負債と資産の目覚め
この作品はAI(Gemini等)を使用して執筆・構成しています
崩壊したザイデル帝国の帝都、その地下深くに広がる旧帝立技術研究所、通称『シンクタンク』。
バルタザールは、非常灯の血のような赤い光だけが不気味に照らし出す無機質なコンクリートの通路を、靴音を殺して歩いていた。
「……連合の警備兵への賄賂が5万ギル。監視カメラのループ工作に外注費が2万ギル。さらにこの地下までのルート開拓費で10万ギル……」
仕立ての良い、しかし所々薄汚れた黒いコートのポケットに手を突っ込み、バルタザールは忌々しげに息を吐き出した。
「すでに17万ギルの赤字だ。これだけの先行投資をしたのだから、相応の『回収』ができなければ割に合わん」
割に合わない、と自分で言いながら、バルタザールは薄く嗤った。
割に合わないことを、それでも3ヶ月かけてやり遂げた。それがどういう意味を持つか、誰より自分がよく知っていた。
3ヶ月前、帝国の崩壊とともに中枢スタッフは逃亡し、この広大な地下施設は放棄された。
今や巨大な墓標に等しい冷たい空間には、微かな電子音と水槽の循環音だけが規則的に響いている。
やがて、彼は最深部の隔壁をハッキングツールでこじ開け、目的の部屋へと足を踏み入れた。
暗闇の中、部屋の中央に鎮座する巨大な培養槽を見上げ、バルタザールは薄く笑う。
彼の手には、ひどく色褪せた1ギル硬貨が握られていた。
かつてこの国の皇太子が、勝ち目のない戦場へ向かう前に彼へ投げ渡した、文字通り帝国最後の遺産だ。
その硬貨を3ヶ月、手放さなかった。損得で動く男には似合わない習慣だと、自分でも思っていた。
「……さて。回収の時間だ」
バルタザールは独りごちると、硬貨をコンソールの隙間にねじ込み、手持ちのバッテリーと非常用電源を強引に直結させた。
甲高い放電音と共に眩い火花が散り、死んでいたシステムが強制起動する。
重々しい駆動音とともに、分厚い防弾ガラスがゆっくりとスライドを始めた。
緑色がかった培養液が床に滝のようにこぼれ落ち、生温かい薬品の匂いが部屋に充満する。
中から滑り落ちてきたのは、1人の少年だった。
色素の薄い銀糸のような髪、陶器のように滑らかで傷1つない肌。死んだ皇太子と瓜二つの容貌を持つ、未完成の戦闘用クローン。
少年は冷たい床に膝をついたまま、ゆっくりと目を開いた。
ガラス玉のような双眸には、恐怖も混乱も、何の感情の色も浮かんでいない。ただ、プリセットされた膨大な知識と現状の差異を埋めるべく、脳内の論理回路を超高速で回転させているだけだ。
「おはよう、殿下。いや……今はただの『第零号』と呼ぶべきか」
バルタザールが声をかけると、少年は、瞬き1つせずに顔を上げた。
肺に残った培養液を小さく咳き込んで吐き出し、初めて外の空気を吸い込む。その動作すら、機械のように正確で無駄がなかった。
「……バイタル安定。状況証拠と事前入力された知識データベースを統合」
少年の唇が動き、ひどく平坦な声が響く。
「ザイデル帝国は3ヶ月前に解体され、現在はゴルディオン通商連合の支配下にある。相違ないか」
「その通りだ。お前が眠っている間に、国は綺麗に売り払われた」
少年は無機質な視線を自身の濡れた両手へと落とした。
筋肉の張り、魔力回路の接続状態、骨格の耐久性。内蔵された自己診断システムが、彼の肉体が完璧な兵器として仕上がっていることを告げていた。
だが、それは同時に「不良在庫」であることを意味する。
「帝国の消滅を、私は歴史的知識として受理した。現状において、私という兵器の存在意義は消失している」
少年は濡れた銀髪から滴る薬品を気にする素振りも見せず、淡々と告げた。
「稼働を続ければ、莫大な魔力と維持コストを食い潰すだけの純損失だ。……ならば、なぜ私は処分されていない。いや、これから処分されるのか。目的を提示しろ、個体名バルタザール」
「処分だと? 冗談を言うな」
バルタザールはひどく冷たい声で鼻で笑い、懐から分厚い黒革の手帳を取り出した。
「俺はただの親切な会計士だ。こんな巨大な赤字を、そのまま放っておくのが我慢ならんだけだ」
「……会計士?」
少年の形の良い眉が、ほんのわずかに動いた。
それこそが、この完成されたクローンが初めて見せた「疑問」という感情だった。
「命の灯火を消すか否かの瀬戸際で、損得の話をしているのか。論理的整合性が取れない」
「命などという安いものの話はしていない。国家の負債の話だ」
バルタザールは手帳の最初のページを開き、少年の眼前に突きつけた。そこには、狂気じみた桁数の数字が几帳面な文字で並んでいた。
「戦時賠償金、国債償還、未払給与。合計95兆ギル。帝国という法人は死んだが、帳簿上の赤字は残っている。国が滅びても、負債は消えないからだ。お前は、この負債を帳消しにするための唯一の『資産』だ」
「……理解不能だ。私1人で返済できる額ではない。四億程度の損失ならば許容範囲内だが、95兆ギルは初期不良か、論理回路のバグを疑う水準だ」
少年は手帳の数字と、バルタザールの狂気を孕んだ瞳を交互に見た。その完璧なシンメトリーを描く端正な顔立ちが、微かに困惑に歪む。
その表情を見た瞬間、バルタザールの呼吸がわずかに止まった。
不敵に笑う口元、理知的な光を宿す瞳の動き。
それは、かつて俺が厳格な教育を施し、その結果として破滅へと向かわせてしまった教え子の姿そのものだった。
俺が最後まで正しく値踏みできなかった、唯一の人間。
「……ギルバート」
無意識のうちに、その名前がバルタザールの唇からこぼれ落ちていた。声には、冷徹な会計士らしからぬ、微かな悔恨が混じっている。
ピクリ、と少年の銀色の睫毛が揺れた。
「音声コマンドを受理。個体呼称『ギルバート』を認識。デフォルトの製造番号から、本名称へとマスターデータを上書きする」
「……いや、待て」
バルタザールは顔をしかめた。己の感傷を切り捨てるように、手帳を乱暴に閉じて懐にしまう。
「その名はお前には重すぎる。それに、死んだ不良債権と同じ名前では帳簿が混乱する。便宜上のラベルは必要だが……今日からお前は『ギル』だ。ただのギル。俺たちが相手にしているのは数字ではない。『契約』であり『債権』だ。その名にかけられた95兆ギルの負債の重さを、これから身をもって知ることになる」
「マスターデータを修正。了解した。個体呼称『ギル』として稼働を開始する」
名を与えられたクローンは、濡れた床から静かに立ち上がった。
バルタザールは懐中時計を取り出し、規則的に進む秒針を見つめた。
「無駄話をしているこの数十秒の間にも、遅延損害金と利息で村1つ分の借金が増えている。まずは質に入れられたお前の相棒、魔導銃『ルクレティア』を買い戻しに行くぞ」
その時だった。
突如として、無機質なコンクリートの部屋に甲高い警報音が鳴り響いた。
赤い非常灯が激しく明滅し、奥の搬入口から重々しい金属の駆動音が複数近づいてくる。
「警告。無許可のシステム起動を検知。防衛プロセスへ移行します」
無機質な機械音声と共に現れたのは、旧帝国軍が遺棄していった3体の防衛用自動ゴーレムだった。
装甲は錆びついているものの、その両腕に備えられた回転刃は、侵入者を肉塊に変えるには十分な威力を保っている。
「忌々しい……非常電源を引いたせいで、休眠モードのガラクタどもまで叩き起こしたか。退役処理の済んでいない不良資産め」
バルタザールは手帳をしまい、横に立つ少年を一瞥した。
「おい、ギル。武器はないが、やれるか?」
ギルはガラス玉のような双眸で3体のゴーレムを正確にスキャンした。
「敵対性プログラムを稼働中の旧式ゴーレム3機。装甲の劣化率42パーセント。私の現在の身体リソースで対応可能。ただし……」
平坦な声で答えた。
「武装なしでの制圧は、肉体へのダメージおよびエネルギー消費の観点から非効率的だ。コストパフォーマンスが悪い」
「経費削減だ、素手でやれ。これ以上の持ち出しは御免だ。被弾すれば治療費と被服費が嵩むぞ」
「了解した。損益分岐点を再計算。これ以上の経費増大を避けるため、最少コストでの物理的破壊行動に移行する」
ギルの声には一切の気負いがなかった。
次の瞬間、銀色の髪がふわりと揺れたかと思うと、彼の姿がバルタザールの視界からブレて消えた。
「敵機体、右腕関節部。防錆処理の劣化率68パーセント。必要最小限のトルクで破断可能」
平坦な独白と共に、先頭のゴーレムの懐に潜り込んだギルは、迫り来る回転刃の軌道をミリ単位で見切り、関節の隙間に魔力を纏わせた手刀を滑り込ませた。
テコの原理と一瞬の身体強化。金属が悲鳴を上げて軋み、分厚い装甲に覆われた右腕があっさりと引きちぎられる。
ギルは奪い取ったその刃を、流れるような動作でゴーレムの中心核へと突き立てた。
「1機償却完了。消費カロリー、約12キロカロリー。衣服の損耗率、0」
油と火花を噴き出して崩れ落ちる巨体を盾に、ギルは続く2機目の死角へと回り込む。無駄な踏み込みも、過剰な打撃もない。ただ物理法則と破壊の最適解をなぞるだけの、あまりにも冷酷で美しい暴力だった。
2機目のセンサーを正確な蹴りで破壊し、怯んだ隙に3機目の脚部関節を砕く。バランスを崩した2機の頭部を掴み、互いの質量を利用して激突させた。
ひしゃげた金属同士が削れ合う不快な音が響き、残る2機のゴーレムも完全に沈黙した。
戦闘開始から、わずか十数秒の出来事だった。
機械油の1滴すら浴びていないギルは、冷たい床に転がる鉄屑を見下ろし、小さく息を吐いた。
「目標の完全償却を確認。自身の損傷、0。維持費の追加発生は回避した。ただし、急激な出力による魔力消費と空腹状態を検知。速やかなるエネルギー補給を要求する」
「食費も馬鹿にならんが……まあ、想定内の必要経費か」
バルタザールは手帳にペンを走らせながら、冷たい笑みを浮かべていた。
俺の目は、今しがた行われた戦闘の『費用対効果』を正確に弾き出している。兵器としてのギルの資産価値は、旧帝国の負債を清算するに足る、極めて高い利回りを約束するものだった。
「見事だ。不良在庫のスクラップ作業としては満点だな。お前自身の減価償却も、存外早く進むかもしれん」
「皮肉の意図は読み取れないが、評価として受理しておく」
ギルは無表情のまま頷き、バルタザールの後に続いて暗い通路を歩き出した。
朽ち果てた搬入用の大型エレベーターシャフトを、手動のワイヤー巻き上げ機で昇っていく。ひどく骨の折れる作業だったが、ギルの強靭な肉体のおかげで数十分後には地上へのハッチにたどり着いた。
分厚い鉄扉を押し開けると、3ヶ月ぶりの外の空気がギルの頬を撫でた。
冷たい夜風が吹き抜ける中、2人は地上に降り立つ。そこはかつて、威風堂々たる帝国の象徴だった帝都の中央広場跡だった。
しかし、ギルのガラス玉のような瞳に映ったのは、彼の記憶領域にある荘厳な景色ではなかった。
下品なほどに輝く極彩色のネオンサイン。空を飛び交う、ゴルディオン通商連合の巨大な広告飛行船。
歴史ある石造りの建造物は無惨に取り壊され、その跡地には超資本主義を体現する規格化された無機質な商業ビルが乱立している。
「帝都の景観データと現在の視覚情報を照合……」
ギルは感情の読めない声で呟いた。
「不一致率84パーセント。ゴルディオン通商連合による、資本的侵略の痕跡を視認。私の知る国は、すでに存在しない」
「そうだ。我々の国は切り売りされ、今は奴らの巨大な市場に過ぎない」
バルタザールはコートの襟を立て、眩しすぎるネオンの光を睨みつけた。
かつてこの広場で、1人の青年が民衆の前に立っていた。何の勝ち目もない戦争を前に、それでも笑っていた。
あの笑顔の値段を、俺はまだ帳簿につけられていない。
「だからこそ、俺たちはこの国を底値で買い叩き、奪い返す。そのための95兆ギルだ」
「……気の遠くなる事業計画だ。投資に対する回収期間が非現実的すぎる」
「正気で国が買えるか。行くぞ、ギル」
バルタザールは喧騒に包まれたスラム街の方向へと顎をしゃくった。
帳簿には書けない理由を胸の底に押し込めたまま、会計士は夜の帝都へと歩き出す。
「まずはスラムの闇市だ。お前の相棒である金食い虫の魔導銃……『ルクレティア』を質屋から叩き起こす」




