表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ参】葛の葉のうらの百年
130/158

<六>只今、療養中であらせられます



 ※ ※



「一聴。お有紀。天馬。此度の一件、真に感謝をする。我が対、三尾の妖狐、白狐の南条翔の一命を取り留めることができたのはお主等の働きのおかげよ」


 “日輪の社”憩殿の大間は静まり返っていた。

 大層広い畳部屋には、上座に比良利、下座に治療に携わった者三人。

 二十は軽く入れる部屋にこれだけの人数しかいなのだから、大間が寒々とした空気だと感じても仕方がないだろう。


 脇息に凭れ、施術から治療まで一貫を担当してくれた総責任者の付喪神に、その助手に、護影に、比良利は真摯な気持ちで礼を告げる。


 幾日に渡る治療。

 不眠不休も同然の過酷な環境で、三人の妖はとても働いてくれた。彼等の力があったからこそ、我が対はこの世に生きながらえていると言っても過言ではないだろう。

 三人を代表し、藍縞の着物を纏う医師が深く一礼する。


「いいえ比良利さま。翔さまの強い御意志があったからこそにございます。普通であれば、鬼火草の劇薬に音を上げてしまうものですが、あのお方は弱音を一切吐きませんでした。齢十八と思えぬ、お強い心の持ち主です」


 役目を果たせたことは光栄の至りだと神妙にいらえ、今後のことについて述べる。


「御体について二点ほど心配事がございます」


「それは命に係わることであろうか」


 眉根を寄せてしまう。あまり良い予感はしなかった。


「一点はまさしく御命に係わることにございます。翔さまは鬼火草により、“人災風魔”の毒を乗り切ることができました。しかしながら、再びその局面に遭えば、次は鬼火草の効力が通るか計りかねます」


 生体とは不思議なもので、強い薬を投与すればするほど慣れてしまうもの。

 甘味の強い饅頭を食べ続けると、その甘さの良さが分からなくなってしまうように、薬も効力が通らなくなってしまう。所謂、抗体が付くわけだ。

 此度の治療でかなりの量の鬼火草を投与した。それは生涯、妖が経験することのない量。本人の体は慣れてしまったことだろう。

 つまり、“人災風魔”の毒に侵されると次がないのだ。一聴は懸念の表情を浮かべる。


「また、翔さまの御体は“人災風魔”の毒に対する免疫反応が過剰に起こる傾向にございます。鬼火草治療の副産物でございましょう。少量の毒でも御体に取り入れるものならば、毒を排除しようと過剰な免疫を生みだします」


 ただし、十代目は“人災風魔”の毒に対する抗体も付いた。

 よって過剰反応を起こしはするものの、少々の毒で倒れることはない。


「左様か。翔の体はそこまで」


 哀れみを抱く比良利に、一聴も遣り切れない面持ちを作る。


「なにぶん、鬼火草を三束も使用しました。見た目以上に翔さまの御体はボロボロにございましょう。二度と鬼火草を使用することはできない御体と思って頂いても宜しいかと。どうぞ御心に留めておいて下さいませ」


「承知した。本人にも気を付けておくよう釘を刺すが、わしも気を配っておこう。して、二点目についてじゃが」


「御体の回復について申し上げたいのです。先程も申した通り、翔さまの御体は酷く衰弱しております。毒を乗り越えたとはいえ、重傷を負った身。そこに鬼火草を投与し、体を酷使しています。元通りに動けるようになるには時間を要するかと」


 利き肩を撃たれ、左腹部をはじめとする総身に刃傷を負った上に、毒と劇薬と高熱。一週間、二週間で完治できるものではないと一聴。それができるのは化け物だけと声をとがらせた。

 既に妖は化け物の類いなのだろうが、物のたとえとして聞き流すことにする。


「翔は元通りの体を取り戻すことはできるのかのう」


「はい。少しずつ体を動かしていけば、元の水準にまで戻りましょう」


 胸を撫で下ろす。

 これで生涯、床に就く生活を強いられようものなら、比良利はただ来斬を奈落に突き落とすだけでは気が済まなかった。

 前言撤回。どちらにせよ、己の対の命と身を狙った黒狐には何らかの応酬をしてやるつもりである。このまま済ませてしまえば、神主の名が泣く。


「引き続き。翔さまが完治されるまで、この一聴に御体のことはお任せ下さいませ。比良利さま」


「頼むぞよ一聴。これより今暫し、翔の身は離れに移す。住み慣れた家で療養させた方があやつも肩の力が抜けようぞ」


 比良利の指す離れとは、“人の世界”に置く翔の部屋を意味している。

 事前に場所と結界を潜る許可を下ろしておくと、旨を伝えれば、宜しいのかと一聴が驚いた眼で此方を見つめる。


 黒狐のことは極僅かな妖のみ知られている。

 その一人である一聴は、大切な対を“人の世界”なんぞに置いても良いのかと思ったようだ。常人の妖ならば、此の社に置くことこそ安全と考える。以前の比良利なら、そう考えていただろう。


 だが比良利は翔の気持ちを優先させる。一刻も早く回復して欲しいからこそ、向こうの世界に戻すのだ。


「真の意味で安全な地など存在せぬ。此の地に留まらせておけば、あやつは民を気に掛け、休むことを失念してしまうであろう。向こうにも結界を張っておる。何かあれば、すぐわしも駆けつける。何もなくとも、あやつの顔を見に行こう。これで良いのじゃ。ちと過保護かもしれぬが」


 すると一聴が物可笑しそうに笑った。

 はて、笑われるようなことなど何も言っていないのだが。

 比良利が相手を見つめると、「兄者ですのう」言うこと成すことが兄のようであり、母のようであり、父のようだと肩を震わす。

 つい顔を顰めてしまう。兄者は受け入れよう。兄者は。しかし、残り二つは聞き捨てならない。


「あやつには優秀な“護影”もついておる。天馬よ、翔を任せても宜しいか」


「願ってもない申し出にございます」


 烏天狗が深く頭を下げる。

 そして、上体を起こした天馬が真っ直ぐに比良利を見つめた。


「三尾の妖狐、白狐の南条翔さまの御身は必ずや御守します。名張の名に懸けて。また黒狐の陰を掴み次第、貴方様に御報告いたします」


 本当に優秀な“護影”である。

 比良利の思っていたことを察してくれるのだから。


「頼んだぞよ」


 天馬に白狐の身を託したと同時に、けたたましい足音が近付いてくる。

 どどどどど、そのような音を鳴らして大間の障子を開けたのは月輪の社、七代目南の巫女である。

 おなごと思えない足音を踏み鳴らし、大層な顔を向けてくる彼女は開口一番、部屋にいた者達にこう尋ねる。


「比良利さま、翔殿を見掛けませんでしたか!」


 一同の開いた口が塞がらなくなる。

 曰く、二之間から忽然と姿を消したらしい。指一本動かせるような体ではないというのに、青葉が薬湯を作りに行った隙に部屋から姿を消したそうだ。


 番を任せた金銀狐も居なくなっているため、きっと二匹に頼んで部屋から抜け出したのだろう。

 奥歯を軋むほど噛み締める青葉は、まったく何処に行ったのだと憤怒。今なら彼女の怒りで湯が湧かせそうである。


「薬湯は濃くしてやりますからね翔殿。ああもう、心配ばかり掛けさせるお方なのですから。オツネやツネキは何をしているのだか!」


「青葉さま、探すお手伝い致しま……なっ?!」


 天馬が勢いよく腰を上げ、大間から飛び出した。

 何事か、皆が半開きとなった障子の向こうを見やる。そこには天から落ちている一匹の白き狐。あれこそ青葉の探していた狐である。



「か、翔殿――!」



 青葉が悲鳴を上げる中、空を飛行する天馬が狐の三尾を掴む。


 よって白狐は地面に叩きつけられずに済んだものの、とうの本人はクンクン、クオンと忙しく鳴き、尻尾を掴むなと声音を張っていた。

 尾を引っ張られて痛いのだろう。獣の尾はとても繊細なのだ。


 天馬が縁側に翔を下ろす。未だ上体を起こすことも儘ならない彼は、柱に背を預け、へにゃっと萎れている三尾を一瞥する。


「天馬。助けてくれるのは嬉しいけど、せめて腕を掴んでくれよ。尻尾は獣の「何をしているのですか翔殿!」あ……あぁ、青葉……いたんだな」


 ようやく自分の置かされている状況に気付いたらしく、翔は仁王立ちしている青葉の眼光の鋭さに千行の汗を流している。

 へらっと笑って誤魔化そうとするものなら、彼女の両手が翔の頬を抓んだ。


「部屋を抜け出して、何をしているのですか。貴方様というお方は」


「いひゃい、いひゃい、おふぉば。ひょっと、ふぇんじょに」


「厠に行くのに、空から落ちてくるとは何事でございましょうか! おおかた、オツネかツネキの背に乗って滑り落ちたのでしょう! 指一本動かせない御体なのに……天馬殿。翔殿を二之間に戻して下さいますか? 私はやんちゃする翔殿のために、濃い薬湯を作りなおさなければ」


 ぱっと頬から手を放した青葉がどんどんどん、太鼓を鳴らすような足音で去って行く。

 怒りの度合いを理解した翔が、「やべぇ」薬湯に殺されるかもしれないと生唾を呑んでいる。

 そんな翔を脇に抱え、天馬は当たり前のように二之間に向かう。


「イテテっ、天馬。持ち方を変えてくれよ。俺は腹を縫合しているんだぞ」


 烏天狗は能面のまま表情を変えない。

 いや、あれは、やや呆れが含んだ表情かもしれない。


「翔。今の状況を“自業自得”と言うのですよ。せいぜい、青葉さまの濃い薬湯を飲んでご療養下さい。部屋を勝手に抜け出すほどの元気があるのですから、濃い薬湯を飲むくらい容易いでしょう?」


「俺はただ便所に……うそ、うそうそ! これはうそ! ちょっと行きたいところがあってっ、だけどすぐ戻るつもりだったんだ! 天馬っ、俺を見捨てないでくれよ! 青葉の濃い薬湯はまじで苦いんだぞ。殺す勢いの薬なんだぞ! 比良利さんっ、一聴さん、見てないで助けてくれよ!」


 騒々しい声を上げて連れ戻される白狐を始終見守る。

 堪えられなかったのだろう。付喪神は大笑いした。


「いやはや、父上も手を焼きますな。お話を聞いたところによりますと、翔さまは少々後先考えずに行動を起こす方とか。私も後で、お灸を据えてやらねば」


「まったく。此方の気も知らぬやんちゃ者め。あれが死に目に遭った男だとは到底思えぬ」


 あれが今後の事を聴けば、三日も経たずに元の体を取り戻そうと布団から抜け出すに違いない。だからと言って何も言わなければ、それはそれで自己判断の基、体を動かし始めるのだろうが。

 なにぶん、あれは大人しくする性質ではない。言って聞いてくれる男なら苦労はしない。

 まあ、それくらいやんちゃな方が比良利としては嬉しいものだ。



 さて、巫女の怒りを買った翔は二之間に戻されていた。


 事の発端は自分が“月輪の社”へ行きたいがために、妖型となったギンコとツネキに頼み込んで此処に連れていってもらおうとしたことだ。

 もう少し回復してからでも良いのではないかと、散々銀狐に鳴かれ、傍らにいた金狐に体すら起こせない怪我人は寝てろと揶揄されたが、翔はどうしても此処に来たかった。目覚めたら一番に本殿を訪れたかった。


 だから金銀狐に無理を言って、外に連れて出してもらったのだが。


「全部ツネキのせいだ。くそう、嫉妬しやがって」


 いつものようにギンコの背に乗った翔は、何かと気を遣ってくれる銀狐の愛情を受け止めていた。少しでも風が吹けば、己の衣類を食み、落ちないようにしてくれたのだ。

 しかし、それを目にしたツネキが面白くないとばかりに、つい感情のまま尾で己の体を払った。


 それがいけなかったのだ。

 些少の振動すら耐えることのできない翔の体は、ギンコにしがみつくことすらできず、真っ逆さまに落ちてしまった。

 そこを天馬に助けられ、現在に至る。


 出入り口を見やれば天馬が見張りを買っていた。

 これでもう、自由に動くことはできないだろう。


 クーン、二之間からひょっこりと銀狐が顔を出す。

 申し訳なさそうに耳を垂らして、己に歩んで来るものだから、翔はお前のせいじゃないと一笑した。


「俺が無理を言ったせいだ。ギンコは何も悪くないよ」


 じっと見つめてくるギンコが耳をピンと立てるため、翔はおいでと口で招く。

 嬉しそうに駆けてくる銀狐が顔にすり寄ってくる。ぺろぺろと頬を舐めてくるギンコの体を撫でることはできないため、その鼻先を舌で舐める。


 鼻先が己の鼻先とくっ付けられた。

 クンと鳴いて甘えてくるギンコに癒される反面、申し訳なくも思う。


 ギンコは治療を終えてから、一度たりとも傍から離れずにいる。

 それだけ心配をさせてしまったのだ。己に恋心を抱いている銀狐の心情を思うと、己の我儘は本当に酷だったことだろう。それはきっと、青葉にも同じことが言える。

 満足するまで甘えたギンコは、己の傍で身を丸める。頬を崩していた翔だが、向こう側に鋭い嫉視を感じ、チラッと視線を投げる。


「……お前の優しさは本当に伝わってきた。尾で払ったことも不問にする。だから、そんな目で俺を見ないでくれよ。いつもどおり、突進して来いって」


 ばたんばたんと尾を叩きつけ、怒り心頭しているのは金狐である。

 ギンコに怒られたのか、それとも他の思惑があるのか、ツネキは懸命に耐えていた。己とギンコのやり取りに我慢をしていた。

 それならば突進なり、頭突きなりしてもらって構わないのだが、ツネキはそれをしない。ギンコを思ってのことなのだろう。


 円満に事を終わらせるため、翔は二匹にかいまきの中に入ってくれるよう頼む。

 きょとんとする金銀狐に、寒いのだと正直に答えた。


「夏なのに、冬のように寒い。まだ俺の体温は戻っていないみたいだ」


 こうして二匹をかいまきの中に入れ、湯たんぽとして仕事をしてもらう。

 依然甘えたなギンコと、若干不貞腐れているツネキがそれぞれ寄り添ってくれるため、それに礼を告げ、静かに天井と向かい合う。


 こうして生きていることが、本当に不思議でならない。

 自分は黄泉路を歩いていた。確かに、黄泉路を歩いていた。


 青葉が薬湯を持って部屋に入って来る。

 まだ怒っている彼女に苦笑いを浮かべ、大人しく薬湯を飲むことにする。むせ返るほどの苦さには涙目となってしまい、腹の傷にも響いたものの、自業自得だと思って我慢する。

 さすがにお椀全部を飲み干すまでには至らなったが、根性で半分は飲み切った。鬼火草を思えば、我慢できないこともない。殺される苦さではあるが。


「翔殿、砂糖の氷水は飲めますか」


 青葉の配慮には頭が下がるばかりだ。

 怒っていようと、結局彼女は己の望むことをしてくれるのだから。

 上体を支え、お椀を口元に運んでくれる青葉の献身的な行為に心から感謝したかった。


「青葉……悪いな。心配を掛けた。今度は傍にいてくれるか?」


 すると、彼女は当たり前ではないかと目尻を下げる。


「貴方様のやんちゃっぷりは、私でなければお世話できないでしょうから。治療が終わった今、嫌と言われようとお傍にいますよ。私も、オツネも、皆も」


 かいまきから顔を出すギンコとツネキ、背を支えてくれる青葉、廊下で見張り役を買っている天馬。

 各々に視線を配り、翔はついついはにかむ。

 早く元気になりたいと強く思った。



 自宅療養が始まると二段ベッドの下段が己の定位置となる。

 大半の時間をそこで過ごさなければならなくなり、翔は退屈と向き合わなければならなかった。


 その頃には軽く腕が持ち上がるほど回復をしていたものの、物を掴むことは儘ならず、未だに青葉に食べさせてもらっている。

 実においしいことであり、おなごに食べさせてもらうなんて男冥利に尽きるだろう。

 だが、翔は喜びよりも先に羞恥心が出てきてならない。誰かに食べさせてもらう、その光景が恥ずかしいのだ。


 利き肩に銃弾を撃ち込まれたこともあり、動かすことに苦戦を強いられている。泣きそうである。匙を掴もうと肩の痛みによって動きを止めてしまうのだ。


 早く感覚を取り戻そうと、指は常に動かす訓練をしている。布団の下で動かすので誰にも、とやかく言われない。


 食事と言えば、翔は食事制限をされている。

 左腹部を施術したため、消化に良いものを食べるよう一聴に指示されている。また毒の後遺症が懸念されるため、薬草を取るよう言われた。結果が薬草粥である。

 一晩二晩ならば我慢できる食事であるが、最初は重湯、次が三分粥、五分粥、七分粥、そして全粥。七晩も八晩も同じ主食だと嫌気もさしてしまう。


 ある意味、あの地獄のような治療より酷である。


「翔殿。おばば様がオイチ殿から玉子豆腐を貰ってきて下さいましたよ。入りそうですか?」


 十日目にして、粥以外の物を食べられるようになり、翔は喜んで玉子豆腐を食すと返事した。

 さすがは祖母である。自分が粥に苦痛を感じているようだと察したらしい。

 祖母は食事制限をされている自分のために、わざわざ大家のオイチから玉子豆腐を頂戴してくれた。肉や魚はまだ無理でも、畑の肉と呼ばれた大豆なら胃に優しい。しかもスタミナや疲労回復に役立つ。

 大豆は病人食に適した素材なのである。


 青葉の力を借りて上体を起こし、妖型となったギンコに背を支えてもらう。

 今日は自分で食べてみたいと匙を青葉に貸すよう告げたが、差し出された匙をすぐ落としてしまった。

 唸ってしまう翔に、後で握る練習をしましょうと青葉。玉子豆腐を掬うと口を開けるよう指示された。


「情けないったらありゃしねぇよ。いつになったら動いてくれるんだ。このポンコツ体」


 久しぶりに食べる玉子豆腐の感触を楽しむ。こんなにも豆腐が美味いと思う日が来ようとは。


「そう仰らないで。翔さまの御体は大怪我の中、毒に耐えて下さったのですよ? 少しは労わって差し上げて下さい」


 少しは、というが、もう十二分に労わっているつもりだ。

 おかげで翔の毎日は退屈で埋め尽くされている。社に顔を出すこともできないし、修行や執務もこなすことができない。食っちゃ寝の生活である。このままでは布団と同化してしまいそうだ。

 かと言って、スマホは雪之介に預けている。テレビを観たり、パソコンをしたり、実家から持って来ているゲーム機で遊ぶのもなんだかなぁ、なのだ。


 神主に就任してからというもの、日々が修行と思っている翔にとって“遊ぶ”という行為に罪の意識を感じてしまう。

 悪いことなど何もしていないし、時に遊ぶことも大切なのだが、現状を思えば心置きなく遊ぶこともできない。

 これはあれだろうか。日本人特有の生真面目気質。仕事人間の象徴なのだろうか。


「え、お前達も食べさせてくれるって?」


 ハムスターハウスの回し車で遊んでいた旧鼠七兄弟が、翔のベッドによじ登ってくる。

 チュウと鳴いてくる妹弟達は胸を張り、此方の問い掛けに大きく頷いた。

 彼等は縦一列となるため、達磨落としのように年上から台となって垂直に列をなすと、末子の末助が青葉から玉子豆腐の入った匙を受け取り、右に左によろめきながら差し出してくる。


 器用な子供達だ。

 笑いながら匙を口に入れる。末助がそれを抜いたところでバランスを崩し、旧鼠の塔はあっけなく崩れた。ついつい心が和んでしまう。


「そうだ。青葉。今夜は社を開くのか?」


 水差しを口に運んでくれる彼女に視線を流す。

 首を縦に振る青葉は後ほど“日輪の社”に行くと、慣れた手つきで口内に茶を流し込んだ。零れないよう飲み干し、翔は青葉に謝罪した。自分がいないせいで“月輪の社”が開けないのだ。多大な迷惑を掛けている。

 けれども彼女は気にすることもなく、柔らかく綻んだ。


「迷惑なんて微塵も思っておりませぬ。貴方様は、今此処に居て下さるではありませんか。だから社はいつだって開けるのです。翔殿が元気になれば、いつだって開けるのですよ」


 九十九年、神主不在に比べればなんてことない。

 おどける彼女の冗談はやや重みがある。

 軽率なことを言った覚えはないが、妙な罪悪感がこみ上げてきたのは確かである。


「翔殿。ネズ坊達が贈り物をしたいそうですよ」


「え?」


 尾を立てるネズ坊達がうんうんうんと頷いた。

 一匹一匹順序良くベッドから飛び下りると、ベッド下に隠していた花冠を七匹でせっせと運んできた。早く元気になるよう、治療中ずっと子供達が編んでくれていたらしい。


 子供達がギンコに尾を伸ばして欲しいと鳴いたので、快く銀狐が太い尾を床まで伸ばす。

 七匹で上り切ると翔の体によじ登り、誰の手も借りず、己の頭までそれを運んだ。

 願掛けされた花冠はちゃんと自分の頭に収まる。考えられて作られたのだと察し、翔は子供達に何度もお礼を告げた。

 誇らしげに胸を張る子供達は元気になったら遊んでね、と顔にすり寄ってきた。可愛い弟妹達だ。


 そこで罪悪感の正体を知る。

 迷惑を掛けたと詫びを言えば言うほど、彼等の気持ちを蔑ろにしてしまう。

 自分が彼等の立場ならば、迷惑を掛けたなんて思って欲しくないだろう。寧ろ、迷惑は掛けてもいいから、心配は掛けるなと罵りたいところだ。

 だから翔はもう“迷惑を掛ける”という行為に、謝罪を述べることはしないと心に誓う。青葉達が欲しいのは感謝と、いつもの笑顔と、そして元気な姿だ。


「神主っていつも誰かに頼られるから、今はお前等にうんと甘えていい気がしてきた。いいな、こういうのって。大得じゃん」


 けれども、体が動かないことについては物申したい。

 溜息をつく翔が苦い顔をすると、皆が笑声を上げた。束の間の安らぎである。



 そういえば、翔は未だに来斬について誰にも聞けずに日々を過ごしている。

 己が死に目に遭っただけに、あれこれ当時のことを聞けずにいるのだ。聞こうものなら、皆の顔が渋ってしまうことだろう。


 翔は困っていた。

 自分が倒れて以降のことを根掘り葉掘り聞いて回りたい衝動に駆られるが、自分の容態がある程度回復するまでは我慢するしかないと踏んでいた。


 そのため早いところリハビリをしようと目論んでいるのだが、なにぶん、青葉やギンコ、そしておばばの目がある。

 彼女達がいない時を見計らい、立ったり、座ったり、少しでも感覚を取りも出さなければ。


 なので今宵は絶好の機会である。


 青葉はギンコと共に“日輪の社”に赴く予定で、おばばは大家のオイチの下にいる。

 部屋にいるのはネズ坊達と自分のみ。子供達には菓子の一つでも出せば、告げ口などしないだろう。


 しめしめ。

 そのような気持ちで食事をしていた翔は、花冠をテレビ台に飾ってもらい、彼女達が出掛けるまでおとなしく子供達とテレビを観ることにする。

 ネズ坊達のマイブームは妖怪アニメのようで、自分達こそ妖怪だというのに、すっかりアニメに夢中である。

 賢い旧鼠達はアニメを何度も観直せるように、予約録画を覚えたそうだ。


 テレビの前でOPに合せて踊っている七匹に笑声を零してしまう。

 “人の世界”の文化に戸惑ってばかりだった子供達も、すっかり暮らしにお気に召してくれたようだ。

 ふと自分の傍にいるギンコもOPに合せて尾を振っている。銀狐もアニメを観ているようだ。尤も、彼女は月9などの恋愛ドラマ派らしいが。


「オツネ。そろそろ行きましょう。翔殿、私達は社に行って参ります」


 待っていました。

 翔は顔に出さないよう表情を隠しつつ、「おう。気を付けろよ」ぴょんと跳ねて青葉の下に向かう銀狐を見送る。

 布団の中の三尾がぴくぴくと動いているのは、気合が入っている証拠だ。


 さあて彼女達が出掛けたら、まずは起き上がる練習だ。その後は座る練習をして、それから、脳内で予定を立てていると、青葉が含み笑いを零す。

 玄関扉を開ける彼女は言い忘れていたと翔に振り返り、中に人を招き入れた。


「おばば様と子供達だけでは翔殿のお世話役が務まりませぬ。なので、天馬殿にお越し頂きました」


 ぎょっ、目を削ぐ翔に残念でしたね、と青葉。

 心を見透かされていたらしく、巫女は先手を打ってきた。

 軽く一礼して部屋にあがる烏天狗は、青葉に後のことは任せて欲しいと無表情の中に微かな笑みを滲ませた。


 よりにもよって天馬を呼ぶとは、翔は深い溜息をついてしまう。

 相手が堅物の天馬なら、何を言っても寝床から出してもらえないではないか。嗚呼、してやられた!


「天馬、ちったぁ空気を読めよ」


 ベッドに歩んで来る天馬に非はないのだが、八つ当たりをしなければ気が済まない。どこ吹く風でショルダーバッグを下ろす烏天狗は、許可なく翔の額に手を当て、「まだ微熱がありますね」食事は取ったのかと問う。


「白湯をお作りしましょう。もう水差しの茶が切れそうだ。体には白湯の方が宜しいでしょう」


 台所に立ち、ヤカンに火を掛けて戻って来る天馬は、甲斐甲斐しく布団を直してくれた。気持ちは嬉しいが複雑である。

 天馬は自分の師だ。世話係ではない。このような頼み事は断っても良いのだ。


「お前にとって大切な夏休みじゃん。家のこともあるだろうし、門下生もいるんだろう? 俺のことばかり気を配らなくていいよ」


「門下生は父に任せております。それに自分は当主ではありません。弟子はあくまで翔一人。師と名乗れるのも、あなた一人ですのでご安心下さい。師は弟子の世話をするものです」


 誓ってもいい、通常は弟子が師の世話をするものだ。

 沸騰するヤカンに気付き、天馬がコンロの火を止めに向かう。白湯を作るため、熱くなったヤカンを放置して踵返す彼に、思い切ってリハビリがしたいと頼んでみる。

 生真面目を味方につけてしまえばこっちのものだ。駄目元でもぶつかってみる。


「まだ早過ぎます。民を想うなら、大人しく寝ておいて下さい」


 駄目で元々。

 分かっていたさ。彼が拒否することは分かっていたさ。

 そこで翔は体を動かすことを諦め、頭を動かすことにした。天馬ならば、来斬のことについて語れそうだったのだ。


 直球に聞くと口を閉ざしそうだったので、まずは彼に先送りになっていた感謝を送る。今なら受け取ってもらえそうだ。

 ベッドの縁に腰掛ける天馬はなんてことないことだと綻び、助かってくれて本当に嬉しいと気持ちを伝えてきた。


「貴方様には自分の導になってもらわなければならないのです。あそこで終わられては困りますよ」


「お前が俺の導、じゃねえの? 天馬は俺に沢山のことをこれからも教えてくれねぇと。俺は弱いから……天馬、来斬は強かった。手も足も出なかったんだ」


 天馬の指導のおかげで急所を守り切ることはできたものの、連続で長巻を振るわれていたら確実に死んでいた。あそこで比良利達が駆けつけて来てくれたから、己は命拾いをしたのだ。

 今思い出しても背筋の凍る光景。翔は太刀を喰らった痛みを思い出すと、ついつい肌を粟立たせてしまう。


「あの太刀さばき。俺が十年修行しても敵いそうにない。敵う筈ない。あいつの力は比良利さん達と同等だったそうだから。天馬とやりあえば、どうなんだろう」


「手合せしてみないと分かりませんが、生半可な相手ではなさそうですね」


 眉間に皺を寄せてくる天馬ならば、率先して来斬の相手をしそうである。


 それだけはして欲しくない。

 天馬はあくまで己の武の師、神職関係者ではない。これは自分達で片付けたいことだ。が、天馬の力を借りる日は避けられないだろう。それも分かっている。


「とにかく、あいつはまた俺を狙ってくる。宝珠の御魂が狙いじゃない。俺自身を狙っている」


 “依り代”と己を呼んだのだ。明確な目的があるのだろう。

 来斬の下劣な笑みを思い出すと(はらわた)がむかむかする。あの狐が“悲劇”をもたらしたというのならば、放っておくわけにはいかない。


「俺は狙われる。これから先も」


 自分の命、いや身を狙ってくるに違いない。

 その時、自分は再びあの黒狐と対峙することだろう。勝てるだろうか。勝てないだろう。このままでは自分は勝てない。

 だが比良利なら勝てるかもしれない。いや、勝てるだろう。なんたって己の師匠なのだから。


「天馬。こういうのはどうだ? 怪我している俺が敢えてオトリになって来斬をおびき出す。相手は油断するだろう? そこを比良利さん達が討「何を仰いますか!」え、いや大真面目な話「だったらなお悪いです!」あ、あぁ、そう。ごめん」


 珍しく声を荒げるものだから、テレビを観ている子供達がたまげている。

 七つの小さな視線に天馬は咳払いを零すと、「アニメを観ていて欲しい」此方のことは気にするなと彼。翔に見やると危険な行為には賛同できないと唸った。

 誰も許可などしない。折角助かった命を投げるつもりなら、ベッドに縛り付けると物騒なことを言う始末。


「貴方様の御身は、この烏天狗の名張天馬が命にかえてもお守りします。なので、危なっかしい真似はお控えください」


「ば、馬鹿! お前の命をかけちゃ同じだろうよ! 俺が許すか!」


「許す許さないの問題ではありません。師とは弟子を守る者であり、自分は翔に仕える者です。憶えておいて下さい」


 まるで会話がかみ合わない。

 天馬と来斬の話をしたのは失敗だったのだろうか。これでは主従関係だ。

 一応自分が弟子で、天馬が師匠なのだが、現実としては神主の自分が主で、向こうは従者か。いや、身分は高くとも自分は主従関係ではなく友人関係を築き上げたい。


「白湯をお持ちします。席を外しますね」


 友人関係は果てしなく遠そうである。

 湯飲みに白湯を注いで持って来る天馬が、己の身を軽々と片手で起こしてくれるので男前である。

 性格さえどうにかすれば、三ヶ月以内に彼女が出来る。断言していい。


 不意に肩が引き攣った。

 翔は白湯を一口飲んだ後、己の肩を見やり、心中で溜息をつきつつ天馬に頼み事をする。


「悪い。包帯を巻き直してくれるか? 結び目が傷の近くに当たって痛い。毒のせいで銃痕の回りが膿んでいるんだ」


「承知しております。傷はとうに拝見させて頂きましたので。また膿はじめているのかもしれません。傷薬は」


 ベッド下だと教えると、烏天狗が素早く救急箱を取り出す。

 彼は自分の危機を知っていればすぐに駆けつけたのに、意味深長に息をつきながら包帯の結び目を解いていく。


 きっとそれは比良利達だって同じ思いだろう。


 形代を向かわせたとはいえ、彼の下に行く時間、そして彼が此方に向かう時間は明らかに無駄である。

 どうにか省くことができれば、自分だってこんな大怪我や毒を浴びることもなかっただろうし、比良利達にも心配を掛けずに済んだ。時間を短縮することは出来ないだろうか。


「一瞬で相手に現状を知らせる術とかあればな。こう、ゲームだと召喚魔術とかあるじゃん。天馬、妖の世界にそういう妖術がないのか?」


「さあ。自分には分かりかねます。部族によって妖気の型が違いますので、仮に術があったとして使いこなせるかどうか」


「え? 型によって使えるうんぬんがあるのか?」


「自分は狐火が使えません。それは、妖狐という部族ではないからです。翔は翼が生えていないので、羽を使った妖術は使えないでしょう? その部族特有の妖術というのが存在するのですよ」


 それもそうか。

 翔は疼く傷口を一瞥し、この問題を早急に解決したいと思案を巡らせる。

 自分の身が狙われている上に、己は頭領。今後もこのようなことがあれば命がいくつあってもたりやしない。社のことだってある。

 何かあれば一報を寄越せる手、時間短縮できる術、効率の良い連絡手段。


 ネズ坊達がまたアニメのOPに合せて踊り始める。

 内容より踊りたいようで、リモコンで巻き戻してはアニメのキャラクター達と踊っている。

 何気なく見つめていた翔だったが、耳を立て、閃いたと声を上げた。術なんてまどろっこしいものなど、使わなくていいじゃないか!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ