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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ壱】少年神主の日々
101/158

<六>ごく平凡な人の暮らしを、妖に



 ※



 先方でも述べたとおり、翔の住まいは家賃3万5千円の三階建アパートである。

 今年の二月に塗り替えられた壁によって、幾分新築を装っている。近くにはバス停やスーパーがあり、非常に便宜が良い。

 上り下りはすべて階段。洋室のワンルーム。小さなキッチン、トイレ、風呂付き。

 けれど“いわくつき”であるために値段は最低限まで抑えられている。ちなみにペットは不可だが、ここの大家は物分かりが良いため“ペット”でなければ文句は言うまいと住人に伝えている。


『おや? “なまはげの青鬼オイチ”じゃないか。お前さんが大家だったとは驚きだねぇ』


「キジ三毛猫のコタマ。五十年振りだぁ! まだくたばってないけぇ?」


 “保護者”のキジ三毛猫又を連れて部屋に帰宅しようとしていた翔は、一階の101号室に住む大家と鉢合わせする。


 動物がアパートに侵入してきたにも関わらず、彼女は嬉しそうにしゃがんで猫又に挨拶をしていた。

 大家は見るからに齢八十は過ぎているであろう皺くちゃの顔をしており、白髪は常に団子頭。小さな体躯は猫背が目立っており、足腰も覚束ない。前歯がないため閉じる口には違和感を感じた。


 色褪せた藍のちゃんちゃんこを羽織っている大家のこと、なまはげの青鬼オイチは妖名のとおりヒトではなく、なまはげと呼ばれた鬼の妖である。


 一たび怒らせると天地がひっくり返るほど恐ろしいらしいのだが、新人の翔はその姿を目にしたことがない。

 ついでに夜中は出刃包丁や(なた)を持ってアパート内を徘徊しているらしいのだが、幸いなことにそれもまだ見たことがなかった。


「久しいのぉ。なんじゃ、白狐さまの仰っていた家族とはお前さんのことけぇ」


 大家に“人間ではない”家族が部屋に増えるという旨を伝えている。念のために許可を貰っておこうと報告したのだ。


『おかげさまで、わたしは齢四百と五十余り過ぎても子供の節介をしているよ。毎日が体力勝負さ』


「ふぇっふぇ。老いは辛いのぉ」


 からっと笑う大家のオイチは話し相手が増えて楽しくなりそうだと肩を竦める。

 ようやく話の輪に参加することができた翔は、オイチに挨拶をし、おばば以外にも同居人が増えると告げる。

 彼女は何人増えても良いと綻んだ。

 どうせ、このアパートに一般の“人間”は住んでいない。皆、不気味がって半年足らずで引っ越してしまう。周囲の住人に迷惑を掛けなければそれで良いとオイチ。


「ただし、迷惑を掛けたら……わるいごはいえねぇがぁ!」


 瞬く間に笑顔が一変。

 オイチの皮膚全身が青に染まり、開かれた口の向こうには鋭い歯、額に生えた二本角、黒い瞳は消えて白目のみで睨んでくる。

 声にならない悲鳴を上げそうになった翔は思わず、尾と耳を出して毛を逆立てた。よくニュースで目にする、なまはげの顔を見て泣きじゃくる秋田の子供達の気持ちがよく分かる。

 首振り人形のように何度も首を縦に動かすと、オイチが元の姿に戻る。


「しかしなんだぁ。十代目がこのアパートに引っ越して来るなんだ思わんかったけぇ。よく赤狐さまが許しただなぁ。“あんな事件”があってもう百年、ようやく新しい対さまが見つかったんだぁ。向こうの世界で修行させると思っただよぉ」


『わたし達はそうしたいんだけどねぇ。坊やがこっちで修行したいと言うから』


 思わず苦笑い。反論する気はない。


『まあ、坊やは元々人の子。こっちの世界にいる妖の暮らしが知りたいと思うのも仕方がないことさ。齢十八の若僧だから、多少の無茶もきくだろう』


「ほんに若ぇよな。まあだ齢十八だんろぉ?」


 正確には今年の九月で十九である。

 年齢のことをとやかく言われるのは仕方がないだろう。

 最年少神主と呼ばれている自分だ。妖達からしてみれば、十代など子供も子供。若いだの幼いだの口にするのは当然なのだ。

 最年少巫女と称された青葉に事を尋ねると、やはり百年経った今も言われるらしい。つまり百年は我慢しなければならない。思うことはあるが、対抗心を燃やすだけ馬鹿を見るのでやめておく。


 オイチと別れ、翔はおばばを連れて部屋に入る。

 肩に乗ってくる猫又の前で鍵を挿すと、扉を開けて玄関へ。靴を脱いだ先には台所、その奥にはワンルームが顔を出している。

 二段ベッドにミニテーブル、テレビ、机を置いているせいで一室はやや狭く見える。


『立派な住まいだねぇ。一人で住むには立派過ぎやしないかい?』


 床に着地した猫又がさっさと奥へと進む。


「一人暮らしをしている人間からして見たら、ちょっと贅沢だと思うよ。テレビや電子レンジ、ノートパソコン、家具は大体揃っているから」


 すべて親が買い与えてくれたものである。

 翔は遠慮して後々バイトで稼ぎ、それらを購入しようと計画を立てていたのだが、この通りである。

 すこぶる自分に甘くなってしまった心配性の両親。

 干渉的になった反面、我が子をかわいがろうとする節が垣間見える。彼等を安心させられる日はくるのだろうか。嗚呼、気が思いやられる。


「おばば。やっぱり親にとって子供は可愛いものなのかな」


 母性本能に理解のない翔は雌であるおばばに尋ねる。


『腹を痛めて産んだ子なんだ。普通の母親は他の子供を差し置いても、我が子が可愛いと思うだろうねぇ』


 そういうものなのか。

 吐息をついていると、コンコンとベランダに通じる窓ガラスが叩かれた。

 顔を上げれば明るい青空の向こう、妖型に変化した銀狐とそれに跨る巫女の姿。真っ昼間だというのに翔の妖気を辿って部屋に来たようだ。

 窓を開けて中に招いてやると、「ここがお部屋……ですか」脱いだ草鞋を持った青葉が恐る恐る部屋を見渡す。彼女の腕には風呂敷が掛かった笊も抱えられていた。


「百年経つと此処まで変わるものなのですね」


 獣型に戻ったギンコは一目散に二段ベッドの上段へと上がってしまう。


「青葉。ギンコ。もう部屋に来たのか? まだ比良利さんの視察も終えていないから、暮らしを移すには早いと思うけど」


 気の早い家族のひとりに尋ねる。


「何を仰いますか。善は急げ、何事も準備が必要ですよ。夜にはネズ坊達も連れてまいります。家屋を憩殿にするのですから片付けもございますし、結界も張らねば翔殿を安心して人の世界に置くこともできません」


「改めて宝珠の御魂の凄さを痛感したよ。本当に大切なんだぁ」


「翔殿も含めて大切ですよ」


 あっけらかんと言う青葉に不意を打たれてしまう。

 内心、翔はとても感動していた。どこか他人行儀だった巫女が、此処まで心を開いてくれている。“妖の器期”は踏んだり蹴ったりなことばかりされていたが、今ではこうして家族をしているのだから夢のよう。

 気分は反抗期を終えた娘と和解できた親父である。嗚呼、親しくなるよう努力して良かった!


「寝床はどちらに?」


 こっそり涙ぐんでいると青葉が声を掛けてきた。

 二段ベッドの上段を指さし、あそこを寝床にして欲しいと返す。


「ごめんな。本当は一人部屋が良いだろうけど、部屋が一つしかなくってさ。着替える時は風呂場にでも籠るから安心してよ」


「大丈夫です。女郎屋時代は部屋すらなく、物置で寝ておりましたから」


 さらっと笑顔で重い過去を言われると、翔も返す言葉が無くなる。


「えっとおばばと青葉は一緒に寝ているんだよな? じゃあ、おばばも上段で寝てくれ。俺はギンコと下段に寝るから。いいよな? ギンコ」


 ひょっこりと上段から顔を出したギンコがうんうんと頷く。

 上段が良さそうな雰囲気は醸し出しているが、翔と一緒に寝られると聞いたらどちらでも良くなったようだ。


 残りはネズ坊達だ。子供達はなるべく狭く暗い穴が良いだろうが、生憎アパートにそれらしきものはない。

 そこで翔は考え、ハムスター用のハウスを買おうと決意している。

 これならば子供達も安心して寝れるだろうし、母親が突然訪問してもハウスに隠すことができる。一石二鳥である。


 翔の我儘で家族を巻き込んで移住させてしまったことに対しては、やや申し訳なく思うものの家屋を崩して憩殿を建てる条件を付けたため、気持ち的には楽だ。

 また“月輪の社”の皆に人の暮らしを知ってもらうことで、此方の世界で暮らす妖の気持ちを理解することができるだろう。


 不慣れなことは多いが、何事も前向きに物事を捉えていた。



 北の神主の視察が終わり、一週間もすると本格的に“月輪の社”に住む者達の引っ越しが始まる。

 とはいえ、翔の部屋に物を置くスペースは少なく、家族も持ち物が少ない。

 引っ越し作業の大半は片付けに回され、家屋に置いていた家具等は一旦、建て直しの依頼している妖達の下に預かってもらった。

 本殿と拝殿は綺麗に整備されているため、家屋が工事中でも社を開くことに支障はない。


 憩殿の建設費は青葉とおばばに一切を任せている。翔には分からない領域だったのだ。

 思い切って池を造りたいが高くつきそうだと相談された時も、「青葉の好きにしたらいいよ」理想の憩殿を作ればいいと返事をした。追々泣くであろう費用も、力を合わせて返済していけばいい。

 必ず立派な神主になって青葉を楽にしてやると宣言すれば、相手は嬉しそうに頷いて遠慮なくそうすると笑った。


 住まいの結界だが青葉と比良利、そしてギンコによって五重結界が張られている。

 簡単に言えばドアに鍵を五個付けたようなものだ。

 さすがにやりすぎだと思ったのだが、部屋には宝珠の御魂だけではなく社の神使も身を置いている。悪意ある妖が狙う可能性は十二分にあるらしい。

 三重結界は青葉の空間結界により、四重目は比良利の空間結界、そして五重目はギンコの常世(とこよ)結界が張られている。


 常世結界は神使だけが張る結界らしく、主に社の鳥居に張られているらしい。

 神道学曰く、常世は神域だという。ギンコは神使であるため、その領域を侵入させないよう、常世結界を張ることができるのだとか。

 “妖の社”に張られている結界も、まさしく常世結界なのだ。

 これにより、銀狐の認められた者しか敷居を跨ぐことができない。それができたとしても力はすべて奪われる。


 結界を張った後、比良利は翔に三つの固い約束を結ばせた。


「我が対。三尾の妖狐、白狐の南条翔よ。主の願いを叶えた代わりに、わしと契りを交わしてもらおう」


 一つ、新月と満月の夜は妖の世界に戻られよ。できぬなら、決してこの部屋から出てはならぬ。

 一つ、結界は決して解いてはならぬ。一たび解いたその日には、有無言わず人の世界から撤退してもらおう。

 一つ、邪悪な妖は直ちに我等に報告せよ。心に秘めておくことは禁ずる。


 特に三つの約束については口酸っぱく繰り返された。


「良いか、二度と我等に黙秘してはならぬ。小粒の内容であろうと我等に報告いたせ。できぬなら、即刻此方に戻ってもらう」


 それはそれは厳しい物の口調で約束を結ばされたが、我儘を聞いてもらっていると自覚している手前、素直に頷くことしかできなかった。

 なお、お礼に約束のグラビアアイドルの写真集を渡すと、大変上機嫌になったことは余談としておく。



 完全に家族の引っ越しが終わると、翔のスケジュールに少しだけ変化が訪れる。

 朝昼は家族と共に就寝。夕夜は起床して皆で食事をし翔は大学、青葉とギンコは社、おばばとネズ坊達はその日によって留守番だったり、社に向かったりする。

 妖の社にて一日の執務を終えると、皆で帰宅して就寝。これが一連の流れである。


 結界のおかげさまで翔を襲っていた妖達の数はグンと減っている。

 未だに道中で気配を感じるが、今までに比べると雲泥の差だった。


 さて、まったく人の暮らしに慣れていない青葉達のために、部屋にいる時は翔が付きっ切りで世話をしている。向こうの世界ではいつも世話を焼いてもらっているのだから、これくらい当然だと翔は思っていた。いたのだが。



「か、か、翔殿。私は何をしたら良いのでしょう?」


「いや、だから青葉。これは炊飯器といって、水とお米を入れてスイッチを押したら自動的にご飯が炊けるんだって。三十分も炊飯器の前に突っ立っている奴が何処にいるんだよ」



「翔殿。人の気配がないのに、あの箱から人が! あぁあ新手の妖祓ですか?! ツワモノですね!」


「あれはテレビ! 人じゃないから大丈夫! あ、妖でもないからっ、狐火はやめてやめて!」



「うわぁああああ翔殿! お水が止まりませぬ声が聞こえました気配もないのにぃいい!」


「へっ、ぎゃぁああああばかばかばか大ばか青葉! 素っ裸で飛び出してくるなっ! せめて前は隠して来いよ!」



 会話だけで想像して欲しい、この修羅場。


 ひぃんと半べそで飛び出してきた裸体の青葉に翔も悲鳴を上げて、部屋が騒然としてしまった事件は真新しい。

 入浴しようとした青葉が止まらないシャワーの水に驚き、おいだきのスイッチを押してその音に驚き、ついでに“おいだきの声”に恐れをなして、飛び出してきた泣きついてきた騒動はもはやお笑い草である。


 すっかり忘れていたのだが、ネズ坊達を除く皆が百年以上前に生まれた者。今の人間界の文明を知らない者達なのだ。


 特に青葉は元人の子。

 昔の知識を頼りにしていることが多いため、受け入れるのに時間が掛かりそうである。


 ただし狐の本能なのか、好奇心旺盛なのは一丁前だ。

 テレビに映っている女性の服を見ては、風変わりな衣だと首を傾げたり、洋食にどのような味だろうと興味を示す。その横顔はまんま少女だった。



「青葉。買い物に行ってみないか?」 



 大学のない夕暮れ。

 翔は誰よりも早く起きて巫女装束に着替えようとする青葉に声を掛ける。

 彼女は弾かれたように、己を凝視し、「私、とですか?」誘いを確かめてきた。小さく頷くと、ベッドの上で眠るギンコやハムスターハウスにいる子供達を一瞥し、今の人の世界を見て回らないかと一笑する。

 青葉が迷いを見せると、聞き耳を立てていたであろうおばばが背中を押した。


『行っておいで青葉。遊びも学び、外の世界を歩いてみたらいいさ。オツネもお忍びでよく遊び回っているのだから、お前さんがしても罰は当たらないよ』


「ですが、私は余所行きの着物しかございません。此方の世界では、もう着物は廃れているのでございましょう?」


 巫女もおなごである。恰好を気にしているらしい。


「大丈夫。確かに珍しくなったけれど、着ている人を見かけることもあるから。青葉は仕事ばっかりで息抜きをしないじゃん? 真面目すぎるよ」


 積極的に誘うと、彼女はそそくさと余所行きの着物を持って洗面所に向かう。

 買い物に惹かれたのだろう。紅梅色の生地に江戸小紋が施された着物に袖を通すと姿見の前で帯を締めて支度を整えている。

 翔も灰のカットソーとジーパンに、ジャケットを羽織り、財布をズボンの後ろポケットに捩じり込んだ。


 留守をおばばに頼み、揃ってアパート部屋を出る。


 彼女と歩調を合わせて向かう先は大通り。

 食材を買うためにスーパーに寄ろうと思っているが、それは最後にしようと思っている。大丈夫、子供達が腹を空かせてもパンを買い置きしているのだ。おばばはそれを食べさせるだろう。


 まずは青葉に色んなものを見せたかった。

 女郎屋の記憶しか持たない忌まわしい人の世界の記憶を、楽しい思い出に変えたい。なんとなく翔はそう思ったのだ。


「あれはカラクリの荷車でございましょうか?」


 片側二車線の道路を指さす青葉は、走り去る自動車を興味津々に見つめている。

 ものすごい速度で走る荷車だと声を上げる彼女に笑声を漏らしていると、あれは何だと服の袖を引いてくる。

 信号機を指さし、時間が経つと色が変わっていると報告してきた。


「異国の人間も増えたのですね。はて、紫とはどこの異人でございましょう。奇抜な」


 紫に髪を染めているおばさまを見つけ、神妙な顔を作っている青葉の背を押して先に進む。同じ日本人だと言っても信じてはくれまい。

 徒歩十五分かけてバスセンターの名店街に入る。店みせが並ぶそこで翔は彼女の興味がそそられるであろう、雑貨店を訪れた。


 案の定、雑貨に興味を示した青葉は一目散に髪飾りを探し始める。

 ただし彼女の求める髪飾りと、現代の髪飾りは異なっているため、ヘアピンやシュシュを手にしては首を傾げていた。

 魅力もさながら、使い勝手がいまいち分からないのだろう。


 幼馴染の影響でわりと女のお洒落に詳しい翔は、シュシュで髪を結ってみたらどうだと助言する。それによって髪を結うものだと気付いた彼女は幾つかのシュシュを手に取って見比べていた。


 雑貨を見て回ると、青葉が目を輝かせて棚から物を取った。

 覗いてみるとうさぎの柄と、鞠柄の手ぬぐいを熱心に見つめている。一目惚れしたのだろう。いつまでも見ている。

 現代の少女のようにシュシュやヘアピン、キーホルダーには興味がないようだが、柄物の手ぬぐいや小物入れには興味があるようだ。

 翔は視線を持ち上げて値段を確認する。三枚セットで千円らしい。


「青葉、もう一枚選びなよ。二枚買うより、三枚買った方が安い」


 「え?」見上げてくる青葉に、早く選ぶよう促す。

 ねだる気はまったくなかったようだ。慌てて棚に戻す彼女を見るや、最後は自分が決めるぞ、と脅して戻された手ぬぐいの二枚を手に取る。


「俺はセンスがないからな。何を選んでも怒るなよ」


「え、あの。でも」


「この不細工な達磨にしようかな」


 大して可愛くない達磨の手ぬぐいを持つと、それならば蝶の手ぬぐいが良いと青葉。了解と目尻を下げて、彼女の要望に応える。

 無事に三枚の手ぬぐいを購入すると、青葉に手渡す。

 申し訳なさそうな顔は見たくないため、翔はこうおどけた。


「こっちの世界で暮らしたいと駄々を捏ねた俺に付き合ってくれるお礼だよ」


 見る見る笑顔を零す青葉は、「百年後には戻って来てくれますよね?」と約束を確かめてくる。

 勿論である。百年後には妖の世界に戻って、青葉やギンコと妖の社を盛り上げるつもりだ。


「今は比良利さん達の手を煩わせているけど、ちゃんと俺達で切り盛りしような」


 うんっと青葉は頷いて手ぬぐいの入った袋を腕に抱えた。


 今度は皆の土産でも見ようか。

 さすがに手ぶらでは帰れない。翔はケーキ屋にでも寄ろうと決め、青葉を連れて歩く。駆け足で隣に並んで来る彼女は未だに見慣れない人の街に目をやると、そっと唇を動かした。


「昔、一度だけ惣七さまとお買い物をしたことがありました。あの時は飴細工を買って頂いて嬉しかった覚えがあります」


 昔話を聞かせてくれる。

 相槌を打つと、「あの方ともっとお買い物をしたかった」心情を吐露した。寂しい気持ちに駆られているのだろう。瞳が悲しげに揺れている。


「惣七さまは厳しい方で、修行を最優先する方でした。神に仕える身としては当然なのでしょうが……」


 先代のことは話でしか知らない。

 聞く限り、化け物じみた鬼才の持ち主で自他ともに厳しい人物だそうだが。

 青葉の敬愛していた妖狐。ギンコに拒絶されてしまった妖狐。比良利の対だった妖狐。自分にとってどのような妖狐になるのか、対面したかったものだ。


「甘えを許してくれない方でした。けれど優しさを持っていた方でした。私はそういう惣七さまに憧れていたのですが、結局厳しさだけを受け継ぎ、優しさはありませんでした。翔殿のように優しい妖に私もなれたら」


「青葉」


 彼女の言葉を遮る。

 何を言いたいのか先を読んでしまった。


「過去は過去、俺はお前と共に生きると心に決めている。お前は未熟な俺を時に叱って、時に蹴り飛ばし、時に支え、時に優しくしてくれ。誰かのために泣けるおばあちゃんなんだ。ちゃんと優しさも受け継いでいるよ」


 時折、青葉は己の愚行を悔やむ。

 一件のことは許している。しかし彼女が自分を許せなければ、それは杭として残るもの。翔はそれを知っている。

 だから許すという言葉を送るかわりに言うのだ。鬼才でも天才でもない、凡才で未熟な自分を支えて欲しい、と。


 巫女が足を止めて目をこすっている。

 泣き虫おばあちゃんだと頭に手を置いてやれば、「おばあちゃんじゃありません」いつもの調子で反論が返ってきた。

 よしよし、それでいいのだ。青葉はそれでいい。


「折角買い物に来たんだから、楽しんでくれっておばあちゃん。それとも、どっかで休む? そろそろ腰が」


 「馬鹿!」本気で背中を叩いてくる巫女に、ちょっとは加減してくれよ、と情けない声を出してしまうのは直後の話だ。


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