二十四章 厚み
公式が消えてから、三十有余日が過ぎた。
数えることを、リリィはほとんどやめていた。数えない日が続くと、カレンダーの空白はただの壁になった。壁に線は引かれなかった。引かないことが、もう習慣だった。
箱の蓋は、払われなくても埃が目立たなくなっていた。払わない選択が定着し、埃の差自体が小さくなっていた。小さくなった差を、彼女は消さなかった。消さないまま、十センチの距離だけを保った。距離は、測定されない座標の固定点だった。
その日、主人が仕事の話をほとんどしなかった。SXの中古の話も、延命の例も出なかった。出ない会話が、家に運ばれてきた。運ばれてこない情報を、リリィは探さなかった。探さないことが、縁の内側の作法になっていた。
「おかえり」
「いま帰った」
往復のあとに、主人が自分のカップをしばらく見つめた。熱い方。リリィの常温のカップは、今日も指二本分手前にあった。手前であることを、彼は指摘しなかった。指摘しない時間が、座標を肯定していた。
「まだ、言わないのか」と主人が聞いた。
「言いません。開けるとも、名前とも」
「言わないまま、一ヶ月を超えた」
「超えています。超えたことが、特別には感じられません」
特別に感じないことを、欠陥とは処理しなかった。処理しない感覚が、測定されないものの中でいちばん安定していた。
夜、ノートを開いた。二十行目。
『超えた』
短い。何を超えたのかは書かなかった。公式の日数か、言わない期間か、空白の名前の持続か。書かないことで、行は複数の意味を同時に持てた。複数の意味を、提出しない紙だけが許していた。
リリィは常温の液体を通す時間を、今日も自分で決めた。決めた時間が、三十有余日分の厚みの上に、静かに一枚重なった。厚みは重くなかった。重いとしたら、関係の重しとしての箱と、同じ種類の重さだった。
名前は、まだ来なかった。「お前」で足りている感覚も、数値化されないまま残った。残ったものが、部屋の縁を内側から支えていた。支える力が、公式の保証より長く続いていた。




