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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ弐】妖祓、対立再び
123/158

<十一>待宵の月、玉響に散る(弐)




「か、翔殿――!」




 轟く青葉の悲鳴、広がる己の血と、走る痛み。

 声を聞きつけたギンコと駆け寄って来た青葉の支えによって、上体を起こすことに成功するも鮮血が右の腕を伝う。痙攣する体をそのままに、どうにか右肩に左手を伸ばして傷口を押さえる。

 痛みが全身をめぐる。何が起きたというのだ。


「動かないで下さい。今、止血を致します」


 血に染まる浄衣のつなぎ目を破ろうとする青葉に、まずは鳥居から離れようと指示。青葉に肩を貸してもらい、自力で立ち上がると妖型に化けたギンコの背に凭れる。

 体を持ち上げて跨る力が出ない。熱帯びる患部に呻き声を上げる。

 闇が広がる鳥居の向こうから光が射す。「走れ!」怒号を合図に青葉は飛躍。ギンコは己の浄衣を食んで翔を引き上げると一目散に走る。


 発砲と共に自分達のいた石畳に鉛がめり込む。

 あれは弾? 自分は銃弾に撃たれたのだろうか。地に目を落としていた翔は歯を食いしばらせ、今にも落ちそうな体を必死に保つため、左手でギンコにしがみつく。

 ギンコの背に飛び乗った青葉が後ろから支えてくれたため、身を崩すことはなかった。

 荒呼吸を繰り返し、どうにか唾を飲み込む。


「あ、結界が!」


 青葉の戸惑いの声。

 繰り返し聞こえる発砲と共に、鳥居に張られた結界が崩されていく。翔の目には見えていた。普段は濁った膜のようなものが張られている鳥居の結界に亀裂が入り、なす術もなく崩れていく光景を。

 決して破られることのない常世結界が破られるなんて。あれは神使が張る結界だというのに。


 騒ぎに憩殿にいる猫又が飛び出して来た。


『何事だいっ、坊や!』


 浄衣を赤く染めている翔に祖母が血相を変えた。大丈夫だと返事し、すぐさま猫又にネズ坊達を探して来るよう命じた。

 何かがおかしい。子供達を安全な場所に避難させるよう声を張る。



「安全、ねぇ。この世の中、何処が安全で、何処が危険か。ンなもん、分からないもんだ。比良利は“妖の世界”を安全と判断したようだが、常世結界を過信してやがる」



 常世結界が破れないなんて何処の世界の規律だ。

 石段を上って鳥居を掻い潜ってくる一人の妖が、嘲笑的に揶揄した。月夜に照らされる侵入者。

 左の目に眼帯。深い藍の羽織と黒の着物。帯に挿している鞘。懐に隠せていない短筒。肩に掛けた火縄銃。生える四尾は狐。持ち前の左耳は欠けている。


「あ、貴方は……四尾の妖狐、黒狐の来斬(らいざん)


 人物を捉えた青葉の顔色が一変。

 憎悪にまみれ、怒りに体がわななく。支えている手に力が入ったせいで、痛みが増し、怪我人の翔は息を呑んでしまう。それに気付いた青葉が謝罪をするものの、目は相手に釘づけだ。

 銀狐も威嚇の唸り声を上げ、尾を激しく振り始めた。彼女達は輩と顔見知りのようだ。


「生きていたのですか。比良利さまによって葬られたとばかり」


 青葉の瞳が縦長となり、それは見る見る膨張する。


「おかげさまで完全復活に約一世紀を要した。そこの小僧以外、変わらん面子だな。本当に変わらん。貴様等の用心さも、浅はかな甘さも」


「よくも翔殿を撃ちましたねっ。よくも、よくも!」


「そら警戒を怠っていた貴様等が悪い。神社ってのは鎮守の森で守られているんだろう? ありゃ確か現世と常世の端境。結界としての役割も担っている。なら、この鏡で常世越しに“妖の社”が視えたっておかしくねぇだろうが」


 来斬が帯に挟んでいた鏡を天に掲げる。

 常世を見通すことのできる、便利なこれを通して火縄銃を撃ったのだと冷笑する来斬。それはまぎれもなく“玉葛の神社”から奪われた神鏡だった。

 怒気を高める青葉にくつりと笑い、片頬を持ち上げる来斬は鏡をしっかり帯に挟みこむと、火縄銃の照準を翔に合せる。


「徒話は此処までだ。小僧、貴様の体を“依り代”として貰うぜ」


 結界を破ったとはいえ、神使の許可なしに長居できるような空間ではない。

 今も神の怒りに触れたかのように妖力を吸い取られている。時間は限られているのだと、語り部は顔色一つ変えず口を動かして引き金を引いた。


 眼を見開き、青葉が飛び出す。止める間もない。

 彼女は狐火で銃弾の軌道を変えると、猪突猛進に来斬の首を取りに長く鋭い爪を出した。紙一重に回避する巫女に口角を持ち上げ、懐から短筒を取り出して彼女に突きつけた。

 臆することなく銃口を蹴り上げる青葉は、一度敵と距離を保つために後ろへ飛躍。


「オツネ! 翔殿を本殿へ! 奴の狙いは翔殿です!」


 予測していたのだろう。

 来斬が片手を挙げ、鳥居から獣型の黒狐を三匹放つ。それらは青葉の脇をすり抜けて空を翔ける銀狐を追った。


「おのれッ」



 殺気立つ巫女は火縄銃の照準を合わせようとする来斬を阻止しようと地を蹴る。


 一方、翔はギンコにしがみつきながらも、血濡れた右手に大麻を召喚。左手に持ちかえて、追っ手に風の斬撃を送る。

 しかし標的に当たらない。相手も此方も移動している理由が一つ。己が利き肩を負傷している理由が一つ。これではまともに戦うこともできない。


「さい、あくだな」


 結界が破られているせいで容易に悪しき妖が入り込めている現状。


 悔しさが胸を占める。

 南北の地を任せられているというのに、社の結界を破られてしまうなんて。

 見知らぬ男に“日輪の社”を荒されるわけにはいかない。此処にはおばばやネズ坊達がいるのだ。このままでは第二の負傷者が出てきかねない。

 脂汗を滲ませる。目が霞んできた。止血をしていないせいか。


「肩に違和感が……弾が残ってるのか」


 輩の持つ武器は火縄銃のくせに、火を点けて間もなく発砲できるようだ。

 妖術と火縄銃の性質をうまく利用しているのだろうか。

 靄の掛かる視界をどうにか振り払い、翔は痺れてきた肩に懸念を抱く。痛みによるものならば良いが、どうも別の予感が脳裏を過ぎった。

 これが鉛弾ならば早く取り出さなければ。鉛は体に毒だと世界史で習ったような、微かな記憶が疼く。


「助けっ、呼ばないと」


 来斬という妖狐が何者なのかは知らないが、圧倒的に此方が不利だ。

 青葉と対等に渡り合える彼の身のこなし、そして追って来る黒妖狐達は桁違いの妖力を持っている。

 いくら巫女が優秀とは言え、一人じゃ無理だ。翔自身は怪我を負っている。自分を守りながらの戦では、彼女への負担を大きい。



 けれどどうする。誰に頼ればいい。

 比良利達は不在。人の世界に飛び出すにも、輩に待ち伏せされている可能性がある。本殿からオオミタマ達の下に逃げるか。いや、御魂の社を開くには正式な儀式が必要。不可能だ。


 黒妖狐三匹がギンコを取り囲んだ。

 犬歯を剥き出しにして銀狐が一匹に噛みつく。翔は力を振り絞って大麻を振ると、妖狐を火炎で身も骨も焼いてしまう。


 一か八かの賭けに出るしかない。


「ちゃんと動いてくれよ!」


 常備している人型の形代を取り出し、息を吹きかけて宙に放る。

 それは己の分身を作るもの。主に親の目を誤魔化すためのみに使用しているもので、分身を作っても眠りこけたものしか生み出せない。分身を自在に動かすには、それだけの技量を要するのだ。

 ちゃんと練習をしろと常日頃から比良利に注意されていたのだが、ここにきて賭けをしなければならないとは。


 ああ、後回しにせず練習をしとけば良かった。


 だが今、成功させずに何処で成功させるというのだ。


 見る見る容を変える形代に、


「白の宝珠の導きに従え!」


 紅の宝珠を持つ我が対の下に事を知らせるよう命じる。


 人型として着地した形代はきょとん顔で周囲を見渡していた。

 取り敢えず、眠りこけることはなかったようだが、やっぱり言うことを聞くまでには至らない。

 どうすれば良いか分からず立ち往生している。


「何しているんだ。あいつ」


 緊急時だというのにあの間の抜けた顔。自分の顔ながら、ぶん殴ってやりたい。


 青葉が来斬に一蹴され、彼女の身が木の葉のように宙を舞う。

 それを目の当たりにした形代の戸惑いが消えた。

 眼を見開く分身に、翔はもう一度命じる。紅の宝珠を持つ我が対の下へ行け。事を知らせろ。来斬という妖が現れ、結界が破られたことを知らせろ、と。


 形代の姿が妖型と変化する。

 宙を翔けて来斬の真上を過ぎり、鳥居を潜る分身。比良利達がいるであろう“玉葛の神社”は遠く、場所も不明確だが形代はきっと彼を呼んで来てくれる。宝珠が導いてくれる。


「おっと、そらねぇぜ」


 来斬が鳥居の方角に向かって指笛を吹く。

 闇が蠢き、形代の後を追った。刺客を放ったに違いない。


 けれど大丈夫、形代なら乗り切ってくれる。


 後は来斬と呼ばれる妖狐をどうするか、だ。

 侵入者は長く此処にいられないと言っていた。あれは嘘ではないのだろう。闘争心剥き出しの青葉を真剣に相手に取らず、此方の様子ばかり窺っている。


 おとなしい巫女が冷静を欠いているのも珍しい。

 少々血がのぼっているようにも見えた。感情的に動いても、相手に動きを読まれて回避されるだけ。そして相手の動きを読めずに妖術を霧散されてしまうだけなのに。


 来斬の動きが変わった。

 輩は火縄銃を放ると、懐から短筒を一丁、腰帯から一丁短筒を取り出す。もう一丁隠し持っていたのか。翔はギンコから飛び下り、一目散に青葉の前に回って大麻を和傘に変化、それを開いて銃弾から己と青葉の身を守る。

 和傘に当たる度に衝撃で体が後退、銃弾の威力の大きさを実感した。

 「おっと」短筒を引く来斬は危ない危ないと、大きな口の端を持ち上げて笑みを浮かべた。


「あんま“依り代”に疵はつけられねぇんだよ。でっけぇ穴でもあけちまったら、口やかましく言われるもんでねぇ」


「さっきから……“依り代”とか、なんだよマジで。もう穴をあけたくせに」


 疵をつけられないのならば、この肩の傷はなんだ。嫌味か。

 和傘を閉じ、左手のみで構えを取る。が、背後にいた青葉が翔を飛び越えて来斬に狐火を放つ。無数の青白い狐火が爆ぜ、彼女は立ち込める煙に身を隠すと同時に黒狐の視界を奪った。


「青葉っ、待て!」


 少し冷静になれと呼び止めるも、殺気立った青葉の動きは止まらない。地上に火炎の柱を生み、無礼講を振る舞う妖狐の身を焼こうとする。

 だが来斬は轟々とうねる炎の柱に臆せず、長巻で柱を根元を斬ってしまった。

 「おのれ」完全に興奮している巫女の体毛が総立ちとなる。グルル、唸り声を上げる青葉に相変わらずだと相手は嘲笑を零した。


「昔から金魚の糞みてぇに惣七について回っていた娘っ子だったが、それは今も変わらんようだな」


「黙れ! 惣七さまの仇はここで取らせてもらう! お前だけは決して許さない!」


 敬語が砕け、口汚くなる。

 九代目南の神主の名を耳にすることで、ようやく青葉の怒れる理由を見出すことが出来た。この妖は九代目の死因に関わる輩なのだ。

 これで巫女のらしからぬ戦の姿勢に納得。普段の彼女なら、もっと知的で無駄のない動きをする。


 翔は冷静になるよう呼びかける。

 このまま無鉄砲に動き回っても相手の思うつぼだ。

 しかし青葉の耳に己の声は届かない。防御も忘れ、狐火と拳と足を炸裂させている。攻撃は最大の防御だろうが、相手も腕が立つ輩と見た。


 自分に勝てるつもりなら驕っていると鼻で笑い、向かって来る青葉の拳を片手の平で受け止めると、しっかり腕を掴む。

 瞬く間に膝蹴りが彼女の鳩尾を突き、身を投げるや短筒で無防備になっている利き足を銃弾で射抜く。


 飛沫する巫女の血。青葉は悲鳴すら上げられず、鳥居に体を打ち付ける。が、寸前で疾走した翔が間に入り、彼女の体を受け止めた。


 肩の傷に響くが今は青葉だ。

 片腕と三尾で彼女を横抱きにすると、ギンコを呼んで背に飛び乗る。痛みに声を漏らす巫女の目は来斬を捉えていた。まだ戦う気なのだろう。

 腕に閉じ込める青葉が下ろしてくれるよう四肢を動かした。

 来斬はこの手で葬るのだと訴えてくる。気持ちは分かるが許可できない。負傷した体で相手を討ち取れるほど、来斬は甘くない妖だと判断したからだ。


 狙いは自分。宝珠の御魂を狙う輩にしては、やや発言に気掛かりな点があるが自分を狙っていることには違いない。


 とにかく傷の手当てをしなければ。血を流し過ぎるのは危険だ。


 翔はギンコに表社に行くよう指示した。

 其の地の神社の神様には申し訳ないが、社殿に篭らせてもらおう。“日輪の社”を飛び出すことは危険だが、此処を戦場にしてはおばば達の身が危うい。

 幸運なことに輩は自分以外興味を示していない。また、祖母のことだ。ネズ坊達を集めて、上手く身を隠しているだろう。この場を離れるのが得策だ。


 己の指示に異議を唱えるのは青葉だった。

 自分は社に残り先代の仇を取るのだと言って、ろくすっぽう人の話を聞きやしない。


 まったくもって状況を見て欲しいものだ。青葉は足をやられ、自分も相手の圧倒的な戦略のせいで肩を負傷。大麻を振るうことも儘ならないというのに。

 この娘っ子ときたら駄々を捏ねた子供のようだ。


 けれど、それが青葉らしい姿。

 自分は幾たびも先代の像と衝突し、時に理解を、時に対峙をすることもあるだろう。分かっている。今も青葉は先代の仇を取りたくて堪らない。

 だが当代神主は己なのだ。自分は巫女のため、神使のため、そして妖達のために優先順位をつける。今の先代の順位は低い。

 彼女には申し訳ないが、優先すべき者達は今を生きる者達なのだ。


 鳥居を潜り、ギンコが人の世界に飛び出す。

 “表の社”の鎮守の森を見渡した。待ち伏せする輩はいないようだが、あの妖は油断がならない。罠を張っている可能性もある。警戒心は怠らないようにしなければ。

 小さな社殿に身を投げたギンコは観音開きの扉を尾で閉め、額の勾玉に蓄積された妖気を放出。結界を張って時間を稼いでくれる。


 その隙に背から下りた翔は抱えている青葉を床に座らせ、撃たれた傷を診るために躊躇なく袴を銜えて歯で破く。

 生々しい銃痕に眉を寄せる。出血が酷い。


「翔殿、何故話を聞いてくれぬのですか!」


 憤りを見せる青葉が拳で胴を叩いてくる。

 そんな彼女の肩に手を置いて強く握ると、翔も負けじと声を張った。


「青葉は月輪の社のなんだ。七代目南の巫女だろう? 奇襲を受け俺もお前も負傷。先代はこの状況を見て、どう判断を下す? 感情のまま戦えと言うか?! 違うだろう?!」


 青葉が敬愛してやまない先代は、そのような愚かな妖狐じゃない。それは誰よりも青葉が知っている筈だ。

 なのに、先代の想いを受け継いでいる彼女が、先代を愚者にしてどうするのだと翔。


「しっかり状況を見ろ」


 相手を強く見つめて体を揺する。

 意表を突かれた彼女が呆然と見つめ返してくる。その瞳に己の苦笑する姿を映した。


「先代の無念は必ず晴らそう。だから、今は落ち着け。冷静になれ。熱くなるな」


 結界を張っているギンコが鋭い一声で鳴く。銀狐も檄を飛ばしているようだ。

 ようやく理性を取り戻し始めたのだろう。青葉が小さな声で謝罪をし、迷惑を掛けたと頭を下げてくる。


 謝罪は後回しだ。

 まずはこの状況を乗り切ることを考えなければ。遅かれ早かれ、形代が必ず比良利達を連れて来る。それまで一分一秒時間を稼がなければ。


「ギンコが頑張って時間を稼いでいるんだ。早くお互いの止血をするぞ」


 己の浄衣の袖を犬歯で破り手早く患部に当てると、右太腿に巻いていく。

 翔は天馬の指導を思い出す。太腿は人体の急所の一つ。そこをたった一発の銃弾で的確に射抜いたのだから、相手の銃の腕前は相当なものだ。

 「動けそうか?」問うと、「妖型となります」その方がまだ素早く動けるだろうと青葉。いつもの彼女が戻りつつあるようだ。一安心である。



「翔殿。私はもう大丈夫なので肩をお見せ下さい」



 パン――。


 乾いた爆音が扉と衝突し、社殿全体を振動させる。

 輩が到着したようだ。発砲と嘲笑の二つが聞こえる。ギンコが結界を張っていることで扉は無傷を保っているが、それもどれだけ時間を稼げるか。


「や、べぇ」


 上体を折る。

 本格的に目が霞んできた。

 遠のき始める意識と乱れる呼吸。悪寒を感じてきた身は震え、耳に纏わりつく音は心音ばかり。


 おかしい、絶対におかしい。

 血を流し過ぎだけでは説明がつかない症状が襲っている。

 やはり肩に鉛弾が残っているせいか。弾が残っていると体に悪影響があるのだ。全身に冷たい体液がめぐっている。血ではない何かが。


「あお、ば……悪い、俺……かなり、まず、い」


 体が傾き、青葉に身を預けてしまう。


「つ、冷たい!」


 氷のようだと頓狂な声を上げる彼女が、床に横たわらせてくれた。応急処置を始める青葉の作業を視界の端で見やりつつ、翔は参ったと弱音を一言。

 総責任者を任された途端これである。絶体絶命の危機に匙を投げたいと冗談を口にしつつ、早く比良利が来てくれることを願った。



 ※



 統べる南の地より遥か東の人村里を守護する“玉葛の神社”にて。

 丸二日、この神社に滞在している比良利は神鏡が祀られていた社殿。神社を取り囲む鎮守の森。村里を一通り見て回り、犯人の形跡はないか見て回っていた。

 時に村里に住みつく妖に聞き込みを試み、情報を掴もうと奔走。瞬く間に時間を費やし、気付けば明日の帰還が迫っていた。

 直接現場に来てみれば何か手掛かりが掴めると思ったのだが、何一つ情報が残されていない。比良利は落胆の色を隠せなかった。


 無論、未熟な対に南北の地を任せ、ここまで熱心に情報を掴もうとするのには理由がある。


 その夜は社殿で当主達に百年前の事件を語った。


 流はそのような事件があったとは、と眉根を寄せ“玉葛の神鏡”にそのような使い方をする者がいるとは信じがたいと意見を返す。

 しかし事実なのだ。比良利は両側にいる紀緒、ツネキに視線を配り、再び流に視線を留める。


「百年前。“玉葛の神鏡”を盗んだのは人間であったが、悪用したのは妖であった」


 輩は神鏡で常世の世界を覗き込み、そこから無差別に妖の魂を甦らせ、己の中に取り入れようとした。輩は独自の宗教観念を持っており、それに従って新たな妖として進化を遂げようとした。

 また、何かと事件を起こした後は黒百合を置いて他者を煽った。何故ならば黒百合の花言葉は“呪い”。厭われる花を贈る風習があった。


 かつて己と南北を統べた対は、この賊と手を結んだ人間の罠によって命を落としている。宝珠の御魂を狙った悪しき人間に。


 “玉葛の神鏡”の力は然程強くない。が、術師によっては赦されざる行為もできるのだ。奪い返した際、神鏡をどうしようかと悩んだものの、本来の場所に祀られることを神鏡は望んでいる。

 なにより、この人里ならば静かに神鏡が眠れると思い、“玉葛の神社”に返したのだと比良利。


「事は公にしなかった。混乱を招くと思ったからのう」


 人と妖が手を組み、このような悪事を働いていたなど、南北の民達を混乱に貶めるだけ。


 当時九代目南の神主の訃報が行き渡り、悲しみに暮れていた頃。

 そこに情報を流せば妖達が無用な戦を人間に仕掛けかねない。だから伏せていたのだ。百年経った今も、これからも、事を公にするつもりはない。


 事件の被害者ゆえ当主には真相を話したが、これは内密にして欲しいと頼む。

 快く承諾した流は話してくれたことに感謝の意を示し、その場で手を添えて一礼する。


「此度の件は賊の復活ではないかと睨み、我が神社までご足労していただいたのですね」


「妖も人もすべて討ったつもりではあったが、数人逃げられておる。大事にならなければ良いのがじゃ。流よ、明日は一度帰るがまた近いうちに訪れる。悪いが邪魔をするぞよ」


 邪魔なんてとんでもない。

 流はかぶりを振り、これは自分達の問題でもあるのだと返事した。できることならば、自分達の手で神鏡を取り返したいと断言する。

 誇りを持っているのだろう。真の当主だと比良利は目尻を和らげた。



 会話がひと段落すると流が食事の用意をすると告げ、ナガミとナノミを連れて社殿を後にする。

 背を見送った比良利は重い溜息をつき、何一つ手掛かりがないことに苛立ちを募らせた。社を閉じ、執務を放って此処まで来たのに例の賊の残党なのか、模倣犯なのか、まったく別の賊なのか、真偽を見極めることすらできないなんて。


 一週間は滞在して情報を聞き込むべきだろうが、さすがに一週間留守にすることはできない。対が一人前ならまだしも、翔は半人前以下。せいぜい三日が限度だろう。

 せめて残党なのか、そうでないのか、それだけでも手掛かりが欲しい。


 低い声で唸っていると、紀緒が良かったのかと声を掛けてきた。


 何のことだと返せば、自分の対に事情を説明しなくて良いのかと苦笑を浮かべる。

 きっと少年神主は百年前の事件の詳細や、黒百合の意味を知りたがっている。皆に聞いて回っていたのだから、内心相当不満を抱いている筈だ。

 しょうがないガキだもんな。ツネキがへらへらと鳴いて尾を振れば、「火遊びばかりする誰かさまよりはマシですよ」と紀緒。金狐は見事に硬直していた。


「早くオツネと仲直りなさい。ナノミさまがお可愛らしいのは同意しますけれど」


 目を泳がせる金狐に紀緒は白眼視を向けた。


 巫女が感じ取っているくらいだ。

 当然比良利もそれは感じ取っていたし、表情で同行を希望していたが、この一件に関しては少年神主を巻き込むつもりはなかった。

 未熟な彼が無暗に首を突っ込めば命を落としかねない。賊は皆、一癖も二癖もある輩達だった。残党となれば、彼の身が危ぶまれる。

 彼には立派な神主になり、己の隣に立ってもらいたい。下手に事件に関わってもらうより、神主修行を優先させていたい。


 片隅でこれは拙い弁解だと自嘲。

 本当は己の非力を目の当たりにしたくないだけ、如いては対を失いたくないだけなのだ。

 彼は鬼才だから大丈夫だろう。そう過大評価をした結果、対を失う羽目になるなんて今も夢のよう。超えると口癖に言っていた相手を、見返すことも、守るもできなかった。


 女々しいことに、それが傷心となっている。不甲斐ないばかりだ。


 憂慮を含んだ眼を向けてくる紀緒に力なく微笑み、「わしは弱いのう」決して“月輪の社”の者達には見せない心の脆さを見せる。


「いいえ」


 彼女はやんわり否定し、己の手を取って両手で包み込む。


「貴方様はあの頃と違います。わたくしも、ツネキも、貴方様を陰から見守って来ました。本当に立派になられましたよ」


 そうだと良いのだが。

 彼女の手のぬくもりを感じながら物思いに耽っていると、ツネキが意味深長に目を細めてくる。


「なんじゃ」

「なんですか」


 口を揃えると金狐がそっぽを向き、無造作に尾を差し出してくる。


 ああ、仲間に入れて欲しかったのか。それとも励ましてくれているつもりなのか。


 どちらにせよ、こういうところはまだまだ子供な金狐である。

 紀緒と笑声を噛みしめていると、なんだよと向こうが吠えてきた。ムキになるところが愛らしい狐である。

 おかげで心が和んだ。そろそろ仲間に入れてやろう。ツネキを手招いた。


 その手が半端なところで止まる。

 比良利は弾かれたように顔を持ち上げると、惹かれたように立つ。どうかしたのか、ツネキの問い掛けに「ぼんが近くにおる」


 そんな馬鹿な、あいつはこの場所を知らない。金狐が主張するが、確かに比良利は感じた。少年神主の妖気を。

 置いて来た筈の彼が近くにいる、何故。

 妙な胸騒ぎを感じ、比良利は社殿を出た。早足で参道を伝う。


「比良利さま。本当に翔さまが?」


 背を追って来る紀緒の問いに答えることなく、石段を下っていく。

 最後の段の先に、食事の用意をしに行った筈の流が片膝をついていた。傍らには神使二匹の姿。

 声を掛けると、丁度良かったと彼。すくりと立ち上がり、己に歩んで来る。


「これは翔さまの使いでございましょう」


 当主の腕には少年神主の姿。

 姿かたちこそ少年神主だがこれは形代だ。一目見て分かった。流曰く、神社の前の道に倒れていたそうだ。ナガミが形代を見つけらしい。


 我が対は形代を動かすことが非常に不得意で、大半は息を吹きかけても眠った姿で現れる。動かすことなど殆どできず、両親の目を誤魔化せないと常々嘆いていた。

 ゆえにもっと修行しておけと口酸っぱく言っていたのだが、彼がその“形代”を使用し、己の下に向かわせるとはよっぽどのことだ。


 硬く目を瞑って荒呼吸を繰り返している形代の浄衣は血に濡れている。

 形代は分身であり、本体と連動することが多い。つまり、それは。

 比良利が呼びかけると、紙人形は目をじんわりと開けた。まじまじ此方を観察。赤狐だと判断すると、安堵したように息を零す。


 けれども次の瞬間、天を見上げた。

 一点を睨む形代の視線を辿る。夜空ばかりが広がるその向こう、黒火が放たれたことを確認した。


「皆様、御下がりください」


 逸早く巫女が前に出るや、皆の前に結界を張る。

 衝突する黒き火は粉となり、塵となって大気に舞った。


 術を放つ無礼者を引き摺りおろすため、妖型となったツネキが咆哮。

 誰よりも早く天を翔ける。その背に飛び乗った比良利が和傘を召喚、一文字に宙を切って風の刃を送る。

 素早く避ける輩達の正体を目にした比良利は愕然とした。


「黒い狐の使い魔……これは」


 見覚えのある使い魔。

 それこそ百年も前、己の妖力を具現化させ、新たな使い魔を生むことのできる輩がいた。

 寧ろ、そのような器用な真似ができる妖は比良利の知る限り、一人しかいない。


「そんなわけがない。あやつが生きているなど、まさか、そんな」


「比良利さま、形代が!」


 地上から流の焦燥感溢れる声が聞こえてくる。

 見やれば、彼の腕にいる形代の体が明滅。見る見る姿が紙人形に戻り、身は紙ふぶきと化して一帯に舞い上がる。


 力尽きた形代、それは本体になんらかの異常事態が起こっているということ。

 脳裏に蘇る。かつての対の死に顔を。重なる。今の対の死に顔が。今すぐ帰らなければ。対に危機が迫っている。


「我が対よ、今行く。じゃから少しだけ辛抱せよ。二度も悲劇を繰り返してはならんっ、ならんのじゃ!」


 比良利は大麻を握り締めると、黒狐達を見据え、そこを退くよう声音を放ったのだった。


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