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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ参】葛の葉のうらの百年
133/158

<九>少年神主、人の知識を与える(壱)




 喧騒する人の街、雑踏の多い白昼の大通りを高層ビルの屋上から眺める四尾の妖狐、黒狐の来斬は寄越された一報に笑みを浮かべていた。

 人間達のつまらない行き交いを眺め、報告をしに訪れた式神をびりびりと破りながら、面白い報告に心満たされていた。

 笑いが止まらない。なんて小僧だ。先程から漏れる言葉はそれ等ばかり。腹がよじれそうである。


「あの餓鬼。宣言通り、散らせれても雑草のように生き延びやがった。大した餓鬼だぜ。ころっと死ぬと思っていたんだが、俺の刀傷と鉛玉に仕込んでいた毒の両方を乗り越えやがった」


 愉快な妖狐だ。

 齢十八の餓鬼だから、まあ、大して骨のない奴だと思っていたが、手合わせした時の不器用ながらも猪突な身のこなし。己を射殺しそうな眼。そして鬼才を超える悪運。

 宝珠の御魂が見定めた妖なだけあって、天城惣七の“依り代”は己を非常に楽しませてくれる。



「笑っている場合ですか。あんさんがさっさと南の十代目を持ち帰らないばかりに、北の四代目が動いてしまった。あたし達の計画は彼等と対峙することじゃありんせん」



 紙切れとなった式神を空に解き放ち、嫌味ったらしい溜息を零す男に振り向く。

 獣の骨傘を背に掛けた妖の名は、骨傘(ほねからかさ)弥助(やすけ)。黒百合の同志である。

 やたら派手を好むこの男は、わざわざ花魁の纏う着物に身を包んでいる。その昔は花魁の傘だったと聞くが、本当のところは来斬にも分かりかねる。


 赤々とした下地と散りばめられた金縁の花模様を、さも自慢げに見せつけてくる弥助にあしらい、何の用だと返す。

 不機嫌になる弥助は着物の袖を見つめ、綺麗なのに、とぼやいた。


「来斬の旦那、目的は分かっていますか? まったく、調子に乗るから赤狐が動いてしまった。一番気付かれたくない厄介な相手だから、隙を窺って接近しようとしていたらこの様。どうしてくれるんです? 察しの良い彼は、先手に鬼門の祠とその領域に結界を張ってしまった」


「百年前の教訓を活かした形だな。あいつは、俺達が人間と手を組んでいることも、祠に収められている五方の勾玉を狙っていることも見透かしてやがる」


「あれがないと“瘴気”を操ることもできません。赤狐は強力な結界、並びに罠を仕掛けてあります。其の地に足を踏み入れると、祟られるよう彼は神使達の力を使った。神の使いの力は我々では、どうすることもできませんよ」


「しかも餓鬼は生きた。比良利は十代目が狙われていることを知り、守備に尽力をするだろうな。はは、面白くなってきやがった。目的っつーのは簡単に達成しちゃ面白くねぇもんだ。それに」


 来斬は出掛かった言葉をゆっくりと嚥下する。

 比良利という妖狐は、同胞の危機や死を見れば見るほど成長する男。絶対的強さを求める来斬にとって、彼の成長の限界を見てみたいと思う剣呑とした気持ちがある。

 それを弥助にいえば、非難囂々は目に見えているので口にはしないが、どうしても来斬は見てみたい。常に鬼才と比べられていた妖狐の、底知れぬ強さを。

 あれを怒らすことは簡単だ。また十代目を狙えば良いのだから。


 来斬は眼帯をしている左目を障り、くつりと喉を鳴らして口端を舐めた。



 ※ ※



「比良利さま。烏天狗の名張天五郎にございます」


 社が開かれる今宵、赤狐は一息と口実し、憩殿の大間に身を置いていた。

 待ち人となっていた比良利は障子の向こうの呼び声に過剰な反応を見せ、「入るが良い」返事待ちの相手に許可を下ろす。


 障子を開け、深い一礼をしてきたのは烏天狗の名張天五郎。謂わずも、天馬の父であり、名張家の当主の肩書を持つ妖だ。


 彼は息子伝いに事情を知っており、その身を神に仕える我等に捧げると名乗り出てくれた。


 その心遣いに来斬が起こした過去の煮え湯の熱さを思い出すものの、天五郎は天馬の父。裏切る妖ではないと信じているため、比良利は彼に仕事を任せた。

 どちらにせよ、人手は欲しかったところなのだ。


 正装に身を包めている天五郎は部屋に入るや、早速比良利に報告する。


「鬼門の祠に歩み寄る輩は人間のみ。霊媒師ではないものの、祠の場所を確定しようとする節が見受けられます。神使さまの祟りにより、聖域に足を踏み入れても祠には辿りつけなかったようですが」


「やはりのう。霊媒師め。能力のない人間を使用してきたか」


 名張天五郎に偵察を頼んで正解だったと比良利は唸り、人間の忌々しい動きに舌を鳴らす。

 比良利は祠の地に祟りと術と結界の三つを張った。無作法に祠へ入れば祟りが起き、祠の周辺を漂えば幻術が見え、其の地には全体結界を張った。


 それに気付いた霊媒師は能力のない人間を向かわせることで、結界を潜らせ、中の様子を調べさせたのだ。

 己の張った結界は霊気、妖気を弾きだすもの。ゆえに霊媒師や妖は簡単に侵入が出来ない。その対策として霊媒師が普通の人間を向かわせたのだ。


 百年前、人間側の霊媒師は鬼門の祠に執着を見せていた。

 念には念をと思った対策は功を奏したようだ。比良利は強欲な人間に怒りを噛みしめる。


「百年前、人間は鬼門の祠の五方の勾玉と、我等が持つ宝珠の御魂を目的に。黒百合と名乗る妖は宝珠の御魂の消滅と、己らの手による南北統一。そして理想の御魂を創る。この三つを目的に動いておった」


「どちらも不穏な動きですが、気掛かりなのは理想の御魂というお言葉。その意味は」


「文字通り、黒百合は理想とする御魂を創ろうとした。奴等は常世に昇った御魂を無差別に妖の魂を呼び戻し、己らに取り入れて新たな力と御魂を生もうとしたのじゃよ。それが統一の道と信じてやまない輩じゃった」


 思い出しても虫唾が湧く。

 永遠の眠りに就く他者の御魂を、勝手に目覚めさせ、それを己の中に取り入れる。蓄積された御魂達はやがて一つとなり、神の化身として産声を上げるのだと陶酔していた。

 霊媒師は神秘の力を手に入れたい一心で黒百合と手を組み、妖は南北を統べる邪魔な宝珠の御魂を人間に渡すことで存在を消そうとした。

 強欲は強欲を呼び、ついに悲劇が生まれてしまった。神隠しに遭った同胞や、九代目南の神主は哀れな犠牲者達なのだ。


「天五郎よ。引き続き、鬼門の祠の守護を任せて良いじゃろうか。我等は必ずや黒百合を討つ」


 来斬と手を組んでいるであろう霊媒師は、妖祓達が洗ってくれている筈。

 自分達は黒百合に所属する妖側を炙り出さなければ。警戒心を抱くべき妖は来斬だけではない。

 天五郎は手を添え、その場で深く頭を下げた。


「お任せ下さいませ。このような役目に就けたことは、天五郎一生の誇りにございます。名張の力を信じて下さり、感謝の言葉もございません」


 続け様、顔を上げた彼は不安げに比良利を見つめる。


「息子を十代目のお傍に置いて下さっていますが、天馬は務めを果たせているでしょうか? あれは気遣い下手な奴でして」


「天馬は我等のために、進んで働いてくれておる。あれほどの働き者は見たことない。翔も感謝しておった。己の師として、友として、自分を支えてくれる天馬に感謝しておったぞよ。良き息子を持ったのう。天五郎」


 誇らしげに笑声を漏らす天五郎が再び一礼をした。

 過去を清算するために、周囲の非難にも目を瞑り、宝珠の御魂を持つ自分達に尽くしている名張家には大きな好感を得ている。彼等の先祖が犯した罪も、いずれ風化していくだろうと比良利は確信していた。


 ふと、外から民の大きな歓声が湧き立つ。何事だろうか、比良利は天五郎と憩殿を出る。


「なっ」


 参道で見た光景に比良利は口元を引き攣らせ、天五郎は絶句。

 そこには絶対安静を言い渡された筈の十代目の姿があった。

 ようやく立つ練習をし始めた重傷人だが、まだ安静なのには変わらない。歩けるようになるまでは動かず、寝床にいろと命じた筈。


 なのに浄衣を纏い、妙な背凭れのついた床几(しょうぎ)に乗って楽しそうに民達と交流している。

 それは車いすと言われるものらしく、十代目はわざわざ錦雪之介の父親に頼んで用意してもらったらしい。どうしても社に顔を出したい少年神主は悪知恵を働かせ、「俺が動かないまま移動すればいいんだ」と至らん考えを思いついたらしい。

 車いすを押しているのは、物言いたげな名張天五郎の息子。隣には錦辰之助の息子が苦笑いを零しつつ、十代目の傍に立っている。


「翔……お主という奴は。夏風邪を拗らせておるのじゃから、安静にしてろと一聴から言われておろう」


 額に手を当てると、言いつけは守っていると翔は反論した。


「俺は安静にしているよ。自分の足で立っているわけでも、歩いているわけでもないからね。あんまり顔を出さなかったら、みんなに忘れられてしまいそうだしさ」


 悪びれた様子もなく少年神主は、声を掛けてくる民達に笑みを返し、見舞い品の礼や、休んでいる詫びを口にしていた。

 すると優しい民達は顔を出してくれて嬉しいと返事をし、歩けないほど風邪が酷いのかと憂慮を向けた。ちょっと拗らせただけだと平然と笑うものだから、比良利も笑うしかない。相変わらずのやんちゃぶりである。



 ところかわって、翔はご満悦だった。

 今日も今日とてベッドでおとなしくするよう命じられ、いい加減布団と同化しそうだと嘆いていた翔は、とにかく部屋から出してもらおうと立つリハビリをしながら世話と見張り役を買って出ている天馬に何度も直談判。


 駄目の一言で惨敗連敗だったがしつこいと定評のある翔は、諦め悪く何か手はないかと思案し、ついに己が“安静にしたまま移動”する手はないかと考えに達する。

 そこに偶然、見舞いに来てくれた雪之介の出現によって考えは現実となった。

 自分よりも賢く知恵も回る雪童子に旨を相談すると、彼は自分の容態を何度も確認し、長時間座ることは可能なのかと質問を飛ばした。


 首を縦に振ったところで、彼は駄目元で親に掛け合ってみると電話をし、翔の要望である“安静にしたまま移動”を叶える。


 それがこの車いすだった。


 金持ち探偵の両親を持つ雪之介は考えたのだ。親を伝手にすれば探偵の広い人脈により、車いすの一つや二つ、借りることが可能だろうと。

 案の定、雪之介の両親は社会福祉法人に知人を持っており、息子の頼みで手配してもらうことが叶った。


 これならば安静にしろという約束も守れるだろう。嗚呼、ようやく外に出掛けられる!

 大喜びで雪之介に礼を告げると、彼は条件を出してきた。


「これに乗っている間は一人で移動することは禁止だよ。僕や天馬くん、青葉さんに押してもらうこと。腹を縫った上に、毒で死にかけたんだから、これくらいの条件は守ってよね」


「錦、翔を一人で出すわけないだろう。単独行動など自分が許さない」


 なにはともあれ、翔は自分の執拗な性格と雪之介の知恵を持って外に出ることができた。

 幾日も社を留守にしているので、民達の心配を払拭させたいと思っていたのだ。


 “日輪の社”に顔を出せば、皆から喜びと憂慮の声を掛けられた。

 民には夏バテと夏風邪を拗らせて寝込んでしまったと言っているため、妖からは栄養価の高いものは食べているか、もう寝ていなくて大丈夫か、と様々な優しさを向けられた。

 厚意でハチノコの酢漬けを差し出された時は、頭を下げて遠慮させてもらったものの、神主として妖達と交流する時間は本当に楽しい。顔の筋肉が緩みっぱなしだ。


「翔。調子に乗っていると、ベッドに戻しますよ」


 浮かした腰を沈ませるため、天馬が己の体を背凭れに引き寄せた。

 いつの間にか前のめりになっていたようだ。揺れる三尾をそのままに、翔はいいじゃないかと頭の後ろで腕を組む。これでも自分なりにおとなしくしていた方だ。食事制限も解かれたし、そろそろ好きにさせてくれたっていいじゃないか。

 ぶう垂れると、「翔くんはヒッキーになれそうにないね」元気そうで何よりだと雪之介が肩を竦める。


「連絡を受けた時は胆が冷えたよ。まったく、君はいつも僕等に心配を掛ける。誠意を持って償ってほしいね」


「錦の言う通りですよ。我々の寿命をどれほど縮めるおつもりですか」


「今回の件は俺のせいじゃないって。本人がいっちゃん寿命が縮むと思ったんだからな。暫く薬湯はごめんだね」


 顔を顰めていると、「十代目。お会いできて光栄です」前方にいた妖の民が片膝を折り、目線を合わせてくる。体の調子を尋ねてくる妖は烏天狗、名張天馬の父だった。


 厳格な当主と天馬から聞いていたのだが、朗らかな笑みが印象的な妖である。

 父の出現に天馬は驚いている様子だったが、天五郎は気にせず、翔と視線を合わせ両手を取ると小声で無事でよかったと綻ぶ。

 すべての事情を相手は知っているのだ。


「翔さま、名張天五郎と申します。息子をお傍に置いて下さり、本当に光栄です」


 恭しく頭を下げられてしまう。

 相手は年上、翔の方が気を遣ってしまった。


「天五郎殿。面を上げて下さい。私こそ、いつも天馬にはお世話になっています。彼の指導のおかげで、私は命を救われました。彼には感謝してもしきれません」


 すると誇らしげに口角を緩め、天五郎は天馬にこれからもお守りしろ、とねぎらいの言葉を送る。勿論だと頷く彼に父親は続ける。


「その身が土に還るまで、師として、一妖として翔さまにお仕えするのだぞ。名張家の次代当主として」


「はい。覚悟はとうにできております。自分は、生涯十代目に仕えていくつもりです。命にかえてもお守りしますゆえ、ご安心を」


 壮大な話になっているが、翔としては良き友人としてこれからも接していくつもりである。

 師としても、天馬には仕えてもらうのではなく、指導してもらいたいだけのこと。なのにこの親子は生涯だの、土に還るまでだの、とんでもないことを言い出す。


 「あの」しどろもどろになる翔を余所に、親子は会話を続ける。


「なら日々精進しておけ。十代目の敵はお前の敵。腕がなければ守れん。役に立たないと言われないよう、その胆に銘じておけ」


 さすがは天馬の父、天馬同様大袈裟なことを言ってくれる。


 改めて自分に深く一礼し、天五郎は立ち去る。

 古風なお父さんだね、と能天気に笑う雪之介だが、翔としてはまったく笑えない。いつの間にか優秀な家臣を頂戴した気分である。

 当たり障りなく天馬に仕えるなど思わなくて良いと告げ、これからも良き友人として自分に接して欲しいと思いを伝えれば、彼は自分の決めた道だからと眦を和らげた。


 ちっとも話が噛み合わない。

 そのうち、十代目が何よりも大切だとか、そんなことを言い出しそうで怖い。根っからの大和魂を持つ彼ならあり得そうだ。



「ああ、十代目じゃないですか! 御労しいお姿で!」



 深い溜息をついていると、水売りと話していた妖が目を輝かせながら駆け寄って来た。連雀を背負っている彼は二尾の妖狸、ムジナの太吉。別名二枚舌の太吉と呼ばれた似非商売人である。

 性懲りもなく社を訪れていたようで、噂は耳にしたと大袈裟に哀れんで涙ぐんだ。


「重い夏風邪を患ってしまったのでしょう? この太吉、十代目のために万能薬と呼ばれた薬草を仕入れて参りました。これは高価な代物ですが、十代目には安価でお売りしますよ」


 葛籠を地面に置き、これが万能薬だと翔に差し出して来る。

 何処からどう見ても、ついでに臭いをかいでも、それは万能ねぎにしか思えないのだが、太吉は(いにしえ)より言い伝えられている万能薬草だと胡散臭い笑顔を見せた。

 これで翔から金を巻き上げられると思っているのだろう。

 呆れを通り越して苦笑いを零してしまう。この妖狸は狡賢いのだか、阿呆なのだか。どちらにしろ商売人としては、まだまだ未熟な妖である。


「たーきーち」


 地を這うような低い声により、飛び上がった太吉が縋ってくる。

 向こうには青筋を立たせ、仁王立ちをしている比良利と一笑を零すお供の紀緒ふたり。

 はてはて、どうして両者は鬼面になっているのだと太吉が言うものだから、彼等の怒りが上昇する。

 この狸、もう“玉葛の社”でやらかしたことを忘れているようだ。


「あっしは十代目を思い、この強力な万能薬を持ってきただけだというのに、何をお怒りなんです?」


「お主という妖は……勝手に見合いの話を作り上げよって。今度という今度は見逃さぬぞ。紀緒の鉄槌を味わうが良い」


「わたくしは容赦しませんのでご安心を」


 比良利の隣で構えている紀緒の極上の笑顔が、なんとも恐怖である。


「そ、そんな! あっしは何も悪いことなんかしてやせんよ! ちょ、ちょっと商売話を持ちかけただけであって……そうだ。“玉葛の社”で頂いたお酒を分けてあげましょう!」


 彼女の笑みに深みが増し、太吉は悲鳴ならぬ悲鳴を嚥下している。


「なら里で仕入れた代物を差し上げます」


 これは里で仕入れた面白い物なのだと、編みこまれた大きめの藁人形を翔達の前に差し出す。

 曰く、この人形を持っているだけで所有者の居所が分かる優れものだそうな。

 ある人間が使用しているところを目にした太吉は、こっそりとそれを頂戴し、自分の物にしたという。


「あの人間は霊媒師だったようで、この人形を“依り代”にして動かしていたんですよ。厚い箱を見ながら人形の場所を把握していたんです。いや、本当ですよ! あっしはちゃんと見たんですから。

 しかし、あの箱がないと把握できないのか、あっしには使えなくって。宝珠に選ばれた皆様なら使えるかと思いやす!」


 やっていることは立派な窃盗だが、思わぬ情報を手に入れた翔は太吉から藁人形を受け取る。


「太吉。本当に譲ってくれますか?」


 これを譲ってくれる代わりに虚言は不問にすると約束した。

 喜んで譲ると頷く太吉自身も、藁人形の用途が分からず置き場に困っていたようだ。


「もう虚言はつかないように」


 釘を刺すと、天馬に憩殿へ向かってくれるよう頼む。

 後のことは比良利が上手く太吉から聞き出してくれるだろう。此方は藁人形を調べたい。


 文殿まで運んでもらうと、翔は床に半紙を敷き、その上に藁人形を置く。

 まず人形が“依り代”でなくなっていることを確認する。次に藁人形全体を触り、目新しいものがないかどうかを調べた。


 胴の部分に違和感を覚え、雪之介に尖った氷柱の刃先でそこを裂いてもらった。中から出てきたのは小型発信器。

 どう見ても人の世界の機械だ。


「GPS発信機。お父さんがよく使っているやつだ」


 相手に持たせることで場所を特定できる機器。

 雪之介の両親は浮気調査を依頼される時、探偵が使用するという。そうでなくとも今の時代、携帯に内蔵されていることが多い、当たり前の衛星測位システムだ。

 これを藁人形に入れることで、正確な現在位置を測定をしていたのだろう。

 そして、この藁人形を使っていた人間は“玉葛の社”の神鏡を盗んだ霊能力者と睨んでいい。


「つまるところ、“依り代”を遠距離で操作していたということでしょうか。上手い使い方ですね。機械は霊気や妖気を測定することは不可能ですが、こういう使用法なら術との掛け合わせも可能です」


 敵ながら感心すると天馬。同感である。


「機械か。これが出てくるとなれば、やばいな。来斬がいるであろう黒百合と霊媒師は繋がっている。妖術や霊術も厄介だけど、それに科学文明が入ってきたら面倒だぞ。どっちにも対応しなきゃなんねぇ」


「時代に合せて妖や人間が賢くなっていくように、術も時代に合わせて変化していくものだからね。僕の両親だって妖だけど、人間の生み出した科学の数々にはお世話になっているし、それを仕事で役立てている。GPS発信機も、その一つだ」


 つくづく文明とは厄介なものである。

 翔は太古からあるであろう妖術や霊術と、まだまだ新しい科学が合わさるなど、妙な感じだと思った。

 違和感だらけだと感じるのは、双方の分野が正反対だからだろう。


「変な気分。霊媒師が術に機械を使うとか」


「言ったでしょう? 術も時代に合せて変化するって。術に限ったことじゃない。妖の世界だってそう。古臭い世界に思えるけど、少しずつ変化している。生活や妖そのものが合わせて変化しているじゃないか」


 確かにそうである。

 人の世界から生まれる付喪神が、その代表と言ってもいい。


「仮に妖術が使えない状態に陥っても、これならば電波妨害がない限り使えます。妖気が電波妨害になることもございましょうが……」


「今、この時点でGPS発信機は起動しているのかな」


 だとしたら、手を組んでいるであろう人間達に何かしら情報を与えかねない。

 眉を寄せて意見すると、二人は揃って大丈夫だろうと返事した。


 この妖の世界は人の世界で使用している電波は使えない。携帯も使えない聖域なのだ。起動していたとしても通信は途絶え、鉄屑以下の価値になるだろうとのこと。

 太吉が言っていた厚い箱とは多分、パソコンのことだ。人間はパソコンと発信機と“依り代”を駆使し、行動を起こしていたと推測できる。


「しかし、なんでわざわざGPS発信機を付けたんだ。“依り代”の把握は宿った霊気を辿れば、ある程度は把握できるものなんじゃないのか」


「“ある程度”は把握できます。ある程度は。ですが、発信機ほど正確な位置は測定できかねます。例えば、“依り代”が数多に存在した場合、それらをすべて把握できますでしょうか?」


「多くの“依り代”を操っていたとするのなら、まず不可能だね。こういった機器に頼らないと、とてもじゃないけど総てを把握することは難しい。それにこの機器があれば、霊能力者でなくとも位置の測定はできる。今の時代、スマホで見張ることも可能だ。便利な世の中だよね」


 疑問が疑問を生む。

 GPS発信機を“依り代”に埋め込み、位置の測定をしていた人間。“玉葛の社”で神鏡を盗んだであろうその人物は“依り代”を従えて何をしようとしているのか。

 自分自身も“依り代”として狙われている身だ。何かしらの御魂を宿そうとしているのは確かだが、強力な魂を宿して己らの手中に収めたいのだろうか。頭がこんがらがってきた。


「一つ確かに言えるのは此方にとって、これは分が悪いということです。翔」


「うん。僕もそう思う。この手に関しては比良利さん達の専門外だ。人の世界に住んでいる翔くんだって、こういった機械に触ることは少ないだろうし。霊媒師が科学を駆使すると、本当に厄介だね」


「けど、すべてに置いて分が悪いとも言いきれない。同じ霊媒師である妖祓も人間であり、科学文明に慣れた生き物。対峙しているとはいえ、二世界を乱す輩を放っておくほど能天気な連中じゃない」


 比良利とも話し合っているのだが、此度の事件は二種族が絡み合って起こっているもの。自分達は妖に詳しく、その手腕も把握している。

 一方で霊媒師については何も知らない。既に雪之介から聞いているが、妖祓は問題を起こしている霊媒師を徐々に炙り出しているようだ。


 ならば人間の罪人は人間に任せておくのが一番だろう。此方は妖の罪人を裁くべきだ。



「とはいえ、人間が妖に入れ知恵している可能性も否定できない。些少なりとも、このGPS発信機のことは知ってもらっておかないと」


「ただ一度に理解できるかな。彼等はアルファベットを聞いただけで目が点になるから……」



 雪之介の憂慮は的中する。

 案の定、社を閉め憩殿に訪れた比良利達に説明するも、彼等の頭上には多大な疑問符が浮かぶ。


 何を言っているのかちんぷんかんぷんなのだろう。

 GPS発信機がどのように厄介で、人間にどのような利点があるのか、理屈は分かれど理解が追いついていない。


「はて、そのじぃぴぃえすを使われると、どうなるのじゃ?」


「だから、それを付けていれば、いっぺんに操る“依り代”の場所を特定できるんだって」


「それはどのような術ぞよ?」


「術……じゃなくて、機械が場所を特定してくれるんだ。霊媒師は“依り代”を動かすことだけに術を専念させることができる」


「それは如何なるようにして?」


「え、衛星からの電波で……かな?」


「でんぱ?」


「えっと。機械から出る……気かな?」


「では、えいせいとは?」


「…………あれだよあれ。機械の星!」


「翔。何を申しておるのか、わしには理解できかねぬ」


 皆、中身はおじいちゃんおばあちゃん。

 しかも狐から妖狐になった者が多いため、説明に首を傾げてしまっている。懸命に理解はしようとしているのだが、いまいち釈然としない態度だ。

 翔自身、此方の世界で同じような経験をしているので彼等の気持ちはよく分かる。


 そこで実体験をしてもらおうと表社に出る。

 天馬と雪之介のスマートフォンを貸してもらい、互いにGPS機能をONにする。そして烏天狗に街の空を自由に飛んでもらうと、自分達は雪童子のスマートフォンで測定を始める。


「ほら、この赤い点が天馬。今、天馬は俺のアパートに向かって飛行している。この速度なら、十分も掛からない。推測五分といったところかな。こんな風にGPSは端末所持者の居場所を測定できる。移動していれば、向かう方角も分かる。そして何分くらいで着くのか、予測も立てられる」


 GPSを敵に仕込めば曖昧な予測ではなく、正確な予測を立て、有利な陣形を築ける。数多の“依り代”の体に仕込めば、これ一つで複数の命令が可能となる。

 これを使用している人間達と妖が手を組めば、役割分担をすることによって敵を追い込むことも、敵の動きを掴むこともできるだろう。

 アパートに着いた天馬が戻って来るようだ。ディスプレイに映る赤い点が折り返し、真っ直ぐ此方に向かっている。


 興味津々にスマホを見つめていた紀緒が、なるほど、と一つ相槌を打つ。


「今のように動きを読んでいれば、我々は天馬を迎え撃つことができますね。正確な時間を把握できれば、先手を打つことも可能です。普通の人間は我々が見えないでしょうが、これを使用すれば動きが手に取るように分かりますし」


「こんにちの人間はまことに不思議なカラクリを生むのう。じゃが、これを動かしている、その電波とやらのおおもとを討てば話は早かろう」


 比良利の意見はご尤もだが、物理に不可能である。

 翔と雪之介は天を指さし、月の近くにおおもとがあると答える。

 呆けた顔を作る比良利達は、人間は空の向こうに行ったのかと疑問を投げた。信じられないと口を揃える妖達に翔は溜息をつく。


 やはり知識が偏っている。人間が月面着陸をしたのはもう何十年前の話だ。

 この百年間は南の神主がいなかったせいか、彼等は南北の統治と瘴気に追われ、変わりゆく人の世界の文明についていけていない。

 妖の世界にいる妖はそれで良いだろうが、人の世界にいる妖は統べる頭領が無知では不服に思うだろう。


 翔が妖の世界の常識や文化を学んでいくのなら、彼等にも同じことをしてもらいたい。人の世界で問題があった場合、対処もできないだろうし、このままでは時代遅れ神主など頼りにならないと言われかねない。

 古から伝わる伝統も大切だが、新たな知識を得ることもまた学びだ。


 天馬が戻って来る。

 彼にご苦労さんとねぎらいの言葉を掛けてやり、持っていたスマートフォンを雪之介に返す。


「以上が、俺の伝えたいこと。比良利さん達にはこの事を知ってもらいたかった。“玉葛の神鏡”のように、意表を突かれたら……今度こそ俺達の誰かが命を落としかねない。俺みたいに毒で苦しんで欲しくないしね」


 死の淵に立たされた時の苦しみは壮絶だった。大好きな皆に味わって欲しくない。

 すると思案に耽っていた比良利は意表という言葉を反芻し、「それを逆手に使えぬものじゃろうか」機能を理解した上で、このような発言をする。

 さすがは己の憧れる妖狐。学んだ知識は早速活かそうとする。


「ぼんよ、おおもとを絶つ以外、それは阻止できぬものなのか?」


「GPSを狂わせるのが、電波遮断機。文字通り、人工衛星の電波を断って使用できなくさせてしまうんだ。感じる妖気を断たせる機械があると思ってくれたらいいよ。それ以外にも、俺達の強い妖気によって電波がかき乱されることがあるらしい。宝珠の加護を受けている俺達は該当するんだって」


「ふむ、つまり我等には使用ができぬと?」


「それは試してみないと何とも言えないかな。特に俺と比良利さんは宝珠の御魂を持っているから、力を解き放った瞬間、機械が壊れそう。比良利さんは俺達に持たせたいの?」


「陣形を楽に取れそうじゃと思ってのう。来斬は相手の動きを読んで策を立てるのが非常に上手い。あやつを討つには、先の先まで読まねばならぬ」


 皆が何処にいるのか、正確に把握できるのなら、それに縋ろうと思っていたと比良利。陣形が整えば一人がオトリとなって誘い込み、皆で討つこともできる。


 それだけではない。皆の移動の動きが読めるということは、先回りも可能だ。



「ぼんは我等に携帯とやらを持たせようとしておろう? それで伝達し合い、皆の位置を把握しながら迅速に輩を囲めると思ったのじゃが。敵に仕込めば、根城も容易に把握できる。敢えて泳がすことも可能。我等が不可解な行動を起こし、敵をかく乱させて精神的に追い詰めることもできよう。我等はその動きを高いところから見物もできるというわけじゃ。

 ほほう、じぃぴぃえすとやらの利用価値は無限に広がるのう! 楽しゅうなってきたわい」



 活き活きする比良利の顔に悪意がまみれているのは気のせいだろうか。


「……比良利さんが敵じゃなくて良かったと思ったよ。まじで」


 少しばかり人の世界の知識を赤狐に与えて良いのか迷ってしまう翔だった。



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