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5.ベルターニャ国王太子デチモ第一王子



 失血により失神してしまったデチモを王宮内へと運び、王宮医師の手で処置を施す。

 薬を嗅がせて一段深い眠りに落とした後に、医師の手で抜けた歯を元の位置に戻し、歯茎や裂けた口内が縫い合わされた。


 デチモは夜中に何度か痛みで目を覚ました。その度に、自分が全身を拘束されていることに絶望した。そうして怖い顔をした男(医師)から『絶対に喋ろうとしない事。喋ったり噛んだりしようとした場合は、顔も歯も元通りにならないと覚悟してください』と宣告させられた。拘束だけでなく恐怖で固まり動かない身体で何度も小刻みに頷いて、必要最低限の栄養を摂るための流動食と排泄などの介助を受け、それが終わるとまた薬で眠らされた。


 思い出すとちょっと……いやかなり自尊心が削られるので、すべて無かったことにした方が良さそうだとデチモはその辺りの記憶すべてに鍵を掛けることにした。


 そうやって何度も薬で強制的に眠りに落とされること3日。



「おぉ、すごい」


 鏡に映る自分の歯が綺麗に並んでいる所を確認して、デチモは感嘆の声を上げた。

 正直なところ義歯も覚悟していたのだ。


「粘膜組織は修復力が強いですからな」

 自分の仕事に満足した医師が笑顔で言う。

 医師の見立て通り、デチモの歯は元通りの位置へと収まっていた。


「口から吐き出した血だまりの中でピクピクしていた時にはもうダメかと思ったんだがな」

「そうですね。あの顔がほとんど元通りになるのですからなぁ。我が国の医療はすばらしいですな」


 どんな状態だったのだろうと想像して、デチモはふるりと身体を震わせた。本当に、治って良かったと思う。


「ごほん。デチモ殿下は運が良かったのです。抜けた歯はすべて回収され、そのすべてに歯根が残されたままでしたからな。歯根が破損していた場合はこうも上手く処置できないところでした」


 医師が、今回どれだけ運に恵まれていたのか細々と説明する。

 放っておいたら次はもっとひどい怪我でも、今回のようにすぐに治せと無理難題を押し付けられるかと戦々恐々としたのだ。


「俺の殴り方が良かったということだな」

「俺がちゃんと抜けた歯を拾っておいたからでしょう」


 原因ふたりが自慢げに競い合う。デチモはそれを胡乱(うろん)げに見つめたものの、そもそも殴られたのは自分の不法入国が原因であったと理解していたので何も言い返さずに口を閉じた。

 そうして、きちんとした治療が受けられたのは間違いないので礼を述べることにした。


「治療していただき感謝いたします、アレクサンドル大王。同盟国であるということに甘え、不法に訪れた私に寛大な処置をして下さったことにも感謝いたします」


「気にするな。後でベルターニャ国へ請求書を送るだけだ。覚悟しとけ。貴重な薬をたんまりと使ったそうだからな。今、計算を出させているが、間違いなくべらぼうな額になる」

「うぐっ。覚悟しておきましょう。3日に渡る看病、まことに感謝いたします」

「まだ部屋から出るなよ。傷が開いて出血しても、今度は治療させねーからな」

「はい。心得ておきます」


 入国に関する手続きなどが済むまでの軟禁と兼ねていることは、本人には通告されていなかった。特に問題はない。口に出されずとも、今ここに一緒に連れてきた側近がいないことから、デチモにも分かっていた。


「なんだ。妙に聞き分けがいいな?」


 あれだけ大騒ぎしたデチモが素直な対応をすることに、アレクサンドルが目を眇めて見つめてきた。口調こそ柔らかいが、その視線は鋭く冷たい。

 アレクサンドルの視線から逃れるように、デチモは窓の外へと視線を向けた。


 空は青く澄み渡っていた。


 魔族に襲われている間は、いつ切れるとも知れない黒く低い雲が深く立ち込め、陽射しを望むべくもない日々だった。

 奴等が、どこからやってきたのか。どうして人間たちを襲うのかも、未だに分かっていない。


 ただ、ある日から国を跨いで人間を襲うようになっただけだ。

 人には持ち得ない膂力を振るう。角や尾、鋭い爪で人々を屠る敵に適うはずもなく、信頼する友も臣下も守るべき民をも、失い続ける毎日に疲弊するばかりだった。


 諦めかけた時、人類の光として立ち上がった勇者。それがアレクサンドル大王だった。


 一部では黒い邪神と呼ばれているという同盟国の若き盟主。

 親兄弟をその手で屠り、王の座を手にしたという噂どおりの、勇猛さというより蛮勇のままに、戦線の先頭に立ち自ら剣を握り、相対した。

 その合間には狼狽える国々を纏め、魔族に対抗する旗印となった男。


 それでも、たったひとりの人間の剣技で、魔族の軍勢を退け続けることはできる筈もなく。

 ジリジリと戦列は押され、領地は削られていくばかりだった。


 そうして運命の日。

 神への祈りが届いたと聖女さまが御降臨されて、人間の住む場所を護る防壁が造られたとだけアレクサンドル大王の署名で知らせが届けられたのだ。


 消えた魔族がどこに行ったのか。それすら分からないまま。


 何もわからない不安を押し退けるために、デチモは同盟国相手であるとはいえ不法に入国をしてしまった。それが、自国ベルターニャのためだと信じていた。

 その思いは今も変わってはいない。


 だが、だからといって聖女さま御本人の気持ちを無視することは許されないのだと理解したのだ。


「……そうですね。本音を言えば、今でも聖女る……聖女さまを、我が養女として迎え入れ、いつか私の眼鏡に適う素晴らしい男性へ嫁に出すという夢を捨てた訳ではありません。ウチの可愛い娘たちの義姉として、幸せに暮らさせて差し上げたいと今でも思います。えぇ、心から! ……ですが、そんな私の気持ちよりも、聖女さまの御意思が最優先だと。私は反省したのです。聖女さまの御心が見えていなかったのだ、と」


 所々ツッコミを入れたい箇所はあった。だが、怪我人相手にツッコミを入れるのもな、とゴルドは黙ることにした。


 アレクサンドルとしては、ここで理解させる必要もなく、とにかく早く国に帰してしまいたかった。なのに。


「聖女さま。アレクサンドル大王に、ご家族や友人を人質に取られている訳では、ないのですね?」




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