第三十一話 狭間の日常 都築都の場合
都の朝は早い。朝の六時には起床して朝ご飯の準備に取りかかる。これが学校のある日なら昼ご飯のお弁当を作ってからだが、最近は朝ご飯の準備をしなければ間に合わない。何故なら、都の家にはアル・アジフ達が泊まっているからだ。
泊まっているのは三人。ここに来た『ES』のメンバーの中で女性であるアル・アジフとクロノス・ガイア。そして、アル・アジフが保護者の少年が一人。
他の『ES』メンバーは近くの公民館を借りて暮らしている。
『ES』が来るまでは都は一人で広大な屋敷に住んでいた。普通に第76移動隊全員が暮らせる大きさだが、『ES』は三十人ほど来ているから無理だった。
ちなみに、都の両親は祖父は市役所に近い街の中央に住んでいる。都が落ち着いて暮らしたいと駄々をこねて一人暮らしをしていたのだ。
都が朝ご飯の準備をしていると誰かが台所に入ってくる音がした。
「都さん、手伝いに来ました」
都が振り返ると、そこには少年が一人立っていた。周よりも小さい。おそらく、十歳前後だ。
「ありがとうございます。悠人はお味噌汁を作って貰えますか? 材料は用意してあるので」
「うん。わかった」
悠人は台所の隅に置かれていた足踏み台を持ってきてそこの上に乗りお味噌汁を作っていく。その手際はかなりいい。
「お味噌汁を作り終わったらお皿を用意してもらえますか? いつもの量で」
「うん。後ちょっとで出来るから。よし、都さん。火をかけたまま置いておきます」
「ありがとうございます」
悠人は台から降りてお皿の準備を始める。
その間に都は卵焼きを作り終わり、冷蔵庫の中から納豆やお茶を取り出した。そのまま手際よく準備を済ませていく。
準備が終わったところで、眠たそうに目をこするアル・アジフと半分寝ているリースがやってきた。
悠人が料理の手際がいい理由がこれだ。二人は朝に弱い。
「では、食べましょうか」
都は自分の席についた。
朝ご飯が終わり、都が後片付けを終わらしたところ、家のチャイムが鳴り響いた。
都は少し駆け足で玄関に向かいドアを開ける。
「よっ」
玄関にいたのは周と浩平に亜紗だった。
「周様と変態さん。とそちらの方は?」
都はまだ亜紗と出会っていない。
「田中亜紗だ。オレと亜紗はアル・アジフに用事があってな。おい、変態。何も言わないのか?」
「反論しようと思ったら、男は全員変態ということに気づいた」
「アル・アジフはどこにいる?」
「スルーすんな!?」
浩平が叫ぶが都は全く気にせずに後ろを見た。
「少し待ってもらえますか。今、呼んで来ますから」
「大丈夫じゃ」
都が奥に向かおうとした時、ちょうど奥からアル・アジフが現れた。後ろにはリースの姿がある。
都がパラッと何かが捲れる音と共に振り返ると、目に涙を溜めた亜紗がスケッチブックを捲っていた。
『久しぶり』
ただ、そう書かれたスケッチブックを見て、都は周を見る。
「周様、今から出かけませんか?」
「今から? 了解。浩平は?」
「リ、クロノス・ガイアと散歩だ。昨日約束していてな。明日ちゃんと訓練に復帰するから、頼む」
浩平が真剣な表情で頭を下げる。それを見た周は小さく苦笑した。実は、周達は本来朝ご飯を食べた後にやる定期訓練をサボってここに来ている。
「仕方ないな。クロノス・ガイア、浩平を頼むぜ」
リースは頷くと靴を履いて浩平の手を取った。そして、浩平を引っ張って外に出て行く。
その姿を見た亜紗は呆然としながらスケッチブックを開けた。
『あの、クロノス・ガイアが』
「いい方向には変わっておる。まあ、不満じゃが」
「浩平は悪い奴じゃないぞ。馬鹿で変態かつ紳士だ」
「周様。確かに悪い人ではありませんが、変態で紳士は合わないのでは?」
都の疑問に周は苦笑する。そして、都に向かって周は手を出した。
「まあ、悪い奴じゃないってことを言いたかったからな。都、行こうぜ」
「そうですね。亜紗さん、ゆっくりしていってください」
『ありがとう』
都は靴を履いて周と一緒に外に出た。
狭間市の中央にはたくさんの店がある。学校も近いため食べる場所には事欠かない。今は春休み中なので学生が帰省する数も多く、閉まっている店もあるが、その中のとある一軒に都と周は入って行った。
デカ盛り専門店『豚の腹』。
紹介したのは意外なことに都だ。周は最初店を間違えたかと思ってもう一度聞いていたけど。
周はその店に入ってから店内を見渡した。
「へぇ、なかなかいい店だな」
「私のオススメですから。ちなみにオススメはトンカツ定食です」
ちなみに料金は1200円。高いように見えるがデカ盛りなので結局は安くなる。
都と周は二人並んでカウンター席に座った。
「いらっしゃい。都ちゃんは彼氏連れかい?」
座ると共にカウンターの向こう側にいる店主らしき人が都に話しかける。都が笑って返すと店主の顔がだらしなく笑った。
「違います。海道周様です。新しくやって来た『GF』の隊長です」
その言葉に店主の顔つきが変わる。
「ほう。お前が?」
「第76移動隊隊長海道周です」
「小さいのに隊長とは。よし、注文は何にする? 今ならちょっとサービスするぜ」
「では、私はいつものトンカツ定食を」
周はメニューを見て、そして、小さく頷いた。
「男のチャレンジメニューを」
その言葉に店の空気が変わる。
都は知っている。男のチャレンジメニューは究極のメニューであることを。そして、挑戦した人が食べ過ぎで倒れたことがあることを。
「周様、それは」
「オレは並みの量じゃギブアップしないぜ」
ニヤリと笑みを浮かべながら周は店主に言う。
店主もニヤリと笑みを浮かべ返した。
「サービスしてやるよ」
男のチャレンジメニュー。¥3000。※トンカツ定食、ハンバーグ定食の二つを二人前ずつ入れたもの。一人で三十分以内に完食した方はタダです。
「周様はどういう胃袋をしているのですか?」
周は男のチャレンジメニューを食べた。チャレンジメニューというよりむちゃくちゃなものだったが。
トンカツ定食もハンバーグ定食も、他の定食屋と比べて二~三倍ほど入っている。それが合計四個。さらにはサービスでご飯が倍だった。つまり、わけのわからない量を食べたというわけだ。
「いやー、食べた食べた。ありがとうな。紹介してくれて」
「もう、いいです。周様はこれからどうしますか?」
「そうだな。もうちょっとぶらぶらしないとな。夕方くらいまで」
「そうですね。あれ? 琴美?」
都は行こうとした道にいた琴美を見つけた。周と顔を見合わせて琴美に近づく。
「琴美?」
「都、に周? デート?」
「違います」
都は真っ赤な顔をして否定をするが、この場合はデートが正しいと思える。街をぶらぶらして昼ご飯を食べてまた街をぶらぶら。
都はそれに気づいているがデートとは言わない。
「そう。ちなみに私は暇だから街を回っているだけよ」
「なら、私達と一緒に回りませんか?」
「そうね、と言いたいところだけど、後一時間したら神社に戻らないといけないのよ。舞の練習があるから」
琴美は楽しそうにそう言う。それを見た周は小さく笑った。
「止めないで良かっただろ」
「頑張って良かったわ。練習は辛いけど。都、暇なら今から私に舞を教えてくれないかしら?」
「周様、いいですか?」
「都の好きにしたらいいさ」
「ありがとうございます。琴美、行きましょう。場所は神社でいいですね」
神社の境内で都は錫杖を手に舞っていた。
静かに、だけど、優雅に、前後左右に動いていく。その動きは子供の頃から練習していたというのがよくわかる動きだった。
その様子を琴美と周は見ている。
時々、錫杖をシャランと鳴らしながら都は動く。そして、錫杖で地面を叩くと同時に舞は終わった。
「さすが都ね」
「昔から練習していましたから。周様、どうでした?」
「舞というより錬舞かと思った」
舞いながら戦う技術。それが錬舞だ。だけど、都は首を横に振る。
「そこまで早くありません」
「私からすれば十分に早いから」
「琴美は少し気が早いのです。琴美がやって下さい」
都はそう言って錫杖を琴美に渡した。琴美は錫杖を受け取って都が踊っていた場所に向かう。
小さく息を吸い、動き出す琴美。
優雅さはあまりなく、静かというより激しさが目立ち、錫杖がよくシャランと音を立てる。だけど、舞に対する思いは本物で真剣にやっていることだけはよく伝わってくる。
シャランと音を立て錫杖が動く。まだ、ぎこちない部分は多いが、十分なレベルの舞だった。
そして、舞が終わる。
都と周は琴美に向かって拍手をしていた。
「私はそこまで上手くはないわよ」
「確かに、春祭りでする分には不十分ですが、琴美の今の全力は素晴らしいものでした。周様もそう思いましたよね?」
「ああ。ただ、琴美は錫杖を鳴らすことを気にしすぎていないか? だから、静かを鳴らす部分で動きを早くしてどんどん速度が上がっていく。むしろ、ゆっくり動かしたらどうだ? 動作と動作の間に間を開けるとか」
都は周のアドバイスをポカンとしながら聞いていた。
それは全て都が言おうとしたアドバイスの内容であったからだ。琴美は真剣にそれを聞いている。
都は少しだけ、下に俯いた。
「周様はさすがですね」
周囲を夕焼けが包む中、神社からの帰り道で都は周に話しかけた。
「私が言おうとしたこと全てが言われました」
あの後も周にアドバイスを全て言われた。
「さすがです」
「まあ、オレの錬舞の知識からアドバイスしただけだしな。それに、細かいところを都は見ていただろ」
「ですが」
周は都に向かって笑いかけた。
「オレにしか出来ないことがあるように、都にしか出来ないこともある。あまりくよくよするな」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
都は小さく溜息をついた。それから周を見る。
「羨ましいです。その考え方が」
「都は都らしくいけばいいさ。オレの考え方なんてなかなか出来ない」
都はそれを聞いて小さく頷いた。
周は確かに凄いけど、それは周だからこそだ。都が真似をしてもそれは違うものになる。
「周様は、今が楽しいですか?」
「楽しい」
周は即答していた。迷うことなく。
「今までこういう風に過ごしたことはなかったからな。ありがとう」
周の言葉に都の顔は真っ赤に染まった。
「あうあう」
「どうかしたか?」
「い、いえ。何も」
都は慌てて下を向く。そして、嬉しそうに笑みを浮かべた。
月を見ながら都は今まで書いていた今日の日記を閉じた。そして、日記を机の奥底にしまう。
「明日は、用事もありませんし、周様達の様子を身に行きましょうか」
周に会うことを考えただけで顔がにやける。
都は自分のこの感情に気づいていた。
「もう、好意だけでは我慢は無理ですね」
周が憧れの相手から真剣に恋する相手に変わったことを。
「周様」
夜はだんだん深まっていく。
次はクロノス・ガイアことリースです。