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*14*

 取り繕うことなんてできない

 偽者なんて要らない

 欲しいものは ただ一人




*14*




 ほとんどの部屋が真っ暗な中で、一つだけ明かりがともった部署があった。

 昼間のにぎやかさとはうってかわって、しんと静まりかえったオフィスの中、私の足音だけがやたらと響く。

 確信があった。

 そっとその扉を開くと案の定だ。

 向こうも誰が来るのか訝しんでいたのだろう、書類を持ったままこちらを見ていた。

 他には誰もいないのが少し違和感を感じるいつもの職場。

 「お邪魔します」

 私はそっと中に足を滑り込ませた。

 「忘れ物か?」

 聞かれて苦く笑った。

 「ちょっとね。そっちは仕事まだかかる?」

 私が問うと彼はちらりと睨んだ。

 「もう終わった。お前こそあいつとあってたんじゃないのか?」

 ばさりと書類を机に戻し彼がぶっきらぼうに言った。

 やっぱり気付いていたんだ?

 まぁ、今日会う約束をした電話はそもそもあの時、近くで聞こえていただろう。

 私は小さく笑いながら

 「うん。さっきまで高田君と二人で会ってきたよ」

 頷いて、そのまま窓辺に向かった。

 閉じられたブラインドを指で少し開く。

 宇宙からも見えるという夜景はやはりとてもきれいなものだ。

 「ご飯も食べたし、お話もしたし……」

 そのまま遠くの夜景を見て、手を離した。

 ぴしゃんと音を立ててブラインドが閉じる。

 私は彼を振り返った。

 「キスもした」

 私の言葉に彼がぴくっと眉を動かした。

 ギロリとこちらを見る。

 私は小さく肩をすくませた。

 「といってもお別れのキスだったけどね。もう、彼とは普通の同期に戻る。だからこれからも、一緒に遊ぶし、一緒に飲みにも行く。だって、同期だもの。向こうもね、あなたのことも誘うって言ってたよ」

 私はさっき別れ際に確認したことを彼に報告した。

 だって、まったく無くすにはつらかった。離れてしまうならしょうがないけれど同じ会社にいる限り何かかにかで会うだろう。それは避けられない。

 ただの同期に戻ろう、それが答えだった。

 彼がゆらりとこちらにやってくる。

 私はまた窓側に向いた。

 「藤堂君にも怒られた。私のやり方はまずかったって」

 私が言うと背後で小さく舌打ちするのが聞こえた。

 まさか藤堂君がそんな行動をするなんて思っていなかったのだろう。

 私は息を大きく吸い込んだ。

 そしてゆっくりと吐く。

 やっぱり……言わなきゃいけないだろう。

 ここまできて、逃げるわけにはいかない。

 私はもう一度振り返り、すぐ正面に立つ彼と向き合った。

 顔を見ればやっぱりそうだと確信する。

 「あんなひどいことして何を今更って思われるかもしれないけど、あなたと別れた後も、あなたを好きだった。……再会しても、やっぱり好きだった」

 私が言うと彼ははにかむような顔をした。

 頬に彼の手が伸びてきた。

 「ねぇ貴方は、何で彼女と別れたの?」

 私は彼を見上げた。彼の手が触れるかどうか、ぎりぎりのところで止まった。

 『偽者』でごまかすのをやめる、そういって付き合っていた人と別れたのなら、『確認だ』と言ったあのキスで真偽を確かめたということ?

 私が、他の人だとだめだと思い知らされたのと同じように。

 あなたもそう感じたの?

 まっすぐに彼を見つめると、彼は鼻で笑った。

 今度はそっと硬い指先で頬に触れる。優しい、とても優しいしぐさだった。

 「偽者はいらない。俺のずっと欲しかった本物は……お前だからな」

 そう言って私の頬を撫でて耳の横の髪を梳く。優しく何度も梳いては耳にかけた。

 「あなたを切り捨てた女だよ?」

 私が尋ねると……彼は目を細めた。

 「あれはどう考えても仕方ないだろう? そもそも俺は、お前を嫌いになった覚えは一度たりとてない。お前が他の男とキスしたって聞かされて、すっごい腸煮えくり返ったけどな」

 そう言ってもう片方の手で私を腰を抱き寄せる。

 髪をなでていた手を滑らせるように頭の後ろに差し込まれ、ぐいと頭を持ち上げると、彼はまっすぐに私を見つめた。

 「もう、他の男に触れるな。もう、他の男の誘いは受けるな」

 絶対に。

 その言葉が甘く私の身体に響き渡る。

 「今度こそ、本当に俺だけのものになれ。そしてもう二度と俺の前から消えるな」

 願うように唇の上を彼の吐息が吹き抜けた。

 胸がいっぱいになった。

 うれしくて

 幸せで

 「はい」

 返事をした瞬間、すべてを覆い尽くすように彼の唇が重なった。

 何度も、何度も……。

 彼の背中に腕を回すと彼は薄目を開けて唇を合わせたまま小さく微笑んだ。私に回した腕にさらに力がこめられる。

 吸い付いては離れそうで、でも決して離れず、また深く唇を合わせて想いを交わした。

 二度と離さないで。

 お願いだから。

 立場なんて知らない。

 彼の家のことも知らない。

 そんなの、もういい。

 唯一つ、手に入れたい本物はここにあるのだから。


 「雅隆……好き……」

 ずっと言いたかった。

 もう一度、言いたかった。

 「好きだよ……。ずっと、好きだった」

 私の声はもう、からからに擦れていて言葉になったかどうかもわからない。

 熱に浮かされたように、呼びたくて仕方なかった彼の名をずっと呼んでいたから……。

 それでも、まだいい足りなくて彼に頭を擦り付けた。

 もどかしい。

 身体があるからもどかしい。

 でも、身体があるから愛しい。

 それは彼も一緒だったようで……私をかき抱きながら何度も汗に濡れた頬に唇を寄せた。

 私は彼に触れようと手を伸ばす。

 その私の手をとって、雅隆は指先に小さくキスの雨を降らせた。

 「巴……」

 彼の声もかすれていた。

 何度も呼んでくれた。

 誰に呼ばれるよりも彼の声で呼ばれる自分の名前が一番好きだ。

 彼は私の耳元に……熱い吐息と一緒に

 「愛してる」

 ゾクリとするような甘い声で耳に囁いた。「今度こそ、離さない」

 彼の想いに涙があふれた。

 離さないで……。

 二度と、離さないで……。

 もう、私をどこにも連れて行かせないで。

 あの頃みたいな、もう子供じゃないから……。

 「私も、愛してる」

 あの日、言ってはいけないと飲み込んだ言葉だった。

 きっと伝えられないだろう、そう諦めていた言葉だったから。

 「雅隆……あなたを愛してる」

 私のやっと伝えた言葉に彼はとてもきれいで優しい笑顔を浮かべた。

 「ずっと、聞きたかった」

 と。

 そして思い出す。

 あの日、母が私の髪をなでながら言った言葉。

 『もし、あなたと雅隆君の縁が本物であれば……きっといつか……あなた達はまた結ばれるわ』

 本当に、こんな奇跡があるなんて思いもしなかった。


 後日、彼は正式に部署で皆に頭を下げた。

 「今まで皆さんをだましていましたが……僕の名前は市川ではありません。本当の名前は国立雅隆です。申し訳ありませんでした」

 そう、きっぱりと謝罪した。

 全員、驚いていた。

 どういうことだと互いに顔を合わせる。

 しかしさすがに社員は自社の親会社の名前がKUNITACHIグループであることは知っていて、その総帥一族である国立の名前を持つと知りさらに驚愕した。

 どうやら彼の正体を最初から知っていたのは、私と、K-ユニットの部長、それからうちでは大田さんだけだったらしい。

 「皆さんがどんなふうに会社を考えているのか、よくわかりました。こんなだますような形になってしまった事を心からお詫び申し上げますが、ここで勉強した事をこれから十分に活かして……皆さんが働きやすい会社にする事をお約束します」

 そう、全社員に頭を下げて彼はK-ユニットの社長になった。

 もともと社長ではあったけれどちゃんと社員に認知してもらう、そういう意味合いがこめられていた。

 皆、驚いた事は驚いていたけど、それでもだれも怒る者はいなかった。

 「すっかりだまされたな。けど、これからも飲みに誘って良いのか?」

 先輩達は頭をかきながら彼に尋ねた。

 「もちろん。おねがいします」

 彼もそう笑って頷いた。

 「君は、知っていたのかい?」

 あとでこっそりと大田さんに聞かれたとき、私も大田さんにだけ本当のことを話した。

 「はい。国立君とは中学時代同級生だったので」

 大田さんはなるほどねと苦笑いしていたけれど、何がなるほどなのかは教えてくれなかった。

 彼が社長室に席を戻したことで働く部屋は別々になってしまったけれど、寂しくはなかった。

 だって……。

 定時になったら、メールがやってくる。

 『巴、帰るぞ』

 私がそれを見ていたら佐々木さんが笑った。

 「一番だまされたのは君達だよ。本当に」

 肩をすくめて私に言う。

 「騙すつもりはなかったんですけどね」

 私が苦笑いで言うと佐々木さんは相変わらずくしゃくしゃと私の頭を撫でた。

 「でも、君が幸せな事が一番だよ。そうしたらみんなも幸せになれるからね」

 その言葉に私は頷いた。


 良心に恥じないように

 決して自分を裏切らないように

 私は幸せにあり続けたい。


 際会から始まった恋だった。

 一度別れてしまったけど

 再会して

 再開した恋は……あのころと違う。

 大きなふくらみをつけた花になった。


 (さいかい初出’03.07.08-13  ’09.11.--)




おまけ

~優しい人のため息~


 高田がふぅっと息を吐いた。

 「まだ、ちょっとショックかも」

 そんなふうに落ち込む高田の前に、沙耶香と前田が並んで座っていた。

 もともと仲が良かったこの二人はどうやら最近とうとう付き合いだしたらしい。

 あっちも、こっちも春到来で、春は春になりきらず過ぎ去ってしまった高田はまたため息をついた。

 「まぁ、仕方ないよ。巴ちゃん……確かにずっと遠くばかり見てた人だから」

 沙耶香は苦笑いすると、手早くビールを3つとお任せおつまみを注文した。

 「ずっと?」

 前田が沙耶香を覗き込む。沙耶香は頷いた。

 「うん。うすうすこっちで何かあったんだろうって言うのは、ずっと思ってたんだけどね。まぁ最初は違うけど。すっごいたくさん告白されても、学校一のハンサムボーイに口説かれても華麗にスルーしてたから、よっぽど理想高いって思ってたんだよね」

 沙耶香は思い出して小さく笑った。「お兄さんで目が肥えてたら仕方ないかなって思うし」

 彼女の兄はほんっとうにきれいな顔をしていた。引っ越してきてすぐ遊びにいった当時も優しい顔立ちをした少年だったけれど、今も雰囲気そのままにきれいな男になっている。 ……ただし、行動や性格はかなりワイルドだが。

 しかし、巴の思う男性像はどうやらそこが原因ではなかったらしい。

 東京に旅行に行くこともかたくなに拒否をした。

 教師たちに強く勧められた東京の大学も固辞した。

 「だんだん何かあるなと思って……このままじゃいけないなって思って、後もちろん私も東京に行ってみたかったから就職こっちに決めて、彼女もだめもとで誘ってみたんだけどね」

 沙耶香は運ばれてきたビールをほいほいと高田と前田に渡す。「やー、こっちに出てきて正解だったと思うよ? 最初はなんかギクシャク生活してたけど、だんだん会社にもなれていってたみたいだったし、高田君といい感じになりかけてたからコレはひょっとしてって期待してたんだけど」

 沙耶香は苦笑いして高田を見た。

 結果は残念なとおりだ。

 しかし沙耶香としては高田には申し訳ないが良かったと思う。

 本当に高田には申し訳ないのだけど親友の幸せを願うものとしては、親友のトラウマになりかけてた要因を取り除け、ちゃんと幸せを選び取れたのだとしたら満足だ。

 「とりあえず、今日は飲んどこう!!」

 沙耶香はジョッキを掲げた。

 「そうだそうだ! 飲め飲め!」

 前田もジョッキを掲げる。

 高田も苦笑いすると、三人でジョッキを鳴らせた。

 「しかし、市川君……いや、国立君か。彼には本当にだまされたなぁ」

 前田がビールを一口飲んで苦笑いした。

 新入社員になりすまし、普通に働いておきながら、その実、その会社の社長だった自分達と同い年の青年。

 しかも、話を聞くところによると、彼は大学は世界屈指のハーバード大学で経営修士号を取っているという。ちなみに、前田と高田が工学部で修士を取るにはあと2年大学院に在籍する必要があった。

 つまり、同い年で習得してきたということは、その2年をすっ飛ばしてきたことになる。

 なんて奴だ。

 高田も頷く。

 頭脳においても、生活力においても、その上容姿においても太刀打ちできない。

 高田はがっくりとうなだれたが、

 「でも、巴ちゃん、高田君のこと間違いなく好きだったよ」

 沙耶香が明るくにっこりと微笑んだ。

 高田につい苦笑いが洩れる。

 「振られたけどな」

 それには沙耶香も肩をすくめた。

 「まぁ、ね? タイミングがきっといろいろずれてたとは思うけど、でも、巴ちゃんは絶対に高田君に会えたからこそいろんなことに向き合えたはずだよ? それに心配しなくても高田君は十分魅力的だもの」

 親友と付き合い始めた彼女は高田に太鼓判を押した。

 楽観的なのか、ただその言葉には非常に前向きにさせる威力があった。

 高田はぐびりとビールを飲むと今度はさっきと違う息をついた。

 「ま、俺も頑張るよ」

 そう言って少しだけ笑った。

 「でも、あれだね」

 前田が顎をなでてメニューを見やる。

 「何?」

 沙耶香が尋ねると

 「社長さんとOLさんの恋愛って持田ちゃん大変だね」

 前田が言うと、高田も頷いた。

 なんてたってあの男は、今でこそK-ユニットという会社の社長だが、将来的にはその親会社たるKUNITACHIグループの全てを担う総帥になるといわれている。

 「あいつ、そんなことで持田ちゃんを苦しめたら許さないからな」

 高田はそう指を鳴らしたが、沙耶香は苦笑いだけで終わっていた。

 「大丈夫だよ。巴ちゃんなら」

 沙耶香はぐびぐびとビールを煽った。「たとえ相手が世界の大富豪でも心配ない」

 いつもの彼女の楽観的思想かなと思ったけれど、どうやら違うらしい。

 高田と前田は不思議そうに沙耶香を見やる。

 「巴ちゃん、性格がやたらと庶民だけどね。……彼女の場合、お兄ちゃんがいて自分は家を出る気満々だったから余計にそう言うところ庶民だけど、実家はすごいよ」

 沙耶香はそう言って笑った。

 は?

 高田と前田の目は点になっていた。

 「家だけで見ても、巴ちゃんだったら何とかなるんじゃないの?」

 沙耶香は笑って、ビールの追加を頼んだ。

 前田もぽんと手を打った。

 「そういや、持田ちゃんも帝都中学通ってたもんね」

 国内でも屈指のお金持ち学校だ。

 そんな前田に沙耶香は苦笑いした。

 「私もあまり詳しいことは知らないけど、うちのお母さんが言うには巴ちゃんのお父さんって、家を出てたのね、東京で働いてた頃は。お里のほうも資金援助も何 もしてなかったって言うから……その状態で巴ちゃんがそんなお金持ち学校に通えてたのなら、あそこのおじさんは相当やり手だったんだろうね」

 あー、そういや会話の端々に彼女の家が只者ではない雰囲気が漂っていたではないか。

 「……メガクルがあったな」

 「あったな」

 前田の納得に高田も頷いて、そして高田ははっとした。「持田ちゃんの従兄弟、誰だと思う?」

 高田は前田に問うた。

 「いや? そういや俺らと同じ……学校だっけ?」

 あやふやなのか前田が首を傾げたけれど、高田は強く頷いた。

 「綾瀬だよ。あの綾瀬晴樹」

 高田の出した名前に前田は目を丸めた。

 「マジで!?」

 思わず張り上げてしまった声をあわてて口元を手で抑えて前田が高田を見る。

 高田が頷くと声を潜めて

 「確か、あいつの家ってすっごい金持ちだったよな?」

 「そう、あの元財閥の氷川だよ。なんか昔綾瀬が苗字変わる云々の話があってチラッと聞いたけど、お父さんは会長秘書をしててそこのお嬢さんだったお母さんと駆け落ち結婚したとかなんとか。それで和解してそのお母さんの家を継いでるらしいけど……綾瀬だけそのままの苗字でいるって話だったじゃないか。きいたところによると持田ちゃんのお母さんと綾瀬の母親が姉妹らしいぞ」

 二人は顔を見合わせるとごくりと唾を飲み込んだ。

 なんだか眩暈がしてきた。

 「なるほどね。あのおばさんがお嬢様って言うのは納得できる気がする」

 二人の会話を聞いていた沙耶香はビールを煽りながら納得したように頷いた。しかし、沙耶香が残念ながらと首を横に振った。

 「ただね、巴ちゃんはその背後のことぜんぜん知らなかったみたいよ? おじさんも家に絶縁突きつけて上京して、そこで出会ったおばさんと駆け落ちして結婚したって言ってたし。二人とも家と縁切ってたみたい。でも家を継いでたおじさんのお兄さんがなくなったから、一家そろって田舎に呼び戻されたらしいけど……今の話聞いてたら、アレだね。里は里でやたらと歴史のある名家だし、おばさんのほうもそんななら案外大変なのは彼氏のほう かもしれない」

 沙耶香の言葉に二人は背筋をぞくっとさせた。

 「沙耶香ちゃん、それもし俺だったらそもそも全然太刀打ち行きませんって言われてる気分なんですけど」

 高田が言うと、沙耶香は笑った。

 「ンな事ないわよ。だから巴ちゃんの家……お祖母さんはものすごくそう言うことにうるさいけど、巴ちゃんが家を継ぐわけじゃあるまいし、巴ちゃんの両親は そんな家柄にこだわる人じゃないもの。だから、国立君側の問題。きっと周りがね、家柄にこだわる可能性があるでしょ。本人は何にも言わないで巴ちゃんのこと掻っ攫っていくだろうけど。最も本人も有無言わせぬ手段に出てるみたいだけど、でもそんなことしなくても、もし周りが家柄のことを持ち出しても、十分対処が出来るよって言う意味で巴ちゃんは大丈夫だよ」

 羨ましいほどに、彼女は自由だ。

 沙耶香はそう思っていた。

 家からも、たとえ家絡みであっても、彼女はきっと自由になれる。

 最高に自慢の友達だった。

 だから幸せになってほしい。

 高田には申し訳ないけれど、でも本当に今の結果を喜んでいる。

 彼女の言葉じゃないけれど、つくづく人の縁と言うものは不思議だ。

 「有無言わせぬ手段って?」

 前田が問う。

 「手っ取り早く国立君が巴ちゃんを手に入れるのは……、やっぱ巴ちゃんを孕ませることでしょうね。どうやら結構な手の込みようだから、もうじ き出産祝いと結婚祝い両方必要になるんだろうね、確実に。お金ないのに困っちゃうなぁ」

 沙耶香はふふふと笑った。

 その表情は、生まれてくる子はどっちに似ても目の保養になるだろうなと言うこと。親友の幸せな未来を喜んでの笑顔だった。

 そして思い出したように隣を見上げた。

 「言っておくけど!! 私達はそう言うのされても困るからね!!!」

 そう沙耶香は前田に念を押した。

 付き合い始めて、一応そういう将来像も視野に入れてあるとはいえ、今はまだ困る。

 「えー。僕も孕ませてみたいのに」

 前田は拗ねたように笑ったけれど、案外その言葉は本気だったかもしれない。高田は長い付き合いでそう思った。

 なんとなく沙耶香も察したけれど。当然、もし授かった場合は生むつもりでいるけれど、でもできれば段階を踏みたいと言うのが正直あった。

 幸せそうな二人に高田は小さく微笑み

 はぁ。

 息をついて残ったビールを仰いだ。

 彼女に孕ませるのはできれば自分の役目でありたかったけれど、こればかりは仕方ない。高田がもし国立の立場であったとしても嬉々としてそうしただろうから。

 とにもかくにも、それでも彼女が幸せなのだから……きっといいことなのだろう。


(優しい人のため息 初出03.07.14 -- 09.12.07)

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