悪魔のささやき
「腹が減っては 戦が できぬ。」
何時の間にか、昼過ぎになっていた。
移香斎は、自然薯を掘りだして、丸かじりしていた。
移香斎とて人の子、腹も空くし、疲れもする。
栄養が体に染み渡る思いであった。
『 栗は生では食えぬので、拾って、鶴姫への土産としよう。
木の実は、森の小鳥たちの物だから、止めておこう。
ちと、喉が渇いたのう。川へ水を飲みに行くとしよう。』
腹が満たされた移香斎は、川へ向かうことにした。
移香斎が川で洗濯じゃなくて、洗顔して水を飲んでいると、
人の気配を感じた。
川の真ん中ほどの岩に、美しき人魚と見間違うほどの
妖艶な美女が座っていたのである。
腰まで伸びた漆黒の黒髪、透き通るように白い肌と
薔薇のように赤く濡れた唇、そして妖しく光る瞳。
今の世で言うスクール水着に似た藍色の衣装を着ていた。
そのギャップに、並みの男なら一目で魂を抜かれる。
太ももから下を見せないところが、これまた憎い。
「 移香斎様、お初にお目にかかりまする。
この水蓮がお相手します。」
歌うような声が、また一段と素晴らしい。
鵜戸明神に聞いたことのある南蛮の海の精霊、
ギリシャ神話に登場する悪魔の歌声のセイレンを思わせた。
「 仕方がないのう。相手してやるとするか。
それで、どう勝負してくれるのかな。
関係のない者の巻き添えは、ご免こうむる。」
移香斎は、まったく色気に惑わされることなく、
お前なんか、まともに戦えるのかって言う顔で、
冷たく言い放った。
「 お優しいのですね。それでは、私とサシで水中戦は、
いかがでしょうか。もっとも、その勇気があればの
話ですけど。」
すげない態度の移香斎に少し驚きながらも、
水蓮も挑発した。
「承知いたした。」
移香斎は、着物を脱ぎ、フンドシ姿になった。
一見やせて見える極限まで鍛え上げた体、
余計なぜい肉はなく、鋼のよう丈夫でありながら、
しなやかで柔軟な筋肉に覆われていた。
移香斎は、着物の上に大小の刀を置いた。
忍び相手に武器を手放すとは、大胆不敵であった。
「いざ!」
「 では。」
二人は、同時に川に潜った。
果たして水蓮は、人魚のように泳ぎが達者であった。
移香斎の周りをユラユラと鯉の如く、華麗に泳ぎ回った。
攻撃の気が全く読めない。
かと言って、こちらから仕掛けると、ヒラヒラとかわす。
足には、何やら板製の大きなカエルの足のようなものを
はめている。
『 大口を叩くだけのことはある。
このままでは、息が続かぬな。 』
感心しながらも、一度息継ぎに行こうと考えたその瞬間、
水連はスルスルと鰻のようにからんできた。
「 うつ・・・」
水蓮は、長い両足を肩車のような態勢で、
移香斎の首を強烈な力で締め付けてきたのであった。
並みの剣術家なら、一瞬で首の骨を砕かれていたであろう。
「ごぼっ。」
外しようがないほどの恐ろしい力であった。
思わず、一呼吸分、肺の臓の空気を出してしまった。
移香斎とて熊野水軍の申し子、海での泳ぎと潜水には
自信があった。
甲冑立ち泳ぎ、水剣、水書、西瓜切りなど水術の
たしなみもあったが、どうもこの忍び相手には勝手が違う。
「 移香斎様。このまま、絞め殺されたいですか、
それとも、素直に負けを認め、私の下僕になりますか。」
水中での忍びの特殊な発声法で囁いてきた。
『 こやつ、悪魔か。』
移香斎は、覚悟を決めた。
まだ、反撃する力があるうちに、右手の人差し指に
気を集中させた。
ハアアア~
「破!」
右手の人差し指を、水蓮の肛門に突き入れた。
「ぎゃあ~!」
水蓮は、肺の臓の空気を全部吐き出してしまい、
苦悶に満ちた表情で、水面に上がって行った。
断崖絶壁を素手で登り、畳一枚なら手刀で突き破ることが
できる移香斎のこの攻撃を喰らったら、ひとたまりもない。
「 そこは、あかんやろ~! 卑怯者。
おまえ、それでも、侍か。」
水中に顔を出して、空気とはこんなにも旨い物だとは
知らなんだと、感激している移香斎に、水蓮はメデューサの如く、
怒りの言葉を吐いた。
「 忍び相手の戦いに、卑怯もクソもあるまい。
これでも、攻める急所を考慮してやったのだぞ。
私なら、金的をつぶされても、己の未熟を恥じるだけで、
敵に文句は言わないな。」
平然と涼しい顔をしてのたまう移香斎に、
水蓮は怒りを爆発させた。
「 ぬかしたな。その言葉を忘れるなよ。
ええい、仕切り直しじゃ。かかって来い。」
「 承知。」
二人は、再び、川に潜った。
怒りに燃える水蓮は、移香斎の金的目掛けて、
鯱の如く、執拗に攻撃してくる。
それこそ、移香斎の思う壺であった。
突っ込んでくるのをかわしながら、水蓮の後ろ頭の上に
馬乗りになり、両足で渾身の力で締め付け、
なおかつ水蓮の両手を胴体ごとで羽交い絞めして
体の自由を奪い、そのまま川底に激突させた。
ズシ~ン
今の世で言うプロレスの必殺技の脳天杭打ち、
パイル・ドライバーであろうか。
いくら水中だとて、二人分の体重をかけられては
たまったものではない。
水蓮は、あえなく気絶した。
これが、地上の堅い地面であれば文字通り、必殺である。
水蓮の体を脇に抱えて川から上がった移香斎は、
水蓮を川原に座らせた。
水蓮の肩を両手で支え、背中の肩甲骨あたりに
右膝を当てて、活を入れた。
「ウツ」
水蓮は意識を取り戻した。
あたりをキョロキョロと見廻し、移香斎の姿を認めると
合点した。
「 移香斎様、私の負けでございます。
さあ、お斬りなさい。覚悟はできておりまする。」
水蓮は、素直に負けを認めた。
「 女を斬る刀は、持っておらぬ。
それにじゃ・・・」
「それに、何ですか。」
途中で言葉を止めた移香斎に、水蓮はいぶかった。
「 女を殺すのは、布団の上と決めておるでな。
機会があれば、勝負いたそう。」
水蓮からしてみれば、移香斎の方が、
よっぽど悪魔であった。
首のうずきよりも、何やら下半身の方のうずきが、
気になる。
水蓮は、はにかみながら、移香斎を見送った。
「 あと、一人。」
今までの敵を振り返り、最後の敵は、どのような
奇怪な技を使うのか、とても楽しみな移香斎であった。
空には、魚のような形をした雲がたくさん流れていた。




