第二話 その3
フロアが変わったわけでもないのに、隠し通路の先はひんやりと肌寒かった。
「心なしか雰囲気も薄気味悪くなったわね……」
電灯の明かりは元の場所よりも若干薄暗く、加えて設置されている間隔が広いせいで、明かりに隙間が出来ていた。本質的には同じ場所なのに、肌寒く感じて薄気味悪く思うのはそのせいだろう。
そしてそれとは別に――本能的に感じる得体の知れない気配が、その感覚に拍車をかけていた。
要するに――何か出そうだな、といった感じの場所だった。
「いきなり強い魔物とか出てこないでよ……」
「フッ……おそらくその心配は無いでござるよ、エリザ氏」
おっかなびっくりなエリザとは対照的に、カールは余裕の表情だった。
「え……何か根拠でもあるの?」
疑問符を浮かべるエリザに、カールは無論、と頷いた。
「元来、隠しエリアには強力なモンスターが配置されているというのが常道でござる。故に拙者もそれに則り、隠し通路を前に二の足を踏んでいたのでござるが……しかしながら、現実にその常道は適用されないと気付いたのでござる。何故なら長年誰にも見つかる事の無かった隠しエリアというのは、言い換えれば長年誰も立ち入る事の無かった密室という事なのでござる」
「……つまり?」
「この密室は草一つ生えてない石造りで、たまに小虫が出る程度。そんな環境下で、我々を脅かすような強力な生物が発生するわけがないのでござる。出るとしても、小虫を啄む程度のネズミサイズの動物が関の山という事なのでござるよwwwデュフフwww」
カールは余裕の草を生え散らかした。
「…………。言われてみれば、そうかもしれないわね……」
気持ちの悪い笑いと草はともかく、カールの理屈には一理あった。
完全に密閉されている場所からは、新たな生物が誕生する事は無い。せいぜい隙間から小虫が入り込んで、そこを住処にする程度だ。エリザが危惧するような存在など現れるわけがないのだ。
薄暗く不気味な空間という雰囲気に当てられただけで、何か出そうなんて思うのは錯覚以外の何物でもないのである。
「……そうよね。こんなところにヤバい魔物なんて出るわけないのよね……!」
「言うなればここはちょっと広めの倉庫みたいなものでござる。古い倉庫に魔物が自然発生するなら、老舗の酒蔵は大惨事でござるよwww」
「まったくだわ。ほんと、さっきまでビビってたのがアホらしいわね……ハハ」
「そうでござるよ……フヒヒwww」
「キシャー!」
「……おやエリザ氏、笑い方の品性がロストしているでござるよ?」
「なに言ってるのよ。私の笑い方はもっとこう、花咲く乙女の如しよ。今のはあなたでしょ?」
「拙者あんな獣の鳴き声めいた笑い方はしないでござるが」
「私だってあんな霊長類未満の笑い方なんてしないわよ」
「…………」
「…………」
二人はバッと振り返り、品性のロストした獣めいた霊長類未満の声のした方を見た。
「キシャー!」
声の主が復唱した。
それは小さかった。全高はエリザの腰ほどの高さ。頭も手足も何もかもが、小さな子供のそれと同等のサイズだった。
しかし、それは大きかった。体毛に覆われた皮膚、長いウサギのような耳。愛らしさと不気味さの混在する赤い瞳。手には肉球、その先端には五指と爪。総じて四足歩行の小動物のような容姿にあって、そのサイズは大きいと分類するに足るものだった。
「……エリザ氏、あの生物は?」
「あれは…………魔物よ!」
そんなちぐはぐな生き物こそ――カールが異世界で初めて遭遇した、魔物という存在だった。
「おお、遂に……しかしてその名は?」
「洞窟バニットよ。主に洞窟に生息しているウサギ系の魔物ね」
「呆れるほどその名の通り過ぎる魔物でござるな」
洞窟バニット。主に洞窟に生息する、ウサギ系の魔物である。などとエリザのセリフを繰り返す事になるくらい、そうとしか言いようのない魔物だった。
「では初めての魔物との遭遇に打ち震えながら、逃走するでござるよ。……いや退却? 撤退? エリザ氏、この世界の逃げるコマンドはどのように呼称されているでござるか?」
「知んないけど……とりあえずこっちは手ぶらだし逃げるしかないわよね」
「キシャー!」
魔物が急に襲いかかってきた!
「フゴッ!?」
「ひゃぁっ!?」
洞窟バニットの不意打ち気味の突進攻撃を、カールは地面を転げ、エリザは体を反らして躱した。
「ちょっ、いきなりは反則よ!」
「よ、よく考えたらこの遭遇、バックアタックでござる……最初の行動選択権は向こうにあったのでござるな……フヒィ!」
二人は体勢を立て直し、魔物と相対する。
今の突進で二人と魔物の位置が入れ替わり、進路が塞がれた格好となった。
「では改めて逃走コマンドを。今ので我々ちょうど出口を背にしている形、そのまま隠しエリアからも脱出可能でござる」
進路が塞がれているという事は、即ち退路は空いているという事だ。逃げる事を第一とするなら、事態は好転したと言えるだろう。
「なればそのまま遺跡からも出てしまう事を進言するでござる。さすがに奴もフィールドでまで追ってくるほど無作法ではないと推測。でなければ彼奴の名は洞窟バニットではなく、広域生息バニットになってしまうでござるからな」
半ばメタ的な視点から、カールは洞窟バニットの生態を看破した。ちなみに実際その通りだった。
「――駄目よ」
しかし魔物を見据えたまま、エリザは言った。
「えっ、なんだって?」
「撤退は無しよ」
「えっ、なんだって?」
「逃げないと言ったのよ」
「えっ、なんだって?」
「…………」
エリザはカールの二の腕を思いっきり殴った。
「エ゛ン゛ッッ!? いっ、いきなり何をするでござる!? 拙者暴力系ヒロインには寛容でござるが、そもそもそのタイプのヒロインは時代遅れと言わざるを得ないでござるよ」
「あんたがふざけるからでしょうが!」
「今のは耳を疑ったという事を難聴系主人公風に表現してみただけでござるよ。拙者また何かやっちゃいました?」
「うっさい! とにかく、逃げ道に出口しかないというなら逃げるのは無しよ。理由はそのまま逃げたら開拓にならないから」
空いている退路に出口しかないという事は、即ち魔物からの撤退は隠しエリアからの撤退という事になる。隠しエリアの開拓を第一とするなら、逃げるという選択肢はここで消える事になるのだ。
「魔物という危険を前にして、いったい何がエリザ氏を駆り立てるのでござるか?」
「そんなの決まってるわ。今日開拓しないと誰かに先を越されて、家に戻れる日が遠のくからよ!」
前回も話したが、これは千載一遇のチャンスなのである。魔物の一匹や二匹が立ちはだかったとしても、エリザにとっては簡単に諦められるものではないのだ。
「なるほど、理解したでござる。それでは拙者は――」
「もちろんあんたも来るのよ。地図を描けるのはあんただけなんだから」
「何やら既視感のあるやり取りでござるぞ」
話し合いの結果、二人は魔物に立ち向かう事を選んだ。選んだのは一人で、もう一人は半ば強制的に付き合わされているだけだが。
「キシャー!」
今まで散々待たされていた洞窟バニットが、ようやくといった風に雄叫びを上げる。
「ところであなた、戦闘は?」
「戦闘? 拙者は見ての通り、ポ〇モンで言うところの鈍足低火力紙耐久でござるが」
「相変わらず言葉の意味はよく分からないけど、戦闘に関しては何の役割も持てなさそうね」
なまけて蓄えて眠って寝言を言うくらいしか、カールに出来る事は無かった。つまり何の役割も持てなかった。
「キシャー!」
痺れを切らした洞窟バニットが、再び襲いかかってきた。むしろよく今まで待ってくれていたものである。
攻撃方法は先ほどと同じ突進攻撃。そこそこバネのある脚で跳びかかり、鋭い爪で引っ掻くというものだ。それは皮製の防具でも充分防ぎきれる程度のものだが、布製の普段着のような防具では時として致命傷にもなり得る。
そして二人の格好は……布製の普段着だった。
「フゴッ!?」
その鋭い爪から危険を察知し、カールはまたさっきのように地面を転げ、
「――えいっ」
エリザは、跳びかかる洞窟バニットの顔面に拳を突きだした。
それはどさくさ紛れの、闇雲な突きなどではなかった。
エリザの放ったそれは、何千、何万と繰り返された、『型』のある動作だった。
「ギシャッ!?」
カウンターをもろに食らった格好となった洞窟バニットは、弾き飛ばされるようにして壁に激突し、そのままずるずるとくずおれた。
「ふぅ……なんとかなったわね」
エリザが『型』を解いて、一息つく。気を失っているのか、洞窟バニットが動き出す気配は無かった。
「……エリザ氏、今のは?」
「正拳突きよ。ボルゾーイ流空手、基本の壱ね」
「ボルゾ……なんでござるか?」
「ボルゾーイ流空手、よ」
そう言うとエリザはパーソナル・カードを取り出し、スキル欄を指でなぞった。
ボルゾーイ流空手B……ボルゾーイ流空手段位、紅玉相当の実力。生体特効。徒手空拳時に、段位に応じた攻撃力ボーナスが付与されます。
「そっちの世界には無いの? ボルゾーイ流空手」
「空手ならあるでござるよ。暴力系ヒロインが日常的に拙者の分身に振るっているでござる」
「……流派ボルゾーイは?」
「どうしてあると思ってそれを訊けるのか不思議でならないでござるよ。あるわけがないでござる」
「あ、そう。……でも、よかったわ」
エリザが洞窟バニットを殴打した方の手を、握っては開く。
「何がでござるか?」
「練習試合以外で生き物に手を出したのは初めてだったから。ちゃんと通用してくれて安心したわ」
エリザは安堵したような表情で、拳を優しく撫でた。初陣を終えたその拳を慈しむように。
「それはよかったでござるな」
そこでカールは、ふとある事を思い出した。
「……ところでさっきの肩パンと今朝の腹パンは」
「さぁ、先に進むわよ!」
エリザは瞬時に気持ちを切り替えて、ずんずんと奥に進んだ。