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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ参】葛の葉のうらの百年
126/158

<二>少年神主、北の神主を諌める



 月が昇り、それが沈んで日が昇り、また月が顔を出す。

 刻一刻と迫られる選択、見つからない最善の道に比良利は業を煮やしていた。

 どうすれば一番良いのか結論は出ているがそれは大きな賭けであり、負ければ命が一つ失われる大博打。


 最終決断を下すのは己なのだ。

 対を死なせたくない。想いはあれど、助けてやれる道が見つからない。

 これほど選択に頭を悩ませたことがあっただろうか。幾度も文殿と二之間を行き来し、比良利は鬼火草の投与について決断しかねていた。時間は迫るばかりだというのに。


 そんな時だった。十代目が目覚めたと吉報が入る。


 急いで二之間に入ると翔は瞼を持ち上げていた。余りの体の痛さに寝返り一つ打てずに顔を顰めていたが、開口一番に放った言葉は「みず」だったそうだ。

 まだ飲む力が残っていると知った時の安堵は底知れぬもの。さすがに食欲や会話は無理なようだが、意識が戻ったことは大きい。


 再び眠りに就いた翔は青葉達に任せ、比良利は文殿に医師付喪神と年の功であり保護者である猫又を呼んで意見を煽った。

 一聴には参考として彼自身の話を聞きたい。おばばには彼の保護者として話を聞きたい。


 ただ医師の立場であれ、保護者の立場であれ、辿り着く結論は“鬼火草”の使用だった。何もしなければ結局死が待っている。

 他に手立てがないのならば、そう思えど、おばばとしては『あの子が苦しむ道は避けたいねぇ』だった。


『苦しんだ先に死なんてあんまりじゃないか』


 項垂れる猫又の声は震えていた。




 翔から呼び出されたのは明け方のこと。

 話す程度にまで回復した彼は、どうしても比良利と話したいと青葉に言付けを頼んできたのだ。


 すぐさま翔の下に向かう。

 床に就く彼に掛かっているかいまきの中にはギンコとツネキが潜り込んでいた。比良利が来ると、ひょっこりと顔を出してのそのそ這い出てくる。

 翔曰くかいまきの中を温めてもらっていたそうだ。熱が出ているのにも拘らず寒気が取れず、二匹に湯たんぽをしてもらっていたらしい。

 金銀狐が客間から出て行く。翔が他の者を出払わせたようで、助手のお有紀の姿はなかった。


 二人きりになったところで比良利は、翔の枕側に腰を下ろし、如何したと優しく尋ねる。


「社の心配ならば此方で対処しておく。だから今はゆっくり休むが良い。ようやく容態が落ち着いたのじゃから」


 子供を見下ろすと、血の気のない顔が此方を向いた。


「比良利さん。俺は死ぬの?」


 前触れもない疑問、比良利は平常心を装う。

 何を馬鹿なことを申しているのか、既に死に目に遭ったではないか。これ以上の死線を彷徨いたいのか。

 やんわりと子を叱りつけるが、翔の曇りなき瞳は比良利を映し続ける。彼は力なく笑った。


「皆、俺を見て比良利さんと同じ顔をするんだ。泣きそうで、心配そうな、でも何かを思い詰めた顔……結構人の感情に敏感だからさ。分かっちまった。あ、俺はまだ本当の意味で助かっていないんだって」


 けれど、誰も何も言ってくれない。

 目覚めたばかりだからなのか、それとも言えないほどの重い事情があるのか。

 翔は後者だと睨み、比良利に尋ねる。熱を出している己はまだ死線に片足を突っ込んでいるのか。刃傷だけでは済まない、不味いことが体に襲い掛かっているのか、と。


「俺、他人の隠し事を見抜くのは上手いんだ。散々隠し事をされていたからさ」


 誤魔化しも手の一つだろうが、何かを察している翔には通じないだろう。

 意を決して比良利は正直に伝えた。“人災風魔”の毒に侵されていること、そして寿命がひと月足らずだということを。


 翔は他人事のように相槌を打つ。

 自分の体は自分が一番分かっているようで、余命宣告をされても血相の色はそのままだった。


 手立てが残っていることを伝える。

 鬼火草の投与は伏せ、毒を抹消する薬草を探している旨を彼に教えた。やはり隠してしまうのは、彼に対する気遣いと、比良利自身の臆病な一面によるものだった。

 すると翔は一笑を零し、「また隠す」もう手はあるのだろうと問いを投げた。


「一聴さんとお有紀さんの会話を廊下で盗み聞きしたんだ。鬼火草がどうのこのって言っていた。妖狐は耳が良くて嫌になるよな。聞きたくなくても、会話を拾ってしまうんだからさ」


 比良利は気付く。

 翔は状況の一切を把握しており、それを踏まえて己を試したのだと。

 二百も年下のくせに小生意気な妖狐だと苦笑い。

 その笑みもすぐに消え、翔を見つめ返す。翔とて“人災風魔”事件で皆を先導した一人。劇薬を使用するしかないことくらい容易に察している。

 意識が戻った今、投与するかどうか断を下すのは己だ。


「俺に鬼火草を使ってよ」


 先手を打ってきたのは翔だった。

 「ならぬ」考えよりも先に口が答える。それは比良利自身の本音でもあった。


「鬼火草は劇薬。健全な妖ですら、何かしら負の影響が出る。それはお主も体験しておる。“妖の器期”に薬を盛られ、一時的に正気を失ったであろう? あれの治療として鬼火草を使用し、妖力が底辺にまで落ちた。鬼火草は危険なのじゃよ。ましてや弱っている今のお主が耐えられるわけがない。地獄よりも激しい痛みがお主に襲いかかる」


 だとしたら、どうするか。

 鬼火草の代わりになる薬草を一刻も早く探し出し、翔の体内を蝕む毒を投与する。時間との闘いになるだろうが、それが安全かつ有効的だろう。患者への負担も軽い。


 目覚めた翔と対話して、強く感じた。


 「じゃから」「起きる」比良利の言葉を遮るように、翔が上体を起こそうと腹筋に力を入れる。腹を縫合した上に毒が回っている体だ。起きるなんてとんでもない。

 肩を押して、寝ておくよう強く命じるものの、聞かん坊の妖狐は起きるの一点張りだ。起きられる筈もないのに、何度も起きようとする。頑固者とは翔を指すのだろう。


「今から一聴さんの下に行って直談判する。俺は鬼火草を使う」


「わしの話を聞いておったか? お主は死にたいと申すのか!」


 患者に声音を張る。

 普段は身を縮みこませる翔だが、今回は違う。比良利にも負けん気強く声音を張った。


「違う。皆と生きたいから、鬼火草に頼るんじゃないか! 俺は、俺は……惣七さんじゃないんだ!」


 思いがけない言葉だった。

 言葉を失う比良利に対し、翔は腹部を押さえ、大声を出した痛みに耐える。「皆そうだ」苦痛に顔を歪めつつ、翔はかいまきを握り締めた。


「何かあれば、先代の死と俺を重ねる……それだけ傷になっていることは分かる。俺が未熟だから心配させているのも分かる。でも、重ねられる度に俺は信用されていない」


 先代は歴代一鬼才の発揮する南の神主。

 片や、当代は若過ぎる未熟な妖狐。


 だから大切に保護しよう。危険から遠ざけよう。何故なら南の神主は皆、短命。そうしなければ齢十八の妖狐が長生きできるわけがない。

 そう言わんばかりの態度を取っていると、患者は苦言する。


「まるで何もできない妖狐だと言われている気分で、それは、ちょっと寂しい。今もそう。比良利さんは俺を信じていない。先代の死を重ねている」


 翔は言う。

 今の比良利は先代の死と己を重ねている。面影を重ねているから、決断を鈍らせているのだと指摘。

 本来の比良利ならば、このような事態でも冷静に鬼火草を使用すると決断を下すだろう。些少でも希望のある選択を取る。

 それができないのは先代と当代を重ねているせいだと、翔は侘しく口角を持ち上げた。


「俺に“苦痛に耐えろ”くらいのことを、比良利さんは言っていいと思う。言われた俺は死ぬ気で耐えるって返すからさ」


「しかし」



「比良利さんはいつか、俺が隣に立つことを信じてくれている。俺も隣に立つことを夢見ている。なら、今、此処で俺を信じてよ。こいつならしぶとく生き抜くだろうって、そう信じてよ。今信じられなくて、どうして隣に立つ未来を信じられるんだよ」



 信じてくれる者がいなければ、耐えられるものも耐えられなくなるではないか。

 医師の一聴、お有紀。看病してくれる青葉やギンコ。見舞ってくれる者達の顔は浮かない。誰もが何処かで十代目は死ぬのだろうと予期している。

 不安にさせているのは誰もない自分だ。申し訳なく思っている。彼等に明るくなれと言っても無理だろう。


 だからせめて対には信じてもらいたいのだ。

 十代目南の神主は未熟者の餓鬼だが、しつこさだけは天下一。きっとしぶとく毒を乗り越えるだろう、と。


「俺も比良利さんの隣に立つために、しぶとく生にしがみつくから。十代目の底意地を此処で見せるから……鬼火草を使ってよ」


 比良利が駄目だと言ったところで、翔は一聴の下に行き、無理をしてでも鬼火草を使用するよう頼み込むことだろう。

 それは生きる可能性が大きい手を取った先の行動だ。翔は死ぬためではなく、生きるための闘いを既に始めている。



 単純未熟だと思っていた少年だが、鋭いところは本当に鋭い。

 彼は己に師弟関係で物申しているのではなく、対として物申しているのだ。願いを口にしているのだ。


 比良利は思い知る。己の覚悟が足りていなかったことに。

 目前の白狐は、常に対である赤狐と共に南北を統べることを念頭に入れている。何があろうと逃げぬ覚悟を決めているのだ。

 なのに自分はどうだ。先代の死を重ねて逃げてしまった。少年と“共に”南北を統べる覚悟がなくて、どうして対と言えようか。


 逃げるなと態度で教えてくれる白狐。

 齢二百の差、だが彼はまぎれもなく己の対なのだと思い改めさせられる。


「翔よ。お主にはまだ山のように教えねばならないことがある。本就任を迎えて一年足らずで神主修行を投げるなど、この比良利が許さぬ」


 既に翔は腹を据えている。それに応えるのも対である己の役目。

 脂汗を掻きながら見上げてくる翔に、先程とは違う声音の強さで伝える。


「お主の気持ちは確かに受け止めた。その気持ちに報いるよう、此方も率先して動こう。よいか、辛い治療となるじゃろうが耐えるのじゃ。決して死んではならん」


 「うん」翔は眼光を輝かせ、幸せそうに頷く。


「わしの対と名乗る以上、己の宣言したことは通せ。約束せよ、地獄を見ようと毒に耐えることを。隣に立つ未来をわしに見せることを」


 今日一番の笑みを浮かべ、翔は約束すると返事した。

 きっとこれを乗り切って比良利の背をまた追い駆ける。だから信じていて欲しい。動かない腕の代わりに、白い尾を差し出してくるため、それを尾で握る。力強く握り返す。

 気が抜けたのだろう。翔は力尽きたかのように、そっと枕に頭を預ける。


「あと俺からお願いが二つ。十代目の負傷は公にしないで欲しいんだ。気張り過ぎた小僧が、無茶して夏風邪を引いたことにでもしておいてよ。南の地の妖達に不安を与えるのは本意じゃない。先代の死を皆も引き摺っているからさ」


 少年でも彼は神主であり頭領、若いながらしっかりと民を考えている。


「それから俺が治療中の間は、比良利さんを含む神職関係者の立ち入りは禁止にしてほしい。来斬の件もあるし、“人災風魔”事件も未解決。皆にはそっちに集中してもらいたいんだ」


 神に仕える我々は一妖を守護する者。

 いつまでも“日輪の社”を閉じていては、何か遭ったのだろうかと勘繰るだろう。皆には社を開き、いつも通り過ごしてもらいたいのだと翔。

 水面下では四尾の妖狐、黒狐の来斬の行方を追って欲しい。新たな悲劇が起きる前に来斬を捕えて欲しい。


 そこまで話したところで翔は、泣きそうな、悔しそうな顔を滲ませる。


「俺は、弱かったよ……比良利さん。あいつに手も足も出なくて。無茶苦茶悔しかった。俺が強かったら、こんな怪我だって。ごめん」


 そんなことはない。

 格上に対してあれほど抵抗し、最後は急所を守り抜いて命を取り留めたのだ。妖として生きている時間が短いにも関わらず、そこまでのことができたことは称賛に値する。

 だが翔の悔しさも理解できる。似た悔しさを比良利だって噛みしめているのだから。


「怖かった。あいつに命を狙われて。今も怖い。死ぬかもしれない自分に。死にたくない、そう強く思っている反面、やっぱり怖いんだ。どうしようもなく……こんな弱音を吐いたら、比良利さんは怒る?」


「後で笑い話にされると覚悟があるのならば、どんどん吐くがよい」


「げ、意地悪い……比良利さんなら、百年も二百年もねちねちと言ってきそうだよ」


 いいではないか。

 これが笑い話になるような明るい未来があるのならば、そっちの方が断然いい。


 比良利は尾を握りなおし、白狐の額に手を置く。


「我が対よ。まずは体を治すことに専念せよ。此度の一件は我々で解決せねばならぬ。お主を欠くことはできぬ。はよ治すのじゃぞ」


 熱に浮かされている額を親指で優しく擦る。

 まんま子供扱いされて微妙な気分だと返事する翔の表情は柔らかい。荒い息遣いをそのままに彼は早く体を治すと約束を結ぶ。


「そうだ。今度一緒に焼肉にでも行こうよ」


「むっ?」


 話題を替えてくる翔に比良利が首を傾げる。まず焼肉というものが何か分からなかった。

 飯を食う場所だと歯茎を見せて笑う翔は、“日月の社”の者達で食事をしたいと夢見た。“日輪の社”の者達はこっちの世界に閉じこもってばかりだ。たまには外に出ても良いと目元を和らげる。


「完治祝いはツツジの甘酒がいいな。この時期の旬は柘榴の甘酒だったっけ。それでもいいよ。よろしく」


「これ、ぼん。何を申しておる」


「俺にとって都合の良い約束を取り付けようとしているんだよ。楽しい約束を山のように結んでいたら、絶対に死ねないって思えるじゃんか」


 小さく噴き出してしまう。

 窮地に立たされているというのに、この少年は暗雲立ち込める空気を一掃してしまう。まことに不思議な男だ。そこが魅力なのだろう。


「ならばアブラゼミ酒にしようかのう。旬の酒じゃぞ」


 そう言うと翔の顔が引き攣り、昆虫は苦手だと遠慮を見せる。


 知っている。

 一年の付き合いで彼の好き嫌いはある程度知ったつもりだ。昆虫だけはてんで駄目なようでトンボの素揚げや蜘蛛の胡麻和えなど、そういった料理は絶対に口にしない。どうしても食す前に気分が悪くなったと箸を投げてしまうのだ。

 それだけ苦手だと知っているため、からかいを口にする。他愛もないやり取りが彼の励みになればと思ったからだ。


「わしも主に都合の良い約束を取り結ぼうかのう」


「何かあるの?」


「食したいものがあるのじゃよ。以前、食した時、あれは本当に美味じゃった。この一帯の“妖の世界”にはない甘味じゃった。どうしてもあれをもう一度食したい。主に持って来てもらいたいのじゃ」


 あれは歯応えのない菓子だった。

 絹豆腐のような滑らかな舌触りで、黒蜜が絶品だった。何よりあの黒蜜を味わいたい。見た目は茶碗蒸しに似ていると人差し指を立てると、「それプリンじゃん」翔が菓子の名前を口にして笑う。


「分かった。元気になったら買ってくるよ。約束する。絶対に破らないよ」



 ※



 鬼火草による治療は翔本人の希望で部屋を行集殿に移され、その日の正午に行われることが決定された。

 一刻も早く治療をしなければならないと彼の中で思っているらしい。それだけ不味い状態なのかもしれない。此方が思っている以上に不味いのかもしれない。

 そう思えば、鬼火草を使用して良いのか躊躇いが芽生える。が、比良利は約束した。彼の生を信じると。なので心に生える芽は摘んだ。


 行集殿に移動したのは神職関係者達を寄せ付けないためだそうだ。

 自分に構っている暇があれば、不穏な目論見を企む来斬や妖の民達を想え、というのが白狐の考え。

 反対の意を唱える青葉や溺愛しているギンコに、決してこの部屋に近付くなと強い口調で命じていた。


「いいか青葉。俺が留守の間はお前が“月輪の社”の責任者だ。ギンコと、上手くやってくれ。ギンコ、青葉の支えになるんだぞ」


「ですが、もしも。治療中に何かが遭ったら」


 声音を震わせる青葉に「弱気になるな」、翔は“もしも”の未来を手繰り寄せないために治療に専念するのだと唸り、巫女にしっかりしろと檄を飛ばす。

 泣くなとは言わない。だが弱気になってもいけない。そこに敵が隙入る可能性だってあるのだから。

 そこまで言った後、彼は巫女に仕方のないおばあちゃんだと眼を和らげる。


「これが終わったら花火でもしよう。夏といえば花火、きっと楽しいぞ。ギンコ、綺麗なもの好きだろう? 一緒に花火をしような」


 頬にすり寄って来るギンコの頭を撫で、彼は彼女達に約束を結んだ。それは糧にするための約束なのだと、比良利は容易に察する。

 翔はおばばも部屋に寄せ付けないと決めていた。祖母には旧鼠達の面倒を看て欲しいのだろう。



 結局、白狐が入室許可した人物は医師の一聴、助手のお有紀、そして名張天馬だった。

 烏天狗については本人たっての希望であり、水面下では比良利の頼みでもあった。

 来斬のことがある以上、腕の立つ者がいた方が心強い。結界が破られることはもうないと思うが、この世の中に絶対など存在しない。

 教訓を活かし、比良利は“護影”として彼に守役を任せた。


 尤も、比良利が頼まずとも彼はその役を受け持つ予定だったようだ。天馬は良い口実が出来たと言っていた。



 正午前になると雪童子の雪之介が天馬の連絡伝いに、“日輪の社”を訪れ、翔から頼み事を引き受ける。

 なんでもスマホとやらを彼に託し、親の目を誤魔化して欲しいそうだ。

 比良利にはよく分からない内容だったが、対にとって大切なことなのだろう。


「皆様、そろそろご退室を。翔さまに液状化した鬼火草を投与しますので」


「後のことは頼むぞよ一聴。お有紀。天馬。我々は白狐の願いに従い、終わるまで此処を訪れぬゆえ。ぼん、信じておるぞよ。約束は破るでないぞ」


「大丈夫だよ比良利さん。辛くなったら歌って気を紛らわすから」


 青白い顔のまま笑う翔はすぐ復帰すると綻び、比良利達を見送ってくれた。


 行集殿の木造扉が閉められる。足を止めてしまった青葉やギンコに行こうと声を掛けるが、なかなか動こうとしない。


 程なくして行集殿から声が聞こえた。此処には耳の良い獣の妖ばかり。それが苦痛帯びた悲鳴に近い白狐の声だと皆が理解する。

 見る見る震え始めた青葉が来た道を戻ろうとするので、比良利が肩を掴んで制する。傍らではギンコがツネキに道を塞がれていた。


「ならぬ青葉。我等は近づくなと翔に言われておろう」


「しかし、鬼火草は劇薬。翔殿は辛い思いをしております。私は少しでも傍にいてお世話をしたいのでございまする」


 また家族が失うなど堪えられない。青葉の悲痛な訴えに、思わず手に力が篭る。


「あやつの下した命令は我等にとって酷であろう。じゃが、翔は生きるために生きる闘いをしておる。我等がいては妨げになるのじゃよ」


「傍にいたい。それが妨げなのでございますか?」


「今のあやつの願いはなんぞや。傍にいて欲しいものであったか? 主に社の一切を任せたのではあるまいか?」


 ここは白狐を願いを聞き、彼を信じて復帰を待とうではないか。それが彼にとって一番の特効薬になる。

 自分達のすべきことは、いずれあの部屋から出てくるであろう白狐に良き報告を持ってきてやることだ。


 このままでは白狐に言われるだろう。

 自分が治療している間、皆は何をしていたのだ。休暇でも取っていたのか、と。

 何もせず、憂慮を抱いても笑われてしまうのが関の山。彼を想うならば神職として、己に授けられた天命を果たすべきだ。


「この六尾の妖狐、赤狐の比良利。病魔に侵されている三尾の妖狐、白狐の南条翔の想いに恥じぬ務めを果たす。お主等もそうであれ」


 浄衣の袖を翻し、比良利は皆について来るよう告げ大間に向かう。

 これからあの夜のことについて、如いては来斬の野望について知る必要がある。休んでいる暇は爪先もない。


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