番外編 拓兄の憂鬱(二)
本文には引用部分があります。法に則って掲載したつもりですが、不備が認められる場合にはご連絡くださいませ。訂正いたします。
(引用)著作権法第三十二条
公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
引用に当たって、以下の(引用のルール)を参考にしました。
1.引用する資料等は既に公表されているものであること、
2.「公正な慣行」に合致すること、
3.報道、批評、研究などのための「正当な範囲内」であること、
4.引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること、
5.カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること、
6.引用を行う必然性があること、
7.出所の明示が必要なこと、(複製以外はその慣行があるとき)(第48条)の要件を満たすことが必要です(第32条第1項)。
奏樹が現れたのは、俺達が乾き死ぬ寸前だったと思う。水を断たれて脱水症状に陥っていた俺達は、オフィスの一角に並んで転がっていた。前日から微熱があって、慢性的な吐き気と頭痛があった。
こんなことなら観葉植物とっとけば良かったよなぁ、あれ食えたんじゃね?
中嶋がうわ言のようにそう呟いたので、俺はふと思い出して、ふらつく足に力を込めながら屋上へ続く階段を上った。だが屋上も既に魔緑に覆われてしまったのだろう、ドアが開かない。ドアノブをがちゃがちゃ回して押したり引いたりする。ドンドン叩きもした。開く気配のないドアにもたれて座り込み、俺は頭を抱えた。
「ちくしょう。俺、こんなところで終わるのかよ。マジかよ。俺まだ何にも……何にも……あいつにいいとこ見せてねぇじゃねぇかよ」
――拓兄、会社創るって本当なの? 拓兄が社長? えー、嘘みた~い。ドッキリとかじゃないの?
「……ドッキリじゃねぇよ。ふざけやがって……」
かすれた声で小さく笑う。
「沙羅ぁ、おまえ一人で死んでねぇよなぁ。一段落したらオフィス見せてやるって約束したんだし……おまえ……生きてるよなぁ。沙羅……沙羅……」
コンコン
その時だった。ドアが外側からノックされたのは。俺はぎょっとして振り返る。
『拓人? 居るんでしょ? ここ開けるよ?』
――沙羅? まさか、まさかだよな……。
どんな魔法なのか、あのびくともしなかったドアが開いて、屋上に小さな緑色の子どもが立っていた。頭髪の代わりに緑色の葉っぱ、木目調の肌、顔立ちは俺がデスクトップに入れていた沙羅の小さい頃の顔にそっくりだった。
一面シロツメクサの原っぱで、沙羅が花冠を被って微笑んでいる写真。妙に良く撮れていて、市のフォトコンクール小学生の部で賞をとったやつだった。
「何? おまえ……」
唖然とする俺に、そいつは救援物資の水ケースを掲げて見せた。投下されたものの魔緑に呑み込まれてそのままになっていたものだ。
『拾ってきたよ? これ必要なものなんでしょ?』
沙羅双樹から奏樹と名付けたのは俺だ。ガジュマルだってことはとりあえず棚に上げた。
――だって小さい頃の沙羅にそっくりなんだ。仕方が無いだろ?
奏樹のお陰で、俺達、いやそれどころかビル内の人々が命をとりとめた。
■□■
『拓人、きっと泣くよ? 沙羅を失ったら泣くよ? 屋上のドアのところで沙羅を呼びながら泣いてたじゃん』
「うるせー、ちょっと黙っとけよ。今考えてるんだからっ」
俺は目まぐるしく考えると、何本か連絡をして蓮見徹の父親の連絡先を確認してから車を発進させた。
蓮見家に着くと、躊躇う俺に振り向きもせず奏樹は勝手に家に上がり込み二階へと上がっていく。
「お、おい奏樹、なに勝手に上がり込んでんだよ」
俺は声を潜めて呼びかける。
『怒ってる。月人が怒ってる。早く行かないと……鎮めないと……』
「え?」
俺も慌てて上がりこんだ。
――なんなんだよ。月人を鎮めるって何だよ。やつは祟り神かなんかなのか?
ドアの外まで聞こえてくる月人の刺々しい声と、もう一人の緑人の声。
声帯が異なるからか緑人は特有の声をしている。和音のように幾つかの音が重なったような声。しかしドアを開けようとして着信に気づいた。
「はい……」
『あの……私は蓮見というものですが、風早さん? ご連絡をいただいたようですが、何か?』
蓮見徹の父親、蓮見一郎からだった。研究学園都市から都内へ移動中だという彼に無理を言って、途中で自宅に寄ってもらうよう伝える。麻衣ちゃんの件だと言うと、戸惑いながらもすぐに了解した。恐らく事情が分かったのだろう。
白熱度合いが増してきた部屋の中の気配に慌ててドアを開けて咳込んだ。
――なんだこりゃ? 喉がピリピリする。
「月人、少し落ちつけよ」
俺は努めて声を和らげて話しかけた。
それから後に起こったことは本当に辛い話だった。妹を失った兄とパートナーを失った緑人。泣きじゃくる沙羅とそんな彼女を片時も離そうとしない月人。
大切な人を失うということは、これ程までに辛い、痛いことだ。だからこそ、人は所有することを恐れる。大切であればあるほど失った時の痛手がきついからだ。それは人間も緑人も同じなのだろう。月人を見ていてそう思う。そうであるからこそ彼らには「人」という文字が与えられている。
だけど、所有することを切望してやまないのもまた人。
――俺もそろそろ年貢の納め時なのかな……。まぁ、まだ数年は猶予がありそうだけど……。
蓮見家を出たのは、なんだかんだで夕刻になってしまっていた。
月人と後部座席に座った沙羅は相変わらず月人の蔓に巻きつかれているようだ。
「月人、いい加減これはずそうよ」
不満そうに頬を膨らます沙羅に、月人が静かなしかし威圧感に満ちた声で話しかける。
『……沙羅、そんなことより君は僕に何か言うことがあるだろう?』
沙羅が軽く息を飲むのが聞こえた。
「あ、月人、助けに来てくれてありがとう。拓兄も、えと奏樹? もありがとうね」
俺は車を発進させながら軽く了承の手を上げて見せ、奏樹は柔らかな声で、どう致しましてと告げた。
和んだ空気の中、月人の未だピリピリした低い和音が響く。
『沙羅、僕は誘われても相手の家に行かないようにと注意したはずだよね?』
――いや、そう注意するように言ったのは俺だけどな?
「えと……そうなんだけど……ね? ほら、ちょっとだけなら大丈夫かな? って思って……」
『で? 結果がこれ?』
月人の冷たい、突き放すような口ぶりに沙羅がぐっと言葉に詰まる。
「……ごめんなさい」
――おぉ~ あのじゃじゃ馬がしおらしくなった。
『心配した』
「ごめんなさい……。月人、ごめんなさい。来てくれてありがとう」
沙羅が月人に抱きついたのがルームミラー越しに見えて、その仕草の躊躇いの無さに俺は怯んだ。
『沙羅……無事で良かった』
抱きしめ返して沙羅の髪の毛を撫でながら言葉を紡ぐ月人に、月人を抱きしめる沙羅の細い指に、二人の絆の強さを見せつけられた気がして、俺は小さくため息をつく。
あの契約書の存在が、月人の尋常でない沙羅への執着が、沙羅の月人への揺るぎない信頼が、あの魔緑暴走の時、彼らに起こった事態がいかに深刻だったのかということを物語っていた。
――これはいわゆる「吊り橋効果」ってやつなのか? それとも……。
俺は考え込む。
「はぁ~ ところで喉がカラカラだよ」
月人から離れるなり沙羅がため息をつく。
どこかでお茶でもして行こうか? と俺が口にするよりも先に、月人が沙羅に覆いかぶさった。
――ってか、おいっ!
「んんっ? んんんんんんんっ!」
口づけられて抵抗している沙羅に気をとられて車が軽く蛇行する。
「おいっ、月人!」
――やめろよっ、嫌がってるだろ?
と言う前に、沙羅が月人の胸を押した。押して離れた弾みで沙羅がサイドガラスに頭をぶつける音がする。
「かっらーい」
――は? 辛い?
「月人、ひどいじゃん。こんな辛いの飲ませるなんてっ」
――は? 辛いの飲ませる? 単なるキスじゃなかったのか。ってか、文句言うとこはソコ?
『さっき激怒したら、大量にカプサイシンができちゃったんだ。文句言わない。喉が渇いたんだろ?』
「だったら飲ませなくたっていいんだし。普通に帰って水飲むし……」
そう言って更に文句を言う沙羅を月人は再びがっしりと抱きしめて口づけた。
「んー、んんんんー、んんっ」
沙羅が月人をバンバン叩いている音が聞こえる。俺はあきれる。
げほっ げほっごほっ
激しく咳込む沙羅に、月人が涼しい声で言った。
『今のはお仕置きだから』
「……鬼だ……げほっごほほっ」
ルームミラーには、涙を流しながらむせて真っ赤に顔を染めた沙羅が映っている。
俺は途方に暮れた。
――これ無理じゃね? 沙羅と付き合えるやつなんか誰もいないんじゃね?
はぁぁと大きな溜息をつくと、奏樹が助手席から心配そうに見上げてきた。
『拓人も喉が渇いた? 奏樹が月人みたく飲ませてあげようか?』
俺は更に疲れ果て、小さくため息をついた。
「いや、いいよ。遠慮しとく。気持ちだけ受け取っとくな? ありがとう」
俺の返事に軽くしょげている様子の奏樹に、これから先、ずっと緑人と暮らすのも結構くたびれそうだと首を振る。
気分転換にラジオをつけると、唐突にドリス・デイの情感豊かで伸びやかな歌声が車内に響いた。
Que sera, sera.(ケ・セラ・セラ)
Whatever will be, will be.(なるようになるよ)
The future's not ours to see.(未来のことなんて分からないもの)
Que sera, sera.(ケ・セラ・セラ)
What will be, will be.(なるようになる)
*「ケ・セラ・セラ」作詞・作曲:ジェイ・リビングストン(Jay Livingston) &レイ・エバンズ(Ray Evans)から引用させていただいております。
「まぁな、確かに未来のことなんか分からないよな。なんとかなるか……」
俺は小さく笑むと、ケ・セラ・セラを口ずさみながら黄金色の夕暮れの中アクセルを踏み込んだ。




