<九>七日後の五方神集
暦は変わり水無月。
卯月に就任し、ようやく新米神主も二ヶ月が経った。
大学の入学式に引っ越し、日々の修行でてんてこ舞いになっているためか、流れる月日も早馬のように過ぎ去っていった。
先方、人を巻き込んでの襲撃と十代目の力を貸して欲しいと頼んできた妖についても落ち着きを取り戻している。
なにぶん、向こうの動きがないため翔も動きようがないのだ。
比良利に一報すると、心配性の対は開口一番に戻って来いと命じた。人と傀儡を使って対面を求める妖が力添えを頼むなど不気味でならない。解決するまで妖の世界にいろ、と強く命じられてしまい、説得するのに時間を要したことは余談としておく。
「お初にお目にかかります。あっしは“二尾の妖狸、ムジナの太吉”と申します。いやぁ、噂には聞いておりましたが非常にお若い! なのに堂々たる風貌で!」
今宵は月の日。
“月輪の社”が開く日である。
南の地の妖達が心待ちにしているその日を今日も無事に開くことができ、翔は心中で胸を撫で下ろしていた。
一方で、社を閉めるまでは一度たりとも気が抜けずにいる。わざわざ自分の下を尋ねて交流を図ろうとする者もいるのだ。下手なことはできなかった。
目前にいる太吉もその一人である。
化け狸は茣蓙の上に座り、対向側で脇息に凭れる十代目を褒め千切っていた。
愛想笑いを浮かべる翔は自分はまだまだ未熟だと返事する。が、太吉はその謙虚さがまた良いと褒めを大安売りした。
なんとなくだが、建前のような気がしてならない。
翔は太吉のごまをする姿に心中で吐息をつき、用件を尋ねた。
「その前に太吉、大変申し訳ない。本来ならば客間にご案内するところなのですが」
生憎、“月輪の社”の家屋を憩殿にするために客人が訪れてもおもてなしすることができない。緊急に家屋近くに茣蓙を敷いて客間として使用しているが、見た目からお粗末だろう。
「いえいえ」太吉は両前足を前に出し、接待の時間を設けてくれるだけでも光栄だと返事する。
「それで、おれ……コホン。私に用件とは?」
なるべく頭領の風格をみせるべく、言葉遣いには気を付けているのだが未だに慣れない。比良利のように古風な喋りを目指してはいるものの、上手く使用することができず、ちぐはぐな敬語に留まっていることが多い。
敬語で良いような気がするのだが、比良利曰く、身分の高い地位に就いている妖はそれらしい振る舞いをしなければいけないらしい。
敬語を使用するにしても、それなりの地位の高さを示す言葉遣いが必要不可欠。翔の言葉遣いでは“頭領”としても頼り甲斐がなさそうに見えるのだと言う。
また相手に舐められる可能性もあるため、少しずつで良いから言葉遣いを改めろと教え込まれている翔は、今日も懸命に言葉を選んでいた。
さすらいの行商人だと名乗る太吉は連雀と呼ばれる背負子を肩からおろし、葛籠を翔の前に置いた。
それはそれは大きな葛籠で、目の前に置かれることにより茣蓙が一気に狭くなる。
はて、これは。
首を傾げる翔に太吉はまた両前足を擦り始めた。
「十代目。あっしはさすらいの行商人。客がいるところを回っているのですが」
かたかた、心なしか葛籠が動いたような気がする。翔は太吉と葛籠を交互に見やる。
「先日、新たに客が呼べそうな地を見つけたのでございます。しかしそれには“通行手形”が必要でして」
要求が読めてしまい翔は困ってしまう。
おおかた、その地へ行くための許可書。“通行手形”が必要だから発行して欲しいという願いだろう。
けれど仕組みが分かっていない自分では発行する許可も何も下ろせない。実は妖の世界の組織的な部分はよく分かっていないのだ。
青葉かおばば、比良利にまずは相談しなければ。
「“通行手形”が必要なので発行して欲しいと言うのですね?」
内容を確認すると、「用件はこればかりじゃないのです」太吉は葛籠の上に菊を模った飴細工を置いた。黄の飴は半透明で綺麗である。
思わず見惚れてしまったが、相手の意図が読めない。何故花を自分の前に?
「十代目は大層花を愛しているとお聞きしました。どうです? 見たこともない菊でしょう! これは永遠に枯れぬ菊の花なのですよ!」
相手はこれを花だと言い切った。
何処からどう見ても飴細工の菊の花のようにしか見えないのだが。
いや、もしかすると妖の世界では菊の花の飴細工も立派に“花”と呼んでいるのかもしれない。枯れない利点を生かし、花瓶に活けているのかもしれない。
「確かに綺麗な飴細工の花ですね」
当たり障りのないように返答すると、何故か太吉は「これではダメか」指を鳴らしてこっそり顔を顰めた。
「では、これはどうでしょうか? この織物は非常にきめ細やかなものでして」
唐突に始まった品の説明。
織物を差し出され、ついつい受け取ってしまったが目利きでない翔は見てもただの布にしか見えない。よく目を凝らせば、柄の一部が浮いて見える。それを指で触ると別の生地を糊で貼り付けられたような感触がする。
無言で織物を触っていると、「小僧でも頭領か」自分に背を向けてくっ、と悔しがる太吉がそこにはいた。
「やはり手ごわい。こうなれば」
くるっと振り返ってくる太吉が満面の笑顔で詰め寄ってきた。
「十代目。山吹色の菓子はお好きですか? お好きですよね。嫌いな方はいらっしゃいませんから」
「か、菓子?」
山吹色の菓子とはなんぞや?
妖の世界の菓子だろうか。それとも人の世界にも存在する菓子だろうか。此処は素直に菓子の正体を聞くべきだろうか。
身を引きつつ翔は太吉に菓子のことを尋ねる。
「菓子全般は好きですが……山吹色の菓子とは」
「やはりお好きですか! ふふっ、十代目も悪でございますね」
ちなみに山吹色の菓子とは、時代劇に出てくる悪代官と越後屋がやり取りする小判。
つまりワイロとして贈られるお金のことを指しているのだが、時代劇を観ない翔にはそれが何なのかは分かっていない。
「“通行手形”を発行して下さいました暁には、是非送らせて頂きます。大変美味しゅう菓子でございますよ」
「いや、発行については……あ、ギンコ。丁度良かった」
自由気ままに参道を歩いていた神使を見つけ、翔はおいでおいでと手招きする。
ぴんと耳を立てた銀狐は一目散に駆け寄り、無遠慮に膝に乗った。見上げてくるギンコにてれっと頬を崩すと、太吉が目の色を変えて己の二尾を丸めた。
「やはり噂は本当であったか。これは絶好の機会……十代目、貴方様に贈り物がございます」
「お、贈り物? 私にですか?」
ギンコに山吹色の菓子は虫が使用されているかどうかを尋ねようとした翔は太吉の贈り物に戸惑いを隠せなかった。
彼は“通行手形”の発行許可を求めに来た筈なのに、何故自分に贈り物をするのだろうか? 就任祝いにしても少しばかり遅い気がする。
銀狐に目を落とすと太吉を知っているのか、ギンコは威嚇の唸り声を上げていた。
素知らぬ振りをする太吉は先程の葛籠を翔の前まで押し、どうぞ開けてみて欲しいと促してくる。蓋の上に乗る菊の花の飴細工に目を向ければ、そそくさと太吉はそれを取っ払った。
二度、三度、開けて欲しいと促され、仕方がなしに葛籠を開ける。
中から生き物が飛び出し、翔は全身の毛を逆立てて悲鳴を上げた。膝に乗っていたギンコは飛び出した生き物の勢いのせいで向こうに飛ばされてしまう。
「貴方様は大層狐を愛しているとお聞きしまして。絶世の野狐をご用意いたしました。“通行手形”を発行して下さいました暁には、彼女達と楽しい一夜も。ぐふふ」
呆気に取られる翔は己にすり寄る生き物に目を落とす。
美しい毛並みを持った五匹の野狐は甘えたに鳴いて、此方に媚を売っていた。皆、雌の野狐で巷では噂の美女らしい。翔にはどれも同じ狐に見えるが美女、らしい。
妖狐である以上、これは美味しい場面には違いないが、遺憾なことに自分は元人の子。媚を売られても食指はピクリとも動かないのである。ゆえに楽しい一夜も何もない。
持ち前の尾と耳を垂らし、狐達を見渡す。
つぶらな瞳は綺麗で可愛いし、隅々まで行き届いた毛並みは申し分ない。けれど、それ以上の感想も出ない。
困る贈り物をされてしまった。美女だろうがなんだろうが獣の妖狐にはときめかないのだが。
途方に暮れていると、銀狐がクオンと鳴いてきた。
そちらに目を流せば行儀よく座るギンコがこてんと首を傾げ、きらきらとした眼で見つめてくる。尾を振ってクオンともう一鳴き。それによって翔の“ギンコばか”が発動した。
「ごめんな。みんな」
媚びてくる狐達の頭を各々撫でた後、銀狐に手を伸ばして膝に乗せる。
胸部に顔を押し付けてくるギンコと視線を合わせ、てれっと頬を崩して頭に手を置いた。
「やっぱり一番はギンコだ。俺が溺愛しているのはギンコだけなんだ」
鼻先に己の鼻を押し当ててくる性悪な銀狐は、美女であろう野狐達に向かってクンクン鳴く。
可愛いと称賛しているギンコが“わたくしの美貌に勝てるとでも思って?”なんぞと、憎たらしい嫌味を吐いているだなんて翔は知る由もないだろう。
『十代目のオツネばかは筋金入りなんだよ。あんたの読みが外れたねぇ。“二枚舌の太吉”。性懲りもなくまた現れて』
「その声は……出たな。“妨害ババア”!」
「わしもおるぞ。太吉よ」
「な、なっ……北の四代目、比良利さままで」
血相を変える太吉が翔の背後に隠れてしまう。
茣蓙の向こうには仁王立ちしている比良利と、その肩の上に乗っているおばば。それに呆れ返っている青葉の姿があった。
翔は丁度良かったと笑みを浮かべ、太吉の用件を報告する。
己では判断しかねるのだと伝えると、赤狐の比良利の不機嫌が増した。彼は文字通り怒っている。
「太吉……お主はあの頃からちっとも変ってないのう。また“ぼったくり”を働いて金を巻き上げる気か!」
「いえいえ滅相もございません。比良利さま。あっしは真摯な気持ちで品を提供している次第でございます」
相手の六尾の毛がぶわっと逆立った。
ひぃっ、悲鳴を上げる太吉が翔の背中で身を小さくしている。頭上に疑問符を浮かべていると、おばばが野狐達の脇をすり抜けて自分の下に歩んできた。
『坊や。太吉から何も購入していないだろうね? 彼の出す品はインチキ商品ばかりでねぇ。度々妖が被害に遭っているんだ』
やはり彼の出していた商品はまがい物だったのか。
翔は納得した。胡散臭い商品ばかりで、到底売り物だとは思えなかったのだ。
「何も買っていないよ。野狐達まで用意してくれていたみたいだけど、俺にはギンコがいるから」
ぽんぽんっと銀狐の頭を撫でると、満足げにクオンとギンコが鳴く。
「私の言った通りになりましたね。翔さまは比良利さまと違って被害には遭わなかった」
背後から声が飛んで来る。
首を捻れば翔が称賛すべき絶世の美女、妖狐の紀緒が立っていた。傍らにはツネキもいる。が、彼は野狐に釘付けである。野狐が尾を振ると、締まらない顔で尾を振り返していた。
それを見たギンコが殺気立ったのは言うまでもない。ハッと我に返ってツネキが気を引き締めるも、既に銀狐は翔の腕におさまって甘えたに頭をこすりつけていた。
すると今度はそれを見たツネキが殺気立ち、とばっちりが翔にやって来る。悪循環もいいところだ。
「ぐぬぬ、何故“日輪の社”の者達が此処に」
太吉の疑問に翔は懇切丁寧に答えてやる。
「この社の切り盛りは“日輪の社”の方々が中心にやっています。就任したとはいえ白狐はまだ未熟の身ですので」
「そういうことじゃよ太吉。わしが責任を担っておる。お主のことじゃ。どうせ、無知の少年神主と二人きりになり、都合の良い交渉に持ちれ込もうとしようとしたのじゃろう?」
わなわなと殺気立つ比良利は、思い出しただけでも腸が煮えくり返ると握り拳を作った。どうやら彼は過去に太吉の商品を買い、被害に遭ったようだ。紅の長髪を振り乱して奇声を上げている。
太吉に何を売ったのだとこっそり尋ねると、「何も売っていませんよ」美しい雌の狐を用意しただけだと尾を振る。
「なのにいちゃもんをつけるんですよ十代目。あっしは赤狐さまのご要望にお応えしただけなのに!」
「え、それって良いことをしたんじゃ」
美しい野狐を用意したとなれば、さぞ比良利も喜んだことだろう。
「でしょう! あっしにはどうして赤狐さまがお怒りになられているのか、まったく見当もつきません」
「何を申すか。美しい野狐にわしの銭と修行用の大麻を盗ませたのはどこのどいつじゃ。事が知れたせいで、わしは先代に殺されかけたわい! 惣七には死ぬほど馬鹿にされたのじゃぞ!」
そうでしたっけ、舌を出す太吉に翔は遠目を作る。
盗む方も盗む方だが、盗まれる方もなんとも情けないやられ方をしたのだろうか。もしや、太吉が用意した野狐達も自分の私物を盗もうと目論んでいたのだろうか。だとしたら恐ろしいものだ。
「太吉、分かっておるじゃろうが通行手形は許可せぬ」
比良利は素行が悪いと知っている妖狸に許可など下ろさないと青筋を立てる。
不満の声を上げる太吉だが、彼の犯した罪を聞くと翔も擁護できない。
ある時はインチキ商品を売って金をだまし取り、ある時は儲け話を持ちかけ分け前はすべて持ってトンズラ。ある時は社の神具を売ろうと侵入し、ある時は悪しき妖と手を組んで悪巧みを目論む。
そのような妖に求めるものは与えられないのは当然のこと。
「しかも太吉が求める“通行手形”は御魂の社を通るためのもの。尚更許可はできません」
紀緒は片手の指をすべて鳴らすと、柔和に綻んで太吉に歩む。
身の危険を感じた妖狸は獣型と化して一目散に逃げるものの、瞬く間に追いついた北の巫女によって天誅が下る。
その凄惨な光景に思わず翔はギンコを抱きしめてしまった。そして心に誓う、紀緒は何が何でも怒らせてはならない、と。
こめかみに青筋を浮かべている比良利はお灸を据える良い機会だと唸った。
「太吉め。五方神集を聞きつけおったようじゃのう。あれは祭りではなく、神聖な儀であると言うのに」
五方神集。
翔は比良利の口から出た単語に興味を示し、銀狐を抱いたまま対に駆け寄った。
「比良利さん。五方神集が近いの?」
緊張を顔に貼り付けて尋ねると、彼は大きく頷いた。
「七日後の夜に開かれる。翔よ。明日はわしの下に参れ。良いな」
※
五方神集。
それは五方宝珠の神職達とは宝珠の御魂に縁のある者が集う儀を指す。
紅白の宝珠の御魂を持つは“南北神主”。
宝珠の御魂が祀られている一つの地を北と南に分け、社は“日輪”と“月輪”。対となって其の地を守っている。総称して日月の社。
書物の一節によると連日連夜天災ばかり起きていたこの地を鎮めるため、神が空を二つに割って双子の使いを生み、日月の刻を守護するよう命じたそうだ。
本当なのか嘘なのかは分からないが、書物にはそう記されている。
対照的なのは青緑の宝珠の御魂を持つは“東西神主”。
宝珠の御魂が祀られている一つの地が割れたことにより、対峙関係を築き上げている。山を守る“魑魅の社”と川を守る“魍魎の社”。対峙してもなお其の地を守っている。総称して魑魅魍魎の社。
書物の一節によると地割れによって生まれた双子の使いが、各々山川を作り上げてどちらが優れたものかを競い合ったそうだ。
結果、山と川は毎晩のように競り合い、とうとう其の地は割れてしまったのだという。
そして宝珠の御魂を取りまとめるは黒の宝珠の御魂を持つ“御魂の神主”。大雑把に宝珠の御魂を宿す各々神主の総大将といったところ。
四つの宝珠の御魂と二組の双子を生んだ神の化身、と言われているそうだ。“御魂の社”に身を置き、四方に散らばった宝珠の御魂を見守っているという。
五方神集は神の化身とも言われている、“御魂の神主”の下に集うそうだ。
“御魂の社”には神に仕える妖しか足を踏み込むことが許されない。
言い換えれば、そこを訪れる者は何かしら神に身を捧げている神職関係者といえる。
今宵の五方神集は宝珠の御魂を持つ者達が三晩に渡って交流をするという。つまり泊まり込みになると比良利は教えてくれた。
これによって翔の食欲が低下する。
教えてもらった知識以外は何も考えないようにするものの、緊張のあまりに食事が喉を通らない。無理やり白飯を口に入れて咀嚼するが、それさえ吐きそうになった。
なにせ宝珠の御魂を持つ選ばれし妖達が集うのだ。
齢十八の妖狐など小物も小物、何百年も生きている妖達を前に上手く挨拶ができるかどうかも怪しい。寧ろ、これが“南の神主”なのかと嘲笑されるのではないだろうか。いや、十中八九されるに違いない。
それどころか、先代の才と比べられて落ち込む未来が待っているのでは。十二分にありえる。
翔の不安は募るばかりであった。
元々若過ぎる妖狐は十七年、平々凡々と暮らしてきた人間の子供である。それが一年という期間を置いて神に奉仕する者達と同じ地位に就いたのだ。
人の世界で例えるならば平民の子供が王となり、他国の王達と会うようなもの。
立ち振る舞いも、神主としても未熟。
妖の世界も十分に理解していないのに、彼等と会っても大丈夫だろうか。望んで選んだ道とはいえ緊張しないわけがなかった。
弱音を吐きたいがこれを師の比良利に言えば、気を強く持てと叱られるに違いない。
青葉やギンコの前でも情けないことは吐けないため、気丈に七日後の晩が楽しみだと笑うしかなかった。
けれど保護者にだけは胸の内を見破られていた。
三日後と迫った明け方に声を掛けられ、肩の力を抜きなさいと苦笑される。
『坊やは坊やらしくいけばいいんだ。背伸びをしようとしなくてもいいんだよ。お前さんの真摯な気持ちを見せれば、向こうも快く受け入れてくれるさ』
とはいえ、神職関係者でないおばばはネズ坊達と留守番である。
心の拠り所にしている保護者がいない三晩を、果たして平穏に過ごせるだろうか。翔は深い溜息をついて緊張と闘っていた。陰で近い未来を想像しては落ち込んではいた。
そんな時に励ましを与えてくれたのは感情に敏感な子供達だった。
出発の夕方、溜息ばかりついている翔に七兄弟はツユクサを一本ずつ贈ってくれた。末助に至っては他の兄弟達よりも、花が大きいと尾で表現していた。
元気を出せと言わんばかりの七本の花を受け取ることで、ようやく自然と笑えるようになる。彼等にはいつも元気をもらってばかりだ。
折角なのでこれは持っていこう。落ち込んだ時はこれで慰めてもらおう。
青葉に頼んで巾着袋を一つもらうと、それにツユクサを仕舞った。子供達には土産を買ってくると約束を結んでおく。
現金なネズ坊達は約束だと尾を振り、自分達を見送ってくれた。
月が昇り始めた刻に“日輪の社”を訪れる。
本来ならば、各自の社から“御魂の社”へと向かうらしいのだが、翔が一人前になるまでは日月合流で参ろうと比良利が配慮してくれる。
また翔は着いて早々対に自室に来るよう呼ばれた。そこで正装の支度をするのだという。
「これから行く地は神域。正装をせねばならぬ」
目を瞑るよう指示され、そっと瞼を下ろす。
曲線状に薄紅を塗られた後は自分で烏帽子をかぶり、もたもたとした手つきで紐を結ぶ。笏を持って鏡面で確認した後、正装を終えた比良利と一室を出た。
「比良利さん」
「翔よ。我々は対等な存在。これから公の場に出ることを忘れる出ない」
注意をされてしまい、翔は首を引っ込めた。
おずおずと比良利殿と呼び名を変えると、如何されたと返事された。歩む足を止め三晩の間、自分は何をすれば良いのだと尋ねる。挨拶回は一晩も要らないだろう。他にも何かする筈だ。
質問に比良利が綻んでくる。
「そう、身構えずとも良い。流れに身を委ねよ」
「な、流れと言われても」
身を委ねた瞬間、流れに溺れてしまいそうだと翔は耳を垂らす。
すぐにかぶりを振り、何でもないと比良利に強がってみせたが、彼は気付いていた。翔の底知れぬ不安に。
「誰でも初に対しては恐れを抱くもの。主のような若造なら尚更。しかし、わしは主が神主として努力をしている姿を知っておる。素でおれ」
「比良利殿……」
「安心せえ。三晩はわし等と共に行動をするのじゃ。分からぬことは遠慮なく聞くが良い」
参道に出ると同じく正装を済ませた青葉達が待っていた。
神使達は何もしなくて良いようで、退屈そうに欠伸を噛みしめている。能天気なものである。自分はこんなにも緊張をしているというのに。
“御魂の社”には本殿から行くそうだ。
道の扉を開けるのは神使の役目らしく、本殿の前に立つと“日輪の社”の神使が颯爽と前に出た。
一吠え、二吠え、三吠え。
雄々しい鳴き声を天に轟かせると観音開きの扉が眩く光り、その扉は見る見る消えていった。
翔は瞠目する。
向こうに見えるのは苔が目立った石畳の道。連なる鳥居。生い茂った森林とヒガンバナ。紅く照らす半月。ただならぬ気配を感じた。
「さあ行こう。我等の同胞が待っておる」
比良利の掛け声によって一向は歩みを始める。
よって皆、気付かない。ひょっこりと本殿の下から這い出てきた一匹の妖に。
「通行手形はなくとも“御魂の社”に行く手段は幾らでもある。銭のためなら、あっしは何でもしやすぜ」