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「あ、いたっすよ先輩。」
「うわぁ・・・。何してんだあいつ・・・。」
レスタが指さす先に見える幼馴染みの姿に、ボーダンは思わずドン引きした。食堂を出てすぐの廊下の窓から見える中庭で、ハウディが倒立腕立て伏せをしていたのだ。重心はまったくブレず身体は綺麗に逆さのまま、涼しい顔で腕を上下に動かしている。
「あんな目立つ場所で鍛錬するなよ・・・。」
先程から昼食を終え食堂を出て行く者達がチラチラと気にしながら廊下を通り過ぎていく。ボーダンにとってハウディの奇行は日常茶飯事だが、まだ慣れていない者もいるだろうに。
「ハウディ隊長はどうされたんでしょうか・・・?」
アロイがそう心配そうに呟く。竜騎士団による洗礼を受ける哀れな新人二人の結末を見届けること無くボーダンとレスタは食堂を後にした。その食堂を出た先で戸惑っているアロイと会い、さらに奇行に走るハウディを発見した訳だ。
「最近のハウディ隊長、どうも様子がおかしくて・・・。私と婚約者は普段どんな話をするのかとか、告白や求婚はどちらからとか、今まで訊かれたことも無い質問ばかりされるのです。」
まさかあのハウディが恋に目覚めて今は筋トレで精神統一を図っているなど、夢にも思わないだろう。上官を素直に尊敬する忠実なる部下には少々伝えづらい話である。
「まあ、私は彼女の話を思う存分語れて大変楽しいですが。」
そういえばこいつ、ハウディやその上位互換のようなハウディの父親の下でずっとやっていけるような奴だった。いらぬ心配だった。
「そういえば、ハウディ隊長はもう昼食はお済みに?」
「いや、注文したはしたんすけど、ほとんど食べてなかったっすね。」
「では、私はサンドウィッチでも買って来ますね。失礼します。」
そう言ってアロイは現在局所的地獄と化している食堂に入っていった。大変良く出来た部下である。
「にしてもディー先輩、今からあんなんで明日持つんすかね?」
「体力気力お化けのあいつの心配より、明日は店にどんな迷惑掛けるかの方が心配だよ俺は。」
「迷惑掛ける前提なんすね。ふふっ。」
そう暢気な顔で先輩の心配をしたり笑ったりするレスタを見ていると、ボーダンは喉に小骨が引っ掛かっているような感覚になる。
「・・・お前、さっきのはもう大丈夫なのか?」
「さっき?」
質問が何を指しているのかピンと来ていない後輩はきょとんとしている。そういう何も気にしていないようなレスタの態度が、ボーダンの苛立ちをさらに募らせる。
「だからさっきの第五の・・・。」
「え?ああ~!あれっすか?いや~、噂って中々根強いっすよね~。一回消えたと思ってもまた復活したり。」
レスタの亡くなった母が騎竜の調教師だったのは事実だが、竜騎士団長との関係は事実無根である。仕事熱心で、騎竜の為なら相手が団長だろうが言うべきことは言う気性を団長が高く評価していただけだ。どうやら異国出身の女というだけで当時の嫉妬深い同僚の反感を買ってしまい、そんな噂が流れたらしい。
「でも、ちょっと皆、気にし過ぎっていうか、過保護っていうか・・・。あんなんよくある噂じゃないっすか。私だけじゃなくって他の人もいろいろ言われてるし、先輩だって耳タコでうんざりっすよね?だから一々・・・。」
「耳タコでも一々やり返すぞ俺達は。お前のことで一回だって許容出来ねえんだよこっちは。」
ぐだぐだと言い募るレスタの言葉をピシャリと遮り、そう宣言するボーダン。ただの噂であろうと、この女への無責任な悪意が垂れ流される様を黙って見ているなど、到底出来ないのだ。ボーダンも、あの竜騎士達も。
ボーダンの強い眼差しを受けて、耐えられなくなったのか、レスタの目線が泳いで徐々に逸れていく。
「それに毎回でもちゃんと否定しなきゃ、言っていいって勘違いする馬鹿がいつまでも沸くだろ。」
「まあ、上がナメられちゃ規律がアレっすもんねぇ。」
レスタはそっぽを向いた状態で指を忙しなくこね出す。この時、ボーダンが見えているのはレスタの右後方で、自然と目が行くのは隠された右耳だった。
「レスタ。手。」
「は?」
「いいから手、出せ。」
言われるままにレスタは手の平を見せるように両手を差し出す。そこにポンっと置かれたのは箱だった。高級感のある革製の長方形の箱に首を傾げる。
「何すかこれ?」
問いかければ今度はボーダンがそっぽを向いてしまった。訝しみながらも、とりあえず開けてみるレスタ。中もこれまた高級感のある絹の布張り、そこに鎮座していたのは。
「イヤーカフ?」
それも右耳用のイヤーカフだ。橙色に近い金色の茎や葉、要所に咲くガーベラが、耳全体を守るような意匠になっている。
「何すかこれ?」
同じ台詞を繰り返せば、ボーダンが明後日の方向を向いたまま絞り出すように答えた。
「さ、さりげな~いプレゼント?」
レスタはもう一度、己の手に置かれた箱の中身をじっと見る。
「さりげな~い、っすかね?これ?」
「うっせぇ…。」
先週、花屋の帰りで唐突に思い立ち、頼んで作ってもらった特注品だ。さりげないをぶっちぎってかなり重いことはボーダンも自覚している。
矯めつ眇めつ見回した後、レスタはイヤーカフを手に取り、髪を払い右耳に付けてみる。
「似合うっすか?」
その声にチラリとレスタの方を見ると、右耳を覆うイヤーカフはその下の黒い傷痕の存在感を薄めてくれている。ボーダンは「・・・・・・まあまあ?」と呟いて、また反対方向に顔を背けた。その先輩の様子に、レスタはニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「ええ~?」
顔を覗こうとレスタは回り込むが、その動きに合わせてボーダンも顔を背けてしまう。
「ちょっと先輩~?何で顔見せてくんないっすか~?」
レスタが右に回ればボーダンは左へ、左へ回れば右へと、顔を見たい見せたくないの二人のくだらない攻防が繰り広げられる。
「いつから持ってたんすか~?もしかしてずっと渡すタイミング伺ってた感じっすか~?ねえ、どうなんすかダン先輩~?」
「うるっせえな!!」
レスタのダル絡みに一喝したボーダンは、その時、背中に殺気を感じた。
「シリウスの小僧。」
重厚に響く己を呼ぶ声に、ボーダンは瞬時に固まった。声の主を想像して、ゆっくりと後ろを振り向けば、そこには想像をさらに上回る光景があった。
巨人族武の民の血を半分引く全身古傷だらけの大男が、魁偉の集団をズラリと引き連れ立っていたのだ。
竜騎士団長フォルス=ティマルクと、彼の御仁が率いる精強なる竜騎士達である。いつの間にここに。竜騎士達は先程まで食堂で新人達に絡んでいたし、ティマルクは食堂にさえいなかったのに。
「あっ、団長お疲れ様っす。」
「うむ。」
「「「アリーズ隊長!!お疲れ様です!!」」」
「お疲れ~っす。」
ボーダンの陰からひょっこり顔を出したレスタが、上官や部下達と緩く挨拶を交わしている。威厳と迫力を備えた声と、雄叫びのような何重もの野太い声を聞きながら、ボーダンは冷や汗が止まらなかった。
ティマルクは後ろの強面共より三分の一は大きい上、常に何倍もの威圧感を発している。今はさらに、その鋭い眼光でボーダンを射貫かんばかりに見下ろしていた。獅子のたてがみのような蓬髪と、髭に覆われた口元がゆっくりと動いた時、ボーダンは心臓の嫌な音を聞いた。
「まだ少々早いが、貴様も共に演習に行くか。シリウスの小僧よ。」
ボーダンにそう告げた瞬間、ティマルクの目が確かに光った。後ろの竜騎士達の目も怪しく光っているように見える。
「いや、まだ昼休憩終わってないですし・・・。」
「遠慮しないで下せぇよシリウスの坊ちゃん。」
「ちょいと、このおっさん共に付き合ってやって下さいよ。」
「悪いようにはしませんぜ?」
「安心して下さいせぇ。一人じゃありやせんから。」
不気味な笑みを浮かべながら、竜騎士達は退路を塞ごうと囲い込んでくる。よく見れば例の野兎二匹が、魂の抜け切った顔でそれぞれ首根っこを掴まれているのに気づいた。
このままでは奴らの二の舞だ。どうにか回避せねばと後退ろうとした時、逞しい腕が肩に乗せられた。
見上げれば、つるりとした広い額が眩しい竜騎士団第一部隊副隊長バルディエル=フォーマルハウトだった。土魔法の名家に生まれながら、わざわざ地上から離れ、空へと飛んだ変わり者である。他の竜騎士達と負けず劣らずの強面に張り付けた満面の笑みが、凄みを発している。
「それで?フォーマルハウトと違って?何だって?」
「いや、あの・・・。」
「おっさんに判るようにご説明頂いても構わんですかねぇシリウス隊長?先祖代々、何の一族だって?」
そちらは自分が言ったのでは無い。言った当人をチラリと見やると「すいませんっす。てへ!」と口の動きだけで伝えてきた。それで、この後輩が先週の花屋での発言をよりにもよってな人物に流出させたと察した。何だ「てへ!」って。笑って誤魔化そうとするな。
そうして為す術も無く屈強な竜騎士達に引きずられていく三人を、レスタは敬礼で見送った。




