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第二話 その1

 ――グオゴゴゴ


(う、うぅん……)


 地鳴りのような音が聞こえる。地の底から響いてくるような、不吉な災害の予兆のような音だ。


 ――ンゴゴゴゴゴ


(うぅっ……)


 違う。これは声だ。


 地の底に繋がれた、獰猛な魔物のような声。眼前の獲物を食い殺さんと、鎖から解き放たれる瞬間を今か今かと待っている。


(う、ぐぐ……)


 鼻腔をくすぐる、獣の臭い。永い永い、人の身では及びもつかないほどの永い年月を、命を喰らって歩み続けた獣の臭いだ。


 獲物を狩り続け、血を浴び続け……そうして何年も何年も歩き続けた。その果てが地の底であり、疲れ果てた獣は自らを鎖に繋ぎ、眠りに就いた。そして目が覚めたら腹が減ったので獲物を狩ろうと思ったら自分で繋いだ鎖に繋がれていたので狩りに出かける事が出来ずに呻き声を上げているのだ。


(……ん? 途中からなんだか間抜けな感じに……)


 ――意識が徐々に覚醒していく。


(夢……? でも音も匂いも…………って、重っ!?)


 微睡みをすっ飛ばして、エリザの意識が瞬時に覚醒した。


 うるさい。臭い。重い。寝起きにそれは一つでもしんどいのに、三つ同時にその身に降りかかっていた。


「な、なにが――」


 そしてエリザは、今現在自分の身に起きている事を確認した。


「ングオゴゴゴゴゴグフィ~」


 カールがエリザに覆い被さるようにして眠っていた。


「ぎっ……ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 乙女にあるまじき咆哮が、朝の廃屋に響き渡った。




 町の外れの空き家。平屋の一軒家で、外観こそボロボロだが、雨風を凌ぐくらいなら不足は無い。手入れをすれば住む事だって出来そうだった。


 早朝。その空き家の一室で、男と女が対峙していた。


「信っじられない!」


 片方は殺意に満ちた怒り顔で、


「ふご、ゴゴゴ……」


 もう片方は、呻き声を上げつつお腹を押さえてうずくまった格好で。


 二人の一日の始まりは、こんな感じで始まった。


「な、なにゆえ拙者は朝から、カ〇ロットに腹パンされたリ〇ームのような姿勢になっているでござるか……?」


 息も絶え絶えなカールの声。カールはその姿勢が示す通り、腹に一発かなりのものを食らって悶絶していた。


「言ったわよね? 手を出したら殺すって」


 怒気に満ちた顔でわなわなと握り拳を振るわせるのは、エリザ・フィル・ドミナリア。この町の領主の娘で、先日の狂言誘拐騒ぎを起こした罰として家を追い出された御令嬢だ。


 罰の内容とここに至るまでの経緯は前回の話を読んでもらうとして、とりあえずしばらくの間は二人で行動する事になったのだが…………さっそくこんな事になっていた。


「ご、誤解でござる……! 拙者、エリザ氏に手など出しておらぬでござる!」

「私の部屋に侵入して覆い被さってきて、何が誤解よ!」


 別々の部屋で寝ていたはずなのに、目が覚めたらカールが自分の上に乗っていた。これはもう言い訳のしようがなく事案だった。有言実行されても文句は言えない。むしろ未だに息がある事に感謝すべきですらあった。


「……エリザ氏」


 もちろん、被害者の言葉が全て真実なら、の話だが。


「ここは拙者の部屋でござるが」

「は? あのねぇ、吐くならもう少しマシな嘘を吐きなさい。どう見たって私の部屋じゃない」

「二つの部屋は似たような間取りでござるからな。家財道具も無ければ見分けはつかないでござる。ましてや住んでまだ一晩でござる故、間違うのも無理も無いでござる」

「ふん、そんな誤魔化しで。だったらここがあなたの部屋だって証明しなさいよ」

「ドアを開ければすぐに分かるでござる。……確かエリザ氏の部屋は玄関に一番近い部屋でござったな?」

「ええ、そうよ。自分で言い出した事だもの、それくらい――」


 エリザは部屋のドアを開けて、廊下の先を見た。


 この部屋と玄関の間に、もう一つドアがあった。


「…………」


 静かにドアを閉めるエリザ。


「拙者、暴力ヒロインには寛容でござるが、謂れのない暴力に対しては訴訟も辞さないでござるよ……」


 腹パンされたリ〇ームの姿勢のまま、カールは静かに言った。


「……でも私たちは確かに別々の部屋に入った。なのに、私はいつの間にかこの部屋にいた。という事はつまり、この家には何らかの魔術的なアレが施されているという事に他ならないわ! ええ、きっとそうよそうに違いないわ」


 答えを得たり、とばかりにエリザがうんうんと頷く。


「エリザ氏、夜中にトイレに行かなかったでござるか?」

「トイレ? 美少女はトイレになんて…………まぁ、行ったけど」

「トイレから戻る時に部屋を間違えたのではござらんか?」

「…………」


 エリザは昨夜の事を思い出す。


 寝ぼけ眼で用を足し、真っ暗な廊下を戻る。そして最初に目に付いたドアを開け、そのまま倒れるようにして眠りに就いた。


 間違えたかどうかは定かではないが…………確認しなかった事は確かだった。


 と言うかそもそも、魔術的なアレなんて民家に仕掛けられているはずがなかった。


「……わ、悪かったわよ。でもあなたも美少女に圧し掛かれたんだから、腹パンと今の謝罪でおあいこよ!」

「拙者にしてみれば腹パンで起こされただけなんだよなぁ……」


 眠っている時の意識など当然無いので、カールにとっては寝起きに暴力を振るわれただけの事だった。


 しかしながらこの手の案件は10:0で男が悪い事になりがちなので、相手の方からおあいこと宣言されただけマシなのかもしれなかった。


「……ところで。ところでね、カール?」


 どことなくそわそわした風に、エリザが尋ねる。


「なんでござるか?」

「重かったのはあなたのその巨体、うるさかったのはいびきなのは分かるんだけど……もう一つ私が感じた、得体の知れない匂いの正体はなんなのかしら?」

「それだけでは皆目見当もつかんでござる。詳細キボンヌ」

「(キボンヌ……?)ええと……汗臭さとオッサン臭さを雑巾に染み込ませて、それを絞って出てきた液体を服に塗りたくったような感じだったわ」

「フム……やはり皆目見当もつかんでござるな。この服はまだ新しいし、風呂は一週間前に入ったはずでござるからな」

「うん……うん? あれっ? 聞き間違いかな……」


 エリザは戦慄しながら耳を疑った。


「どうしたでござるか?」

「うん……なんかあんたが一週間風呂に入ってないって聞こえたから」

「ハハ、それは間違いでござるよ」

「そ、そうよね。そんなはずないものね、アハハ……」

「一週間前に入ったのだから、風呂に入ってない期間は六日でござるよ。今日入らなかったら晴れて一週間入ってない事になるでござるが」

「うぎゃぁぁぁぁぁ!」


 乙女にあるまじき声を上げて、エリザは思いっきり後ずさった。


「ぬっ!? もしやG(ゴ〇ブリ)の出現でござるか!?」

「あんたよあんた! 信じられない! 不潔! 最ッ低! 人非人!」

「ドゥフフそんなに褒められると照れるでござるなwwwフヒヒwww」

「このメンタルお化けが!」


 その後、エリザは踊りか舞踊のようでそうでない、何とも言えない不可思議な動きをした。それは体に纏わりついた邪気的な何か――端的に言えば圧し掛かられた時に付着したカールの成分を自分の服から欠片も残さず追い出したいが、どうすればいいのか分からないといったような動きだった。


「降霊術か何かでござるか?」

「違うわよ! さっさと風呂行ってきなさい! 今すぐ!」


 ビシっと風呂場の方を指さす。


「ハハッ、エリザ氏……廃屋で風呂なんて使えるはずがないでござろう?」

「水は出るから! 水だけはどこでもタダで使えるようにした領主の計らいに感謝して水浴びしてきなさい!」

「別に拙者平気でござるが……」

「(ギロリ)!」

「拙者水浴び大好き!」


 殺意を感じずにはいられない眼光に射抜かれ、カールはそそくさと風呂場に向かった。


「うぅ……こんな生活、もう嫌……」


 初日の朝で、エリザはそう呟くのだった。




「拙者の服が様変わりしている件について」


 風呂上がりのカールの服装は、美少女のプリントされたTシャツにジーンズという、転生前のものとはうって変わって、白のインナーにグレーのジャケット、茶色のズボンという、この世界の標準的なものになっていた。


「タンスを調べてたら入ってたのよ。服が一通り。ここの住人は取る物もとりあえず夜逃げでもしたのかしらね……」


 保管状態が良かったのか、服にはさしたるボロも虫食いも見られなかった。そこには女物の服もあったので、エリザも着替えとしていくつか自分の部屋に持ち帰っていた。


「ところで拙者の元の具象礼装はいずこに?」

「捨てた」

「おファッ!? な、なんて事をするでござるか! 完全限定生産、玉吉えろはちゃんのTシャツを!(観賞用保存用別途購入済み)」

「……と、言いたいところだけど、ひとまずあなたの部屋に隔離してあるわ。捨てるにしてもあんまり触りたくないし、焼くとものすごい臭い発しそうだし……」

「フゥ……ひとまず胸をなで下ろしたでこざる」

「そんな事より、これからの事よ」


 椅子に座るエリザが、カールに座りなさいと人差し指でテーブルを指す。


 二人は今、リビングにいた。


 ここに残されていたテーブルと椅子は、年代物ではあるが埃を払えば常用に耐えられそうだった。湿気を多分に吸ってそうなソファとか、煤で真っ黒な暖炉とかは、廃棄あるいはリフォームが必要そうだったが。


「これからとは?」


 カールが椅子に座る。ミシリと少しだけ嫌な音がした。


「私は開拓をしなければ家に帰れない。よって今すぐにでも開拓を行いたいのだけど……もちろんそれは簡単には出来ない。なので、まずは当面の生活費をどうにかする必要があるわ」

「異論無いでござる」

「で…………残りいくら?」

「フム……500Gでござるな」


 あの後二人は、ここに来る前に必要最低限の日用品と今日の朝食を購入していた。


 それで、二人合わせて残金500G。一応エリザも小遣い程度の額の金は所持していたが、それも含めての金額だ。


 これでは生活どころか、今日のお昼ご飯すらも怪しかった。


「なので、まずはお金を稼ぎます」

「異論無いでござる」

「働きます」

「絶対に働きたくないでござる!」


 カールは断固拒否した。働いたら負けだと思っている。


「じゃあどうすんのよ」

「フム……一万円札が使えればもう少しどうにかなるのでござるが」

「あぁ……例の異世界のね」


 カールは昨晩、諸々の経緯をエリザに話した。お約束の一悶着(は? なに言ってんの異世界? そんなの信じるワケないでしょ。でもそんなの見た事無いしやっぱり異世界ってのは本当に……的なやつ)はあったが、一応エリザは理解を示した。


「仕方ない……もう一度アレをするしかなさそうでござるな」

「アレ? ……そういえば一応この世界でお金を稼いではいるのよねあなた。どうやって稼いだの?」

「KOJIKIでござる」

「KOJI……は? なにそれ?」

「富裕層が行き交う場所で、こう、空き缶を前に置いて座り込むのでござる」


 リビングの床に腰を下ろし、カールが実演してみせた。


「それって……ただのKOJIKIじゃない!」

「然り」

「然り……じゃないわよ! 冗談じゃないわ、そんな事出来るわけないじゃない!」


 領主の娘として、乙女として、それは越えられない一線だった。


「どのみちエリザ氏には不可能でござるよ。その容姿でやってもただの道楽としか見られないでござる故。エリザ氏では施しではなく御捻りになってしまうでござる」


 KOJIKIを完遂するには、言葉は悪いがある種の『哀れさ』が必要なのだ。エリザにはそれが微塵も無いので、彼女が空き缶を前に座り込んだところでKOJIKIは成立しないのである。と言うよりエリザは領主の娘としてある程度顔が割れているので、KOJIKIの実行はそもそも不可能なのだが。


「では拙者は早速、さながら一家の大黒柱の如くKOJIKIで稼いでくるでござるよ。エリザ氏はさながらマイワイフのように帰りを待つがいいでござるwwwドゥフフwww」

「旦那がKOJIKIで金を稼ぎに行くのをどんな顔して送り出してどんな顔して待ってればいいのよ……。と言うより怖気の走る設定を作らないでちょうだい」


 協議の結果、KOJIKIは却下という事になった。




「働きたくないならもうあれしかないわ」


 コッペパンだけの寂しい朝食の最中。


「クエストよ」


 新たな金策をエリザは提案した。


「フム……クエストでござるか」


 実際問題、労働もKOJIKIも駄目ならもはやクエストしか金策は残されていなかった。


「異世界の様式に従うのもやぶさかではござらぬが……しかし開拓者に出来るクエストなんてあるのでござるか? 伝え聞くところによると、無職同然との事でござるが」

「それは…………あるんじゃない? 例えば……弱っちい魔物退治とか?」

「エリザ氏ひょっとしてクエスト受けた事無いのでござるか?」

「領主の娘がクエストなんてしないもの」


 カールもエリザも、クエストに関しての知識はほぼゼロに等しかった。


「ところで一つ訊きたいのでござるが」

「なによ」

「魔物を倒したらお金や道具が手に入るという事はないのでござるか?」


 RPGではお決まりの事象だ。


「あるわけないでしょ。なんで魔物がお金や道具を持ってるのよ」


 カールの世界の人間は当然のように受け入れている事象であるが、実際のところその原理は永遠の謎だった。


「そう言われるとぐぅの音も出ないでござるが…………あるいは空から降ってきたりはしないのでござるか?」

「するわけないでしょ。なんで魔物を倒したら空からお金や道具が降ってくるのよ」

「そう言われるとぐぅの音も出ないでござるが…………そうであったとするデジタル文献があったのでござるよ」


 永遠の謎をそう視覚化したゲームが、過去にあったのであった。ちなみにその出来は……(察し)。


「そう……よく分からないけど、目に見える形にする必要は無かったんじゃないかしらね、そういうのって」


 そう言って、エリザは最後のパンの欠片を口に放り込んだ。


「じゃあ、とりあえず酒場に行くって方針でいいわね」

「異論無し」


 とっくに食べ終わっていたカールが追従する。


 二人の当面の予定は、クエストをこなすという事に決まった。生活費と、開拓のための遠征費を稼ぐために。


 二人の異世界開拓記は、ここから始まるのであった。


「然らば、さっそく行くでござる」

「……それは置いていきなさい」


 空き缶を手にしたカールを、エリザは呆れ顔で窘めた。

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