<十>少年神主、人の知識を与える(弐)
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GPS発信機をきっかけに、己の対はやたら人の世界の知識を得ようとするようになった。
ひとつは悪意ある霊能力者対策なのだろう。
より多くの知識を得ておくことで、どのような非常時にも対応しようという魂胆だ。来斬が人の世界の知識を得て、悪用をされたら対処もできない。彼にとって最も討つべき相手は黒狐と考えているようで、あらゆる方面で防波堤を張ろうとしている。
もうひとつは相手を討つための策を練るのだろう。
狡賢な妖狐はどうにか一泡吹かすことはできないだろうかと、熱心に考えていた。
紀緒曰く、百年前の黒百合を壊滅に追い込んだのは比良利の策があったからこそらしい。ああなってしまえば、徹底的に知識を得ようとする。目的を達するまでは決して足を止めないだろうとのこと。
「あのお方は元々負けん気が強いので、学びに対しては人三倍の意欲を見せます。きっと翔さまが多くの知識を持っているので、悔しい思いをしているのですよ」
「え? 俺だって妖の世界は無知なのに」
「ですが、ちゃんと学ぼうとしていますでしょう? 比良利さまも惣七さまがいた頃は、両世界を学ぼうとしていたのですよ。ですが、片割れを失ってからは妖の世界を最優先にしていたので」
「だからって俺に悔しい思いなんて……」
「ふふっ、目的のため熱心に学ばれるあの姿勢は誰かさんによく似ていらっしゃいます。あれは誰かさんの兄やで間違いないです。兄やは弟よりも物知りでいたいのでしょう」
おかしそうに紀緒に笑われてしまい、翔は返す言葉もなかった。
そういうこともあって、最近は日月一同己の狭い部屋に集まることが多い。
ワンルームに人型妖狐四人、獣型妖子供を含めて十匹、計十四の妖が集っているのだから部屋は常に狭い。
リハビリを始めた翔にしてみれば、これで歩く練習ができるのだろうかと溜息をつきたくなる。
しかし、人の世界を知ろうとする同胞達を目にするのは悪いものではない。ついつい、微笑ましい気持ちで見守ってしまう。
今、皆が学んでいるのは携帯電話だった。
携帯機器の付喪神、ガラゲーのガラお手製の携帯を使いこなそうと懸命に学んでいる。
なお忘れられているかもしれないので、簡易的に説明する。
携帯機器の付喪神、ガラゲーのガラとは以前、“日月の新芽”で挨拶に来た現代生まれの後ろ向き携帯電話の妖である。何事にも『すみません』と自虐ネタを盛り込む、あのフィギュア、魔法少女キャッツ・ラブらの旦那である。
携帯電話を皆に持たせたいため、翔は彼に相談を持ち掛けた。この妖の世界にいても携帯電話をどうにかして使えないだろうか、と。
人の世界のようにインターネットやLINEは使えなくて良い。メールもおじいちゃんおばあちゃんには無理だろう。
それでもせめて電話だけは使用させたい。わざわざ形代で相手の下まで行く、という無駄な時間を省きたい。
そのため翔はガラに相談した。
二世界で使用できる携帯機器はないものか、と。
携帯電話のことは、携帯電話自身に聞くのが一番である。
するとガラは三日ほど待ってもらえないかと翔に告げ、約束の日、説明書付きの素晴らしい携帯を贈ってくれた。
形は従来型のガラケーであるが、ガラ曰く捨てられた携帯達の無念で作り上げた機器らしい。
そのためこの携帯達は時々夜泣きしたり、寝返りを打ったり、特定の携帯同士でメールをしたり、一人でに移動していたりするがそこはご了承願いたいとのこと。
謂わば、付喪神に近い“いわく付き”携帯なのだ。
ガラの技術では“依り代”を作ることはできないため、“依り代”とも言えないが、これは生きた携帯なのだという。
もっと使われたかった。大切にされたかったという気持ちで作られた、無念が宿っている携帯機器同士であれば連絡が取り合えるらしい。
なんとも不気味な携帯だが、生きた携帯ならば、いずれ自由自在に動ける付喪神になるかもしれない。翔は大切に扱おうと心に決め、比良利達と操作の練習を始めたのだ、が。
「翔さま。あどぉれす帳を開いて下さいとお願いしているのですが、まったく動いてくれませぬ。機嫌でも悪いのでございましょうか?」
「翔殿……めぇるは文なのでございましょう。試しに書いてみたいと思い、筆を持ってきたのですが、何処に書き込めば。ああ、携帯が逃げてしまいました!」
「ふむ、連絡とやらはどこですれば良いのじゃ。む、携帯が震え始めた。寒いのかのう? はて、湯で温めてやれば良いのか……アイツツッ、な、何故指を挟むのじゃお主!」
大変シュールになる光景を是非とも想像して欲しい。
けれど、弁解もさせて欲しい。これらの反応は仕方がない、そう仕方がないのだ。皆、百、二百を超えたおじいちゃんおばあちゃん! 携帯なんぞ所詮、五十も経っていない機器! 彼等が扱えないのも無理はない。
生きた携帯達も身の危険を感じたのだろう。一日目にして携帯の使用を理解している翔の所有物になりたがり、いつの間にか枕元まで移動していた。
しかし、四つの携帯を己が所持しては意味がない。
翔は皆に携帯は機械だから水や墨で濡らしてはいけないこと。基本的に操作は自分ですることを教え、念を押して大切に扱うよう説いた。
でなければ、生きている携帯達のご機嫌を損ねてしまいかねない。
不機嫌になると、ガラケーはすぐに閉じて指を挟んでくるのだ。ここまでできるのならば、もう付喪神と呼んでも良いような気がするが、彼等はあくまで付喪神に近い存在。
言うなれば“妖の器”なのだ。
昔の己を見ているよう。早く付喪神になれたらいいなぁと応援したくなる。
蛇足になるが、彼等が電話を取れるようになるまで三時間を要した。電話を掛けるまで数日掛かったのは、もう容易に想像ができるだろう。
「はぁ……携帯とは難しいカラクリです。翔殿、私は目が疲れてしまいましたよ」
その日、懸命に携帯の操作に慣れようとする青葉が弱音を零す。
彼女の持つ携帯が勝手に着メロを流したため、「そう言ってやるなって」ベッドの縁で立つ練習をしていた翔は苦笑いを零す。
「携帯は使い慣れたら、本当に便利なんだ。そいつ等も誰かの役立つと張り切って頑張ってくれているんだから、青葉も頑張れよ」
「カラクリは不得意です」
「そう思い込んでいるだけだって! ギンコやネズ坊達なんてテレビをお手の物に操作できるんだ。自分達でアニメやドラマ予約もできる。誰だってやれば、ある程度使えるんだよ。なあ? お前も頑張っているもんな」
枕元に置いている白いボディの携帯に声を掛けると、嬉しそうに身を震わせる。
その姿がどうにもこうにも可愛いので、翔は携帯に名を付けてやろうと思い立つ。そうすればもっと愛着を湧くし、早く付喪神になるかもしれない。
携帯に性別はあるのだろうか。ガラは男だったようだが……。
「お前はどっちかな? うーん、どっちでも使える名前が良いよな」
うんぬん考えていると、紀緒が所持者の名前を付けるのが良いと教えてくれる。
付喪神になる条件は様々だが、彼等は持ち主から大切にされたいと願っている。ゆえに所持者の名前の一部でも貰えれば、大喜びだろうとのこと。
よって翔はこの携帯に“カケ”と名前を付けた。翔の携帯だからカケ。まんまであるが、携帯が喜んでくれたのでよしとしよう。
当然一台に名が付けば、他の携帯も欲しがるため、皆、名前の一部を与えていた。
「そういえば、俺のスマホ……雪之介は朔夜に預けていると言っていたけど」
近いうちに幼馴染の下に行かなければ。
己の家の事情を知っている彼だ。あれこれ、母親の目を誤魔化してくれているだろう。
「アダダダっ」
立ち座りの練習をしていたら腹部に激痛が走った。見計らったように青葉が休憩をするよう促してくる。
かれこれ一時間、休まず練習をしている。そろそろ休憩が必要だと青葉。
「お茶を淹れましょう。お薬も飲まないといけませんから」
確かに腹部の激痛は休憩を求めているのかもしれない。
翔は素直に従い、ギンコとツネキを呼び、彼等を支えにしてミニテーブルに着く。
そこでは比良利が休憩がてらに新聞を読んでいた。これは天馬に頼んで、譲ってもらった数日分の新聞である。
分からない単語ばかりだろうに、彼は熱心に記事を読んでいる。
隣では紀緒が未だ携帯と睨めっこ。
四人の中で一番携帯の操作が下手くそなので、一生懸命に練習している。
テレビに目を向ければ、ネズ坊達がおばばと一緒に子供向けアニメを観ていた。
今日は空飛ぶパンヒーローのアニメを観ているようで、それはそれは楽しそうに尾を振ってヒーロー達を応援している。
子供はいいものだ。自分もパンヒーローを観て、大はしゃぎする歳に戻りたい。
ふと新聞の頁が捲られていないことに気付いた翔は、比良利にそれは気になる記事なのかと声を掛けた。
「瓦版に滝野澤 茂について書かれておるので、文を反芻しておったのじゃが……」
滝野澤 茂。
朔夜が雪之介伝いに教えた“人災風魔”黒幕の一人だ。
比良利から彼には天誅を下したと聞いているため、翔は薄々とこの男の末路を想像している。同胞に慈悲深く、危害を加える敵には冷血非道となる妖の価値観。
翔は記事に目を通し、読解しようとする比良利の手助けをする。大きな見出しには【謎、男の変死】
「高層マンションに住む男が先日、変死として見つかる。元職場の同僚により発見された。地方公務員、滝野澤 茂(68)。関係者は行方不明となっている娘に話を聞くべく、行方を追っている。これは比良利さんが?」
「この男は同胞を下僕として傍に置いておった。天罰じゃのう」
明確にしないが、男を死に追いやったのはまぎれもなく妖なのだろう。
同胞が人間を死に追いやった。それは複雑な気持ちに駆られるものの、不思議と悲しみはこみ上げてこない。幼き子供達を思うと当然の報いだと思ってしまう。
人間に愛情は寄せている。
けれど、自分は妖にも愛情を寄せている。神主という職を除いても、自分は優先的に妖へ愛情を寄せてしまう。
それは己が人間ではなくなったからだろう。寂しい感情ではあるが、変化してしまった以上、この感情を否定することはできない。
「娘も黒幕だって言っていたよね?」
「左様。娘の方がタチが悪いと雪之介から情報を得ておる。妖を生贄に呪術をしている霊媒師、こやつが“人災風魔”の封印を解き、小娘に術を使用できるよう手を入れた」
眉間に眉を寄せる比良利はどこへ行ったのだと唸り、新聞を折り畳む。
「滝野澤 董子は三手から追われているのか。俺達が先に見つけないと厄介かもしれないよ比良利さん」
「三手? 一手は我等、一手は妖祓、もう一手とは?」
「警察だよ。ああ、妖の世界でいう町奉行所の同心だよ。父親が変死していて、身内の娘は行方不明。当然、警察は娘を怪しんで行方を追う。でもある意味、これは都合の良い展開かもしれない。人間の情報網は長けているから」
ネズ坊達に断りを入れ、翔はテレビのリモコンを貸してもらうと録画してあるアニメを止め、ニュースにチャンネルを替える。
報道されている強盗事件を指さし、このように犯罪が起きるとお茶の間に流れることを比良利に説明した。
実名で報道されるため、身分はすぐにばれる。それこそ出身校や家柄、周囲との関わりまで。
再びアニメを流してリモコンを置くと、テーブルに乗っているノートパソコンを起動した。
「これはこっちの世界の便宜な機械。詳しく説明すると、比良利さんは混乱しちゃうと思うから、主に情報収集のために利用すると思っていいよ。比良利さんにはいずれ、使いこなして欲しいと思っている」
パソコンを隅々使いこなせ、とは言わない。
だが簡単な操作や、ネット検索を学んでもらいたい。それができるようになれば、狡賢な赤狐の知識は何倍にも膨らむ。己では想像もつかない策を思いついてくれる筈だ。
「滝野澤 董子の実名は新聞やテレビじゃ、あまり報道はされていない。だけどネットを使えば、それなりの個人情報を得ることができる」
「個人情報とは?」
「まんま、その人個人の持つ情報のことだよ。例えば、俺の名前は南条翔。歳は十八。身分は表向き人間、正体は妖狐。職は神主。こんな具合に俺自身について様々な情報を持っている。これを“個人情報”と言うんだよ」
深慮に相槌を打つ比良利の隣で、いつの間に参加していたのか、紀緒が声を上げていた。
膝に乗るギンコは既にネット慣れしているので、面白い動画を見たいと鳴いて主張。ツネキはギンコを取られたくない一心で、人の膝に乗り上げている。
妖狐は皆、好奇心旺盛だ。
「その個人情報を得れば、追っている罪人を捕まえることができるのでしょうか? 翔殿」
お茶を淹れた青葉が四人分の湯飲みをテーブルに置き、お椀をギンコとツネキの前に置いた。ネズ坊達には砂糖を溶かした水を置き、おばばにはぬるい茶を差し出している。
それが終わると、自分の右隣に座って質問を投げた。
「捕まえることはできないけど、顔写真がネットに流出していたら、逃げている罪人の身を隠せる場所は少なくなると思うよ。それだけ個人情報は大切なんだ」
「三手から追われる。さぞ精神が追い詰められるであろうのう。我等に捕まれば奈落。妖祓に捕まれば生き地獄。ただの人間に捕まれば」
「取り調べだけだろうから、警察に捕まるのが一番楽かもなぁ。しかも、この人は父親を殺したわけじゃないから、罪は問われないだろうし」
「では極楽、といったところじゃろうか」
しかし、まことの極楽が存在しようか。
冷然と言葉を紡ぐ比良利の空気は刺々しい。妖は罪人を赦さず、妖祓は同種族を庇い、ただの人間に捕まろうと手を組んでいる黒百合が易々輩を見逃すわけもない。
縋るのならば黒百合繋がり。罪人はそこに身を隠している。推理を立てた赤狐は茶を啜り、鼻を鳴らした。
すると今まで静聴していたおばばが意見する。
『その罪人は追い詰められているようには思えないねぇ。どちらかといえば、実の親をオトリにして雲隠れした。もしくは此方の動きの様子見をした。そんな気はするよ』
「父親を駒にしたということか? おばば」
『罰当たりな考えだけど、娘の方が能力は上なんだろう? あり得ることだと思うねぇ』
だとしたら、とんだ女狐だ。
そこらへんの妖狐よりも頭の回転が良さそうである。
「なんにせよ、我等は罪人を決して逃さぬ。このカラクリを駆使してでも捕まえようぞ」
「そうだね。この事件はマスコミも大きく騒いでいるみたいだから、暫くは簡単に情報が耳に入ると思う。テレビやパソコン、新聞で確認するのは手だよ」
「輩は、じりじり追い詰められているか。あるいは我等を嘲笑っているか。はよう面を拝みたいものよ」
重くなる空気。
一掃したのはネズ坊達の観ているアニメのハイテンポな音楽だった。パンヒーローのアニメを観終ったネズ坊達は、深夜アニメを観始めたようだ。
おかげで肩の力が抜ける。
「やることは山積みですが、焦らずにいきましょう。翔さまは、まだ本調子じゃございません。我々もこの携帯を使いこなすことから始めなければ」
「それもそうですね。私も早く携帯のアオを使いこなさいと……あ、呼び鈴が」
部屋の呼び鈴がなったことによって、皆の会話が止む。
時刻は丑三つ時。両親が来るような刻ではないが、悪友の可能性もある。大家であれば万々歳なのだが、はて誰だろう。
確かめるために青葉が玄関へ向かう。
程なくして扉の開閉音、「い、和泉殿!」彼女の悲鳴と物音が翔の耳に飛び込んでくる。
そして玄関先から微かに鼻孔を擽ってくるのは血の匂い。翔は動揺のあまり、テーブルに置いていた湯飲みを倒してしまった。
比良利と紀緒の手を借りて立つと、玄関まで連れてもらう。
そこには膝をついている青葉と、玄関扉に凭れて座り込む幼馴染の姿。鮮血を流す朔夜は右の手で左腕を押さえ、その左手には黒百合がしっかりと握られていた。
「朔夜っ、朔夜!」
支えの手を離れ、翔は崩れ落ちるように親友の前に座る。
意識朦朧としているのか、朔夜はうつらうつらと視線を流し、そして安堵したように綻ぶ。
「ショウ……良かった。無事で」
「なんだよこの怪我。何が」
ずるっと背中が滑り、怪我人が翔に凭れた。
「気を付けて。君は狙われている。黒狐だけじゃなく、骨傘の弥助に……」
骨傘の弥助? それは誰だ。
目を白黒させていると、朔夜の声が途絶える。我に返り、親友の顔を覗き込めば、重たい瞼をそっと下ろし気を失っている。
ますます混乱してしまう翔だったが、比良利の一声により、状況は救われる。
「青葉、オツネ、結界を解く準備を。この妖祓を部屋へ運ぶ」
※
「やっとショウに会えたと思ったら、とんだ災難だ。悪いね、怪我人のベッドを新たな怪我人が陣取って。迷惑を掛けた」
彼、和泉朔夜の意識が戻った開口一番の言葉がこれだった。
何を言っているのだと翔は眉を寄せ、ベッドの柵越しに身を乗り出すと、なんてことない迷惑だと返事した。
寧ろ、自分が治療している間、彼にも迷惑と心配を掛けている。これはお相子だ。
「僕が君の部屋にいるなんて不思議な光景だよ」
五重結界を張って以降、許された妖か此処には入れない。
不倶戴天の敵である妖祓なら尚更、足を踏み入れることのできない一室。それを可能にしたのは結界を張っている青葉、ギンコ、そして比良利の許可が下ったからである。
本来なら別室に移動するところだが、相手は怪我人。
しかも“瘴気事件”の隠れた英雄なのだ。いくら妖祓といえど、頭領にも情けがある。比良利は彼を部屋に上げることを許してくれた。
狭い部屋に日月の者達が揃っていることに気付いた朔夜は、挨拶をするために身を起こそうとする。
しかし、左腕が痛んだのだろう。
彼は枕に再び頭を預けてしまった。
「朔夜、無理すんな。お前の左腕は折れている可能性があるんだ」
手当てする際、彼の左腕は不自然に曲っていた。
遠回しに可能性があると気遣うものの、本人は折れていることを確信している。左腕を見やり、暫くは使い物にならないか、と舌打ちを鳴らしていた。
そんな朔夜に何が遭ったのだと問う。妖祓として名高い彼が骨折するほどの負傷をしたのだ。心配しないわけがない。
なにより、朔夜は黒百合を持っていた。翔は勿論、比良利達も事情を聴きたがっている。
そのために部屋を上げたことも、理由として挙げられるだろう。
察しの良い親友は、包み隠さず語るつもりのようだ。翔と並んで座っている比良利に目を向け、「質問があるんだ」彼に話を振る。
「話す前にひとつ。骨傘の弥助という妖を知っているかい?」
さっき言っていた名だ。
比良利の顔色が険しくなる。脈ありの反応だ。
「そやつは、やたら派手な着物を好む奇特な男か?」
「僕と赤狐の思う人物像は一致したようだね。そう、花魁が着るような派手な着物を纏った変態さ。僕はその妖にやられた。口封じのために殺そうと思ったんだろうね」
口封じ、物騒な単語である。
朔夜は此処を訪れようとした理由を述べる。
雪童子から翔の容態を聴いた彼は、親友が療養中、必死に掻き集めていた有力な情報を見舞い品にアパートに向かった。
朔夜は親友の仇を討つために収集していた情報の中に、翔の身に関わるとんでもない情報を得たという。
「ショウが危篤と知って、米粒でもいいから情報を得たいと思った。二種族の関係に亀裂を入れようとしている輩が、どうしても許せなくてね。“玉葛の社”にも赴いたし、その里も見て回った。そして滝野澤 茂がニュースになる前、住んでいた屋敷に、もう一度忍び込んだんだ」
生活感こそ残っているものの、もぬけの殻となっている屋敷に侵入することは簡単だったそうだ。
滝野澤茂を捕まえるために、祖父達と屋敷に侵入した経験が活きたことも成功の要因だろうと朔夜。
既に祖父達があらかた部屋を調べていたのだが、己の目で何か手掛かりはないかと血眼になって探した。
そして見つける、屋敷の隠し部屋を。
屋根の裏に部屋を設けていたらしく、押入れを漁っていた時に偶然、梯子と通路を見つけたそうだ。
「上った先の部屋には小さな短脚台と燭台、呪符に薬草に法具。香炉や薫物。霊媒師が禁ずる術の研究書。専門の人間が目については不味いものが隠されていた。ショウ、これを」
右の手でジーパンの後ろポケットに手を突っ込んだ朔夜は、くしゃくしゃに折れ曲がった半紙を翔に渡す。
中を開いてみると、達筆な草書が顔を出した。見たところ手紙のようだが、生憎崩れた字を読む力はない。
翔は比良利に半紙を渡し、音読してもらう。
「“今より百ほど前、物の怪を統べる狐弐頭ありけり。北は紅き狐、南は白き狐、四つの尾を持つ化け狐等を神主と名乗る。されど黒百合、即ち新たに統べる者。宝珠統べる者にあらず。我等の御魂を神器とすべく、白きの狐討つも、紅き狐の妨げにより泡沫無念に散る”」
これは百年前の比良利と先代のことだ。
簡易的に当時の出来事が綴られている。読み手の顔も険しくなってきた。
「“天命まっとうすべく黒百合再び咲き誇る。統べるは我等なり。統べるは黒百合なり。統べるは選ばれし御魂なり。如いては宝珠討つ神器必要とする。
其れ生み出すべく、常世より御魂呼び戻す。かつて南地支配する鬼才の白き狐を。それを留める器を得る、新たな宝珠受け継ぎし白き狐を。神器は双方を器とし、産み落とされるであろう”……くだらぬ文よ」
力任せに潰された半紙が見るも無残な姿となった。
剣呑とした比良利の面持ちに動ずる場面だが、翔自身も混乱のあまり言葉を失ってしまう。平常心を戻すために、膝に乗るギンコの頭をわしゃわしゃ撫で、自分なりに整理する。
要約すると、先代の御魂を呼び戻し、己の体を器にして宝珠の御魂に近い存在の神器を作る、といったところだろうか。
ならば来斬が己を“依り代”にしたい御魂は――第九代目南の神主、天城惣七。