<八>出でた才
※
「ショウくん、青葉さんを本当に大切にしていたね」
帰路の道中。
朔夜は飛鳥と肩を並べていた。
何かと火花を散らしている米倉の姿はない。彼はバスに乗って自分の住むアパートに帰ったのだ。彼と顔を合わせたのは偶然、嘘、故意的なめぐり合わせだった。
仕方がないではないか。
明日予定の仕事の打ち合わせを飛鳥に連絡したら、これから米倉に会うと言ったのだから。
二人きりにさせたくなかった意地の悪さが、偶然を装っためぐり合わせとなった。どうしてそんな気持ちになるのかは分からない。飛鳥を異性として見ているわけではないのに。
弁解するのであれば米倉が自分を敵視しているから対抗せざるを得ない、だろうか。
「ショウくんは世話焼きだからさ。あの子に何かしてあげようとしていたんだろうね」
ケーキの箱と雑貨店の袋を口にし、あれはきっとあの子のために購入したものだろうと飛鳥は憶測を立てる。
相槌を打ち、「青葉さんはあいつを取られたくなかったんだろうね」連れの様子を思い出して肩を竦める。
「彼女は何かとあいつのジャケットの裾を握っていた。きっと不安だったに違いない。ショウが人間側の気持ちに戻ってしまうことを。僕達としては嬉しいことだけどね」
すると飛鳥が分かっていないなぁ、と笑声を漏らした。
「不安だったのはショウくんが人間側につくことじゃなくて、私達を優先にすることだよ」
「え?」瞠目すると彼女は綻びを見せる。
「ほら、ショウくんは幼馴染の関係を大切にしているでしょう? 青葉さんはそれを見たくなかったんじゃないかな。一番に優先して欲しいんだよ。自分を含めた“家族”のことを」
それだけ彼女の中で幼馴染の存在が大きくなっているのだろう。
恍惚に語る飛鳥は気持ちは分かるとおどけた。自分も、その気持ちに駆られたのだと吐露する。
「ショウくんには幼馴染の関係を最優先にして欲しい。そう思ってしまうのは、私がこの関係を本当に好きだと思っているから。我儘だよね」
そんなことはない。朔夜とて同じことを思っている。
「青葉さんにも見せているんだろうね。ショウくんの見せる大きな世界を」
「彼は“頭領”になるだけの器があるからね。実戦不足であろうと、新米の妖であろうと、人を魅了するだけのカリスマ性は持っている。僕と飛鳥が魅せられたようにさ」
何かあれば、馬鹿みたいに全力疾走で駆けつけて来る幼馴染。
何かあれば、体一つで守ろうとしてくれた幼馴染。
何かあれば、小さな気配りで癒そうとしてくれる幼馴染。
妖祓に苦悩していた自分達は、いつもそれに勇気づけられていた。励まされていた。支えられていた。
「目的が定まるとショウは本領を発揮する。今は弱くとも、すぐに僕等に追いつく。恐いな、あいつの成長が」
「天才と呼ばれた朔夜くんにしては弱気な発言だね」
茶々を入れる飛鳥に力なく笑みを返す。
「飛鳥も知っているだろう? あいつの強さを。己を蔑ろにしてまで、守りたい者を守ろうとする儚さを。僕はあいつほど気持ちが強くはない。果たしてこんな僕が本当に“妖祓長”になれるのか、やや不安だね」
「気持ちは時に実力を上回るからね。彼と対峙した際、ショウくんは妖に成熟して間もないのに私達と張りあった」
「そう、僕が最も恐れるショウの一面だ。あれはあいつの強みであり、諸刃の剣でもある。“集団事件”を憶えているかい? 僕達が高校一年だった頃、“星回りの羅刹丸”に操られた人間達に襲われた当時、妖でも何でもなかった彼は」
「なりふり構わず、私達を守ろうとした」
うんっと朔夜は頷き、あの一面の強さと恐ろしさと脆さを痛感したと唸る。
南の地を統べる妖の“頭領”として、今月頭から就任した幼馴染。多くの妖達に祝福された彼は、妖を守るために幾度もあの一面を見せることだろう。その度に命が危ぶまれてしまうのではないだろうか。朔夜は心配でならない。
だから忠告したのだ。己の弱さを知れ、想う人間がいることを覚えておけと。
「妖であろうと、あいつは僕達の大切な“幼馴染”。失いたくない。本音を言えば、“頭領”なんて辞めてしまえと言ってやりたい。宝珠の御魂を持つ限り、あいつは命を狙われる」
「そうだね。“妖”にも、“人間”にも……」
「それでも、あいつは進むんだろうな。自分の決めた道を」
紆余曲折しながらも進んでいくのであろう。
彼の辞書にリタイアという四文字はない。進むべき道を常に模索しながら進むのだ。朔夜はそれをよく知っている。
いつの間にか自分達を置いて先に進んでしまった彼を思うと悔しかったり、負けん気が出てしまったり、背を追い越したいと意地悪い気持ちが出たり。
「朔夜くんは“妖祓長”になることに恐怖はない?」
遠慮がちな質問。
あるに決まっているではないか。
「僕のしてきた“祓う”行いすら、間違いだったんじゃないかと錯覚する時がある。妖祓の道に恐ればかりだ」
妖祓を続けようか迷っている相棒は小さな相槌を打つ。
「だけどね。負けず嫌いな僕はあいつと対等でありたいと願っているんだ。“頭領”と対等になれる道を持っているのに、何もせず平穏に手を伸ばすことなんてできない」
背を追い越して先を走る彼に、いつかは追いつき、肩を並べて理想を叶えたい。妖と人の共存を。
彼は妖側から、自分は人間側から、時にぶつかり、時に傷つけあっても、最後は許し合える関係になれるように努力したい。自分の寿命が尽きるまで。
ようやく妖祓として目標を見い出せたのだ。恐怖はあるが貫いていきたい。彼のように。
「それに。今度は僕の番だと思っているんだ」
静聴している飛鳥に頬を崩す。
「何かあればなりふり構わず、あいつを守る。種族の垣根も飛び越えてね」
種族転換した親友。
頭領となった彼はいつか無茶を重ねて体を、其の命を、大きな危機に曝すかもしれない。
ならば、この“妖祓”が全力で駆けつけよう。和泉の名に懸けて。
「置いて行かないでよ。例え妖祓の道を辞めようと、何かあれば私も垣根を飛び越えるよ」
お茶目に笑う彼女に笑みを返し、「飛鳥。じっくり考えればいいさ」妖祓を続けるかどうか、ゆっくり考えれば良いと朔夜。
時間は幾らでもある。自分や親友のように道を一つに定める必要など何処にもない。
生返事をする彼女はわざとらしい溜息をつき、勿体ないことをしたと落胆の色を見せる。
「ショウくんの性格イケメンを見過ごしていたよ。あーあ、今なら私からお付き合いして下さいと言うのに。青葉さんが羨ましい。大切にされたいよ」
「だからって米倉はどうかと思うよ」
「え」間の抜けた声を出す飛鳥に対し、朔夜は苦い顔をして頭部を掻く。
「Lッテにでも行こうか。お腹減ったでしょ? 奢るよ」
誤魔化すように彼女を誘って帰路から逸れる。
呆けた顔を作る飛鳥がやや複雑そうに、けれど嬉しそうに頬を崩して後を追って来たのはすぐのこと。
「朔夜くん。今の話の切り替えは下手だと思うよ」
投げられた言葉に朔夜は言い知れぬ羞恥を噛みしめる。嗚呼、まったくもって柄じゃない。本当に柄じゃない。
※
「ギンコごめんって! そんなに拗ねないでくれよっ、お前が嫌いだから置いて行ったわけじゃないんだ。たまには青葉を息抜きさせようと買い物に連れ出しただけで」
いわくつきと有名なアパート304号室にて。
帰宅した青葉は茶を啜って一服。
二段ベッドの下段で不貞寝している銀狐の機嫌を必死に宥めている翔を一瞥し、小さな溜息をついていた。まだやっている。
「お土産にケーキを買ってきたんだ。苺さんのケーキだぞ。ちょっと潰れちゃったけど、皆で食べられる丸いケーキを買って来たんだ。美味しいぞ? 一緒に食べよう」
毛布に身を隠してぶうたれているギンコが唸った。
獣語を理解していない翔には分からないだろうが、青葉や傍らにいるおばばにはしっかりと耳に届いた。“わたくしはこんなにもお慕いしているのに”と。
それを言ってしまえば、翔の溺愛を全身に浴びているギンコは大変良い身分にいると思うのだが。青葉は姉分であるギンコの我の強さに呆れて物も言えない。
「ううっ、ギンコ……そんな拗ねた姿も可愛い。できたら写メしたい」
これである。
翔のギンコ馬鹿はどうにかならないものだろうか、青葉は額に手を当てた。
不意にひょっこりとギンコが毛布から顔を出す。クンと鳴く銀狐の言いたいことが分かったのだろう。翔はうんうんと頷いて約束すると即答した。
「今度はギンコと二人でお出かけする。ギンコのお願いなんでも聞く」
じーっと見つめてくる銀狐をじーっと見つめ返す翔。
可愛らしくギンコが鳴いて毛布から抜け出すと、へにゃっと彼は頬を崩して狐の身を抱きしめた。
可愛いを連呼し、変化を解いて三尾を忙しなく揺らしている十代目に青葉は白い目を向ける。あれが南の地を統べる頭領だとは、先が思いやられるものだ。
『オツネは相変わらずだねぇ。坊やにお熱もお熱だ』
本当に彼が大好きなのだろう。
性悪女狐だと言われている銀狐も忙しなく尾を振り、彼の胴をぐるぐると回ってすり寄っている。二足立ちして頬を舐めている姿は神使の面影すらない。
この調子で“月輪の社”は大丈夫なのだろうか、青葉は懸念を抱く。
「翔殿はオツネに甘いのですよ。もう少し、頭領の自覚を持って頂かないと」
『オツネにはあれくらいが丁度良いんじゃないかねぇ。惣七と摩擦を起こしたせいで、必要な時期に愛情を受け入れられず、もがき苦しんでいたから。坊やの愛情がどうしても必要なんだよ』
そういうものだろうか。
皆、銀狐に甘い気がするのだが。青葉が不満を漏らすと、おばばが一笑した。
『青葉。お前さんも、もう少し甘えて良いんだよ。そういう歳なのだから』
「わ、私はオツネとは違います」
『わたしから見たら皆一緒だよ。お前さんもねぇ。愛情が必要な歳なんだよ。特に坊やくらいの歳の男の子と、お前さんはもっと接する必要があるよ』
何故?
問い掛けると、それは自分が良く知っているだろうと猫又に返される。
『愛情を知れば、愛情を返せる。厳しさを知れば、厳しさを返せる。守りを知れば、守ることを返せる。どれも大切さ。偏った感情を抱いていても偏見しか生まれないんだよ。お前さんはね、我慢することばかり覚え、甘えることを知らずに育ってしまった。おばばはそれが心苦しいんだ』
青葉は翔に買ってもらった手ぬぐいを帯から引き抜く。
三枚の内、大層気に入ったうさぎ柄を見つめ、「初めてでした」小声でおばばに今日の感想を述べる。
「男性に優しくされる経験は皆無に等しく、記憶上……惣七さまのみでした。とても厳しいお方で、甘えという甘えも殆ど与えられませんでしたが」
『おかげでわたしはいつも惣七にカミナリさ。民には優しくできて、何故神職達には優しくできないのかと。だからオツネとの関係に溝ができてしまった』
「けれど嫌いではありませんでしたよ。あの方の厳しさ。優しい一面を知っていたからこそ……ですが、今日のお買い物で少しだけ我儘を言ってみれば良かったと思いました。困らせてしまったかもしれませんが、もっと別の一面の惣七さまを目にできたかもしれませぬ」
猫又が膝に飛び乗ってくる。
四尾をゆらゆらと揺らし、『坊やに頼んでみなさい』老婆は優しく鳴いた。
目を削ぐ青葉にまた買い物に連れて行ってもらうよう頼みなさいとおばば。きっと彼は快く返事してくれるだろう。
『知りなさい。お前さんから坊やに接し、どのように十代目と関わっていくのか、しっかり考えなさい。あの未熟で新米妖狐を支えられる一人が青葉、お前さんなのだから。怯えなくていい。翔の坊やもお前さんを知ろうとしている』
老婆猫に見透かされている。
青葉の自覚している感情、自覚していない感情を、何もかも見透かされているようだった。年の功には敵わないと思った。
そう、自分は何処かでまだ南条翔と深く関わろうとすることに怯えている。
無論犯した罪が前提にあるのだが、それ以前に自分は彼を通した広い世界を見ることに怯えているのだ。女郎屋に売られ、そこから逃げ出し、九代目に拾われた。
常に青葉は狭い世界で育ってきた。女郎屋という小さな世界。巫女の才を見出され、神職という小さな世界で生きようともがいていた。
それで良いと思っていた矢先にかけがえのない人を失い、途方に暮れた九十九年。
百年目に出逢った少年によって見る世界が変わり、生きる道が変わろうとしている。
彼と共に生きようと決めたこの一年。少しずつではあるが、少年の良し悪しを知り、親しくしていこうと思う己がいる。
年齢は百も違うのに、気付けば自分の方が子供扱いばかりされているものだ。
今日の買い物でもそう。自分に楽しい思いをさせようと気を回したり。不安に気付いて笑顔を向けてくれたり。品を買ってくれたり。
炊事場に立つと、当たり前のように隣に立って手伝いを始めてくれる十代目。
青葉は彼を見上げて頬を崩した。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです。またご案内して下さりますか?」
意表を突かれた彼は数秒、間を置いたが、礼の言葉に破顔してくる。
「ああ、いいよ。今度はもっと遠出してみようなっ、とぉお?! ギンコ、お前も連れて行くよ! わわわっ、ネズ坊達も連れて行く! おばばも一緒にっ、ぎゃー! 服の中に入るなお前等!」
翔の頭に銀狐が乗り、体にチビネズミ達が這い回っている。
まだまだ頭領としては未熟だが、こうして関わった者達を愛し、愛される才を持つ十代目に青葉は目尻を下げて笑声を零す。
彼の与えてくれるぬくもりが心地よい。もっと甘えてみても良いだろうか。百も年下の彼に、もう少し。
『坊やの出でた才は“これ”なんだろうねぇ。鬼才の惣七も持てなかった、他者の世界を広げる才。翔の坊やはこれから関わっていく妖達の見る世界を広げてくれるに違いない。おばばも含めてねぇ』
子供達の微笑ましい喧騒に、保護者の猫又はただただ優しく見守っていた。