2・人の子の名は、ファセ。果実を食べさせてみる。
頭の毛が白い、人の子。
我の心を読む力を持つ人のメス。
「私の名前は、ファセ、と言います」
群れる獣は互いを区別するために名をつけるという。ファセと名乗る人の子の話は、我には理解しにくいものだった。
つまりは、なんだ? ファセは群れのボスの子だと。だが、身分とやらで、この身分というのが強い弱い以外の要素もあり、血族やら? 財産やら? 長子相続? とか、そういうので揉めるという。揉めたからと言って、ケンカして決めるというものでも無いとか、よくわからん。なにやらややこしい。
「人の、そういうことをどう説明すれば、狐竜にわかるのでしょう? すみません。説明が下手で……」
ファセ、という人の子は困ったようだ。小首を傾げて考えている。
いや、これは逆もまた同じことだろう。我が我が同種のことを説明しても、人のファセには理解しにくいことだろう。住むところが違い、持つ知識が違う。
我に人の群れのことはよくわからぬし、ところどころファセの言う単語の意味がわからん。正妻? メイドに手をつけた? 跡継ぎが産まれない家族で? ボスの子のファセがいると正妻に都合が悪い? それでファセが殺されそうになった?
「はい、そういうこと、です」
ボスに子が産まれたら、群れの子として育てたなら良いではないか? つがったメスが誰であろうと、ボスの子は群れの子だろう。それで良いのではないか?
「それができたら、素敵なことかもしれません」
素敵も何も、それが自然の理ではないのか?
「跡取りの権威とか、財産とか、血族とか、いろいろあるみたいです」
そのようなことをしていては、同族が滅びるかもしれんぞ? 食料が足りぬでも無ければ、一族の末は殺すよりも育てた方が良いだろう。
ふむ、人とはあまり賢く無いのだな。
「そう、ですね。でも奥様は、私にいなくなって欲しいみたいです」
それで、ファセの父、そのなんだ? 領主とかいう群れのボスが病に倒れた、と。ファセの母というのは?
「私が産まれたときに、奥様に睨まれることは解っていたので、お母さんはメイドをやめて、私を抱えて、故郷に戻りました」
ふむ、そしてファセは産まれたときから目が見えないと。
「はい。目が見えず、髪も産まれたときから白髪だと。肌も人より白いと。お母さんから聞いた話では、妊娠中に食べ物に入れられた毒のせいかもしれない、と」
その奥様とやらの仕業か? 毒か。人間とは、よくわからんところがおそろしい生き物だ。ファセはよくこれまで生きてこれたものだ。
「お母さんと、お母さんを助けてくれる友人のおかげです。母は酒場で働き、私も母の手伝いをして、なんとか暮らしてこれました」
目が見えないとなると、人の群れの中でどのように暮らす? 手伝いとは?
「お母さんから笛を習い、目は見えなくともお母さんの働く酒場で笛を吹き、歌を唄い、詩人の真似事をしてました」
笛? 歌?
「はい。お母さんは笛が上手で、なんでも父がお母さんを見初めたのも、笛の音に誘われたのがきっかけだったと」
我が笛と歌について訊ねようとすると、ファセの腹から小さな音が、クウ、と鳴る。む、興味のままにいろいろと訊ね、話をしているうちにずいぶんと時間が過ぎたようだ。
ファセ、腹が空いたのか?
「は、はい」
む? なぜ、恥ずかしそうなのだ? 腹が空くのは自然の理だろうに? 水も欲しいのではないか?
「はい、喉も渇きました」
ずっと喋らせてしまったからな。では、ファセが食べられそうなものを探してくるとしよう。
「あ、あの、狐竜」
なんだ?
「その、杖は、ありませんか?」
杖?
「私は目が見えませんが、杖があれば歩けます。狐竜に運ばれるときに手離してしまって」
ついでに探してくるとしよう。
「それと、あの、」
なんだ? ファセ? なぜ、うつむき気味で恥ずかしそうにしているのだ? もじもじしてるのはなんだ?
「トイレは、何処ですれば?」
我慢していたのか? 言えばよかろうに。我の住み処に臭いをつけられるのは困る。
ファセの身体をまた横からカプリとくわえ、
「ひゃ?」
驚いた声を上げたファセを、住み処の洞窟の外へと運ぶ。ファセをそっと下ろして、ふむ、何処でも好きなところでするといいぞ。
見ると何故かファセは顔を赤くしている。すこし怒っているようだ。何かあったのか?
「……いきなり、おどかさないで下さい」
なにやら、ファセが恨みがましく言う。
目が見えないなら我が運んだ方が早かろう。
「……ちょっと、漏れちゃい、ました」
うむ、匂いでわかる。それがどうした?
……ファセ? なぜ返事をしない? ファセ? なぜうつむく?
なぜかファセは我に背中を向ける。しゃがんで用を足す。理由はわからんが怒っている。
ふむ、人は漏らすとこを見られると怒るものだろうか?
森の中でファセの食べられそうなものを探す。果実、しか無いらしい。水はファセの持っていた袋の中の水筒を使って運ぶ。木でできた筒、水筒。ふむ、水を運ぶのにこれは良い。
我の持ってきた暗赤色の果実をファセに持たせると、ファセはおそるおそるとかぶりつく。もぐもぐ、と味をみて、
「美味しい?」
なにやら驚いた顔をして、安心して食べはじめる。
「この味、ガーネットベリー、ですか? でも、こんなに味が濃くて甘いガーネットベリーなんて」
ふむ、この森は奥に行く程にフォイゾンが濃い。その為に草木も花も、奥に行くほどに力強い。森の浅いところよりも大きく実り、味も濃くなる。しかし、調理せねば食べられるものが少ない、というのは、人とは不便だ。
「お魚も芋も、生で食べるとお腹を壊します。あの、狐竜は火を吹かないのですか?」
我はドラゴンに連なる種だが、ブレスを吐いたりはできぬ。それと有毛ドラゴンは、素早いのが特徴だが、いわゆるドラゴンと比べると一回り小さいし弱い種だ。
「そうなんですか?」
羽の無い地竜のように頑丈でも無い。自前の毛皮で寒さに強く、すばしこいのが特徴、だろうか。なぜ、我に火が吹けるかと聞く?
「お魚を取ってきてもらえたら、その火で焼けるかな、と」
なるほど。だが、我には無理だ。果実だけでは足りぬか?
「いえ、こんなにいっぱいありがとうございます」
人が食べられそうなものをいくつか取ってきた。ファセは次々と味わいながらゆっくり食べる。口元を果実の汁で染め、ときおり、はぁ、と息を吐きながら食べている。
「狐竜の巣に拐われて、狐竜のもたらす果実で喉を潤し……、その果実、森の奥の不思議な力、身もとろけるような甘美、強くかぐわしき芳香……」
なにやら、呟きながら食べている。
「あの、歌にできないか、と思いまして。狐竜の巣で、こうして果実を食べるなんて、そんな体験をした人はいませんから」
体験が歌になるのか? 歌について聞いてみたくはあるが、食べるのを邪魔するのもはばかられる。慌てることも無い。食べ終わってからまた聞けばいい。
ファセはどうやら満足したようだ。果実はまだ残っている。足りなければまた取りに行くつもりだったが、その必要は無さそうだ。
ファセの杖は探してみたが見つからなかった。あとで手頃な木の棒でもみつくろって来よう。
さて、ファセの腹がくちたなら、歌に笛、他にも人のことなど訊ねようとしたが。
「ありがとうございます。なんでも聞いて下さい」
ファセはそう言うが、なんだか眠そうだ。腹がふくれたなら眠くなるのも自然の理。それに疲れてもいるようだ。
「疲れて、そうですね。あまりにもいろんなことがあった一日で、頭がボンヤリします。一度は死を覚悟して、それが狐竜に救われて……」
ならば続きは明日としよう。我は緑のコケの生える寝床に横たわる。ファセを顎で押して、我の腹にくっつける。
「え、あの」
日が落ちると冷える。我の毛皮で寝るといい。
「ふわふわ……」
ファセは横になる我の腹の毛を何度も撫でる。顔を埋める。なにやら楽しそうだ。
「お日様の、匂い……」
今日の日向ぼっこは途中で邪魔されたが、日の当たったところは日の匂いがするらしい。匂いを嗅ぐファセは目を細めて身体の力を抜く。うむ、太陽は偉大だ。
我の腹の毛に身を埋めるようにする、ファセの寝息が聞こえてくる。どうやら、かなり疲労していたらしい。
うむ、明日が楽しみだ。
我は同種の中では変わり者と呼ばれている。色の白い変異種であることもそうだが、我が興味を持つモノが変わっている、ということらしい。実際、我が興味を持ち、思索することは生きる上であまり役に立たない。
雨はどこから降るか。風はどこから吹くか。星はなぜ瞬くのか。大地の果ては何処か。
我の兄姉はそういうことに興味が無い。そこに興味を持つ我を変なヤツ、と見る。確かに森で生きるには必要の無いところだ。
これが性分というものか。なぜ、我はこうなのか。
その我にとって、こうして意思の通じる別種の生き物。人の子、ファセ。我が待ち望んだ、知らぬ知識を識り語る者。
我の腹に身を埋め、しがみつくようにして眠るファセを見る。我は子を産んだことは無いが、こうしていると何やら己の子を世話しているような気にもなる。
明日は何から語ってもらおうか、ん?
「……か、」
ファセが寝ながら何か、呟いている。
「……おかあ、さん……」
眠るファセを起こさないように、そっとファセの目尻を舐める。すこししょっぱい。
我の羽毛の翼を下ろし、ファセをくるむようにかぶせる。
うむ、ファセよ安心して寝るがいい。ここには脅かす者はいない。我より強い者など、我の兄姉かドラゴンくらいしかおらん。
首を下ろし目を閉じる。人の子というのは暖かいものだと発見する。様々な果実の香りがするのもなかなか良い。