4・これが音楽か? 春の調べ
ファセを我の住み処に置くようになり、我の暮らしは大きく変わった。
晴れた日にはファセを泉に運び、服と身体を洗わせる。ファセが食べられる果実を探し、持ち帰る。
雨の日には住み処の洞窟の中で、ファセと話をする。笛の音を聞き、ファセの歌を聞く。音楽、言葉にならぬものを伝えようとする、音の連なり。
「この曲は春の調べ、といいます」
ファセの笛の音が、洞窟の中に響く。寒い冬の終わり。暖かな春の始まり。雪解け、草木の芽吹き。日の暖かさと恵みもたらす自然への感謝。その時が続くことへの願い。悠久なる自然への賛辞。一言で表せぬものを、漠然と、だが確かに伝えようとする、音。音の連なりだけで表す、音楽。ううむ。聞いているだけで、何やら身体がポカポカと暖かくなってくる。穏やかな気持ちになる。実に不思議だ。
そして、我がファセの笛に、歌に感銘を受けると、ファセは嬉しそうにする。ファセよ、なぜ笑う?
「私は、お母さんが働く酒場で歌っていましたから。笛と歌で人を楽しませて、それでお代を頂いていました」
ふむ、前にファセが言っていた、銅貨とかだな? 人が町で暮らすには必要という。
「はい。はじめはお母さんに教えてもらった笛を。酒場に来る旅の詩人の歌を聞いて、憶えて、真似をして。酒場のお客さんの話を聞いて歌にしてみたり。お母さんの笛の音に合わせて歌ったり。親が子に語る物語を歌にしてみたり」
ふむ。目が見えぬ者でも役割があるということか。それが人の群れか。
「私にはそれしかありませんでした。だから、私でも笛と歌で誰かを楽しませることができる、というのが、嬉しいのです」
しかし、不思議なものだ。音の連なりだけで、ワクワクしたり、ウキウキしたり、跳ね回りたくなるかと思えば、眠くなるようなものもある。
「あの、狐竜」
なんだ? ファセ?
「あなたの名前は、なんと言うのですか?」
我に名は無い。群れる者は呼び分ける名称が必要なようだが、個で生きる獣には名は必要が無い。それに、ここにいる狐竜は我しかいないだろう。なので狐竜と呼べばいい。
「狐竜とは、人が呼ぶ魔獣の種の名前で、それはそれで、さみしいような」
ふむ、ならば我を、お母さんと呼んでもいいのだぞ?
「あ、あれは、寝ぼけていて。その」
ファセは恥ずかしそうにうつむく。人の心の機微というのも難しい。ファセは、まだ子ではないのか?
「人は互いに名で呼び合うと、仲良くなったような気がするもの、なのです。お母さん、と呼んだのは、その、なんででしょう?」
ファセがまだ母を必要とする幼い子だからだろう? しかし、我に名は無い。ならばファセが我に名をつけるといい。我の名を呼ぶのもファセだけだろうし。
「私が、ですか?」
他に誰かいるのか?
「ちょっと、考えてみます……」
ファセから人の話を聞く。群れる者ならではの知恵や苦労というものがあるらしい。ファセの言う『奥様』、どうやらファセの父である人の群れのボスの、つがいのメス。こいつがボスが病気で元気が無いのをいいことに、好きにしているらしい。
「その領主様が病に倒れて、その領主様がお母さんと私に会いたくなって、その、群れの配下を使って探したんです。それで私は奥様に見つかってしまって」
では、ファセが人の住むところへと戻れば?
「奥様に見つかったら、また、殺されそうになるのでしょう。奥様に子は無く、領主様の血を引く子は、私だけみたいですし。奥様の親戚から養子をとって、跡継ぎにするのでしょうが。私が生きていると都合が悪いみたいです」
人の社会というのは、よくわからん。ファセのように笛と歌で楽しませてくれる者を殺して、何の利があるのか。何より、そのよくわからん理由で同族の子を殺すのは、自然の理とは違うと思える。
「自然の理、ですか。なんだか魔獣の狐竜の方が、人より優しいようにも思えます」
これは優しいとか厳しいとかいうものでは、無いのではないか? 筋が通らぬ。我に人のことが理解できぬからそう思うのだろうが。
「いえ、きっとあなたの方が正しいのでしょう。私たちが、自然の理、というものからちょっと外れてしまったのでしょう」
ファセは我の腹に身を埋めて眠る。たまにしがみついたまま、寝ぼけて、お母さん、と口にする。そのときファセの目尻から落ちるもの、涙は、舐めるとすこししょっぱい。
ある夜、眠る前にファセが話をする。
「狐竜の毛皮に身を埋めるなんて、とても贅沢なんです」
そうなのか? 我の腹の毛に身を埋めるファセは、安心したように寛いでいる。
「狐竜の毛皮は、とても高価で、持っている人は少ないと。人に狐竜は狩ることはできませんから」
ふむ、人の中にも油断できぬ強い者はいる。だが、狐竜に勝てる人はまずいない。いても簡単に逃げられる。人は空を飛べぬものだし。
「運良く、老いて死んだ狐竜の毛皮を手に入れて、その毛皮を奪い合ったことがあるそうです。その毛皮は王様のお城に今はあると聞きます」
ほう、我の毛皮は人が奪い合うほどに欲しがるものだったのか。
「歌になっています。狐竜の毛皮と金貨の罠、と」
どんな歌だ? 聞かせてくれ。
「はい、北の山裾、森の中、ある日猟師が見つけたものは、その身に毛を纏う老いた狐竜……」
夜の洞窟の中、我の望みを聞きファセは唄う。我は、次は次はと求めるが、夜も更ければ眠くなる。ファセがうとうととすれば、我は鼻先でファセを我の腹に寝かせる。ファセは我の腹の毛に、しがみつくようにして眠りにつく。
うむ、我の自慢の白い毛皮を存分に堪能するがいい。
ファセの笛を聞き、歌を聞く。わからぬことをファセに尋ね、ファセは、ううんと考えて我に話す。人の子と暮らす、おかしな日々。妙に心浮き立つ、楽しい日々。
人の工夫とはおもしろい。笛、穴の開いただけの、ただの木の棒に息を吹き込み、様々な音を出す。
「笛、以外にもありますよ」
歌か? 詩の意味がところどころわからぬが。む? ファセが指を口にくわえる。すると、ピュイイ! と高く鋭い音が鳴る。
「指笛、口笛というのもあります」
むうぅ、驚いた。人の手とは器用なものだ。ファセはクスクスと笑う。何がおかしい?
「あなたが、ビックリしたのが、伝わってきて、うふふ」
この洞窟の中は静かで音が響く。いきなり大きな音を出せば驚いて当然だろうに。他には? 他には何がある?
「それでは、また違う曲を」
ファセが笛を口にする。不思議な音色を奏でる魔法のような笛を。我はファセの前に身を伏せる。座るファセの足の横に顎を置く。目を閉じる。
流れる笛の音に身を任せる。緩やかに、たゆたうように、笛の音が流れる。見えてくるのは、小さな川。赤い太陽に照らされる橙色の小川。その川の中を真っ赤な魚が泳いでいる。
見慣れたはずのものが、色が違うだけで見たことも無い不思議なものに見える。赤い魚は小川の中を、遡るように泳ぐ。元気に泳ぎ、やがて川から飛び出て、赤い太陽に向かって空を泳ぐ。魚が空を泳ぐなどおかしいだろうに。しかし、赤い魚は橙の空を太陽に向かって泳いでいく。それも楽しそうに、跳ねながら。
なんとも、不思議な。
「私の笛、だけでは無いのかもしれませんね」
笛の音だけでは無い? と、なればなんだ?
「私の笛で、そんな風景が見える、という人はいませんでした。だから、その風景は、あなたが作っているのかもしれません」
我が? 風景を作る?
「なんとなく、ですけど、そう感じました」
ファセの笛の音に、我の中の何かが、引きずり出されているのであろうか? ファセ、他には? 曲とはいくつある?
「いくつ、と聞かれてもわかりません。笛、以外にも楽器はありますし。その場の気分と思いつきで奏でるものも含めれば、無限にあるのでは」
無限、果ては無しか、むう……。ファセは我の知らぬことを、多く知っているようだ。
「酒場に来るお客さんに、旅人、巡礼者、神官さん、いろんな人にお話を聞かせてもらいました。いろんな歌が唄えるようにと」
なるほど。知を伝え、知識を伝え、歌を伝えるか。個では無く、群れの知となるのか。知とは親が子に伝えるだけでは無かったのか。
「そう、ですね。お母さんから教えてもらったことが多く、笛も歌もお母さんの教えをもとにしています。でも、酒場に訪れたお客さんからもいろいろと教えてもらいました。遠い地の歌や物語。別の町や村に伝わる話」
それでファセは物知りなのか。
「私は他の人ができることを、できませんから。その代わりに私ができる、笛と歌をと、それだけです」
晴れた日には、森の中の日溜まりへとファセを運ぶ。
「ここは暖かいですね」
日当たりが良くなるように、木を引っこ抜いて作ってみた。我の昼寝処だ。
「木を引っこ抜くなんて、力持ちですね」
いや、けっこう苦労したぞ。根の深い木を掘り返すのは疲れた。
「森の奥、木々の中に、狐竜の作った日溜まり野原。日を浴び優雅に身を横たえるのは、森の王。羽毛の翼持つ狐の竜……」
む? 我は森の王では無いぞ? 奥地には我より強い魔獣もいる。
「私をくわえて、空を飛べる狐竜より強い魔獣なんて、出会いたくは無いですね。私なんて、一口で食べられてしまいます」
そのときは我がくわえて逃げる。それにファセが歌っていたではないか? 一本角の巨狼、口から火を吹く赤の龍、様々な魔獣のことを知っているのではないか?
「伝承、として伝わってはいますが、実際に見たことのある人は、まずいないと思いますよ?」
では、なぜ歌になって伝わる? 見て逃げ出した者がいるのではないか?
「どうなんでしょう? 魔獣住む森の恐さを子供に伝えるため、と神官さんが話してくれました」
うむ、色の名を冠する龍については、その恐さを伝えねばならない。あれはどうにもならん。逃げるのがやっとだ。
「色つきのドラゴン、ですか? 大いなる力、自然の理のひとつをその身に宿す、龍を越える災厄。中でも旧き龍の王、紫の祖龍に抗う術は無し、と」
祖龍というのは見たことは無い。人に伝わっているのか?
「はい、旧き龍の王、生の赤の頂、死の青の底、両の果てを知るは紫の祖龍ただひとつ。逃れえぬ滅日もたらす龍の中の龍……」
北の山の白龍でも、二度と会いたくは無い。我のような有毛ドラゴンは、ドラゴンの中では小さく弱い方だぞ。逃げるので精一杯だ。
ふむ、紫の祖龍か。恐ろしいが、しかし一度見てみたくはあるか……。
「死の罠に導くは好奇の誘い、です。危ないものには近づくな、と伝えるのも物語です」




