乙女の誓い
あなたを護る盾となりましょう。
あなたの剣となりましょう。
あなたの鳥になって癒やしの歌を唄いましょう。
あなたの月になってあなたを照らしましょう。
あなたの星になってあなたを導きましょう。
あなたの花となって。あなたのために咲きましょう――。
あなたのために。蝶のように舞いましょう。
それがわたしが立てた誓い。
紅国の王都グレナートに聳える皇城エリュテイアは幾つもの尖塔が空を突き刺すように伸びている。赤いレンガで作られていて城というよりは要塞のように重厚感があり、築城されてから千年以上経つが今日も威容を誇っている。
大きなアーチ状の正門へ続く道は橋が掛かっていて両端に見上げるほど大きな彫像が幾つも並び来訪者を圧倒する。正門の両隣には剣を提げた騎士が常駐し、姿勢よく立哨し訪れる者を検分する。
南に面する正門とは打って変わってふた回りは小さな通用門は西側にあり城で働く使用人や商人の馬車が詰所の騎士に検められる。
その近くに紅国が誇る緋翼軍の建物がある。緋色の翼と剣と盾からなる紋章が掲げられていて造りは簡素だが煉瓦造りの立派な建物である。
その中の一室ーー皇太子付きの近衛騎士団ーー通称《紅猿子》の翼手。その第一部隊隊長の部屋にセレスティア・デュプイはいた。
華美なものはなくこざっぱりとした部屋、という印象だ。隊長が利便性を重視する性格なのだろう。装飾品の類は殆どない。けれど調度品はどれも良いものだ。
部屋の中を観察しながらそんなことを思ったのもつかの間――
「ふうん。君、主席だったんだぁ?よくついていけたね、教官のしごきに」
当分の自分の直属の上官――指導教官にもなる男は簡単な経歴書に目を通してそう言った。
「よく言われます」
揶揄でも皮肉でもなんでもなく、あくまでも真面目に答えた。
見習い時代、座学はともかく実技で一位をとった時にその疑問はよく投げかけられたものだった。
そんな細腕でどうして大の男を倒せるのかと。どこにそんな筋力があるのか、とも言われた。細身で女というだけで筋力だけで言うなら圧倒的に劣ることは目に見えていたからそういう相手を見据えて徹底的に攻略することにしただけなのだが最初は理解してもらえず同期と軋轢を産んだこともあった。
まあ本人はさして気にしていないのだが。
「あぁ――君、イヴェール将軍の孫なんだ」
「はい。ご存知ですか?」
「うん。上司だったからねぇ」
遠い目で上官は言う。
祖父が退役したのは自分が子供の頃――少なくとも10年は前なのだが目の前の男の見た目から判断するに計算は合う。27,8くらいに見える男が言うのだからそうなのだろう。退役して10年経って尚将軍と呼ばれる祖父の影響力の強さにセレスティアは得意顔になることなく淡々と応じた。
「そうでしたか」
「将軍仕込なら教官のしごきに耐えられたのも納得だな」
うん、と男は頷いた。武官にしては珍しく頭で理解しないと納得できない理知的な人物なのだろう。今まで周りにいなかったタイプで少し驚いた。
なにせ自分を育て、武術を仕込んだ祖父は正義感に厚く人情に脆い直情的な人物で頭で考えるよりも身体を動かした方が早い、というひとだったからだ。
使用人たちも祖父の元部下で似たような考え方をするひとたちだったから――武人とはそういうものだと思っていたのだが。
視線に気付いたのか上官は首を傾げた。
「どうかした?」
「いえ、大したことありません、失礼しました」
そうは言うものの、新人の顔には好奇心の色が浮かんでいた。
(解り易いな)
表情の変化が乏しいように見えて感情がありありと解る。隠せないというより隠すことを知らないのだろう。
(これは誤解されるよなぁ……)
成績優秀。品行方正。真面目で一生懸命取り組むのだが――優等生ではなく問題児と言えた。人間関係がうまくいかないのだ。トラブルを起こしてしまうと言うか巻き込まれるというか呼び込んでしまうと言うか――ともかくそういう意味では損をしている人物だ。
今期の卒業生の中での剣術でのトップである彼女は猛将と名を馳せたイヴェール・グフタン将軍を祖父に持つ令嬢だ。その由緒正しい出自からしても注目の的なのだが、なおかつ女性でありながら大の男を負かしてしまう剣の腕と――その美貌だ。ただでさえ目立つのに才能だけではなく容姿の良さまで天は与えてしまったらしい。
「――まぁいいや。配属先だけど良いのかい?陛下の翼手じゃなくて皇太子殿下の翼手で」
翼手とは近衛のことだ。
念を押すように確認されたことに訝しんだものの即座にはいと頷いた。
「本当にいいのかい?君、トップだろう。出世頭なんだから普通は陛下の近衛騎士を目指すものじゃない?」
「皇太子殿下の翼手を希望してはいけないのですか?」
純粋に質問されて彼は黙った。
「いや、いけないっていうワケじゃないけど……」
「でしたら問題ありませんね」
断言する彼女指導教官は二の句が継げなくなった。
(この子、優等生だけど問題児だろうなあ……)
周囲との齟齬が生じやすいだろう彼女の性格に気付いた彼は嘆息をついた。波乱の予感がしたのだ。
腹を括ると彼は友好的な笑みを浮かべてセレスティアに手を差し出した。
「そうか。歓迎するよ、セレスティア。皇太子殿下の近衛騎士団《紅猿子の翼手》にようこそ。君の指導を担当するブレージ・ルクレーアだよ。よろしくね」
改めて自己紹介した相手――ブレージの手を握り返しながらセレスティアも名乗る。紅国では男性皇族は鳥、女性皇族は花の名を戴く騎士団がつく。
「セレスティア・デュプイです。ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
生真面目な表情のセレスティアにブレージは軽く頷く。これから待ち受けるであろう難儀さと、面白さを予感しながら。
(ま、退屈はしないだろうな)
図らずもその予感は的中するわけだが。
「それじゃあ、皇太子殿下にご挨拶に行こうか。新入りが入って来ることは殿下もご存知だからね」
セレスティアはこくんと頷いた。
新たに配属された見習い騎士を見て皇太子――フロリゼル・カルブンクルスは絶句した。
今日から護衛を務めることになった騎士は知った顔の人物だったからだ。
「本日より紅猿子の翼手に配属されましたセレスティア・デュプイです。お見知り置きを、殿下」
素知らぬ顔で新人を紹介する紅猿子の翼手の団長バスティアンをフロリゼルは無言で見た。いつになく険しい顔で。
バスティアンはフロリゼルが幼い頃から仕えているので表情を読むなんて慣れたものであった。その意味も十分解っていたが知らない振りを通した。そうするのが誰にとっても一番いいことだと判断したのだ。
あとは当事者同士でどうにかしてもらおう――それが年長者二人の判断だった。
「デュプイ、殿下にご挨拶を」
涼しい顔で騎士団長が促すとセレスティアは生真面目に頷くと一歩前に出た。
「ご紹介に預かりましたセレスティア・デュプイです。誠心誠意、殿下にお仕え申し上げます。――皇太子殿下に、永久の忠誠を」
叙勲の儀を執り行ったわけでもないのにセレスティアは騎士の礼を行った。彼女の生真面目すぎる性格を把握している二人はやはりなと顔を見合わせる。
やると思った。
フロリゼル・カルブンクルスとセレスティア・デュプイは一言で言えば兄妹同然に育った幼なじみだ。セレスティアの母はフロリゼルの乳母で共にセレスティアが7歳になるまで王宮で暮らしていた。
7歳の夏。セレスティアは母の実家に引き取られ、離れ離れになった。たった一つの約束を残してセレスティアはフロリゼルの前から去ったーー。
実に10年振りに2人は再会した。
守られる皇子と皇子を守る近衛騎士として。
「フロリゼル殿下がいつか王宮に戻って来いと仰ったのでお傍近くに侍られるよう努力したのですが」
「近衛としてか!」
「他に方法がありませんでしたから」
しれっとセレスティアは言った。フロリゼルはそれに眩暈すら覚えた。
「女の身でか」
「女性の近衛は珍しくないではありませんか。エレイン皇后陛下とアマーリエ皇女殿下の近衛はほぼ女性でしょう?」
「――それはそうだ。が、俺はお前に守られたいと思わない」
苦虫を噛み潰したような気分で言うと澄んだ瞳がジッとこちらを見上げていた。たじろぎたくなるほど綺麗でひたむきな目は相変わらずだ。
「なぜですか?私が女だからですか?けれどそれは横暴です、殿下。それは男女差別というものです」
「どこが男女差別だ!」
「女が男を守るのはおかしいとお思いなのでしょう?おかしな話です、殿下。殿下はこの国の至宝。何があっても、誰の命を犠牲にしても守るべきお方です。それを、わが身が女だからという理由だけでそんな風に仰るのは差別というものです」
滔々と語るかつての幼馴染――乳母の娘であるセレスティアに何と言ったものかフロリゼルは悩んだ。
相変わらず、表情はほとんど変わっていないが不満に思っているらしいことは伝わって来る。
人形の如く整った繊細な顔立ちの美少女なのだが表情の変化が乏しい上に理詰めで語るので他者から見ると怒っているようにも見えるセレスティア。要するに、誤解されやすいのだ。人間関係で損をしてしまうタイプだ。
おまけにこう見えて頑固なので納得しない限り折れないし、曲げない。
(イヴェール将軍め。確かにムシがつかにようにしてくれとは言ったがこれはやりすぎだ!)
離れて暮らす間変な虫がついて掻っ攫われたらたまらない。そう思って彼女を養育することになった祖父である将軍に頼んだのだが――
「殿下?」
(解ってないしな……)
大の男すら負かす彼女だが身体つきは小柄で華奢だ。背もフロリゼルよりもずっと低い。
絹糸の髪を揺らして窺うように見上げる彼女は凶悪的に可愛い。
無自覚で無意識なのが恨めしいほどに。嘆息して衝動を逃がす。
「……俺はお前に命をかけてもらってまで守って欲しいなんて思ってない。そんなこと、望んでなかった」
「――」
「あの時だって今だって俺は一度でもそんなこと言ったか?」
考えるようにセレスティアの目は彷徨い、
「……いいえ」
目を合わさずに言った。
「だろう?」
宥めるように優しい声を出してフロリゼルはセレスティアの頭を撫でようと手を伸ばした。
「――でも、お傍に行きたかったんです」
その手が触れすことはなかった。
「わたし、殿下のお傍に行きたかったんです!離れたままはいやだから、殿下の近くにいられるように努力したんです!殿下も一緒にいて下さると約束して下さったのに、――どうして、お怒りになられるんですかっ!?」
まっすぐにこちらに向けられた瞳は潤んで、揺れていた。
「――セレスティア……」
「わたしは約束を守ったのに!」
感情のままに声を荒げるセレスティアにフロリゼルは困った。彼女が予想外の方向に突っ走っているからだ。
「約束を守って王宮に――殿下のお傍に来たのに!」
「ティア、声を抑えろ」
「殿下が悪いんです、約束を覚えていらっしゃらないから」
「覚えてないわけないだろう」
「なら、破るつもりなんですね!?約束を違えるなんて――」
(だから何でそういう方向に行くんだ、お前は)
内心がっくりと項垂れた。
「――心外だな。忘れるわけ、ないだろう」
涙を溜めているセレスティアを横目で見てフロリゼルは嘆息した。
「でも、なら、どうして……」
「俺はお前に守ってもらうためにあの約束をしたんじゃない」
「……」
セレスティアは戸惑ったように瞠目した後、瞬きをして涙を散らせた。子供のような無防備さにフロリゼルは苦笑は浮かべた。
「俺はセレスティアに剣として傍に来てほしかったんじゃない。そんなこと、望んでない」
「では女官を志望した方が良かったですか?でも、わたしには向いていないと思いましたので候補から外したのですが」
良家の子女が王宮勤めをすることは花嫁修業の一環として普通に行われていることだ。王宮に勤めたことがあるとなれば箔がつき、売り込むための武器となる。
それは当然、フロリゼルとしても困る。それでは彼女はいずれ他の男に嫁いでしまうことになるのだから。
「そういうことじゃない……」
フロリゼルは痛む頭を抑えた。本当に、この少女の発想だけは読めない。
「ではどういうことなのですか」
頑固な彼女は納得するまで引かない。キッチリ説明してくださいと書いてある顔だ。
困ったことになったとフロリゼルは内心でぼやいた。この幼馴染みは真面目で健気で素直な娘なのだが変なところで暴走するのだ。
おまけに頑固で納得するまで梃子でも動かない。
けれども懇切丁寧に説明するわけにもいかない。それは彼女の約束の他に、もう一つ約束が――いや、賭けがあるからだ。
その日のことが頭の片隅で蘇る。
「――デュプイ夫人」
皇太子の乳母を務めるヴィオレッタは滅多なことでは本名で呼ばれない。メランコリープス夫人、という役職名で呼ばれるのが普通だ。だから、本名で呼ばれて彼女は少し驚いた。
公の場ならばそれは侮辱だ。相手が子供であれ、それは決してしてはならないことだと教えなければならないが呼んだ人間の顔を見る限り間違えたわけではないと解った。
「どうなさいました?フロリゼル殿下」
彼女が養育した皇太子フロリゼルは幼いながらに美しく、嗣子に値する才覚と自負を持っている聡明な皇子だ。
まだまだ子供で遊びたい盛りの腕白な面と凛とした風格と気品を併せ持つ皇子はうまく使い分けていた。それを知るものは少なく、乳母である彼女は皇子のそんな顔を知る数少ない人間の一人だった。
「ティアの父親は皇帝陛下なのか?」
思ってもない質問をされて顔が凍り付くのを感じた。
確かにそういう噂はあった。彼女は皇帝夫妻の親しい友人であり――セレスティアは夫と結婚する前にできた子供だからだ。おまけに、セレスティアには夫とは似ても似つかない容姿だ。父親は夫である《大鷲》ではないともっぱらの噂になっておりセレスティアの父親を憶測する声はいくらでもあった。
ヴィオレッタが皇太子の乳母と指名されたのもセレスティアと彼女を皇帝夫妻が庇護するという意味があったのは確かだ。だからこそ、セレスティアの父親は皇帝ではないかという疑心を持つ者が多かった。
結婚前に妊娠する――それは貴族の女性として最大の不名誉であり不道徳とされている。倫に背く行為だとされていたからそんな彼女を栄えある皇太子の乳母にすることに反対意見は当然上がった。それを抑えたのは他でもない、皇后エレインだった。
エレインは過酷な運命に臨んだ親友を少しでも助けたくて皇子の乳母に指名したのだ。いくら非難されても頑として受け入れなかった。
皇帝夫妻の強硬な姿勢もエレインが醸成したヴィオレッタを擁護する空気も彼女への表立ってはない中傷へと繋がった。皇帝夫妻が信頼する友人、皇太子の乳母になる名誉――やっかみもあって周囲の彼女への視線は冷たく、陰口ばかり叩かれた。
それに対し反論も否定も彼女はしなかった。周囲の目を少しでも娘から自分に引き付けたかったからだ。セレスティアの父親は絶対守らなければならない秘密だ。
「……」
フロリゼルに揶揄の色はない。怖いくらい真剣で――だからこそ彼女は迷った。今のフロリゼルの顔は妊娠を知った瞬間問い詰めてきた親友――フロリゼルの母親にそっくりなのだ。
誤魔化せないだろう――彼女はそう思った。
一つため息をつくと彼女はゆっくりと首を振った。
「いいえ。皇太子殿下。それはあり得ません」
だからといってセレスティアの父親が誰かは教える気はないが。そこだけは相手が皇太子であっても譲れない。
視線が絡み合う。互いの挙動を凝視するその視線は真剣を構えているような気迫があり――静かだった。
やがて、フロリゼルは目を逸らした。
それは負けたのではなく見極めたからだと彼女はすぐに気付いた。
「ならいい。もしティアが異母妹だったら俺はティアを連れて出奔しなければいけなかったから」
たとえ異母妹であってもセレスティアを諦めない。その宣言に驚いた。
「……本気ですか」
思わず言ってしまったのは異母兄妹ではないにしても二人が結ばれるには困難が伴うと彼女が一番解っていたからだ。
「当たり前だ。俺はティア以外要らない」
「……それは……」
現実的にかなり難しいだろう。言い淀む彼女にフロリゼルは訝しんだ。
「なぜ?父上だって妃は母上一人だけじゃないか」
「……そういう問題では……」
ないのは解っているだろう。それも承知済みだと彼女は解った。
この頑固なところは間違いなく母親譲りだ。
「ヴィオレッタ・デュプイ。セレスティアを貰っていいだろう?」
皇太子が役職名ではなく本名で自分を呼ぶ理由にようやく気付いてヴィオレッタはため息をついた。
「……いけません。セレスティアを皇太子妃に――皇后にするなんて、危険すぎます」
「なら、攫うだけだな」
あっさりとフロリゼルは言った。ヴィオレッタは呆れてしまう。
「最初から、わたくしの許しを求めていないではありませんか」
「許して欲しいなんて言った覚えはない。これは確認と宣誓だから」
「――……」
そこは親の許しを得るべきところだろう、と言うべきかヴィオレッタは悩んで辞めた。
「俺に見つかるところにティアを置いていたのが悪いんだよ、ヴィオレッタ。――俺はもうティアを見つけちゃったから、遅いよ」
不敵に笑うフロリゼルは悪戯を企む時の顔そのものだった。
「殿下……」
「あぁ、別にティアの父親が誰か聞き出そうなんて思ってないから安心して。さすがに異母妹だったら父上たちもお許しにならないだろうから国を出なきゃいけないなと思っただけだから。そうじゃないなら、別に構わないだろう?《大鷲》の娘として嫁いでもらえば」
「――」
異母妹でなければ何でもいい。ということなのだろう。フロリゼルにとってはセレスティアの父親が誰であっても構わないのだ。――自分の父親でさえなければ。
「セレスティアを手に入れるのには困難が伴いますよ。反対は必至でしょう」
「別にいいんじゃないか?乗り越えればいいだけなんだから」
当たり前とばかりに飄々とフロリゼルは言った。気負う事のないこの皇子はことの重大さを認識していないようにも見える。
「――なら、あの子を隠します。セレスティアを皇太子妃に――皇后にするわけには参りません」
宣言すればへえ、と感心したように目を丸くした。
「そんなことをするんだ、ヴィオレッタ」
「妨害がないとお思いでしたか?」
「別に。やりたければやればいい。言ったじゃないか、攫うだけだって」
笑う顔は憎たらしいほどに自信に満ちていてそれさえも魅力的なのだから腹が立つ。
「自信がおありなんですね」
セレスティアを手に入れる自信が。
「――デュプイ夫人、賭けをしないか?」
ヴィオレッタは知っていた。こういう表情をする時のはたいていロクでもないことを考えていると。しかも厄介なことにそれを止める術はないのだ。自由奔放に振る舞って周りはいつの間にか彼に思惑に乗せられる。刃向おうとしても彼は頑固に譲らない。
しません、と断れない自分に溜息を禁じ得ない心地になりつつヴィオレッタはフロリゼルを促した。
「どんな賭けですか?」
「簡単だよ。俺からティアを遠ざけて、その後ティアが自分の意志で俺のところに戻って来るかどうかっていう、賭け」
「……」
なんだその分の悪すぎる賭けは。あまりの理不尽さにヴィオレッタは身分の壁を忘れてフロリゼルに冷たい視線を向けた。そんな視線をものともせずフロリゼルは頭の後ろで指を組んで嘯くように言う。
「ああ、それだけじゃないぞ?戻ってきたティアが俺のことを好きになるかどうか。絶対、俺からは告白しない状態でティアから告白させる。――俺がティアを好きにさせることができたなら、俺にティアをくれないか?」
この目が厄介なのだ。碧色の目が輝く時が一番危ない。
「……承服しろと仰るのですか?」
「しないなら不戦勝だな。俺の勝ちだ」
ヴィオレッタはきかん坊のフロリゼルに溜息をついた。こうなったらどんな状況からでもフロリゼルは自分の思い通りになるまでことを運ぶのだ。厄介なことにそれを我儘、自分勝手と切り捨てられない策略を用いて。
(――この狡賢さはなんなのかしら)
腹立ちまぎれにそんなことを考えてみるけれど、自身が育てた皇太子を本気で貶すことなどできなかった。
「――わかりました。その賭け、承ります、フロリゼル殿下」
フロリゼルは不敵に笑った。
賭けに負ける気なんてまったくなかったのだ。――が。
(前途多難だな)
勘違いして涙目になっているセレスティアを見てフロリゼルは自分の計画が狂うのを感じた。
本当にタチが悪い。あの頃でさえ美少女だったセレスティアだが成長してその美しさに磨きがかかってしまっている。けれども。
(こんなに無自覚で無防備とか!無いだろう、フツウ!!)
武骨な祖父の元で育ったためかセレスティアにはまったくと言っていいほど男っ気がなかった。それはいい。問題ではない。――が。ここまで男女の機微に疎いと幸先不安だ。
それはそれとしてセレスティアの疑惑の目をどう躱すか。それが今の最大の問題だった。
何が何でもフロリゼルの傍にいく。そして彼を護る。
それがセレスティアの目標であり願いであり望みであった。ただし手段は問わない――というのが問題だ。
確かにセレスティアは体を動かすことの方が得意だった。淑女の教養とされる科目はどちらかと言えば苦手であったから皇太子であるフロリゼルの傍にいくのに妃になるという選択肢は最初から無かった。自分の得意分野を生かしてフロリゼルの傍に行くことを目指した。
フロリゼルの思惑とは別に。彼の望みはもちろん、セレスティアが妃になることだった。
貴族の令嬢でありながらセレスティアは妃になる発想がなかった。
フロリゼルとしてはそちらを望んでいたのだが。なぜここでセレスティアが護衛を目指したのかフロリゼルとしては不思議で仕方がない。
一方でらしいなとも思う。セレスティアはクソ真面目だが発想は突飛でフロリゼルの予想を裏切りることは度々あった。最初からストレートに告げておくべきだったのだ。セレスティアもイヴェール将軍も一筋縄ではいかない相手だと分かっていたのだから。
もっともそれも後の祭りだ。今この段階でセレスティアに愛を告白して妃になるよう懇願するわけにはいかない。自分から出した条件を不利になったからといって一方的に唾棄する横暴さはフロリゼルにはない。
なら蜘蛛の巣のように策を巡らせて絡め取ってしまえばいい。あの時と違って今はセレスティアが自分の側にいる。それだけで欠けていたものが埋まり、満たされた心地になる。
とにかく今はセレスティアを納得させるのが先決だ。
「また会えて嬉しいよティア。ただ……まさか翼手になると思っていなかったから驚いたんだ」
嘘ではない。
「……驚いただけじゃなく、嫌そうでしたよね?」
疑いが消えない。
「だって翼手だ。危険が伴うだろう?」
「当然です。翼手は剣であり、盾なのですから」
「だからだよ」
「……殿下?」
傷一つない、まろやかさは無くなったものの柔らかな頬に手を添える。
「ティアが俺を護って傷つくところは見たくないんだ」
「……騎士とはそういうものです」
「そうだな。それが仕事で、役割であり矜持だ。知ってるさ」
でも嫌だ、とフロリゼルは切実に言う。
「……殿下のお側にはわたし以外の騎士だって侍っているでしょう。わたしだけ特別扱いするのは良くありません」
自分以外の騎士なら使い潰しても良いのかとセレスティアの瞳に批難が宿る。セレスティアらしい誠実さだ。
「失礼な。俺の近衛で殉職した奴はいないぞ。これからもこの先もだ」
「そうですか」
肩の力を抜けた。フロリゼルの非道なところを見たくなかったのだ。
「けど誰が何と言おうとお前は特別だ。だからもっと気をつける。ーーお前が傷付かないように」
「……」
ある意味傲岸にフロリゼルは言い切る。でも振り払えない切実さが滲んでいた。親愛というにはあまりに切なく重いそれにセレスティアは飲まれる。
「ーーそれぐらいなら良いだろう」
「え……と。そう、ですね?たぶん」
護衛対象本人が危険を回避してくれるならそれはそれで良いことだろう。感情の比重がセレスティアに向きすぎてる気がするが。
「……まあとにかくよろしく、セレスティア・デュプイ」
「はい、殿下」
丸く収まったらしい。見守っていた騎士団長とルクレーアが安堵のため息をついた瞬間ーー
「これからはずっと一緒だな」
「はい。お側でお守りします」
不穏な気配を察した。セレスティアは気付いていなかったが。
「ーー!!(殿下、不穏なんですけど!笑ってるけど、笑ってない!)」
端麗な面に浮かんだ笑みは数多の女性を蕩けさせるくらいに(セレスティアは例外だが)美しいが目が違う。獲物を狙う獰猛な獣のようだ。
(仕方がないだろう!10年だぞ。激重に拗らせてるんだ!)
バスティアン団長とブレージは視線で会話する。セレスティアだけがフロリゼルの思惑に気付かず1人平和だ。
(温度差激しくないですか……?)
どう見てもセレスティアはフロリゼルを意識していない。
(……………………大丈夫だ。セレスティア……デュプイにとっても殿下は特別だ)
(団長、それ同じ意味じゃないですよね?)
(………………)
顔を逸らすバスティアン団長。ブレージは前途多難だなと心の中で呟き、フロリゼルとセレスティアを温かい目で見守ることを誓った。
彼らも下手に手が出せなかったのである。恋愛指南するほど経験値がないので。
こうして皇太子と令嬢騎士の戦い(意地)が幕を開けるーー。




