番外編⑤ 小さな魔法使いと大きな騎士
奇想天外な出来事というものは、いつも思いもよらないところからやってくる。まさか、こんなことが起きてしまうなんて――ローラは鏡に映った自分の姿に呆然と立ち尽くしていた。
アカデミーの授業が終わった放課後、サークル活動の一環で、セドリックと魔法研究室で新薬を試していた時のことだ。先日の課外授業の必須科目である薬草採取で高得点を獲得したローラは、王都から取り寄せた薬草と採取した薬草を使い、誰でも気軽に見た目の年齢を変えることができる薬剤の試作品を作っていた。若者は大人へ、大人は子どもへと姿を変えることができる。ローラは見た目を少しだけ大人っぽく見せたいという願いから、この試作品を作ることを決意した。
「ローラ、凄いね! 君はあっという間に薬草学まで学べるようになったんだ!」
薬草学概論という魔法書を手にローラが乾燥させた薬草を並べていると、その手順書を見たセドリックが興奮気味にそう叫んだ。本来、薬草学概論は魔法師が自分で薬の調合を行うため、三年生から始める学問だった。しかし、勤勉なローラはすでにアカデミーの教授陣から、魔法研究室で薬草学の試作品を作る許可を得ていた。
「セドリック先輩は、何か新しい試作品を作っていますか?」
ローラの問いにセドリックの目がきらりと光る。その表情は、よくぞ聞いてくれたというものだった。
「僕は今、とても重要な薬の試作品を作っているんだ! これが完成すれば、大ヒット商品間違い無しだ!」
セドリックは、既に大手商団と魔法薬やアーティファクトの取り引きを行っているため、商人からの要望があれば新しい薬の試作品も積極的に作っていた。
セドリックが若干ドヤ顔でローラに見せた魔法薬の手順書には「ケモミミ」と書かれている。
「……セドリック先輩、このケモミミって何ですか?」
うさぎの耳、きつねの耳、ねこの耳といった不思議な図案が書かれている手順書を見つめて、ローラが首を傾げる。
「ケモミミというのはね、獣の耳という意味なんだ。貴族たちが仮装パーティや仮面舞踏会などで使う商品として作っているんだけど、この薬が完成したら、誰でも気軽に本物の獣の耳を付けることができるという優れものなんだ!」
自信満々といった表情でそう説明するセドリックの様子に、ローラの表情は不思議そうなままだ。
「……なるほど、貴族の仮装用の薬なんですね?」
手順書を読み込むとうんうんと頷きながら、ローラが効能を確認する。
「そう、これが完成すれば可愛いうさぎの耳をつけたり、ねこの耳をつけたりできるから、きっとパーティでも喜ばれるんじゃないかな」
「確かに。誰でも気軽につけられたら楽しいのかもしれませんね」
ローラは動物の耳を想像しながらそう答えると、ふさふさの狼の耳を付けたカイルの姿を思い浮かべ、「案外、可愛いのかもしれない……」と一人、頬を赤く染めた。
「セドリック先輩の試作品が成功するように、応援しています!」
にっこりと笑顔を向けるローラに、セドリックはメラメラと闘志を燃やし、大ヒット商品を生み出すべく再び研究を開始した。
そんな研究室で、ローラが乾燥している薬草を煎じ、手順書通りに薬草を調合して出来た試作品は、鮮やかな緑色をした半透明の薬で、森林を思わせる清涼感のある香りがしていた。小さな瓶に入った液体の成分を確認してみると、数値上は試作品として扱えるレベルだった。初めて完成した難易度の高い薬剤に、興奮気味のローラは、ぱしゃんと水飛沫を上げて喜ぶウンディーネと、爽やかな風を送るシルフィーネの祝福に笑みを深くする。
「……せっかく完成したんだから、まずは私が試してみないとね」
ローラは試作品を試そうと小瓶の蓋を開けると、さらさらとした液体を一気に飲み干した。風味は少し苦いお茶のような味だった。ローラは外見の年齢が少しだけ上に見えるようになる薬を調合したため、鏡の前で自身の体の変化を注意深く見守っていた。数分後、期待に満ちた表情を浮かべていたローラの顔が一気に暗くなる。
しゅううぅ、と音を立てて、鏡に映るローラの姿が急激に変化する。顔や雰囲気が変わることを願っていたが、実際は見た目の年齢が変わることはなく、何故か自分の姿が手のひらサイズに縮んでしまっていた。呆然としているローラをよそに、小さくなってしまった契約者に慌ててしまったのか、状況を見守っていたはずのシルフィーネがすいっと勢い良くローラを背に乗せ、そのままびゅんっと窓から外へと飛び立ってしまったのだ。
「わあっ、高い、速いっ、止まって、シルフィーネ!」
鮮やかなスカイブルーの羽根を持つ小鳥の姿をしたシルフィーネが、ローラを背に乗せたまま大空を飛び回っている。ローラは、あまりにも高い場所まで飛んでいくシルフィーネの背に乗りながら、恐怖のあまり悲鳴を上げ続けていた。
「シルフィーネ! 危ない、怖いから、下ろしてぇーー!」
次の瞬間、ローラの絶叫に驚いたシルフィーネがバランスを崩して、ローラを乗せたままひゅうと急降下してしまう。
「きゃああっ! 落ちるっ! 誰か、助けてぇぇっ!」
悲鳴を上げながら落下するローラを受け止めたのは、騎士科の基礎訓練を終えたばかりのカイルだった。
カイルはいつものように訓練が終わると生徒会室に向かうため、中庭を通っている。今日もブレザーに着替えを済ませて中庭を横切ろうとしていた。その時、頭上からローラの悲鳴が聞こえてきたのだ。慌ててローラの姿を探してみると、突如勢い良く何かがカイルの両腕めがけて飛んできた。反射的に受け止めると、カイルの手には気絶している親指ほどの大きさになったローラと小さな青い鳥がいた。
「うおっ、何だ、これ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げると、カイルは慌てて気絶しているローラをそっと手のひらで包み込み、安全な場所へと運んだ。
カイルが咄嗟にローラを運んだのは、医務室ではなく生徒会室だった。本来であれば、ローラを直ぐに医務室に連れていくべきなのだろうが、カイルは何らかのアクシデントにより、ローラが小さな姿に変身してしまっているのだろうと推測した。魔法科は、薬学概論が始まると研究に没頭し過ぎて、試作品を作っている最中に危険な薬剤を生み出してしまうことがある。どう考えても、ローラが掌サイズほどに小さくなってしまったのには、魔法科の危険な研究が関わっているのだろうと考えた。
(これは、やはりあの男を頼るしかないな…)
カイルはタオル数枚、集めて作った簡易ベッドにローラを寝かせて、その隣に青い小鳥も置いてやる。
不在となる生徒会室の鍵をしっかりと施錠すると、魔法科三年の秀才、セドリック・スタンフォードの元を訪ねた。
予想通り魔法研究室で薬剤を作っていたセドリックに大急ぎで状況を説明すると、セドリックもまた慌てた様子で生徒会室へと駆けこんだ。
「何これ、めちゃくちゃ小さくなったね」
タオルのベッドで眠るローラを確認すると、カイルとセドリックは掌サイズへと変身してしまったローラが目覚めるのを待った。生徒会室を独占してしまうことになるが、二人はローラが目覚めるまで、生徒会室から出る気がなかった。
二人の願いが届いたのか、ほどなくして目覚めたローラは、契約しているシルフィーネが自分のせいだと謝っている姿に大丈夫だからと笑顔を見せる。
「やっと目覚めたんだねー!ローラ、どうだい?こんなに小さな姿になってしまったケースを見たことがないから、僕まで焦ってしまったよ。痛いところや、辛いところはない?」
薬剤の手順書に目を通すと、セドリックは心配そうにしながらもしっかりと現状を確認してくれる。
「……はい、さっき、意識を失っていたのは急に落下したから眩暈がしたんだと思います」
冷静にそう分析するローラの姿に、身体的な問題は起きていないと判断したセドリックは、小さくなってしまった体を直す方法を探すため、アカデミー内の図書館に向かうと告げる。
「ローラ、全部調べきれていないから、何とも言えないんだけど現状だと命に別状はないみたいだから、僕はローラの体が元に戻る薬がないか調べてみるよ」
「はい。よろしくお願いします…」
しゅんと肩を落としているローラの姿に、セドリックは大丈夫だから心配しないでと穏やかに告げる。
「もしかすると、少量の薬でしか変身していないから、変身を解くような薬ができる前に効果が切れるかもしれないから、その時は一緒に医務室へ行って検査しようね」
カイルの大きな掌の上にちょこんと乗ったローラはセドリックへぺこ、と頭を下げる。
「そんなに落ち込まないでよ、きっと直ぐに元に戻れるだろうからさ」
明るく笑って手を振るセドリックにローラも手を振り返す。カイルも頼んだ、とセドリックに念を押すと生徒会室に残ったローラと二人、取り敢えず元の姿に戻るまでは、危険な状況を少しでも減らすために急遽一緒に過ごすことにした。
「…生徒会長殿、ご不便をおかけしてしまい…ごめんなさい」
男子寮にローラを連れていく訳にもいかないため、カイルは急遽、生徒会の仕事で調べたいことがあるからと生徒会室に泊まる許可を教授へと申請した。普段から、熱心に生徒会活動に取り組んでいるお陰からか、あっさりと生徒会室に泊まる許可が得られたカイルは、ローラの安全のため、二人で生徒会室に泊まる事にした。
「さっき、セドリックも言っていただろう。そんなに落ち込む必要はない。それより、お前が小さくなっている姿が…その、いつもと違って新鮮に感じる」
カイルは、思わず、自分の掌の上にちょこんと乗っているローラの姿が可愛いと言ってしまうところだった。それを告げてしまうと、自分が普段からローラのことを可愛いと思っていると告白しているようなものだった。さすがに、これから二人きりで生徒会室に泊まる状況で告白してしまうのは、ローラを怖がらせてしまうことになりかねないため、慌てて言葉を飲み込んだ。
「…本当に、生徒会長殿にはいつもご迷惑をおかけしています…」
すんっと鼻を鳴らしてないているローラの姿にカイルは困ったように笑うと人差し指でそっとローラの頭を撫でた。
「だから、気にすんなって。俺はお前に怪我が無かっただけで安心したんだから」
カイルの気遣いと優しい言葉にローラの目頭が熱くなる。
「…はい。ありがとうございます」
「お前も、精霊だけど何も無くて良かったな」
ローラの隣でピチチっと鳴いているシルフィーネの頭も指先で軽く撫でてやると、カイルは穏やかな眼差しを向けた。
ティーカップにお湯を張り、小さなタオル数枚とせっけんを用意するとカイルは頬を赤く染め、ローラをテーブルの上に乗せたまま自分は生徒会長の椅子に座り、ローラへと背を向けた。どんな危険が襲ってくるか判らないため、共に過ごすことに決めたというものの、ローラも風呂に入らなければならない。カイルは、簡単な夕食を済ませた後、ローラのためにバスタブの代わりにティーカップを用意したのだ。
「…ローラ、絶対にそちらを向いたりはしないから、ゆっくり風呂に入ってくれ」
カイルは軽く咳払いをしてからそう告げると、「はい…」と消え入りそうな声で返事をするローラに心の中で可愛いと呟いた。
ぱしゃ、ぱしゃと小さな水の音が響く。隣でシルフィーネがぴち、ぴちちと鳴く声も聞こえる。普段なら、この時間は騎士科の訓練を終えた後、貴族寮のルームメイトと夕食を済ませシャワーを浴びている時間だ。カイルは朝が早いため、いつも授業の課題が無い限りは早寝をしていた。そんなカイルが、ローラと二人きりで、過ごすなんて考えてもみなかった。
(考えたら負けだ)
このところ、いよいよローラへの想いが隠しきれなくなって来ているカイルにとって、好きな子と同じ空間で眠るなどといった状況はあまりにも刺激が強過ぎた。
ローラが楽しそうに入浴している音を聞きながら、カイルの内心は穏やかではなかった。
(大丈夫だ、俺は鍛えている騎士だから絶対に、ローラが困るようなことはしない!)
暫く、もんもんと一人で考え込んでいたカイルだったが、ローラが「お風呂からあがりました」と声を上げたため、そこでようやく我に返ることが出来た。
「…おう、じゃあ。後片づけをしてから、俺もシャワーを浴びてくるから、眠かったら先に寝てろよ?」
「はい、わかりました」
カイルを見上げて笑うローラと小さな青い鳥にカイルの心はすっかり翻弄されてしまっていた。
(…もう、駄目だ。これ以上、この気持ちを隠していることはできない)
カイルは後片づけを済ませると、生徒会室に併設されているシャワールームで汗を流す。立ち昇る湯けむりの中で、一人、日々強くなっていくローラへと想いを実感する。
石鹸で体を洗い終え、シャワーを浴びるとさっぱりしたのか、鬱屈としていた気分が幾分か晴れる。タオルでざっと髪と体を拭くと、カイルは鏡に映る自分を見つめて決心を固める。ローラが無事、今の姿から元に戻ったら、この想いを告白すると。今まで、高位貴族の令嬢や、留学生の他国の王女など、女子生徒から告白をされたことは何度かあった。それでも、いつも断っていたのは、こんなにも毎日どうしているか気掛かりで、会えば笑顔が見たくなり、話せばもっと一緒の時間を過ごしたくなると思う相手がいなかったからだ。
そう考えると、ローラは初めて会った時から、カイルの心を奪っていたのかもしれない。カイルはドキドキと高鳴る胸の鼓動を抑えながら、ローラが待つ生徒会室のドアを開けた。
ぴちち…と小さな声で鳴く青い小鳥へ視線を向けると、その隣でローラがタオルのベットで眠っていた。
カイルは静かに生徒会室のライトを落とすと、穏やかな寝息を立てている小さな姫を見守っていた。
「おやすみ、ローラ…」
静かな声でそう囁くと、カイルも生徒会室のソファへと寝ころんだ。
二人だけで過ごす初めての時間はこうして穏やかに過ぎて行った。
翌日、いつもと変わらず元気な笑顔で生徒会室にやって来たセドリックが見たのは、幸せそうに眠るローラとカイルの姿で、セドリックが二人を起こすと同時にローラの姿が元に戻ったのだ。
「まあ、偶然そうなったんだと思うけど、薬の効果が短かったのは幸運だったね!」
セドリックの言葉にローラが明るく笑ってはいと答えた。
そして、ローラが無事、元の姿に戻ったためカイルはついに、心を決めたのだ。
「…ローラ、その、話があるんだ!」
真剣な眼差しでそう叫ぶカイルの声に、驚いたように笑っていたローラとセドリックが同時にカイルを見上げた。
「明日、放課後時間を作ってくれないか?」
「…生徒会長殿…」
ローラはカイルの勢いに呑まれるように、深く頷いて見せた。
カイルの告白は無事、成功するのだろうか。




