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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ弐】妖祓、対立再び
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<八>今昔の妖事情と神使の縁談

 疫病から半月が経ち、暦は文月。

 落ち着きを取り戻した南北の地は平穏に包まれている。“人災風魔”の面影など跡形もない。何事もなかったかのように平和だ。


 しかし事件を引き起こした黒幕は雲隠れしたままだ。


 藤花凛の証言した骨董品屋は店じまいをしており、既に犯人の姿はなかったと朔夜から聞いている。術を発動させた花凛の方は妖を怒らされた祟りによって、怪奇現象に悩まれているそうだが、それについては翔から何も言えない。

 同胞の無念を知っているため、同情を向けることもできないのだ。


 根では彼女の罪を許せていないのかもしれない。許し合える関係を望んでいるというのに、これは矛盾した感情だ。自分の掲げる理想は山よりも険しいものだ。


 有力な手掛かりが掴めないまま時間は流れ、翔は地獄の大学のテスト期間を迎えていた。それに比例したレポートの追撃。ペンを投げてしまいたくなる。

 単位が掛かっているため、この時ばかりは神主修行を控えさせてもらう。

 外せない接待は顔を出すようにし、神主としての学びは夏休み期間に取り戻すことにした。

 選んだ道とはいえ、二重生活は楽ではないものだ。


 今宵は比良利からどうしても接待に顔を出して欲しいと呼ばれているため、翔は勉強の合間を縫って“日輪の社”に向かった。


 曰く、定期的にある“日月の新芽”があるのだという。

 これは新しく南北の地に住居を置いた者や、妖として新しく命を宿した者が頭領達に挨拶をしに来る儀を指す。

 顔を出すことで統べる頭領達に認めてもらい、役所の名簿帳登録許可を貰う仕組みとなっている。


 ならば当然、南の地の頭領である翔は顔を出さなければならない。


 相見の場は“日輪の社”憩殿の大間。

 上座に鎮座し、比良利と肩を並べて脇息に凭れる。一人ひとり時間を設け、挨拶を交わし、ある程度の身分を把握して側らにいる巫女達に許可書を出すよう命じる。簡単ながら大切な仕事だ。

 実は翔はこの時間が大好きだった。より多くの妖を知り、交流ができるのだから。


 ただし訪れる妖の中には、双世界の時代を感じさせられる者もいる。


「名前は魔法少女キャッツ・ラブらたんどぇす。こっちはマイダーリンのガラりん。ラブらたんはフィギュアの、ガラりんはガラケーの付喪神夫婦にゃのら!」


 最もそれを感じさせられるのは付喪神である。

 付喪神は物に魂が宿った妖である。

 書物には長い年月を経て古くなった物達が妖化すると記されているのだが、時に人の感情や扱い方によって魂が宿ると言われている。

 現代の日本は平和だ。生産される物も多くなった。比例して、付喪神も多くなっているそうだが。


 うにゃあと猫のポーズを作るフィギュア少女は奇抜な猫のような、魔法使いのローブのような、セーラー服のような、特にスカートが短いような、とにかく目立つ格好をしている。


 彼女の隣にはガラケーの付喪神。

 顔はガラケーのディスプレイだが、首から下は人間の容をしている。此方はスーツを身に纏っていた。まだマシな格好と言えるかもしれない。


 翔は比良利達を盗み見る。

 固まっていた。相手が付喪神だけに物の見事に固まる。まったくもって上手くない。


 ガラケーの付喪神がディスプレイに顔文字を浮かべた。メールで使う顔文字である。あれで感情表現をしているらしい。今のところ妻の紹介に照れていると思われる。

 ちなみに彼は喋れないようで、ディスプレイに文字を打って伝達してくる。


“北の地に二週間前に来た者です。時代遅れ型の携帯ですみません。ガラケーですみません。生まれてきてすみません”


 ディスプレイに『orz』が出ている。

 当然、現代人ではない妖達には意味が伝わっていない。目を白黒させているばかり。

 そう、これが本当のジェネレーションギャップ。



「よくぞ参られました。私は南の地を統べる三尾の妖狐、白狐の南条翔と申します。北の地を統べるは我が対、六尾の妖狐、赤狐の比良利。揃って日月の神主と呼ばれています」



 自己紹介をした翔は固まっている比良利の尾を己の尾でつつく。

 息を吹き返した赤狐は、笑顔を作って「よくぞ参られた」ねぎらいの言葉を贈る。さすがは齢二百の妖狐、困惑しても心は面に出していない。


「身分は付喪神。双方は夫婦と申されたが、妖と化して幾月になろうか。まずは……すまぬ。もう一度名乗ってもらってよいかのう」


「魔法少女キャッツ・ラブらたんにゃのら」


 あ、困っている。

 比良利が相手の呼び名で困っている。糸目が遠目をしている。

 ここは対として、弟子として、未熟ながらも師を救わねばならないだろう。翔は己が軸となり、接待をしようと心がける。


「では、ラブら殿と愛称させて頂きますね。ラブらたんとはお可愛らしい名、それこそ萌えそうなお名前ですね」


 「も、萌え?」隣から困惑した声が聞こえてきたが、「ですよね」比良利に同意を求めた。

 訳も分からず彼は頷く。それしか反応が出来ないのだろう。



「最高の褒め言葉! ついでにこの姿に胸アツしてくれたら、フィギュアとしての役目も果たせるのぉ。ラブらたん、人形の頃はちゃんとご主人様が大事にしてくれたんだよ。俺の嫁だとか言ってくれて、大切にしてくれたのに……いつの間にか別の子に心変わりして、ラブらたんを売っちゃったんだ。激おこぷんぷん丸だよ!」



 素晴らしいほど現代生まれ、現代育ちの妖である。

 同じ時代に生まれた翔でさえ会話についていけない節があるのだから、もはや比良利達には異国語であろう。


「赤狐ちゃんや白狐ちゃんみたいに、ケモ耳のある子を好きになっちゃったんだ! ケモ耳ムカつく!」


 ちゃん、頭領をちゃん付け、なんて肝の持ち主だろうか。


 翔は彼女の売られてから捨てられるまでの話と、ガラケーとの出逢い、それからのろけ話を延々と聞かされた後、ようやくいつ頃、妖になったのか。聞き出すことができた。


 ガラケーの身の上も把握し、彼等に許可書を出して夫婦の相見は終わる。



 退室を見送り一同に襲い掛かったのは疲労感である。



 嵐のような夫婦だった、翔は脱力した。

 傍らでは比良利が頭を抱える。彼は落ち込んでいた。激しく落ち込んでいた。


「わしとしたことが、まだまだ未熟のようじゃ。一抹も夫婦の会話が理解できぬとは。いや、それ以前にらぶぅら殿の口調。あれは新しい敬語なのじゃろうか。がらけぇとは、萌えとは、激おこぷんぷん丸とは何ぞや……」


「ひ、比良利さん。あんまり深く考えちゃ駄目だって。理解できないのはしょうがないと思うよ。あれは人の世界の現代口調の一つなんだから。」


 使う人間は限られてくると思うが。

 小さな吐息を零す比良利は脇息の上で頬杖をつき、懐から尾で金の扇子を取り出す。それで己を仰ぎながら、今度は深い溜息を零した。


「人の文明が発達すれば、我等の世界にも変化が訪れるもの。向こうの文明の影響で生まれる妖もおれば、目にしたこともない付喪神も生まれよう。その都度、人の文明を知り、妖達を受け入れるのも我等の務めなのじゃが……」


「近年の人の文明は著しく発達していますゆえ、わたくしどもの理解が追いつきませんね。困ったものです」


 側らで許可書を片付けていた紀緒が苦笑いを零す。

 その隣で筆を仕舞う青葉も吐息をつき、今の人の世界は未知だと感想を述べた。


「私が人だった頃とはかけ離れた世界です。翔殿のお部屋ですら摩訶不思議で」


 翔は思い出す。

 三十分近く炊飯器の前に佇んでいた光景や、風呂のおいだきの音声によって素っ裸で飛び出した青葉の姿を。

 百歳過ぎのおばあちゃんがこのような反応なのだから、二百歳過ぎのおじいちゃんおばあちゃんが戸惑うのも仕方がないこと。

 ついでに比良利と紀緒は獣寄りの妖狐。人の文明を理解するのに時間を要するのである。


「人の世界生まれの妖達は、我等の世界を訪れると戸惑いを示す。それだけ文明に差があるのじゃろうのう。言葉は一つでも違いがあるからのう。最近思ったのは“全然”かのう」


「比良利さん、言っていたよね。“全然大丈夫”の意味が分からないって」


「左様。全然は否定の用法じゃろう? なのに、否定して平気とは、如何な意味ぞ……」


 全然を強調として用いることがおじいちゃんおばあちゃんには分からないようだ。


「妖は基本的に長寿。時代による文化の齟齬の生じは想定内ではあるのじゃが、まさかここまで言葉で苦しむとは。ぼんよ、ちと例を見せよ」


「そうだね。比良利さん達が困惑しそうな言葉……例えば、今日俺が“日月の新芽”にどうしても出たくなかったとするよ。その時、俺は『あーあ。ばっくれようかな。マジ行きたくねぇんだけど』と口にすると思う」


「早速“ばっくれる”と“マジ”で躓いておる。はぁ、言葉とは難しいものよ」


 翔は当たり前のように使用しているが、江戸時代生まれの妖には理解し難いのだろう。


 一方、翔も文明の違いには苦労している。

 言葉遣いは一から正され、妖の世界では常識となっている十二支を用いた方位、時間を覚えさせられた。花や虫を食す文化にも未だ慣れず、戸惑うことも多い。時空を超えたジェネレーションギャップである。


 だからこそ比良利達の苦悩には理解が示せる。

 いずれ自分も、人の世界の文明についていけなくなるのだろうか? 少しばかり寂しい話だ。


「嘆いていても仕方がありませんね。時代が変わろうと、生まれる妖を迎え入れるのがわたくし共の使命ですから。翔さま、我々にどうぞ現代の人の世界をお教え下さいね。現代生まれの妖と親しくなるには貴方様のお力添えが必要なのですから」


 紀緒からふっ、と花開くような美しい笑顔を向けられ、翔は薄らと頬を紅潮させた。彼女の美しさは相変わらずである。美人の頼みを断るわけにもいかず、「俺にできることがあれば」口ごもりながら返事をした。

 青葉からじっとりとした眼を投げられたため、それについては視線を逸らして逃げる。


「ぼんも男よのう」


 からかってくる比良利には睨みを飛ばし、咳払いを一つ。

 誤魔化すように今宵の“日月の新芽”は終わりかと尋ねた。

 テスト期間中の大学生ゆえ、翔としては一分一秒無駄にできない。今宵の執務が終わったのならば急いで帰宅し、テスト対策を打たなければいけないのだ。


 翔の問いに青葉が名簿を確認する。

 “日月の新芽”は今の夫妻で終わりだと返事するが、別件で二頭領に相見を求めている妖がいるとのこと。

 別件。翔は胸に引っ掛かるものを感じる。もしや良からぬ相談事なのだろうか。二頭領に会いたいなど、そうはない申し出だ。

 青葉が妖を呼びに行く間、翔は比良利と紀緒に意見を求めた。“人災風魔”が脳裏に過ぎったのだ。


「ふむ、こればかりは会ってみなければ分からぬ。例の黒幕も捕まらず仕舞いの今、主の警戒心は当然のこと。心せよ翔」


 神妙に返事をしたところで、青葉が客人を連れて戻って来る。


 深々と一礼する妖は自分達と同じ妖狐だった。

 名を七尾の妖狐、ホンドギツネの(ながれ)。見た目は若いが尾の本数で比良利よりも遥かに年上だと分かる。本来、妖狐は百年ごとに尾を増やしていく。単純計算すると相手は七百歳超だ。


 油揚げと同じ毛並み、藍の無地着物、控えめな微笑み。向かい合うだけで物怖じしない性格の主なのだと察してしまう。

 背後にいる獣型の狐二匹は使いの者だろうか。彼の後ろで行儀よく座っている。


「お初にお目に掛かります。赤狐の比良利さま、白狐の翔さま。わたくし共は南の地より、遥か東の人村里を守護する妖狐一族。“玉葛の神社”を護る者にございます」


 自分は“玉葛の神社”を統べる当主だと名乗る流が深く一礼してきた。


 翔は学んだ知識を手繰り寄せる。

 自分達は“妖の世界”を守護する神職関係者だが、“人の世界”を守護する妖の神職関係者もいる。人の地を守護することにより、其の地にいる妖達の暮らしを守っていると比良利から聞いたことがあった。

 動物が神使として祀られている地域は、妖が其の地を守護していることが多いそうだ。


 ちなみに社にも階位があり、最高位は“妖の社”を守護する神職だと聞く。だから同じ神職でも立ち振る舞いが違うのだ。


「よくぞ参った流殿。“玉葛の神社”にはいつも世話になっておるのう。毎年そちらから贈られる米や酒、野菜には感謝してもしきれぬ。今年の里は如何か?」


「はい、おかげさまで作物も順調に実っております。村の人間達と力を合わせえて、秋の収穫に向けて準備をしているところです」


 人間と上手く暮らしている妖もいる、それだけで翔は嬉しくなる。

 ついつい“玉葛の神社”に赴いてみたいと感想を述べれば、流が是非来て頂きたいと返事した。その時は自慢の米酒を振る舞うと約束を結んでくれる。

 世間話も程ほどに、早速比良利が話題を切り出してくる。すると彼は一室を見渡し、誰かを探している様子。


「神使二匹はいずこに?」


 流は金銀狐を探しているようだった。

 どうやら彼は金銀狐にも用があるらしい。これまた珍しい話ではあるが、紀緒が機転を利かせ二匹を呼んで来る。

 ツネキとギンコが各々頭領の前で鎮座すると、ようやく話が進んだ。


「この度は噂を耳にし、訪問させて頂きました」


 噂?

 一同の頭上に疑問符が浮かぶ。

 流は背後で待機している狐二匹を前に出し、どうぞ彼等も候補に入れて欲しいと一礼。話が読めずに目を白黒させてしまう。それはなんの候補だろうか。


「各々ナガミ、ナノミと申します。彼等を神使の縁談候補に入れては頂けないでしょうか」


 縁談という二文字に目をひん剥いてしまう。

 つまるところ、流はツネキとギンコそれぞれに縁談を申し入れているのだ。絶句する翔と比良利を余所に顔を上げた流が柔和に綻ぶ。


「小人ながらナガミもナノミも立派に神使として、“玉葛の神社”を盛り上げております。そちらの神使双方が不和であり、後継者にお困りだと“ある旅商人”からお聞きしました。そこで僭越ながら同部族である我等も候補に、と思いまして」


 とある旅商人という単語に嫌な予感を抱く。

 翔がその商人の名を聞けば、流は二尾の妖狸、ムジナの太吉だと返事した。


 曰く、“玉葛の神社”の酒と情報を交換したそうだ。

 流は常々神使のナガミとナノミの不和が目につき、後継者問題に頭を悩ませていたという。そんな時に太吉から聞いた情報、これは良いことを聞いたと手を叩き、わざわざ“妖の社”まで足を運んだとか。


 殺気を感じる。

 隣を一瞥すれば、「あのお調子者狸め。皮を剥いでやらねば懲りぬのじゃろうか」脇息を握り締めて怒り心頭している赤狐の姿が。


 やってくれたな、二枚舌の太吉。

 タダで酒を手に入れるために、このような虚言をつくとは。悪知恵に特化した妖狸である。


「縁談が上手くいくかどうかは本人達次第。ですが、ここは一つ、見合いという機会をお与えください」


 丁寧に縁談を申し込む流は何も悪くないだろう。


 さて、どうしたものか。

 翔は目の前のギンコに視線を向ける。

 振り返ってジッと見つめてくる銀狐。その可愛らしさと、脳裏にこれまで銀狐と過ごした日々が蘇り、翔は涙目になった。


 縁談が上手くいけば、ギンコは嫁ぐことになる。向こうが婿入りすることもあるだろうが、これまでのように一緒に寝たり、風呂に入ったり、フリスビーで遊んだり、甘やかすことができなくなるのである。

 寂しい。非常に寂しい。そんなの堪えられない! お嫁さんに出したくない!


「こ、これ翔。客人の前で何をしておる」


 脇息に伏せてグズグズと泣いていた翔は、どうにか上体を起こして気丈を保とうとする。が、ギンコを目にした途端、涙がぽろり。

 気分は結婚する娘を見守る親父である。


「俺のギンコが嫁ぐとか、堪えられない。毎日が寂しいじゃないか、切ないじゃないか、地獄じゃないか。俺はギンコなしにどう生きれば!」


「……そのオツネバカも大概にせぇ」


 比良利のツッコミも耳に入らず、翔は髪を振り乱して一人悶絶。

 ギンコが愛らしく鳴けば、その身を腕に抱いて離れ離れなんて嫌だと嘆いた。もはや頭領の顔はそこにない。少年らしく落ち込み、銀狐にすり寄った。

 それによって金狐が苛立ちの唸り声を上げる。翔は目が覚めた。ツネキはギンコを好いている。ギンコもツネキに思うところがあるため、この縁談は不成立である。

 よしよし。上手く断りを入れてこの話は仕舞だ。


 次の瞬間、翔を含む一同が石化する。

 ナノミと呼ばれた妖狐がツネキに歩んだのだ。彼女は金狐の前に立つと、控えめに可愛らしくクンと鳴く。

 するとどうだ。ツネキが締まりのない声で鳴き返したではないか。所謂デレデレである。


 絶句しているとナノミはナガミに吠え、フンとそっぽを向き、ナガミもフンとそっぽを向いてしまう。

 比良利のこと通訳者曰く『あたしはこの方と結婚します!』『勝手にするがいいよ』らしい。


 また浮気性ツネキの一面に激怒したギンコも吠えた。曰く、『許嫁は白紙にさせて頂きます!』だそうだ。

 我に返ったツネキが自分には君だけだと言うが、もう遅い。ギンコは翔と結婚すると言って聞かなくなった。


 流だけがナノミには期待が持てそうだと感想を述べていたが、大変な事態となってしまったのは言うまでもない。




 翔としてはギンコが“玉葛の神社”に嫁ぐのは寂しいし、婿養子をとって甘えられなくなる環境になるのも切ない。


 相手がツネキだからこそギンコと他愛もない戯れが楽しめるのだ。

 無論、後継者問題を邪魔立てするつもりはなく、ツネキの気持ちも汲んで二匹が結ばれるのが一番なのだが、ギンコは気難しい狐でツネキは女好き狐。

 今まで許嫁と名乗っていた方が不思議な関係柄である。


 今でこそ己を好いてくれているギンコだが、自分が現る前からツネキは女好きだったと聞く。縁談の一件で過去のことが蘇ったのだろう。

 この機に許嫁を白紙にしてしまえば良いのだと、通訳者を通して発言していることが分かった。



「困ったな。ギンコ馬鹿は自覚しているけど、ツネキとの許嫁を白紙は困るなぁ。神主の俺とギンコじゃ結婚なんてできないし……どうしよう、おばば」



 自宅に帰った翔はテスト対策の論述をノートパソコンで作成しながら、おばばに事を相談する。渦中にいるギンコは青葉やネズ坊達と風呂だ。気兼ねなく話せる。


 苦笑いを零す猫婆は双方に問題があると返した。 

 ツネキは昔からの女好きで何かとギンコを激怒させていた。相手を異性として大切にするも、若いせいか気が多い。

 かく言うギンコも、気難しい我儘狐。自尊心の高さはお墨付きで、誰に対しても素っ気ない。それがツネキを女好きに走らせた一つの要因でもある。


『オツネは素直じゃないからねぇ。時々天邪鬼じゃないかと部族を疑っちまうよ』


「素直じゃない、かなぁ」


『坊やの前では本当に素直な子だよ。恋心も理由だけど、一番はお前さんの守りたい強い気持ちに心打たれたからだろうねぇ。女心ってのは情熱に弱いから』


 ケッケッケ、おばばはしゃがれた声で不気味に笑う。

 カフェオレの入ったマグカップを持ち上げ、翔は誤魔化し笑い。返答に困ってしまう。


「ギンコの天邪鬼は、きっと先代との摩擦からきているんだと思うよ。おばば」


 ぬるくなった液体を食道に通し、己の意見を述べる。


「俺に甘える姿こそ本来のギンコなんじゃないかな。先代にも、あんな姿を見せていたんだと思う。だけど、先代の厳し過ぎる稽古があいつの心を傷付けた。それからずっと先代の前では片意地を張っていたんだろう? 自分の気持ちを隠すように強がる性格になっちまったんだろうな」


『そうだねぇ。思えばあの頃から、オツネの性格に難が露骨に出始めたかねぇ。神使だからと一人で寝食し、常に一人で過ごしていた。惣七が近づけば拒絶反応を起こし、けれど死んだ母を想って鳴いていた。惣七は本当に後悔していたよ。オツネを追い詰めたのは自分だと』


 そんなギンコの傍で支え続けていたのがツネキだとおばば。

 母が神使だったギンコと似たように、ツネキも曽祖父が神使だった。その血統によりツネキは神使として選ばれ、ギンコと育ってきたという。謂わば幼馴染だ。


 比良利と惣七の計らいで許嫁として結ばれた二匹。

 けれど遊び盛りのツネキと、自尊心の高いギンコではなかなか上手くいかない。加えて惣七との摩擦でギンコの難ある性格が際立ってしまった。

 結ばれる日は遠いとおばばは語る。


『ツネキは本当にオツネを好きだと本気の心を見せていない。一方、坊やが何が何でもオツネを助けようと本気の心を見せた。ツネキがあの子の心を射止めるには、それくらいの気持ちの強さがないとねぇ。坊やも、もう少しオツネバカを治さないと』


「うっ。そ、それは申し訳なく思っているけど……これからもギンコの接し方は変えないよ。あいつが神使として気持ちを固めても、俺にとってギンコはギンコだ。あいつには"神使"じゃない自分を見てくれる奴が必要なんだよ」


 神職として見られるせいで心苦しい思いを噛みしめることは多々。

 神主に本就任にして痛いほど分かった。自分だって大学では“同じ”身分で見て欲しいのに、"神主"として見られてしまう。肩書きが邪魔だと思う時がある。


 翔はおばばに言う。

 いつか、ギンコは素直な心を取り戻して先代を許せる日が来る。大好きだった先代との思い出を大切にできる日が来る。

 その日が来る過程で、誰かのぬくもりが必要ならば自分が与えたい。


 仕方がなさそうに笑うおばばは、一件についてはツネキに頑張ってもらおうと回答。彼の本気が試される時だろうと祖母が一鳴きして、翔の肩に飛び乗った。

 小さく頷く。なんだかんだでギンコもツネキを慕っているところがある。彼の本気を目にすれば、きっと白紙宣言を撤回するだろう。


 クオーン。

 脱衣所から元気な鳴き声と、青葉の制する声の二つが聞こえてくる。

 首を捻れば、濡れた体毛から飛沫を飛ばしながら颯爽と駆け寄って来る狐一匹。銜えているタオルを翔に差し出してくるため、「しょーがない奴だな」受け取ってわっしゃわしゃと体を拭いてやる。

 気持ちが良さそうに身を委ねてくるギンコに一笑。

 ドライヤーとブラシを持って来るよう言えば、嬉しそうに頷いて尾を翻した。


『坊やの前で素直になれるだけでも、ギンコは救われているんだろうねぇ』


 微笑ましそうに鳴くおばばと、チャイムはほぼ同刻だった。

 途端に一室は緊張感に包まれる。ルールとして、訪問者が来た場合は身を隠すことが鉄則となっていた。翔の母親におばば達を見られでもしたら一大事だ。


 しかしすぐに緊張感が解かれる。

 ドアをノックする訪問者は大家なまはげの青鬼オイチ、室内にいる翔達に声を掛けてお裾分けを持ってきたと用件を述べた。


 ホッと胸を撫で下ろし翔は扉を開ける。

 包丁片手に紙袋を差し出してくるオイチは、自家製のキュウリだと黄ばんだ歯を見せてきた。翔は包丁に視線を流しつつも、丁寧に感謝の意を表して受け取る。

 浅漬けが一番美味しいとオイチが言ったため、着替えを済ませて隣に並んだ青葉に早速作ってもらうと笑った。



「あ、南条。丁度良かった、家にいたんだな」



 直後のこと。

 向こうの通路から声が聞こえ、翔は石化した。ぎこちなく視線を流せば、「明け方から悪いな」悪友の米倉聖司が申し訳なさそうに手を挙げて歩んで来る。

 彼は固まっている翔、そして青葉に挨拶をして、ちょっと上がらせてくれないかと相談を持ち掛けてきた。何やらただ事ではない雰囲気だが、今すぐ上がらせるわけにはいかない。


 オイチが視線で部屋に来いと訴えてきたため、「ちょっと待ってろ!」扉を閉め、翔は一室にいるギンコ達に緊急事態だと告げて窓を勢いよく開けた。

 

「ギンコ、おばばとネズ坊達を連れてオイチさんのところに行ってくれ。あぁああ、ネズ坊達全員いるか?! ゲッ、末助がいねぇ! あいつどこに行った?!」


 ノートパソコンからLINEのメッセージ音が聞こえた。

 こんな時に誰だ。簡単に相手を確認すると【和泉朔夜】で『会える日を教えて欲しい。相談したいことがある』とのメッセージ。

 目を点にした刹那、スマホから着信。相手は【楢崎飛鳥】嫌な予感がして、電話に出てみると彼女の嗚咽が聞こえた。


「お、おい飛鳥? どうしたんだよ。なんで泣いて」


『朔夜くんと、け、けっ、喧嘩っ、うわっ、あぁ。ショウくんっ、わだじだち、もう駄目なんだよ。幼馴染としても、相棒としても』


「け、喧嘩ぁ? ちょ、待て。また改めてこっちからかけ直すから! な、泣くなって。今どこ? 公園のベンチ? なら、駐車場近く自販機があるだろ。そこであったかい飲み物を買ってだな」


 突然の訪問者は米倉、LINEは朔夜、電話は飛鳥。

 面白いように重なる連鎖と、三人の繋がりを思い浮かべ、翔はキーボードに伏した。どう考えても自分は巻き込まれる運命、三つ巴となっている彼等の恋愛事情に巻き込まれる運命だ。

 電話を切った翔は重々しい溜息をつき、上体を起こして額に手を当てる。



「こっちでも恋愛問題勃発なんて。も、これ以上問題を増やさないでくれよ。俺も泣きたくなってきたじゃないか」





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