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4.聖女ゴルド・ドルバガ



 真剣にゴルドへの扱いの不当さを訴えられ、何とも言えない沈黙が広がる。


 根本的な誤解をどう解けばいいのか。

 ゴルド個人を知っているラザルの誤解が解けたのも昨夜のことだ。


 すぐ身近な存在ですら信じられない変化がゴルドの身に起きたのだという事実を、碌にゴルド自身を知っている訳でもない第三者に理解させる難しさにその場にいたアレクサンドルが秀麗な額を押さえた。


 だが、ゴルド本人は悩むことも何もなかった。


「デチモ王子が認めなかろうと、俺がゴルド・ドルバガで間違いないです」


 淡々とした言葉に出鼻をくじかれて、デチモは優しい笑顔をゴルドへ向けた。


「そのように、押し付けられた偽りを口にする必要はないのです、聖女ルー。安心してください。我が国があなたのこれからの人生を庇護します。決して、あなたの生き方を勝手にどうこうしようとしたりしません」


 パシン。


 再び手を取ろうとデチモが伸ばしてきた腕を、今度こそゴルドは強く払い退けた。


「それと、俺を“聖女ルー”と呼ぶのはやめて貰えませんかね。聖女と俺を、別の存在だと思いたい人がいるならそれでもいいかと考えたこともありました。ですが、そのせいで我が主アレクサンドル様の御名(みな)に傷がつくのは、実に耐え難い」


「聖女ルー……そんな。そのような偽りを口にする必要は、無いのですよ?」


「その偽りの名で俺を呼ぶな。俺は、ゴルド・ドルバガ。神の御業を行使する為に神の御姿を写し取った今の姿となりはしたが、中身はそのままゴルド・ドルバガだ。アレクサンドル大王の忠実なる臣下、ゴルド・ドルバガ騎士団長。その誇りを汚そうとするならば、これまで培ってきたすべてを神への贄を捧げた身であっても、たとえ同盟国の王太子が相手であろうとも、全力で抗わせていただく」


 鈴を転がすような愛らしい声が、早朝の訓練場へ響いた。

 銀色の髪がまるでゴルドの怒りを映すように、朝陽を浴びて輝いていた。


 まっすぐと、長い睫毛に縁どられた大きな瞳に強く睨みつけられても、正直かわいいだけだ。

 


 しかし、それでも少女の言葉に確たる想いがあることだけは、デチモにも伝わってきた。


 ──自分は、何か大きな間違いをしているのではないか。


 そんな不安が湧き上がってきたが、それでもデチモの目の前に立ち塞がる愛らしい少女の姿が、そんな疑念を吹き飛ばしてしまうのだ。


 この少女が、あの悪鬼の如き赤毛の将軍と同一人物であるはずがない、と。



「ゴルド。お前の忠義を疑う者など、この俺が退けてやる。必ずだ。報復を受けさせる」

「いいえ。これは俺自身の誇りです。俺という存在を否定する輩は、俺の手で排除してみせますよ」


「馬鹿だな。言ったであろう? 乙女の身体は柔らかくできているのだと。力仕事は俺に任せておけばいい。お前の尊厳は、俺に守らせてくれ」

「アレクサンドル様」




 目の前で繰り広げられる会話が中途半端に耳に届いて考えが纏まらず、苛立った気持ちのままデチモは叫んだ。


「えぇい! この俺様が考え事をしているのだ。イチャイチャイチャイチャしてないで、少しは黙ってろ!!」


 その言葉を、誰と誰の会話に向かって発してしまったのか。

 そんな簡単なことすら、考えることができなかったのだ。


「あぁん? なんだ、もう一回言ってみろ」

「あっ──!」



 ・・・・・。



「しゅびばしぇんれひた」


 せっかく特効薬で治して貰ったはずの箇所が悉く元通りになっていた。


 ぐらついた歯も、頬の内側に微妙に刺さっている。それだけは手心を加えて貰ったらしいとデチモは痛みの中で理解した。


 だって今度は、奥歯が抜けてない。どの歯もグラついているだけだった。


 舌先で歯が健在なことを確かめながら、デチモは己の失敗はどこにあったのかを考えようとした。


 だが、身体中が痛いし、やめた方がいいと分かっているのにぐじゅぐじゅになっている歯茎を舌先で押してしまうので、やっぱり考えが纏まらなかった。

 押す度に口の中へ広がる鉄錆の味のせいで、吐き気がこみ上げてくるせいかもしれないし、ギュッと押した瞬間に歯が抜け落ちてしまうのではないかという恐れ、そして『おい、今すぐ舌先で押すのヤメロ』という脳からの指令を舌が聞き入れようとしてくれない葛藤のせいかもしれない。


 自傷行為に耽っている間は、その恐怖で目の前に立つ黒き邪神が発するオーラの恐怖を直視しなくていいからかもしれない。


 いやどちらかというと、美しく可憐な少女が目に涙をためて訴えている言葉を自分が否定しているということが一番心にくるのだと、本当はデチモにも分かっていた。


 ──彼女は、本気だ。本気で自分を、ゴルド・ドルバガだと信じている。

 いいや、違うのだ。

 聖女ルーは、ゴルド・ドルバガの生まれ変わりとして生きる覚悟を決めているのだ。


 美しい瞳が、デチモに向かってそれを訴えてきている。

 その想いを嘘だと否定することなどデチモにはできなかった。


「聖女ゴルド・ドルバガ。私が悪かったのです。あなたさまの想い、確かに受け取りました。これまでのご無礼の数々、心より謝罪いたします」


 デチモ的にはそう告げたつもりだった。

 だが、愛らしい少女の覚悟をデチモが正しく(もなんともなく)受け止めた時、ぐっと奥歯を噛みしめた。顎に力が入った。奥歯に力が入り過ぎて、舌先で押しすぎた歯茎が、思いを告げようとした瞬間、決壊した。


「ぐはぁっ!」

「「「「ぎゃーーー! ホラー!!!!」」」」


 歯茎からの大量出血。口元から折れた歯の混ざった血反吐を吐き出す同盟国の王太子の図は、それまで遠巻きにしていた騎士たちの心臓を潰しにかかった。






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