5.教皇ワシリー・バブーリン
■
「おいっ、それ以上近付くな。うわっ」
呼び止める門番をものともせずに頭を掴んで横へ退ける。尻もちをついた門番へ目を向けることなく、ゲラーシーは硬い鉄の柵を握りしめた。
ガシャン。
二人の間にある門が、行く手を阻むが、彼の視線はゴルドに釘付けになったままだ。
「おぉ、聖女ルー。お会いしたかっ……ふごぅっ」
いつの間に拾い上げたのか。ゴルドの手には、さきほどゲラーシーがとり落とした聖杖が握られていた。銀細工の施された華麗な杖が、きらめく。
「あ゙? ……あががが?」
ゲラーシーはその場で頽れ、立ち上がろうとしては再び頽れて這いつくばるのを繰り返した。
奪った聖杖で、ゴルドは門越しにゲラーシーの顎先へと狙い定めて突きを繰りだしたのだ。
強かに顎先を叩かれたゲラーシーは脳が揺さぶられて、脳震盪を起こしふにゃふにゃになっていた。
「あ゙? え゙?」
意味を成さない声を懸命に上げるゲラーシーへゴルドは冷たく言い放った。
「少し黙っていろ。いや、むしろ今すぐ帰って二度と此処へ来るな。そうすれば門番への暴行罪に関して罪に問うことは許してやろう」
鈴を転がすような、甘い声だ。しかしその言葉の内容はどこまでも強く容赦がなかった。
「あが? あ゙あ゙あ゙」
何か不満を申し立てようとしているのだろうが、目が横に振れたままのゲラーシーの口から洩れる音は未だに意味を成すことはない。
「さすが、神の御遣い。聖女ルーは見目とは違って、手厳しい御方のようですね」
ぎぃっと蝶番が軋む音がした。
箱馬車の中から、金地に紫の刺繍が入ったローブを身に着けた老人が降りてきた。
ざっと、地面で転がり続けているゲラーシー以外の教会関係者たちが、両手を汲んで地面へと額づいた。
「……教皇ワシリー・バブーリン」
「おぉ、これは感激です。聖女ルーが私の名前をご存じだとは!」
背の高い帽子を被っているからだろうか。痩せた背の高い老人が、わざとらしいほどの笑顔を浮かべて、両手を広げた。
枯れ木のごとき細い身体で、瞳だけが爛々と光ってゴルドを見つめている。
ゴルドは負けじと睨み返して、その言葉を斬って捨てる。
「ここに、聖女ルーなどという名の者はいない」
「ふふふ。貴女の魂が誰のものであろうと、神の御遣いとなられて地上に降り立っていることとは、何の関係はないのですよ。民草には分かりやすい記号が必要なのです。聖女ルー」」
聞き分けのない幼子へ教え諭すような態度だった。
ゴルドの眉間に皺が寄る。
「俺は、俺だ。噓偽りの欠片なく、ゴルド・ドルバガである。俺は俺の意思によってわが身を捧げて神の御業とこの身体を神より授かることとなった。それを受け入れたくない者がいようと構わない。だが、それを善しとすることはせぬ」
ゴルドが神の御遣いとなった理由も。目の前の男には何の関係もないのだと、言外に突き付けた。
「確かに。神より御力を授かったのは、貴女ご自身だ。ですが、本当にゴルド・ドルバガ本人の力だけで成し遂げたとお思いか。そうしてこれから先も、自分ひとりの想いだけで、この世界の平和を維持できると?」
「俺が神に祈ったのは、我が主アレクサンドル大王の命の継続、ただそれのみ。世界の平和は、それを叶えるための術でしかない。他の誰が否定しようとも、それが真実だ」
そう。実際のところ神からのオマケなどですらないのだ。
ゴルドは魔族との戦いでアレクサンドルの命が奪われないことを願った。そうして神は、それが叶うようにしてくれた。
魔族との戦いが続けば、再びアレクサンドル様は、命の危険にさらされる。
いいや、間違いなく前線に立ち続けるあの御方の命は奪われることになる。
ゴルドの願いを叶えるためには、この地より魔族を完全排除するしかなかった。そう神が判断したというだけ。
ただそれだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。
「なるほどお若い。清濁併せ呑む胆力がなければ、せっかく神の御助力により成就した大願を、再び失うかもしれないとは考えられませぬか」
「……何が言いたい」
「ほんのお節介ですよ。視野を狭く持つのは危険、だと教えて差し上げたいと思いましてね。手に入れたと思った幸せが指の間をすり抜けていくのはあっという間なのですよ」
ギラギラとした瞳だ。口からでまかせを言っているだけだと思う気持ちもあった。
だが、それだけではない何かを感じて、ゴルドはワシリー・バブーリンへ身体を向けた。




