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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ弐】妖祓、対立再び
119/158

<七>昇る命、沈む命



 ※



 妖の世界にも各所墓地があり、それは人の世界から身を隠している息を潜めている。“人災風魔”の犠牲者は比良利達の手によって弔われ、その亡骸は定められた墓地に埋葬された。

 なるべく出身に埋葬するよう気を配ったつもりなのだが、身元が分からない妖、骨と化した妖が多数あり、彼等は北の地の墓地に埋葬した。

 北の地で起きた悲劇を忘れぬように。彼等の死を忘れぬように。同胞が生きていたことを忘れぬように。


 犠牲者の大半は犯人に囚われた者達だが、中には病魔に耐える体力がなく命を落とした者もいる。親を想えば底知れぬ悲しみがこみ上げてくる。救えなかった同胞に比良利は申し訳なさで一杯となった。


 だが悲しみに暮れてばかりもいられない。

 事件は未解決のままなのだ。自分達は真の黒幕の正体を突き止めなければならない。


 こうして比良利は気持ちを切り替える。一頭領として。


 けれど、同じ立場にいる若き妖狐はそれができずにいる。

 表向きでは皆に気丈な振る舞いを見せていたが、彼の落ち込みは手に取るように分かる。

 それでは頭領など務まらない、理屈では分かっていても心が追いつかないのだろう。本当に白狐は若過ぎる。人生経験不足が際立つ少年なのだ。


 比良利は一心不乱に稽古に励む少年の姿や、民から感謝と哀しみの言葉を受け止めるその姿を目にしている。空元気なのは分かっていたが口に出すことはなかった。それが対としての優しさだから。


 翔は気丈が崩れかかると、誰にも言わず“表の社”に出てしまう。

 そこで気持ちを落ち着かせているのだと知っていた比良利はその日、対の後を追い、社殿の裏でしゃがみ込んでいる彼に声を掛けた。


「そこで何をしておる。ぼん」


「べつに。此処で休憩しているだけ」


 つたない返事する白狐の気丈に苦笑してしまう。まんま子供の返しだ。

 放っておいて欲しいのだろう。時間が経ったら学びに戻ると突き返してくる。


 だが比良利は戻らない。

 自分もここで休憩をしたくなったと、意地の悪いことを述べてやる。


 それによって白狐の威嚇が始まった。無言で忙しなく三尾を振り、拒絶を示してくる。何処までも感情に素直な子供だ。

 負けじと無言で傍に寄り添い、煙管の先端を食む。

 意地の張り合いが始まった。先に言葉を発した方が、はたまた動きを見せた方が、この勝負の勝者となる。



 煙草の葉を詰め替えて三度目の頃、とうとう沈黙に屈した白狐が口を開く。



「俺のじいちゃん、ばあちゃん。まだどっちも元気なんだ。もう八十近いのに足腰もしっかりしているし、ボケてもいない。母方のばあちゃんは耳が遠いけど」



 唐突に始まる身内話、比良利は聞き手となる。


「だから葬式にも出たことなくて、死が漠然としていたんだ。恐いものだとは、なんとなく知っていたんだけどさ。実感が湧かなくて。今まで死に触れたことがなかった」


 命が尊い、死は悼むもの、生とは素晴らしきことかな。

 周りの大人達が繰り返し口ずさんでいたので、刷り込みのように認知したものの、本当の意味で死に触れたことはなかったと翔。

 生が当たり前のようにあるのならば、死も当たり前のようにある。知っていた筈なのに現実を受け入れられない。


 まさか目の前で死なれるとは思わなかった。

 助けると口にした直後に、同胞が死ぬとは思わなかった。気持ちがあれば助けられるのだと思っていた。

 白狐は堰切ったように吐露し、膝に顔を埋める。


「俺は勘違いしていたんだ。“頭領”は常に誰かを救える、そう勘違いしていたんだ」


 救える者だと勘違いしていた。

 頭領は神でも仏でもない、ただの妖だというのに。己に慢心があったのだと白狐は吐き出す。苦言する。弱い心を見せる。

 待ち望んでいた姿に比良利は目を細め、点けたばかりの煙草を地に捨てて彼に歩む。


「頭領とは民を導く者。時に救いたくとも救えぬ命もあるのじゃよ」


「それでも! それでも俺っ、おれは」


 両膝をついて子の頭に手を置く。


「よくぞ民の前で“頭領”を貫いた。翔、未熟ながら立派に務めあげたのう」


 顔を上げないまま白狐は唸った。


「比良利さんはずるいよ。そうやって俺を甘やかす……追いつけないじゃんか。隣に立つと決めているのに、五百年掛かりそうだよ」


「簡単に追いつかれたらわしの立つ瀬がないわい――それにぼん、わしは主に甘えさせているのではない。お主に前へ進んで欲しいのじゃ。生まれる命あれば、沈む命もある。我等はこれからも見守らねばならぬ」


 ゆっくりと顔を上げた白狐がしゃくり上げ、分かっていると返事した。

 頭領が一件をいつまでも引きずってはいけないと分かっている。分かっているのだと繰り返し、嗚咽を噛み締め、嚥下しようとし、それに失敗して声を漏らすと比良利に縋る。


「だけど見守る命も救えない神主なんてっ、ちっぽけじゃないか――!」


 もはや我慢も利かないのだろう。

 大声で泣きじゃくり、慢心でも傲慢でも助けたかったのだと、自分は助けると言ったのだと、助けられると信じていたのだと主張した。


「何が宝珠の御魂、何が頭領、何が十代目南の神主だよ! 俺は何もできないじゃないか、何もできていないじゃないか! 偉そうなことばっか言って、なにもっ、なにも」


「ぼん……」


「この手に抱いた時は、まだ温かかった。生きていたんだ。比良利さん、あの子達は生きていたんだ!」


 もっと早く動いていれば助けられたのか。

 邪魔立てした妖祓を責めればいいのか。

 事を起こした人間を憎めばいいのか、それすらも分からない。自分の信じた道が揺らぎそうだと、頭領の道の険しさに挫折しそうだと、翔は大粒の涙を落とす。


「おれは、たすけてほしい、こどもたちをたすけられなかった」


「そうじゃ、わし等は救うことができなかった」


「なにも、おれはなにもできなかった……たすけられなかったんだ。ひらりさん、おれ」


 比良利は少年神主をそっと抱擁する。


「たすけたかった……あのこたちを、たすけてあげたかった」


 親元に返してあげたかった。笑顔を見せてあげたかった。

 子は嘆き、いつまでも声を上げて縋る。


 今はそれでいい。白狐はそれでいいのだ。

 素直に感情を吐き出し、挫折し、苦悩を知り、生死に触れ、多くのことを経験し、そして立ち上がって前進して欲しい。


 それがいずれ白狐の糧となろう。

 それがいずれ多くの見守るべき命へと繋がるのだろう。


「我等は無力よ。それを知るが良い。翔よ、我等も所詮一妖なんのじゃ。それを知るが良い」





 蝶化身の白木時雨とその夫、そして妹が生まれそうな我が子を抱えて“日輪の社”を訪れたことは後日のこと。

 卵を蓮の葉に包んで社に飛び込んだ彼女は、“人災風魔”の影響がないかどうかを神職達に見守って欲しいと頼んできた。


 勿論、それも彼女の本音だったろうが、様子を見る限り、名付け親の役目を担っている白狐に誕生を見守って欲しいと下心があったようだ。


 そのため憩殿の大間を開放、助産師は紀緒が担当し、皆で見守った。

 柔らかな殻を破り、自力で這い出す蝶化身の子供の誕生を。幾度も殻を破ろうともがき、四肢を通そうと足掻き、失敗しては挑戦の繰り返し。誰の手も借りず、殻を破って上半身を出し、ようやく大声で泣いた人型芋虫の子。生命の誕生だ。


 喜びの声が上がる。

 一番に我が子を抱いた時雨は、元気な女の子だと綻び、濡れた手拭いで体を拭いた。暫く白木夫婦が我が子を堪能した後、「十代目」白狐に抱いて欲しいと子を差し出される。

 血相を変えた彼は、生まれたばかりの子供など抱いたこともないと遠慮するものの、半ば強引に赤ん坊を受け取った。


 まだ目を開かない赤ん坊の顔を熟視し、白狐は幸せそうに頬を崩す。

 事件以来の輝く笑顔だった。比良利はもう大丈夫だろうと、白狐を見守る。


 我が対、第十代目南の神主の三尾の妖狐、白狐の南条翔は知った。沈む命の儚さを。頭領の無力さを。現実の厳しさを。死の恐ろしさと、残される者の痛みを。

 けれど同じように少年はきっと知る。生まれる命の素晴らしさを。頭領として何をすべきかを。民を導く意味を。生の見守る尊さを。


 白狐はこの赤ん坊に『日和(ひより)』と名を与えた。

 前々から候補に入れていたそうだが、自分に命の素晴らしさを教えてくれたこの子には、いつも誰かの心をあたたくして欲しい。穏やかな子に育って欲しいと強く思ったそうで、この名にしたそうだ。


 なかなか良い名だと比良利は思う。

 赤ん坊を抱く白狐を見守っていると、「安心しました」紀緒が話し掛けてくる。


「翔さま、少しは元気になったようですね。見ていられないほど、空元気でしたから」


「紀緒は心配性じゃのう。心配ばかりじゃ体も凝るぞよ。どれ、わしがその豊富な乳を」


 前触れもなく尾を捻られ、比良利は悲鳴を上げそうになった。


「貴方様ほどじゃございません。落ち着きない数日を過ごしていたのはどこのどなたですか。まったく良き父をしておりますね」


「せめて兄と申さぬか。わしは子を持った覚えなどないわ」


 捻られた尾を優しく擦る。

 ふと紀緒がこのようなことを尋ねてきた。一件により、白狐は人間のことをどう思っただろう。嫌いになっただろうか、と。

 二世界の共存を願う白狐の理想を知っている彼女の憂慮は杞憂だろう。比良利は微苦笑を零す。


「あやつの意志の固さはちょっとやそっとじゃぶれぬよ。戸惑いは抱いたであろうが、翔は走るじゃろう。これから先も、己の理想を抱えて」



 ※



 最近、生と死についてよく考える。

 齢十八の小僧にはまだ早いテーマなのかもしれないが、直接死に触れ、生に触れたせいか、気付けば物思いに耽っている。


 “人災風魔”を起こした藤家については比良利から、詳しい詳細を聞いている。

 北の神主の見解で今のところ、罪人を裁く行為は保留にしている。けれども祟りはかけた。罪人たちが逃げる術はないだろうとのこと。


 黒幕を引きずり出すまで、妖祓と不穏な空気になるだろうとも釘を刺された。

 また彼等とぶつからなければならない。気鬱を抱くが、罪人に対する価値観は双方で異なっている。

 場合によっては妖祓が黒幕の身柄と引き換えに、祟りを解くと条件をつけてくるかもしれない。衝突は避けられないだろう。


『二人と連絡は取ったのかい?』


 ある夜、翔はおばばと民家の屋根で風に当たっていた。

 翔からおばばを夜の散歩に誘ったのだ。なんとなく祖母と二人きりで話をしたかった。家にはネズ坊達はいるため、落ち着いて話すこともできない。


「LINEはくるんだけど、返事はしてない。八つ当たりしそうだったから」


『人間が嫌いになったかい?』


「ううん。あいつ等も、人間も大好きだよ。ただ、今回の事件は堪えたかな。止めてくれた朔夜に八つ当たりもしちまったし」


 申し訳なさで一杯だと苦笑すれば、その気持ちを後日、直接伝えれば良いと猫又。長いひげと四尾を風に揺らし一声鳴く。

 その場に寝そべり、おばばの胴を撫でる。柔らかい毛並みは触り心地抜群だ。


「おばば。俺、初めて死を知ったよ。自分よりも小さい妖が死ぬってつらいな。まだまだ先があっただろうに。生きるって難しい」


『いつも言っているだろう? いつ終わりを迎えるかなんて、神様にすら分からない。だから今を精一杯生きろ、とねぇ。まあ、それが難しいのだけれど』


 おばばが物言いたげな目を向けてくる。翔は笑顔を作り、頭を撫でてクンと一つ鳴く。


「ばあちゃんの最期は俺達孫が看取ってやるさ。その時まで、しっかり長生きしてくれよ」


『約束だよ坊や。お前さんは五百年、千年、うんと長く生きるんだ。辛くても、苦しくても、頭領として皆を先導するんだよ。必ず比例した喜びや幸せもある筈だから』


 腹の上に猫又が移動し、身を丸くしてくる。

 相手に好きにさせて翔はスマホを取り出した。画面をタップし、LINEのアプリを開く。幼馴染グループにメッセージが数件。もう返事しても大丈夫だろう。

 一件のせいで今しばらく会うことができないだろうが、連絡を取れないわけではない。

 グループの方には心配を掛けた詫びを送り、個人で親友にメッセージを、いや電話を掛ける。



「もしもし。ああ、朔夜。うん、うん。なんでお前が謝るんだよ。何もしていないじゃないか。寧ろ俺を止めてくれた。あんがとな。これからも頼むよ。え? バーカ、夢を捨てるかよ」



 悲劇を繰り返したくない、その気持ちによって、より一層妖と人の共存に対する思いが強くなった。

 翔は星が瞬く夜空を見上げながら、己の胸の内を親友に語った。




 同じ夜空の下、下劣に笑う妖一匹。その手には水晶玉が握られ、何者かと交信していた。



「お前のおかげだ。人間の小娘の働きによって、ある程度、南北の地にいる霊能者と妖が把握できた。ああ、ああ。そろそろ俺も動く。お前さんの願いは叶えてやんよ。その代わり、俺の願いも叶えろよ。比良利に左目を潰された雪辱を果たさねぇとな」



 おまけとして絶望もくれてやろう。四尾の、いや六尾の妖狐、赤狐の比良利に。

 彼が今、最も大切に育成している“新たな対”と、かつて鬼才と呼ばれた“対”の両方に手ほどきをしてやろう。嗚呼、本当に楽しみでならない。



 妖は喉を鳴らして笑う。



「まずはお前の願いを叶えるべく、亡骸にしてもかっぱらってきてやるよ――三尾の妖狐、白狐の南条翔を。天城惣七の新たな器をな」




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