<五>其の戦は曇天の下で(壱)
国立大学を目指す飛鳥は予備校の自習室に籠っていた。
この予備校は休み時間以外、携帯を弄ることが許されず高校と同じ、いや高校よりも厳しい場である。それだけ勉学に集中し、狙うべき名門大学を勝ち取れということなのだ。
朝から晩まで勉強詰めの日々は疲労が溜まるものの、もう一年浪人生活を送る未来を想像すれば苦も緩和する。
飛鳥は腕時計で時間を確認する。午後十時。残り一時間で自習時間も終わりだ。
一週間後は大切なクラス替えテスト。気合を入れて勉強をしなければいけないのだが。
(朔夜くん。ショウくん。どうなっているだろう。今日くらい休めば良かったかな)
幼馴染達のことが気掛かりとなり、どうも勉強に集中できない。
妖祓長を目指す朔夜と、南の地を統べる翔、真っ向から対立する彼等の関係に飛鳥は懸念を抱いている。
相棒からは予備校を優先するよう言われたが、やはり気になる。能天気に勉強などしていられない。が、予備校の費用を考えれば集中すべきことである。
常に現実が飛鳥の行動を押しとどめる。
(二人はそれぞれ道を定めて、それに向かって頑張っている。朔夜くんは妖祓として覚悟を決めた。ショウくんは頭領として本就任を迎えた。比べて私ときたら、やっぱり普通の生活が捨てられない)
幼馴染の妖化を契機に、妖を祓うことにも躊躇している。
朔夜とてそれは同じだろう。
だが彼は理想を掲げる翔に便乗し、共存の夢を果たすべく、親友の隣に立とうと奮闘している。そんな朔夜はとてもカッコイイ。勿論、翔もカッコイイが、想い人の方が優ってしまう。仕方がない。想い人なのだから。
(でも、ショウくんと青葉さんを見ていたら……勿体ないことをしたなぁ。すっごく勿体ない。青葉さん、幸せそうだったなぁ)
やや思考がずれていく。
飛鳥は翔の隣に並んでいた青葉を思い、羨望を抱く。
世話好きの彼にあれやこれや気を回され、彼女は本当に幸せそうだった。我儘を見せれば、彼がさり気なく応えてくれるのだ。そりゃあ女の子としては嬉しい限りだろう。
翔と青葉の尾と結び合う場面を思い出し、飛鳥はやきもきする。
(あれ絶対、私達人間でいう手を繋ぐ行為だよ! わ、わ、私だって朔夜くんと手を繋ぎたいのにっ、ああぁあ我儘を聞いてもらいたいのにぃいい!)
ついでにギンコとちゅーしている翔の姿も目にしているため、飛鳥は自分だって朔夜と……そこまで思った瞬間赤面。机に伏してしまう。
なんだか最近朔夜に思わせぶりな態度を見せられ、あれは期待して良いのか悪いのか。
それに加え、米倉の隠しもしない異性感情。飛鳥は一杯いっぱいである。
(米倉くん。チャラくて意地悪だけど優しい。朔夜くんにはない、性格イケメンさがある。だけど、私はずっと朔夜くんを見てきたもの。振り向いてもらえなくても、ずーっと朔夜くんを)
彼の相棒として隣に立っていた。
これからもずっと、そうなのだろうと思っていた。幼馴染の妖化までは、そう信じて疑わなかった。
なのに今、彼の進む道に自分はついて行こうとしていないし、朔夜もそれを強制しようとしない。今まで別の道に進んだことなんてなかったのに。
「あ、」
前触れもなしにペンケースにつけていたキーホルダーの鎖が切れる。
丈夫な鎖が切れる、だなんて……これは未来予知?
上体を起こした飛鳥は急いでプリント類を片付けると、鞄に詰め込んで自習室を飛び出した。
向かうは担当講師のいる職員室。
帰宅許可を貰い、急いで相棒の下に向かわなければ。幼馴染達に何か起きているのでは……嗚呼、胸騒ぎがする。嫌な、胸騒ぎが。
※
禁術、妖側では“人災風魔”、人間側では“風上滅却”。
各地に病魔を流行らせ、妖の生態と自然の理を覆す。それは如何なる理由があろうと、無暗に生命を脅かしたということ。自然界の道理に反する。
それを使用した術師の犯人を割り出した妖祓長達と彼、和泉朔夜はその現実に愕然としていた。
「なんたることだ。まさか、このような現実が待っていようとは」
北の地、禁術を使用した僧侶の血統を持つ藤家にて。
この家はかつて“霊媒師”として活動していた名家。
けれども、私欲に働いた大名の命令を忠実に守り、禁術に手を出したとして霊媒師から外され、その資格も剥奪された。
以降、平成の世では霊が視える家庭として留まる程度。それが藤家であり、今世では禁術の使用など到底できる家はなかった。
しかしながら、この藤家は過去の罪など忘れてしまったかのように再び“禁術”を使用した。相手は凄腕の術師だとばかり思っていたのだが、妖祓も、妖も、その目論見は大きく見当を外していた。
犯人が閉じこもっているであろう扉の前に立っていた月彦は、珍しくも焦燥感を顔に滲ませ思案に耽っている。
その隣で待機している朔夜は父と頭を抱えて大変な事態だと唸り、更に廊下の奥で事を見守る中年女性は藤家の者。事情を聴かされ、どうすれば良いのだと血相を変えていた。
しかし、誰も何も答えることができない。良い結論が出せないのだ。
朔夜としては内心、悪行を働いた人間を守ることなどしなくとも、自業自得の論で責任を犯人に取らせれば良いと考えていた。幼馴染や妖を思えば、幼子達の命を蝕む病を撒いた犯人の罪はきわめて重い。
罪人にはそれ相応の報いを受けてもらうべきだろう。
だが。
「妖祓が身柄を保護しようとしても、犯人は閉じこもったまま。早いところ保護せねば、妖が襲来するじゃろう。奴等は悪に対して無慈悲。どんな手を使おうと命を持って償わせる」
頭部を掻いた月彦に追い撃ちを掛けるように、「もう此方に向かっていますよ」中年女性を押しのけ、険しい面持ちで歩む楢崎紅緒が答えた。
複数の巨大な妖気が此方に向かっている。彼女は憮然と息をつく。
「貴方も分かっている筈。六尾の妖狐、赤狐の比良利は頭の切れる妖。生きている時間も我々とは違います。彼は私達が犯人に目星をつけ、既にそこを訪れていると見透かしていることでしょう」
「ああ。交渉に応じた時点で、あいつは此方の動きをある程度読んでいた。さすがは頭領。教養のために若き頭領の白狐を連れて来るだろう」
「日月総出で襲来は間違いございません。とんだことをやらかしてくれましたね。貴方の行いは南北全土の妖を怒らせました。我々ですら、彼等の怒りを鎮められるかどうか……命欲しくば、早く部屋から出て術を解きなさい」
刹那、空気に圧力が掛かった。
寒気のする妖気に一同は口を閉ざす。それは悪寒にも似ていた。向かっているどころか、“到着”してしまったようだ。
沈黙を破り、月彦は皆に命じる。
この部屋に妖を寄せ付けてはならない。
犯人の悪行に対する裁きは“妖祓”が担当する。どんな手を使ってでも妖達に説得をしろ。納得させろ。文字通り、どんな手を使ってでも。
それにより朔夜は父と共に駆け出した。
玄関を潜ると、此の地の妖祓達が法具を構えて集っている。彼等もまた赤狐達に脅しという交渉で犯人を捜していた者達。
和泉と楢崎は彼等と共同で犯人を割り出そうと行動を起こしていた。
「和泉」
集団の中に一際若い妖祓の男が声を掛けてくる。
ロザリオを手にぶら下げている彼は朔夜と同い年の妖祓。否、祓魔師と呼ばれた悪魔祓い。名前こそ違うが西洋宗派の関係でそう名乗っているだけで、本質は妖祓とまったく変わりはない。
彼、早乙女 巽の姿を目にした朔夜はあからさま嫌な顔を作る。それも仕方があるまい。巽は朔夜を勝手にライバル視しており、何かと嫌味を吐いてくるのだから。
ちなみに彼の隣にいる相棒の犬飼 雛は飛鳥をライバル視以下省略。
「御大層な面だね」「早乙女には負けるよ」皮肉を皮肉で返し、二人は天を睨む。今は能天気に挨拶をしている場合ではない。
真上の夜空は不気味な曇天模様。
それに味を付ける巨大な妖気が二つ、それ相応の妖気が複数。金銀狐に跨っている南北を統べる妖達に冷や汗が流れる。
惜しみなく溢れる殺気は怒りを露わにしていた。
幼馴染の姿も見受けられ、回避したい戦だと朔夜は数珠を右の手に巻いた。約束は約束だ。互いに全力でぶつかり合う覚悟は、とうの昔から分かっていた。
「君の幼馴染。凄い妖力だね」
早乙女は自分達の関係を知る数少ない霊媒師の一人である。
飄々とした口振りで話し掛ける彼だが、余裕がないのだろう。表情が引き攣っている。
「正直、なんでボク達が闘わないといけないのか。泣きたい気持ちで一杯だね。果たしてボク達が束になって敵う相手だろうか」
「さあね。白狐はまだ僕達の手に負えるレベルだけど、赤狐は桁違いだ。妖祓長ですら避けたい相手だと言うじゃないか」
妖祓長は平均年齢七十そこそこ。
対して二百年生きる赤狐、側近達も百年以上生きる妖。
幼馴染が常々年齢コンプレックスを抱くと言うほどだから、人間の年齢など妖狐にとって赤ん坊そのものなのだろう。
“瘴気事件”では赤狐が離脱していたおかげさまで、自分達は対等にやり合うことができたが、今度はそうはいかない。血の惨劇も十二分に有り合える。
何もしていないのに心が折れそうな状況だ。
次の瞬間、赤狐と白狐が和傘を片手に妖狐から飛び降りた。
宙を返って着地する日月の頭領は、慇懃に頭を下げて集う妖祓達を見据えた。硬い面持ちを作る白狐とは対照的に、いつまでも赤狐は口角を持ち上げている。それはまるで獲物を捉え満足感に満ち溢れる肉食獣のような顔だった。
分厚い雲がかかった夜空、おどろおどろしい曇天。
夜の曇空は重苦しいものを感じるが、それもまた味のある空模様だと翔は思う。雲に覆われた天気は嫌いではなかった。
その空の下、翔は比良利の隣に立ち、集う妖祓達と対面する。
ざっと見た限り、十余りはいるだろうか。妖祓長の姿が見受けられないため、平屋の中にもいるのだろう。
数のせいか、威圧的な霊気に押されてしまうものの、それを面に出すことはない。内心では怖じ気を抱いているが、虚勢を張っていないと南の頭領の面目が丸つぶれである。
ピンと張った空気。
息苦しい雰囲気の中、比良利がくつりと喉を鳴らすように笑声を零した。糸目を開眼させ、その紅の眼を妖祓達に向ける。
「さすがは妖祓。仕事が早い。約束通り、南北の地にいる人間を討つことは止めにしよう。催促代わりの暴挙も詫びよう。これより先は我等の問題、さて討つべき首は何処ぞ」
見たところ家屋にいるようだが、はてさて何故妖祓が道を塞いでいるのだろうか。自分には全く見当がつかないと比良利。
まさか輩を庇っているのか、そこまで妖祓も愚かな人間ではないだろう。
クツクツと笑う北の神主の異様な空気に、その場にいた人間、それこそ翔すらも呑まれそうだった。
比良利には常日頃から可愛がられており、稽古も見てもらっている師。
未熟な白狐を支え、己の歩みで成長するよう促してくれる。頼り甲斐ある妖狐であり先輩だ。
しかしながら頭領として共に、職をこなしたことはなかった。謂わば今宵が初。
翔は目にしたことがない。比良利の本気の戦を。持ち前の妖気を表に出し、大麻を振る舞う姿を。好奇心が掻き立てられる一方、恐怖でもあった。
今宵で決着をつけると宣言した比良利。
彼は妖祓が既に“犯人”を特定していると推測していた。朔夜の情報では僧侶の血統の者達がおり、何人かに目星をつけた程度だと話していたため、特定に関しては半信半疑だった。
けれど北の神主は見透かしていた。
妖祓は翌日にも犯人を割り出すだろう。病魔を広められるほどなのだから、霊力は相当高い輩。それを探し出すのに時間は要さないであろうと。
無論、朔夜は嘘を告げていたわけではない。翔には真実しか語っていない。
しかし彼は妖祓長ではない。
電話をしてくれた時点では特定に関して、長から何も知らされていなったのだろう。翔が比良利に利用されたように、朔夜もまた南の神主に情報を与えるであろうと妖祓長から見透かされ、相手がどう動くのかを試すために彼を利用したのだ。
簡単に言えば、私情を抱く翔と朔夜は仕事上では信用されていない。小僧の自分達は双方の長にやられたようだ。
まだまだ青いと思い知らされてしまう。
「犯人が特定できたのならば術を解かれたかどうか、まず我々にお教え下さい」
一触即発の空気を裂くため、重い口を開く。
最優先すべきことは術を解くことである。罪人を引っ立てることも大切であるが、子供達の命より大切なものなどない。
翔は既に術は解かれているのかと妖祓達に尋ねる。間髪容れず、朔夜の父、朔が答える。
「それが、まだ術は」
失望してしまう。禁術は続いていると言うのだ。
「特定しながら、何故術を解いて下さらない。その行動の意味に理解をしかねます。罪人に情を向けているのであれば、もはやあなた方と話す時間も惜しい」
比良利と視線を合わせると彼は閉じた和傘を一振りして大麻に姿を変える。倣って翔も愛用の和傘を一振りし、大麻に変えた。
「待ってくれ」
朔は戦う気などないと主張。
犯人は既にお縄寸前、術は妖祓が責任を持って解くと約束する。だから一件を妖祓に任せてはくれないだろうかと声音を張る。
嘲笑したのは北の神主である。
この期に及んで引き下がるほど、此方も落ちぶれてはいない。術を解くとの主張も、実質解かれていないではないか。誰が信用しようか。
「何処の世界も同胞は大切にしたいもの。それが如何なる罪を犯した者であろうと、互いに異種族より同族を尊重する。心中は察するのう。じゃが、わし等は異種族、罪人に同情する心あらず」
必ずや其の首を狩り、子供達を救い出そう。同胞に牙を向けた罪はきわめて重いのだから。
謳う北の神主は、数人の妖祓に冷たくも満面の笑みを浮かべる。彼等は北の地にいる妖祓達だろう。
「今までの赤狐と思わぬことじゃのう。対が揃った今、宝珠に真の力が宿る」
幾度も戦を交えたことがある彼等に忠告し、比良利がもう一度だけ犯人の身柄を此処に出し、引き渡すように要求する。
できないと誰かが答えた刹那、赤狐の瞳孔が膨張。人間達を敵とみなし、道を作るために大麻で横一線を描く。
放たれた横一線は加速によって発火し、一文字の青い火炎と化す。
同刻で巫女二人が飛び降り、無数の狐火を放つ。
雨あられのように降る青い火の玉は無差別。妖祓は霊気の壁を作り、呪符を飛ばし応対しているが地上にいた翔は大いに焦った。
何度も言うが翔は実戦不足であるため、戦に対する対応に順応性はない。根っからの現代人である。ややテンパっているのも否めない。
稽古をしているとはいえ、相手は妖を祓うプロばかり。勝てる気がしない!
取り敢えず大麻で対応すれば良いのだろうか。
それとも妖型で空に逃げれば良いのか。
考えている間もなく、己の身を俊足のギンコが攫っていく。空に昇る銀狐の背に縋り、ホッと胸を撫で下ろす翔は「サンキュ!」溺愛している狐の頭に抱きついた。
「もう少しで焼き狐になるところだったよ。ギンコのおかげで助かった!」
得意げに鳴くギンコが“番いとして当然ですわ”と返したことなど、翔は知る由もないだろう。
耳にした金狐が空に昇って抗議をしに来たのだが、遊んでいる場合ではない。
翔は地上を見下ろし、始まった戦に目を眇める。
北の神主は五人相手に大麻を構え、巨大な風の龍を形作り、敵に放っていた。それは西の神主出仕、久遠が使用していた術に似ているが、彼の術とは比にならない大きさと妖気だ。
背後に回った敵を一瞥することもなく、六尾に宿った狐火を放つ。
接近戦になれば組手でねじ伏せる。一旦距離を置きたい時は、大麻を地面に叩きつけて砂埃を生む。動きに無駄がない。
それに便乗するように、紀緒が彼の相手にできない敵と対峙している。彼女の使用する術の殆どは防御と幻術のようだ。比良利に向けられる霊気の玉を回避するべく、いち早い動きで結界を張っている。
青葉もまたその紀緒を守護していた。彼女の腕は既に稽古で嫌というほど理解している。
「これが比良利さん達の実力……ド素人が下手に近づけば足手纏いだな。どうすればいい」
するとツネキが馬鹿にしたように鳴き、尾でシッシとあしらってくる。
お前は見学しておけと言わんばかりの態度である。
ギンコが庇うように唸っているが、金狐はべろべろんと赤い舌を翔に出して比良利達の加勢をしに行ってしまう。
腹が立つ。
口をへの字に曲げるものの、ツネキの意見もご尤もである。
「だけど俺だってやれることがある。これは妖祓と喧嘩するためのものじゃない」
妖祓が比良利達に注目しているこの展開は実に美味しい。
「ギンコ。家屋の周りを走ってくれ」
犯人はきっと部屋のどこかにいる筈。
空から家に侵入する“突破口”を見つけ、犯人を引きずり出し、一刻も早く術を解かねば。でなければ人間と妖が無用な血を流してしまう。
犯人の首を狩るかどうかはとにかく二の次。翔はこの戦と病を早く終結させたかった。
承知したとギンコは強く頷き、曇天の空を最高速度で翔け出す。
地上を見下ろせば、自分の動きの異変に気付いた親友が同世代らしき妖祓と追って来るものの、ギンコの足に追いつける者は人間にいない。
なるべく低空で頼むと銀狐に注文すると、忠実に従ってくれるギンコは家屋と距離を詰めて周りを走る。
突破口は、犯人はどこだ。
忙しなく目を配っていると、カーテンが仕切られているある部屋の向こうで人影が揺らいだ。僅かな隙間から外界を覗き込んでいる人影。性別は分からなかったが、翔と目が合った瞬間、カーテンの向こうに逃げた。
犯人はきっと妖の襲来に怖じて部屋に閉じこもっているのだろう。
そこで翔は物騒な案を思いつく。
家屋全体を攻撃すれば、どこかしら突破口ができる。ないなら作れば良いのだ。
地上では追うことを諦めた妖祓達が法具を構え、翔るギンコを捉えようとしている。幼馴染の戦法は知っているつもりであるが、彼も長の下で修行している身の上。どれほど腕前を上げているのか予想もつかない。
側らにいる妖祓達の腕は未知数だが、翔より腕が立つことは確かだ。
「早速撃ってきやがった!」
霊気の矢は一直線上を描いてギンコの身を貫こうとする。
背から飛び降り、大麻を垂直に振り下ろす。術が相殺された衝撃で身が大きく後ろに飛んでしまった。
すかさず、別の妖祓が地上に魔法陣を召喚。
ロザリオを翳して、そこから光の弾丸を放ってくる。術のマシンガンとはこのことだ。
和傘を開いて弾丸を回避することに成功した翔は、宙を返って地上に着地する。
朔夜を筆頭に若い年頃の男女が立ちふさがり、己の身を案じたギンコが素早く隣に立って威嚇の声を上げた。
翔の心境はうわ、やっべぇ、勝てるわけねぇ、である。
親友すら勝てる自信がないのに、妖祓三人を相手にするとなるとそれ相応の腕が必要である。
武術の稽古を始めたからこそ、無鉄砲な動きをする己の未熟さに知り、相手の力量を感じ取ることができる。これは不味い展開だ。
とはいえ引き下がるわけにはいかない。
妖祓に犯人を引き渡すよう告げる。此方は時間がないのだ。
返事をしたのは口を開いた朔夜、ではなく、隣に立っていた男。名を早乙女巽と言うらしく、彼は久しぶりだね、と翔に挨拶をした。
初対面とばかり思っていたのだが、相手はそうではないようだ。
「南条翔くん。君がボクを知らないのも無理はない。だがボクは君を知っている。悪魔墜ちする前からね。ああ、宗派の関係上ボク等は妖を悪魔と呼ぶんだ。気を悪くしないでくれ。名も妖祓でなく、祓魔師と名乗っている」
前髪をさらっと靡かせ巽は、隣にいる黒髪ツインテールの彼女は相棒で犬飼雛だと一々自己紹介をしてくる。
翔とギンコは呆気に取られながら相槌を打つしかない。
「さてボクと雛が何故、君を知っているか。それはね、憎き和泉朔夜と楢崎飛鳥の幼馴染だからさ! 君を憎んでいるわけではないんだ。けどね、この二人はボク等にとって害虫なんだよ!」
「そう、害虫。和泉くんと楢崎さん、害虫!」
聖書を持つ彼女が、それを開いたり閉じたりして何度も頷いている。
「二人はいつか駆除してやらねばならない。だから徹底的に二人を調べ上げているのさ。同じように和泉達もボク等を調べ上げている筈。まあ、人はボク等の関係を好敵手と呼ぶだろうね」
「えーっと妖祓同士で好敵手してんの?」
「シャラープ! 南条くん、ボク達は祓魔師だ! 妖祓と呼ぶんじゃないっ! その昔、ボクとヒナは祓魔師という名を珍しがられ、和泉と楢崎に馬鹿にされた苦い記憶を持っている。だからボク達は決めた。妖祓と名乗るこいつ等を完膚なきまでに叩き潰すと」
熱弁する巽に雛は感動して拍手を繰り返している。
白けているのはその他傍観者達なのだが、祓魔師と呼ばれる二人は手を取り合い、いつか必ず和泉と楢崎の名をへし折ると高らかに笑った。笑っていた。それはもう清々しいほどに。
「あー……お前の友達?」
翔は遠目を作り、朔夜に尋ねる。彼はしれっと答えた。
「いや、今日初めて会ったよ。こんなバカ」
なるほど、互いに仲は宜しくないらしい。
時間の無駄だと判断した翔は相手を朔夜に絞り、何故犯人を引き渡してくれないのかと詰問する。犯人の身柄がそこにあるにも関わらず、何もしないとはどういうことだ。肩を持ったのか。
朔夜は全面的に否定した。彼等は犯人を捕らえる意向らしい。
しかしながら、妖達には手を引いて欲しいのだと彼。
「この件は妖祓が「祓魔師が!」……責任を持って僕が「ボクとヒナが!」……ああもう、とにかく人間が受け持つ。ショウ、頼む。引いてくれ」
「引くわけないだろう。言った筈だ朔夜。“人災風魔”によって俺の妹弟達が苦しんでいる、と」
病魔を撒いた人間の罪を流してやれるほど、妖も寛容は深くない。
翔は大麻を緩やかに左へ、右へ、揺らし始める。それによって紙垂が微動した。
「来るぞ」
朔夜の声が合図。
仕掛けたのはギンコだった。一声天高く吠えると、俊足を活かして妖祓達に向かう。見る見る加速していく銀狐の姿は肉眼では見えない。銀の風となって人間に牙を向く。
彼女もこの一年、妖術を使用できるようになっただけでなく、神使として鍛錬を積み重ねてきた。陰で努力していることをよく知っている。
翔も大麻を地に振り下ろして、硬い地面の土から砂の波を作る。
人間は夜目が効かない。それに加えて視界を奪ってしまえば、此方の優勢は確定だ。
「甘いよショウ!」
上着一つで目を守った朔夜が猪突猛進のカウンターをしてくる。
瞬く間に懐に入った彼の右の手が脇を狙ったため、翔は急いで大麻で受け止めた。隙なく相手の左足が持ちあがる。迷わず急所である横腹を守ることで、一蹴りを回避することができた。
稽古で学んだことが活かされている。実感した瞬間だった。
ただし相手は幼少から妖を祓っていた男。翔の守りなど諸共せず、強硬手段を使ってでも帰ってもらうと吐き捨てた。
同刻で背後に巽が回って来る。
ギンコの相手は雛一人に任せ、彼は此方に加勢してきたのだ。
本能が警鐘を鳴らす。背後を取られたら、どこかしら急所を狙われてしまう。自分なら首の後ろにある頚椎を狙う。
持ち前の三尾で対応するが、払いのけられてしまった。巽もロザリオを巻いた手が振られる。前は朔夜。八方塞がりだ。
「甘いのは貴様等だ」
遥か上空から黒い影が翔と巽の間に割って入るや、巽の身を蹴り上げ、前方にいる朔夜の身も一突きで吹き飛ばす。
突然のことに妖祓と祓魔師は瞠目、翔も呆けた顔で相手を見つめる。
烏羽根が闇と同化しながら宙を舞う。地上に着地したのは山伏装束に身を包んだ烏天狗、名張天馬は錫杖を軽く回して構えを取った。
「名は烏天狗の名張天馬。貴様等の相手は自分だ」
「て、てんっ」
驚きのあまりに声も出ない。目を白黒させて相手を指さす。どうして彼が此処に。
すると天馬は能面を崩し、微かに綻んだ。
「貴方様の御身に何かあれば、何処へでも駆けつけます。自分は翔の師、貴方様のためなら命を懸けることも厭わない」
いつから自分達の関係は命繋がりの深いものとなった。翔はようやく頓狂な声を上げた。
「バッカ、厭え、厭えって! 俺が困るんだけど! 命ぃ?! おまっ、自分が一番だろうが!」
「自分にとって、一番は仕えるべき十代目。翔ですから」
誇らしげに綻ぶ天馬だが、いつから彼は己に仕える身分となったっけ。
彼は武術を教えてくれる師を買ってくれただけで、仕える身分ではなかった筈。大学の友人だった筈。
なのに、命を懸けるだのなんだの、どうしてこうなっている。