四の一
四
夏も終わろうという頃、丘前村にもようやく家も建ち並び、農地を耕す姿が目に付くようになってきた。村の場所は結局大水の時に避難した御岳山の北麓の丘に造ることになり、数十戸の伏屋根の家を固めて建てた。高床の穀物倉庫もタケル達の知識を活かして造り上げた。田や畑は湧水の澤を利用して斜面に作っていった。
以前の田畑は大水で全滅し、今年の収穫は望めない。しかし、芋や野菜類なら今からでも作れるので、幾分村にも明るさが戻ってきた。
ところが、初夏の頃はあれほどの水量だった御河が、このところの日照り続きで急に水嵩が減り始めた。井戸や湧水もめっきり水量が減ってしまい、今にも涸れそうな様子。おまけに上流に木を伐りに行ったり狩りに行ったりした者が、度々戻ってこないという事件が発生した。
とうとう御河は干上がってしまった。村おさは心配になり、タケルに相談する。
「タケル様、御河が涸れてしまいました。おまけに上流に行った者が二人、行方不明になっているので御座います。一体何が起きているのか、調べてはもらえないでしょうか」
「ふうむ、上流には人が住んでおるのか、それとも魔物でも居るのかな」
「そりゃ熊や鹿などの獣はおりましょうが、わざわざ人を襲うとは思えませんで。たまに寒い頃になると、狼の遠吠えが聞こえることはありましたが、この季節は食べ物に困らないでしょうから、人を襲うとは思えませんで。事に依ると猿投村の連中かもしれねぇです」
「なるほど。よし分かった、さっそく調べさせよう」
こうして三太夫を隊長とし、弟彦、稲目にゴンの四人が上流に調べに行くことになった。
朝暗いうちに四人は軽装で出かけた。
まだ夜が明けきっていないというのに、残り少ない夏を惜しむかのように蝉がジージーとうるさく鳴いている。三太夫と弟彦が弓と矢筒を装備し、稲目とゴンは背負子を担いでいる。四人とも日笠を被り、体を保護するために袖長の服を着て、石鉈を腰にしている。三太夫を先頭に稲目、ゴン、そして弟彦と続く。
二刻ほど進んだ頃、辺りはすっかり明るくなった。ところが隊長の三太夫はどうも何か違和感を感じて仕方がない。風もなく、水の流れの音もない、そして聞こえるのは蝉の鳴き声ばかり。
必定三太夫の足取りは遅くならざるを得ず、弟彦が、
「兄者、どうかしなすったのか」と尋ねた。
三太夫が立ち止まり、振り返って、
「うむ、何かおかしいのじゃ、汝ら、気付かぬか」
立ち止まり皆が回りの気配に耳をそばだてるが、ただ首をひねるだけであった。
その時、
「そうか、鳥の声が聞こえないのじゃ・・」
と、三太夫が気付いた。
「鳥・・確かに聞こえませんな」と、稲目。
「でも何で鳥が居ないのですかな」と、ゴンが訊く。
「さあて、水もなく実のなる木々が少ないからか・・」
と、弟彦が首をひねって周りを見廻す。
「まあ、そんなところか・・とにかく用心する事じゃ、皆声は絞れよ」
そう言って、三太夫はまたそろそろと先に進み出した。
それから一刻ほど進んだ時、
「待て・・」と、三太夫が手を広げて皆を止めた。
「異臭がする、血の臭いだ。汝らはここで伏せておれ、よいな」
小声で囁き、座れという合図をした。振り向いて東後方を見ている。
音をたてずに身を屈め、忍び足で臭いの元に近づいて行く。
穴を見つけた。中を覗き込み、三太夫は思わず横を向き、顔をしかめた。
臭いの主は落とし穴で竹矢来に串刺しになった丘前村の者だった。尖った竹が何本も体を貫いている。既に遺体には蛆が湧いていた。竹矢来のせいで烏と雖も近づけないのだ。
(獣を獲るための罠なれば、竹矢来までは使わんだろう、惨いことじゃ・・やや?)
三太夫が北の空を見上げると、烏が群れて輪になって飛んでいるのが目に入った。
(獲物を探す鳥のいる所には餌となるものがあるはず。おかしいぞ、何かあるな)
そっと三人の元に戻った三太夫は、事情を話し十分気を付けるように戒めて、自ら先導して先を急いだ。
しばらく登って行くと川幅が狭くなり、チョロチョロだが水が流れているのが分かった。川の左岸(東岸)はこの先断崖になっていて、通れそうにもない。已む無く川に降りて対岸に渡るため泥濘に踏み込んだ。
川の中ほどまで歩いて来た時、
「ああ、あれは・・」
と、三番目を行くゴンが上流を指差した。
その瞬間だった。
ピュ、ピュー
という音と同時に、グサッと、鈍い音がした。
「ううっ」
と言って、ゴンが倒れた。
同時に前方で烏の群れがバサバサバサと羽音高く飛び立った。
残りの三人は慌ててゴンを引きずりながら川を渡る。遥か遠くから矢がピューピュー飛んで来る。
皆は森の中にどっと転げこんだ。
見るとゴンは既に事切れていた。殆んどの矢は石の鏃だったが、ゴンの息の根を止めた矢には鋼の鏃が付いている。
三太夫が悔しそうに歯噛みしながら、
「一体どこから撃ってきたのじゃ・・・相当に腕のいい射手らしいのぉ。それと前方の様子では、川が堰止められているようじゃ」
「兄者、弓なら吾に任してくれ、きっとゴンの仇を討ってやる」
と、弟彦が息巻いた。
「頼んます、弟はん」
と、稲目は涙目で訴えた。
稲目には一瞬で死んでしまった相棒のゴンの事が口惜しいのである。
「ああ、だが待て、何人いるのか、どこに居るかもこっちは知らんのだ、探りを入れてからじゃ」
「一町(百九メートル)ほど先の堰の向こうに高い櫓が見えた、射手は二人だ。そのうち一人は下手っぴだ」
「よく見えたな、弟よ」
「当然さね、射手は目が良くなくちゃいけない」
「ふぅむ、なるほど・・・」
「それにな、兄者。二十間ほど先に死骸が一体あるようじゃ、既に骨ばかりと見た。きっとゴンはそれを見たのだろう」
「弓にやられた村人らしいな。どうりで烏が騒いでいる訳だ。ゴンを含めて三人死んだか」
三太夫は稲目を一瞥した。そこには歯噛みして拳を握り締める稲目の姿があった。
「済まぬ・・」
三太夫は稲目の肩を叩いて立ち上がった。ゴンの遺骸は帰りに運ぶこととして、猛禽や獣に荒らされないように倒木の下に隠し、先を進むことにした。皆は項垂れたまま、立ち上がった。矢の飛んできた方向は北、見上げれば微風で梢が僅かに揺れている。こっちがやや風上であることに気付き、臭いで知られないように櫓を中心に森の中を西側に円を描くように移動した。
用心深く遠回りして森の中を進んでいくと、細い小川にぶつかった。水が満々と満ちているのを見て、皆が唖然とした。西に向かって流れているところをみると、堰止めた水はこちらに流れていると分かった。
急いで川を渡って森に入ると前方に日の当たる所が見えてきた、山道だった。木々の影から道の様子を窺っていると、籠を背にし、土気色の短袖の単衣に袴を穿いた二十ぐらいの若い女が通り掛かる。三太夫が二人に目配せをして、じっとしてろという仕草をした。
女にそっと近づく三太夫が、ささっと後ろに回り、左手で女の口を塞ぎながら、一気に森の中に引き込んだ。二人の居る所まで来ると地に座らせて、小刀を見せて脅す。
「いいか、大きな声を出すな、出せば、汝れの喉を掻き切ってやるからな、分かったか」
女はぺこぺこ頭を動かし、瞬きしている。
三太夫が続ける。
「お前はこの辺の者か」
と言って、三太夫は女の口からそっと手を放した。女は大きく口を開けて息継ぎした。
「へえ、わたいはこの先の猿投村の者でさつきと申します」
「さなげ村・・(そうか村おさの言ってた村だな)さつきとやら、村の事を詳しく話せ」
「へえ、猿投村は猿投山の麓にある村で、垂井の殿様の塚(墓)が御座います。わたいらは皆、もとは垂井に住んでいた者です」
「垂井の殿様というと、伊福様か」
「いいえ、大碓命で・・・帝の命令で塚を御支配地の中に作ることを禁じられまして」
「ははぁ、そういう事か、それで村の者は大碓命を慕って御陵塚の側に移り住んだという訳か」
「へえ、左様で。それに殿様の落とし種の御方様が居りましてな、皆でお慕い申している訳で御座います」
「落とし種というと、あの兄姫弟姫姉妹の子か」
「いいえ、別の姫様の子でして、男の子で御座います」
「なるほど。それで村を仕切っているのは誰だ」
「じ・・ち、長老様で御座います・・」
「長老か、そいつが村おさなのだな。ところで、われらは御河の下流から来た者だが、この先で一人矢を射られて死んでしまった、一体どこの誰が射たのか、心当たりはないか」
「そ、それは・・・おそらく小猿様かと」
「小猿・・どこかで聞いたような・・・そうか分かったぞ、伊福様の家来だな」
「へえ、そのようで。堰を見張っているので御座います、それに・・・」
「それに、何だ」
「それに下流の丘前村に、今、ヤマトタケルの命が来ていると聞きましたで、村の者はこのお方を恨んでおりますから、小猿様は下流には一滴の水もやるな、誰も近づけるなと命令されてますだ」
「なんと、そう言うことだったか・・・」
「兄者、どうするので」
「さぁてな」
と言うと、いきなり三太夫は女の肩口に手刀を食らわせた。
女は、
「うっ」と言って、気絶し、倒れ込んだ。
三太夫は上空を見上げ、出来るだけ背の高い木を探し、スルスルっと登って行った。後の二人は下に控えて辺りを警戒し、三太夫を待った。
(どれどれ、櫓の方向は・・だいぶ遠いな、なるほど・・)
櫓はだいぶ離れているので微かにしか見えないが、案の定楼上に人影が見えた。
(で、村の方はと・・・ざっと三十てところか、百人ほどだな。地形はと・・・よし、分かった)
その後三人は、安全のため右岸を通って帰路に付いた。稲目がゴンを背負子に積んで運び、村に戻ってタケルや村おさに報告した。
「なんと、小猿だと、あの大猿の末の弟か、あの時はたしか大猿が必ず説得すると言っていたはずだ。兄の言うことを聞かなかったと見える」
「若、その様子では小猿という者、厄介ですな、禍は芽のうちに摘むに如かずですぞ」
久米八が割り込んだ。
「わいも左様に思います。この際、小猿や猿投村の者を懲らしめておかないと」
三太夫も肯定した。
「已むを得んか・・・しかし、高い櫓が厄介だな」
櫓の手前には堰があり、周囲は木々が刈り取られていて、近づけばすぐ見つかってしまう。対岸は傾斜のきつい山肌で、道はなく、木々が鬱蒼と茂っている。
タケル達はどうしたものかと思案に暮れた。
良い案も浮かばず、解散して表に出ると、村外れで稲目がゴンを埋葬していた。タケルはつかつかと寄ってゆき、
「稲目よ、ゴンのことは残念だったな」
と言って稲目の肩に触れた。稲目は手を休めて項垂れている。
「きっと仇は討ってやるからな」
「へい・・」
涙を拭い、作業を続ける稲目であった。三十三になるゴンには幸か不幸か家族が居なかった。その分三つ年上の仕事仲間の稲目こそが家族であった。稲目の方は両親が健在で、妻子と共に桑名の猪名部の里に居て、家族ぐるみでゴンの面倒を見ていたのである。
旅立ち早々に仲間を失って、タケルも今度の旅は余程の試練となることを予感し、覚悟を決めた。




