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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ壱】少年神主の日々
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<十二>狂い咲きの五方神集(参)


 月が真上に昇る頃、“御魂の神主”に呼ばれた一同は本殿に移動した。

 そこには部屋を飛び出した久遠の姿も見受けられる。完全に不貞腐れている鬼は各々出入り口で一礼する皆の隣で欠伸を噛みしめていた。もはや態度に天晴れと皮肉を送ってやりたい。ある意味大物である。

 翔は緊張によって動きづらくなっている体を引きずり、深く一礼をして本殿に足を踏み入れる。


 凛と澄んだ空気。

 祭壇には円状の大きな鏡。

 曇ることなく、本殿を訪れる者達を映している。灯る松明は四隅で轟々と燃え、天井と床には五方の宝珠を指すであろう勾玉が描かれている。


 そして祭壇の前に鎮座する一人の神主。

 東西南北神主と違い、漆黒の浄衣を身に纏い、烏帽子をかぶる男が訪れる者達を静かに見守っている。浄衣に倣い、黒真珠のような瞳と濡れ烏のように黒い髪。薄紅を塗られた眼と目が合うと、電流が走ったかのように固唾を呑んでしまう。


 切れ長の目と顔立ちは若い。

 東の神主よりも、西の神主よりも若く思える。なのに彼の前では逆らえない。

 相手はただ笏を持って鎮座しているだけだというのに、言い知れぬ緊張感と息苦しさを感じた。胸が締め付けられるような空気は相手の存在感そのものなのかもしれない。

 さすがの久遠も相手の威圧に呑まれたのだろう。頭の後ろで組んでいた腕は下ろしていた。


 事前に教えられていた通り、持つ宝珠の色の勾玉の上に立つ。それを軸に前に神使。背後に巫女が立つ。

 右側に日月の社の者達が、左側に魑魅魍魎の社の者達が、そして中央前方に御魂の神主。

 彼の両隣には若く美しい白髪の巫女と、歪な形の神使。なんという妖なのか称せば良いのかも難しい。頭は犬だが体は狐の体躯をしており、三つに分かれた尾は蛇、全身の体毛は金色をしている。


 全員が揃ったところで前方にいる“御魂の社”第三代目五方の“オオミタマ”は座るよう指示。皆は“御魂の神主”に一礼し、正面を向いて足を折り畳んで着座する。


 するとどうだろう。床の勾玉が仄かに発光した。宝珠の御魂と共鳴しているのかもしれない。


 俯き気味だった翔の視線はオオミタマの笏の音で元の位置に戻る。

 手の平に笏を当てて楽座をしている御魂の神主は揃った顔を一つひとつ熟視すると、澄ました顔をそっと崩した。


「あな、十年とは早きもの。前度に行いし五方神集が昨晩のごとく思い給う」


 これからは獣語だけでなく、古典も勉強しなければいけないだろうか。

 翔は相手の言葉遣いに不安を感じた。

 現代語訳を付けて欲しいと切に思うのは、自分が現代人だからだろう。嗚呼、大学試験程度では古典を会得したとはいえない。どうしよう、古典は苦手なのだけれど。

 オオミタマと対面して五分も経っていないが、翔は心が折れそうになっていた。

 しかし、挨拶こそ古典だったが、それはオオミタマなりの前振りのようだ。次に口を開く翔でも分かる言葉遣いで喋ってくれた。


「気付けば十年。五方神集は行われず、我々は顔を合わすこともなかった。あの時の五方神集は妖を惑わす瘴気についての現状を報告するものであり、良からぬ儀であった」


 また一つ、手の平に笏を打ち付け、オオミタマは皆の顔を見渡す。


「されど、此度は吉報により五方神集を開くことが叶った。“日輪の社”第四代目北の神主、六尾の妖狐、赤狐の比良利よ。其方からの一報は久方ぶりに心が躍った。並びに九十九年、苦労を掛けたな。何もしてやれず申し訳なく思っていたのだが」


「お心遣い感謝致します」


 隣に座っている比良利が深く一礼する。倣って日輪の社の者達も一礼をした。


「此度の五方神集の目的は、もう説明するまでもあるまい。“月輪の社”第十代目南の神主、この場にて名乗ってもらうか」


 オオミタマの命令により、翔はまず前方に向かって両手をつき、その場で深く頭を下げる。

 次に最年長である東の神主達、西の神主達、そして北の神主達に頭を下げて、ゆるりと上体を起こすと再びオオミタマの方に体を向ける。



「白の宝珠の御魂より天命を賜りました。名を三尾の妖狐、白狐の南条翔と申します。元は人の子ではありますが、今は妖狐として新たな道を歩んでいる次第です。本就任から、時すでに二ヶ月余り。御挨拶が遅れてしまったことを深くお詫び致します」



 滔々(とうとう)と自己紹介ができるのも、比良利の厳しい指導があってこそである。

 五方神集があると知って七日の間、こうした挨拶の練習や立ち振る舞いを幾度も指導されていたのである。

 少しでも言葉を止めてしまえば、一から言い直すよう命じられた。


 気分は就活の面接練習をしている学生だったが、本当に練習はしておくべきものである。あの時間がなければ今頃、自分は言葉を詰まらせて情けない姿を公の場で曝け出していたことだろう。


 慈愛溢れた微笑みを見せるオオミタマは、翔の自己紹介に一つ頷いてみせた。



「齢十八の妖が最年少神主として就任したと耳にしておったが、なかなかにしっかりしているではないか。此方も礼儀として名乗っておこう。私は“御魂の神主”第三代目五方の大御魂(オオミタマ)。今の部族は妖狐であり、犬神であり、白蛇だ」



 意味が分からずに、オオミタマを見つめる。

 視線の意を察したのだろう。オオミタマは此処にいる巫女、神使、そして神主には定められた部族がないのだと伝えた。妖であることは確かだが、神の化身として身を捧げた機を境に七変化を繰り返しているという。

 宝珠の御魂が定めた神使の部族が彼等の身分なのだそうだ。

 だから“御魂の社”の神使が歪な姿をしているのだ。今の神使が妖狐であり、犬神であり、白蛇であるために、頭は犬、胴は狐、尾は蛇となっているのだろう。


「此方は御魂の巫女、幸魂(サキミタマ)。神使は荒魂(アラミタマ)。各々私と同じ三代目を務めている」


 サキミタマとアラミタマが会釈をしてくる。翔は一礼を返した。


「我等は“神の化身”と呼ばれ、そのために身分、名、部族を捨てておる。ゆえに代々オオミタマ、サキミタマ、アラミタマの名が受け継がれている。憶えておくが良い。三尾の妖狐、白狐の南条翔よ」


 オオミタマが笏を持ったまま立ち上がる。


「百年ぶりに顔が揃った今宵より三日の間は祝いの刻となるであろう。我等は五方を統べる者。見守る者。先導する者。誰一人欠けてはならぬ」


 轟々と燃える松明が消えていく。

 風が吹いているわけでもない。松明が炭と化したわけでもない。意志を持って火が姿を消したのだ。

 月明かりが差し込む本殿、床に描かれた勾玉の光が一室を満たす。


 ゆるりとオオミタマが歩みを始める。

 彼が一たび歩くと九尾を持った妖狐に、一たび歩くと鋭い牙を持つ犬神に、一たび歩くと真っ白な鱗肌を持った白蛇に変化する。それは幻想的な光景だった。


「我等は二組の双子を生んだ。天を割り、日月の双子に宝珠を託した。地を割り、山川の双子に宝珠を託した。愛い子達は其の地で妖達を導く。我等はそれを見守り、五方を導く」


 オオミタマが中央に立つ。

 「東に緑を」彼の言葉によって東の神主の真下にある勾玉模様が強く発光する。

 「西に青を」隣に座る西の神主の勾玉模様も光り始めた。その発光色は身に宿す宝珠の色。

 「北に紅を」笏を水平に持ち、オオミタマは祭壇に飾られている鏡と向かい合う。


「そして百年の時を経て、目覚めし南に白を」


 翔の真下に描かれた勾玉模様が眩い白を放つ。

 ただの光ではない。熱帯びたあたたかな光は体内に宿す宝珠と共鳴している。嗚呼、高鳴っている。己の宝珠の御魂がこの光に反応している。


「四方の宝珠を生みし我等の下に愛い子達が集った。五方は再び此処に集った」


 オオミタマの足元に漆黒の勾玉模様が召喚される。

 風が吹く。梅の花が本殿に吹き込む。消えた松明の炎が産声を上げる。四方の御魂の光が大御魂に集う。


 彼を軸に舞う四方の光。

 額に四つ巴を浮かべた大御魂は笏を大麻に変え、其の風を操り、鏡面に向かって四方の光を解放する。そして己の御魂の光を腹部から生み出して鏡に捧げた。

 瞬く間に天井が光に、床が闇に覆われ、其の世界に陰陽が生まれる。


「聞け愛い子達よ。これが新たに五方に仕えし同胞。宝珠の回り合わせに集いし者。我は四方に命じる。生まれ沈む命を見届けよ。禍根を祓い、幸を守護せよ。迷える妖を先導せよ。それが我等の天命なのだから」


 神の化身の御言葉に一同は両手をついて頭を下げる。


 翔は改めて思った。己は重役に就いているのだと。神に仕える身に立っているのだと。選んだ道は険しいものなのだと。

 人から妖に、平民から神職に就いた、この道は不安だらけだ。


 けれども翔に辞退という二文字はなかった。

 どのような障害が待っていようと己は屈しない。妖祓を持つ幼馴染達と約束したのだ。妖と人の二種族が許し合えるような関係を築くのだと、自分は約束したのだから。




 無事に五方神集の挨拶が終わる。

 今日はこれにて解散だろうと思いきや、大間にて酒宴があるとのこと。 酒宴とは、簡単に言えば食事会だという。


 オオミタマ達を交えて五方宝珠で食事をすると聞き、翔は胃が痛くなった。

 来て一日目くらいは親しい者達とゆっくり食事をしたいというのが本音である。

 もっと言えば緊張の糸を割り当てられた部屋で切ってしまいたい。強張った体をもみほぐしたかったのだが、人生そう上手くはいかないものである。


 また、ただ食事をするだけなら良かったのだが。


「オオミタマさまの隣に俺がす、すわ……え?」


 なんとオオミタマの隣に座ることになってしまったのである。

 翔としては上座に座るオオミタマの隣に鎮座するなど、身分が違い過ぎて到底できないと恐れおののいてしまうのだが、比良利は苦笑交じりにこう告げた。


「三晩の五方神集はお主の祝いの儀。ゆえに隣に座ることが許されるのじゃよ」


 寧ろ許されなくて良いのだが。

 嘆きそうになる翔に対し、「楽にしておれ」オオミタマもそれを望んでいるだろうと師は助言してくれた。が、神の化身の隣で楽に食事ができるほど己の神経は図太くない。失態を犯しそうで冷汗脂汗何汗が湧き出そうだ。


 こうして心構えもなしに酒宴が始まり、オオミタマの隣で食事をすることになった翔はものの見事に緊張していた。

 目前の膳に乗っている料理を箸で摘まもうとするが、それすら恐怖である。

 真剣に鯖と向かい合い、身をほぐすべきかどうかを睨めっこ。

 神の化身が隣にいるのだから上手に身をほぐして食べなければ。あ、でも自分は魚の食べ方が下手くそだ。どうしよう。練習してくればよかった、などと思い悩む羽目に。


「駄目じゃ。見事なまでに緊張しておる。事前に酒宴のことを言うべきじゃった」


 額に手を当てる比良利の隣で、「仔狐も若いねぃ」お猪口に日本酒を注ぐ千峰が笑いをかみ殺していたのだが、魚に集中している翔が気付くわけもない。

 ついでに離れた場所で青葉とギンコが落ち着くよう仕草で示していたのだが、それにも気付けずにいた。


「三尾の妖狐、白狐の南条翔よ」


 隣から声が掛かることにより、翔の三尾が限界まで張りつめる。

 上げそうになる悲鳴を必死に呑み込み、落としそうになる箸を握り締めて、ぎこちなく首を捻る。間の抜けた返事をしてしまったような気もするが、緊張のあまり数秒前の記憶すら抹消されてしまった。

 オオミタマが笑いを押し殺して、とっくりを差し出してくる。

 酒を注いでくれるのだと理解した翔は急いで、膳の隅に置かれたお猪口を掴むと何度も会釈して相手に注いでもらう。


 嗚呼、神の化身に酒を注いでもらうなんて。

 此処は自分が積極的に注いでやるべきだったのでは。もはや緊張に緊張をしていた翔の脳内は爆ぜそうだった。


 熱燗であろうそれを一舐めしてみる。

 酒慣れしていない翔にとって飲めない代物だと思っていたが、意外と日本酒はいける味だった。美味いと呟くことにより、オオミタマが同調してくる。

 ハッと我に返り、身を引き締めようと肩に力を入れた。そのせいなのかお猪口を置くと、膳から箸を落としてしまう。

 やってしまった! お猪口を持ったまま挙動不審になっていると、オオミタマが眦を下げて口を開く。


「翔。少し、私に付き合ってくれまいか?」


「お付き合い、ですか」


 始まったばかりの酒宴にも関わらず、腰を上げるオオミタマが手招いてくる。

 食事に対する行儀作法が脳裏に過ぎるものの、神の化身が来いと言っているのだから行かないわけにはいかない。お猪口を膳に置いてオオミタマの後に続く。


 黒い浄衣を靡かせ、長廊下を渡る御魂の神主はついに参道まで出てしまった。

 一体どこへ行こうというのか。青白い月明りを浴びながら、彼の背を追っていると静寂の向こうから梅の精の五重奏が聴こえてきた。紅梅の宴はいつ聴いても心落ち着く。

 オオミタマが本殿の奥にある石畳の前で立ち止まった。翔もつられて立ち止まると、彼が前方を指さして綻ぶ。

 指先を辿る。そっと息を飲んでしまったのは直後のこと。


「あれは樹齢三千年を超えている梅の花。素晴らしいだろう」


 満目一杯に映る梅の花。

 他の梅の木など比較にならない幹の太さと咲き誇る花々。人が何人手を繋いだら幹の太さを一周できるのだろう。

 オオミタマと樹木の真下まで歩む。天に届きそうな背丈は見上げるだけで首が痛くなりそうだった。

 恐る恐る木の表面に触る。ざらついた木肌は人肌のようにあたたかい。言い知れぬ感動を憶えた。


 月明りに照らされる梅の花を恍惚に見つめていると、そっと肩に手を置かれる。顔を上げればオオミタマの横顔が目に飛び込んできた。


「こやつは私が大御魂となる前から咲き誇っていた。いつも私達を見守ってくれるのだ」


 樹齢三千年超えの梅。

 その頃の日本はまだ縄文時代あたりだろうか。

 教科書でしか聞いたことない時代を梅の木は過ごしているだなんて、信じがたい話だ。途方もない時間を過ごす此の木は何を想って生きているのだろう?


「この梅の木はオオミタマさまよりも年上なのですか?」


「ああ。遥かに年上だろう。私はたかだか二千年余りしか生きていない」


 二千年でも相当な年月だと思うのだが。

 翔は瞬きを繰り返し、オオミタマから見た齢十八の神主はどう思うのかを尋ねた。

 やはり子供だろうか。未熟な神主が選ばれたことに落胆したのではないだろうか。一抹の不安が過ぎる。

 なるべく後ろ向きには考えないようにしているのだが、人の批評が気にならないわけではない。千峰に先代のことを尋ねられた時も、片隅では凡才な己に溜息をつきたくなった。先代の鬼才を知れば知るほど、無知で未熟な自分が情けなく思うのだ。


 今だって前もって練習していた挨拶は上手くできても、食事会では緊張に緊張が生まれてしまい、臨機応変に対応できなかった。

 統べる頭領ならば如何なる時も冷静に対処していかなければならないだろうに。


 するとオオミタマが翔の背を押して移動を始める。

 梅の大木から離れ、彼が向かった先は小さな苗木の前。石畳の道から逸れ、つくねんと植えられた苗木は梅の花だという。言われなければ何の木かも分からないほど、苗木は小さく幼かった。


「其方に尋ねよう。明日この梅の木は花を咲かすだろうか?」


 かぶりを横に振ると、「何故?」オオミタマが疑問を重ねた。苗木の細い枝には蕾がついていない。その旨を伝えると、彼は小さく頷く。


「ならばこの梅の木は、明日にでも大木になるだろうか?」


「いえ、それも無理です。この細い枝が明日という短時間で大木になるなんて想像もつきませんから」


「ご尤も。この梅の木は明日も明後日も花をつけない。何故ならば梅の木は幼い。蕾の付け方も、花咲くことも知らぬ幼い木は其方と同じ。私には其方がこの梅の木のように見える」


 改めて足元に植えられている小さな梅の木を見下ろす。

 立派な花をつけて咲き誇っていた大木と違い、この木は軟な姿。細い枝は勿論、その気になれば幹もへし折ることができそうだ。花をつけるかどうかも怪しい。

 これが己だというのならば、やはり未熟の頼り甲斐のない神主に見えるのだろう。


「これからこの小さな梅の木は幾度も雨風に晒され、折角伸ばした枝を折ることがあるやもしれない」


 オオミタマがそっと梅の木の枝を撫でる。


「嵐に幹が折れることがあるかもしれない。日照を浴びることができず、蕾をつけても花咲くことができずに終わるかもしれない。青々とした葉をつけても、枯れる前に枝から放してしまうかもしれない」


 それだけ梅の木は小さいと御魂の神主。


「しかし、幼い梅の木はきっと考えるであろう。雨風嵐に屈せず太い枝と幹を得よう。日照を浴びるために長い枝を得よう。青々とした葉を沢山つけ身から放さぬよう努力しよう、と」


 枝から愛撫していた手を退け、ゆっくりと翔の肩に手を置く。


「いつか、この梅の木は周りの梅のように立派な花をつける。其方もそんな梅の木であって欲しい。齢十八の愛い子よ。私はいつも其方を見守っている」


 オオミタマの澄んだ黒い瞳が翔の不安を溶かしていく。

 彼は己を信じてくれている。幼い神主がいつか、立派な神主として成長してくれることを。落胆など片隅にもないのだろう。宝珠に選ばれたその日からきっと祝福してくれたのだ。

 年齢にコンプレックスを持ち始めていたからこそ、御魂の神主の御言葉は胸に響いた。

 頬を崩して翔は大きく頷く。周りの梅の木のように、いつか自分も花を咲かせたい。


「オオミタマさま。俺、あ、いや、私からの質問なのですが」


「ふふっ、よい。続けよ」


 言葉遣いにもたつくと砕けた口調が許可された。

 なるべくは丁寧語を使おうと心がけながら、翔はオオミタマに己の率直な感想と疑問を投げかける。


「宝珠の御魂はどのような基準で頭領や巫女、神使を見出すのでしょうか? 俺は未だに何故宝珠に選ばれたのか、明確な理由が見い出せません。その頃の俺はまだ“妖の器”でした。事情により、この命を宝珠の御魂に救われたのですが……」


「翔は何故、神主の道を選んだのだ。進まぬ道もあったであろう」


「それは……俺に夢ができたからです。元人の子である俺は、妖と人の両方を愛しておりました。ゆえに双方が対峙する姿など目にしたくない。だから許し合える関係を築いていこうと思い立ちました」


 険しい道のりだということも、己が若過ぎる妖狐だということも分かっていた。承知の上でこの道を選んだのだ。

 そのため本当は弱音や不安を抱くことなどお門違いなのだろうが、それはそれとして別問題である。


「許し合える、か」


 壮大な理想だと一笑を零すオオミタマの眼は限りなく優しい色をしている。


「其方の選ばれた理由が垣間見えた。宝珠はただの神器にあらず、御魂より生まれし神器」


「御魂より、生まれし、でございますか」


「宝珠の御魂は常に意志を宿している。宝珠は望んでいるのだ。己の役目を知り、先代達の御魂と想いを継ぐ者を」


「先代達の御魂と想い?」


「代々宝珠の御魂は頭領の体内に宿っている。翔のように先代達も妖を想い、妖のために役目を果たした。その念が御魂に宿っているのだ」


 翔は腹部に右の手を添える。

 宝珠の御魂にそのような想いが籠っていたなんて。

 ただ妖力を上げ、先導するだけの力を与えるだけではない。先代達の御魂を受け継ぎ、その想いを身に宿して今生きる妖達を導く大切な神器なのだ。


「なら、俺の身には先代達の御魂が宿っているのですね」 


 初めて知る宝珠の御魂の真の姿に翔は胸が熱くなる。


「そしていつか、俺の想いと御魂も次の神主に受け継がれていく。そうやって時代が繰り返されるのでしたら、それはとても素晴らしいことだと思います。オオミタマさま、俺は改めて俺のすべき役目を果たしたいと思いました」


 早く一人前の神主として、五方宝珠の一人として、胸を張れるよう努めたい。

 満面の笑顔を作るとオオミタマはそれで良いのだと微笑む。


「其方の緊張がほぐれたようで良かった」


 酒宴の態度ではまともに会話もできそうになかった、彼はそうおどけてくる。

 それに関しては申し訳ないばかりだ。気恥ずかしげに頬を紅潮させていると、腹の虫が盛大に鳴る。顔から火が出そうだった。緊張が解けた途端これである。穴があったら入りたい気持ちで一杯だ。

 大笑いするオオミタマは元気の良い愛い子だと肩を震わせ、これからの成長が本当に楽しみだと言葉を贈ってくれる。

 よって羞恥がより一層襲ってきたのは言うまでもない。


「では、そろそろ戻るとするか。其方の腹の虫を宥めるためにも。ああ、そうだ。最終日を楽しみにしているぞ」


「最終日?」


 顔を茹蛸のように真っ赤にしたまま翔はオオミタマを見つめた。


「最終日の夜のトリは日月の神主舞で締めてもらおうと思っている。新たに誕生した日月の関係を我等に見せておくれ」


 絶句してしまった。そんな話初耳である。

 サーッと青褪めていく翔に対し、「安心しろ」比良利にもまだ告げていないとオオミタマは子供っぽく笑う。


「あやつも驚きかえるに違いない。其方に似て不意打ちには弱い男だからな。久しくあやつの慌てふためく姿を目にしておらず、寂しい思いをしておったのだ。立派に成長してくれたのは嬉しいが、やはり子供の一面も残っていて欲しいものでな」


「さ、寂しいですか」


「折角だから酒宴に踊ってもらってもらおうか。それはそれで慌てそうなあやつが見られそうだ。おっと、これは比良利に教えてはならぬぞ」


「オオミタマさま……あの、失礼ながら楽しんでいませんか?」


「ふふ、愛い子達の様々な顔を見たい。これは親の愛だ」


 尾と耳を垂らして脱力する。

 意外と御魂の神主は悪戯好きなのかもしれない。



 さて、大間に戻る道中のこと。

 オオミタマと肩を並べていた翔の耳に怒声が飛び込んでくる。

 何事だろうか。視線を配ると、とある梅の木の下で出仕の久遠が不貞腐れた顔で西の神主に不満をぶつけていた。


 耳を澄まさずとも聞こえる彼の怒り。


 内容は南の神主に関するものだ。

 齢十八の小僧妖が神主に昇格でき、何故自分が出仕のままでいるのか、それがどうしても理解できないようだ。小僧妖が強いかどうかを見極めたい。そのために手合わせをしようとする自分を何故止めるのか。いきり立つ久遠が十六夜に食い下がっている。

 困り果てたように腕を組み、「神の御意志です」と返事しても、まったく納得していない様子。


「神も糞もあるか。南の地はおかしいんじゃね? あんな餓鬼に頭領を任せるなんて。弱そうな餓鬼じゃねえかよ。俺は三十年も出仕なのに」


「久遠。確かに貴方には出でた才がある。学ぶ武術をすべて力にする才が。しかしながら、それだけでは神主になれないのです。白狐にあり、お前にないものがあるのですよ」


「だから、俺が未熟で、あいつが上である証拠を見せろっつってんだよ!」


 梅の木を拳で叩き、怒気を纏う久遠に十六夜は嘆息している。

 また騒ぎを起こしているのか、心中で呆れているとオオミタマが意味深長に笑声を零す。「これも神の導きか」小さな独り言は夜風に流れ消えていく。

 漆黒の浄衣の袖を棚引かせ、彼は二人に歩んだ。


「其方は西の神主出仕だな。名を聞かせてもらっても良いか」


 第三者の登場に機嫌悪く返事する久遠だったが、相手がオオミタマだと気付くと、やや態度を改めて名乗っていた。さすがに神の化身の前では横着な態度は取れないようだ。口汚さは相変わらず、だったが。

 名を知ったオオミタマは焦燥感を滲ませている十六夜を一瞥すると、失礼ながら話は聞かせてもらったと話題を切り出す。


「南の神主と手合わせをしたいそうだな。仮に勝ったら、何を望む」


「齢十八の妖に頭領なんて無理だと皆に知らしめたいね」


 オオミタマにあの言葉遣い、やはり久遠は悪い意味で大物である。


「では久遠よ。出仕の其方はゆくゆく神主となるであろう者。神主になり、何を望む」


「俺が欲しいのは宝珠の御魂だ。別に神主なんてどうでもいい。神主になれたら、今以上に強くなれると知った。だから神主を目指す」


 小生意気な態度を十六夜が窘めるものの、オオミタマは構わず相槌を打つ。


「相手は正式に宝珠の御魂に選ばれし妖狐。覚悟の上で勝負を望むか?」


「百年下の餓鬼相手に覚悟も何もねぇよ。どうせ宝珠の御魂の力を使いこなせていないだろうし」


 図星である。

 宝珠の御魂の力は未だに使いこなせていない。鬼門の祠の結界を張る際も、妖祓である人間二人と力を合わせて張ったのだから。

 オオミタマは鋭い眼光を宿した久遠に口角を持ち上げると、「承知した」願いを叶えてやろうと明言する。

 「へ?」間の抜けた声を出す翔を無視し、御魂の神主は手合わせの許可を下す。


「明日の月夜に我等の前で手合わせをしてみせよ。南の神主の腕前は私も見てみたかったものでな。十六夜、久遠に宝珠の御魂を持たせたことは?」


「これでも出仕ですので、将来に向けて三度ほど……」


「ならば明日の手合わせは、久遠に青の宝珠の御魂を持たせるが良い。これにて同等の条件となろう」


 久遠の目が輝く。

 自分の願いを受け入れられたことに歓喜しているらしく、今宵でも良いと声音を上げる始末。

 対照的に途方に暮れてしまったのは翔だった。あれよあれよと口を挟まぬ間に決まってしまった手合わせ。勝てる気がまったくしないのだが。


「逃げるなよお前。俺が勝ったら、分かっているよな?」


 まるで翔から勝負を振ってきたような口ぶりで釘を刺してくる久遠に言葉を失ってしまう。嗚呼、マジで負けそう。妖術も狐火以外、まったく使えないのに!

 半べそを掻きそうになる翔に、後で目いっぱい十六夜に頭を下げられるのだが勿論、手合わせは避けられない。オオミタマの計らいを覆すことなどできやしないのだから。


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