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 その日、私は会社の飲み会の二次会を終え、気分良く帰宅していた。

ほろ酔いくらいで、二日酔いになる程飲んでもいないし、飲み会も楽しく終わったし、今日は良い日だったな。

そんなことを思いながら、機嫌よく自宅のマンションに戻り、エレベーターに乗った。そして、自分の部屋がある4階に到着し、扉が開くと、

目の前でイケメン同士がキスをしていた。

...これは現実か?

まるで、腐女子の妄想のような光景が繰り広げられている。

一方のイケメンは色白で線が細く、眼鏡をかけていて、切長の瞳が印象的だった。昭和の文豪に服を脱がされそうな顔をしている。

もう一方のイケメンは、色黒で、ガタイが良く、二重幅の広い大きな瞳をしていて、人懐っこく笑いそうな雰囲気がある。恋愛モノだと当て馬になるタイプだろう。

2人は私がエレベーターで到着したことに気づいていないのか、あるいは気にしていないのか、ひたすら、熱く、濃厚なキスを交わしている。

もしかして私に見られていること込みで興奮しているのか?

...一体、何を見せつけられてるんだ、私は。

他人のキスしている姿なんて、凝視してはいけないとは思うけど、この状況でそう言われても、理不尽に感じる。なぜなら、この廊下を通らないと、私は部屋に入れない。私の家は彼らがキスを交わしている場所の隣の部屋だ。人の生活動線と言っても過言ではないところでキスをしないで欲しい。エレベーターの扉が閉じかけたので、私は慌てて開ボタンを押して、廊下に出た。

よし、通り過ぎよう。

私はなるべく2人を見ないように、前だけを見て歩き始め、彼らの後ろを通り過ぎた。自分の部屋に着いて、鍵を開けようとするけど、こういう時に限って上手く入らない。手こずっていると、

「人もいるから、一旦やめ、」

「嫌だ、やめない、今じゃなきゃダメなんだよ、見られても別に良い。」

「ちょっと、落ち着いて、」

「いいから、黙って。」

...なんか、私が登場したことで、さらに興奮してないか?

そう思ったタイミングで、上手く鍵を開けられたので、私は中に入った。すると廊下から、

「分かったから、部屋に入れて、」

「...覚悟してよ。」

「良いから開けて!」

というやりとりが聞こえてきた。

...これは絶対隣の部屋で始まる。

咄嗟に聞き耳を立てたい衝動に駆られたけど、さすがにそれは野次馬根性がありすぎる。私は一度深呼吸した。

...シャワー浴びて、寝よう。

いつも着ている寝巻きを持って、私は脱衣所に向かった。

シャワーを浴びていると、さっきの光景が頭の中に浮かんだ。あまりにも突然の出来事だったから、戸惑ってしまったけど、冷静になって思い出すと、まるで映画のように、とてもキレイなキスシーンだった。2人の容姿が美しいのもあるけど、どちらも表情が切なくて、儚げで、今、衝動に任せて行動しないと、もう2度と会えなくなってしまうのではないかと思わせるような切実さを感じさせた。おそらく性欲だけに身を任せる関係ではなく、しっかりとお互いに愛情があるのだろう。そして、事情があって、今まで会えなかったか、これから会えなくなるか。

“今じゃなきゃダメなんだよ”と言っていたのも、そう思わせる要因だった。

そんなことを考えていたら、いつもより入念にシャンプーをしてしまっていた。考えすぎだ。私は急いで泡を流し、コンディショナーを手に出した。

お風呂から上がり、ベッドに入っても、つい彼らのことを考えてしまった。どちらもカッコよかったけど、個人的には色黒の彼の方がタイプだな。よくよく考えると、かなり好きな顔かもしれない。鼻筋が通っていて、少し彫りが深く、二重幅が大きいせいで、日によっては一重にも見えるであろう大きな瞳。やっぱり好みだ。

でも、あんなに濃厚で感情の込もったキスを男性としている時点で、おそらくゲイなのだろう。もしかしたらバイかもしれないけれど。あまりにも好みの顔すぎて、こんな風に色々と考えてしまう私はきっと下世話だ。衝撃的な光景を目の当たりにしたせいで興奮して寝られないかもしれないけど、目を閉じようと思っていると、案外すぐに寝てしまった。

私という人間はそこまで繊細ではないらしい。


 その1週間後、私は久しぶりに大学時代の友人の鈴香と飲みに行った。飲み会は大いに盛り上がり、終電間際に”次は絶対泊まりがけで出かけよう!”と何度も言い合ってからお開きになった。

今日も良い日だったな。

そんな風に思ったとき、1週間前に私の隣の部屋の前でキスしていた2人を思い出した。

私が、今日は良い日だったと思ったタイミングでいたから、今日もいたりして。…さすがにそんなわけないか。

そう思いながら、エレベーターが4階に到着し、扉が開くと、

例の色黒の彼が体育座りをしながら扉の前で座り込んでいた。

マジか。

彼は、自分の膝に顔を埋めており、微動だにしなかった。もし、意識を失っていたら、心配だ。さすがに見て見ぬ振りをして通り過ぎることはできなかった。私は意を決して声を掛けた。

「どうしました?体調悪いんですか?」

肩を叩きながら、話しかけるが、反応がない。彼からアルコール臭がする。急性アルコール中毒だったら大変だ。

「返事できますか?救急車呼びましょうか?」

私が引き続き声を掛けながら肩を揺すると、彼が低く唸った。

「うーーーー….らいじょうぶれす…。」

ろれつが回っていない。明らかに大丈夫ではなさそうだ。

でも、とりあえず、意識があって良かった。

「このお部屋に住んでいるんですか?部屋の鍵ありますか?」

まだ2月で夜は寒い。とにかく屋内に移動させた方が良いと思った。私に質問された彼は、自分のポケットをまさぐりはじめた。

「….あれ?…ない。」

全てのポケットを確認していたけど、どうやら鍵はないようだった。この時間では、管理会社に電話したところですぐに対応してもらうのは難しいだろう。

一旦私の部屋に入れてあげるか?このまま放っておくのは心配だし。

でも、彼に危害を加えられる可能性もあるか?

もし人助けのために部屋に入れて、何かしらの被害に遭った場合も自己責任になるんだろうな。世知辛い世の中だ。そんなことを考えていると、

「…吐きそう。」

彼の顔色が明らかに悪くなった。この場で吐いたら、後始末が大変だ。間に合うか分からないけど、玄関からトイレまではすぐだし、いけるか。

私は急いで自宅の鍵を開け、

「立ってください。トイレで吐きましょう。」

そう言って、彼の左腕を両肩に回した。重くて大変だったけど、なんとか立たせて、家の中まで連れて行った。

「靴、脱いでください。早くトイレに。」

彼が靴を脱ぐのを見守ると、トイレのドアを開け、便器の蓋を開けた。彼をトイレの個室の中に入れ、膝立ちで、便器を抱えるような姿勢を取らせた。

「便器の中なので、いくらでも吐いてください。水用意しておきます。」

そう言って、トイレのドアを閉め、部屋の暖房を付けた。来ていたコートを脱ぎ、手を洗っていると、

「おえぇぇー」

彼が盛大に吐いている音が聞こえた。吐瀉物が着水している音も聞こえたので、便器の中に吐けているようだった。私は水の入ったペットボトルを2本持ってトイレに向かい、ドアをノックして声をかけた。

「お水持ってきました。一回開けますよ。」

そう言って声をかけると、彼は便器を抱えて項垂れていた。

「吐くだけ吐いたら、口濯いでください。あと、飲めるだけ、水飲んでください。アルコール薄めましょう。」

「...ありがとうございます。」

ペットボトルをトイレの床に置いてから、私は再びトイレの外に出た。

彼の意識もあるし、吐瀉物でトイレも汚れてなかったし、我ながら良い判断だった気がする。時計を見ると、1:00を回っていた。シャワーを浴びたいけど、彼がいる状態で、浴びるのはやはり危機感が足りない気がする。

せめて顔だけ洗うか。

洗面所に向かい、私は洗顔、歯磨きを済ませた。そのタイミングで、トイレの水が流れる音がして、ドアが開く音もした。洗面所からトイレに向かうと。彼がトイレの扉の前で座り込んでいた。

「全部吐けました?」

「...はい。もう全部出たと思います。水も全部飲みました。」

「それはよかったです。」

「すみません...。迷惑かけて。」

そう言って、彼がこちらを見た。やっぱりきれいな顔をしてる。こっちはメイクを落としたすっぴん姿なのが少し恥ずかしくなった。

「まぁ、困った時はお互い様なので。お兄さん、隣の部屋に住んでるんですよね?」

1ヶ月ほど前に、しばらく空室だった隣の部屋に誰かが越してきたことは気づいていた。特に引っ越しの挨拶などもなく、出勤退勤のタイミングも違うのか、先日キスしているところを目撃するまで、新しい住人に会ったことはなかった。

「はい。挨拶もしてなくてすみません。隣に住んでいる松川優斗です。」

そう言って、彼が軽く頭を下げた。

「橘美耶です。まぁ、都会ならそんなもんじゃないですか?あまり気にしないでください。もう少し、お水要りますか?」

「あー、もう1本もらえるとありがたいです。すみません。」

彼がそう答えたので、私は冷蔵庫からもう1本、水のペットボトルを取り出して、彼に渡した。

「はい、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

彼はもらった水を、早速、半分ほど飲んでいた。

「どれくらい飲まれたんですか?」

「うーん...ウイスキー10杯くらいは飲んで...そっから記憶がないです。」

「それは、随分とまた。」

「...飲まなきゃ、やってられなかったんです。」

彼はそう言うと自嘲的に笑ってから、こちらを見た。

「...橘さん、この前、俺たちがキスしてるの見ましたよね?」

あの時のことを、この人が自分から言い出すとは思わず、私は少し驚いた。

「…あー、まぁ、はい。」

「驚かせてすみませんでした。ちょっと、無我夢中で。」

彼はあの時のことを思い出したのか、懐かしそうな表情をした。私は彼の顔を見て、少し切なくなってしまった。

「...今からたぶん、変なことを言います。気持ち悪いなって思わせたらすみません。あの日、エレベーターが開いたら、あなた方がキスをしていて、それはそれは驚いたんですけど、それ以上に、なんというか、すごいきれいなキスシーンで...見惚れちゃいました。なんだろう...お互いを、切実に求め合っている感じがして。」

そう言うと、彼は驚いたようにこちらを見た。

「まぁ、ちょっと目のやり場に困りましたし、私が家に帰るのにどうしても通らなきゃいけないところで、繰り広げられていたことは、正直困りましたけど。きっと、あなた達的に、あのとき、あの場でキスしないとダメだったのかなとか、なんか勝手に色々考えちゃいました。」

私が軽く笑いながら、白状すると、彼はしばらく黙った後、少しだけ笑って話し始めた。

「...橘さん、俺の話聞いてもらって良いですか?」






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― 新着の感想 ―
昭和の文豪に脱がされそうな顔ってのがピンと来るようで全く想像できませんでしたが、面白かったです。続き期待してます。
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