<四>逆鱗に触れる者
高く月が昇った満天の星空の下。
“妖の社”を隠してくれている表社を訪れた比良利は社殿にあがり、其の地の守護神に感謝の意を述べるために仏像の前に正座して深く一礼する。
此の神社の神が救済の手を差し伸べ、助けてくれたことを耳にした。
感謝してもしきれない。おかげで時間稼ぎができ、自分は対の危機に間に合わずとも、負傷したその身をすぐに癒すことが可能となった。
少しでも時間が経っていれば一命を取り留めることもできなかったことだろう。
後日、社殿を直すことを約束し、供え物の酒と米、そして野菜を仏像の前に捧げる。
「貴方様の危機には必ず我等が駆けつけまする。此度は真にお世話となりました」
優しい夜風が社殿に吹き込む。
柔和に綻ぶ比良利は向こうの言葉なき言葉を受け止め、再び一礼。腰を上げて“日輪の社”に戻る。
時間になると予定通り、社を開けて民達を迎え入れた。
瞬く間に賑わう境内。出店を開く妖、参拝する妖、談笑目的に訪れる妖、目的は様々だ。
今宵は南北の地に収められる下期の年貢について、税の代官と話し合う日。社の行事は民の年貢によって負担されている。また、集まった年貢の分配も頭領として目を通さなければならない。寄合を蔑ろにはできなかった。
各々“日月の社”の責任者の顔を揃えて出席し、大間で年貢や分配、来年の予算について目途を立てる。
それが終わると民達と交流し、近状について聞いて回った。
一見“例の事件”を放置しているように思えて、これは貴重な情報収集の時間。比良利は一字一句妖達の現状を聞き逃さないようにし、身の回りで変わったことがなかったか聞いて回った。
既に雪童子から土産は受け取っている。
賢い雪童子は、わざと己の策に乗り“人の世界”を泳いでくれた。
自分は今の向こうの世界に疎い面があり、そういった点では未熟。誰かに協力してもらう必要があったのである。
面と向かって頼むこともできたが、それでは雪之介が萎縮して自由に行動が起こせないかもしれない。逆に誇大な情報を持って来るかもしれない。
妖祓の現状や正確な情報が欲しかった比良利は、敢えて彼に盗み聞きさせることで自由を与えた。
頼み事は枠内できっちりこなさなければならないが、盗み聞きとあれば縛りも何もない。例え情報が得られなくとも、素知らぬ顔で過ごしておけば良い利点がある。
狡賢な策略が功を奏し、雪童子は想像以上の収穫を持って来てくれた。
今度は自分が動く番である。
比良利は“日輪の社”の神主を務め上げながら、妖祓の情報を基に悪しき人間を探し回った。
霊媒師を庇う妖など奇特も奇特。民達に聞けば一人や二人、不審な妖を見てもおかしくない。
そうして芋づる式に人間の情報を手繰り寄せれば、簡単に呪術師の父親を見つけ出すことが出来た。
妖祓の手から逃れた彼は、歪な妖の獣を率いてマンションと呼ばれる高い塔の部屋の一つで寛いでいた。輩は常日頃から妖を従えているのだろう。
絶対に見つからないと確信があったのか、それとも束ねている妖がいるからと安心しきっていたのか。
どちらにせよ、北の神主が現れるとは思わなかったようだ。
金狐と共に窓硝子を割って部屋に侵入すると、男は椅子から転げ落ちて従えている妖に行くよう命じた。向かって来る妖は術に掛けられているようだ。
比良利が己の宝珠を開示すると、妖達は困惑したように足を止めて男と頭領を見やっていた。
彼等はまだ自分の同胞だと確信した比良利は、妖達に諭す。
「哀れな同胞達よ。人間に魂を売るなど屈辱極まりなかろう。今、赤狐が主等を解放してやろう」
指を鳴らすことによって妖達が我に返る。
自分達は何をしていたのだと首を傾げ、比良利やツネキにすり寄って来た。
彼等は妖の世界に帰りたがっていた。皆、帰りたいと口を揃えたため、勿論帰してやると約束する。
その前にやるべきことがある。
「ようやく黒幕の一人に会えた。お主が小娘に“人災風魔”を教えた人間だそうじゃのう。骨董品屋の店主よ」
はてさて、自分の罪がどれほど重いか理解して頭領達に怒りを売ったのか、その真っ青な顔色は理解を示していると受け取って良いのだろうか。
四隅に逃げる男は意味のなさない罵詈讒謗を述べ、従えていた妖達に比良利に向かうよう命じている。
間の抜けた男だ。妖達の殺気立つ目を見て、まだ己が主と思っているのか。
「なにゆえ、静かに暮らす我等の数を減らそうとしたのか。なにゆえ、我等の同胞を従えているのか。なにゆえ、来斬と手を組んでおるのか。聞きたいことは山のようにあるぞよ」
案ずるな、質問する間は苦痛を与えないつもりだ。質問する間は。
狡賢な赤狐は喉まで出掛かった言葉を呑み込み、言えば己は手出しをしないと約束する。
これに嘘偽りはない。己は知りたい情報を得られるのならば、本当に手を引くつもりだ。
けれども無理やり従えさせられていた妖はどうだろうか。
聞くだけ情報を聞いた比良利は、約束通り、身を引いて浄衣を翻す。
唸り声を上げる妖達が許可を求めてきたため、「良い」終わるまで我等は外で待つと返事した。
「約束が違うじゃないか」
向かって来る妖に恐怖しながら、男が絶叫。
足を止め、自分は約束を守っていると白々しく整った眉を寄せた。
「わしは手を出さぬ。わしは、のう」
今から身に降り注ぐのは、自業自得という名の業火だ。
「我等は意思ある者。歪な生き物。誇り高き妖」
あられもない罪人の悲鳴が聞こえる。
大人ながら痛みに涙する声、慈悲を求める手、そして引きちぎるような肉の裂ける音。
無感情に光景を見つめる。“人災風魔”によって、命を落とした子供達の方が何増しも地獄を見たことだろう。
「愚かな人間よ、憶えておれ。我等は何者にも囚われぬ者、同胞に情けを掛ける者。同族であろうと同胞を討てば敵。情けは掛けぬ。ならば、異種族の人間に情けを掛けなければならぬ理由が何処にあろうか」
これは天誅、妖を蔑ろにした罪はその身を持って知れ。
もう聞こえていないだろう相手に鼻を鳴らすと、比良利は此方にまで飛沫する血しぶきから目を背ける。
妖型に変化しているツネキの背に飛び乗った。
金狐に相手を捕縛しなくて良かったのかと聞かれたため、あの男は重要性のない霊媒師だったと返事する。
「簡単に吐く姿勢と良い、簡単に見つかる場所で寛いでいた能天気さと良い、妖達を操る呪術の弱さと良い、あれは大したことのない男よ」
妖祓の言うように、厄介なのは“娘”の方だ。
男曰く、香炉に呪術を掛けたのは娘。人災風魔事件を起こそうと話を持ちかけたのも彼女だと言う。
妖を操っていたのは、それらを利用して富を得ていたからだそうだ。
一般の人間は妖が“視”えない。それを良いことに大企業の社長や資産家に、妖を憑りつかせて金を巻き上げていた。人情の欠片もない話である。
四尾の妖狐、黒狐の来斬に関しては簡単にしか情報を得られず、やはり娘を探す必要がある。
男を囮にしても良かったが、相手は切れ者だと踏んでいる。
実父を餌にしたところで姿を現すことはないだろう。
男の聞こえてくる断末魔を耳にしたツネキが、あいつは楽には死ねないだろうと比良利に話を振る。
ただ死ぬならまだしも、嗚呼、人間はどうして欲深い生き物なのだろうか。
ツネキは聞く。
妖と交流していた時代を忘れてしまった人間は、どうして自分達が頂点だと思い込むのか。また視える者は、妖を小道具に使うのか。
己には理解できないと金狐は首を傾げる。
それは比良利とて同じこと。
狐から妖狐となった身の上ゆえ、人間の浅ましい考えに理解しかねることがある。
「“視”えぬ我等は“視”えぬ人間から忘れ去られていく。“視”える人間は我等を害だと思う者が多い。此度の一件は我等が利用されたに過ぎぬ」
だから、あの人間は妖の怒りの業火を浴びているのだと比良利。
背後で行われている凄惨な光景に、ツネキが好奇心旺盛に覗き込み、怖いこわいと戯言を零す。
さすがにあれは同情するかもやしれない。ツネキの心にもない言葉に、比良利は冷たく返す。
「その道を生み出したのは輩自身。同情する価値もないわ」
閑話休題。
“日輪の社”が開かれると、必然的に“月輪の社”のことを尋ねられた。
主に南の地の妖が月の日について質問し、次はいつ開くのか、如いては最近姿を見せない十代目はいつ現れるのかと期待を寄せられる。
その都度、比良利は妖に謝罪を申し上げ、白狐の容態次第だと返事した。
三尾の妖狐、白狐の南条翔は齢十八の若さゆえ、気張り過ぎて疲労が出てしまった。夏風邪をこじらせてしまい、自宅で療養していると妖達に伝える。
すると何も知らない妖達が微笑ましそうに納得し、本就任から休みなく直向きに社を盛り上げようとしていたから夏バテをしてしまったのだろうと笑声を漏らす。
気を利かせた者達が白狐の疲労回復に、と見舞い品を持参してきてくれる。
それは鶏卵であったり、玉ねぎであったり、青魚であったり、干菓子であったり。中には生花を渡して来るものもいた。
十代目は生粋の花好きだと知れ渡っている。この時期にぴったりな向日葵を贈り、早く良くなって元気な姿を見せて欲しいと笑顔を向けられた。
比良利は顔色一つ変えず、柔和に綻んで皆に感謝をする。
就任一年目にもかかわらず白狐は民達に愛されている。それは彼の努力と、素直な心が結果に実を結んでいるのだろう。
彼は本就任前から積極的に民達と交流し、彼等を敬っていた。
好奇心旺盛ゆえ白狐は何でも挑む少年だった。下駄の鼻緒を結ぶ作業から、花つぶみの素揚げから、出店の売り子から。
何かと職人に頼んでは自分に体験させてくれないかと声を掛けていた。その度に職人技に感心し、自分の失敗に唸っていたものだ。
また彼は元人の子。
それゆえ初めて“妖の世界”を訪れた人の世界育ちの妖には、とても気を配っていた。
戸惑いが理解できるのだろう。
見知らぬ文化、見知らぬ妖、人の世界とは違う時代差。
ある幼子は親に帰りたい、こんな古臭い世界にいたくないと駄々を捏ねてしまうことも少なくない。
だから良き思い出を作ってやろうと、白狐自ら幼子のお守を買って出ることもある。人の世界では見られない店や玩具、妖達と触れ合わせ、最後に子供達の輪に入れてやる。
人見知りが酷い妖の子には自分の服装を気にし、わざわざ人の世界で使用している私服に着替えて子供と接した。
少しでも己に親しみを持ってもらおうと思ったらしい。
それによって子供達からは遊んでくれるお兄ちゃんとして認識され、よく悪戯をされることもある。
竹で作った水鉄砲で神主に水を浴びせる失礼な子供もいたが(親は血相を変えていたが)、翔は「お前等。俺が捕まえたらどうなるか覚えてろよ!」そう笑っては追い駆け回し、子供達と親しくなっていた。
白狐は未熟だが、比良利には思いつかない手で社を盛り上げようと工夫している。まだまだ盛り上げるまでの力はないが、小さな親切で妖達の心を癒している。立派なことではないか。
皆もそれを知っているから、本就任して半年足らずの白狐を親身に心配するのだ。
ある妖はこのように気遣う。
「翔さまは心労が溜まっていたのでしょう。なにせ、惣七さまを継ぐ者ですから、緊張の圧力もあったと思います。彼は若過ぎますからね。ゆっくり休まれて欲しいものです。そして我等にまた見せて欲しい、あの無邪気で好奇心旺盛なお姿を」
行集殿に籠った白狐は未だに出てくる気配がない。
時折、忙しなくお有紀が薬湯を作りに行ったり、天馬が桶の水を入れかえたり、一聴が休憩のために部屋から出ることはあるが、そこで何が行われているのか、今、白狐はどのような状態なのか比良利には知る術もない。
分かると言えば、“月輪の社”の者達の様子だろうか。
巫女の青葉は懸命に社の責任者として気丈を振る舞い、必ず翔は復帰すると言い聞かせている。泣きそうな顔を作ることもあるが、責任者として涙は決して零さなかった。
神使のギンコは恋心を抱いているせいか、どうしても行集殿に忍び寄り、様子を窺おうとする。
だがツネキに制され、それは失敗に終わるのだ。
金狐は白狐の意思を組んでやれ、彼を信じてやれ、彼が好きなのだろうと励ました。居ても立っても居られないギンコの傍にいてやり励まし続けた。
珍しく弱気なギンコを目にすると、君を置いて死ぬわけないと言葉を贈り、彼は自分と決着を付けなければならないのだからと主張。
いつか必ず白狐を打ち負かし、ギンコを振り向かせると言い放ったのだからツネキも男を見せるものである。毎度その姿を見せれば申し分ないのだが。
銀狐は浮気性を治したら、まあ、考えないこともないと返事していた。彼等はいつの間にか仲直りをしたようだ。
そうそう、ネズ坊達が兄のために花冠を作っていた。
これを見て元気を出してもらおうと、彼等なりに考え、おばばと力を合わせて白狐の頭にかぶれる大きさを編んでいた。
頭にかぶれないと無意味であるため、ネズ坊達が幾度も紀緒を中心とした人型妖を呼び止め、大きさを試行錯誤。比良利も呼び止められ、かぶって欲しいと頼まれた。
こんなにも愛されているのだから、白狐は乗り越えなければならない。否、乗り越えられるだろう。あれは志強き狐なのだから。
「お隣に、宜しいでしょうか?」
比良利はひとり、“日輪の社”の表社に出ると社殿の屋根に飛び乗り、煙管の先端を銜えて腰を下ろしていた。
愛用の和傘を差し、眠る人間の世界を眺めていると、背後から声を掛けられる。振り返れば、“月輪の社”の代理責任者を担っている巫女が桜の木から屋根に飛び移る。
許可を下ろすと、青葉が肩を並べ、そっと座る。
ふたりで人間の世界を眺めた。飽きることなく、人間の眠る町を見つめた。
「翔に怒りを覚えている。そのような顔じゃのう」
先に話題を切り出したのは比良利だった。
青葉は綺麗な眉をハの字に下げ、苦笑いを零す。
「ええ」彼女は素直に頷き、一方的な我儘を押し付けられ、怒りを感じていると返事する。
「酷いお方です。辛い治療の時にこそ、お傍にいたいのに……いつもそう。翔殿は私に弱いところを見せてはくれませぬ。惣七さまも、そうでした。二代揃って弱いところを隠してしまいまする」
「単なる男の見栄じゃよ。男は常に強く見られたいものじゃからのう」
「だから比良利さまは、よく紀緒さまにお叱りになられるのですね」
痛いところを突かれてしまい、比良利は誤魔化すように煙管を吸う他ない。
青葉が途切れた会話を繋ぐ。
「もう一年になるのですね。翔殿と出逢って」
「早いものよ。出逢った当初は誰かに頼りたがる、不甲斐ない妖の器じゃった。それがわしの対となろうとは、夢にも思わなかったのう」
「一年、されど一年。彼が十代目南の神主に就任し、環境の多くが変わりました。惣七さまを想うばかりに変化を嫌っていた私でございますが、今は心の底から思います。翔殿に出逢って本当に良かった、と」
その妖狐が今、死の瀬戸際に立たされている。
百年前の翳りを帯びた事件が、己の前に立ちふさがっている。
青葉は比良利に苦言を零し、翔を守れなかった不甲斐なさを吐露した。あの時、もっと自分に力があれば。守るだけの力と判断力があれば。
「私は翔殿に守られました。守るべきところで、守られてしまったのです」
冷静を欠いたせいで、負傷した翔に庇われた一面があった。
それを青葉は悔いていた。彼女は守りたかったのだろう。誰よりも傍にいる同胞を。
「比良利さま、教えて下さいまし。どうしたら強くなれるのかを。もう家族を失いたくない。もう、誰も失いたくないのです。もっと強くならなければ……翔殿がまた来斬に狙われるやもしれませぬ」
才溢れた巫女だと言われている青葉の小さな頭を一撫でし、比良利はゆっくりと紫煙を吐き出す。
たゆたう紫煙を見つめ、視線を人間の世界に戻した。
比良利の目から見た人間の町は喧騒に満ち溢れていた。高い石の家屋やぎらつく光が騒々しく思える。
「わしと青葉の悩みは同じじゃのう」
彼女の視線を受け止め、一笑を零す。
「わしは対を、青葉は社を守る神主を、それぞれの形で失っておる。じゃから、また失うやもしれぬ現実に怖じを抱いておった。一方で強くなれば、守るべき者を守れぬ。じゃから強くならなければと、己が率先して前線に出なければ、と思っておった」
「じゃろう?」同意を求めると、青葉が小さく頷く。
「翔殿は……まだ齢十八の妖狐でございまする。術も殆ど覚えておりませぬ」
「傍目から見たら弱き妖狐よ。しかし、我等はそんな妖狐に諭され、守られた。あやつは我等が思うよりずっと強い妖狐じゃと思わぬか? 我等は自身が強くなる以前に、もう少し信頼を寄せなければならぬのう」
「信頼、でございますか?」
「ぼんは青葉に守られるような、大人しい妖狐ではない。わしに頼ってばかりの妖狐でもない。我等に何かあれば腕がなくとも、持ち前の足を使い、出せる妖力を使い、時に知恵を使って我等を守ろうとする。それをまず、認めてやらねばならぬ」
青葉が前線に出ようとするのならば、翔とて同じことをするだろう。
お前は弱いから後ろに下がれと命じたところで、向こうの顰蹙を買うだけだ。
なのに、心のどこかで自分達はそう思っていたのかもしれない。此度の一件はまさしくそれだ。
「人災風魔。玉葛の神社から盗まれた神鏡。四尾の妖狐、黒狐の来斬。妖を生贄にする呪術師……人間側と妖側で火種を撒く者。まるで百年前のよう。じゃから、わしは翔を事件から遠ざけた。果たして、それが良き判断だったであろうか」
「……私では判断しかねます」
「答えは否じゃと、わしは思っておる。共に立ち向かう心がなかったがために、悲劇を起こしてしまった。青葉よ、わしは決めておる。翔に百年前の事件を教えようと」
比良利は白狐が復帰次第、百年前の悲劇を彼に教えようと決心していた。
南北を統べる大切な片割れに何も教えず、何も知らなくて良いと言い聞かせ、神主修行を優先させようとした己が愚かだった。
「翔は惣七の意志を継ぐ者。知るべき者。次代に意志を託す者。我等と共に南北を見守る同胞。蚊帳の外に出してしまえば、あやつも拗ねるであろう」
不安に支配されているであろう青葉の背を尾で撫で、白狐と共に生き、乗り越え、闘う覚悟をしようと諭す。
強くなることは勿論だが、そこに確かな気持ちがなければすれ違いも出てくる。
自分達はもっと白狐の力を信じなければ。
「この赤狐の比良利の対じゃぞ。あやつは青葉の下に戻って来る。お主を傍に置かないのは、青葉に信じて欲しいと願っているからじゃろう」
彼なら大丈夫、毒を乗り越えて戻って来る。自分達の下に帰ると言ったのだ。必ず約束を果たす男だと、比良利は信じている。
白狐の天命はまだ始まったばかりなのだ。此処で終わるなど、短命にも程がある。彼のしぶとさを信じ、比良利は待つ。行集殿から出てくる白狐を。
だが、ただ待つだけではつまらない。
比良利は静かに腰を上げた。
「来斬は我等の感情をかき乱すため、百年前の事件をなぞる節がある。わしは今から、来斬の考えそうな悪巧みに先手を打つため、南北の“鬼門の祠”に行く。青葉、共に来るか? 翔が毒を乗り越えるまで、静かに待つだけなどつまらぬことじゃろう」
強い光が青葉の瞳に宿った。
「はい」活きの良い返事は、翔が必ず戻って来ることを信じる気持ちが籠っている。
それでよい、比良利は青葉の心境の変化に微笑んだ。