番外編 魔緑迷宮(七)
「……居るんだろ? ここに」
そう言って悲しげに微笑んだ拓兄に、蓮見君は観念したように、項垂れるように、頷いた。
「あの日、魔緑が暴走したあの日、僕が病院に麻衣を入院させていなければ……麻衣はこんなことにはならなかったはずなんだ。僕が……僕が麻衣を死なせた」
絞り出すように紡ぐ蓮見君の声は暗く、重く……震えていた。
部屋の奥にわだかまっていた魔緑の茂みの最奥に、麻衣ちゃんは守られるように横たわっていた。夢見るように閉じられた瞼、長い睫毛、青白い頬。麻衣ちゃんは、まるで王子様の口づけを待って眠っているお姫様みたいだった。
『徹のせいじゃない。喘息の発作でチアノーゼを起こしていた麻衣を魔緑が救ったはずだったんだ。それを病院のやつが剥がしさえしなければ、こんなことにはならなかった……』
魔緑からの酸素供給で少し楽になった麻衣ちゃんは、お兄ちゃんである蓮見君に会いたがった。華楽君はもともと蓮見家にあった華楽翁という名前のサボテンだったので、蓮見家の位置を知っていた。華楽君の親株は、今この部屋にわだかまっている魔緑だ。
麻衣ちゃんは趣味で小さな箱庭を作っていた。赤い屋根のおうちがあって、小川が流れていて、犬や猫やウサギが遊んでいる。そんな小さな箱庭の東の森が株分けされた華楽君の担当だった。華楽君は、入院先にまで持って行くほどお気に入りの、麻衣ちゃんの大切な箱庭の住人だったのだ。
私はその箱庭づくりの一場面を自分の記憶のように知っていた。なぜなら、緑の影が私に呑み込ませたビー玉には、楽しげに箱庭づくりをしている麻衣ちゃんの記憶が閉じ込められていたからだ。
『徹に会いたがる麻衣の為に、魔緑に目覚めた僕は一晩かけて家まで走った。でも、徹を連れてきた時には、麻衣はもう……。僕があの日のうちにしゃべれるようになっていれば、僕があの場を離れていなければ、何とかできていたかもしれなかった。麻衣はきっと、こんな事にはならなかった。だから徹のせいじゃない……僕のせいなんだ』
華楽君は元々麻衣ちゃんの緑人だったのだ。だから華楽君は、蓮見君の……麻衣ちゃんが大好きだった蓮見君の姿をしていたのだ。
そう気づいた途端、涙がぶわっと溢れた。あの日から二人はずっと自分を責め続けてきたのに違いない。蓮見君は華楽君を、華楽君は蓮見君を見る度に、そこに麻衣ちゃんの思いを見てしまうから。まるで自分同士で棘をさし合っているようだ。二人の悲鳴にも似た慟哭が聞こえた気がして、私は嗚咽を止められなかった。
「二人して自分を責めてばかりいれば、そりゃおかしくなるよ。月人、おまえでもダメか? 麻衣ちゃんはなんとかならないのか?」
拓兄が月人を見るが、月人は反応しない。
「月人、月人お願い。麻衣ちゃんを診てあげて? 月人ならなんとかできるんじゃないの?」
泣きじゃくりながら月人を見上げると、月人は小さくため息をついてから前に進み出た。
月人は麻衣ちゃんの頬や頭や胸に手を当てて、次に麻衣ちゃんを覆っている蔓に月人の蔓を絡ませた。そのまま数十分。静かな、しかし緊張感あふれる時間が過ぎた。そして、月人は蔓を解いて振り返り、私に小さく首を振った。
誰も何も言わなかったけど、その場に居た誰もが理解した。
月人だって神様じゃない。分かってはいたけど、あのキラキラしたビー玉の記憶がその瞬間、はじけ飛んだ気がして、私は月人に縋りついて号泣した。止められなかったのだ。私の中にもぐりこんだあのたった一つのビー玉以外、すべてが……華楽君が思いを込めて作った記憶のすべてがはじけ飛んでしまった。
その後、拓兄があらかじめ連絡しておいてくれたらしく、蓮見君のお父さんが慌てて帰って来た。麻衣ちゃんのことは、蓮見君と華楽君の気が済むまでそっとしておこうと考えていたらしい。仕事が忙しかったとはいえ、二人に麻衣ちゃんの死を納得させられなかったことを悔やんで泣いていた。
麻衣ちゃんの告別式が執り行われた次の週、蓮見君はお父さんが住む研究学園都市に引っ越していった。
「夏原、色々悪かったな。ごめん」
見送りに行った駅で蓮見君が謝った。あの後、彼は何度私に謝ったことだろう。
抜け落ちてしまった私の記憶が何だったのか、今となってはもうさっぱり思い出せない。だけど、ど忘れなんかしょっちゅうなんだから、ちっとも気にしていないと何度も言ったのに……。
「もういいって言ったよね?」
怒って見せると、蓮見君はそうだったね、と小さく笑った。
「今度さ、研究学園都市にも遊びに来てよ。案内するよ……あ、えっと、月人も是非一緒に」
ギロリと擬音がつくほど鋭く睨む月人に、蓮見君が爽やかな笑顔を向ける。
そんな月人を華楽君が引っ張って、柱の陰に連れ込んだ。
『何をするっ』
噛みつく月人に華楽君が声を潜める。
『おまえさ、魔緑オリジンなんだろ? シロと同様に……』
『……さあな』
『まぁ、いいや。おまえがそうだろうとそうじゃなかろうと、おまえが判断を下したあの時点で、なんか憑き物が落ちたみたいに麻衣の死を納得できたんだからな』
『……麻衣の件は気の毒だったと思ってる』
『ははっ、まぁ、おまえもせいぜいパートナーを大事にしろよ』
『言われなくたってするさ』
なんだか柱の陰で小突きあってる二人の緑人達を呆れて見ていると、蓮見君が、そろそろ行くよと華楽君に声をかけた。
「蓮見君、研究学園都市のケーキが美味しい店を探しておいてね。今度遊びに行った時に連れて行ってよ」
そう言うと蓮見君は、了解、と言って破顔した。
駅前のロータリーで待っていてくれた拓兄の車に月人と一緒に乗り込む。
「無事行ったか?」
そう言いながら、車を発進させる拓兄に後ろから腕を回す。
「うん。拓兄も、色々ありがとね」
こらこら、運転中だぞ、と言いながら満更でもなさそうな拓兄に小さく笑む。
――ほんと、拓兄ってば頼りになるなぁ。
月人と華楽君が一触即発だったあの場面で、拓兄が来てくれなかったらどうなっていたんだろうか。考えると怖くなる。月人も華楽君も無事でよかった。
助手席には、拓兄のパートナーの緑人である奏樹が乗っていて、お陰で車の中は爽やかな匂いがしている。奏樹はアロマセラピーが得意なんだって。癒し系の子なのだ。どっかで見たような気もするその面影に、少しモヤモヤするんだけど……。
『しかし、奏樹は良く似ているね。……の小さい頃に』
と月人が言ったんだけど、……のところで何故か知らないけど、拓兄が今日は良い天気だとか大声でしゃべるので聞きとれなかった。
「え? 奏樹は誰に似てるって?」
私が訊き返しても、月人はクスクス笑うばかりで、拓兄はおまえら少し黙ってろとか言うし、奏樹も黙ったままニヨニヨしてるしで、結局分からなかった。
――まぁ、いいか。
確かに今日は良い天気だ。
「ねぇっ、拓兄、ショッピングセンターに新しく、緑人がやってるオープンカフェができたんだってよ? 寄っていこーよ。緑人用のドリンクメニューがあるし、人間用のメニューも充実してるらしいよ? 特にスイーツが……」
しょうがねぇなぁという拓兄の言葉に、よっしゃとガッツポーズを作る。
昼下がりの空気には夏の気配が混ざり込んでいて、もうすぐ魔緑暴走の日から一年が経つのだということを知らせていた。
どんな辛い思い出も時が経てば薄れてゆく。それが分かっていても嘆くことをやめられるものじゃないし、やめる必要もないと思う。ただ、その痛みは必ずいつかは薄れるのだということを心の片隅で理解しておけば、それでいいのだと思う。
蓮見君と華楽君の痛みが少しでも早く和らぐことを祈るくらいしか私にはできない。
辛い時間も楽しい時間も、いつか終わりが来る。だったら、今と言う時間を精一杯味わいつくして、すべて受けとめて、生きていける強さが欲しいと思う。生きていく苦さも甘さも酸っぱさも辛さも、今しか味わえないものだから。
(了)




