第三十話 狭間の日常 白百合音姫の場合
今回はいつもより長いです。
実力も能力も反則的な音姫を中心とした一日を描きました。
音姫の朝は早い。朝の五時には起床して早朝トレーニングをする。
毎朝25kmもの道のりを一時間かけて走る。もちろん、距離は感覚を頼りにしているし、速度は白百合流を知っているからこ魔術なしでの速度だ。オリンピックに出れば確実に記録を塗り替えれるが音姫にはそんなことは興味がない。
軽いランニングが終われば素振り。もちろん、白百合流の剣技の練習だ。
白百合流の神髄は抜刀からの連撃。一撃で決めるのではなく、確実に倒すための剣技。一瞬の判断で決まる戦いではなく、絶対的な練習量と実力の差が勝敗を決する要素になるのが白百合流だ。
周の場合は基本的な初歩である抜刀『紫電一閃』と抜刀返し『紫電逆閃』、燕返し『紫電連閃』の技と、要所要所で使えるいくつかの奥義を取得しているにすぎない。
対する音姫は白百合流のほとんどをマスターしている。マスターしていないのは極一部、一生かかっても習得できない可能性がある奥義だけ。
音姫は周達が鬼と戦った広場で刀を鞘に収めた体勢のまま動きを止めている。髪の毛をポニーテールに括っていたリボンは取り外している。
その唇は絶え間なく動き、何かを唱えているようだが、それは人の耳に聞こえる大きさではなく、ただ、音姫の中だけでサイクルしている言葉だった。
そして、急に風が吹いて目の前に一枚の木の葉が舞った瞬間、音姫が動く。
一歩を踏み出しながら抜刀したと思った瞬間、音姫の体が三歩ほど前に進んでいた。刀を上から降り下ろした姿のまま動きを止めている。
音姫は静かに刀を鞘に収める。
「まだまだかな。でも、だいぶ調子はいいかも。さて、弟くんの朝ごはんを食べに行こうっと」
鼻歌交じりに音姫は歩きだす。十三分割された木の葉を気にせずに。
「ただいま」
音姫が宿舎に戻ると、宿舎の食堂にはまだ誰も揃っていなかった。ただ、調理場には動く人の姿がある。
音姫は食堂に入りつつ調理場にいる人に話しかけた。
「弟くん、亜紗ちゃん、みんなは?」
「まだ寝てるだろ。ちなみに孝治は先に食った。夜勤明けだしな」
「そっか。ところで、今日の朝ごはんは何かな?」
「ご飯一膳と目玉焼き一個」
周の言葉に音姫が固まる。
小さく首を横に振った音姫は歩きだし無言で厨房を覗くと、そこには黒焦げたものが大量にあった。確実に朝ご飯になるものだった食材の残骸。
『ごめんなさい』
亜紗が申し訳なさそうにスケッチブックを見せながら頭を下げる。
「弟くんが失敗したかと思った」
「いつの話だよ。まあ、今日は諦めてくれ。これはオレが食べるから」
『食べれるの?』
「物理魔術で形質変化させれば食えるものになるはず。多分」
周はおもいっきり亜紗から視線を反らしたまま答える。ただ、いくら物理魔術で形質変化させても黒く焦げた塊はそれ以上にはならないと思う。
『私も食べる』
「ダメだ。これは野郎共の仕事だ。多分、悠聖はそれを知っていて降りてこないけど」
「ちなみに、孝治くんは何を食べたの?」
「某国の軍専用保存食」
音姫も食べたことがあるが、あれは生きるために食べると考えなければ食えたようなものではなかった。その後にファーストフード店に行ったのは音姫だけの秘密である。
少しだけ気まずい空気が流れた後、周は魔術陣を展開した。物理魔術を使用する気だ。
「成功することを祈って」
周が魔術を発動させる。すると、そこには黒いものがなかった。
これで良かったと思える人はこの言葉を見た人だけだろう。何故なら、そこには食材をごちゃ混ぜしてミキサーにかけたようなものが存在していたからだ。
「弟くん」
「はい」
「朝ご飯どうする?」
「軍専用保存食」
「私のあげようか?」
「遠慮する」
周は大きく肩を落とした。
ちなみに、その後、浩平の叫び声が聞こえてきたが、それは別の話である。
「弾膜が弱い!」
音姫は浩平がビリヤードで音姫を狙った弾丸を全て切り払い、刀を鞘に収めた。
浩平はすかさずフレヴァングを構えるが、その喉元にいつの間にか接近している音姫の刀が添えられていた。
「浩平くんは接近戦されないように銃撃の腕を磨かないとだめだね」
「音姫さんの速度がおかしいと思います」
今の音姫の速度は浩平には見えなかった。おそらく、この中で反応できるのは周、由姫、亜紗、孝治の四人くらいだろう。
音姫は小さく息を吐いて刀を鞘に戻す。
「ふう。いい準備運動になった」
「今のが、準備運動?」
あまりのことに愕然とする浩平の肩に孝治の手が添えられた。まるで、諦めろとでも言うように。
ちなみに、浩平は手加減したつもりはない。金色の鬼に放ったような逃げ道をほとんど塞ぐビリヤードをしただけだ。ただ、相手が悪かった。
「弟くん、久しぶりに亜紗ちゃんとコンビを組んで私と模擬戦しない?」
「はあ、もうすぐお昼だろ。オレ達はメニューを終わらしている。まあ、いいけど。亜紗」
『いつでも行ける』
亜紗はそう言いながら持っていたスケッチブックを見学に来ていたリースに渡した。リースはそれをしっかり受け取って小さく頷く。
周はため息をつきながら音姫の正面に立った。
「勝負は動きを止めて武器を突きつけたら終わり。こちらは二人のハンデとして、どちらかがそうされたら終わり、だったよな」
「うん。でも、久しぶりだね。二人と戦うのは」
周がレヴァンティンの柄に手を置く。亜紗は静かに刀を抜いた。
「ああ。オレは亜紗がどこまで成長したかは確認していない。亜紗、手加減するなよ」
亜紗は静かに頷いた。
そして、三人の間に少し冷たい風が流れる。その瞬間、三人は同時に動き出した。いや、周と亜紗の動きに音姫が合わせたと言った方が正しい。周と亜紗は完全に同じタイミングで地面を蹴っている。
二人の内、前に出るのは周だった。
音姫が覚えている記憶とは違う。一年前は亜紗が前に出ていた。だけど、今回は周が前。
音姫と周の二人が同時に動いた。紫電一閃がお互いの刃を滑り、空を断つ。そこに亜紗が飛び込んでくる。
音姫は冷静に体を捻りながら高速で回転する。亜紗の刀を紙一重で見切り、回転した勢いのまま刀を振り下ろす。
白百合流姿返し『雲散霧消』。
亜紗は刀を振った瞬間に後ろに下がったため当たらない。だが、振り終わった音姫は刀を返していた。
白百合流燕返し『雲散霧消・鎧斬り』。
紫電逆閃を放とうとした周のレヴァンティンと目前でぶつかり、レヴァンティンごと周の腕を上に弾く。そこに亜紗が飛び込んできた。懐に入ったまま鞘に収めた刀を振り抜こうとする。だけど、その刀は途中で地面に叩きつけられた。
白百合流姿返し『雲散霧消・兜割り』。
雲散霧消とよく似た技だが、雲散霧消が体を回転しながらその勢いで放つのに対し、これは純粋に力任せに上から下に叩きつける技。
すぐに刀を翻した音姫は亜紗の喉に刀を当てた。
「チェックメイト、かな」
「音姉、大人げない」
周が小さくため息をつく。
雲散霧消も雲散霧消・鎧斬り、雲散霧消・兜割りも全て回転や力のベクトルを操作した純粋な力業であり、このように力業だけで攻めても勝てる剣技が白百合流である。
「強くなったね。本当に。亜紗ちゃんは速度が上がってるよ」
音姫からすれば本当に進歩していた。周も亜紗も。
「一年前のオレ達とは違うからな。まあ、負けたけど」
周はそう言ってレヴァンティンを鞘に収めた。
「なあ、孝治、次元が違うような気がするが」
「あれが、世界トップレベルだ」
浩平と七葉、そして、リースは完全に音姫達の動きの呆然としていた。
昼ご飯が終わり、音姫は何をしているかというと、周や孝治と一緒に第76移動隊の勉強を見ていた。それを語るには昼ご飯後の七葉の言葉だった。
「周兄、宿題見てよ」
その言葉に周が小さくため息をつく。
「悠聖に頼め」
「悠兄は馬鹿だから無理」
食後のお茶を飲んでいた浩平がそのお茶を噴き出した。
「けほっ、くっくっ。悠聖、ダサいな」
「てめえ、七葉、こいつに宿題やらせろ!」
「任せろ任せろ。この俺様が全ての問題を解いてやる。どれどれ?」
七葉が持ってきた宿題を浩平は見て青くなる。わからないということらしい。
七葉の宿題を由姫が後ろから覗きこんだ。
「分数の計算式ですね。これくらいなら私ができますよ」
「ねえ、弟くん、めんなの勉強がどれくらい出来るか見た方がいいと思うけど」
その様子を傍観していた音姫が周にそう提案をした。そう、全てはここから始まった。
全員の学力を図った結果が、全員語学と社会以外に関しては年齢に達していない理解度ということが分かった。
一番ましなのが由姫で、大体ちょっと劣っているくらい。酷いのが悠聖と浩平だろう。割り算すらできていない。
「弟くん、どうやったらここまで勉強が出来ない人が出来るのかな?」
「オレに聞くな? 暇があれば勉強すればいいだけの話なのに」
「弟くんは勉強しすぎだと思う。もう少し、気楽にいけばいいのに」
「そうか? 普通だと思うけど」
音姫は小さくため息をついた。そして、みんなの勉強している様子を見る。みんな勉強している。ほとんどが算数を。
「これから毎日した方がいいね」
その言葉に勉強している全員の手が止まった。
「もちろん、学校が始まるまでに」
みんなの額に汗が流れる。それに気づいた音姫は刀を取り出した。
「わかった?」
『イエッサー!』
みんなの返事が真剣になるのは仕方のないことだと思う。
大量の犠牲者を出した勉強会が終わり、音姫は一人で外に出ていた。もちろん、みんなの晩ご飯の食材を買いに行くためだ。本当なら二入上で行った方がいいのだが、屍が大量に出来上がり、それらを蘇生させるために周と孝治は残ったからでもある。
本当の理由は買う量が少ないだけだった。
音姫と通行人がすれ違うたびに通行人は音姫の方を見る。
この辺りでは見かけない顔であるということと、音姫が普通に綺麗だから振り返っているだけである。
第76移動隊では気にする者はほとんどおらず、浩平以外は全く話をしない。特に周は鈍いとかの次元を超越しているため自宅でも話にすらならない。だから、ある意味無防備でもある。
「あっ、アルちゃんだ」
「その呼び名は止めんか」
アル・アジフを見つけた音姫が声を上げると、アル・アジフが小さくため息をついていた。
音姫がアル・アジフに近づく。
「クロちゃんと一緒じゃないんだね」
「我はクロノス・ガイアといつも一緒にはおらぬ。それより、クロノス・ガイアを知らぬか? そろそろ晩ご飯じゃからの、呼びに行こうと思って」
「浩平くんのところじゃないの?」
「我もそう思っておる。しかし、あのクロノス・ガイアが男にべったりとはの」
「私も驚いている」
音姫もアル・アジフもリースがどういう人物かは知っている。特に、音姫はリースと仲良くなるまでかなり時間がかかったほどだ。なのに、浩平とは一日で仲良くなったと音姫はリースの口から聞いている。
「おそらく、周が誰かに恋した時、そなたは我と同じセリフを言うじゃろうな」
「弟くんが誰かに恋をする、か。一番考えられないことかも。弟くんは誰かに恋されるタイプだから」
「そうなのか? よくわからぬが。あれは鈍感すぎるじゃろ」
「鈍感というより、恋を知らないというべきかな。誰かを好きになる感情がわからないと思う」
それが周らしいかもしれないが。
「そうかの。音姫は今から買い物か?」
「うん」
「では、我も手伝おう。どうせ、クロノス・ガイアはあの男から離れたくないじゃろう」
「だね」
音姫とアル・アジフはクスッと笑いあって、同じ方向に歩きだした。
「今日も一日が終わりか」
音姫は宿舎にある自分の部屋の窓から月を見つめつつ小さく息を吐いた。
机の上に広がっているキーボードを操作して展開していた画面を消し、一日の日記を終わらせる。
時刻はすでに十一時。宿舎で起きているのは半分くらいだ。
「後、何日あるかわからないけど、鬼払いを完成させないと」
白百合流姿返し奥義『鬼払い』。
音姫はまだこの技を完成させていない。この技自体が最低三十年と言われるくらいに難易度が高い。だけど、音姫は限定的ながらその技を使える。一番の問題は、
「威力が落ちた鬼払いで鬼を倒せるかどうか。弟くんと亜紗ちゃんなら五分は食い止められると思うけど、私が失敗したら」
音姫は不安なのだ。白百合流を習い始めてから天才だと言われ続け、史上最年少で白百合流の免許皆伝まで漕ぎ着けた。後は、奥義のいくつかを習得することで史上二人目の白百合流の完全制覇を成し遂げる。
そんな音姫でも不安はある。お年頃の女の子でもあるが、音姫は肝心な時に役に立たない。
あの日、周が家からいなくなったときでも、周の心が壊れていても、音姫は助けることができなかった。助けたのは全て由姫だ。だから、
「鬼は、私が払うから。絶対に。歌姫の名にかけて」
夜はだんだん深まっていく。
こんな感じで日常が続きます。
次は都の番です。




