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「おい、おい、大丈夫か」
声がする。低く、囁くような声。私の知っている、どの声とも違う。
「やはり、空から落下していたのだから、ショックだったのだろうな」
まどろんでいた意識が「落下」という言葉を拾って一気に覚醒する。
「落ちるうううううううううう!!!!!」
私はばたばた手足を動かした。
「落ち着け! ここは地上。もう大丈夫だ」
先ほどの声が直ぐ傍で聞こえた。カッと目を開ける。
先ず始めに見えたのは、空。雲のかかった空だ。
ああ、私、雲の下に居る。やはり雲っていうのは見上げるものよね。なんて思っていると顔がのぞいた。
漆黒の闇夜を思わせる髪に、浮かぶ赤い月のような深紅の瞳。
顔が精密な機械のように整っている。私も王宮にいただけあって、様々な整った顔を見てきたけれど、これはレベルが違う。
オオカマキリとハラビロカマキリくらい違う。
本当にこんな人間が存在するのかと疑うくらいの美丈夫だ。
だから私は思わず口走っていた。
「え、天使様、ですか……?」
すると天使様(仮)は瞬きをして言った。
「俺は天使ではない。王だ」
めちゃくちゃ調子に乗ってるよこの人。
「王、ですか……何王ですか? えい、えい、王! とか?」
「何だその掛け声みたいな王は。俺は竜王だ」
やっぱりこの人調子に乗ってる! 幾ら容姿が整っているからって、恐らく成人している年の男性がそんな自認竜の王なんて深刻な中二病発言をしていたら、周りに人が居なくなってしまうのでは。
そう思って、仰向けになっていた私は上体を起こし、気付いた。地上にいる。草原だ。先ほど自認竜王さんから「ここは地上だ」と言われたことをすっかり忘れていた。
助かるなんて考え付きもしなかったため、脳が自動的にその言葉を排除したのかもしれない。
「い、生きてる……?」
私は震える手で、草を一つまみした。
おもむろに口に運んだ。
「……何故草を食べた」
「ヤギに転生してないか確かめるために」
「なるほど」
美味しくない。つまり現実。転生していない。
その時、堤防が決壊したかのように、涙があふれ出してきた。最早意識的に止められるレベルでも量でもなかった。
「うっ、うわあああん」
まさに感情が爆発していた。やはり極限まで気を張っていたのだ。
度重なる裏切りに臨死的な体験。私の心は相当に疲弊していたらしい。
「大丈夫か」
自認竜王さんは優しく私の背中をさすった。ずっと、私が泣き止むまで、背中をさすり続けてくれた。優しいな、という気持ちが雲のように浮かんだ。
そして改めて彼の方を見て、ん? と思った。
かなり背が高いことにも気付いたが、それは置いておく。うろこに覆われた尻尾が生えているのだ。
小道具作りに余念のないタイプの中二病なのかと思ったけれど、右に左に、滑らかに動くではないか。本物の尻尾にしか見えない。
私の視線に気付いたのか、自認竜王さんは頬をかき、「そんなに見るな」という言葉と共に、尻尾をシュルシュルと収納してしまった。
え、何それ、どうやるの???
「よし、では本題だ、紺碧の聖女よ」
「こんぺ……それって私のことですか」
自認竜王さんはゆっくり頷いた。
しかし私は紺碧の聖女なんてかっこいい二つ名を賜った覚えはない。どうせならもっと、マリーゴールドの聖女とか、羊毛の聖女とか、カリフラワーの中間管理職とか、可愛い系の名前にしてほしかった。
「人違いでは?」
「そんなはずはない。予言書には正に今日、空からこのルゴラに聖女が降って来ると書いてあった」
予言……? 全く話が見えない。
「だから俺は部下と共にこの辺の空域を飛んでいた。そして、まさに降ってきたのがお前だ」
「つ、つまり、竜王様が私を助けてくださったのですか?」
「そうだ」
多少得意げな表情になった彼には幼さがのぞいた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
私は瞬発的に、何度もカスタネットのようにカパカパ頭を下げた。私もつい今朝まで大聖女様と呼ばれ、敬われる身だったけれど、プライドなど全くない。
この人のおかげで命を繋ぐことが出来たのだ。私からこの人は見たら救世主以外の何者でもなかった。
「よっ、竜王様! いや、竜神様! あなたは私の命の恩人です!」
私は拍手しながら言った。
「竜神、か」
まんざらでもないというように顎を触っている。
「この御恩は一生忘れません。私に出来ることなら、何なりとお申し付けくださいませ!」
私は彼の大きな手を握って言った。結婚前の淑女にあるまじき行為ではあるけれど、もう婚約破棄された上に突き落とされたのだから関係ないもん。自由だ!
「ふむ、そんなもの、紺碧の聖女に願うことなど一つしかない」
「はい、何でしょう」
「先ほど本題に入ると俺は言ったな。まさにそのことだ」
少し嫌な予感がした。テンション上がって「なんでもお願い聞くよ」みたいなこと言っちゃったけど、もし「もう一回上から落ちろ」とか「海老反りになって足の裏と頭をくっつけろ」とか無理難題を押し付けられたらどうしよう。
「そ、それで本題とは?」
私が恐る恐る聞くと、竜王様は顔をずいっと寄せて来た。美しい顔貌が間近くなる。
ドキリとする。この胸の高鳴りは、これまでの人生で感じたことのないものだった。
「では紺碧の聖女よ。俺と結婚しろ」
「……んぇ???」
***
「結婚、ですか……」
私はその言葉を嚙みしめるように繰り返した。
「それは止めておいた方が良いと思います」
「何故」
竜王様はその美しい顔を傾げてみせた。
「私は、聖力が弱まっていることでフレイヤ王国を追放された出来損ないです。『紺碧の聖女』なんてかっこいい称号で私を呼ぶくらいだから、私に聖女としての能力を期待しておいでなのでしょう?」
「そうだな」
「では私の力の無さにがっかりすると思います。そんな私となんかと結婚すると後悔しますよ、竜王様」
「関係ない」
即座に、力強く竜王様は否定した。そして立ち上がる。
私は目を瞠った。正面から優しい風が吹きつけてくる。
彼の背後、というか背中から大きな翼が、いつの間に姿を現し、ゆっくりと風を起こしている。
真後ろから西日を受けるその神々しい姿は、まるで本当に竜のようだった。
「予言は絶対的に正しい。誰が何と言おうとお前は我が国を救う救世主であり、大聖女であり、我が妻なのだ」
断定的に竜王様は言った。
え、やだ、この人めっちゃぐいぐい来る。
「それに、俺はお前の聖力が弱まろうが、粗相を働こうが、関係ない。最後の時まで、決して見捨てはしない。これには予言など関係ない。俺の男としての個人的な誓いだ」
私の手を握り、立たせる竜王様の手に力がこもる。嘘のない、まっすぐな瞳だった。
私はこれまで人から騙され、捨てられてきた。それなのに、どうして私の心は初対面の彼に、こんなにも惹かれてしまっているのだろう。
「分かりました。あなたと結婚させて下さい」
私は彼の目を見て、ゆっくり頷いた。
こうして私と竜王様は結婚することになった。
この時の私は知る由もない。この後、彼の国での大騒動に巻き込まれること。そして、私を連れ戻しに来たルシアン様たちと、思わぬ形で再会することになることも。
おわり




