最終章:残弾なき四一式山砲の人間大砲作戦と、二一世紀の目覚まし時計
上空を凄まじい速度で旋回し、世界の果ての孤島へと戻ってきた巨大な捕食者の質量。その羽ばたきが巻き起こす強烈な風圧の前に、先ほどまでタバコや煙管をくゆらせていた山田軍曹たちも、全員が圧倒的な緊張と恐怖のあまり、言葉を失って声が出なくなっていた。
大型旅客機並みの巨体を持つドラゴンが、地上を這う虫ケラに過ぎない私たちを完全にロックオンし、静かに見下ろす。その獰猛な黄金色の眼光が光った直後、怪物はおもむろに大きな口を開け、天に向かってすべてを焼き尽くすほどの強烈な火炎を猛烈に吐き出した。ドス黒い雨雲が爆炎の赤に染まり、熱風が島全体を容赦なく包み込む。
特撮映画の巨大怪獣を目の当たりにしているかのような、凄まじい迫力。中身は通信制高校に通う18歳の女子高生に過ぎない私は、完全にパニックに陥っていた。中学時代のいじめのトラウマを刺激する大音量の咆哮と、逃げ場のない不条理な絶望。
(早く家に帰りたい……。東京の、あの狭い自分の部屋に帰してよ……。誰か、あいつを倒すまともなアイデアはないの!?)
周囲を見渡しても、盾を持てないイザベルも、弾薬ゼロの山砲を抱えた日本兵たちも、日本刀を握りしめた以蔵も、誰もがドラゴンの圧倒的な暴力の前に空いた口が塞がらないまま硬直している。
だが、このまま何もしなければ全員が等しく灰になるだけだ。
私は、覚悟を決めた。一か八か、生き残るための、文字通り捨て身の戦法だ。
私の脳裏に、かつて21世紀の現実世界で見たことのある、サーカスの華やかな演目の記憶が閃光のように過った。
私は足元に転がっていた、重厚な鉄の兜と全身のプレートアーマーを、お気に入りの黒のスウェット上下の上から大急ぎで再び着込み、バックルをキチッと締め直した。鉄の塊と化した肉体を引き摺り、弾薬が1発もない四一式山砲の、75ミリ口径の鋼鉄の砲口へと歩み寄る。
「全員、よく聞いて! あのドラゴンを倒すには、これしかないの!!」
私は、18歳の女の子の悲痛な、しかし退路を断った大声で、3組の仲間たちへ不条理極まりない「人間大砲作戦」の実行を下命した。
私のその無謀な玉砕覚悟の命令を耳にした瞬間、カーキ色の九八式軍衣を着た山田軍曹と佐藤一等兵の目に、熱い涙がボロボロと溢れ出た。彼らは泥まみれの強面を歪ませながら、指先をピシッと揃えた厳格な挙手の礼(敬礼)を、私に向かって冷徹に、そして最高の敬意を込めて繰り出した。イザベルお姫様は、現実的な戦術が完全に崩壊した空間で「あわわ……」とオロオロするばかりであり、人斬り以蔵は、日本刀の柄に手をかけたまま、どこか達観した渋い声で低く呟いた。
『……なるほど。武士道とは、死ぬことと見つけたり、か。エルフの将軍殿、実に見事な覚悟でありますな』
私は、鋼鉄の四一式山砲の冷たい砲身の中へと、西洋の鉄の具足を軋ませながら、足からゆっくりと滑り込んでいった。狭い筒状の暗闇の中で、ロングソードを胸元に強く抱きしめ、息を潜める。
『目標、上空の巨大目標ドラゴンッ!! 恐れ多くも天皇陛下から頂いた兵器の全精神力を、この一撃に込めろッッ!!!』
山田軍曹の、喉を枯らさんばかりの絶叫が外から響く。
『――てぇェェェェェェェェェッッッ!!!!!』
ドガァァァァァァァァァンッッッ!!!!!
私の五感を完全に消し去るような、耳をつんざく凄まじい爆音が、世界の果ての孤島に木霊した。
75ミリの砲身から、西洋の鉄鎧をまとった私の身体が、ドラゴンの肉体を目指して猛烈な速度で大空へと射出される――。
――ピピピピ、ピピピピ。
電子音が、耳元で静かに鳴り響いていた。
私は、ベッドの上でゆっくりと目を開け、使い慣れたiPhoneの手元の画面をスワイプして、毎朝のアラームの音を消した。
さっきまでの、冷たい雨の匂いも、硝煙の匂いも、鉄の重みも、どこにもない。
いつもの、21世紀の都内にある、私の見慣れた六畳間の自室。遮光カーテンの隙間から、優しくてあたたかい朝日の光が、私のライトブラウンのショートヘアの毛先を静かに照らしていた。
「……夢、だったんだ」
両耳の軟骨ピアスにそっと触れてみる。エルフの長い耳ではなく、いつもの私の、18歳の女子高生の滑らかな耳の感触がそこにあるだけだった。
私は黒の上下スウェットの襟元を少しだけ直し、明日……じゃなくて、今日から始まる現実の世界に向けて、ベッドからゆっくりと足を下ろした。
中学時代のいじめの傷も、通信制高校のスクーリングへの憂鬱も、消えてなくなったわけじゃない。他人の視線は、今でもやっぱり少しだけ怖い。
けれど、私はおもむろに部屋のドアを開け、一歩を踏み出しながら、静かに小さく呟いた。
「……よし。今日は、学校行ってみるかな」
夢の中で、あの不条理な仲間たちと共にジャンボジェット並みの絶望へ突撃した、ほんの少しの無謀な勇気が、私の心の中に確かに残っていた。
私は寝起きの温かいコーヒーを淹れるため、スリッパをペタペタと鳴らしながら、朝日の光が満ちていく一階のキッチンへと、真っ直ぐに向かうのだった。
(第一章・通信制のぼっち女子高生、エルフの戦線 完)




