第四話・忍び寄る影(2)
樹の祭壇のある建造物からすぐ側――けもの道を進んだ茂みの奥に、月明かりに映し出された小さな美しい湖畔はあった。静かな岸辺に辿り着くと、フィトはうっとりとその光景に見とれてしまう。
湖畔に魅入るフィトを他所に――、樹の精霊たちは何の躊躇もなく、身に着けていた衣服をするりと脱ぎ捨てると――眩い美貌を月明かりの下に主張しながら、ざぶざぶと水の中へ入って行く――。
月の輝きと溶け込むように、精霊たちの身体から放出される桜桃色の光の粒がきらきらと湖面に反射して、幻想的な雰囲気をつくり上げる――。
同じ女性であっても、その絢爛たる容姿に思わず釘付けになるフィト。
そんな黒髪少女のもとにルルディがやってきて『……フィトっちも早くいこっ! きもちーよ!』と、ぐいぐい腕を引っ張った。
ルルディに急かされるがまま、少しためらいながらも衣服を脱いでいくフィト。
透き通るような白い肌をさらけ出し、一糸纏わぬ姿で水辺へと足を踏み入れた。気恥ずかしそうに両手で身体を覆いながら、ルルディに続いて水の中へ入って行く――。
「わっ! ひんやりして気持ちいー……!」
『……うふふ~。こうしていると、火照ったカラダがひ~んやりして心地いいのよねぇ』
膝上くらいまでの水位の湖に腰を下ろして浸かり、ちゃぱちゃぱと水を被る精霊たち。
そんな精霊三人のリラックスした姿を見るも――、フィトは未だに水に足を入れた所から棒立ち状態だ。
恥じらいを捨てきれずにいつまでも手で身体を隠す黒髪少女に『……フィト。何を恥ずかしがっているのです? 同じ女性なのですから、隠さずとも良いではありませんか』と、ゼフィランサス。
それに続いて――『……そうだよぉ! ほらっ! 恥ずかしがらずに、オープンマイハートっ!』と言って謎ポーズを取るルルディ。
そんなルルディに対し『……ちょっと何言ってるかわからないです』と、ゼフィランサスは冷たく言い放ち、眼鏡をかけ直した。
「うぅ~……人前で裸になる事なんてないから、やっぱり恥ずかしくて……」
『……大丈夫よぉ~。フィトちゃん、とっても綺麗だもの~』
そう言われても――、フィトの恥じらいはなかなか解けるものではなかった。
それに何といっても、ダフネとゼフィランサスの豊満な胸に比べて、自分の控えめな胸を見比べてしまうのである。
しかし――前向きなフィトは、まだ十六歳で成長真っただ中だから仕方ないよ! と、自分に言い聞かせ、きっと明るい未来に希望を持とうと決めた。
『……フィト、ちっぱい仲間だねーっ! アタイ、いっつもボインな二人に挟まれて嫌気が差してたんだよねぇ~』
「ちっぱい?」
『ちっちゃなおっぱいのことだよ! 略してちっぱい!』
『……姉妹なのに、ルルディだけ小さいのよねぇ~。どうしてなのかしら~』
『……脳ミソに栄養が行ってしまったという訳でもなさそうですしね』
純粋に言葉を口にするダフネと、分かっていて小馬鹿にするゼフィランサス。
心無い言葉を聞いて『……あんたたちがアタイのおっぱい栄養分を全部持ってったんでしょーが! 絶対そうだもん、うわああああんっ!』と、ばしゃばしゃと二人に水をひっかける。
『……このっ、やりましたね!?』
『……だってゼフィランサスが悪いんでしょっ! コンプレックスを馬鹿にするなんて、許すまじ! おらああああッ!』
水のかけ合いをするルルディとゼフィランサスを見て『……ほらほら、喧嘩は良くないわよ~?』と、ヘラヘラしながら止めに入るダフネ。
面白がっているのか、大して心配せずに言っているのか、その表情からは全く真意を読み取れない。
そんな大精霊に向かって『……うるさいですよッ!』『……黙ってて下さい!』と、ルルディとゼフィランサスは水を思い切りぶっかけた。
そのおかげで隣にいたフィトまで頭から水をかぶり、びしょびしょになってしまう。
「ひゃあっ!? つめたいよぉっ!」
『……フィト、ごめんなさい! 私としたことが、ついやってしまいました……』
びしょぬれになったフィトを見てあせあせするゼフィランサスに対し――、悪びれることなく悪戯っぽい笑みを浮かべ『……水もしたたるなんとやら~ってね!?』と、ルルディは先陣を切って水かけ遊びを始めた。
それから――三人の精霊と一人の少女は、キャッキャウフフと水をかけあいっこをするのであった――。
***
水遊びも一段落し――フィトと精霊たちは岸辺の石に腰かけ、先端に花が咲いた金の櫛で互いに髪をとかし合っていた。
フィトの髪をとかしていたダフネが『……フィトちゃんの髪はつやつやしてて綺麗ねぇ~』と、笑顔で言う。
「えへへ、そうかなぁ?」
『……とっても綺麗な黒髪、いいわね~』
「この髪色はね、自分でも好きなんだぁ。お兄ちゃんと一緒だから」
そのセリフを聞いて『……フィトにはお兄ちゃんがいるんだ!?』と、楽しそうにルルディ。
自分たちが姉妹という事もあり、フィトの話しに興味を持ったようだ。
『……フィトはガルデニアから来たんだよね? お父さんとお母さん、お兄ちゃんはガルデニアに残ってるの?』
「ううん。私、お父さんとお母さんはいないんだぁ。ガルデニアには……叔父さんと叔母さんと住んでたから」
『……あ、変なこと聞いちゃってゴメン。それで……お父さんとお母さんは、やっぱり……』
遠慮せずに質問を続けるルルディに対し『……ルルディ。踏み込んでいい事とそうじゃない事がありますよ』と、ゼフィランサス。
そう言われてから『……そうだよね。無神経にほんと、ゴメン』と、ルルディはしゅんとする。
フィトは笑顔を浮かべながら「ううん、大丈夫だから気にしないでね!」と口にして話を続けた。
「私のお父さんとお母さんはね……死んじゃったとかじゃなくて、もともといないんだぁ。産まれて、物心がついた頃にはもういなかったの。……自分が捨て子だったのか、そのいきさつは分からないんだけどね。私とお兄ちゃんは、おじいちゃんとおばあちゃんに育ててもらったんだ」
フィトの話を聞いて『……そうだったんだ』と、動かす手を止めてルルディは相槌を打つ。
桃色の光に包まれる中――「こんな事話してもしょうがないね? いつもあんまり自分の事は話さないんだけど……三人が精霊さんだからかなぁ? いつもよりたくさんしゃべっちゃった!」と、フィトは笑う。
月が映る湖畔に――少女たちの髪を伝って落ちる雫が、ぽたぽたと水面を揺らして音を立てる――。
そんな静まり返った湖畔に響く声で『……なんで? アタイはもっとフィトっちの事知りたいよ? 話してくれて嬉しいよ!』と、底抜けに明るくルルディは言った。
「えっと……つまんなくなかったかな? こんな話、レオンとリオンにもしたことないの。わざわざ進んで話す事でもないし、聞かれた事もないから、話すタイミングもなくってね。……ふたりの事だから、気遣って聞いてこないんだとは思うんだけど」
『……つまんないなんて、あるわけないっしょ!』
『……そうですよ。……それに。あのケダモノたちも知らないフィトを知れるなんて、かなりの優越感ですしね』
ふふんと不敵な笑みを浮かべ、ゼフィランサスは眼鏡を光らせる。
相変わらずダフネはニコニコしながら、フィトの髪をとかしているのだが――。
そして――何気なく『……ね~ぇ? そのおじいちゃんとおばあちゃんは、いまはどうしてるの?』と、ルルディがフィトに尋ねた時――。
フィトの表情がふっと陰り、強張ってしまった事をすぐに精霊たちは感じ取った。
正真正銘、今度は踏み込んではいけない部分だったと、その話を掘り下げてしまったルルディは思わずあわあわする。
すると――。震えながら口を開こうとする小さな少女を、ダフネはぎゅっと抱きしめて言う。
『……無理して話す事、ないのよ~』
柔らかなダフネと花の香りに包まれ、その優しいトーンと言葉にフィトは黙ったままこくりと頷いた。
笑顔を浮かべる事も出来ない程の、秘めた心の傷が痛むのか――。ダフネに抱かれながらぎゅっと目を瞑り、少女は悲しみを押し殺す――。
フィトが落ち着くまで、精霊たちは少女に寄り添い続けていた。




