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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ弐】妖祓、対立再び
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<六>其の戦は曇天の下で(弐)




「そっちに助っ人が来たなら、こっちにだって助っ人が来てもいいでしょう!」



 無数の呪符がまるで群れをなすように天馬と翔に襲い掛かる。

 その攻撃に翔は和傘を開いて一振り、天馬は錫杖を両手で持ち、その場で回す。地面に落ちる呪符を一瞥することもなく、奇襲を掛けてきた人物を確認。

 そこには予備校に行っていた筈の飛鳥が息を切らしながら、朔夜の隣に立った。

 驚愕しているのは親友だが、彼女は間に合ったと言うや鞄を向こうに放って呪符を構えてくる。


「飛鳥。君は予備校じゃ」


「朔夜くんと、ショウくんが関わっているのに、私だけ不参加なんてヤじゃない。相棒は私しか務まらないでしょう? それで、状況を説明してくれる?」


 飛鳥の参戦は翔達にとって不利だ。彼女もまた凄腕の妖祓、悪戦は避けられない。

 何より彼女は空中にいる妖を捕えることを得意としている。翔やギンコ、天馬にとっては天敵である。


 だが目的を履き違えるべからず。

 妖の目的は人間の霊媒師と決着をつけることではなく、病魔を振り撒いた人間を引きずり出して術を解くことだ。


「天馬。家屋に犯人がいる。合図で飛んでくれ」


 察しの良い烏天狗は静かに頷く。

 次の瞬間、翔はギンコを呼ぶために指笛を吹いた。それを合図に天馬は羽ばたき、ギンコは雛を振りほどいて飛躍する翔を背に乗せて天に昇る。

 呪符と霊気の矢、弾丸を器用に避け、銀狐は家屋の周りを翔る。援護するように天馬が自分達に寄り添い、人間の放つ術を錫杖で叩き落とす。


 その間に大麻を構え、翔は一軒家の窓硝子目掛けて風を起こす。目に映る窓硝子をすべて割ることにより突破口が出来上がった。

 妖祓達が結界を張る前に玄関扉も大麻で壊してしまうと翔は遠吠えをし、同胞達に道が出来たこと、そして犯人が中にいることを知らせる。

 それまで妖祓の相手をしていた青葉と紀緒は妖型となり、比良利は和傘を開いてツネキの背に飛び乗った。


「妖達が家に侵入しようとしている。止めろ!」


 人間の怒号により、妖祓達が一斉に結界を割れた窓硝子、玄関扉に向かって結界を張り始める。

 術よりも突破口を作った翔の行動が早かった。

 ギンコに頼み、犯人がいたであろう部屋の窓目掛けてその身を投げてもらう。策に気付いた飛鳥が呪符を投げてきたが、天馬の錫杖によって翔は結界が張られる前に部屋に侵入することができた。


 絨毯に背を打ち付けるものの、大したダメージを受けることはなかった。


 身を起こして室内に気を配る。

 まず感じたのは異臭だった。硫黄に似た臭いが充満し、吐き気を催す。外界と同じ闇に包まれているが、夜目の利く狐であるため、そこは問題がない。

 だが靄が立ち込めているため、この目を持ってしても視界が悪い。これが病の元凶なのだろうか。


「やばい。この靄は数十秒で気分が悪くなる」


 袖で呼吸器官を覆いながら、犯人の姿を探していると忙しないノックが聞こえてくる。今の音はなんですか、開けなさい、此処を開けなさい、強行突破しますよ。聞き覚えのある老婆の声は飛鳥の祖母のもの。首を捻れば、扉が本棚とベッドで塞がれている。


 確信する。今もこの部屋に犯人がいるのだ。

 狐の耳が右方角で音を拾う。固く閉ざされたクローゼットには呪符が貼ってあった。此処に犯人がいるのか。大麻で呪符を器用に剥がし、ゆっくりと押し開ける。


 絶句、大麻を落としてしまう。

 目前に広がる闇の向こうには犯人ではなく、数匹の妖が押し込められていた。それらは正気を失いかけている者達ばかり。銅盤を頭にかぶった乳鉢坊(にゅうどうぼう)、猿の顔と虎の胴を持った(ぬえ)、四つ耳を持った妖兎に、鈴の付喪神に、それから、嗚呼、それから半数以上が子どもじゃないか。


 彼等は南の地にいた妖で、“瘴気”の後遺症に苦しむ者達なのだろう。口から泡を吹き出し、瞳孔を見開いて自傷行為をしている。


 けれど理性を失ったわけではない。

 翔の姿を捉えるや、助けがきたのだと嬉しそうに鳴く。声を上げる。音を鳴らす。

 我に返り、衰弱している妖達に声を掛け、傍にいた乳鉢坊の子を腕に抱く。すると乳鉢坊の紅葉のような手が翔の浄衣を握り締めた。


「すぐに助けてやるからな」


 物言いたげな目に応えるべく、見上げてきた子供が安堵したように綻んだ。本当に綺麗で純粋な笑顔だった。


 急いで他の妖達も連れて行こうとするものの、一度に運べる数は限られている。妖型になったとしても全員は連れて行けない。ギンコ達に助太刀を頼まなければ。

 二匹の妖を抱いたところで、翔はようやく己の背後に気配があることに気付いた。急いで右の腕を翳せば、分厚い辞書が振り下ろされる。その凶器を掴んで奪い取れば、犯人であろう少女が声なき悲鳴を上げて後ずさる。


 少女。

 翔は言葉を失いかけた。部屋に籠っていたのはセーラー服を着た少女だったのだ。

 青白い顔に肌、黒髪は前も後ろも長い。見たところ中学生だろうか。

 まさか、この少女が禁術を使用したというのか。自分達は彼女の首を狩りに来たというのか。


 すくりと立ち上がって彼女と向かい合えば、「消えろ化け物!」手当たり次第に物を投げつけてくる。



「あんた達が視えるせいで、私は変人扱いなんだから。消えろ、消えろ、消えてしまえ――!」



 半狂乱になっている少女、(ふじ) 花凛(かりん)は翔を化け物だと何度も罵った。明らかな憎悪が宿った瞳を向けてくる彼女に、お前が病魔を撒いたのかと唸る。

 それがなんだと食い下がる花凛は妖はこれで消えるのだろうと告げ、机に置いていたバスケットボールほどの大きさもある香炉を引っ掴んで翔の前に出す。盾代わりなのだろう。


「早く消えなさいよ! あんたもこれを嗅いだら消えるんでしょ! 何度も、化け物で試したんだからっ」


 化け物で試した。

 それはつまり、クローゼットにいる妖達で試したというのか。

 頭に血が昇った翔は大きく咆哮すると、床を蹴って彼女の持つ香炉を奪い、青々とした狐火を放つ。脅し程度であったため、相手は無傷、腰を抜かす程度だ。

 詰問したい気持ちは一杯あったが、今は妖達が第一である。

 翔は素手で窓に結界を破り、無我夢中で外に出る。得体の知れない靄を吸ったせいか、呼吸が上手く吸えない。


「翔殿!」


 地面に両膝をついたところで、窓辺にいた天馬とギンコ、そして青葉が駆け寄って来る。翔は迷わず腕に抱く妖二匹を巫女に差し出し、同胞を診て欲しいと訴えた。クローゼットに閉じ込められて衰弱しているのだと伝えたところで、彼女が泣きそうな面持ちで見つめ返してくる。

 訳が分からず、翔は差し出した妖達に恐る恐る目を向ける。微動だにしていない妖達がそこにはいた。

 おかしい。さっきまで呼吸をしていたのに、ピクリとも動いていない。半開きの目が宙を見つめているばかり。


 事態を察し、天馬がギンコやツネキと部屋の中に入る。

 妖祓の相手をしていた比良利も、いつの間にか翔の隣で片膝をつき、言葉にならない声を漏らして同胞の目を瞑らせてやる。

 訳が分からない。さっきまで、たった今さっきまで息をしていたのに。


「すぐに社に連れて帰ろう。瘴気を吸っているみたいだけど、一聴さんの、薫物を吸えば助かる、だろ?」


 青葉に同意を求めるが、望む返事を貰えない。

 同胞を抱く腕が震えてきた。やっと現実が見えてくる。


「俺、助けるって言ったんだ。言ったんだよ。そしたら、嬉しそうに笑ったんだ。待っていたんだよ。彼等は助けを待っていたんだ」


 そして、待ち望んでいた助けがやって来たのだ。彼等は救われるべき同胞なのだ。自分達は救うべき妖なのだ。

 声を上擦らせる翔の脇に挟んでいた香炉が滑り落ちる。

 蓋が取れ、中身が零れる。所々砕けた骨。それは歪な曲線を描く、物の怪の骨。決して人の骨ではない。

 悲しげに両手で拾う紀緒がこう呟く。


「これが“人災風魔”の正体。瘴気を吸った同胞の骨を砕き、焚き付かせて霊気と共に風に乗せていたのですね」


 ならば囚われの同胞達は皆、いずれ骨と化し、術の餌食となっていたのか。

 天馬たちが戻って来る。クローゼットから救い出された妖達の哀れもない姿と、沈鬱な面持ちによって手遅れなのだと嫌でも思い知らされる。


 なんで、どうして。

 翔は混乱した。同胞達は何もしていないではないか。何故囚われる必要があった。病魔に苦しむ必要があった。死ぬ必要など、何処にもなかったのに。

 妖祓達が犯人を庇っていたのは相手が中学生だったからだろう。きっとそれ以上のことは知らず、この事態も想定していなかった。知っていたら、とっくに妖達を救い出していただろう。


「あ。翔殿!」


 亡骸をその場に寝かせると、翔は目にも止まらぬ速さで犯人がいる部屋に飛び込む。四隅で身を震わせている犯人を容易に見つけ出し、「お前だけは」大麻を持って一歩、「おまえだけは」また一歩、「来ないでよ」憎むべき人間に歩む。

 立ち止まったところで、怯えきった花凛が怒声を上げた。


「あんた達が“視”えないのが悪いのよ。皆に“視”えていれば、私はいじめの対象にならず済んだ! 知らないでしょう? 私がどれだけ苦しんでいるか。“視”えないものを“視”えてしまうことで、気味悪がられている苦しみを」


 だから化け物を消してしまえばいいのだと彼女。

 ああもう、どうでも良くなった。

 殺したかったら殺せばいいじゃないか。自暴自棄になった少女に反省の色は一切見えない。自分が犯した罪を彼女は一抹も分かっていない。


「楽に死ねると思うなよ」


 冷然と言い放つと、血相を変えた彼女が人殺しの化け物と反論した。それはお互い様だ。

 振り上げた大麻を掴まれ、その場に引き倒されたのは直後のこと。

 手首を捻られたせいで大麻が転がる。倒される衝撃よりも、自分を引き倒した輩に意識が向く。


 「放せ!」頭に血が昇っている翔は、少女を庇う朔夜を睨んだ。

 「駄目だ!」先程まで対峙していた親友は、絶対に手を出してはいけないと怒鳴る。それこそ意味が分からず、理由を問いただした。


「こいつは同胞達を苦しめた! それどころかっ、命を粗末にしやがった!」


「ああ、そうだよ。そうだ。僕達もそれを知っていれば、別の手で彼女を部屋に引きずり出していた!」


「なら止めるんじゃねえよ! 報われないじゃないかっ、このままじゃあいつ等が報われないじゃないか!」


 力の限り四肢を動かして相手を押しのけようとするが、朔夜は力の限り動きを封じようとしてくる。


 「気持ちは分かる」「人間に分かるものか!」感情のままに食い下がるが、「冷静を欠いたまま人を殺めてしまったら!」努めて冷静な親友が封じる手を強めた。


「君は殺めた人間に後悔の念を抱く。ショウは、人間も愛す妖だと僕は知っているから」


 冷や水を頭からかぶった気分だった。

 行き場のない感情が腹の底でグルグル渦巻く。吐き出したいのに吐き出せない怒り。犯人である少女にぶつければ治まると思っていた感情だが、親友はその先も見越して止める。


 「ごめん」妖祓の小さな謝罪により全身から力が抜け、倦怠感が襲った。


「もう、訳分かんねぇよ朔夜。俺達が何したってんだ」




 ※




「まったく驚かせてくれるのう。犯人が小娘とは」



 一尾の妖狐、キタキツネの青葉は事の真相を知るべく比良利や紀緒と一室に入り、犯人の娘と妖祓長達と向かい合っている最中だった。

 妖祓が頑なに妖を拒み、追い返そうとしていた理由が犯人の年齢だと知り、戸惑いと怒りの両方が交わる。

 幾つに犯そうが罪は罪なのだ。重罪ならば見逃すわけにはいかない。罪を犯す重みを知っているからこそ、犯人には辛辣な感情を抱く。


 明かりが点った一室には若き妖祓達の姿も見える。

 その中の一人、楢崎飛鳥が部屋を見渡して誰かを探していたようなので、青葉は簡潔に外にいると返事した。

 そう少年神主は頭を冷やすため、平常心を取り戻すため、自発的に外に出て亡骸達の傍にいる。金銀狐や烏天狗が傍にいるため、下手な行動は起こさないだろうが、彼の精神面を思えば簡単には立ち直れないだろう。

 現代の人間の世界は、昔に比べて平和と聞く。現代生まれの彼にとって、此度の事件は衝撃を与えたのだ。


 青葉は傷付いた彼や同胞を想うと胸が痛くなる。

 亡くなった同胞は勿論のこと、少年神主は常に自分を支えて、励ましてくれた。笑顔の絶えない人だと知っているため、彼の沈鬱な面持ちには身を裂かれそうになる。家族として何か彼にしてやりたい。真相を知り次第、彼の傍にいてやりたい。想いは募るばかりだ。


 犯人である少女に視線を流す。

 母親であろう中年女性に庇われ、その腕に抱かれた彼女は身を震わせていた。自分の罪に対する恐怖ではなく、己の身の安全に対する恐怖だろう。前髪の隙間から見える目は、未だに妖に対して嫌悪感が宿っている。

 霊気を宿した母娘と、人間の味方をする妖祓達、そして首を狩りに来た我々。話し合いで解決できるわけもない。双方の関係は平行線なのだから。


「小娘。何処で禁術を得た」


 茨が巻き付いた冷たい赤狐の声音により、花凛の身が萎縮する。

 知らない、知っていても教えないと返事することにより、比良利の妖気が上昇する。


「あまり我等を舐めるでないぞ。小娘とて罪人である以上、此方は容赦せぬ」


 まさか小娘だからと状況に甘んじているのか、同胞の哀れな姿を目にして生かしておくとでも。

 殺気立つ赤狐の射抜く眼光から逃れるように彼女が母の影に隠れる。呆れた態度だ。


 代わりに和泉の妖祓長が同じ質問を投げる。

 決して口を割ろうとしない花凛だったが、母親から強く名を呼ばれ、骨董品屋の主人から香炉を貰ったのだと白状する。


 幼少から強い霊力を持つせいで妖が異常に視える体質。

 霊も集まりやすく、同性代の子どもから気味悪がられていた。集合写真を撮れば霊が写り、妖が教室の窓から視えたことを言えば嘲笑されて過ごしてきた。いつも変人扱い、仲間外れ、いつしかいじめの標的となり心苦しい毎日だったと花凛は言う。

 不登校気味になっていた彼女は視えないものを憎むようになった。特異体質のせいで普通の人間から敬遠されるのだから、当然の如くその原因を作ったものに憎しみを抱いた。


 ある日、いつものように学校に行かず、街を歩いてウィンドウショッピングを楽しんでいた花凛の前に一軒の骨董品屋が顔を出す。

 好奇心で中に入った契機に、老主人と仲良くなり、何でも話す仲となった。日課のように通い詰めた。

 老主人にいじめについて、また己の特異体質について相談を持ち掛けると、彼は良いものがあると言って香炉を花凛の前に出した。


 老主人は言う。

 これはその昔、僧侶が妖の数を減らすために使用した香炉。この中に砕いた妖の骨を入れ、火を焚いて己の霊力を風に乗せれば、自然と妖の数が減る、と。


 半信半疑だった花凛だったが、老主人が一緒に妖を捕まえる呪符をくれたため、物は試しだと思って香炉を受け取る。


 既に砕かれた骨は入れられたため、家に帰って実行に移した。

 効力を知りたいがために、呪符で弱そうな妖を捕まえ、その化け物の傍で火を焚く。


 すると不思議、明け方には妖が死んでいた。

 花凛は思った。これは蚊取り線香のようなもの。焚けば焚くほど妖は嫌がり、己の周りに姿を現さないではないだろうか。

 早速、老主人に礼を告げに店へ行くと、彼は快く香炉をくれた。

 しかし妖の骨はもうないとのこと。だからもし妖を捕まえるなら、指定する場所と“妖”を捕まえなさい。


 そう言われたため、彼女は妖を捕まえては呪符で骨にした。捕まえては呪符で骨にした。

 途中から楽しくなった。

 気分は虫とり、いじめに対するちょっとしたストレス発散だった。クローゼットに閉じ込めていたのは、いつでも香炉で焚けるように。子が多かったのは自分より弱いと分かっていたから。



 藤花凛の言い分は以上である。

 同情する一面もあるが、妖からしてみれば随分身勝手な言い分である。何と言葉に表せば良いのか、青葉には分からない。



 情報を整理すると、花凛は禁術とは知らずに香炉を使用。事前に準備されていた香炉と、持ち前の霊力の高さが禁術を発動させる悲劇を生んだのだ。


 比良利が香炉を調べる。

 底に呪詛の詞が記されているとのこと。これも発動の条件として成立させた一つの要因だろうと、北の神主は吐息をつく。

 “人災風魔”はこの香炉を壊すことで解ける。

 確信を得た赤狐が、大麻で陶器を真っ二つに割った。あっけない終わりだ。まさかこれのせいで南北の子供達が苦しんでいるとは、誰が想像しようか。


「なるほどな。事情は呑めた。その老主人に策略で動かされた、といったところだな。北の神主よ、今回の事件の全責任は我々妖祓が背負う」


 責任もって老主人を捉え、真の黒幕を引きずり出すと約束しよう。

 月彦の先の言葉を見越し、「ならぬ」比良利が即答した。


「小娘が扇動されていたことは認めよう。しかし、同胞に非道な振る舞いをしたことに変わりはない。拘束し、幽閉しようとは心ある者のすることではない」


「重く受け止める。だがこの娘は齢十四、子供なんだ」


「既に良し悪しが分かる歳であろう。責のすべてを我等妖に擦り付け、反省の色一つないとは如何なもの。小娘、主は申したのう。“視”えぬものを“視”えてしまうことが元凶じゃ、と」


 低い声で唸る赤狐が花凛に問う。

 本当にそれだけが元凶なのか、己自身にも問題があったのではないか。

 そう問えば、逆上したように彼女は“視”えないせいで異端に見られた自分の苦しみなど、誰にもわからないと返した。


 消えればいい。妖など、化け物など皆、消えてしまえばいいのだと発狂する彼女の身が、母親から引き剥がされ、容赦なく頬がぶたれる。

 呆然とする彼女の胸倉を掴み、飛鳥は怒の感情を露わにする。


「だからって残虐非道な行為が許されるわけないじゃない! なに、途中から楽しくなったって。自分だっていじめているじゃん。弱いものいじめして、自分の快楽を得ているじゃんか!」


 「勘弁してよ」妖がいなくなればいい、だなんて昔の自分を見ているようだと飛鳥は吐き捨てる。


「特異体質? 私だってそうだし、向こうにいる人達もそう。“視”えないものを“視”えてしまう体質で悩んだ。妖に命を狙われることだってあった。消えろとすら思ったよ。でも、あんたみたいに弱いものいじめをしようとは思わなかった」


 いじめには同情するが、それ以上に快楽のせいで命を奪われた妖の方が可哀想だ。

 己の私利私欲で病魔にかかった妖もいる。命を落とした妖もいる。今も苦しむ妖がいる。ひとりの人間の勝手な都合のせいで。


「私は変な目で見られないために、この能力を隠した。そういう手だってあったでしょ? あんた、実は霊能力を自慢したんじゃない?」


 図星のようだ。花凛の顔色が変わる。

 「あーいるよね。そういう人」思い当たる節があるのだろう。朔夜が頷き、祓魔師の巽と雛が静かに頷く。


「あんた達は化け物の味方なの?」


「少なくともあんたの味方じゃない。できるわけもない。

 だってね、私の幼馴染も妖だから。十七まで人間だったんだよ。霊力も何もない普通のね。妖になっても幼馴染は妖を祓う私を、人間を好きで居続けてくれる。妖と人間の共存を願っている」


 それなのに人間側でこのような仕打ちはあんまりだ。同じ人間として恥ずかしいと飛鳥は毒を吐き、「人間が妖になることもあるよ」殺めてしまった妖の中にそういう事情を持った輩がいたかもしれない、彼女はそう告げる。

 便乗するように比良利が言葉を付け足した。


「小娘、一つ教えておいてやろう。あの妖の子達はのう。人間の歳にして十にも満たない者達ばかりじゃった。お主は十にも満たない人間を殺めることができようか?」


 いや、できまい。

 花凛の主張は“視”える人間を正義とし、“視”えない妖を悪としているのだから。彼女にとっては化け物を消しただけなのかもしれないが、此方にしてみればいい迷惑だ。

 姿が“視”えないからの理由が成立するなら、此方は相手に姿が“視”えるの理由で報復が成立する筈だ。


 青葉達が見守る中、赤狐は大麻を持ち上げた。


「罪人が子ならば、この責は親の命で償ってもらおうか」


 両親の命で小娘の罪は不問としよう。

 比良利がそう言うと、花凛が血の気を引かせて母親に縋った。それは駄目だと言いたげな態度、彼女は癇癪を起こした子供のように人殺しと喚いた。

 滑稽な光景だと青葉は眉をハの字に下げる。彼女の中で妖の価値は底辺なのだろう。尊重されるべきものは常に人間なのだ。


「つまらぬ小娘よ」


 比良利は憮然と息をつき、紀緒にツネキを呼んでくるよう告げる。

 程なくして金狐が室内に入って来た。

 「何を」紅緒の困惑する声を余所に、「同胞の怒りは災いとなり厄となろう」一室に轟く声と共にツネキの額に埋められていた勾玉が発光。金狐の眼は親子を捉え、宿した暗紫の光を彼女達に降らす。

 何をされたのだと目を白黒させる花凛だが、妖祓は術の正体に気付き、固唾を呑んでいた。


「赤狐。お前、親子に祟りを」


 月彦に視線を流し、赤狐は口を歪曲に持ち上げる。


「我等は“視”える人間に情けなど掛けぬ。罪人の魂は此の地に縛り付けた。もう逃げることもできぬ。その怒りを身を持って思い知るが良い。宝珠の祟りはどのような祓いでも解けぬ」


 青葉は祟りの恐ろしさを知っている。

 神の怒りに触れた者達は生き地獄を見ることになるのだ。楽な道はすべて閉ざされ、死よりも苦痛な現実を味わうことになる。祟りを鎮めるには神に許しを乞うしかない。

 それを知っているからこそ妖祓達は物言いたげな顔を作り、北の神主は冷笑を零す。



「今宵は妖祓の主張を聞き入れ、同胞を連れて帰るとする。藤家を根絶やしにするかどうかは、真の黒幕を引っ立てからでも良かろう。

 しかし妖祓、憶えておくが良い。今宵の悲劇は決して赦されたことではない。香炉を渡した輩は我等が捕え処罰する。邪魔立てするようならば主等にも容赦はせぬ」



 二つに割った香炉を拾い、比良利が浄衣の袖を翻して窓から外に飛び出す。

 後から紀緒、ツネキ、そして青葉の順で窓枠を飛び越えた。

 すぐ側で待ち人となっていた少年神主が家壁に凭れ、小さな亡骸を抱えている。耳の良い狐は外から室内の話を聞いていたのだろう。

 彼は空に昇る自分達の姿に驚くことなく、天馬を呼んでギンコの背に跨ると空へ飛んだ。


 北の神主の一声と共に、一同は曇天空を翔ける。

 青葉がギンコの背に乗ると、白狐が首を捻ってきた。力なく笑う彼に大丈夫かと声を掛ければ、もう落ち着いたと翔。見え透いた嘘だった。


「帰ったら、皆を綺麗にしてあげないと」


 同胞の顔が汚れている、それが居た堪れないと翔はつぶやく。

 返事は期待していなかったようだが、青葉は同調してやり、そっと彼の背に寄り添う。虚勢心を張っている背中はとても悲しそうだった。



 “人災風魔”はその夜に終焉を迎える。

 味の悪い事件は真の解決には達しておらず、なんとも消化不良。黒幕を引きずり出さなければこの怒りは冷えないだろう。


 術が解けたおかげで、高熱に魘されていた子供達の容態も徐々に回復していく。三日も経てば微熱にまで下がり、もう大丈夫だろうと医師の一聴は綻びを見せた。

 ネズ坊達も食欲を取り戻し、今では美味しそうにすり林檎を頬張っている。


 誰よりも回復を喜んだのは翔だった。

 彼は妹弟のためにアイスを買い、元気になったら皆で食べようと笑顔を作った。空元気だと一目で分かってしまい、青葉は切ない気持ちになる。ギンコと幾度も視線を合わせ、甲斐甲斐しく妹弟の面倒を看ている翔を見守った。

 落ち込んでいる節は決して見せない。ネズ坊達の我儘を快く聞き、寝かしつけるために絵本を読み聞かせている。


 憂慮を抱いた青葉とギンコはおばばに事情を説明した。

 彼の無理している姿が痛々しい。どうすれば良い。自分達は何をしてやればいい。そう尋ねると、祖母は優しく鳴いて答えた。


『何もしなくていい。お前さん達はいつもどおり、坊やに接して見守ってあげなさい。それが彼の支えになる』


「ですが」


『青葉、坊やはね。“頭領”として事件を受け止めたいんだよ。“頭領”は弱っているところを民には見せられないんだ。家族にすら見せないのは、ちょっとした男の子の意地だろうけどねぇ』


 でも大丈夫、きっと大丈夫なのだとおばば。

 自分達は相談を持ち掛けられた時や、彼が脆い面を見せた時に、支えとして彼の傍にいてやればいい。

 助言する猫又は、無理に彼の弱っているところを出すような野暮なことはしてはいけない、と言葉を重ねた。



『その役目を持てるのは、坊やと同じ立場にいる者だけ。お前さん達は優しく見守って、陰で支えてあげなさい。それだけで坊やは救われる』





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