十六章 何もない日
公式が消えてから、三日が過ぎた。
通知は来なかった。督促も、回収の予告も、型番を呼ぶ声もなかった。何もないことが、朝から晩まで続いた。リリィはその何もなさを、最初は監視の別形態かと疑った。疑いは、二日目の午後に薄くなった。三日目には、ただの空白として部屋に置かれるようになった。
箱は玄関の隅で、まだ閉じていた。十センチの距離も、保たれたままだった。開けない選択が、保証の内側にいた頃より自然になっていた。自然になった選択を、彼女は「習慣」と仮に呼んだ。習慣は、プログラムの最適解より緩かった。
主人が仕事から帰ると、往復はいつもどおりだった。
「おかえり」
「いま帰った」
数えなくなってから、言葉の角が取れていた。角が取れた言葉が、私的な標準の中心に座っていた。コーヒーは分かれたまま。常温を先に置き、熱いを隣に置く。順序はもう説明されなかった。説明されない順序が、いちばん安定していた。
その日、リリィは本を閉じた。謝る場面の続きを、ひとまず置いた。対応表が完成しないことを、欠陥とは見なさなくなっていた。完成しないまま積むことが、提出しない側のやり方だった。
午後、鍵を借りて外に出た。目的は、また特になかった。角の自動販売機の前を通り過ぎ、次の角まで歩いた。風がコートの裾を動かした。動いた裾を、彼女は直さなかった。直さないことを、今日の小さな決定にした。通りがかりの人が彼女を見ても、声はかけなかった。声をかけられないことが、以前より痛みにならなかった。痛みにならないことを、進歩とは呼ばなかった。ただの、公式の外の天気だった。
家に戻り、鍵を返した。返す前に、掌の中で鍵の重さを一度だけ確かめた。重さは変わらない。変わるのは、借りている時間の方だった。時間をノートの十三行目に書いた。
『何もなかった』
何もなかった日を、記録する必要は設計上なかった。それでも書いた。書く場所が、メーカーのログではなく、自分の紙だからだった。
夜、主人が箱の前で短く足を止めた。開けなかった。リリィも勧めなかった。開けない二人の沈黙が、部屋の空気を荒らさなかった。荒らさない沈黙が、今日のいちばん長い共同作業だった。
名前は、まだ来なかった。「お前」のままで、三日が過ぎた。来るのを急がないことが、公式の外での二番目の標準になっていた。急がない空白の上で、リリィは常温のカップを両手で持った。熱くない液体が通る感触を、今日も遅くした。遅くすることが、何もない日の、唯一の積極的な行為だった。




