7・ファセが病になった、どうしよう?
ファセは我の腹に埋もれるようにして眠る。そのファセの身体がいつもより熱い。
「けほ……」
たまに咳き込む。顔がいつもより赤い。どうしたファセ?
「風邪をひいた、みたいです……」
ファセが病になってしまった。ファセ、風邪とはどうすればいい?
「暖かくして、休んでいれば……」
むう、日は短くなり寒い季節、冬が近づいてきている。我が果実を取りに行くとき、ファセはこの洞窟の住み処にひとり。我が側にいなければ寒いだろう。
森の中で果実の成るところは少なくなり、遠出をすることにもなる。その間、ファセは寒さに震えることになってしまう。
ファセを連れて行くにも、具合が悪いというのを外に連れ出すのはどうなのだろう? 人が森の中で暮らすことに、もとから無理があったのだろうか? ファセ、どうすればいい? 病になったとき人はどうする?
「神官さんに、薬を分けて、もらったり。病気のときは、卵をたべたり、します」
話すもの少し辛いのか、弱い声が途切れ途切れになるファセ。薬か、薬をとってくればいいのか?
「盗みは、ダメです」
むう、しかし我は薬を作ることはできぬ。では、卵をとってくればいいのか? 森の中のものであれば、
「生で卵を食べると、おなかを壊します……」
料理か。卵も料理せねば食えぬのか。我は卵をとってこれても料理などできん。ぐぬ。
急ぎ水筒に水を汲み、果実をとって来る。ファセを抱えファセの身体が冷えぬように暖める。なるべくファセの側を離れぬように。胸に抱くファセの顔を舐める。暖かくして休めば、良くなるのか?
「けほ、それしか、無さそう、です」
むう、なんとかならないものか。魔獣の中には病を消す魔法を使えるものもいるが、我は魔法は苦手だ。
「ヴォイセは、魔法を使えるの、ですか?」
む? 身体が大きいのに空が飛べる魔獣とは、その身を軽くする魔法を使っている。あと自分の治癒力を高めるものなど。なんとなくで使っているもので、これは翼や尻尾を動かすようなもので、むう、これはなんと説明するとよいのか?
「なんとなくで、魔法?」
うむ、なんとなくでこう、ふわっとして、ひゅうっと。
「魔獣の魔法は、人の魔術の域を越え、と、聞いたことは、ありますが……」
北の山の白龍は氷雪を操ったりする。ゴブリンの中にもたまに魔法を使えるのがいる。強い魔獣ほど病にも強かったりする。病を退ける魔法をなんとなくで使っていたりするから。
「なんだか、羨ましいですね」
ファセ、はやく治ってくれ。
「はい、けほ、ヴォイセに、まだまだ聞かせたい歌が、曲が、ありますから……」
喋るのが辛いなら、無理をするな。
「はい。ヴォイセ、」
なんだ?
「歌って、下さい」
うむ。では歌おう。ファセが穏やかに眠れるように。そっと、柔らかく。包むように。ファセに羽毛の翼を被せ、ファセの頭だけ出す。目をつぶったままのファセは弱々しく笑う。
――ルゥーウゥ、ルルゥウウ……、ルルル、ルゥー――
我の寝床、洞窟の中に、我の歌が木霊する。
ファセ、早く良くなってくれ。
次の日になっても、ファセの具合は良くならない。話をするのも辛そうで、昨日より元気が無い。どうしたものか。焦るばかりでどうしていいかわからない。
「夢を、見てるようです」
ファセ、どんな夢を見た? ファセは我の毛皮に埋まり、ボンヤリとしながら呟く。
「優しい狐竜に、救われる夢を。私は、とうに死んでいた身です。森で殺され、捨てられていた、はずの」
ファセがこの森に初めて来たときのことか? あの人の男達にファセが殺せたかどうか、わからんが。さっさと逃げた臆病者。そのわりに気配に鈍い。
「私は、本当はあのとき、死んでいたのではないかと。そして、死の間際。不思議な運命が私を助けていたら?と、そんな夢を見ているのではないか? なんて」
我はファセの夢では無い。我はここにいるし、ファセもここにいる。
「優しい森の王、羽毛の翼持つ、歌が好きな、変わり者の狐竜。ヴォイセに助けられて、森の中で歌を歌う。毛皮の竜に包まれて眠る。そんな、まるで、お伽噺みたいな、夢を……」
不思議な運命など知らん。我はお伽噺では無い。ファセは我が見つけた。我とファセが森で会ったのは、夢では無い。
「ヴォイセ、ありがとう……」
ファセ、そのありがとうは、何の感謝だ?
「私の、笛と、歌を、好きになってくれて……」
ありがとう、と言うのは我の方だろう。音楽という新たな楽しみと喜びをファセが教えてくれた。まだまだ、我の知らぬ音楽をファセは知っているのだろう? 病を治して、また教えてくれ。
ファセの手が我の鼻面を撫でる。ファセの声は囁くようで、力が無い。明るく、元気の良い歌を紡ぐファセの声が、今は弱々しい。
「ヴォイセ、私は、幸せです……」
むう、諦めるなファセ。あっさりと死を覚悟するな。
「生命は、産まれて、死ぬのも、自然の理、では?」
小さな獣も小さな鳥も、生きているうちは必死に死から逃げる。簡単に生きることを諦めていては、その種はたやすく滅ぶ。あっさりと諦める方が自然の理に逆らっている。
うむ、ファセ、ここから移動する。笛と水筒の入ったその袋、しっかりと握って離すな。
え? と疑問の声を出すファセに袋を握らせる。我ではファセの病は治せん。人の病は人には治せるかもしれん。だから、これからファセを人のいる集落に運ぶ。
ファセをくわえ、我の寝床の洞窟を出る。洞窟の外は肌寒い風が吹いているが、晴れている。
「ヴォイセ……?」
病を治せる人がいそうなところへ、ファセを連れていく。問題はファセの言った奥様、か。その奥様のナワバリから外れたところまで飛べば、ファセが奥様とやらに見つかって殺されることも無いだろう。
ファセが落ちぬように気をつけて、駆ける。翼で風を捉え空へと舞い上がる。北の山をチラリと見て、南に向かって羽ばたく。南の方が暖かい。南の方は暑い季節、夏が辛いが、南の方が冬は遅い。
ファセは我のものだ。簡単に死なせてなるものか。
「……私は、ヴォイセのもの、ですか?」
我の口にくわえられたまま、上空の風に消されそうな小さな声でファセが言う。そうだ、ファセは我のものだ。我が見つけて、我が持ち帰ったのだから、我のものだろう? ケッコンとはそういうものなのだろう?
魔獣住む森の縁に沿って、南へ、南へと。
川を見つけては降り、水を汲み、ファセに水を飲ませる。朦朧としてきたファセ。その顔を舐めて、再びファセをくわえて急いで飛ぶ。
風にファセの体温が奪われ、ファセの身体が冷える。ファセの体力が尽きる前に急がねば。
丸一昼夜かけて南へと飛ぶ。ファセの言う奥様のナワバリはどれほど広いのか? 人のナワバリというのは解らん。爪痕や匂いがあるでなし。
人の集落が見える。いくつか見てきた中で、少し大きい。森からはやや離れている。魔獣避けか石作りの塀が囲んでいる人の集落。空を見れば太陽は低く、そろそろ日が暮れそうだ。
口にくわえたファセはぐったりとしている。ここがファセの言う奥様のナワバリかどうか解らん。我の住み処からはかなり離れた筈。それにファセの身体が限界に近いようだ。寒さに震え、我の舌で触れると更に熱が上がっているようだ。
ここにする。ここにしよう。上空を飛び一度、人の住むところを上から眺める。夕日に染まる人の集落の真ん中辺りに、ゆっくりと羽ばたき着地する。途端に人の悲鳴が上がる。
夕暮れの色に染まる人の建物。これが人の住む家か。角ばった建物。これが人の住むところか。我の住み処の洞窟とはずいぶんと違う。
あの我の住み処に住むのは、人の身のファセには辛かったのではないか?
「ま、魔獣が町に?」
「白い狐竜!?」
「逃げろ! 狐竜だ!」
驚き、騒ぎ、怯えて逃げる人達。当然か。慌てて駆け出し、建物に逃げる者、転ぶ者。それを守るように前に出る男達。
「はやく家の中へ!」
「槍を持ってきてくれ!」
「狐竜を囲め!」
「俺達で止める! その間に逃げろ!」
武器を手にする男達が我を囲む。ファセの歌で聞いた魔獣狩りの勇士か? その手に持つのは、槍、長い武器。弓、矢を飛ばす武器。魔獣と戦う勇士の歌の中にある得物。我を鋭く睨む目。戸惑い、怒り、興奮。我を見る目は力強く、怯えは少なく戦意が高い。どうやら人の中でも強い、侮れ無い部類の、魔獣と戦える人の男達。
動かぬ我を遠巻きに囲み、様子を見ている。魔獣狩りの男達の後ろでは、人が建物の中へと逃げ込んで行く。
我はゆっくりと頭を下ろし、くわえていたファセを地面にそっと寝かせる。
「人?」
「白髪の、女の子?」
「なんだ? この白い狐竜?」
男達が戸惑う。だが、我に向ける槍の先は我を狙ったまま。この男達がファセの病を治してくれるだろうか?
「……ルゥ」
我が鳴くと男達の緊張が高まる。この男達はファセのように我の心の声は聞こえぬのか。そして我の口は、人の言葉を話せぬ。
ファセを治してくれ、と、伝えることもできん。仰向けに寝るファセの頬を舐める。
「……ヴォイ、セ……」
ファセの涙は、すこししょっぱい。
男達は遠巻きに我とファセを見ている。こいつらに託すしか無い。他に無い。
ゆっくりと下がる。ファセから離れる。途端に胸を裂かれるような痛みが走る。
魔獣狩りの男達が槍でも投げたか? と見るが、我の身体にキズは無い。謎の胸の痛み。これはなんだ?
一歩、二歩と下がり、ファセから離れる。振り向き羽毛の翼で風を打ち、高く空を飛ぶ。人の集落から離れる。
胸の中が、ツキリツキリと痛む。
ファセ、また会おう。ファセの病が治って元気になったとき、また会おう。
獣狩りの男達、ファセを死なせたら、許さんぞ。
胸の奥がツキリと痛み、吠え出したくなる思いを噛み締め、人の住む集落から、ファセのもとから離れる。




