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「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ。」
「は?」
芝居がかった弾んだ声に、ボーダンは怪訝な声を上げた。この状況で、突然、何を言い出すのだこの後輩は。
「何でもこの台詞を言ったら殉職率が九割越えるそうっすよ。」
「いや、眉唾だろ。どこからの情報だ。」
「この間、第五の暴走小僧からっす。」
「あの人の言うこと九割出鱈目じゃねえか。」
彼の先輩はもう小僧と呼ばれる歳でも無いのに、このような子供っぽい悪戯をボーダン達後輩に度々仕掛けてくるから困ったものだ。
「ちなみに先輩、結婚のご予定は?」
「ある訳ねえだろ。」
「ですよね~。私も無いっす。」
ケラケラと楽しそうに笑うレスタに、ボーダンは自然と眉間に皺が寄った。
「判ってんなら何でそんなこと訊くんだよ。」
「だってこんな決死の作戦前は少しでも不安要素消しとかないと。ねえ?グウェン?」
そう言って竜騎士のレスタが己の愛騎竜を撫でれば、名を呼ばれたグウェンが同意するようにグルルッと喉を鳴らす。二人用の鞍を着けられた時は機嫌が悪そうだったが、レスタと空を駆けている内に機嫌が良くなってきたようだ。
ボーダンが普段乗る騎馬と背の広さが断然違う騎竜は、前の鞍にレスタ、後ろにボーダンを乗せてもまだまだ余裕があった。グウェンは白い鱗を煌めかせ、大きな羽根で力強く飛んでいる。その周りでも多種多様な色の鱗を持つ騎竜達が騎士を乗せ飛び回っていた。
その眼下に広がるのは、ステラリアのかつての王都、旧都セレーン。誰もいないはずの廃墟は現在、全体を黒いもやで覆われ、巨大な黒い半球が鎮座しているように見えた。呪力の素である呪素が広がらないように球体の結界を張られているのだ。呪素が可視化出来る程濃く蔓延している状態は人為的、つまり呪術士の仕業に他ならない。
かつて、呪王と呼ばれる呪術士達の王が、呪王大戦を引き起こし世界中に呪いを撒き散らした。しかし勇者に呪王が討たれたことで、呪王軍は壊滅。それから三十五年の間、呪王軍の残党が潜伏しながら呪王の復活の為に細々と暗躍していた。どうやら今回の首謀者も、その残党らしい。
セレーンが呪素に覆われてから既に二日は経っている。呪素に触れれば命の危険もある為、呪素の中を探るのも難しい。一体、何が目的でこんなことをしでかしたのか。呪術士の天敵である“破邪の聖女”が亡くなってすぐにこれである。もしかするとこれは、呪術士達が活発に動き始める予兆かもしれない。
「ったく、こんな頭おかしい作戦、誰が考えたんだ。」
「先輩の直属の上司っすね。」
当初、聖騎士や光の神官や神殿騎士による浄化が試された。だが多少の効果はあっても時間が経てば呪素が回復してくるので、セレーンすべての呪素を浄化し尽くすのも、呪素の発生源を探るのも難しい。
その時、“紅蓮の獅子卿”の元腹心かつ現第三騎士団長は「偵察も浄化も難しいなら、もう結界で固めてさっさと封印しちゃいましょう。中に何があろうがどうせロクでもない物だろうし。」と進言。例え中に人がいようがこんな濃い呪素の中でまともでいられるのは呪術士のみだろうし、臭い物は蓋とばかりに作戦が決まってしまった。
呪素は通常、地を這うように移動するので、何かあった時の為に作戦参加者は竜騎士と共に騎竜に乗って地上から離れ、更に呪素が漏れ出た際の対処として聖騎士達も待機しておく。そして結界魔法持ちのボーダンや、結界魔術を使える者が同時に結界を展開、封印魔法持ちの第二騎士団長とその娘であるハウディが封印を施し作戦終了。乱暴にも程がある。
「呪素が漏れて来たらマジ頼むっすよ~先輩。いくら騎士服に呪素対策が組み込まれてたって限界あるんすから。」
「判ってるよ。任せとけって。」
「ほんとっすよ?信じてるっすからね?」
そう何度も念押しし、後輩は前に向き直った。その際、レスタの後頭部で結ばれた馬の尻尾のような髪が揺れる。長く艶やかなその黒髪の動きをつい目で追い、ボーダンは名残惜しくもそっと目線を反らした。
その時ふと、眼下の闇がわずかに蠢いたように見えた。不穏な気配に、例の黒い球体を覗き見る。すると、ざわりと背筋に悪寒が走った。次の瞬間、球体から幾筋もの黒い棘のような物が放射状に発射された。
ボーダンは即座にグウェンごと覆う結界を展開した。右腕に巻いた白地に白い糸で刺繍が施された布は、呪素を抑える為に浄化の術式が組み込まれた浄化布だ。作戦前に全員に支給されたこの布によってボーダンの結界は呪素を弾く効果が付随される。
黒い棘は断続的に結界を何度も攻撃してきた。周りの騎士達も同様に結界で防いでいるようだが、とかく数が多い。
数十秒の膠着の後、前に向いていた意識が、後ろの違和感で引き戻される。素早く後方を確認すると、折れ曲がった棘が見えた。よく見れば折れているのでは無く、棘の先にまた棘が生えているのを繰り返して前方から方向転換して来ている。棘が結界に接した部分から徐々に黒く変色していく。己の結界が、破壊されているのでは無く、腐らされているのが感覚として判った。
これは腐呪毒だ。食らえば全身が黒く染まり腐り果てる、特効薬の存在しない毒だ。対抗出来るのは“破邪の聖女”の浄化のみ。現在は失われたはずの腐呪毒を操れる唯一の人物に思い至った時、ボーダンに戦慄が走った。
早急に腐呪毒に対処出来る結界を張り直す必要がある。浄化布が、注がれる毒に悲鳴を上げるように黒いシミが滲んできた。
前方から呪素の棘多数、後方から腐呪毒と意識が割かれる中、唐突に下からの違和感が這い上がってきた。
間に合わない。そう頭の中を過った時、閃光のような速さで下から黒い線が、レスタの右耳を射貫いた。
驚いたグウェンがその場から逃れようと急旋回しかけ、レスタが落ち着かせる為に手綱を引く。その右耳からは、蠢く闇が内側へ侵食しようとしている。
その時のボーダンは、流れる血が沸騰する程熱く感じるのに、頭は酷く冷静だった。ただ、己の為すべきことだけが見えていた。
浄化の術式が組み込まれた結界を、レスタの右耳に展開。そのまま一気に圧縮させた結界が、レスタの右耳を弾け飛ばせた。
色取り取りの花々が、儚い美しさを誇り精一杯咲いている様を前に、ボーダンとレスタはしかめっ面を並べていた。
二人は喫茶“ディアロア”から程近い花屋にやって来ていた。ハウディが薔薇の花束を買ったお高めの花屋では無く、庶民向けの普通の花屋である。
ハウディの感性に任せるのは危険と判断し、祝いに贈る花は二人が用意することになったのだ。しかし、ここに来て二人は予想出来たはずの緊急事態に陥っていた。
「それで?どれがいいんだ?」
「何で私に訊くんすか。先輩が選んで下さいよ。」
「こちとら花なんかまったくの門外漢だぞ。」
「私だって何が何やらさっぱりっすよ。これ初手の人選ミスりまくりっすね。」
如何せんボーダンもレスタも花を贈るような経験が不足していた。ゆえにどの花を選べば良いかまったく見当もつかない。一応、各騎士団の紋章に使われている花の名前は知っているが、僻地や危地に咲いているような花ばかりなので、こういう一般的な花屋には出回っていないだろう。
例えば、ボーダンが所属する第三騎士団の紋章は夕紅蓮と言う。池の泥で育ち、花が咲くと周りの温度が上がり、池がマグマのように沸騰する。また、ハウディが所属する第二騎士団は月華氷刃、極寒の地に月の光を浴びながら刃のように鋭い氷の花弁を咲かせる。どちらもうっかり手を出そうものなら火傷や切り傷程度では済まない、取り扱い注意な危険な花である。
そもそも人選ミスと言うなら、恋愛経験値底辺の三人が寄って集って無い知恵を絞っている時点で、作戦として詰んでいた。
「しかし、ディー先輩って恋するとあんな風になるんすね。知らなかった~。」
「俺も二十年以上一緒にいて初めて知ったよ。」
何なら一生知らなくても良かった。知らなければこんな面倒な真似する羽目にはならなかっただろう。
「私、正直恋するってよく判んないすよね。家族や友達より大事な好きって、どんな感じなんすかね?」
そう言ってレスタはしゃがんで名前も判らぬ青い花や黄色い花を交互に見たりしながら、頭をひねる。
レスタの言葉にしては珍しい内容だった。それだけ、同じく恋愛音痴と見なしていたハウディの恋する姿が衝撃的だったのだろうか。
「…より大事、ってことは無えんじゃねえの?好きの種類が違うだけで。」
ぽつんと呟いたボーダンの言葉に、きょとんとするレスタ。しかし、ハッとして立ち上がりボーダンに詰め寄った。
「・・・先輩、恋っすか?誰っすか?私も知ってる人っすか?」
そう矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。
「何だよ急に!」
「だって訳知り顔でそんなこと言うとか、らしくないっすよ?こりゃディー先輩に続いて先輩にも春が…!」
「違えよ!」
「ええ~、教えて下さいよ~。」
ボーダンの腕を掴んでブンブン揺らし、ウザ絡みしてくる後輩を苛つきと共に見下ろす。その時、右側の髪がほんの少し揺れ動き、隠れていた右耳が見えたような気がした。
「…・・・・・・髪、邪魔じゃねえのか?」
「え?だから結んでんじゃねえっすか。」
「前は後ろで結んでたろ。」
以前のレスタは後頭部の上の方で一纏めに結んでいた。馬の尻尾のように揺れていたそれは、今は右耳を覆い隠すようにまとめて緩く結んでいる。
レスタの右耳については、ボーダンの中で苦い記憶と密接に結びついている。
三ヶ月前、当初の計画通り呪素を封じ込める作戦は成功した。だが死者は出なかったものの、混成部隊の一割が呪毒を受けた。幸い皆すぐに治療され回復したが、それでも完全に元通りとはいかなかった。
レスタの右耳は神官の再生治療によりすっかり元の形を取り戻し、聴覚にも何の異常も無い。しかし、壁に走るヒビのような黒い傷痕が右耳を覆っている。
呪毒を受けても綺麗に治る場合もあるが、大抵はこのような呪痕が一生残る。
腐呪毒が回って身体が腐り落ちる前に毒を食らった箇所を切り離す。“破邪の聖女”がいない今、あれが最善の方法であったし、あの時の自分の判断は間違っていないと断言出来る。何度あの時を思い返そうと、時間は巻き戻せやしない。あれがあの時の己の実力だったのだ。受け入れろ。
そう納得しようとしても、何度も後悔を重ねては、繰り返しこの後輩の右耳を目で追ってしまう。
「あ~…。」
そしてボーダンが気にしていることを察しては、この後輩は気まずそうに目を反らすのだ。
「まあ、わざわざ怖がらせるのもね。説明するのも面倒だし。てか、先輩、そんなん一々気にしてたらハゲるっすよ?」
「ハゲねえわ。ウチの一族は強制的に幼馴染みの手綱握らされることと毛根の丈夫さは代々折り紙付きなんだよ。フォーマルハウトと違って。」
「先輩、そんなこと言っちゃ駄目っすよ。先祖代々ハゲの一族とか。」
「そこまで言ってねえだろ。」
「言ってるも同然じゃないっすか。」
気まずい空気を吹き飛ばしたくて、こういう場合レスタは殊更明るく笑う。
そんな風に無理に笑わせたい訳では無いのに、こんな時ボーダンはいつも気の利いた言葉一つ出てこない。そんな己を不甲斐なく思いながら、ふと見覚えのある白い花が目に止まった。
「おい、ガーベラあるぞ。お前好きだろ?こういうのはどうだ?」
「あ~、良いかもしれないっすけど、私の好みは関係無くないっすか?てか、私、ガーベラ好きって先輩に言ったことありましたっけ?」
「ほら、学生時代、死んだ母さんがガーベラ好きだったって、そんな話してたろ。」
学生時代という、わずか数年前にも関わらず遙か彼方に感じる記憶を二人は辿る。確かボーダンとレスタ、それにハウディの三人で集まっていた時、後輩の女子達が緊張した面持ちでレスタに好きな花について質問してきたのだ。
「好きな花~?そんなの特に無いけどなあ~。あ、母さんがガーベラ好きだったから、一番馴染み深いかも。」
レスタがそう答えたその後、校内の乗竜大会で優勝した際、その後輩達がガーベラの花束を贈ってくれたのだ。思いもかけずとても嬉しかったと、レスタの心に残っている学生時代の良い思い出だ。
「よく覚えてますね~。さすが“ミスティア一の伊達男”の血筋。」
「やめろ。」
何かと自分と祖父を絡めるのは本当にやめてほしい。何せ自分と祖父では髪と瞳の色以外似た所が無いのだ。ぶっ飛んだ伝説が多い祖父と一緒にされても困る。
ボーダンが辟易とし、レスタがそれを笑っていると、女性店員が「いらっしゃいませ。」と声を掛けてきた。
「本日はどのようなお花をお探しですか?」
そう尋ねてくれた彼女は二人にとっては光の神の導きだった。ポンコツ二人で頭を悩ますより専門家に訊いた方が早い。
「知人の記念日に贈って喜ばれるような花を探してまして。」
「贈られるのはお二人からですか?」
「いや、贈るのは俺達じゃなくて友人なんですが。」
「ではご友人はどのような印象の方でしょう?」
誰が誰にどのような意図で贈るかを参考に、花を選んで薦めてくれるのだろう。ゆえに、ボーダンは花を贈る側の情報を正確に伝えた。
「ゴリラですね。」
「は…?」
「あ、本物では無く、ゴリラのような、という意味でっすよ?」
「はあ、左様ですか。」
二人が的確と信じる表現に店員は少々怪訝そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して再度質問をした。
「では、お贈りするお相手の方はどのような方でしょうか?」
「小鹿です。」
「小鹿っすね。」
またもや二人が的確と信じる表現を伝えるが、店員の頭の中は更に混乱した。むくつけきゴリラが震える小鹿に花を手渡そうとする想像がぼんやりと浮かぶのみである。
勤続五年目の花屋の店員は、「一体、どういったご友人と知人なのかしら?」と内心疑問に思っていたが、それはおくびにも出さなかった。二人の接客を続け、花屋としての仕事を全うした。専門家なので。




