6・ファセと歌い、ファセと踊る
遠く見える北の山、その頂きが雪を被り白くなる。寒い季節が来る。森の中で取れる果実が少なくなる。これは困る。ファセの食料をどうするか。
獣の肉や魚は、そのままではファセは食えない。火を通して焼いて、料理しなければ食えないという。
我には火を起こすことはできぬし、料理というものはしたことも無い。ファセもまた料理は、手伝いはしてもお母さんや酒場の人に任せていたという。目が見えぬと包丁や火は危ないと。
我の住み処に鍋やら皿やら、人の道具があるわけが無い。人の暮らしにはいろいろな道具がいるらしい。
他にも、服。ファセの着る服は引っ掻けて穴が開いたりしている。ボロボロになってきている。替えの服は無く、下着というのも少ないという。その少ない下着をファセは丁寧に洗って干して使う。我は人の服の作り方など知らぬ。この頃はファセは少し寒そうにしている。
我が側にいれば我の毛皮に身を埋めて暖をとるのだが。我がファセの食べる果実を探すとき、ファセは洞窟に一人残る。
我のような毛皮を持たぬ身であれば、これから寒くなるのだろう。これはどうすればよいのか?
「寒いときには、服を重ねて厚着をします。狼や熊の毛皮で作ったコートは暖かいです」
では、我が狼や熊を仕止めて持ってくれば良いのか?
「あの、私は毛皮のコートの作り方は解りません。狼を持ってこられても、どうしたらいいか。皮を剥いだりしたことも無くて」
我の持ってきた森の果実を食べながら、ファセは考えている。
「ここには鍋も皿もありませんから、熊の肉を持ってこられても、料理することもできませんし」
では、人の住むところからとって来ようか? 必要な道具とやらを。
「盗みはダメです。盗られた人が困ります。それに鍋と皿だけでは無く、ここにはかまども薪も包丁も無いのですから。鍋だけあっても料理はできません。あのヴォイセ?」
なんだ? ファセ?
「ヴォイセはご飯はどうしていますか? 果実は食べないのですか?」
そこにあるのはファセの分だ。我は果実を取りに行くついでに、そこで見つけたイノシシとか、グリーンラビットを食っている。ファセが生の肉を食えるなら持ってくるのだが。
「生は、ちょっと。でも、森のいろんな果実が食べられるのは嬉しいです。森の宝石と呼ばれるガーネットベリーを、取れ立てでいっぱい食べられるなんて、贅沢なことです」
人が入らぬところに成る物もあるから、人には珍しいものが多いか? どれも毒は無い筈。我が味見して確かめた。ところで、ファセは町では何を食べていた?
「畑で取れるもの、芋と麦粥が多かったです。あとは川で取れる魚を焼いたもの。たまにお肉ですね。シチューにしたりとか。酒場の料理も芋とパンが多いです。あとは、シチューに野菜の酢浸け。ベーコンはちょっとお高めです」
畑か。人が飢えぬようにと作ったもの。人は様々なものを食べるようだ。果実ばかりというのは、ファセにはよくないのだろうか? その果実も寒い季節には取れなくなる。ううむ、ファセを連れて、南の暖かいところへと移るべきだろうか?
果実を食べ終えて、水筒の水を飲みファセが言う。
「今日は、外は暖かいですか?」
うむ、少し風はあるが晴れている。
「では、泉に連れていって下さい。下着を洗って、水を汲みたいです」
わかった。ファセが水筒と下着の入った袋と杖を抱いて準備ができると、我はいつものようにファセをくわえる。ファセも慣れたもので大人しくする。
泉に飛び、ファセを下ろす。目の見えぬファセを顎で押し、泉の近くに座らせる。目が見えぬファセだが、器用に下着を手で洗う。手探りと肌の感覚で。目が見えぬ分、他の感覚が鋭いのだろう。ファセの耳は我よりも鋭いようだし。
生まれつき目が見えぬ変異種、か。
ファセの歌や笛を聞けば、不思議な景色が見える。色のついた風、見たことも無い色の雲、やたらと大きい月や星。これらもファセが、その目で見たことが無いからこそ造り出せる景色かもしれん。
「その景色は、私が作っているのでしょうか?」
ファセが小首を傾げてきく。ファセの笛や歌を聞いて見えるもの、なのだが?
「星、雲、月、花、いろんなものをお母さんは教えてくれました。手に触れ、匂いを感じ、触れるものは形は解ります。ですが、触ったことの無い月や雲は、色も形もよくわかりません。教えてもらったことを想像するだけです」
ファセに言われて、目を閉じてみる。ふむ、音と匂いだけでは、目の前の泉の色も形もわからん。ファセは話で聞いただけで、月や星や雲を歌で唄い、笛で表せるのか。まるで魔法のようにしか思えん。ファセの小さい頭の中は、どうなっているのか?
「なので、私の歌と笛で見える景色とは、ヴォイセが作り出しているのでは、ないですか?」
我が? 我は色のついた雲も、赤い川も、やたらと大きな満月も見たことは無いぞ? それもファセの歌と笛が無ければ見えぬ。
「では、私とヴォイセの二人で作っているのでしょうか? 私にはヴォイセの見てる景色が見えないので、わかりませんが」
ふむ、これはどういうことなのだろうか?
ファセの洗い物が終わり、洗った下着を干すついでに森の日溜まりへと飛ぶ。今日は晴れている。太陽が上にあり日向ぼっこには良いだろう。
木の枝にファセの下着を引っ掻ける。風に飛ばされぬように、しっかりと。さて、ファセ。
「はい、昨日の続き、ですね。酒場で酔ったお客さんが陽気に踊る曲、嘘つき詩人」
森の中、木々に囲まれた日溜まりの中座るファセ。笛を口にすると、弾むような音色が流れる。我はその旋律に合わせて喉を鳴らす。
――ルルルッ、ルルルゥ、ルルルッ、ルゥ――
ファセは我にも歌が唄えるという。我の口は人の言葉を話すようにはできていない。ただ、鳴くだけだ。それでも音の高さを変え、拍子を変え、ファセの笛のように音の連なりを作ることはできる。
我も歌えるのだ。それが解り、ファセに音楽を教えてもらい、我も歌を憶えている。高く、低く、ファセの笛の音色と戯れるように。
ファセの笛で不思議な景色が見えるのならば、我の歌でファセに不思議な景色を見せられるかもしれない。我が上手く歌えるようになれば。これは試してみたい。
――ルゥルル、ルッルゥ、ルルルル、ルリュウゥ――
音に遊び、音に戯れ、弾むような陽気な旋律に首を振って声を出す。うむ、ファセ、この曲は、なにやらざわつく。身体が動きそうになる。
「お酒に酔って踊る歌ですから」
ファセは踊るのか?
「私は踊れません。私は踊らせる方ですから。私の笛で、酒に酔ったお客さんが、ラララと歌いながら、足音鳴らして踊るのです」
踊る、というのは身体がウズウズとして動き出すものか?
「そうですね。ヴォイセも踊ってみます?」
ふむ、ならば。
我を見上げるファセ。我はファセをくわえ、ヒョイと我の背中へと運ぶ。
「え? ヴォイセ?」
ファセ、しっかり掴まっていてくれ。ファセを見ると、我の背中の羽毛の翼の間にちょこんと。翼を立てファセを落とさぬように挟む。ファセは、え? と戸惑いながらも我の首の毛をしっかと掴む。
――ルゥルル、ルッルッ、ルルルゥ、ルル――
我は歌いながら足を動かす。その場で回り、軽く跳ねる。
「ひゃ、」
ファセが我の首の毛を掴む手に力を入れる。ファセが落ちる心配は、無いか? 両手で我の首の根本にしがみついている。我は歌い、ファセに教わった旋律を声にする。ルゥルゥ、と歌いながら、右に跳ね、左に跳ねる。歌のままに軽く跳ぶ。
なにやら幼き頃に、兄姉と戯れていたときのような。
――ルルラル、ルアルル、ルゥルゥ、ルルルッ――
音の拍子に乗って、前に跳ね、後ろに跳ぶ。ただ身体を動かすだけの、後で疲れるだけの行為だが、妙に心浮き立つ。おもしろい、楽しい。胸の奥から湧くような熱に任せて、尻尾をブンと振って、クルリと回る。
「あ、あは、あはは、」
背中のファセが笑う。ファセも楽しいか?
「あぁ、嘘つき詩人を蹴っ飛ばせ。俺の女房に何をした? まったく手の早い優男、ここはひとつこらしめて。袋を被せて蹴っ飛ばせ。いやいや旦那、待ってくれ。俺は何も悪くねえ。俺は歌を唄っただけで、誘ったりなぞしちゃいねえ。嘘つき詩人の言うことにゃ、なんだって? 先に手を出したのは、女房だって?」
跳ね回る我の背で、ファセは大きな声で歌う。歌いながら、音にならないファセの声が、聞こえた気がする。
歌って踊らせるのは私です、と。拍子に乗って跳ね回る我の動きが、ファセの声に乗って大きくなる。着地の度に揺れて歌が途切れそうになるが、ファセは負けじと歌い続ける。
「おいおい、女房、どういうことだ? なんでこんな嘘つき詩人と。あらあらあんた何言って? 嘘つき詩人の言うことにゃ、どこに本当があるのかねえ? あたしがそいつと寝たなんて、あんたはどっちを信じるの? あたしとあんたは夫婦じゃない。あぁ、もう、ちくしょう。俺はいったい、どうすりゃいい? 俺は誰に騙されりゃいいのかね?」
我には人の愛情とか友情とか、そういうものはよくわからん。ファセの歌う歌の詩は、わからないものが多い。だが、ファセが楽しく歌っていることは解る。調子に乗って、更に大きくピョンと跳ねる。
歌が終わり、我は動きを止める。はぁ、はぁ、と息をつくファセ。
「ヴォイセが、踊れるなんて」
我がファセの歌に踊らされたのだが。
「ふふ、魔獣住む森の奥、暖かな日差しの舞台で、歌い踊る狐竜、なんて、誰も信じてくれそうに、ありませんね」
歌に合わせて動く、音に動かされる、踊り。我は上手く踊れていたのだろうか? 我にしがみつき、振り回されながら歌ったからか、ファセの息が乱れている。
「驚き騒ぐ、森の鳥たち。踊るヴォイセの、背に乗って……」
ファセは楽しそうに歌っていた。我は歌に誘われるまま、胸から溢れそうなざわめきのままに、適当に跳ね回っただけだが、妙に楽しい。
ファセ、次の歌は?
「もう、ヴォイセ。ちょっと休ませて下さい。水を」
うむ。首を巡らせファセをくわえ、我の背からそっと下ろす。ペタンと座るファセに、水筒をくわえて渡す。
「狐竜に、歌を教えて、共に踊り、共に暮らし、なんだか夢を見てるみたい、です」
夢では無く、我もファセもここにいるのだが?
「魔獣は人を食らう、恐ろしいものと、聞いていたのですが」
魔獣はナワバリに入った人に殺意を覚える。だから人が魔獣を怖れるのは当然だろう。我はもとから人への殺意というのは薄いらしい。
「そうなのですか?」
怯えて騒いでやかましいのは、イラッとするが。ふむ、ファセと共にいた人の男達は、我の姿を見て怯えて逃げた。ファセは我の姿が見えぬこと、逃げることをさっさと諦めたことで、どうやらファセには怯えも恐れもあまり無かったらしい。落ち着いて話ができれば、人と有毛ドラゴンも、こんなものかもしれぬ。
「ヴォイセの他に、話の通じる魔獣はいるのですか?」
いないのではないか? 人の話に興味を持つ同種というのは、我は知らん。
水を飲んだあと、ファセが吹く笛は、おとなしい音色のものだった。聞いていると眠くなるような旋律の。
我は興味のままに、ファセから歌と音楽を教えてもらう。こんな日々が続けばいい。ファセの歌と笛を全て教えてもらうまで。ファセに戻るところが無ければ、我の住むところで暮らせばいい。
笛を吹くファセの足に頭を乗せ、目を閉じる。橙色に染まる風が、青い葉を繁らせる森の中を吹きわたる。妖しくも穏やかな、奇妙な風景が見えてくる。
このまま、いつまでも。




