表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ壱】少年神主の日々
108/158

<十三>其の白き狐の神主道



 五方神集二日目。

 本来ならば青葉達に“御魂の社”を案内してもらう予定日だったのだが、翔はオオミタマの案内の下、参道にて久遠と向き合っていた。


 どうしてこうなったのだろう。

 一睡もできていない頭で原因をひねり出そうとするが、行きつく答えは一つ。オオミタマが久遠の願いを叶えたからである。

 齢百を超えた少年は三十年も前から神主修行をしているそうだ。対して己は修行を始めて一年余り。どう足掻いても未来は大敗の二文字しか見えない。


 周りを見渡せば、各々梅の木の下に五方宝珠の神職達が揃っている。彼等の前で手合わせなど、胃が痛いことこの上ない。胃袋が口から出そうである。

 取り敢えず、最後の足掻きに“月輪の社”の者達の下に向かう。


「青葉。俺の骨、拾っといてくれよな。あ、骨も残されなかったらどうしよう」


 青葉に弱音を吐くと、「縁起でもありません!」ピシャリと言い返されてしまう。命を取られる前にオオミタマが止めてくれるだろうと物申す彼女は、憂慮ある眼を此方に向け、負けても良いと手を取ってくる。

 ただ怪我だけはしないで欲しい。自分の願いはそれだけだと青葉。

 しかし、それは無理ではないだろうか。骨折で済むなら良いところだろうと翔は踏んでいる。


「ギンコっ、手合わせなんてしたくないよ」


 クンと鳴いて足にすり寄って来る銀狐を抱き上げる。

 耳を垂らして慰めの一舐めを頬に施してもらうと、翔は涙ぐんで盛大に嘆いた。


「うわああギンコ! お前を置いて俺は死ねないんだ! 可愛いギンコを置いて死ぬくらいなら、俺は、俺はっ、お前と今すぐ駆け落ちしてやらぁ!」


 うんうん、そうしようと頷くギンコはどことなく嬉しそうである。

 無論、足元で吠えまくっているツネキがそれを許さないだろうが、許されるならギンコを連れてトンズラしてやりたい気分である。それだけ翔は現状に参っていた。

 今しばらくギンコと戯れていたが、ふと顔を上げると、千切れんばかりに尾を振るギンコを青葉に託す。戯れはこれまでのようだ。向こうで久遠が待っている。




「不味いことになったのう」


 傍観する側に回った比良利は眉を下げ、この手合わせの結果に予想を立てていた。


「勝てる見込みは?」


 紀緒の問いにかぶりを振り、殆どないと苦言する。

 三十年神主修行をしている久遠と一年余りの翔では勝負にならないだろう。しかも翔は妖としても浅い。妖術という妖術は使えないのだ。

 大麻も基礎の基礎しか教えておらず、他に使える術といえば“御魂封じの術”の禁術のみ。使える術は限られてくる。


「相手は妖術を豊富に持っておろう。あやつの大麻がどれほど通用するか。オオミタマさまも、この勝敗の行方などハナッから分かっておられように何をお考えになっているのじゃろうか」


 大怪我を負わなければ良いが。

 しかめっ面を作る比良利に紀緒もハの字に眉を下げて、若き妖狐を見つめた。


「おめぇは信じてやれよぃ」


 何処からともなく東の神主が現れ、肘で比良利の背を小突く。振り返ると千峰がニカッと歯を見せて笑う。


「比良利の対だろうが。仔狐のことは誰より対であるおめぇが信じてやらねぇと。オオミタマさまが何を考えているかは分からねぇが、無意味な衝突を起こすような方じゃない。手合わせは双方にとって足しになるような何かがあるんじゃねえか?」


 だと良いのだが。

 釈然としない比良利に、千峰は対の手合わせを見たことはあるのかと言葉を重ねた。

 答えは否である。手合わせをしたこともなければ、見たこともない。自分が彼に与えたのは術の基礎と神主舞、そして立ち振る舞いのみ。

 代行として奮闘していた頃は、不甲斐ないことに倒れていた。


「んじゃ、おめぇにとって初めて仔狐の“神主”の姿が見られるかもな。常にあいつの側にいて指導しているんだろう? それじゃあ真の“少年神主”の姿は見られねぇ」


「まことの、ですとな?」


「ま、自分達にできることは見守ってやる。それだけだ」


 行く末を見守ろうじゃねえか、先輩神主は能天気に笑う。


 比良利は少年神主と呼ばれた対に視線を戻す。

 翔が代行として修行を始めた一ヶ月。神主出仕に昇格して本格的に神主修行に励んだ一年。そして本就任して二ヶ月。常に自分が傍にいた。一時離脱してしまうこともあったが、大半は彼の指導者として時に厳しく、時に微笑ましく、修行を共にしてきた。自分達は師弟として必ず傍にいた。

 だからこそ比良利はまだ知らない。翔の“神主”としての姿を。きっとそれは、日月の社の者達全員に言えることなのだろう。


 ならば自分達は今宵、目の当たりにするのだ。

 本就任を終え、真の神主となった三尾の妖狐、白狐の南条翔の十代目としての姿を。




 ところかわって翔は遠目で十六夜と久遠の姿を見つめていた。


 西の神主は己の中にある宝珠を呼び出し、腹部から顔を出す青き重宝を手中に収めると久遠に差し出している。

 事前に教えてもらったことだが、本来当代神主は後継者を立派な神主にするために幾度も宝珠の御魂を宿す機会を与えるそうだ。

 しかし長時間身に宿すことは宝珠の御魂の方が拒むため、結局は当代神主に戻っていくらしい。

 比良利も天城惣七も、そうして少しずつ宝珠の重みを知り、己の力量を知り、神主として何が足りないかを学んだという。


 その過程をすっ飛ばして神主に就任した翔は当代神主がいる久遠が羨ましくなった。自分だって段階を踏んで神主修行に励みたかったものである。

 師を受け持ってくれる比良利にケチをつけるわけではないが、当代神主がいる有難味が翔には痛いほど分かるのだ。


 海のように青い宝珠を己の腹部に押し当てたことにより、久遠の体内に御魂が宿る。

 妖狐のように目に見える変化は少なく、敢えて挙げるならば持ち前の二本角が大きくなったことだろうか。

 修行用の大麻は真の大麻に取り替えられ、衣類以外はすべてが同等となった。


 へにゃっと尾を垂らす翔を余所に、幾度も大麻を振って感触を確かめる久遠は本気と書いてマジである。完膚なきまでに自分を叩きのめしたいようだ。


「俺、何も悪いことしていないのに。なんでこんなことになっちまったんだろう」


 おばばとネズ坊達が恋しくなってきた。家に帰りたい。

 まったく乗り気ではない翔に歩んできたのは、西の神主十六夜である。本当に申し訳なさそうに眉を下げ、両手を取ってきた。


「怪我は某が必ず治しますので。久遠の我儘はすべて十六夜が責任を取ります」


 既に大敗を前提に話が進められている。

 それはそれとして問題だが、西の神主の気遣いに悪意はない。厚意として受け止めておこう。

 オオミタマの呼び掛けにより、十六夜が離れて行く。代わりに御魂の神主が歩み寄り、双方の顔を見比べた。



「準備は宜しいか」



 準備どころか逃げたい次第である。翔は心中で返事する。

 早く体を動かしたいと久遠が落ち着きなく開始を急かす。元気が良いと綻ぶオオミタマは一つ条件をつけてきた。


「互いに宝珠の御魂を宿した身の上。ならば“神主”として手合わせするのが道理。翔は無論久遠、其方も“神主”として手合わせするが良い」


 そう言葉を残してオオミタマも下がる。

 “神主”として手合わせをする。非常に難しい条件をつけられてしまった。翔は眉を寄せ、どう手合わせをしようと腕を組む。

 自分は武術など一切できない。体育の成績は常に自慢すべき5だったが、それは凡人の中で自慢すべきもの。此処で通用する筈もない。

 “神主”として、もしも尊敬すべき比良利ならこれをどう解釈するだろう。彼ならどう。



「おい狐」



 久遠に呼ばれ、顔を上げる。

 大麻を構える鬼に準備をしろと促された。あまりにも無防備だったために声を掛けてきたようである。


「本当にやらなきゃダメか?」


「興ざめするようなことを言うなよ。お前が怖気づいたとしても、俺は逃がしてやんねぇから」


 不戦敗という手は使えないようだ。

 翔は嫌々ながら和傘を召喚した。白い下地に赤の蛇の目模様の和傘を目にした否や、久遠が踏み込んで大麻を薙いでくる。

 瞬きもしない間に飛んで来る風の刃、和傘を振って軌道を変えるが、鬼はすかさず懐に潜ってくる。その足の速さには目を瞠ってしまった。


「遅い!」


 膝を腹部に入れられる。

 紙一重に柄を間に挟んで、攻撃を回避することに成功した翔は飛び上がって和傘を開く。気流に乗って宙に浮くと、相手を見下ろして千行の汗を流す。


「まじかよ。あいつ、最初から全力か? しかも手合わせに大麻を使うとかねぇだろ。俺はお前の同胞だろうが!」


 大麻の意味を知っての使用だろうか?

 舌打ちを鳴らしていると、地上にいる久遠がゆるりと大麻を振り始めた。左、右、左にそれを揺らし、己の注ぎ込む妖力を雷に変える。


 やばい、あの術は。



「宝珠の主である我が声を聞け。その天の怒りを御身を我に委ねよ。雷鳴解放!」



 耳のつんざく音と共に昇り立つ稲妻。

 青く白く太い柱は宝珠の主の命により、四方八方に分散し、宙にいる白狐に襲い掛かる。傘を閉じて急降下するものの、稲妻の方が速さが上回る。和傘を構え、正面に向かって来る稲妻を一刀両断するが数が多い。


 ならば。

 和傘を再び開いて風の刃を生み出す。迸る電流が幾度も柄を持つ手に襲い掛かるが、奥歯を食いしばって腕を動かす。


 地に着地すると頃合いを見計らったかのように、無数の炎が飛んできた。

 これも和傘によって術を鎮火することができたが、幾つかの火の玉は梅の木達の方へ飛んで行ってしまった。


「あ」


 翔は振り返り、飛んで行った梅の木の方角を見つめる。

 夜風に乗って微かに聞こえたような気がする。梅の精たちの驚く悲鳴が。


「余裕あるじゃねえか。南の神主さま、よ!」


 己が久遠によって蹴り飛ばされたと気付いたのは、青葉の悲鳴によってだった。


 しまった。

 余所見をしていた翔の身は宙に投げ出され、向こうの石畳に叩きつけられる。すかさず鬼の追撃である風の刃を受け、浄衣の袖が、皮膚が、肉が切り裂かれた。


「めっちゃ弱ぇじゃんか」


 傷付いた体に鞭を打って立ち上がる。

 久遠から歯応えのなさに舌を巻くと皮肉をぶつけられた。それでよく南の神主を名乗っているな、辞めたら? 嘲笑も付録として頂戴する。


 だから言ったではないか。自分は未熟で妖歴も浅い、と。


 なのに喧嘩を吹っ掛けてきたのは久遠である。

 どうしても自分と手合わせをしたい、その我儘がオオミタマに聞き入れられてこのような状況下となっているのに、とんだ酷評である。


「切れたか」


 翔は左腕を一瞥すると、滴る血をそのままに閉じた和傘を構えた。

 逃げては駄目だ。自分があちらこちらに逃げてしまっては、無関係な者達に被害が及ぶ。

 脳裏に以前、受けた妖祓の忠告が過ぎる。実戦不足だと酷評された、あの忠告が。



「宝珠の主である我が声を聞け。怒りは炎に変え、力は龍となりて焼き尽くせ。火炎龍解放!」



 久遠の大麻が火炎を生み出す。

 まるで龍のように動くそれを自在に操る様に、思わず引き攣り笑い。なんだあの術、自分は見たことがないのだが。

 相手の大麻が振り下ろされると、体は波打ち、放物線を描きながら真上から襲い掛かって来る。


 避けなければ。

 本能が警鐘を鳴らすが、すぐに思い改めて和傘を受け止める。燃え盛る炎が身を包み、翔の姿は真っ赤な炎に呑まれた。





「無茶じゃ。あれは五方中級妖術。基礎妖術とは桁が違う」


 傍観に立つ比良利は止めに入るべきかと思い悩む。

 相手の操る火力は翔の和傘で凌げるものではない。既に翔が未熟なことは十二分に分かった。相手も理解している筈。

 もういいだろう。久遠の性格上、これ以上の続行は危険過ぎる。


「おい比良利。仔狐は大麻を使えないのか?」


 やや声音を硬くしている千峰の問いにより、比良利は我に返る。

 東の神主の質問に否定の答えを返し、翔の異変に気付く。

 そういえば白狐は一度たりとも大麻を使用していない。和傘に変化させている大麻では力の三分の一ほどしか出せないと、翔も知っている筈なのに。


 向こうでは青葉が祈るように身を震わせ、ギンコを抱きしめている。唸り声を上げている銀狐は今にも飛び出そうだ。

 更にその向こうではオオミタマが微笑ましそうに手合わせを見守っている。御魂の神主は明らかに彼等の行く末を知っているようだ。


「ぼん……」


 比良利の呟きは誰にも届かない。幼い対は未だに燃え盛る炎に包まれたままだ。





「あっ、ちぃ」


 滝のような汗を流して火炎を受け止めていた翔は、そろそろ全身が火傷を負いそうだと苦痛を漏らす。

 和傘を開いて火炎を受け止めたまでは良かったのだが、嗚呼、これをどう消火しようか。


 柄を持つ己の両手を見やれば、皮膚が真っ赤だ。焼け爛れるのも時間の問題だろう。すぐさま逃げなければ丸焼き狐が出来上がってしまう。折角の白い体毛もまっくろくろすけ。名を黒狐に改めなければならなくなる。


 だが逃げることがどうしても出来ない。

 この火炎が地に叩きつけられたら、炎が分散してしまう。また無関係のない者達に飛び火してしまう。手合わせによって本人達が怪我を負うのは仕方ないことだが、それ以外の者達が怪我を負うのは本望ではない。

 しかし息苦しい。熱風で呼吸も上手くできない。むせ返りそうだ。


「若くて未熟だから……それを理由に俺は逃げそうだ」


 どこかでそれを逃げ道にしようとしていた己がいる。

 多少の失敗も若くて未熟だから、精一杯のことをしていたら目上に許されるだろう。安易な考えが片隅で息を潜めていた。


 そんなわけがないのに。

 若かろうが、未熟だろうが、自分は頭領。言い訳ができない立場にいる。それを忘れていた。民達にとって自分は頼れる存在なのだから。

 実戦不足。朔夜に忠告された四文字を思い出し、翔は下唇を噛みしめた。


 分かっている、己が弱いことは。

 分かっている、己が未熟なことは。

 分かっている、己が実戦不足だということは。


 けれど、それを理由に守るべき者を守れないのは。


「あ、」


 懐に入れていた巾着袋が地面に転がり落ちる。

 旧鼠七兄弟がくれたツユクサが入っている其れは、燃え盛る火炎によって瞬く間に火が点き、入れ物ごと炎に包まれる。


 自分を慰めるためにネズ坊達が摘んでくれたツユクサ。

 巾着に入っていた七本のツユクサ。

 彼等のツユクサが燃える。彼等の笑顔が、気持ちが、優しさが焼き尽くされる。


――守るべき者を守れないなんて、絶対に嫌だ。


 炭と化す巾着を目にした刹那、翔は瞳孔を見開き、包んでいる炎を和傘で切り裂くために柄を握りなおした。

 咆哮を上げて火炎を二つに裂く。夜空に散るは火炎の残骸である火の粉。宙に舞うことで静かに消えていく。


「へえ。術を消したんだ」


 丸焼きになったかと思った、そんな久遠の皮肉など耳に入らない。

 大麻を振る鬼に向かうと火傷を負ったことすら忘れ、風の刃を和傘で霧散させる。獣型に変化して懐に入ると、再び人型と化して鳩尾に柄を入れる。


 動きを読んでいたようだ。

 紙一重に避けて背を蹴り飛ばしてくる。体勢が崩れそうになるが、宙を返り着地と同時に再び相手の懐に入った。

 接近戦にもつれ込むと、和傘と大麻が衝突しあう。幾度も腹部や腕に大麻が当たるが、負けじと相手の腹部や肩を狙い、此の地を荒す相手に食らいつく。


「なんだこいつ。少しずつ、動きが早くなってきやがる」


 はじめて相手の眉根が寄った。隙ができた証拠である。

 振り下ろされた大麻を左の手で掴む。迸る妖力は激痛を覚えさせたが、構わずに和傘の先端で相手の右肩で突く。


 瞬時に久遠に蹴られ、距離を置かざるを得なくなった。

 地に着地して相手と向かい合う。肩を撫でて具合を診ている鬼は、翔の異変に気付いているようだ。余裕を消して構えてくる。


「宝珠の主である我が声を聞け。愁いは風に変え、力は龍となりて巻き起こせ。風龍解放!」


 左、右、左に振られた大麻から竜巻龍が昇り立つ。

 うねる風の凄まじい力は近くの梅の花を巻き込み、良からぬ花嵐となる。


 火炎の次は竜巻とは。

 厄介な術を出されたことに翔は目を眇める。


「これ以上、此の地を荒すな。此の地を脅かすな」


 敵を見定めると額に二つ巴を浮かべ、和傘を本来の姿である大麻に変えた。妖型となって宙に昇ると、自らその竜巻の中に飛び込む。


「馬鹿な。あいつはあれの威力を知っているのか?」


 微かに聞こえる久遠の驚き。

 威力も何も竜巻の中は風の刃で荒れており、気分はミキサーに放り込まれた気分である。

 だが風の目ならば影響もあるまい。強風に煽られながら人型に戻ると、紙垂がついた大麻を勢い良く振り下ろす。



「大麻、この竜巻を切り裂け! 切り裂け――!」



 己の生み出した風の刃は竜巻の根元まで到達し、逆風を吹かせ、根こそぎ掻き消す。

 竜巻に巻き込まれた梅の花びらと共に地に落ちる。無防備となる己の隙を相手は見逃す筈もなく、大麻を乱雑に振った。

 縦に横に猛威を振る風の刃を目にした翔は、大麻を振り返し、その刃を霧散させる。風が肉を裂くが、痛みより、刃の方角ばかりが気掛かりだった。

 あらん方に刃が向かうのであれば、そちらを優先に大麻を振り下ろす。


「余所見をするんじゃねえよ!」


 西の神主出仕、久遠の大麻の大振りによって、今までにない威力ある風の刃を生み出した。不思議と恐怖心はこみ上げない。

 避けることもなく、構えることもなく、その刃を見つめる。吹きすさぶ風、無数の紅梅の花びらが翔の前で厚い壁となった。


「なっ、梅の花が」


 頓狂な声を上げる無礼者に目を眇め、「言葉なき紅梅の怒りを知れ」翔は大麻を和傘に変えた。落下する勢いに合せ、持ち前の和傘を大きく振る。

 風の圧は螺旋上に軌道をえがき、渦を巻きながら相手の腹部にめり込む。尚も体勢を崩さない久遠に、翔は声音を張った。


「梅の精よ。宝珠の御魂を持つ我に力を」


 意志宿した梅の花びらが、翔の姿を隠し、相手の視界を隠す。

 向こうから風の刃が幾度も離れているようだが、花びらの厚い壁はなんびとも通さない。


「第十代目南の神主、三尾の妖狐、白狐の南条翔の名の下に、此の地を荒すお前を成敗する」


 花びらの壁から飛び出し、和傘を相手の利き肩に振り下ろす。

 久遠の手中から飛び出す大麻。和傘は今度こそ相手の利き肩に痛恨の一撃を与え、翔は着地に失敗して彼と共に倒れてしまう。


 トドメは己の体重と頭突きで技を決めた。のしかかりを受けた久遠は額と腰を強く打ちつけることによって悲鳴を上げ、頭をぶつけた翔の目からは大きな星が飛び出す。


「お、おまっ……最悪」


 真っ赤に腫れた額を押さえる鬼が唸るが、翔も大ダメージである。久遠から退く気力もなく上体を崩して目を回してしまう。


「おい退けって」


 腰が痛いのだと鬼が訴えるものの、耳と三尾をだらんと垂らした翔の意識は既に遠い夜空の彼方に飛んでいってしまった。加えて緊張のせいで一睡もしていないためか、体も睡眠を欲していたのだろう。

 相手がどんなに怒鳴って頭部に手刀を入れても、翔は目覚めることができなかった。




「決着がついたな。愛い子達よ、今の手合わせをどう見る? どちらが勝ち、どちらが負けたように思えるだろうか」



 手合わせを慈悲深く見守っていたオオミタマが、傍観に回っていた五方の宝珠の神職達に向けて言葉を紡ぎ始める。


「確かにあの白狐は齢十八の若き妖。幼子も幼子であろう。頼れるといえば否だ。実力から言えば、久遠の方が上であろう」


 しかしながら、齢十八の白狐が先に神主となった。無論、先代が亡くなり早急に次の神主が必要であったことも要因としては挙げられる。

 だが、それだけでは宝珠の御魂は次の神主を選ばない。力がある妖が神主になれる、そういうわけではないのだ。


「久遠の大麻は見事であった。あれならば悪しき者を祓うことができよう。しかし、周りを見ず術を使用することは頂けない」


 梅の精達が驚き慌てふためいているというのに、それすら気付けず術を使用していた点は神主としてまだまだ未熟。否、神主としてあるまじき行為である。

 だから真の神主に選ばれないのだとオオミタマ。力ばかり欲する久遠では、今のところ神主の可能性は皆無に等しい。


 一方、翔の武術は見ていられるものではない。

 油断する点も多々あり、あれが強敵ならばすぐ命を落とすであろう。また己を守る行為を怠っている。自分がどのような立場にいるのか、すぐ見失う性格は改善すべきところ。


「だが同胞に一度たりとも大麻を向けず、神主として手合わせしようとした心構えは立派だった。翔は久遠を同胞と見て使用せずにいた」


 彼は大麻がどのような力を持ち、どのような危険があるのか、重々知っている。



「梅の精達を守ろうとしていた点も評価に値する。だから梅の精は彼を守った。気持ちが伝わったのだろう――あの若過ぎる白狐は宝珠の御魂と誰より共鳴できる妖。私は期待が高まった。さすがは宝珠の御魂が見定めた十代目南の神主。さあ、この勝敗は愛い子達に委ねよう」



 オオミタマの語りが終わると、一目散に青葉とギンコが南の神主に向かって駆けた。目を回している彼の身を久遠から退かせ、名を呼んで目覚めるよう訴えている。

 遅れて久遠に歩む十六夜は、出仕の悔しそうな顔を見て勝敗の受け取り方を察していた。



 そして師である比良利は千峰と肩を並べ、ただ恍惚に光景を見つめていた。暫し言葉も忘れかけていた。


「あれが仔狐の真の神主の姿か。なるほどねぃ、白の宝珠の目に狂いはねぇな。宝珠の共鳴は玄人でも苦難の道と呼ばれている。それをあいつは、あの歳で成し遂げやがった」


「千峰殿。わしは忘れておりました。翔がどのような性格で、どのような妖かを」


 聞き手となってくれる東の神主が、静かに相槌を打ってくれる。


「普段の翔は慣れぬことに物怖じし、できぬことに嘆く子供。しかしながら、目的を見出すと貪欲となり、必要以上の力を発揮するのです」


 改めて痛感した。

 己の対の将来性と、大きな欠点の二つを。

 自分は見くびっていた、己の対を。


「守るべき者の存在、それが翔を強くする。代行となると決心し、わしに頭を下げてきたあの日も。そして今も、あやつは守るべき者のために奔走した」


 それは頼もしい一方で恐ろしいこと。

 守るべき者を思うがあまりに、身を投げてしまうかもしれないのだから。


「なら、おめぇが教えたれ。自身の守り方を。守るべき者がいるために何をすべきかを。あいつの師なんだろう? 対なんだろう? 何度もぶつかって教えるんだ」


 それまで聞き手になっていた千峰が口を開く。


「失うことに怯えるな比良利。対を守れねぇかもしれねぇという邪念は捨てろ。そしておめぇ自身が守るべき者のために何をすべき考えろ。自分は思うねぃ、あの仔狐はおめぇをすべての手本にしているのだと」


 然るべき当代神主がいないまま神主に就任したのだ。

 手本は必然的に師である比良利となろう。


 千峰は言う。

 良し悪し関係なく十代目南の神主は、師を手本にし、己の糧として成長している。良いところは褒めてやればいい。悪いところは容赦なく叱れ。

 そして己を見つめ返せ。自分も同じようなことをしているのではないかと。


「仔狐は素直だから、何でも吸収しちまうんだよ。おめぇの良いところも、悪いところも」


「まったくですよ比良利さま。翔さまは常に貴方様の背を追い駆けている。それがどういうことなのか、今一度ごゆっくりお考えくださいませ」


 静聴していた紀緒が口を挟んでくる。


「誰に似たのかお分かりですか?」


 諌めてくる巫女に比良利は決まり悪く綻ぶと、その胸の内を明かす。


「惣七を罠にかけた輩の一部は未だ身を潜めたまま。それが、恐怖として残っておるのかもしれぬ」


 翔に幾度も戻って来いと言っている、秘めた理由の一つを零す。



「あやつが目覚めたら、少しばかり二人で話してみる。師として、対として、大切な兄弟分として――」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ