませぬ。優先とは、そうも頻繁に入れ替わるものなのでしょうか?」


「明確に一番を決めなくとも良いとわたくしは思うの。一番が複数ある時だってあるでしょう? その時、大切にされるのは“今”何を重要視するか。そうでしょう?」


 微笑まれ、青葉は意表を突かれてしまう。

 たっぷり間を置いて、「翔殿もそうなのでしょうか」紀緒に質問を重ねた。此方を見つめてくる彼女に、十代目の身の上を話す。


 自分が惣七を大切に想っているように、十代目は人間の幼馴染とやらを大切に想っている。一番に想っているのではないだろうか。そう思うと妙な気分になるのだ。

 我儘なことだ。自分のことは棚に上げて一番に家族を想って欲しい、など……本当に。


「複数一番があるのであれば、彼も我等家族を一番に想っているのでしょうか。人間の幼馴染達のように」


 途端に紀緒が大きく笑声を上げた。

 何故笑うのだと総身の毛を逆立てても、彼女の笑い声は止まない。


「青葉もおなごね」


 納得するように、二度、三度、頷いて何事も経験は大切だと片目を瞑る。


「貴方が今、できることは翔さまが無茶をしないように見張ること。そして、常に寄り添ってあげることよ。ああいう努力家は、ふとした拍子に本音を零すの。それを目にした時、貴方は一番のこだわりなんて豆粒のようなものと感じることでしょうね」


「豆粒、ですか?」


「ええ、そう、豆粒なの。青葉、貴方も年頃のおなご。例え巫女だとしても経験は大切よ」


「い、一体なんのお話で……」


「さあ。なんのお話でしょうね」


 気のせいだろうか、今日の紀緒はとびっきり意地悪に思えてならない。

 ふと柵が嵌っている窓越しの景色を見やる。青葉は頓狂な声を上げ、なりふり構わず外に飛び出してしまった。

 紀緒が呼び止めていたような気もするが、振り返る余裕はなかった。


「翔殿!」


 憩殿の表で転倒している十代目と、傍でクンクン鳴く銀狐を見つけ、青葉は素早く彼に手を貸す。

 車いすから杖に歩行補助が代わった彼は、人目のつかないところで歩行の練習をしている。

 翔のことだ。憩殿の周りを壁伝いに歩いていたのだろう。


「悪い。こけちまった」


 青葉の手を取って立ち上がることに成功した翔は、その手から離れ、再び杖をついて歩行の練習を始める。

 ジャージについた砂埃を払う行為など念頭にもないようだ。

 早く元の体を取り戻したい一心で足を動かしている。名を呼んでも、彼は振り向かない。それこそ溺愛しているギンコが鳴いても、歩くことに一生懸命だ。


 青葉は担当医の一聴の言葉を思い出す。


 一命を取り留めた翔の体は酷く衰弱しており、回復する力も低下している。

 体内に毒の原液を取り入れたのだ。体の神経が完全に麻痺しており、動かす感覚すら取り戻すのに時間が掛かる。

 万全の体を取り戻すまで、人三倍時間を要する。それについて十代目はやきもきすることだろう、と。


 転びそうになる彼の背に手を伸ばしては引っ込める。


 なんと声を掛ければ良いのか分からない。

 ギンコも同じなのだろう。耳を垂らし、青葉と視線を合わせてくる。

 遠ざかる彼の姿を見つめ、今しばらくその様子を見守っていたが、不意に姉分の銀狐と彼に歩む。

 覚束ない足を動かす彼の両脇に立つと、杖を取り上げて、代わりに己の手を、銀狐は妖型となって胴を差し出した。


「まずは歩行の感覚を思い出すことが先決です。私とオツネに捕まり、合図で足を動かして下さい。転んでばかりでは、感覚は取り戻せません。オツネ、合図で一歩進んで下さい」


 一の合図で右足を、二の合図で左足を出すよう指示し、歩行の補助をする。

 素直に応じる翔は体重を自分達にかけると、重たそうな足を動かし、一歩また一歩前に進み始める。遅い足取りでも着実に前に進んでいる。それが翔には嬉しいようだ。

 焦燥感もあるだろうに、おくびにも出さず、境内一周を目指したいと口ずさんできた。


「元の体を取り戻したら、まずは神主舞の稽古だ。体が鈍っちまったから、上手く舞えるか不安だけどさ」


「すぐ取り戻せますよ。貴方様の舞の迫力は、凄まじいものですから」


 オツネに同意を求めると、クンクンと鳴いて翔の顔を舐めた。

 くすぐったいと笑う彼は理想高い。神主舞の後は、武術の稽古も再開すると口にする。無様に来斬に負けないよう、もう少し腕を上げたいのだと彼。

 皆との約束も果たしたいし、“月輪の社”も早く開かなくては。ああ、やることは山のようだと頬を崩す。


「それから先代の御魂は当代の俺が絶対守る。現世の都合で、常世にいる惣七さんの魂を蘇らせるなんて言語道断だ。お前等の大切な人は、必ず俺が守るからな」


「翔殿……」


 狙われているのは翔なのに、この人はいつも自分達のことばかり。己の身の危険について忘れてしまっている。

 幼馴染を一番に想うように、こっちの家族も一番に想ってくれている。嬉しいやら、もっと自分を大切にして欲しいやら。

 紀緒の言う通り、彼の気持ちを見ていたら自分のこだわりなど豆粒だ。


 天城惣七は己にとって敬愛すべき最も一に置きたい人物。

 けれど、南条翔もまた最も一に置きたい人物なことには違いない。否、今一番支えたい人なのだ。

 そう、この青葉。南条翔やオツネと“月輪の社”を盛り上げていきたい。それこそ先代以上に。


「翔よ、すまぬが客人が来たゆえ顔を出してくれぬか」


 境内を三周したところで、比良利から声が掛かる。

 すっかり明けた空、朝日を眩しそうに浴びている北の神主の隣には“玉葛の神社”の者達。彼は自分達に方向転換を頼み、遅い足取りで客人達の下に向かった。







「翔さま。先方の件で、我等の守護する“玉葛の神鏡”が悪用されたことを耳にし、一同大変申し訳なく思うばかりでございます。お体の具合は如何でございましょうか?」


「一件はあなた方の責任ではございません。お気になさらないで下さい。体の方はご覧の通りです。この命は取り留め、今は元の体を取り戻すために日夜歩行の練習をしております」


 大間の上座に鎮座した翔は、恭しく頭を下げる“玉葛の神社”当主に優しい言葉を掛け、自分の起こした騒動を詫びた。

 面を上げた流は心ばかりと、手土産を持参してくれており、翔の前に風呂敷を置く。開かれた包みから、得体の知れない大目玉が出てきたので見事に顔を引き攣らせてしまったのは直後の話だ。


「これは土蜘蛛の目玉でして、食せば血流が良くなると謂われております。神経が麻痺しているとお聞きしていますので、是非お試し下さい」


 しかも昆虫ときた。

 いや、蜘蛛は昆虫ではない。昆虫より足が二本多い。いやいや、自分にとって昆虫と大差はない。


「土蜘蛛の糸もお持ちしました。水に溶けやすい糸ですので、白湯と一緒にお飲み下さい。水あめのお味がして美味だと思います」


 蜘蛛の糸が水あめ味なのかどうかは分からないが、それを果たして食せるだろうか。

 翔は萎れた三尾を懸命に振って、どうにか喜びを表現する。

 これも接待の基本。己の苦手なものでも、心より感謝しなければ。

 だが、本音を言えば、昆虫は御免蒙るである。


「ナガミ、ナノミ。あなた方もご足労頂き、恐縮です。本来ならば、縁談の話をしなければならないのですが」


 向こうの神使に挨拶をすると、二匹は深くお辞儀。

 顔を上げるとナガミが流の脇を過ぎり、翔と比良利の前に出た。

 クオン、クオンと鳴く彼の訴えに流が無礼な振る舞いは止すよう諌めていたが、ナガミの鳴き声は止まらない。

 通訳してくれる比良利曰く、ナガミは此度の一件の責任を“玉葛の神社”で取りたいと申し出ているらしい。


 つまるところ、神鏡を盗んだ輩、そして悪用した四尾の妖狐、黒狐の来斬は此方が受け持ちたいと言うのだ。


 神使としての誇りがあるのだろう。

 罪人は我等の手で裁きたいとナガミ。

 南の十代目が怪我を負った責任は、やはり自分達にあるのだと彼は訴える。


 一語一句通訳者の言葉を耳にした後、翔は彼の主張に返事した。


「ならば、我等にお力添え頂きたい。ナガミ、此度の事件は悪質なものでした。私はこの有様ですし、対である比良利殿にも許容がございます。我等だけで解決できる範囲を越してしまったのです」


 それは“玉葛の神社”にも同様のことが言える。

 公にはされていないが、一件は南北を揺るがすやもしれない騒ぎ。だからこそ、神職に就く我等は力を合わせなければならないのだと翔はナガミに想いを伝える。

 日月の社にしかできないことがあるように、玉葛の神社にしかできないことがある。どうか力添えになってはくれないだろうか、翔は勇ましい神使に綻ぶ。


 納得していないのか、向こうの態度は曖昧である。

 ナガミにはナガミの“玉葛の神社”神使としての誇りがあるのだろう。気持ちは理解できる。


 しかし、翔とて譲る気はない。


 脇息から肘を外し、背筋を伸ばして己の意見を述べる。



「我等は神に仕えし身、そして同胞を導く者。最優先すべきは民なのです。既に“人災風魔”と深く関わっている罪人だと認知しております。しかも群として集まっているのであれば、宝珠に身を捧げた我等が動かないわけにはいきませぬ。寧ろ、動かぬ方がおかしい話。

 玉葛の者達が人里を守護するように、我等には我等の守護するべき者達がいます。それを守り抜くためにも、あなた方のお力が必要なのですよ。御理解を頂きたい」



 さっきも言ったように玉葛の神社にしかできないことがある。


 翔はナガミに神鏡にまつわる伝書を調べて欲しいと頼んだ。

 この度、常世結界が破られる事態が起きてしまった。それは“玉葛の神鏡”の力があってこそ。対の話を聞く限り、百年前にも似た事例があったと耳にしている。

 些少の情報でも良い。神鏡のまことの力と、それに関わった術、すべてを知りたいのだと翔は胸の内を明かす。


 知ることによって、何かしらの予防線が張れるかもしれない。一匙の期待を抱いている。


「輩も此方と同じように知識を得ようとするやもしれません。此の聖地の結界が破られ、奇襲を掛けられたように、玉葛の神社にも危害が及びかねませんが……やってくれませんか?」


 静かに見つめてくるナガミの視線を受け止め、翔は一笑を零す。


「そして機が熟す時、守るべき民のため、人里のため、我等と黒百合に立ち向かって欲しい。それが南条翔の一心の願いです。必ずやあなた方の力が必要となりましょう」


 ようやく受け入れる気持ちができたのだろう。

 ナガミは恭しく頭を下げ、流の後ろに戻る。


 そんな彼に憂慮を向けているナノミには、今までどおり社を守護することも立派な務めだと目尻を和らげ、彼女の臆している気持ちに理解を示した。

 ナノミはナガミほど神使の気持ちが強くはない。今は同胞と対峙して良いのかどうか悩んでいるようだ。顔にでかでかと書いてある。


「私の独断で意見しましたが、これで宜しかったでしょうか?」


 それまで傍観に回っていた対を横目で見やるものの、彼は扇子で口元を隠すばかり。何を考えているのか一抹も読めない。

 けれども、玉葛の当主は思うことがあったようだ。己より多い七尾を揺らし、こう口にした。


「宝珠が若き白狐を見定めた理由が、今の一光景によって明らかになりました。少年だと思って見くびっていましたよ。ここまで、一妖に物申せるとは……なるほど、だから白の宝珠は十代目をお選びになったのですね。

 これは当主として学ぶべき姿勢があります。御見それいたしました」


 褒められているのだろうか、それとも冗談を言われているのだろうか。

 頬を掻く翔の表情は、既に神主ではなく、少年に戻っていた。頭領として気張った意見を述べただけなのだが、流も比良利も含み笑いを零すばかり。決まりが悪い。


「ナガミの御無礼をお許しください。我々は最初から、貴方様方にお力添えする一心で此処におります。“玉葛の神鏡”を強奪され、それによって十代目はお怪我をされました。一理、我々の責任であることは言い逃れできません」


 しかし、此方とて何百年も続く玉葛の神社の当主。

 流は詫びや泣き言、自責を口にするために訪れたのではないことを前付けした。


「比良利さまの(ふみ)により、あらかたのことは耳にしております。黒百合については存じ上げませんでしたが、百鬼一族については少々心当たりがございます」


 頭領達の表情が変わる。

 話を続けてくれるよう頼むと、流は一礼して百鬼一族について話した。

 曰く、玉葛の神社を守護する人里離れた雑木林が生い茂る沼地に“らしき”一族の末裔がいたらしい。


 断言できるものではない。

 ただ、現地の人間が不気味がって近寄ることのない其の地に、奇怪な人間数人が行き交いしていたと調べで分かっている。


 流自身も、その雑木林には近寄りがたい威圧的な空気があるらしく、滅多なことでは近寄らなかった。それだけ危険な空気が醸し出されているらしい。地元の妖にも無暗に入らぬよう注意を促していたという。

 ただ、かれこれ三十年ほど前に沼地は埋め立てられ、雑木林も綺麗に斬られてしまったそうだ。


「今は人間の離れとして、建物があるのみ。人間とはまことに不思議な生き物でして、住居を二つ持ちたがるのです。なんでも、そこは休養目的の癒し憩いの家だそうで」


 なるほど、今では別荘地になっているのか。

 翔は胸に引っ掛かるものを感じた。辺鄙(へんぴ)な場所に別荘を建てる人間など、それなりの資産家に違いない。

 ならば、その別荘地の私有主は、まさか。


「里の人間の噂によりますと、昔は其の地に気味の悪い人間の家屋があったそうです。もし百鬼一族とやらが今昔の事件に絡んでいるのだとしたら、ここは怪しいかと」


 比良利は同調するようにひとつ、頷く。


「神鏡は二度に渡り、霊力を宿した人間の手に奪われておる。日頃から“玉葛の神社”を見張っておったかもしれぬ。百鬼一族の末裔が、妖や妖祓の目から逃れ、そこに身を隠した可能性も否定はできぬ。調べる価値は十二分にあろう」


 即決で“玉葛の神社”が守護する人里に近日、向かうことを決めた赤狐は流達に世話になる旨を伝える。

 蜘蛛のように執念深く、そして雲のように掴めない黒百合と百鬼一族を早く討ちたい最善の策を取ろうとしているのだろう。流と神使二匹は深く一礼し、日月の者達が訪れる日を心待ちにしていると返事したのだった。



 事が決まれば、対の行動は早い。

 いかに民達に悟られないよう、妖の社の閉める機会を窺い、旅立つ調整に当たる。


 翔も彼に餞別できるものはないかと考え、行きついた先がGoogleマップで別荘あたりを調べる、だった。


 航空写真越しでも、土地勘を養っておいて損はないだろう。

 向こうに危険がないとも限らない。翔は比良利達が役立ちそうな航空写真を選び、わざわざ印刷にかけた。

 ついでにネットで別荘地、並びに里の情報はないかと調べ、その都度メモを取っておいた。情報の殆どは“心霊”や“怪異”に関することだったので、人間が作り出したであろう怖い話の利用価値を見定めるのに随分と苦労した。


 せっせと手作りの餞別を作っていた翔は、当然己は総責任者を任されることを自覚していた。

 どうにか自力で歩けるまでには回復しておかなければ。

 もしかしたら、比良利達が留守の間“月輪の社”だけ開けるやもしれないのだから。



 担当医の一聴に体を診てもらいながら、歩行の補助を卒業できるよう努める。



 こうして心構えを作っていた翔は、出来上がったお手製の餞別を比良利に手渡す。我ながら傑作だと鼻高々に報告しつつ、別荘地の写真やネット情報を彼に提供した。が、酷なことに彼は不要だといらえ、それは翔が持っておくよう命じた。

 また、此処を留守にする間“月輪の社”が開くこともないと言い放つ比良利は、悲しみの衝撃を受けている己の肩に手を置き、優しく言うのだ。


「そこまで下調べをしたのじゃ。頼りにしておるぞよ。翔」


 てっきり、留守を任されるとばかり思っていた翔にとって、それは大きな喜びの報告だった。


「いいの? 俺も一緒に行って」


「わしはもう迷わぬと申した筈じゃぞ。来てくれるであろう?」


 比良利に大きく頷くと、足手纏いの体だけど、足手纏いにならないよう努力すると綻び、餞別として作った資料は己が持っておく。


 比良利は己が心配だから連れて行くのではない。己の力を信用しているから、連れて行ってくれるのだ。

 でなければ、狙われている身分だから社に留まれと命令していることだろう。 


 本当の意味で比良利は許してくれている、今昔の事件に頭領として関わることを。

 改めてそれを実感した翔は、歩行補助を早く卒業しなければ、と思いに駆られた。こんな体では本当に足手纏いなのだ。


 しかし、そこはしっかりと一聴に、無理をすれば余計万全に至るまでの時期が延びてしまう、と注意されてしまった。

 結局、翔の足として活躍しそうなのは杖とギンコである。


「ギンコ。ごめんけど、俺を背中に乗せて動いてくれ。まだまともに歩けそうにないからさ」


 ベッドの上で胡坐を掻いていた翔は、寛いでいるギンコの背を優しく撫でる。

 まかせなさいと言わんばかりに見上げてくる銀狐は、大変可愛いものの、なんとも情けない気持ちで一杯になる。


「お前に頼りっきりだな。こんな体なばっかりに」


 うんっと首を傾げるギンコは、なんで落ち込んでいるのだと顔を覗き込んでくる。

 ギンコとしては頼ってくれる方が嬉しいようだ。無理はしないで、目が訴えている。

 力なく笑ってしまった。心は曇りばかりだ。


「ほんと、みんなに頼ってばかりだ。足が動かないからお前に頼って、体が動かないから青葉に世話してもらって……弱いから来斬に負けて。ただでさえ未熟なのに。自分が頼りないよ」


 銀狐を抱いたままごろんと寝転がる。

 溺愛している狐の頭をわしゃわしゃと撫でると、「行かない方がいいのかな」片隅で抱く不安を口にする。

 比良利は関わることを許してくれたが、果たして今の自分が関わって良いのかどうか。

 じっと見つめてくるギンコの鼻を手の平に押す。ぺろっと舌が伸び、そこを舐められた。


「うわっ、何処に入っているんだよギンコ!」


 前触れもなしにギンコが自分のTシャツに潜ってくる。

 くすぐったいと声を上げるが獣はお構いなし。無理やりに襟口から顔を出す。

 びよんと伸びるTシャツはもう既によれてしまっているだろうが、ギンコなりに翔を笑わせようと思っているらしく、その状態で顔を舐めてくる。


 フンフンと鼻を鳴らすギンコに噴き出し、お返しに顔を寄せて体毛に顔を埋めた。獣の匂いが心地よい。

 夏でなければ、獣の高い体温も心地よいと思えたことだろう。


「何をしているのですか……貴方達は」


 奇怪な自分達の姿に青葉が白眼してくる。呆れ果てている様子。


「ギンコに慰めてもらっていたんだよ。俺、比良利さんに同行の許可は貰ったけど……こんな体だろう? 来斬に鉢合わせでもしたら、どうしよう。一聴さんの腕を疑っているわけじゃないけど、俺の体、本当に元通りになるのかな」


 ぽろっと零れる弱音、本当にゆっくりではあるが回復はしているだろう。


 しかし、翔にとってはあまりに遅く感じるため、治るのかどうか疑心暗鬼になってしまう。

 ずっとこのままだとしたら、もう神主舞も踊れないのではないか。

 そうすれば、妖達から“その程度”の神主と見られるのかもしれない。暗い考えは持たないようにしているものの、時に落ち込むこともある。気が短いのだろうか?


「時間を要しても良いではありませんか。命あっての物種でございますよ」


 今度は呆れもせず、青葉は話を聞いてくれる。

 ベッドの縁に腰掛けた彼女は、自分の体を信じてやらないでどうするのだと諭してくる。

 最初は起き上がることすら儘ならない弱り切った体が、ここまで回復してくれたのだ。努力を続けていれば、必ず元通りになると彼女は励ましてくれる。


「翔殿は恐ろしいのですね。足手纏いになる、己が」


 言われて気付く。

 そうだ、自分は恐ろしい。足手纏いになる己が。皆の足を引っ張ってしまうことが恐ろしい。

 そして、襲撃に遭った際、誰かが庇うのではないか、それが何より恐ろしい。


「まったく、それは翔殿が言える義理ではございませんよ。貴方様は常日頃から、誰かのために奔走ばかりするのですから」


 同調するようにギンコが胸部に頭をこすりつけてくる。

 素肌に体毛がこすれ、くすぐったかった。


「私もオツネも来斬が先日のように奇襲して来ようものなら、全力で前線に立つでしょう。もう、目にしたくないのですよ。大切な人が目の前で死に散る姿は」


「青葉」



「惣七さまも、私達の前で散りました。今度は貴方様が散るのかと、翔殿が死線を彷徨っている間、何度も泣きそうになりました。けれど、翔殿は約束を守ると宣言し、そして約束通り、ここにいます。

 今度は私の番です。足手纏いになると恐れている貴方様に言いたい。私達を頼って下さい。万全になられるその日まで、私達は支えに、いえ、いつも支えになりますから」



 面と言われると照れるものがある。

 弱音を吐いた自分にも、青葉やギンコのあたたかな視線にも、気持ち的にむずがゆい。

 こんな自分を見られたくない一心で話題を変える。


「し、しかしなんだな。“玉葛の社”に行く方法は、いつものように空を翔けることなんだろう? 結局ギンコに跨ることになるのか……大丈夫かな。地上と違って、上空には身を隠せそうな建物がない。来斬達に見つかりでもしたら」


 青葉が神妙に頷く。彼女も思うことがあるらしい。


「白昼に発つので、一般の妖達が気付くことは少ないでしょう。が、輩に関しては別です。我等の妖気の気付き、尾行してくる可能性もありましょう」


「宝珠の力は強大だしな。本当に妖気って厄介なものだよ。大妖(たいよう)になればなるほど、妖気を隠すことが上手いと聞くけど、俺と比良利さんは例外だし」


 とはいえ、尾行される可能性はぬぐえない。

 ましてや身を隠せない空を翔けるのだから、不安の種は尽きないものだ。せめて可能性を低くしたいのだが。


「相手が近くにいたら、気配で分かるだろうけど……尾行となると、それなりに距離を取られるだろうし」


 見つめてくるギンコを見つめ返し、翔は妖祓の親友に電話してみようと思い立つ。

 向こうも霊気を持った人間。こういう場合の対策を知っていそうである。


 妖用携帯カケの嫉妬を浴びないよう(従来型携帯のカケはスマートフォンを敵視している)、トイレでこそこそと連絡を取ってみる。

 彼に怪我の具合を聞きつつ、知識の提供を求めると朔夜はこう告げた。


「大勢の人間にまぎれながら移動。これが一番有効かな。特定するのにも時間を要するし、探している間に移動してしまえば、向こうも混乱するだろう?」


 普通、妖気や霊気の正確な特定は難しいと朔夜。

 自分の感覚を頼りに探り出すのだ。人間や妖はGPS機能のような精密な機械ではないため、腕があるものでも時間が掛かるのだという。


「まぎれながら移動、か」


 不安の種は小さい方が良い。

 翔はその手で行こうと心に決め、助言をもとに行動を開始する。



 出発の早朝、世間は土曜。

 おばばも同行すると言うため、ネズ坊達を大家のオイチに託すと“日輪の社”の表社に向かう。


『おや、珍しいこともあるもんだ。比良利や紀緒まで着物なのかい』


 待ち合わせ場所に集う妖狐達の姿を目にした猫又は、面白おかしそうに頓狂な声を上げる。

 そう、本当に珍しくも比良利と紀緒は正装ではなく、一妖としての身なりで立っていた。


 鼠色の長着、朽葉色の羽織に身を包んでいる比良利。薄紅の京小紋に身を包んでいる紀緒。どちらも希少な姿である。

 また、青葉も紅花紬の着物姿であり、これらは翔が頼んだ姿だ。

 ちなみに翔自身はジーパンにチェックの入ったシャツとラフである。誰がどう見ても神主には見えないだろう。


 全員が揃ったところで、先導に立つ翔は杖をつき、青葉に手を貸してもらいながら石段を下って行く。


「比良利さん、紀緒さん。携帯は忘れていないよね?」


「はい。それはしかと持っておりますが、翔さま。何故、このような姿で?」


「そろそろ説明してくれても良かろう」


「説明するほどでもないよ。人里に行くんだから、一般人らしい姿で移動する。それだけだよ。浄衣も巫女装束も目立つから。空から行けば目立っちゃうよ。身も隠せないし」


 だからといってギンコやツネキを連れてバス停には向かえない。

 動物を連れて乗り物に乗るだけで嫌な顔をされるのに、そこに見慣れない狐が乗り込めばどうなるか。

 妖型になってもらうのも手だが、それよりも効率の良い手がある。

 石段を下り切ると、待ち人となっていた妖達が声を掛けてくる。烏天狗の名張天馬だ。


「翔、お待ちしていました。補助付きで歩けるようになったのですね」


「ああ、なんとか。悪いな、またお前に頼っちまって。あまり危険な目に遭わせたくはないんだけど、体が万全になるまで、師であるお前には付き添ってもらいたいんだ」


「構いません。寧ろ、お声がなかったら半ば強制的について来ていたのでご心配なく」


「じょ、冗談だよな?」


「自分は戯れを言う性格ではないのですが」


 良い意味で受け取っていいのだろうか、翔は遠目を作ってしまう。


 天馬の案内で、道端に停めてある六人乗りの自動車に歩む。

 彼曰く、自分は運転免許を持っていないので、たまたま土曜が休みとなっていた父に運転を任せたそうだ。


 父が駄目ならば、夏休み期間を利用して仮免を取った雪之介に任せようと思ったそうだが、翔としては父親の天五郎が休みで本当に良かったと胸を撫で下ろしてしまう。

 仮免はまだ仮なので、免許を取ったことにはならない。それで運転させるなど言語道断である。


 そうでなくとも、雪之介の同行は翔が許さなかっただろう。

 彼は一般の妖。天馬のように武を極めていない。ゆえ、危険だと分かっている地に、ほいほいと同行させるわけにはいかないのだ。


 運転席から天五郎が出てきた。

 深々と頭を下げる彼に、休みを潰してしまう謝罪と感謝を述べれば、「お役に立てて光栄です」息子同様、何かしら使命を持つことに誇りを持った笑みを向けられた。


「名張一族は宝珠に集いし、あなた方様に忠義を尽くすつもりであります。それこそ命にかえても」


 重い、なんて重い忠義なのだろうか。

 引き攣り笑いを浮かべる翔は、やっぱりこの人は天馬の父だと思った。


 さて、すっかり蚊帳の外に放られているおじいちゃんおばあちゃん。

 翔は車に乗って里まで行くことを説明。地上で他の車と紛れながら移動すれば、尾行される可能性も小さくなると踏んだのだ。

 よく意味が分かっていない妖達は、取り敢えず車に乗れば良いのだと理解していた。


「牛車や人力車には乗ったことがございますが、このような乗り物ははじめてです。楽しみですね。比良利さま。ツネキ」


「ふむ、牛車や人力車は非常にとろいからのう。天五郎よ、日を跨ぐまでには着くのであろうか? 我等は先を急いでおる」


 基準を牛車や人力車で見ているおじいちゃんおばあちゃん達に、天五郎は思わず苦笑。翔と天馬も顔を見合わせ、肩を竦めるしかなかった。

 実際、目的地まで車で二時間もあれば行けるそうだ。


 翔は狭い狭いと文句垂れる妖達を車に詰め込み(正座をしようとするおじいちゃんおばあちゃんに足は崩すよう指示)、己はギンコを膝に乗せ、発車してもらう。


 これにて行き帰りは安心だ。


 そう高を括っていた翔だが、舐めていた。齢百以上のおじいちゃんおばあちゃんを大変舐めていた。

 物の五分もせず、初自動車に乗った妖達が目が回ると騒ぎ始めるので、車内は喧騒となってしまったのだ。


「な、なんぞや。景色が回る。回っておる。しかも音と臭いが酷い。これは何の臭いぞよ……うっぷ……」


「ひ、比良利さん。吐きそう? やばい? やばいなら言ってくれよ! 吐かれるのが一番やばい!」


「ツネキの背とは違った速度。揺れ。流れる景色。なんだか目が回ります。い、生きた心地がしませぬ。胃がひっくり、返り、そうで……す」


「紀緒さんも顔色が……酔い止めを買った方がいいかも。天馬、近くにドラッグストアはないか?」


「か、かける殿……」


「あぁああ青葉。ちょっと待て待て待て! 天五郎さんっ、何処かで車を停めて下さい! あとビニール袋っ、誰か袋を!」


 かくして乗り物酔いに陥った妖狐三人により、車は道端に緊急停止。

 やれビニール袋だの、やれ酔い止めだの、名張親子を中心に走り回ることになる。


 どうにか発進できたのは三十分後の話。


 心中で溜息をつく翔は、背後を一瞥する。

 そこには最後部席に乗っている比良利と紀緒がぐったりと座席に崩れていた。元気なのはツネキのみ。流れる景色が面白いらしく、翔の膝に乗っているギンコに窓の景色を見ようと誘っている。

 子供のようなはしゃぎ方だとすまし顔の銀狐も、内心は楽しいらしい。翔に許可を貰うと、後部席の向こうの窓を見つめている金狐の隣に並んだ。


「おばば、俺の肩に来てくれ。青葉、膝を貸すから寝てろ」


 言葉すら発することができない青葉を寝かせてやり、この策は失敗だったろうかと肩にのったおばばに意見を求める。

 猫又は車に強いのか、酔った様子もなく、欠伸を零して四尾を揺らした。


『お前さんの策は間違っちゃないと思うねぇ。盲点だったのは比良利達の知識と経験不足。まったく揃いも揃って軟だねぇ。高齢のおばばは何てことないのに。坊やは平気なのかい?』


「俺は慣れているからな。昔から乗り物酔いしないタイプだったし」


 とはいえ、妖狐達の苦悩も分かる。


 鋭い五感を持っている妖狐だ。

 ガソリンや芳香剤の臭い、車の走る音、それらがヒト以上に感じる。翔も“妖の器”だった頃はよく悩まされたもの。

 ましてやおじいちゃんおばあちゃんは、車という文化に触れたことがない。酔ってしまうのも仕方ないことだろう。


『取り敢えず、元気なわたし達だけで話すかねぇ。坊や、一生懸命に調べていた内容はどんなものだったんだい?』


「まずは土地の写真。今の時代、住所さえ分かれば航空写真で、ある程度の土地を見ることができる。次にネットを介して知った別荘地の所有主。流さんが睨んだとおり、別荘は百鬼一族の末裔である真鍋のものっぽい」


 元衆議員である政治家真鍋なら、別荘の一軒や二軒、購入できてもおかしくない。女性問題でひどくマスコミを騒がせた真鍋の素行のおかげで、ネットで検索すると彼の情報は蔓延していた。

 ただし、そこを別荘地にしたのは彼の父。父親もまた、政治家だったようだ。


「真鍋靖ですか。翔さま、今此方の町に住む妖は彼に警戒心を抱いています」


 バックミラー越しに天五郎が翔を見つめる。



「私達は以前より、彼が霊気を持つ人間だと存じておりました。それだけなら警戒することもないのですが、彼は己が市長になったならば、市民の危険が及ぶ建設物や道路を改築すると宣言しました。

 標的は三つ、バスセンターにある築七十年の木造駅舎。シャッター通り商店街前交差点。もうすぐ差し掛かる高架線。これ等はどれも妖が集いして利用している場所なのです」



「なら、相手は妖を追い出すために、わざと改築宣言を?」


「判断しかねますが、妖を意識していることは確かです。我々のように人の世界に馴染んで生活する妖ならば、危害は少ないでしょうが……そうでない妖は危惧する筈です」



 衆議員を辞め、市長選挙に出馬も意図があるのだろうか。

 百鬼一族の末裔の頭として、何かしら意図がある動きなのであれば見過ごすことはできない。


「天馬。真鍋の実力をお前の物差しで測ることは可能か?」


 助手席に座る己の師に声を掛けると、彼は未知数だと返答した。


「曲者であることは確かでしょう。政治家として表裏の顔は得意としています。ああいう輩ほど、切り札は最後まで持っておく型。油断はなりません」


「テレビじゃ分からないもんな。まあ、あいつは本当に癖はありそう。黒百合の頭、四尾の妖狐、黒狐の来斬と百鬼一族の末裔の真鍋靖。どっちも、本当に癖がありそうだ」


「こ、これ翔よ……うっぷ……誰が黒百合の頭が、来斬と申した」


 蚊の鳴くような細い声で、それまで車酔いと闘っていた比良利が話に加担する。

 糸目が限りなく死にかけているのでおばばが代弁を買う。


『坊や。来斬はあくまで黒百合のひとり。血の気が多い猛者。頭じゃないんだ』


「え、それじゃあ……」


『頭は別にいる。それこそ、来斬よりも食えない腹黒な妖が――比良利、お前さんは既に察しているんじゃないかえ? 妖御魂(およずれみたま)が復活しているんじゃないか、を』


 おばばが意見を求めるも、比良利から応答はない。

 『やれやれ』猫又は軟弱な狐だと揶揄し、この話については向こうに着いてからだと終止符を打った。



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