3・なんだ? この胸がざわめく音は? 笛?
翌日、腹のあたりがモゾモゾと動くのにくすぐったくて目が覚める。ファセ、起きたのか?
「……ここは?」
ここは我の住み処、森の中の洞窟の中。
「ふわふわ……」
うむ、それは我の自慢の毛皮だ。
寝起きでまだ頭が起きてないらしい。頬をペロリと舐めると、ひゃ、と声を上げる。ちゃんと目が覚めたか?
「あ、おはようございます」
む? オハヨウゴザイマス? その意味は?
「朝の挨拶です。えと、朝だけじゃなくて、その日に初めて会う人にする挨拶です」
挨拶、その日に初めて会う相手、ふむ、つまりは、我のナワバリに何しに来た? と訊ねるようなものか? ファセは、ふふ、と微笑む。
「それだとケンカするみたいですね。逆に今日も仲良くよろしくお願いします、という感じ、でしょうか?」
仲良くよろしく、なるほど、群れる獣ならではのものらしい。
「狐竜、あなたは、群れはいないのですか? 家族は?」
子を産み育てる時で無ければ群れない。個で生きる。人がハチやアリのような群れで生きるものとすると、我のような有毛ドラゴンは、クモやカマキリのような、個で生きるものだ。
「それは、さみしくないですか?」
人はうっとうしくはないか? 生命とはいろいろな形があるものらしい。
「生命の形……」
個で生きることに不都合が無ければ、群れる必要は無い。強い魔獣ほど群れるものは少なくなる。弱いものは簡単に絶滅せぬように、数を増やす。それで群れて役割を分担し助け合う、ようになるらしい。これまで森の中を観察し、我が見たものから言うとこうなる。
「そうですか。それで魔獣狩りの勇士の物語では、相手は強い魔獣一体というのが、多いのかもしれません」
勇士の物語? 魔獣狩りとは、人の中で魔獣と戦える強さを持つ者のことか。それが勇士?
「はい、魔獣の脅威に立ち向かい、人々を守る、そんな魔獣狩りを勇士と讃える物語です」
ほう?
「えぇと、魔獣に脅える人にとっては、強い魔獣狩りが心の支えにもなります。それで物語や歌で伝えたりと」
ふむ、心の支え、わかるような、わからないような。
「きっと、怖いものから脅えて逃げ惑うばかりでは、おもしろくないので。だから魔獣を追い払える強い人は、憧れで人の希望、なのではないかと」
ほう、それが人の考え方か? 訊ねるとファセは小首を傾げて少し考えて、
「いえ、私もこんなふうに説明しようとするのは、初めてです。自分で口にしながら、新しく見つけているような、不思議な気分です。狐竜と話をすることが、初めてだから、でしょうか?」
そうなのではないか?
ファセとの話はおもしろい。新たな発見がいくつもある。だが、その前にしなければならぬこともある。
我の住み処に人が住むというのは、これも初めてだ。何が人の暮らしに必要となるのか、まるでわからん。
ファセの持ってきた袋の中身を見せてもらう。これは?
「着替えです。これが下着で、こっちは手拭いです」
むう、人には着替えが必要か。細い繊維? 糸? 糸でつくる? むう、我には服は作れそうにない。これは?
「財布です。中身は、私をここに連れて来た人にあげてしまいました。お金を入れるものです。銅貨とか鉄貨とか」
お金? 銅貨? 何に使う道具だ?
「買い物に使います。魔獣には必要の無いもの、ですね」
この細い木の棒は?
「私の笛です。母の形見の大事なものです」
これが笛か、穴の開いた真っ直ぐな木の棒。大事な物か?
「はい、壊さないで下さい」
わかった。気をつけよう。
ファセの食料は我が持ってくるとして、必要なのは、杖、か?
「それと、あの」
なんだ?
「服と、身体を洗いたいのですが」
うむ、昨日、ちょっと漏らしてオシッコ臭いから洗いたいと。む? ファセ、なぜ俯く?
「恥ずかしいんです」
ハズカシイ、とは、なんだ?
「恥ずかしいものは、恥ずかしいものです。うぅ、私は目が見えなくて、そういうところで人の世話になることもありましたけれど……」
我には人の、そのハズカシイというのは、よくわからん。では、泉に連れていこう。その洗いたいもの、というのを袋に入れてしっかりと持て。
「あの、狐竜?」
なんだ?
「私をどうするんですか?」
ふむ、ファセはおもしろい。ファセの話を聞かせてもらいたい。なのでファセは我の住み処に置きたい。我の知の欲を満たすために。
「はあ、捕らわれた私に抗う術はありませんが。狐竜に飼われることになるとは、まるで考えつかないことですね」
泉まで運ぶのにくわえるぞ。漏れそうになったら言うのだぞ。
「だ、大丈夫です。もう漏らしません」
なぜ、いきなり不機嫌になる?
ファセをくわえて泉に運ぶ。森の中、人が足を踏み入れぬところ。遠く見える山の頂きはまだ白くは無い。まだ寒い季節とはならない。
ファセは泉に手を入れ下着というのを洗っている。身体を洗い毛繕いが必要ならば、また我が舐めようか。
「い、いいです。舐めなくていいです」
我が幼き頃は母がそうしてくれたものだが。人には必要無いのか。代わりに服を洗うのか。
目が見えぬというファセの手を鼻で押し、泉に落ちぬように気をつける。ファセは手探りでゆっくりと服を洗い、服を脱ぎ、身体を洗う。
ファセの肌は他の人より白い。泉の水を浴びると、白い肌は薄く輝くようにも見える。
「えぇと、なんと言えばいいのか」
む? どうした? ファセ?
「いえ、すぐそばで私の裸を見て、その感想が聞こえてくるというのは、その、落ち着かないです」
肉付きはイマイチ。あばらが見えて痩せている。これはしっかりと食わせねばならんか。それともこれから成長し、胸も尻も肉がついてくるのだろうか?
「思う事がここまで聞こえてくるなんて、初めてですけど……、私の胸とお尻を細かく品評されるなんて……」
幼い獣は可愛らしく見える。ふむ、一晩抱いて寝たこともあるのかもしれんが、
「あ、あれも、抱かれた内に入るのですか?」
人の子のファセも可愛らしく見える。なんだか、我の子のようにも思えてくる。また毛繕いしてやろうか? む? なぜ、俯く? 顔が赤くなってきたぞ?
「な、なんででしょうね? 狐竜なのに、男の人じゃ無いのに……」
ファセはなにやら自分の身体を抱いて隠すように小さくなる。これが、人のハズカシイ、か?
◇◇◇◇◇
住み処の洞窟の前。ファセの話を聞きながら洗った服を干すところを作る。服を作り、洗い、干す。干す為の物干し場も作る。これが人の工夫、というものか。
水筒というのも汲んだ水を置いておくには便利だ。数があれば、いや、大きなものがあればなお良し。どうやって作るのかが、わからんが。
ファセの食べる果実を取ってくるにも、我がくわえて運ぶ分しか、一度に持ってこれない。ファセの持つあの袋の大きいものがあれば、運ぶのに便利なのか。ふむ、それが人の知恵か。
ファセを住み処に置くことで、考えることが増えた。これはおもしろい。
ファセが美味しいと言った、ガーネットベリーの実の成る枝をくわえて住み処の洞窟へと帰る。む? 洞窟の中から奇妙な音が聞こえる。鳥の鳴き声のような、高い音。なぜ、こんな音が我の住み処から? 鳥が洞窟の中に迷い込んだか? いや、鳥の鳴き声に似てはいるが、何か違う。音の連なりに何か感じる。不思議な音。
我が住み処に足を入れると、その音はピタリと止んだ。
「おかえりなさい」
うむ、戻ったぞファセ。果実を持ってきた。先程の音はいったいなんだ?
「音、ですか?」
見れば我の寝床に座るファセの手に、笛、というものが握られている。
「暇だったので、笛の練習をしていました」
笛の練習、先程の音はその笛の練習か? もう一度聞かせてくれ。
「はい」
ファセは、笛、を口にくわえる。ファセの口から横に真っ直ぐな木の棒が伸び、ファセは両手で、その笛を持つ。
ファセが息を吹き込むと、高い音が我の住み処に、洞窟の中に響く。
なんだ? この音は?
ファセが指を動かすと、高く、低く、音が変わる。速くなる、遅くなる。音の連なりに何かを感じる。思考? 意思? 何かを伝えようとする音のうねり。
笛の音に集中する。目を閉じる。胸の奥が何やらザワザワとする。
洞窟の暗闇の中、目を閉じたまぶたの裏。何か見えてくる。
蒼い風、いや風に色は無い。無い筈の色を帯びた、蒼い風が、感じられる。なんだ? これは?
音の連なりは、まるで弾むように、跳ねるように、柔らかな風のように。次に見えるのは、白い花の咲き乱れる野原。これは、幼き頃、兄姉と戯れたあの野原に似ている。
蒼い風の吹く、白い花の原。それを見下ろし空を飛んでいるような。
次に見えてくるのは、緑の雲。緑の色ついた雲など、あるわけが無い。見たことが無い。だが、弾むような笛の音に押されるように、緑の雲の中に飛び込む。向こう側に抜ける。
まるで緑の雲と戯れるように、蒼い風に煽られ、高く飛ぶ。低く飛ぶ。白い花の原の上を。
連なる笛の音は勢いよく、合間にファセが息を吸う音が聞こえ、流れる笛の音に引き込まれる。
やがて、笛の音は緩やかになり、白い花の原に足をつけ、ゆっくりと辺りは暗くなっていく。
笛の音が止まる。もとの洞窟の暗闇が戻ってくる。今のは、
「あの、どうでしたか?」
ファセは、魔法が使えるのか?
「え? いえ、私は魔法使いではありません」
だが、今のは、幻覚系の魔法ではないのか? なぜ、蒼い風や緑の雲など、有り得ぬものが感じられるのだ?
「蒼い風? 緑の雲?」
そうだ。その笛の音、その音が我に幻覚を見せたのではないか?
「目の見えない私に、色はよくわかりませんが、ふふ」
ファセ、なぜ笑う? なぜ楽しそうなのだ?
「私の笛が、あなたを驚かせて、楽しませたからです」
確かに、驚いた。こんな体験は、初めてだ。これが笛、か。
「音楽、です。音を楽しむものです」
音楽、音の連なりで楽しむもの……
「色づくほどの音を感じさせるものが、音色、と呼ばれます。私の笛が音色と聞こえたというのは、私がその域に届いたのかと、嬉しくなりました」
ファセは笛を両手で大事に持ち、ふふふ、と笑う。満足そうに笑う。笛、音の連なりだけでそこに無い物を見せるもの、か。
笛、音楽。初めて聞く音に胸の奥がざわめく。ファセ、もっと聞かせてくれないか?
「あの、いいですけど、先に果物を食べてもいいですか?」
そうか、腹が空いては笛は吹けないのか。わかった。他にも何か取ってこよう。




