第一話 神々の国
天界。
無数の神々が住まう、光に満ちた世界。
その頂点に君臨するのは、大神ユリス・バーガンディ。
ユリスは、深いため息をついた。
隣に立つのは、彼の秘書を務める男神トレイル・ノクティス。常に冷静な表情を崩さない男だ。
「またか。」
ユリスの声は重く沈んでいた。
「はい。今朝も、すでに数名の女神や天使がルミエル様の神殿から出て参りました。」
トレイルは淡々と報告する。
「孫が……美の神だからといって、あそこまでとはな。」
ルミエル・バーガンディ。
ユリスの孫であり、天界で最も美しいとされる美の神。
彼の姿を見た女性は、誰もがその虜になる。
艶やかな髪、透き通るような白い肌、優雅に広がる純白の翼。
当然のように、多くの女神や天使たちが彼のもとに集う。
複数の女が同時に彼を求め、彼もまたそのすべてを優しく、時に激しく満たしていく。
『ルミエル様の相手を務めるのは、名誉ですから。』
ある女神はそう言った。
誰も文句を言わない。誰も止めようとしない。
しかし、当然ながら不満を抱く者もいる。
だが相手は大神ユリスの孫だ。
表立って何かを言う者など、一人として現れない。
ユリスにとって悩みの種である。
「トレイル。お前はどう思う?」
「神としての務めを、もう少し優先されてもよろしいかと。」
ルミエルの神殿。
前日の夜から、彼のもとを訪れる女性たちの列は途切れなかった。入れ替わり立ち替わり扉が開き、また閉じる。
驚くべきことに、夜が明けようとしているというのに、ルミエルの熱は少しも冷めていなかった。
やがて朝を迎えた寝室では、広いベッドの上に三人の天使が並んで横たわっていた。
「……ルミエル様。もう、朝ですよ」
「そうだな」
ルミエルは穏やかに答えた。
三人とも疲れ切った様子だったが、その表情にはどこか満足げな色が浮かんでいる。
「まったく……本当にお疲れを知らない方なんですから」
「まあな!」
悪びれもせず答えるルミエルに、天使たちは思わず顔を見合わせた。
昨夜のことを思い出したのか、三人の頬がほんのりと赤くなる。
ルミエルはいつものように静かな笑みを浮かべていた。
全く疲れた様子もなく、むしろ朝からいい運動ができたとばかりに上機嫌だ。
乱れた髪を軽く手櫛で整え、翼を一度大きく羽ばたかせると、彼はベッドを降りた。
「さて……今日は面倒な日か。」
ぼそりと呟き、神殿を出る。
今日は美の神としての公務がある日だ。正直、あまり気が進まない。
大庭園の中央には、広大な噴水があった。
水面には下界の様子が映し出されている。
生まれたばかりの赤子から、街を歩く大人たちまで。生きとし生ける人間の姿が、その水面に映っていた。
ルミエルの仕事は、この下界の人間たちに「美」を与えること。
生まれた子供たちに、それぞれ美を授ける。
だが、全員を美男美女にしてしまえば、下界のバランスが崩れる。
だから時折、微調整することもある。
「この子は母親似で」「この子は父親の面影を残しつつ、少し華やかに」——そんな具合だ。
かつて、ルミエルが気まぐれを起こし、ある時期の子供たちに過剰な美を与えてしまったことがある。
その結果、下界は美男美女だらけになり、祖父である大神ユリスに本気で叱られた。
「あんときはまいったな〜」
ルミエルは水面を眺めながら苦笑する。
今日も片手間で、適当に美を分け与えていく。
「はいはい、君はちょっと目元を優しく。……君は唇を小さめに。……あー、もういいや、適当で」
彼は、退屈そうに下界を眺め公務を執行する。
美を分け与えていたルミエルの背後から、甘い声がした。
「あらあら、ルミエル様。気まぐれはいけませんよ」
振り返ると、そこに立っていたのはイザベラ・ライトクルーズ。
大神ユリスの側近を務める大臣の一人、ガベル・ライトクルーズ大臣の妻だ。
天界でも屈指の美女として知られる彼女は、薄い神衣をまとい、その優雅な姿を惜しげもなくさらしている。
潤んだ瞳でルミエルを見つめながら、彼女は軽く微笑んだ。
「イザベラさん♡相変わらずお美しいですね♡」
そう返しながらも、ルミエルの視線は彼女の全身に向く。
イザベラはそれを察したように、そして何食わぬ顔で、ルミエルの隣に腰を下ろす。
距離が近い。
彼女は脚を組み替え、意図的に豊かな胸を強調するような仕草をする。
「ルミエル様ったら、そんなにじろじろ見て。……悪い子ですね♡」
イザベラはゆっくりと顔を近づける。
「でも……私も、ずっと気になっていたんですよ。ルミエル様のこと♡かわいくて、でもどこか男らしくて♡」
次の瞬間、柔らかい唇が重なった。
幸い、この時間の大庭園に人の気配はなかった。
唇が離れると、イザベラはルミエルを見つめ、くすりと笑った。
「ふふ♡ 今日、私の自室にいらして♡」
「旦那様は今日、ユリス様のところでお仕事なの♡
たぶん、今夜は戻らないと思いますわ♡」
その言葉に、ルミエルは少し驚いたように目を瞬かせる。
イザベラはそんな彼を見て、楽しそうに微笑んだ。
「どうかしら♡?」
「……いいですね♡」
ルミエルはそう答え、彼女の手を取った。
二人は顔を見合わせると、誰にも見つからないよう、静かに大庭園を後にした。
その日の夜。
大きなベッドの上で、ルミエルとイザベラは静かに向き合っていた。
互いに顔を寄せ、言葉を交わすこともなく見つめ合う。
やがて距離がなくなると、二人の間に流れる空気が変わった。
「……っ、ルミエル様。」
イザベラの声が小さく響く。
普段の優雅で気品に満ちた姿は、そこにはなかった。
大臣夫人としての立場も、周囲の目も忘れ、ただ一人の女性としてルミエルの前にいる。
イザベラは頬を赤らめ、ルミエルから視線を逸らした。
「もっと……そばにいて。」
「いいんですか? 大臣夫人が、こんな顔を見せて。」
ルミエルは少し意地悪く笑う。
「そんなこと、言わないで」
イザベラはそう言って、そっと彼の胸元に身を寄せた。
「今夜だけは……あなたのそばにいたいです♡」
ルミエルは小さく笑うと、彼女を優しく抱き寄せた。
互いの距離がなくなり、二人はしばらく見つめ合う。
「ずっと、あなたが気になっていたんです♡」
「好きにして。ルミエル様の、好きなように。」
その言葉に、ルミエルは微笑んだ。
やがて、どちらからともなく顔を寄せる。
二人の間に言葉はなくなり、静かな夜だけが過ぎていった。
しばらくして、二人は寄り添ったまま静かに息を整えていた。
それでも、離れようとはしない。
「まだ、足りないですよね?」
「ええ。もっと♡」
イザベラはそう答えると、いたずらっぽく微笑んだ。
情熱的な夜は、まだ終わらない。
美の神と大臣の妻は、誰にも邪魔されることなく、天界の夜を長く過ごしていた。




