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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ参】葛の葉のうらの百年
127/158

<三>其れは二種族の火種撒き



 ※ ※



 彼、雪童子の錦雪之介はバスターミナルの喫茶店の四人掛け席に腰を下ろし、難い面持ちを作って宙を見つめていた。

 注文したレモネードには氷がひしめき合っており、窮屈に身を溶かし合っている。放置していれば味が薄まるであろうレモン水を一瞥することもなく、雪之介は店内のレトロなBGMを静聴し、ただただ目を細めていた。


 肘をつき、両指を組む。

 そこに額をのせて重い息を零したところで、頭上からぶっきら棒な声が掛かった。


「悪いね、待たせた」


 視線を持ち上げると、険しい面持ちで椅子を引いている人間。


 待ち合わせをしていた妖祓の和泉朔夜である。

 諸事情で彼の連絡先を知っていた雪之介は相手の都合もろくすっぽう聞かず、今すぐ指定するバスターミナルの喫茶店に来て欲しいと頼んだ。

 大学生の朔夜は夏休み期間中。なんとか都合がつくだろうと判断したのである。


 本当はもう一人の妖祓にも声を掛けたかったが、相手は一浪している予備校生。

 この一年はデリケートな一年だと友人伝いに知っているため、遠慮が先に立ち、連絡することが出来なかった。


 朔夜はメニュー表を見ることもなく、お冷を出す店員に「紅茶を一つ。ホットのストレートで」オーダーをして人払いをする。


「ごめんね」


 急に呼び出したことを謝罪するも、「いや」寧ろ連絡してもらって嬉しかったと返事する。普段の朔夜ではあり得ない言葉である。

 なにぶん自分達は妖と妖祓、このように茶を嗜む関係ではない。尤も、自分が彼をよく弄るせいで関係が悪化していることは否めないが。


「錦、詳しい話を聞かせてくれ。ショウが危篤だなんて、何が遭ったんだい?」


 呼び出した理由は十代目南の神主のことである。

 今朝方、雪之介も友人の天馬から連絡を受けて事を知った。翔が危篤状態であるということを。急な知らせに胆が凍りそうになりながら、正午前に彼と会い、頼まれ事を引き受けて現在に至る。

 よって雪之介自身も隅々まで詳細を把握しているわけではない。が、話せるところはすべて朔夜に話す。


「どうやら翔くんは“妖の社”で奇襲を受けたらしいんだ」


「“妖の社”で? そこは聖域で、無作法な妖は寄せ付けないとショウから聞いているけれど」


 そう、自分もその知識で今まで過ごしてきた。

 これは公にされないよう伏せられているようだが、友人のヨシミで事件を簡単に知ることになった。否、盗み聞き“させられて”しまった。


 己の両親は探偵。

 その息子ということで、周囲が小声で話しているところを目にするとつい聞き耳を立ててしまう。それを知っている狡賢な赤狐が己に情報を与えたのだ。

 きっと妖祓に情報を与えるだろうと予想し、危険がない程度に自分を泳がせている。


 喜んで泳いでいる雪之介は、赤狐の予想どおり朔夜に説明する。

 結界が破られ、白狐の身が狙われたこと。“人災風魔”の毒にやられ瀕死の重傷を負ったこと。そして今も白狐の身が狙われていることを。

 不気味なのは賊が宝珠の御魂でなく、白狐の身を狙っていることだ。

 神職関係者達の話によると輩の目的は“依り代”。白狐が死体となっても手にしたいと考えている。


「翔くんは今、“人災風魔”の毒を鬼火草という劇薬で治療にあたっている。正直、鬼火草は毒薬草にもなりかねない危険な薬草だ。体内に入れたら地獄の苦痛が襲い掛かる」


 助かる確率は五分にも満たないそうだ。

 彼のことだから必死に毒に食らいつき、なんとか乗り切ろうとするだろう。


 だが不安がないとは言い切れない。

 そこで雪之介は“人災風魔”事件で対峙した妖祓の朔夜に声を掛けた。彼ならば詳しい毒の成分を知っていると考えたからだ。

 妖祓は科学文明が発達している“人の世界”に身を置いている種族。時に“妖の世界”より進んだ文化が此方を助けると雪之介は知っている。

 しかし相手の面持ちは芳しくない。


「あの事件は妖祓も相当書物を調べ上げた。けれど、症状を軽くする手立ては見つからなくてね。正直なところ、薬に関しては役立てそうにない」


 ただし、他面では役立てそうだと朔夜。

 雪之介に薬の件だけで呼び出したのではないのだろう? 静かに目を細めてくる。


「白々しくお前に盗み聞きをさせた赤狐だ。妖祓に何かしら求めている筈」


 空気を裂くように店員が紅茶を持ってきた。朔夜は会釈し、一息つくために紅茶に角砂糖を一つ落として匙でかき混ぜる。

 雪之介もレモネードの存在を思い出し、表面にびっしりと浮かんだ水滴で指を濡らしながらグラスを取る。

 自分が持つことにより、飽和状態だったグラスの水滴が凍り始めるのはご愛顧だろう。


「先日“玉葛の神社”で神鏡が盗まれたそうだよ。犯人は人間の仕業らしいけれど、翔くんを襲った輩がそれを持っていた。賢い君ならこれだけで意味が分かるだろう?」


「それは賢くなくても意味が分かるよ。なるほどね、赤狐は“また”両面から切り崩して犯人を炙り出す作戦に出たか。つくづく僕等を利用してくるね。対峙しているからこそ、利用しているのかもしれないけれど」


 場所はネットで調べれば分かるだろう。

 暇人ゆえ散歩がてらに行ってみるのも悪くない。

 朔夜は口角を持ち上げ、頬杖をついた。彼の瞳の奥には微かに怒気が垣間見える。話が終わり次第、彼は“玉葛の神社”に行くつもりなのだろう。


「“依り代”は神霊を宿すもの。ショウは宝珠に選ばれた妖狐だ。輩は相手を死体にして神様でも宿すつもりなのか」


 だとしたら、自分は罰当たりにも宿されるであろう神様を輩ごと祓わなければならない。

 話し手は不快なことをさせると舌打ちを打つ。


「まあ僕にとって、親友の身を奪おうとする神様は邪神にしか過ぎないけど」


 いたく真面目に物申す朔夜は本気なのだろう。

 親友と神様、彼にとって選ぶべき相手は当然前者なのだ。雪之介と同じ選択肢を取ることは察していた。


「気掛かりがあるんだ」


 雪之介はマドラーで中身を掻き回し、グラスの縁に口を付ける。


「確かに翔くんは選ばれた妖狐。正式な南の神主継承者だ。けれど、宝珠を抜いてしまえば“ただの妖狐”なんだよ。宝珠はその御魂に宿ることで力を発揮する神器。翔くんが死んでしまえば、その亡骸は一般の妖狐と変わらなくなる」


「なのに輩はショウの体を狙っていた。とんだ変態だね。悪趣味も良いところだ。あいつも変な奴に好かれたものだよ。同情する」


 是非とも面を拝み倒したくなった。

 おどけを口にする朔夜がカップをソーサーに置く。


「これから君を連れて行きたいところがあるんだけど、この後、大丈夫かい?」


「行き先によるね」


「翔くんが輩とぶつかった場所に、君を連れて行こうと思うんだ。どうやら翔くんは“妖の社”で襲われ、“人の世界”でぶつかったみたいなんだ」


 飲みかけの紅茶をそのままに妖祓が席を立つ。

 視線を留めてくる意味を察し、雪之介も伝票を取るとショルダーバッグを掴んで腰を上げた。

 会計を済まして店を出ると、バスを利用して良いかと尋ねた。徒歩だと時間を要する。問題ないと返事する朔夜は、一呼吸間を置いて質問を投げた。


「飛鳥には事を知らせているのかい?」


 雪之介は迷っているのだと返事する。


 彼女は予備校生。

 この一年は大切な時期であり、下手に刺激を与えれば勉学に支障が出るだろう。かといって、大切な幼馴染の危篤を知らせないのは如何なものかと思う。


 自分としては彼女にも手伝って欲しいところだが。

 それが無理でもやはり事は知らせるべきなのではないだろうか。彼女も後から知ると気分が悪いだろう。


 どうすれば良いだろう。

 相棒である朔夜に意見を仰ぐと即答で黙っておいて欲しいと返答。彼女は“妖祓”を目指しているわけではない。本気で目指していない人間が下手に事件に首を突っ込めば、勉学を疎かにし、こっちの仕事も中途半端にしてしまう。

 優柔不断になるのは目に見ているため、黙秘しておいて欲しいと朔夜。


「僕はそれでいいけれど、それで大丈夫かな?」


「いい。飛鳥には飛鳥のやるべきことがあるから」


 彼が断言するのならば、付き合いの短い自分はそれに従うしかない。

 片隅で喧嘩でもしているのだろうかと、相手の表情を盗み取る。

 明らかに朔夜の言動は冷たかった。人間観察を趣味にしている雪之介は、きっと喧嘩をしているのだと結論付け、二人の間柄についてはそっとしておくことにした。




 目的地に辿り着く。


 “日輪の社”の表社として役目を担っている神社の裏に“妖の社”があるのだが、それについては朔夜に黙秘とさせてもらった。

 “妖の社”は妖の聖域。いくら協力してくれる人間とはいえ、場所とその入り方を教えることはできない。


「凄まじい戦いの痕跡だね。社殿が傷だらけじゃないか」


 鳥居を潜った先に、つくねんと佇む社殿。

 それを目にした朔夜は眉根を寄せ、早速建物に歩む。斬り傷と何かに齧られたような痕が目立つ外壁を触った後、正面扉の観音開きに立って万遍なく視線を配った。

 「壊れている」外れかけた右扉を一瞥、彼はハンカチを取り出すと布越しに物を拾った。


「何をしているの?」


 素人である雪之介が口を出すと、「採取だよ」相手は律儀に答えてくれた。

 朔夜がハンカチを広げて物を見せる。それはただの木片だったが、重要な手掛かりなのだそうだ。


「妖が妖術を使うと数日の間、その気が物に宿ることがある。巨大な力を持つ妖であればあるほど宿る時間は長い」


「もう幾日も経っているのに分かるんだ」


「妖術は妖力を物理的に具体化させ、炎に変えたり、氷に変えたり、時に空間を捻じ曲げたりする」


 例えば雪之介は氷の妖。

 雪童子は氷を放つために妖力を具体化し、物理的攻撃を可能とさせる。

 ゆえに目に視える痕跡を残してしまう。放った氷は溶けてしまうだろうが、液状化した氷は数日間その場に残る。


 同じように妖狐の狐火は物を燃やすことで消し炭が残る。烏天狗は持ち前の羽を刃にし、その羽根を残す。

 空間を捻じ曲げることのできる妖は大量の妖力を放出するため、数日間、一帯に妖気を残してしまう。


「これは僕等、霊媒師にも言える。霊気を具体化させることで物理的攻撃は可能になるけれど、何かしら痕跡を残してしまうんだ。現場で採取することは凄く重要でね。輩の妖気を知ることもできるし、ある程度の妖力の大きさも調べられる」


 そう言って彼はハンカチに木片を包むと、社殿の奥に一礼して土足で上がり込む。

 雪之介も合掌して一礼。お邪魔しますと小声で呟き、妖祓の後を追った。

 狭い社殿の中央に立った朔夜は、天井や床を忙しなく見た後、一点に目を留めて奥に進む。


 片膝をついて床を見つめている朔夜の後ろに立つ。彼は大きな黒い染みを観察していた。

 「それは」雪之介が声を掛けた刹那、「ショウの血痕だ」彼の拳が床を叩く。


「錦。僕はこう見えて、わりと動揺しているんだ。情けないことにね」


「……和泉くん」


「この血痕を見るだけで、彼がどれほど負傷していたのか分かる。あいつのことだ。必死に抵抗したんだろう。敵わないと知っていても」


 目に浮かぶと奥歯を噛みしめる朔夜は、複雑な気持ちだと唸る。

 妖を祓うことに躊躇いを抱き始める最中、幼馴染が悪しき妖に命を狙われ、死の瀬戸際に追いやられている。

 それによって自分の中で消えた筈の妖の憎しみがまた蘇りそうだ、と。


「悪い。錦にとっては良い響きではないだろう。けれど僕の本音だ」


「妖祓は妖に胆を狙われると聞いたことがあるから、君がそう思うのも仕方がないよ。だけど、僕は人間が好きだよ。和泉くんのようにからかい易い人間がいると知っているからね」


 おどけると、お前は腹が立つと苦笑いが返された。

 すくりと立ち上がった朔夜が社殿を出て行く。周辺の石や木片を拾い、それをハンカチに包んでショルダーバッグに仕舞う。

 雪之介は社殿の周りの荒れように言葉も出ない。鎮守の森と呼ばれる木々の幹が斬り傷だらけである。何かが燃えたのか、ある個所で消し炭が目立った。


「錦。今度は僕に付き合ってくれ。今から部屋に帰って、採取したこれ等を調べる。どうせ赤狐に泳がされているんだ。お前は出来る限り、赤狐への土産を持って帰りたいだろう?」


「招待してくれるとは嬉しいね。どんな情報なんだい」


 それは来てからのお楽しみだと朔夜。

 バスターミナルに戻ると、彼の住むアパートに行くためにバスを乗り換える。修行がし易いようにと、祖父の家付近に部屋を借りたそうだ。

 二階建の古いアパートの一階三号室が彼の部屋だという。畳部屋のワンルームは綺麗に片付けられており、机、短脚台、畳まれた敷布団、必要最低限の物しか置かれていない。よって一室が広く見えた。

 てっきり妖祓の書物などがひしめき合っていると思ったが。


「そういったものは祖父の家に置かせてもらっているんだ。近い利点を有効活用しないとね」


「なるほどね。あー扇風機がある。ごめん、借りていい? もう溶けそう」


 ハンカチで汗をぬぐいつつ、雪之介は扇風機の前に座るとスイッチを入れてぬるい風を浴びる。

 夏季は雪の妖にとって地獄の季節。

 いつも以上に体温調節に気を配らないとならない。炎天下の中、神社からバス、そして朔夜の部屋に邪魔する過程ですっかり体が火照ってしまった。


「悪いね。部屋にクーラーを取り付けていないんだ。今、ミネラルウォーターを出すよ」


 冷蔵庫から500mlのペットボトルを取り出し、朔夜が差し出してくれる。

 それを受け取りつつ、雪之介は部屋を涼しくして良いかと部屋主に尋ねた。瞬きをして見つめてくる朔夜から許可を貰ったところで、部屋の窓を閉め切る。そして扇風機の風力を『強』にすると、己の冷気を一室全体に行き渡らせた。

 これで今しばらくは部屋が涼しいだろう。


「へえ。これは便利だね」


 冷房要らずだと朔夜はおどけるものの、雪之介にしてみればまだ暑い。我慢できないほどではないが、夏は本当に勘弁である。


「なんで日本には四季があるんだろう、年中冬だったらいいのに」


 唸る雪之介は海で日焼けを楽しむ人間の気持ちが分からないと愚痴を零し、貰ったミネラルウォーターを瞬時に凍らせて、氷にして口に入れる。


「この能力で商売でも始めようかな。夏限定一家に一人“雪童子”! お値段9,980円あらお得! 一万円にも満たないのね! どう、和泉くん。お買い得だよ」


「冗談。寝食を求める雪童子は、電気代より高くつきそうだよ」


 休憩もほどほどに、早速朔夜が採取した石や木片を台に載せる。

 清め酒や塩、雪之介には分からない粉末を用意する彼の作業を眺めていると、「これを赤狐に見せて欲しい」向こうが先延ばしにしていた話題を切り出す。

 雪之介の前に置かれたのは萎れかけた黒百合の束。日が経っているようだ。


「最近、僕達は“風上滅却”と呼ばれる禁術を研究していた霊媒師と接近した」


「禁術?」


「妖達が“人災風魔”と呼んでいる疫病の別名だよ。“風上滅却”は人間が生み出した禁術なんだ。目的は妖の数減らし。勿論、人間の都合で自然の理を崩すようなことはしてはいけない。争いの火種にもなるから、霊媒師の間でも禁止事項にしている」


 “人災風魔”事件によって南北の妖の頭領と妖祓の仲に暗雲が立ち込めてしまった。

 少しでも解消しようと、“人災風魔”事件を引き起こした人間を捜していたのだと朔夜。

 忌まわしい悲劇を起こしたのは齢十四の少女であったが、彼女に“風上滅却”を教え、容易に術を発動させる小物を作った霊媒師がいる。


 その犯人を追って南北の霊媒師を片っ端から調べ上げた。

 結果一人の霊媒師が骨董品屋の店主をしていたことが判明。輩を捕まえるために奔走し、屋敷に乗り込んで衝突したのだという。

 相手は老人、しかし屋敷に仕掛けられた術や結界に苦戦を強いられたと朔夜は眉を顰める。


「捕まえる手前まで追い詰めたんだけどね。輩を庇うように、数匹の妖が現れて僕達の行く手を阻んだよ。結局、犯人は逃げてしまった。妖達が時間を稼いでいる間に。この黒百合は妖を祓った時に落ちたものだ。皆、これを持っていた」


「黒百合を……皆が持っていたということは、この花が何かしらの共通点。例えば組織として成り立っている可能性があるね」


「錦、一見ばらばらに起きた事件には何かしら関連性があり、それは束となると一つの事件として繋がる。不気味なくらいに。これは同一犯の仕業で間違いだろう」


 “人災風魔”事件や“玉葛の神社”の窃盗事件、そして此度に起きた親友の奇襲事件。輩は人間に盗まれた筈の神鏡を持ち、親友の体に“人災風魔”の毒を放った。

 同一犯は複数であろう。短期間に幾度も事件を起こせるほど、妖祓も、頭領達も甘くない。朔夜は顎に指を絡め、静かに推測を述べる。


「しかも厄介なことに犯人は二種族と見ていい。赤狐が人間側と妖側、両方から犯人を炙っているように、犯人も人間側と妖側、両方から事件の火種を撒いている」


「確かに。“玉葛の神社”の窃盗事件は人間が起こしたらしいけど、神鏡を持っていたのは妖だ。手を組んでいるとしか思えない。この黒百合は賊の象徴なのかもしれないね。和泉くん、その逃げた犯人はどんな人間だったの?」


「近年まで地方公務員をしていた普通の爺さんだよ。実はたいしたことのない霊能力でね。厄介なのはこいつさ。錦、お前にはこれも渡しておく」


 台の上に一枚の写真が置かれる。

 分厚い化粧とスーツを纏った女性が映っている。

 きつめの眉剃りと、濃い化粧、鋭い眼光、眼鏡を掛けているのにも関わらず射殺されな視線だと雪之介は心中で引いてしまう。

 「これの人は」「店主の娘だ」齢三十の民俗学者。呪術師だという。


「名前は滝野澤(たきのざわ) 菫子(すみれこ)。表向きは大学教員で民俗学者をしているけれど、素性は妖専門の呪術者。妖を生贄に呪術をしている霊媒師らしいんだ。父親の滝野澤(たきのざわ) (しげる)よりも有能な霊媒師で、この親子が“人災風魔”を引き起こした黒幕と言っても過言じゃない」


「彼女の行方は?」


「屋敷に乗り込んだ時にはいなくてね。勤め先の大学へ偵察に行くも、既に行方知れず。僕等のことを嗅ぎつけて雲隠れだよ」


「身を隠すにしても、嗅ぎつけるにしても、一人じゃ無理だよね。複数の輩が妖祓を監視しているしか考えられない」


「僕としてはショウにこれを言うかどうか迷っていた。彼に言えば、きっと天誅を下しに行くだろうからね。正直、親友が人を殺める姿は目にしたくない」


 しかし事情が変わった。

 妖祓としてはあってはならない姿勢だろうが、水面下越しに赤狐へ情報を与えると朔夜は明言する。

 仮に翔を襲った妖と彼女が手を組んでいたとしたら、妖を生贄に呪術を行う滝野澤菫子が絡んでいるとしたら、白狐の身を狙う理由が見えてくる。


「僕は親友を守りたい。あいつがいなければ、ふたりで誓った夢も理想も叶わない」


 だから、こういう形でしか守る術がない。

 自分は妖祓。妖の頭領である妖狐とは常に対峙した関係。露骨に助ければ、妖達が不甲斐ない頭領だと見下してしまう可能性がある。それだけは避けたい。

 彼の主張に雪之介は間を置き、「赤狐が知ればこの人間は間違いなく裁かれるよ」妖祓は基本的に同族の殺生を行わない。

 それを知っているため、つい確認を取ってしまう。この情報を赤狐に教えて良いのか。妖祓が先回りして捕まえるべきではないのか、と。


 すると彼は苦々しく笑い、「僕はお人好しじゃない」然るべき罰を受ける人間には冷たいのだと返事する。


「妖祓とはいえ僕も愚かな人間、自分の身を挺して守る人間は選んでしまうものなんだよ。それに言っただろう錦。僕は思った以上に、親友の危篤に動揺している。並行して憤っている」


 彼の決意は十二分に感じ取った。もう何も言うまい。

 雪之介は小さく頷き、この写真と黒百合、頂戴した情報は赤狐に届けると告げる。良い土産となった。これは重要な手掛かりになるだろう。


「和泉くん。これは僕が翔くんに頼まれたことだけど、君の方が適任だから頼んでいいかな?」


 翔から預かったスマホを朔夜に差し出す。

 自分は彼に親の目を誤魔化して欲しいと頼まれているのだが、幼馴染の方が良い言い回しができるだろう。


 此方も全面的に協力するが、是非朔夜にも手伝って欲しい。



「彼の両親は例の事件により干渉的になっている。仮に電話が来ても、付き合いの長い君ならいくらでも誤魔化しが利くだろう?」


「分かった。それは僕が引き受けよう。その代わり、ショウの容態を定期的に教えてくれ。お前しか知れる手段がないからね……ショウ、死ぬことだけはまじで勘弁してくれよ。やっと妖祓になる決意を固めたばかりなのに、お前がいなくなったら、僕は」



 握り拳を作る朔夜に掛ける言葉が見つからなかった。



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