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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ弐】妖祓、対立再び
122/158

<十>待宵の月、玉響に散る(壱)



 ここ数日、人様の恋愛に巻き込まれていた翔だが、妖の世界でも縁談の話は解決しておらず、定めた日に“玉葛の神社”のナガミ、ナノミが“日月の社”を訪れる。


 ナガミとギンコは互いに興味を示していないため、建前上の見合いをしても沈黙。向こうは欠伸を漏らすし、ギンコは翔の方へ走ってしまう。


 同じようにナノミとツネキもそうあれば良いのだが、相手は大変積極的。

 見合いの場でツネキに尾を振り、好意を示した。女好きのツネキがナノミを突っぱねられる筈もなく、ホトホト困りながら彼女に寄り添っている。


 こういう時こそ男を見せて、俺にはオツネがいる。だから君とは付き合えないと断ってくれたらいいものを。

 見合いの場に立ち会った翔はツネキの様子に落胆。比良利もどうしたものかと頭を抱えていた。

 おかげさまでギンコとツネキの仲は険悪のままである。

 

 一方、“玉葛の神社”の当主である流は微笑ましいとばかりにナノミを見守っていた。相手に興味を示さないナガミには、もう少しおなごには優しくしてやりなさいと説教し、神使の見合いが成就することを願っている。

 流としてはナノミを嫁がせ、ギンコには嫁入りして欲しい模様。

 それを聞いた翔が銀狐の挙式を妄想し、可愛い狐をお嫁にやるなんて無理だと、おいおい泣いたことは笑い草として記しておく。


 ついにツネキも危機感を抱いたのだろう。

 金狐はナノミをどうにかできないかと、相談を持ち掛けてきた。このままでは相手に押され押されるがまま結婚が決まってしまう。自分は銀狐が好きなのだと主張。

 ならば、はっきり相手にその意向を伝えれば良いのだが、彼曰く「可愛い娘の誘いは断れない」そうだ。


 呆れ返って物も言えない翔の傍らで、ツネキをたらしにした元凶が深く頷いて同調していたため、紀緒が白い眼差しを送っていた。

 ナノミは良き妖狐だ。翔も何度か接したことあるが、非常に礼儀正しい雌妖狐だった。ナガミも自分達に対しては、紳士的で物腰柔らかい。

 客観的に見れば双方はお似合いだと思うのだが、恋とは難しいものである。


 すると見かねた紀緒が、先に当主の流からどうにかした方が良いと案を出す。

 二枚舌の太吉の虚言は見過ごせないが、縁談に食いついたのは当主である。何か事情があるのかもしれないと彼女。


 そこで比良利が翔に事情を聴いてこいと命じた。

 頓狂な声を上げてしまう。そういう面倒な役目は比良利の方が適任なのでは? 聞き出すなんて小僧の自分には荷が重すぎる。

 だが師はこう言ってのけた。


「これも修行。何事も経験じゃよ、翔」


 正直な感想、言いくるめられた感がしてならない。

 仕方がなしに引き受けた翔は祖母のおばばに相談し、持ち前の知恵を借りて実行に移す。


「流殿。ナガミとギン……オツネの見合いが上手くいかずに申し訳ありません」


 第四回目の見合い。

 後はご本人達で交流を深めて下さいと話を持っていき、仲介役は退室する。

 日輪の社の大間にギンコ達を残した翔は、中庭の縁側で流に持参したきんつばを差し出しながら、こう話題を振って話す契機を掴む。

 快く和菓子を受け取ってくれた彼は、翔の隣に腰を下ろしてヒガンバナ畑を眺めながらそれを齧った。


「仕方がありません。オツネさまの方は貴方様に夢中のご様子ですから」


 苦笑いで応える。否定はできない。


「彼女は長年、他者に甘えを許せず時間を過ごしていました。ゆえに甘えられる存在と認めた私に好意を抱いているのです。私もオツネに救われた身。何かと甘くなってしまって」


「噂ではオツネさまの妖力を頂戴し、妖狐になったと耳にしております」


「ええ。彼女がいなければ、私はこの世を去っていたでしょう。恩人です」


 だからこそ互いに甘え甘えられる存在なのかもしれない。

 きんつばを齧って咀嚼。あんこの素朴な甘味を楽しむ。


「それはそうと流殿。ナガミとナノミも不仲のようですが、元からなのでございましょうか」


 身内話から相手の事情にさり気なく話題を切り替える。

 率直に尋ねるよりも、まずは己のことを話した方が相手も身構えずに済むと猫又は助言してくれた。翔はそれを忠実に守り、ギンコと自分の話を語った後に少しずつ核心に触れようと心掛ける。

 吐息をつく流の表情は沈鬱だ。盆に置かれた湯飲みに手を伸ばし、静かに茶を啜る。


「百年ほど前までは睦まじい仲だったのです。ナガミとナノミ。約束された仲であり、彼等もその運命を受け入れて神使として、夫婦として、道を歩む筈でした。しかし、丁度百と一余り。彼等の仲は崩壊しました」


「崩壊?」


「事の発端は悪しき人間が我々の守護する領地に侵入し、神鏡が奪われる事件。私は人里の祭囃子に赴き、留守にしておりました」


 人間が神を迎えるための祭囃子を守護し、見守る役を担っていた流は留守をナガミとナノミに任せていたと言う。手薄になっていた警戒網ならぬ結界。悪しき霊力を持った人間が侵入し、神使を祓う寸前にまで追い詰めて神鏡を強奪してしまった。

 流が戻ると虫の息となっていたナガミとナノミが社殿にいたという。

 一命を取り留めることに成功した二匹だが、彼等は事件に傷心を負う。


「我々は人里を守る妖狐。しかし、守護する人間に襲撃され神鏡を強奪されてしまった。ナノミは人間不信に陥ってしまったのです。神使を全うしようとするナガミと意見も食い違うようになり彼等は不仲に……」


「そのようなことが」


「ナノミの人間不信は近年ますます酷くなりました。役所の人間が“玉葛の神社”を取り壊そうと計画を立てている。それを耳にしてしまいまして」


 寂しそうに綻ぶ流は時代とは残酷だと、夜風に揺れるヒガンバナを見つめる。

 百年ほど前までは人間が“玉葛の神社”を必要とし、厚い信仰心を持って参拝してきてくれたのに、流れる時と共に風習は廃れていった。

 人里の子供達は都会に出て、神社に訪れる人間は老人ばかり。彼等の信仰心も、いずれ命の灯火と共に消えていくのだろう。それに哀切を感じると流。

 協力すべき時にナガミとナノミは険悪になる一方、これでは“玉葛の神社”に先が無い。


「翔さまもお思いでしょう? 何故、見合いを急ぐのかと。ナガミもナノミもまだまだ若い」


 心を見透かされてしまう。翔は素直に首肯した。


「正直に申し上げますと“玉葛の神社”を守るため、此度の見合いは最後の賭けなのでございます。先日神鏡が奪われてしまいました。今までは取り壊しの計画に対し、神鏡を媒体にして祟りを起こしていたのですが」


「ちょっと待って下さい。奪われた神鏡は戻って来たのですか?」


 語り部は大きく頷き、奪われて数か月後に戻って来たと流は眉をハの字に下げる。

 当時の神鏡を奪い返してくれたのは“日月の社”の神職達。疵一つなく綺麗なままで取り返してくれたと言う。


「神鏡が戻ってきた際、"日月の社"の方々に直接お礼を申し上げたのですが、御多忙だったようで。皆様はいつも留守にしておりました。きっと惣七さまが帰らぬ人になったことが原因でしょう……直接お礼を申し上げたかったのですが」


 翔は嫌な予感を抱いた。つまり百年前の“日月の社”が神鏡を取り返したということになる。

 百年の時を超えて事件が繰り返されている。まるで“人災風魔”のように、繰り返されて。


「先日、とはいつ頃ですか? 詳しくお話願いたい」


「え?」


 勢い良く縁側から飛び下り、「見合いより優先すべきする事件やもしれません」翔は緊急を要すると流に告げる。


「青葉。いるか」


 ヒガンバナ畑の向こう、薬草を天日干しする彼女を呼びつける。

 ただならぬ気配を感じ取ったのだろう。作業の手を止めて駆け足で近寄って来る。


「見合いを中止し、大間を開ける。比良利殿に“玉葛の神社”の神鏡が奪われた旨を伝えてくれ」




 “玉葛の神社”当主の話はこうだ。

 先日、昼間の社殿に何者かが潜り、祀っている神鏡を窃取してしまった。百年前の教訓を活かし、神鏡の周りには注連縄による二重結界を張っていた。にも関わらず盗まれてしまったのだという。


 百年前の相違点といえば、こっそり盗まれてしまったことだろうか。


 おかげで神使や当主に怪我等はなかったのだが、百年の時を経てまたもや神鏡を盗まれてしまうとは当主として申し訳も立たない。

 流は見合いと並行して犯人捜しをしているのだという。

 本当は犯人捜しに集中したい一方、“玉葛の神社”の取り壊しも現実問題として浮上している。神鏡なしでは祟りを起こすこともできない。

 そこへ太吉の吐いた虚言が舞い込み、鵜呑みにした流れが縁談を纏めようとやって来たのだ。“玉葛の神社”を守るために。


 “日月の社”の者達に話さなかったのは、奪われた負い目と当主としての責任があると思ったそうだ。


 大間で事を聴いた翔は隣に鎮座する比良利に視線を流す。

 彼はあからさま険しい顔を作っていた。思うことがあるようで脇息に凭れることもせず、小さな唸り声を上げている。


「“玉葛の神社”の神鏡が盗まれた、か。それは人間の仕業か。流」


「我等はそう見解しております。しかし常人では成せないとも思っております。あの結界は触れるだけで祟りが起きますゆえ、普通の人間が触れば厄が降りかかります。我等も気付くことでしょう」


 つまり、誰にも気付かれず結界を解くことのできる人間の仕業だと流。

 同胞の可能性も捨てきれないため、犯人が人間だと断言することは難しいが、以前、霊力を持つ人間が事件を起こしている。偏見からどうしても人間を犯人に見てしまう。

 流の心情に理解を示し、相槌を打つ比良利は視線を宙に留めて物思いに耽っている。糸目ながらもその眼光は鋭い。


 翔は百年前の事件が繰り返されているのでは、と意見したかったが相手の雰囲気に呑まれて口出しすることができずにいる。


 躊躇いも出た。

 百年前の頃は九代目南の神主が亡くなった頃でもある。

 もしや九代目の死に関与するような事件が、“玉葛の神社”の神鏡を通してあったかもしれない。


 神鏡を取り返したのは百年前の“日月の社”の者達だ。

 そして流は九代目南の神主に礼を告げることができなかったと言っていた。可能性は大きい。が、己が安易に口にして良いのか判断しかねる。


 未だに翔は九代目の詳しい死因を知らない。

 悪しき人間と妖が手を組んで宝珠の御魂を狙い、九代目は罠に掛けられて致命傷の末に命を落としたと聞いている。翔はそれ以上のことを聞けずにいるし、皆も話したがらない。それだけ腫れ物の話題だ。

 そこで翔は“玉葛の神社”の神鏡について聞くことにした。


「何故“玉葛の神社”の神鏡が二度も狙われるのでございましょうか? 何か特別な力でも?」


 それについては傍らにいた青葉が答える。


「“玉葛の神社”の神鏡は常世を映すと云われております。あくまでその世界を映すだけであり、向こうの世界に行くこと等はできませぬが」


「ご尤も。我等が守る“玉葛の神鏡”は常世を映すのみ。“玉葛の神社”は鬼門の方角に作られており、鬼門から魔が掻い潜らないよう作られた社にございます。ゆえに時折、常世を視ることで魔の手が伸びていないか把握する。その程度の力なのですが」


 死者と交信したり、鬼門の向こうにいる魔を召喚するといった大層なことはできない。せいぜい鬼門の向こうにいる魔がいるかどうかを確認する程度。持つ価値は小さいのだと当主は説明する。

 しかし“玉葛の神社”としては神鏡が必要不可欠。奪われては社の存続に関わる。


「実は断ち切られた結界の側に、このようなものが落ちていたのですが……証拠にすらなりませんでした」


 流はナガミに声を掛け、あれを出すよう告げる。

 頷いて神使が目の前に黒い花を呼び出した。それは黒い百合のようだが。

 すると比良利達の空気が一変。垣間見える刹那の変化だったが、彼等は戦慄した。翔は見逃さなかった。


 と、今まで口を閉ざして物思いに耽っていた比良利が脇息を叩く。


「事情は分かった。流よ、この一件、六尾の妖狐、赤狐の比良利も加担しようぞ」


「しかし比良利さま。二度もお手を煩わせるわけには」


「同胞が苦境に立たされているのじゃ。見捨てるは頭領の恥ぞ。少々気掛かりがある。近々“玉葛の神社”に参ろう」


 それまで見合いは延期だと赤狐。

 “玉葛の神鏡”を解決することが先だと述べ、取り壊しについては“日輪の社”が守護すると約束を結ぶ。

 人間の身勝手で神社を取り壊すなど言語道断。これまで守護してきた流達に対する無礼だと眉を寄せ、彼は全面的に協力する姿勢を見せた。


 無論、対がその姿勢ならば翔も協力するつもりだ。


 けれど、比良利は翔に“日月の社”の守護を任せてきた。自分が留守にする間は南北の地を見守って欲しいとのこと。

 てっきり同行の許可を下ろしてくれると思ったのだが、比良利は遠回しに拒絶を示した。己が未熟だから仕方がないのだろう。理屈では分かっていても、内心は複雑である。


 せめて百年前の事件と関連性があるのか、百年前に何が遭ったのか、それだけでも知りたい。


 話し合い後、翔は思い切って比良利に尋ねたが、彼の返答は「主は南北を見守り、己の修行せよ」対に取り合ってもらえなかった。しつこく聞くと本気で叱られてしまったため、立ち去るしかなかった。

 めげずに紀緒に声を掛けるものも曖昧に笑みを向けられるだけ。

 青葉にいたっては、目を背けて口を開こうともしてくれなかった。

 ツネキやギンコに聞いたところで説明ができるわけでもない。試しに聞いてみたが、クオン、クンクン、クオーン、意味不明である。


 だったら事情に詳しいおばばにこっそり聞いてやると意気込んでみるものの、『比良利達が話したがらないなら、ねぇ』だった。


 さすがに此処まで拒まれると疎外感を抱いてしまう。

 未熟なのは認めるが、事件の詳細くらい教えてくれても良いではないか。自分だって神職関係者。知る権利くらいあるのでは?

 腫れ物な話題だと理解はできるが、何も知らないのは味が悪いではないか。


 翔にとって疎外感が一番の敵である。仲間外れは寂しいもの。その辛さはよく知っている。

 そこまで考えたところで、己の悪い部分が出てきていると気付く。これでは幼馴染達の二の舞である。


 冷静になるため、翔は己の内面を一番知ってくれている雪童子に電話を掛けて相談に乗ってもらう。快く聞いてくれた雪之介の答えは「待ってみようよ」だった。


 皆、翔を仲間外れにしたいわけではなく、心の整理がついていないのでは?


 それだけ深い傷となっている事件なのだろうと雪之介。

 今、翔にできることは皆を見守り、彼等の支えとなってやること。無造作に詮索しようとしても互いに気分が悪いじゃないか、彼は笑声まじりに助言してくれた。

 時が来れば翔に話す機会が訪れるだろう。それが明日なのかもしれないし、十年後なのかもしれない。


 けれど必ず話してくれるだろう。

 翔は信じて待ってやればいい。皆、翔を必要としているのは確かなのだから。


 雪童子の言の葉により、翔は考えを改めることができた。


 自分は自分のできることをしよう。

 事件のことは比良利が担当したいと強く思っている。“人災風魔”の事件と関連があるかもしれない。百年前の事件と関連があるかもしれない。九代目のことに関わることかもしれない。

 知りたいことは山積みだが今は比良利の願いを受け入れ、南北の地を守護し、己の修行に励もう。いつか自分の力が必要とされるその時を信じて。



 ※



 “日輪の社”全員が“玉葛の神社”に向かったのは三日後のこと。


 丸二日ほど留守にすると告げてきた比良利は、翔に南北の地のことをすべて任せてきた。

 そこで翔は責任の重大さを思い知る。

 比良利達について行きたいと願っていたばかりで失念していたが、彼等がいない間、南北の地の総責任者は自分となる。

 双方の社を閉じるとはいえ、その責任は極めて重い。二日間、何もなければ良いのだが。


「ぼん。何度も申すが二日間は此方の世界におるのじゃぞ。無暗に人の世界へ赴いてはならぬ」


 何かあれば、まず経験豊富な青葉に事を任せるのだと比良利は命じる。

 もう何度聞いた台詞だろうか。翔は飽き飽きする台詞に頷き、比良利達が帰って来るまで“日輪の社”の憩殿を使用させてもらうと返事した。

 家族にも此方に移動してもらっているので問題はないだろう。

 それより翔は二日間、総責任者になることの方が不安だと吐露。比良利のように南北両方の地を統べることができるだろうか。


「辛くなれば、歌うことが良いじゃろう。妖狐のわらべ歌でも口ずさむが良い。気がまぎれるぞよ」


「う、歌ぁ?」


「お主はすぐ緊張するじゃろう。それでも歌い、気を晴らすが良い」


 まったく助言になっていないが、素直に受け止めておくことにする。



 こうして翔は青葉とギンコと共に比良利達を見送り“日月の社”を守護する役目に就く。

 社を開かないため、基本的に妖の世界に閉じこもるだけ。

 人の世界の様子は青葉が担当しているので、翔は行集殿で修行に専念する。

 ここ数日、青葉やギンコの様子がおかしく巫女の口数は極端に減っている。銀狐は一人で過ごしていることが多い。心なしか、おばばも憂慮が見え隠れしていた。


 彼女等の様子には気付いていたが、今はそっとしている。

 雪之介の言う通り、心の整理がついていないのだろう。自分にできることは皆を見守り、陰から支えることだ。

 ネズ坊達がお姉ちゃん達どうしたの? と、尋ねてきたので、「ちょっと落ち込むことがあったんだよ」だから皆で元気づけてやろうと微笑んでやった。

 無垢な子供達は彼女達のために花を摘むと意気込んだため、境内に咲く花で輪かんむりを作ってやれば良いと知恵を与えておいた。


 難なく一日目が過ぎ、二日目の夜に入る。

 明日には比良利達が戻って来る。わりと何事もなく過ごせるかもしれない。

 翔は安易な考えを抱くようになる。それもそうだ。そう何度も事件が起きてはおちおち眠れもしない。


「さてと、明日は天馬が指導に来る日だから……今日は文殿に籠ろうかな」


 久しぶりに南北の地の歴史でも学ぼう。

 書物を手に取って机に積み重ねる。片隅で気掛かりが膨張するばかりだったが、何度もかぶりを振ってそれらを払拭した。


 自分は未熟なのだ。事件に関われないのは仕方がないこと。百年前の事件に関しては部外者なのだ。

 知りたい気持ちはあれど、向こうが話してくれるまで待たなければ。

 無口になった青葉や、甘えてこないギンコ、心配するおばばの様子が脳裏にちらつくが、今はそっとしておこうと言い聞かせた。

 いつか彼等は話してくれる。信じて待とう。雪之介だってそう言ったじゃないか。


「あいつ等は半妖の頃の俺なんだ。そうだよ、俺だって朔夜や飛鳥に心の整理がつくまで話せなかったじゃないか! ……話す前に正体がばれちまったとも言うけど」


 とにもかくにも集中だ。

 翔は書物を手に取って半ば強引に、紙面に目を向ける。目が滑るばかりで内容が頭に入って来ない。

 「駄目だ」机に伏せて翔は吐息を零す。気にしないと念じれば念じるほど、気になってくる。


「九代目……なんで死んじゃったんだろう」


 鬼才と呼ばれた先代。

 彼が現世にまだいたのなら、こういう事件が起きた際、皆の頼りとなるのだろう。早く一人前の神主になって皆の導となりたいものだ。堂々と比良利の対と言いたい。


 小一時間も続かない勉学に溜息。

 境内を散歩でもしようと腰を上げ、参道に向かう。

 鳥居の前にギンコがつくねんと座っていたため明るい声で声を掛ける。此方を向くもギンコはトボトボと翔の脇をすり抜け、本殿に向かってしまった。

 向こうで青葉が薬草を抱え、井戸の方角に向かっているのを目にし、手伝おうかと声を掛けたが遠慮されてしまった。調子が狂う。


 結局参道に戻り、鳥居をぼんやり見つめて溜息。


「あーあ。あいつ等になんて声を掛ければいいんだよ。元気出せ、とか、どうした? とか言うのもなんだかなぁ」


 正直な性格をしていると自覚があるため、あんまり彼等に接していたら触れて欲しくない内面にまで触れてしまいそうである。

 天を仰ぎ、夜空を見上げる。今宵は待宵の月。明日は満月が訪れる。祝の夜が訪れる。


 夜風と戯れていた翔は、そろそろ文殿に戻ろうと踵返す。こうしていても時間が過ぎるだけだ。


「ん?」


 視界の端に強い光を感じた。

 足を止めて鳥居に顧みる。臙脂色の柱、佇む門、向こうに広がる闇。おかしい、確かに眩い光を目にしたのだが。気のせいではない筈。

 鳥居に歩んでまじまじと観察していると、「翔殿。駄目ですよ」井戸で薬草を洗っていた筈の巫女が怖い顔で注意してくる。翔が人の世界へ行こうとしているのだと勘違いしているようだ。

 そこで翔はすぐに誤解を解くため、向こうに光が見えたのだと鳥居の向こうを指さす。


「青葉。一応鳥居の向こうって結界内だよな?」


「ええ。そうですが……光とは?」


「うーん、俺も一度見たっきりなんだけど、強い光が」


 再び闇の向こうに強い光を感じる。

 これだと喉まで出掛かった言葉は表に出ることなく、代わりに身の危険を感じ、翔は歩んで来る青葉に下がれと声音を張って地を蹴った。

 発砲と火薬の匂い、体に痛烈な衝撃が走る。何かに貫かれたのだと気付いたのは地面に叩きつけられた直後のことだった。



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